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{{基礎情報 会社
 
|社名 = 株式会社 うすい百貨店
 
|英文社名 = Usui Department Store Co.,Ltd.
 
|ロゴ =
 
|画像 =
 
|画像説明 =
 
|種類 = [[株式会社 (日本)|株式会社]]
 
|市場情報 = 非上場
 
|略称 = うすい
 
|国籍 = {{JPN}}
 
|本社郵便番号 = 963-8004
 
|本社所在地 = [[福島県]][[郡山市]]中町13-1
 
|本店郵便番号 =
 
|本店所在地 =
 
|設立 = [[1970年]](昭和45年)<ref name="usui-reborn-plan-2003-8-28">事業再生計画の概要 ㈱うすい百貨店 (Report). [[産業再生機構]]. (2003年8月28日).</ref><br>(創業は[[1662年]](寛文2年)<ref name="ala-carte-1986-7">“企業探訪 うすい百貨店”. あ・ら・か・る・と 創刊号 (福島県折込広告社) (1986年7月).</ref>)
 
|業種 = 6100
 
|統一金融機関コード =
 
|SWIFTコード =
 
|事業内容 = 百貨店業
 
|代表者 = 平城 大二郎([[代表取締役]][[社長]])<ref name="fukushima-minpo-2009-4-4">“うすい社長に平城氏 三越から異動、店長も兼務”. [[福島民報]] (福島民報). (2009年4月4日)</ref>
 
|資本金 = 2億円<ref name="isetan-mitsukoshi-annual-report-3-2011">株式会社三越伊勢丹ホールディングス 第3期有価証券報告書 (Report). 三越伊勢丹ホールディングス. (2011年6月27日).</ref>
 
|発行済株式総数 =
 
|売上高 = 143億3100万円(2010年度)
 
|営業利益 =
 
|純利益 =
 
|純資産 =
 
|総資産 =
 
|従業員数 =
 
|支店舗数 =
 
|決算期 =
 
|主要株主 = [[三越伊勢丹]]34.9%([[三越伊勢丹ホールディングス]])<ref name="isetan-mitsukoshi-annual-report-3-2011" /><br>[[秋田銀行]]<ref name="okina-2008-10">翁百合 (2008-10). “産業再生機構の活動と日本の金融の正常化について”. フィナンシャル・レビュー October-2006 (財務省財務総合政策研究所).</ref>
 
|主要子会社 =
 
|関係する人物 =
 
|外部リンク = {{Official|http://www.usui-dept.co.jp/}}
 
|特記事項 =
 
}}
 
  
'''株式会社うすい百貨店'''(うすいひゃっかてん)は、[[福島県]][[郡山市]]にある[[日本の百貨店]]である。[[三越伊勢丹ホールディングス]]の[[持分法適用会社]]である<ref name="isetan-mitsukoshi-annual-report-3-2011" />。
+
'''株式会社うすい百貨店'''(うすいひゃっかてん)
  
== 歴史・概要 ==
+
福島県郡山市にある百貨店。1959年開業。
{{商業施設
 
|社色 = #339999
 
|文字色 = #fff
 
|名称 = うすい百貨店<br>Usui Department Store
 
|画像 = Usui-DepartmentStore.jpg
 
|画像サイズ = 300px
 
|画像説明 = うすい百貨店(リニューアル後)
 
|正式名称 =
 
|運営母体 =
 
|施設所有者 = うすい百貨店<ref name="usui-reborn-plan-2003-8-28" />
 
|前身 =
 
|敷地面積= 8,019.92
 
|商業施設面積= 31,000<ref name="usui-reborn-about-2003-8-28">株式会社うすい百貨店等に対する支援決定について (Report). [[産業再生機構]]. (2003年8月28日).</ref>
 
|延床面積= 57,058.58
 
|店舗数 =
 
|駐車場数 =
 
|商圏人口 =
 
|開業日 = [[1938年]](昭和13年)<br>(旧店舗:百貨店法に基く百貨店営業の認可)<ref name="usui-reborn-plan-2003-8-28" /><br>*[[1999年]](平成11年)[[11月3日]](現店舗)
 
|閉店日=
 
|営業時間 =
 
|最寄駅 = [[東日本旅客鉄道]][[郡山駅 (福島県)|郡山駅]]
 
|最寄IC =
 
|所在地郵便番号=
 
|所在地 = 福島県郡山市中町13-1
 
| 地図国コード = JP
 
|外部リンク = 
 
|グループ =
 
}}
 
[[ファイル:20100123秋田銀行郡山支店.jpg|thumb|うすい百貨店と手前は同社のメインバンク秋田銀行郡山支店]]
 
