独ソ戦
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独ソ戦 | |
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戦争: 第二次世界大戦/大祖国戦争 | |
年月日: 1941年6月22日から1945年5月8日 | |
場所: ウクライナ、ロシア西部、ポーランド、ドイツ東部他 | |
結果: ソ連軍の勝利 | |
交戦勢力 | |
ルーマニア王国 (〜1944) |
ポーランド |
戦力 | |
1941年 400万 1942年 269万7000 1943年 |
1941年 268万 1942年 531万3000 1943年 |
損害 | |
犠牲者 1075万8000人 (諸説あり) |
犠牲者 1470万人 (諸説あり) |
独ソ戦(どくソせん)(英語Eastern Front(World War II))
第2次世界大戦中の 1941年6月 22日~45年5月8日のドイツ,ソ連間の戦争。 A.ヒトラーはもともとボルシェビズムの打倒をナチズムの最大のスローガンに掲げ,ソ連打倒の機会をうかがっていた。 40年秋イギリスへの上陸作戦が不可能とみるとただちに対ソ作戦
(バルバロッサ作戦) の準備にかかり,41年6月兵力 250万を投入して攻撃を開始した。ドイツは対ソ戦を半年で終了すると豪語していたが電撃戦はソ連に通用しなかった。 12月アメリカも参戦しイギリス,ソ連とともに連合国が形成され,またソ連も陣容を立直して反攻に移り,42~43年のスターリングラードの戦いでの勝利以降,戦局を転換させた。 45年4月東ヨーロッパの全土を制圧したソ連軍は5月ベルリンを占領し,ドイツは降伏した。
- ↑ 1944年10月18日以降は矢十字党政権のハンガリー国民統一政府
- ↑ 正式な対ソ宣戦布告は行わなかった
- ↑ ノルマンディ・ニーメン
- ↑ en:No. 151 Wing RAF