小桧山雅仁
オリンピック | ||
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男子 野球 | ||
銅 | 1992 | 野球 |
小桧山 雅仁(こひやま まさひと、1969年5月7日 - )は、神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
桐蔭学園高から慶大へ進学。東京六大学リーグでは4年生次に春秋連続でベストナインに選ばれた。通算53試合登板し19勝11敗、防御率2.08、225奪三振。
学生時代はボトル1本も一度に飲めるという酒豪だった[1]。
大学卒業時にドラフト候補にも上がったがバルセロナオリンピックの日本代表として凍結選手になり、日本石油野球部に進みアマチュア球界のエリートコースを歩む。この間、高校から一貫してバッテリーを組んだのは後に近鉄バファローズ入りする大久保秀昭である。
アーム式の投法から切れのいい速球とフォークボールを投げ込み[2]、バルセロナオリンピック野球日本代表に選抜され、予選リーグ初戦のプエルトリコ戦で9対0の完封勝利を飾るなど、日本の銅メダル獲得に貢献した。ちなみにオリンピックの野球において、一人で完封したのは彼とベン・シーツだけである。
その活躍が評価され、五輪代表候補によるドラフト凍結選手の特例で社会人1年目の1992年のドラフト会議で横浜ベイスターズに1位指名され入団。ドラフト指名時の会見では、(横浜大洋ホエールズからの球団名変更発表まもない)横浜ベイスターズの帽子がまだ出回っていなかったために、マークが入った紙製の物(関係者が用意したと思われる)を被って対応していた。背番号は19と24が提示されたが、慶大時代と同じ番号で、六大学リーグ戦では通算19勝、慶大の2季連続優勝も19年ぶりと、19にまつわる縁起の良いエピソードがそれまでに多かったこともあって19を選択[1]。当初は先発投手として期待されたが、途中からセットアッパーに転向。怪我で離脱していた盛田幸妃にかわって活躍する。小桧山-佐々木主浩とつながるリレーは横浜の勝利の方程式として必勝パターンとなった。そうした 1年目からの活躍により、バルセロナ五輪でWエースとして鎬を削った伊藤智仁と、再び新人王をかけて張り合った(最終的には、前半戦大活躍した伊藤が新人王に選出された)[2]。
2年目からもリリーフとして期待されるが、低迷。その後右ひじ靭帯を断裂、1997年に手術[1]。
1999年4月29日、横浜-広島4回戦に3番手投手として登板、5年ぶりに通算6勝目を挙げる。この年、チェンジアップを武器に自己最多の4勝を挙げ復活の兆しをみせたが[1]、独特のアーム投法がボール先行を招くことも多く、プロの世界では微妙なコントロールに難があり、その後は目立った活躍を見せることができなかった。
2001年限りで横浜を退団。2002年は台湾プロ野球の中信ホエールズでプレーした。しかしこの年の夏に再びひじを故障。投げられなくなり、中信にはしばらくコーチとして残るも同年限りで退団[2]。
野球の仕事にこだわっても難しいと思い、野球以外の仕事にも当たってみるつもりで、大学の先輩であるTBSアナウンサーの松下賢次に相談し、松下の紹介でTBSの入社試験を受けた後、2003年、TBSラジオに入社し、営業部に勤務。2010年は『エキサイトベースボールプロジェクトリーダー』としてTBSラジオ エキサイトベースボールの営業を担当[2]。
2014年、元TBSラジオ954情報キャスターの白井京子と結婚した[3]。
詳細情報
年度別投手成績
1993 | 横浜 | 44 | 8 | 0 | 0 | 0 | 3 | 9 | 4 | -- | .250 | 416 | 99.1 | 85 | 6 | 49 | 2 | 1 | 85 | 4 | 0 | 35 | 33 | 2.99 | 1.35 |
1994 | 25 | 6 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 | 0 | -- | .400 | 263 | 58.1 | 51 | 9 | 41 | 0 | 2 | 41 | 7 | 0 | 29 | 26 | 4.01 | 1.58 | |
1995 | 16 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 100 | 20.2 | 21 | 4 | 19 | 1 | 1 | 18 | 2 | 0 | 18 | 18 | 7.84 | 1.94 | |
1996 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 11 | 2.0 | 5 | 2 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 3 | 3 | 13.10 | 2.50 | |
1997 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 29 | 5.0 | 8 | 3 | 6 | 0 | 0 | 7 | 0 | 0 | 10 | 10 | 18.00 | 2.80 | |
1999 | 20 | 5 | 0 | 0 | 0 | 4 | 1 | 0 | -- | .800 | 193 | 45.1 | 42 | 3 | 18 | 0 | 0 | 39 | 2 | 0 | 23 | 19 | 3.77 | 1.32 | |
2000 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 26 | 6.0 | 7 | 1 | 1 | 0 | 0 | 9 | 1 | 0 | 3 | 3 | 4.50 | 1.33 | |
2001 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 61 | 12.2 | 16 | 1 | 7 | 0 | 1 | 11 | 0 | 0 | 11 | 7 | 4.97 | 1.82 | |
2002 | 中信 | 20 | 15 | 1 | 0 | 0 | 7 | 6 | 0 | -- | .538 | 442 | 105.0 | 92 | 11 | 44 | 0 | 2 | 102 | 4 | 0 | 51 | 44 | 3.77 | 1.30 |
NPB:8年 | 122 | 19 | 0 | 0 | 0 | 9 | 14 | 4 | -- | .391 | 1099 | 249.1 | 235 | 29 | 141 | 3 | 5 | 213 | 16 | 0 | 132 | 119 | 4.30 | 1.51 | |
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CPBL:1年 | 20 | 15 | 1 | 0 | 0 | 7 | 6 | 0 | -- | .538 | 442 | 105.0 | 92 | 11 | 44 | 0 | 2 | 102 | 4 | 0 | 51 | 44 | 3.77 | 1.30 |
記録
- NPB
- 初登板:1993年4月10日、対読売ジャイアンツ1回戦(東京ドーム)、5回裏に2番手で救援登板、2回1失点
- 初奪三振:同上、5回裏に篠塚和典から
- 初先発:1993年4月14日、対広島東洋カープ2回戦(横浜スタジアム)、5回4失点
- 初セーブ:1993年4月30日、対中日ドラゴンズ1回戦(横浜スタジアム)、6回表2死に2番手で救援登板・完了、3回1/3を無失点
- 初勝利:1993年5月18日、対読売ジャイアンツ5回戦(福岡ドーム)、5回裏1死に2番手で救援登板、2回1/3を無失点
- 初先発勝利:1994年5月29日、対中日ドラゴンズ8回戦(ナゴヤ球場)、5回1/3を無失点
背番号
- 19 (1993年 - 1998年)
- 30 (1999年 - 2001年)
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 “【12月18日】1992年(平4)横浜、最初のドラ1は小桧山、背番号はあの「19」”. スポーツニッポン. . 2015閲覧.
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 “プロ野球選手からラジオ局の営業マンに転身!元横浜ベイスターズ小桧山雅仁の第二の人生”. CAREERZINE (2010年6月1日). . 2015閲覧.
- ↑ 元横浜ドラ1小桧山氏 ラジオ局婚 キャスターと社内恋愛(スポニチアネックス2014年12月28日)
関連項目
外部リンク
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、 CPBL