[[ファイル:20100123大東銀行本店.jpg|thumb|セカンドバンク[[大東銀行]]は同社に隣接する。]]
 
  
=== 創業と百貨店の開業 ===
+
{{テンプレート:20180815sk}}  
 
 
[[1662年]](寛文2年)[[8月24日]]に物産問屋として創業したのが始まりである。
 
 
 
[[1930年]](昭和5年)に'''合名会社うすゐ'''として法人化し、[[1938年]](昭和13年)に百貨店法に基く百貨店営業の認可を受けて正式に百貨店化した<ref name="usui-reborn-plan-2003-8-28" />。
 
日本百貨店協会には三越傘下になってから加盟した。
 
 
 
=== 増床と他の大型店と競争 ===
 
[[1959年]](昭和34年)には郡山市中町にあった丸伊デパートを買収して<ref name="usui-reborn-plan-2003-8-28" />「第2うすい」として増床し、[[1965年]](昭和40年)には年商33.0億円(売場面積7,565[[平方メートル|m<sup>2</sup>]])を上げて[[福島市]]の地域一番店だった[[中合]]の年商24.5億円(売場面積7,028m<sup>2</sup>)を上回って福島県全体の地域一番店となり、東北地方全体でも[[仙台市]]の3百貨店([[藤崎 (百貨店)|藤崎]]:43.4億円、[[丸光]]:42.3億円、[[三越]]:41.5億円)に次ぐ4番目の売上を上げる<ref name="depart1967">デパート新聞社編 『全国百貨店年鑑 昭和42年版』 デパート新聞社、1967年。</ref>までに成長した。
 
 
 
[[1970年]](昭和45年)には'''株式会社うすい百貨店'''として分離独立し、同年12月14日に仙台市から進出してきた丸光<ref name="sasaki-1973">『火の人 佐々木光男伝』 丸光、1973年。</ref><ref>現在の朝日生命郡山センタービル</ref>や地場の呉服店が百貨店化した津野本店<ref name="tatematsu-2001">立松潔 (2003年8月28日). 地方都市における中心市街地の活性化に関する研究 科学研究費補助金基盤研究(C)(2)研究成果報告書 (Report). [[文部科学省]].</ref>、[[1969年]](昭和44年)進出してきた[[イトーヨーカドー]]<ref name="matsumura1989-3">松村公明. “郡山市中心商店街における店舗の業種構成とその変容”. 地域調査報告 第11号 ([[筑波大学]]地球科学系人文地理学研究グループ) (1989年3月).</ref>、[[1975年]](昭和50年)に進出してきた[[西友]]<ref name="matsumura1989-3" />(1年後の1976年(昭和51年)11月6日に[[リヴィン#郡山西武店|郡山西武店]](郡山西武)となる<ref>「[[福島民報]]昭和50年11月縮刷版」112頁(「『郡山西武』が開店 "視察組"などでにぎわう」「福島民報」([[福島民報社|福島民報]])1976年11月7日、朝刊7面)。</ref>)や[[ダイエー]]<ref name="yomiuri-np-2005-6-17">“大店法緩和で「構図」変化共存共栄から“主戦場”郊外に”. [[読売新聞]] (読売新聞社). (2005年6月17日)</ref>、[[丸井]]<ref name="matsumura1989-3" />などの大型店と激しい競争を繰り広げた。特に反対側の大町にあったダイエーとは、開店時には価格面において極端な値下げが行われるなど全面戦争状態と化した。
 
