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{{Infobox Musician <!--Wikipedia:ウィキプロジェクト 音楽家を参照-->
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| Name                = あのねのね
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'''あのねのね'''
| Img                =
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| Landscape          = 日本の[[日本のロック|ロック]]でも[[フォークソング|フォーク]]でもない新しい音楽分野「[[ニューミュージック]](Jポップスの草分け)」を開拓したバンド
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日本の[[フォークソング|フォーク]][[デュオ]]である。主に[[1970年代]]中期から[[1980年代]]初頭にかけて一世を風靡した。
| Background          = band
 
| Alias              = そのねのね、亜乃根野寝
 
| Died                =
 
| Origin              = {{JPN}}
 
| Instrument          =
 
| Genre              = [[ニューミュージック]]
 
| Occupation          =
 
| Years_active        = [[1973年]] -
 
| Label              = [[アードバーク (レーベル)|AAAD-VARK]]、[[ワーナーミュージック・ジャパン|ワーナー・パイオニア]]、[[DAIPRO-X]]
 
| Production          = アワーライフ、ムーン原田伸郎事務所
 
| Associated_acts    =
 
| Influences          =
 
| URL                =
 
| Current_members    = [[清水国明]]([[ボーカル]]、[[ギター]])<br />[[原田伸郎]]([[ボーカル]]、[[ギター]])
 
| Past_members        = [[笑福亭鶴瓶|駿河学 夫妻]]
 
}}
 
'''あのねのね'''は、日本の[[フォークソング|フォーク]][[デュオ]]である。主に[[1970年代]]中期から[[1980年代]]初頭にかけて一世を風靡した。
 
  
 
== 略歴 ==
 
== 略歴 ==
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その音源は「オン・エアー/パーソナリティーヒッツ」や関連のお菓子に収録されている。
 
その音源は「オン・エアー/パーソナリティーヒッツ」や関連のお菓子に収録されている。
  
==弟子==
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{{テンプレート:20180815sk}}
;清水の弟子
 
*[[Bro.KONE|近藤伸明]]
 
*[[清水アキラ]]
 
*[[清水敬子]](清水の3番目の妻)
 
*[[清水明実]](清水の長女)
 
*清水愛実(清水の次女)
 
*清水好実(清水の三女)
 
*[[藤田亨]](放送作家)
 
 
 
;原田の弟子
 
*[[藤田和弥]]([[朝日放送]]プロデューサー)
 
*[[国木田かっぱ]]
 
 
 
;その他
 
*[[太田伸一|MODOKI]]
 
*池田まさる
 
*[[デイビー]]
 
 
 
== 主な出演作品 ==
 
=== バラエティ番組 ===
 
*テレビに釘付け あのねのね ([[1978年]] - [[1979年]]、[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]])
 
*:[[読売文化センターユニオン|読売文化センター]]での公開収録(一部の回では関西地区のみ[[生放送]])。「[[パクパクコンテスト]]」などのコーナーがあった。
 
*[[金曜10時!うわさのチャンネル!!]]([[1973年]] - [[1976年]]、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]])※当時メンバーだった[[笑福亭鶴瓶|駿河学]]が[[金曜10時!うわさのチャンネル!!#笑福亭鶴瓶の下半身露出事件|放送中に不祥事を起こした]]ため降板。
 
*ハチャメチャ生放送 ([[テレビ朝日]]、当時NETテレビ)
 
*[[みごろ!たべごろ!笑いごろ!]]([[テレビ朝日]]、当時NETテレビ)※ゲスト
 
*[[飛べ!孫悟空]] ([[TBSテレビ|TBS]])
 
*[[大正週間漫画 ゲラゲラ45]]
 
*[[ヤンヤン歌うスタジオ]]
 
*[[ザ・スターボウリング|ねのねのスターボウリング]]
 
*[[全国縦断!クイズあのねのね]]
 
*[[火曜ワイドスペシャル]](フジテレビ)※アイドル運動会などの司会
 
*[[クイズDEデート]]
 
*[[SMAP×SMAP]] 「歌え!アイドルキックオフ」のコーナー (フジテレビ)
 
*[[ものまね王座決定戦]]
 
 
 
=== テレビドラマ ===
 
*[[夜明けの刑事]] 第14話「理由あるプレイボーイ」(1975年、TBS) - 酔っ払い 役
 
*[[俺はおまわり君]](1981年、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]) - 巡査 役
 
 
 
=== ラジオ ===
 
*[[あのねのねのオールナイトニッポン]] ([[ニッポン放送]])
 
