シャープ兄弟
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シャープ兄弟(シャープきょうだい)は、カナダ出身の兄弟によるプロレスのタッグチームである。日本プロレス協会主催のプロレス興行「蔵前国技館3連戦」に参戦するため1954年にボビー・ブランズらと共に来日し、日本のプロレスブームの火付け役となった。
メンバー
- 兄:ベン・シャープ(英: Ben Sharpe、1916年3月18日 - 2001年11月21日)
- 身長197cm、体重112kg。1936年ベルリンオリンピックのボート競技のエイト種目にカナダ代表として出場[1]。力道山に敬意を表して息子をリキ・シャープと命名した。
- 弟:マイク・シャープ(英: Mike Sharpe、1922年7月11日 - 1988年8月11日)
- 身長199cm、体重119kg。息子のアイアン・マイク・シャープ(マイク・シャープ・ジュニア)もプロレスラーとなり度々来日した。
来歴
カナダ・オンタリオ州ハミルトン出身。祖父がレスラー、父がボクサーという格闘技一家に生まれ、1947年にトロントでプロレスデビュー。1949年にカナダからアメリカに渡り、世界タッグ王座を獲得。
1954年に世界タッグ選手権者として来日し、2月19日に力道山・木村政彦組とタッグマッチで対戦。この試合が日本初のプロレスの国際試合とされる[2]。日本テレビとNHKが同時中継し、新橋駅西口広場の街頭テレビには2万人の群衆が殺到したという。初来日の際は5回対戦し、王座を保持したまま帰国した。
- 2月19日(東京・蔵前国技館) ノンタイトル61分3本勝負。1-1から時間切れ引き分け。
- 2月20日(東京・蔵前国技館) 3大シングルマッチ。力道山は2-1でベン・シャープに勝利、マイク・シャープは2-1で山口利夫を破り、木村政彦とボビー・ブランズは引き分け。
- 2月21日(東京・蔵前国技館) 世界タッグタイトルマッチ。1-1の引き分けで王座防衛。
- 2月27日(大阪府立体育館) 2度目の世界タッグタイトルマッチ。1-0のまま時間切れで王座防衛。
- 3月6日(東京・蔵前国技館) 3度目の世界タッグタイトルマッチ。1-0のまま時間切れで王座防衛。
2年後の1956年4月にチャンピオンとして再び来日。5月4日に力道山・遠藤幸吉組にタイトルを奪われるが6日後に奪回し、王座を死守して帰国した。
- 4月24日(東京・蔵前国技館) 力道山・遠藤組とノンタイトルで対戦。61分フルタイム引き分け。
- 4月25日(東京・蔵前国技館) 東富士とベンは両者リングアウトで引き分け、遠藤は2-1でシモノビッチに勝利、力道山はマイクとシングルで対戦し2-1で勝利。
- 4月26日(東京・蔵前国技館) 力道山・遠藤組と世界タッグタイトルマッチ。1-1からドクターストップ引き分けで王座防衛。
- 5月2日~4日(大阪府立体育館で3連戦) 5月4日、タイトルマッチ時間無制限1本勝負。力道山が39分34秒にベンを体固めで破り世界タッグ王座初奪取。
- 5月10日(札幌中島スポーツセンター) 力道山・遠藤組に挑戦。今度は61分3本勝負で行われ1-0で時間切れ。6日ぶりに王座を奪回。
- 6月7日(東京・蔵前国技舘) 力道山・遠藤組との最終戦。1-1のまま時間切れ引き分けで王座を死守。
1962年にベンが引退後もマイクは現役を続け、同年6月4日には大阪府立体育館でバディ・オースチンをパートナーに力道山・豊登組からアジアタッグ王座を奪取している。マイクは1964年に引退した。
関連項目
- シャープ - シャープ兄弟のスポンサーを前身である早川電機が務めた。
- 兄弟スポーツ選手一覧
脚注
- ↑ The Official Report of the Organising Committee for the Games of the XI Olympiad Berlin 1936 (英語).
- ↑ これ以前にも、在日駐留米軍所属レスラーとの親善試合がおこなわれていた。NHK大阪放送局発行「こちらJOBK」によれば、1954年2月6日にNHK大阪テレビジョン実験局は「全日本プロレス協会主催・毎日新聞社協賛、マナスル登山隊後援日米対抗試合」を大阪府立体育館から大阪ローカルで中継放送した。本放送であることを除けば、これが日本最初のテレビ中継である。
外部リンク
- Canadian ProWrestling Page of Fame - Mike Sharpe & Ben Sharpe(英語)
- Professional Wrestling Hall of Fame and Museum - Mike and Ben Sharpe(英語)
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