 
 
そして、[[1980年]](昭和55年)に丸光撤退<ref name="tatematsu-2001" /><ref name="matsumura1989-3" />、[[1987年]](昭和62年)に津野本店廃業<ref name="tatematsu-2001" />、[[1988年]](昭和63年)にイトーヨーカドー撤退<ref name="matsumura1989-3" /><ref>約1年後の1989年6月に郡山市西ノ内に現行の店舗として開業。</ref>、[[1994年]](平成6年)にダイエーをディスカウントストア業態のトポスでも存続できず撤退<ref name="matsumura1989-3" /><ref name="yomiuri-np-2005-6-17" />させるなど並み居る競合の大型店を撤退や廃業に追い込んで生き残った。
 
 
 
=== 新店舗への移転と業績の低迷 ===
 
しかし、郊外には既に市内に数店舗進出していた[[ヨークベニマル]]などのスーパー、さらに郡山市西ノ内に移転したイトーヨーカドー、さらに[[1996年]](平成8年)には同市日和田に[[ジャスコ]]と[[ショッピングモールフェスタ]]が進出し、うすい含め郡山駅前の商業地の売上を低下させていった。そんななか、市と共同で県の補助金を利用し第二うすいなどがあった敷地に「中町再開発ビル」建設<ref>[https://www.city.koriyama.fukushima.jp/331000/toshisebi/dai1shu.html 郡山中町第一地区第一種市街地再開発事業/郡山市]</ref>。このとき東邦銀行が融資を行わなかったことからメインバンクが秋田銀行になったと言われている。
 
 
 
[[1999年]](平成11年)[[11月3日]]に現店舗へ移転し<ref name="fukushima-minpo-1999-11-4">“待望の都市型百貨店に長い列 新「うすい」オープン 郡山中町再開発ビル 買い物心刺激 6万5000人の波 県内全域から来店 地元商店街 集客力に手ごたえ 市内郊外店に大きな脅威 他市商業者に危機感”. [[福島民報]] (福島民報). (1999年11月4日)</ref>、従来の約2倍<ref name="usui-reborn-plan-2003-8-28" />の31,000m<sup>2</sup><ref name="usui-reborn-about-2003-8-28">株式会社うすい百貨店等に対する支援決定について (Report). [[産業再生機構]]. (2003年8月28日).</ref>で東北最大級の売り場面積<ref name="usui-reborn-plan-2003-8-28" />を持つ都市型百貨店を開業した<ref name="fukushima-minpo-1999-11-4" />。[[2000年]](平成12年)10月15日で郡山駅前の西友郡山西武店が閉店して<ref name="fukushima-minpo-1999-10-16">「郡山西武 25年間の歴史に幕 買い物客、閉店惜しむ声」『福島民友』(福島民友新聞) 2000年10月16日、朝刊。</ref>、11月22日に[[ザ・モール郡山]]として移転するのに対抗したが<ref name="asahi-newspaper-2000-11-23">「郡山の大型店 モール開店、朝1番に500人」『朝日新聞』福島面 (朝日新聞社) 2000年11月23日、朝刊。</ref>、移転・増床前の[[1997年]](平成9年)7月期の売上高162.49億円が、[[2000年]](平成12年)7月期には年度開始後約3ヶ月で約2倍に増床して9ヶ月間新店舗で営業したにもかかわらず売上高が約155.34億円と逆に4.4%減少して22.05億円の赤字に転落し<ref name="tdb-private-department-sales-2001">未上場百貨店の売上高、3年前に比べ8割がダウン ~57社中、48社の売上高が減収~ (Report). [[帝国データバンク]]. (2001年).</ref>、[[2003年]](平成15年)7月期も売上高約168.65億円で5.87億円の赤字<ref name="usui-reborn-plan-2003-8-28" />と業績が伸び悩んで過大投資となり、借入金総額がうすい本社と合計で約155.02億円<ref name="usui-reborn-plan-2003-8-28" />と年間売り上げの90%を超えてしまった。
 
 
 
