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{{Otheruses|札幌市中央区にある繁華街・歓楽街|[[横浜市]][[青葉区 (横浜市)|青葉区]]にある地名|すすき野}}
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[[File:Spectaculars of Susukino-Sapporo.jpg|thumb|すすきのビル(すすきの交差点)(2009年8月)]]
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'''すすきの'''(ススキノ、薄野、''{{Lang-en-short|Susukino}}''
[[File:Susukino 201406.jpg|thumb|すすきの交差点(2014年6月)]]
 
[[File:Susukino View 201406.jpg|thumb|国道36号(月寒通)(2014年6月)]]
 
'''すすきの'''(ススキノ、薄野、''{{Lang-en-short|Susukino}}'')は、[[札幌市]][[中央区 (札幌市)|中央区]]にある[[繁華街]]・[[歓楽街]]。日本国内外から[[観光客]]が訪れる[[観光地]]にもなっている<ref name="まちづくり">{{Cite web |url=http://www.city.sapporo.jp/kikaku/downtown/areamanagement/susukino.html |title=すすきの地区のまちづくり |publisher=[[札幌市]] |accessdate=2017-09-22}}</ref>。
 
  
== 概要 ==
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北海道中西部,札幌市中央区の中心部にある歓楽街。明治4 (1871) 年開拓使により南4,5条,西3,4丁目の2町四方に遊郭が開設されたのが起源。 1920年遊郭が白石へ移転したのち,映画館,続いて昭和初期に飲食店が集って歓楽街に発展。地名については,開拓使官吏薄井龍之にちなむとする説と,「すすきの原」にちなむとする説とがある。
すすきのは「東京以北で最大の歓楽街」及び「[[アジア]]最北の歓楽街」と言われており<ref name="まちづくり"/>、ひとつのビルの中に[[飲食店]]や[[風俗店]]が入居しているほか、[[ホテル]]などの[[宿泊施設]]、娯楽施設や商業施設が隣接しているなど、あらゆる業種が集積しているのが特徴になっている<ref name="すすきのについて">{{Cite web |url=http://www.susukino-ta.jp/history/ |title=すすきのについて |publisher=すすきの観光協会 |accessdate=2017-09-22}}</ref>。また、女性だけで飲み明かしても安全な歓楽街であるとされ、[[治安]]の良さも特徴になっている<ref name="すすきのについて"/>。すすきのは正式な地名ではないが、地下鉄「[[すすきの駅]]」「[[豊水すすきの駅]]」や市電「[[すすきの停留場]]」の駅名などに使用しており、おおよその範囲は東西は西1丁目から西6丁目の間、南北は南4条から南9条の間となっている<ref>{{Cite web |url=http://www.susukino-ta.jp/pdf_data/susukino_map.pdf |title=すすきのエリアMAP |format=PDF |publisher=すすきの観光協会 |accessdate=2017-09-22}}</ref>。「札幌市屋外広告物条例」による「広告物活用地区」に指定されている区域があり、まちの活気や雰囲気を形成するため広告物の[[規制緩和]]ができるようになっている<ref>{{Cite web |url=http://www.city.sapporo.jp/kensetsu/dokan/kokoku/shiteiseido.html |title=地区指定制度 |publisher=札幌市 |accessdate=2017-09-22}}</ref>。
 
  
== 名称の由来 ==
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{{テンプレート:20180815sk}}
「薄野」(すすきの)の名称については、[[開拓使]]によって[[遊郭]]を設置する際に工事監事であった[[薄井龍之]]の姓に因み、当時の開拓判官であった[[岩村通俊]]が名づけたというのが通説になっている{{Sfn|札幌地名考|pp=34-35}}。一説には当時の薄野一体が茅野([[ススキ]]の別称)であったことから名づけたとも言われている{{Sfn|札幌地名考|pp=34-35}}。また、測量者の藤井小主典に因んで薄野の一角を「藤井町」と名づけたほか「仲の町」や「柳川町」といった町名を設けたが、[[1881年]]([[明治]]14年)に条丁目に統一された{{Sfn|札幌地名考|pp=34-35}}。
 
 
 
== 歴史 ==
 
[[1871年]]([[明治]]4年)、一時中断していた[[開拓使]]による札幌本府建設が再開すると、多くの[[請負|請負人]]、[[大工]]、[[職人]]が札幌に送り込まれた{{Sfn|歴史の散歩道}}。このため、函館から[[商人]]12戸を移住させたが、そのうち8戸が貸座敷、ほかも旅人宿や飲食店などの接客業であり、1つの[[花街]]を形成するかのようであった{{Sfn|札幌地名考|pp=34-35}}{{Sfn|歴史の散歩道}}。これらの業者を町の中で自由に営業させることは風紀上好ましくないことであるほか、取り締まることも難しいため、現在の南4・5条と西3・4丁目の二町四方に[[公娼]]の[[遊郭]](官許遊郭)を設置することになった{{Refnest|group="注"|候補地は現在の「薄野」(すすきの)のほか、当時の「浦河通」(現在の南3条東2丁目付近)を推す者もいた{{Sfn|札幌地名考|pp=34-35}}。}}。開拓使による遊郭設置の理由としては、開拓者を札幌に繋ぎ止める必要があったことなどが考えられている。
 
 
 
