日本橋富沢町
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日本橋富沢町 | |
---|---|
— 町丁 — | |
座標: 東経139度46分57.18秒北緯35.68905度 東経139.78255度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京都 |
特別区 | 中央区 |
地域 | 日本橋地域 |
面積[1] | |
- 計 | 0.059km2 (0mi2) |
人口 (2017年(平成29年)12月1日現在)[2] | |
- 計 | 1,217人 |
等時帯 | 日本標準時 (UTC+9) |
郵便番号 | 103-0006[3] |
市外局番 | 03[4] |
ナンバープレート | 品川 |
日本橋富沢町(にほんばしとみざわちょう)は、東京都中央区の町名。「丁目」の設定のない単独町名である。郵便番号103-0006[3]。
地理
旧日本橋区にあたる日本橋地域に属する。 周囲は東で日本橋久松町、南東で日本橋浜町、南で日本橋人形町、西で日本橋堀留町、北西で日本橋大伝馬町、北東で東日本橋と隣接する。 当町含む周辺一帯は日本橋久松町に所在する久松警察署、および日本橋兜町に所在する日本橋消防署の管轄にあたる。 町内は後述#歴史により特に繊維関係のビルが林立し[5]、今日ではオフィスビル等が連なる町並みで賑わいを見せている。
地価
住宅地の地価は、2015年(平成27年)1月1日の公示地価によれば、富沢町7-15の地点で1,030,000円/m2となっている[6]。
歴史
江戸時代にこの一帯に住んでいた古着屋の元締めである鳶沢甚内(とびさわじんない)という人物がいたことから、 「鳶沢町」と呼ばれるようになり、後にそれが訛って、または字を改めて「富沢町」と呼ばれるようになったとされている[5]。 日本橋浪花町を吸収合併し、現在の日本橋富沢町の形になった[7]。
旧町名
- 日本橋富沢町(旧)
- 日本橋浪花町[* 1]
世帯数と人口
2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
日本橋富沢町 | 742世帯 | 1,217人 |
小・中学校の学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[8]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 中央区立日本橋小学校 | 中央区立日本橋中学校 |
交通
道路
- 金座通り
鉄道
施設
- 久松児童公園[* 2]
- 商業
- 団体
- 日本ラクロス協会(JLA)本部
- 社寺
- 富沢稲荷神社
脚註
- 注釈
- 出典
- ↑ 2010年(平成22年)国勢調査“平成22年国勢調査”. 総務省統計局. . 2015閲覧.
- ↑ 2.0 2.1 “町丁目別世帯数男女別人口”. 中央区 (2017年12月5日). . 2017閲覧.
- ↑ 3.0 3.1 “郵便番号”. 日本郵便. . 2017閲覧.
- ↑ “市外局番の一覧”. 総務省. . 2017閲覧.
- ↑ 5.0 5.1 “富沢町[人形町・浜町エリア]”. 中央区観光協会. . 2015閲覧.
- ↑ “国土交通省地価公示・都道府県地価調査”. 土地・建設産業局. . 2015閲覧.
- ↑ 7.0 7.1 “日本橋小舟町地区 町名の由来”. 中央区役所. . 2015閲覧.
- ↑ “区立学校一覧”. 中央区 (2017年8月17日). . 2017閲覧.
- ↑ “じゃぶじゃぶ池の案内と利用方法”. 中央区役所. . 2015閲覧.
外部リンク
日本橋大伝馬町 | 東日本橋 | |||
日本橋堀留町 | 北 | 日本橋久松町 | ||
西 日本橋富沢町 東 | ||||
南 | ||||
日本橋人形町 | 日本橋浜町 |