=== 産業再生機構の支援による再建 ===
 
前項の通り過大投資により業績が低迷したため、[[2003年]](平成15年)[[8月]]にメインバンクの[[秋田銀行]]からの申請で[[産業再生機構]]による支援が決定され、再生計画が実行されることになった<ref name="usui-reborn-plan-2003-8-28" />。
 
 
 
この再生計画に基き、メインバンクの秋田銀行を中心に[[大東銀行]]、[[福島銀行]]、[[東京海上火災保険]]、[[日本生命保険]]などを中心とした金融機関が約120億円の債権放棄を行って有利子負債のキャッシュフロー倍率を10倍以下に削減し<ref name="usui-reborn-plan-2003-8-28" />、売場面積も従来の11フロアのうち2フロアを[[三越]]の支援で誘致した<ref name="nikkei-2005-9-15">“三越、うすい百貨店を傘下に・出資34%に引き上げ”. [[日本経済新聞]] (日本経済新聞社). (2005年9月15日)</ref>。[[2004年]](平成16年)10月に[[大塚家具]]を入居<ref name="fukushima-minpo-2009-6-27">“大塚家具9月下旬閉店 郡山・うすいの大規模テナント”. [[福島民報]] (福島民報). (2009年6月27日)</ref>させてテナント化して賃料を約5億円削減すると共に、地代削減分を反映させて他の賃料も約5億円削減して合計約10億円の賃料引き下げを実現し<ref name="usui-reborn-plan-2003-8-28" />、三越が社長の派遣<ref name="nikkei-2005-9-15" />や共同仕入れによる粗利益率の改善<ref name="usui-reborn-plan-2003-8-28" />にも協力するなどして再建に取り組み、[[2005年]](平成17年)7月期に約1.7億‐1.8億万円の黒字に転換<ref name="nikkei-2005-9-15" />に成功した。
 
 
 
なお、この過程で100%の減資が行なわれ、創業家の薄井一族は株主の座を降り、薄井康社長(当時)も代表権のない会長へと退いた<ref name="nikkeibusiness-2003-11-10">敗軍の将、兵を語る - 薄井康氏(うすい百貨店社長). [[日経ビジネス]] (日経BP社). 2003年11月10日号 120p</ref>。
 
 
 
=== 三越の持分法適用会社へ ===
 
産業再生機構の支援による再建が軌道に乗ったことを受けて、社長の派遣を含む業務提携に14.9%を出資する資本提携を行って支援に参画していた三越<ref name="nikkei-2005-9-15" />は[[2005年]](平成17年)10月に産業再生機構が保有していた議決権の20%にあたる株式全て<ref name="nikkei-2005-10-14">“うすい百貨店への支援終了”. [[日本経済新聞]] (日本経済新聞社). (2005年10月14日)</ref>を3000万円弱で取得して出資比率を14.9%から34.9%に引き上げて[[持分法]]適用会社となった<ref name="nikkei-2005-9-15" />。
 
 
 
現在も三越(現・[[三越伊勢丹]])がこの株式を継続して保有しており、三越が[[伊勢丹]]の経営統合にて誕生した[[三越伊勢丹ホールディングス]]の持分法適用子会社となっている<ref name="isetan-mitsukoshi-annual-report-3-2011" />。
 
 
 
このため、産業再生機構の支援下での再建時に社長に就任した小島浩介<ref name="shikoku-np-2006-1-27">“うすい百貨店社長に遠藤氏 三越本店から”. [[四国新聞]] (四国新聞社). (2006年1月27日)</ref>を含め、遠藤潤<ref name="shikoku-np-2006-1-27" />、平城大二郎<ref name="fukushima-minpo-2009-4-4">“うすい社長に平城氏 三越から異動、店長も兼務”. [[福島民報]] (福島民報). (2009年4月4日)</ref>と近年は三越出身の社長が続いている。
 
 
 