*: ※[[1997年]]10月 - [[1998年]]3月まで原田だけが「オールナイトニッポンDX(デラックス)」に出演していた<ref>同時間帯に清水が文化放送の裏番組に出演していたための措置。</ref>際は、「ねのねのオールナイトニッポンDX」というタイトルだった。
 
*[[オールナイトニッポンアゲイン]] (ニッポン放送)
 
*ヤング海賊船 ([[MBSラジオ]]) 原田のみ出演
 
*[[MBSヤングタウン|ヤングタウン]] ([[MBSラジオ]]) 原田のみ出演
 
*ごきげんさん3時です (MBSラジオ)
 
*真夜中ギンギラ大放送 ([[ラジオ関西]])
 
*歌謡一番星(文化放送)1977年頃
 
 
 
=== 映画 ===
 
*[[冒険者たち (1975年の映画)|冒険者たち]](1975年) 主演
 
 
 
=== CM ===
 
*[[東ハト|東鳩製菓]] スナック「100てん満点!」
 
*[[大正製薬]] [[湿布薬]]「メンフラ」
 
 
 
== ディスコグラフィ ==
 
===シングル===
 
#[[赤とんぼの唄|赤とんぼの唄/魚屋のオッサンの歌]](1973年3月10日)
 
#*作詞:清水国明/作曲:原田伸郎
 
#さよならの唄/あのねのねのしんきょく(1973年6月10日)
 
#*作詞:清水国明/作曲:原田伸郎
 
#空飛ぶ円盤の唄/流浪のうた(1974年2月25日)
 
#*作詞:清水国明/作曲:原田伸郎/編曲:[[すぎやまこういち]]
 
#でんでん虫の唄(1974年6月10日)
 
#*作詞:清水国明/作曲:原田伸郎/編曲:あのねのね
 
#雪が降っています/やすらぎを求めて(1974年11月10日)
 
#*作詞:あのねのね/作曲:あのねのね/編曲:[[青木望]]
 
#つくばねの唄(1975年4月10日)
 
#*作詞:あのねのね/作曲:あのねのね
 
#青春旅情/泣かないで(1975年8月10日)
 
#*作詞:河島英五/作曲:河島英五/編曲:[[瀬尾一三]]
 
#人間は何て悲しいんだろう/我がプロポーズ(1976年8月)
 
#*作詞:[[松本隆]]/作曲:[[加藤和彦]]/編曲:瀬尾一三
 
#*[[ナッシュビル]]録音
 
#さよならは白い雪文字/旧友来たる(1976年11月)
 
#*作詞:松本隆/作曲:加藤和彦/編曲:瀬尾一三
 
#*ナッシュビル録音
 
#オレはお前さ/切符(1977年)
 
#嫁ぐ朝に/僕は二枚目半(1978年10月)
 
#*総合結婚式場「[[月華殿 (大阪市)|月華殿]]」CMソング
 
#[[ネコ・ニャンニャンニャン]]/ヤンヤンロック(1979年2月25日)
 
#*作詞:[[犀泪弾]]/作曲:[[鹿王院嵐山]]/編曲:国伸まこと 
 
#*この15年後の1994年10月21日に[[嘉門タツオ|嘉門達夫]]&原田伸郎バージョンとしてシングルで発売。間奏部分に「赤とんぼの唄/魚屋のオッサンの歌」が挿入されている。
 
#*2013年に[[福と花音]]が「[[ネコ・ニャンニャンニャン#福と花音によるカバー・シングル|ネコニャンニャンニャン イヌワンワンワン カエルもアヒルもガーガーガー]]」として[[カバー]]。
 
#パンツ丸見え体操(1979年11月28日)
 
#*作詞:清水国明/作曲:原田伸郎/編曲:[[佐々木まこと]]
 
#みかんの心ぼし(1980年9月25日)
 
#*作詞:原田伸郎/作曲:佐々木まこと/編曲:佐々木まこと 
 
#*PART2(同シングルB面に収録)、原田ソロバージョン(ソロアルバム『30-0』に収録)、PART3(『せるふかばあ』に収録)も存在。
 
#いたぁーいなにすんの(1981年4月25日)
 
#*作詞:あのねのね/作曲:佐々木まこと/編曲:佐々木まこと
 
#羽根を汚した天使達へ/幸せ来ますように(1981年6月)
 
#*作詞:森雪之丞/作曲:佐々木まこと/編曲:佐々木まこと
 
#大きな栗とリスの歌
 
#*『[[大きな栗の木の下で]]』の[[替え歌]]
 
#この場所で光を(2001年3月28日)
 
