レオ・ライアン
レオ・ジョゼフ・ライアン・ジュニア(Leo Joseph Ryan, Jr., 1925年5月5日 - 1978年11月18日)は、アメリカ合衆国の政治家。民主党所属。カリフォルニア州第11区選出の下院議員を1973年から1978年にガイアナで人民寺院の信者に殺害されるまで務めた。
ライアンは職務中に殺害されたただ一人の連邦議会議員である。その死後、1983年に彼は議会名誉黄金勲章を授与された。
生い立ち
ネブラスカ州リンカーンに生まれた。幼少時、イリノイ州、フロリダ州、ニューヨーク州、ウィスコンシン州、マサチューセッツ州に住んでいた。1943年にネブラスカ州の高校を卒業すると、ベイツ大学で訓練を受け、同年から1946年までアメリカ海軍軍人として潜水艦に乗務した。
ネブラスカ州のクレイトン大学において1949年に学士号(バチェラー・オブ・アーツ)を、1951年に修士号(マスター・オブ・サイエンス)を取得した。高校で歴史教師として働いた後、1956年から1962年までサウスサンフランシスコ市議会議員を務めた。この間、1958年に25区からカリフォルニア州下院議員に出馬したが、共和党のルイス・フランシスに敗れた。
1962年にサウスサンフランシスコ市長に、次いで27区のカリフォルニア州下院議員に選出された。1972年に合衆国下院議員に当選した。
L・ロン・ハバードのサイエントロジーやムン・ソンミョンの統一教会といったカルト宗教団体を批判し、1973年11月3日にはジョン・ゴードン・クラークに破壊的カルトに関する健康被害について証言させた。このスピーチに先立って「カルト宗教によって改宗させられた若者やそのために子を失う被害に遭ったその親たち」が彼の最大の懸念であると述べた。
サミュエル・I・ハヤカワ上院議員とともにパトリシア・ハーストを擁護し、大統領恩赦をはたらきかけた。
人民寺院
ジム・ジョーンズ率いる人民寺院が建設した町ジョーンズタウンにおいて信者に対する虐待や人権侵害があるという疑惑が浮上、元信者の父親ボブ・ヒューストンと親しかったライアンは調査に乗り出すこととなった。彼は自らのスタッフ、信者の家族や報道関係者を引き連れ、ジョーンズタウンを視察に訪れた。
4日後、ライアン一行は帰国希望者を連れてジョーンズタウンを去った。しかし、人民寺院の信者たちが一行を襲撃、ライアンら5人を殺害した。
ライアンの遺体はカリフォルニア州サンブルーノのゴールデン・ゲート国立墓地に埋葬された。
また、フォスターシティには彼を記念したLeo J. Ryan Memorial Parkという公園がある。
関連項目
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