=== 有力テナントの撤退と後継店舗の招致 ===
 
[[2009年]](平成21年)[[9月23日]]に8・9階の2フロアに出店していた[[大塚家具]]・郡山ショールーム(4,800m<sup>2</sup>)閉店し<ref name="fukushima-minpo-2009-6-27" />、[[2010年]](平成22年)9月23日には現在地への移転時からの有力テナントだった[[八重洲ブックセンター]]<ref name="fukushima-minpo-1999-10-6">“うすい百貨店 新店舗の概要発表 魅力のブランドなど導入「ヴィトン」「八重洲ブックセンター」…幅広い集客狙う 仮店舗は12月テナントビルに”. [[福島民報]] (福島民報). (1999年10月6日)</ref>が閉店する<ref name="fukushima-minpo-2010-7-27">“大手書店ジュンク堂出店へ うすい百貨店、八重洲ブックセンターは閉店”. [[福島民報]] (福島民報). (2010年7月27日)</ref>など有力テナントの撤退が相次いだ。
 
 
 
その代替となる有力なテナントとして[[10月29日]]に<ref name="fukushima-minyu-2010-10-29">“ジュンク堂書店と東急ハンズがうすい百貨店にオープン”. [[福島民友新聞]] (福島民友新聞社). (2010年10月29日)</ref>9階の全フロア約2400m<sup>2</sup>で約65万冊の品揃えを誇る福島県内最大の書店として[[ジュンク堂書店]]を開店させると共に、8階には[[東急ハンズ]]の期間限定ショップであるトラックマーケット<ref name="fukushima-minyu-2010-10-29">“ジュンク堂書店と東急ハンズがうすい百貨店にオープン”. [[福島民友新聞]] (福島民友新聞社). (2010年10月29日)</ref>を[[2011年]](平成23年)1月31日まで<ref name="fukushima-minyu-2010-9-8">“「うすい」に東急ハンズが東北初出店”. [[福島民友新聞]] (福島民友新聞社). (2010年9月8日)</ref>招致して集客力と売上の維持を図った。
 
 
 
== 沿革 ==
 
* [[1662年]](寛文2年)[[8月24日]] - 物産問屋として創業。
 
* [[1930年]](昭和5年) - 合名会社うすゐとして法人化<ref name="usui-reborn-plan-2003-8-28" />。
 
* [[1938年]](昭和13年) - 百貨店法に基く百貨店営業の認可を受ける(「第1うすい」の前身)<ref name="usui-reborn-plan-2003-8-28" />。
 
* [[1959年]](昭和34年) - 郡山市中町にあった丸伊デパートを買収<ref name="usui-reborn-plan-2003-8-28" />して「第2うすい」として開業。
 
* [[1970年]](昭和45年) - 株式会社うすい百貨店として百貨店部門を分離、別法人化<ref name="usui-reborn-plan-2003-8-28" />。
 
* [[1993年]](平成5年) - 新店舗となるビルの市街地再開発事業が都市計画決定される<ref name="fukushima-minpo-1993-2-13">“うすい百貨店建て替え、都計審了承”. [[福島民報]] (福島民報). (1993年2月13日)</ref>。
 
* [[1996年]](平成8年) - 新店舗となるビルの市街地再開発組合を設立<ref name="usui-reborn-plan-2003-8-28" />。
 
* [[1997年]](平成9年)[[7月16日]] - 第1うすい、第2うすい、USUIパート2の3つに分かれていた店舗を新店舗工事のため、第1うすいの建物北側を増築し、本館(従来の「第1うすい」)と新館(売場面積:14800m<sup>2</sup>)で構成される「うすい仮店舗」に統合<ref>「[[福島民報]]平成9年7月縮刷版」409頁(「仮店舗での営業開始」「福島民報」([[福島民報社|福島民報]])1997年7月17日、朝刊9面)。</ref><ref>「[[福島民報]]平成9年7月縮刷版」216頁([[福島民報社|福島民報]] 1997年7月9日、朝刊18面)には、第1うすいの商品をうすい仮店舗で一掃する「手持ち在庫一掃!全館最終売りつくし」セールの広告が掲載されており、'''事実上は1997年7月10日開業'''。</ref>。
 