#*作詞:[[GAKU-MC]]/作曲:タダシ
 
#*ブック・オフ([[ブックオフコーポレーション]])CMソング
 
#愛メール(Acoustic version)(2001年6月21日)
 
#*作詞:清水国明/作曲:原田伸郎
 
 
 
===アルバム===
 
#ビューティフル・オン・ステージ(1973年2月10日)
 
#初体験出血コンサート(1973年9月10日)
 
#あのねのねコンサート(1973年9月25日)
 
#満一才の誕生日(1974年4月25日)
 
#いつまでもあると思うな人気と仕事(1974年12月21日)
 
#千秋楽(1975年4月25日)
 
#'''未成年立入禁止コンサート(1975年)'''
 
#今昔物語大全集〜満2才、3才の誕生日〜(1976年1月)
 
#共鳴(不明)
 
#青春旅情(不明)
 
#せるふかばあ~ANONENONE BEST~(2001年9月21日)DAIPRO-X
 
 
 
===書籍===
 
#あのねのね 今だから愛される本(1974年9月、[[KKベストセラーズ]])
 
#帰ってきたあのねのね 今だから愛される本  (1976年、KKベストセラーズ)
 
#あのねのねのどっちがアホか 今だから笑われる本(1978年12月、KKベストセラーズ)
 
#あのねのねのいまギャグ感覚 入門・珍詩作講座(1981年5月、KKベストセラーズ)
 
 
 
==エピソード==
 
*弟子ではないが[[小室哲哉]]・[[河島英五]]がかつて[[バックバンド]]を担当していたことでも知られる。
 
 
 
==脚注==
 
{{Reflist}}
 
 
 
 
 
{{笑福亭鶴瓶}}
 
 
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[[Category:日本の歌手グループ]]
 
[[Category:日本の歌手グループ]]

2018/10/12/ (金) 00:27時点における最新版

あのねのね

日本のフォークデュオである。主に1970年代中期から1980年代初頭にかけて一世を風靡した。

略歴

京都産業大学の学生だった清水国明原田伸郎により結成される。フォークソングムーブメント末期の1973年、『赤とんぼの唄』でメジャーデビューした。

結成当初は4~6人編成で、うち2人は笑福亭鶴瓶とその後鶴瓶の妻になる女性であった。メジャーデビューまでに清水と原田とのコンビとなった。

「赤とんぼの唄」「魚屋のオッサンの唄」などのコミックソングの印象が強く、また、ライブではコミカルなトークも人気を博した。一方で「雪が降っています」などのスローナンバーも残している。

「つくばねの唄」は、落語欣弥め』を下地にしているが、サビの歌詞がかなり卑猥であるため“放送禁止用語の歌”といわれた。その英語バージョンの“THE SAMURAI”もある。

「そのねのね」という変名でシングル「愛の調べ」とアルバム「そのねのね ファースト・ラスト・アルバム」をリリースしたこともある。こちらはすぎやまこういちらによるシリアス路線だった。

1975年には学業に専念するためライブメインの活動を休止。直前に東京・蔵前国技館(当時)で千秋楽コンサートを行った。

ライブ活動は休止したものの、河島英五の手による「青春旅情」を同年リリースし、「ヤンヤン歌うスタジオ」や「ものまね王座決定戦」などのバラエティ番組へ出演し人気を博す。

その後、音楽のほうもナッシュビル録音のアルバムをリリースするなどして活動を再開。「ネコ・ニャンニャンニャン」「みかんの心ぼし」 (両曲はテクノ歌謡調)等のヒットを飛ばす。

現在は個々の活動が中心で、コンビとしての活動はとくに行っていないが、2人がテレビやラジオで共演する機会は多く、1998年に「オールナイトニッポンDX」の企画で日本武道館内の会議室でライブを実施した (実際は武道館内で行う予定だったが、リスナーからの募金で使用料を集めたため、予算内に借りられる会議室でのライブとなった)。2001年に新作シングル「この場所で光を」「愛メール」、オリジナルアルバム「II」、セルフカバーアルバム「せるふかばあ-ANONENONE BEST-」をリリースした。2003年には「結成30周年記念ライブ」を行っている。

2011年には「TBC夏まつり」でライブを再開した。

清水・原田の両夫妻が合同離婚を発表し、世間を騒がせたこともある。実際には離婚ではなく、冗談半分の企画だったが、当時の女性誌等からバッシングに遭った。「オールナイトニッポン」内で原田が隣の文化放送のせんだみつおの番組に乱入した。 その音源は「オン・エアー/パーソナリティーヒッツ」や関連のお菓子に収録されている。



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