* [[1999年]](平成11年)[[10月17日]] - 現在の店舗に移転の為、うすい仮店舗を閉鎖(新店舗移転後から複合施設・ONCE郡山となり残っていたが取り壊された後、[[2004年]](平成16年)[[3月]]に中町中央パーキングとして開業した)。
 
* 1999年[[11月3日]] - 東北最大級の売り場面積を持つ都市型百貨店としてリニューアル<ref name="fukushima-minpo-1999-11-4" />。 
 
* [[2003年]](平成15年)[[8月]] - 売上げ不振により[[産業再生機構]]による支援が決定<ref name="nikkei-2005-10-14" />。
 
* [[2005年]](平成17年)[[10月]] - 産業再生機構から三越へ株譲渡が行われ<ref name="nikkei-2005-10-14" />三越の持分法適用会社となる<ref name="nikkei-2005-9-15" />。
 
* [[2005年]](平成17年)[[11月]] - 産業再生機構に対しての債権処理完了。
 
* [[2009年]](平成21年)[[9月23日]] - 8・9階[[大塚家具]]・郡山ショールーム(4,800m<sup>2</sup>)閉館(閉店後は仙台ショールームに統合)<ref name="fukushima-minpo-2009-6-27" />、8階は百貨店インテリア・雑貨売場に。
 
* [[2010年]](平成22年)9月23日 - 八重洲ブックセンターが閉店<ref name="fukushima-minpo-2010-7-27" />。
 
* [[2010年]](平成22年)[[10月29日]] - 県内最大規模としてジュンク堂書店が[[大塚家具]]跡の9階にワンフロア出店、8階には[[東急ハンズ]]の期間限定ショップであるトラックマーケットがオープン<ref name="fukushima-minyu-2010-10-29" />。
 
* [[2016年]](平成28年)[[1月20日]] - [[ゴディバ]]がオープン。県内初出店。
 
* [[2016年]] 3月 - 三越伊勢丹ホールディングスが、うすい百貨店の株式を一部売却。2016年度末より三越伊勢丹ホールディングスの持分法適用範囲から除外となる<ref name="mitsukoshi-201503">[http://pdf.irpocket.com/C3099/ee2V/wskI/YSGp.pdf 有価証券報告書-第7期(平成26年4月1日-平成27年3月31日)] 株式会社三越伊勢丹ホールディングス 81p</ref>。
 
 
 
== 融資系統 ==
 
* [[秋田銀行]]<ref name="usui-reborn-plan-2003-8-28" />(メインバンクかつ当社の株主でもあり、うすい隣に郡山支店がある。)
 
* [[大東銀行]]<ref name="usui-reborn-plan-2003-8-28" />
 
* [[福島銀行]]<ref name="usui-reborn-plan-2003-8-28" />
 
 
 
== 広告活動 ==
 
かつては、福島県内の[[民間放送|民放]][[ラジオ放送局|ラジオ局]]・[[テレビジョン放送局|テレビ局]]などにおいて、下記の「うすいの歌」によるCMやセール等の宣伝CM、取り扱う商品のイメージCMも放送され、さらには各番組の[[一社提供]]スポンサー、[[福島交通]]の路線バスの社外広告、[[福島民報]]・[[福島民友]]のテレビ欄中段の広告にも出稿するなど、積極的な広告活動が行われた。
 
 
 
2018年現在は、テレビCMや新聞広告などへの出稿は、催事時のみの散発的なもののみとなっており、スポンサー活動は行っていない。
 
 
 
=== うすいの歌 ===
 
イメージソングとして「うすいの歌」(作詞:[[山上路夫]]、作曲:[[いずみたく]])がある。[[1966年]](昭和41年)の作品で、翌[[1967年]](昭和42年)からテレビCMにて使用されるようになった。
 
 
 
このテレビCMは、後述の「うすいファミリー劇場」などで流れ、映像は[[アヒル]]や[[カンガルー]]の親子を中心に、[[パンダ]]や[[ウサギ]]・小鳥などが登場するアニメーションであった(一部CMはパンダ・ウサギは登場しない)。作画は80年代のものは金田常幸。また、このCMのアニメーションは「FTVニュース」のうすい提供分のものはオープニングとしても使用されていた。
 
 
 
過去に、アヒルやカンガルーの親子のキャラクターは、福島交通の路線バスの社外広告や再開発前の郡山駅前のバスターミナルにも看板として使用されていた。
 
 
 
1999年11月の新店舗開業に伴い、1997年7月の「うすい仮店舗」開業から都市型百貨店へのイメージ転換のため使用を取りやめたが<ref name="kfb-usui20170404">[[ふくしまスーパーJチャンネル]]「福島That's辞典「うすい百貨店・CMソングの知られざる雑学」」([[福島放送]])2017年4月4日放送より。</ref>、2009年10月に「うすいの歌」のイメージソングを用いた前述のアニメーションのCMが復活した。これはほぼかつてのCMと同様であるが、[[地上デジタルテレビ放送]]導入にあわせて16:9サイズとなっており、動物はパンダのみいなくなった。
 
 
 
歌詞の最後にある'''「[[デート|デイト]]もうすい 夢のデパート」'''は、現在は広告などで「usui」のロゴと共に[[キャッチコピー]]として挿入されている。
 
 
 
第1うすいと第2うすいが統合し、「うすい仮店舗」となった時期から新店舗オープンまでの間、「うすいの歌」とは異なるオリジナルのCMソングが使われ、[[郡山駅 (福島県)|郡山駅]]周辺の街頭放送のスピーカーからも流されていた(うすいの歌もその前後流れていた)。
 
 
 
=== 過去のイメージキャラクター ===
 
* [[いしだあゆみ]](1966年)
 
* [[朝加真由美]](1973年)
 
* [[浅野ゆう子]](1974年 - 1986年)
 
* 原みゆき(1987年 - 1990年)
 
* 向井田彩子(1991年 - 1993年)
 
* 中村裕美(1994年 - 1996年)
 
* [[坂下千里子]](1997年 - 1998年)
 
 
 
=== かつての提供番組 ===
 
●は、うすい1社提供番組
 
; 福島テレビ(FTV)
 
* お天気レポート - 午後6時55分から放送されていた天気予報。[[花春酒造]]とともに長年スポンサーを務めていた。
 
* うすい土曜劇場●
 
* あしたのあなた●
 
* 明日はどんな日●
 
* [[FTVニュース]](毎週月曜日・水曜日・金曜日・日曜日の午後8時54分)●
 
 
 
; 福島中央テレビ(FCT)
 
* うすいテレビ音楽会●
 
* うすいファミリー劇場● - 午後5時30分から放送されていたアニメ再放送枠
 
* うすいの天気予報● - 午後8時54分の[[FCTニュース]]後
 
 
 
== 補足 ==
 
* 現在のマークは、[[ローマ字]]の「'''USUI'''」のロゴ([[コーポレートアイデンティティ|CI]])である。かつては、[[住友グループ]]の標章や福岡の地場デパート「[[井筒屋]]」と同じく、赤地に「井桁」のマークだった。「井桁」マーク時代には、ローマ字の「USUI」のロゴも併用されていた。
 
* 以前、スーパーマーケット部門として「いげたストア」があり、郡山市内や[[会津若松市]][[大町 (会津若松市)|大町]](会津若松店)などに数店舗展開していたが、いずれも2000年代頃までに閉店している。
 
* かつては、[[キャッシュレジスター|レジ]][[会計]]ではなく、天井から吊るされた[[ざる]]の中に[[小銭]]と[[紙幣]]を用意しておき、会計をする「ざる会計」が行われていた。
 
 
 
== 脚注・出典 ==
 
{{reflist}}{{脚注ヘルプ}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[なかまち夢通り]]
 
 
 
== 外部リンク ==
 
* [http://www.usui-dept.co.jp/ うすい百貨店ホームページ]
 
 
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[[Category:日本の百貨店]]
 
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2019/4/26/ (金) 16:01時点における最新版

株式会社うすい百貨店(うすいひゃっかてん)

福島県郡山市にある百貨店。1959年開業。



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