[[1872年]](明治5年)の「[[マリア・ルス号事件]]」に端を発した奴隷に準ずる人々に対する人権問題解消の機運は、同年の「[[芸娼妓解放令]]」発令へと繋がっていった<ref name="白石歴しるべ">{{Cite web |url=https://www.city.sapporo.jp/shiroishi/shokai/history/rekishirube/documents/reki54_55.pdf |title=札幌(白石)遊郭・北海道庁立白石治療院・札幌市助産所 |format=PDF |work=白石歴しるべ |publisher=札幌市白石区 |accessdate=2017-09-23}}</ref>。開拓使は北海道の特殊事業により実施の延期を求めたが却下された<ref name="白石歴しるべ"/>。しかしながら、実際に取り締まることが難しかった上に解放された遊女たちは自殺するものや[[妾]]になるものが増えたため<ref name="白石歴しるべ"/>、明治政府は翌年に売女屋設置を再度認めている<ref name="白石歴しるべ"/>。[[1877年]](明治10年)に開拓使は「貸座敷並芸娼妓三業規則」を定め{{Refnest|group="注"|三業とは貸座敷業、芸妓業、娼妓業である<ref name="白石歴しるべ"/>。}}、薄野に正式な遊郭となる「札幌遊郭」を発足させた<ref name="白石歴しるべ"/>。当初は郊外に位置していた遊郭も明治後期になるとまちの中心部になっており、移転を求める声が大きくなっていた<ref name="白石歴しるべ"/>。[[1901年]](明治34年)には札幌区会により鴨々川上流への遊郭移転が決議されたが{{Refnest|group="注"|薄野遊廓周辺に教育機関(小学校や女子職業学校)があったことが理由であった。}}、業者などの協力を得ることができなかったためほとんど実行されなかった。その後、[[中島公園]]を第1会場とする『[[開道五十年記念北海道博覧会]]』開催が決まると遊廓移転の話が再び持ち上がり、幾つかの候補地が名乗りを上げた。その中でも当時の[[白石村 (北海道)|白石村]]はリンゴ園が病害虫の発生で壊滅状態になっていた<ref name="白石歴しるべ"/>。そこで、リンゴ園主は遊郭誘致に活路を見出して当時の札幌区に土地を寄付し、[[1917年]]([[大正]]6年)に白石への遊郭移転が決まった<ref name="白石歴しるべ"/>。[[1918年]](大正7年)から[[1920年]](大正9年)にかけてにススキノ周辺の人口増加などにより、[[豊平川]]を越えた[[菊水 (札幌市)|菊水]]に遊郭(札幌遊郭)を移設し、「白石遊郭」と呼ばれた<ref name="白石歴しるべ"/>。なお、薄野の遊郭跡には[[カフェ]]や[[バー (酒場)|バー]]などの[[飲食店]]が建ち並び、ススキノの[[ネオン]]の基礎をつくった<ref name="歴史">{{Cite web |url=http://www.susukino-ta.jp/history/index2.html |title=すすきのの歴史 |publisher=すすきの観光協会 |accessdate=2017-09-22}}</ref>。
 
 
 
終戦直後のススキノには[[キャバレー]]や[[バー (酒場)|バー]](現在の[[クラブ (接待飲食店)|クラブ]]に当たるものも含まれる)、[[ダンスホール]]などが誕生し、進駐軍も街中を出歩いた<ref name="まちづくり"/><ref name=HO110">『HO』2017年11月号増刊、110ページ。</ref>。これらのキャバレーやバーは、[[1950年]](昭和25年)に勃発した[[朝鮮戦争]]の特需などもあってさらに増加し、それまでのカフェや[[料亭]]・[[割烹]]などを押しのけて社交業の花形となっていく<ref name=HO110"/>。また同じ頃、ススキノの西部にあたる現在の南4条西5丁目(現在の東急イン付近)を中心に、[[樺太]]や[[満州]]などからの引揚者や復員兵などによる、主に[[つぶ貝|ツブ]]焼きを売り物にした屋台が増え始める<ref name=HO114">『HO』2017年11月号増刊、114ページ。</ref>。この区域には当時「立ちんぼ」と呼ばれる街娼がたむろしていたこともあり、程なく屋台は売春仲立ちの斡旋場([[青線]])となっていった<ref name=HO114"/>。以後、ススキノの「屋台団地」、「ツブ焼き屋台」は、隠れた風俗スポットとして全国的にも知られる存在となる<ref name=HO114"/>。
 
 
 
[[1951年]]([[昭和]]26年)には札幌市が風俗取締条例を制定し、進駐軍の撤退も始まった。ススキノの膨張化が進むと、[[小樽]]・[[釧路]]など道内各地の料飲業者の進出も目立つようになる<ref name=realtime5458">『リアルタイム 北海道の50年 - すすきの風俗編 前篇』、54-58ページ。</ref>。彼らは潤沢な資金力を背景にキャバレーやバーなどを次々と出店し、地場の業者と熾烈な競争を繰り広げた<ref name=realtime5458"/>。中でも[[岩見沢]]から乗り込んだ杉野重雄が[[1954年]](昭和29年)に開店した大型キャバレー「アカネ」([[1989年]]([[平成]]元年)閉店<ref name=realtime6062">『リアルタイム 北海道の50年 - すすきの風俗編 後篇』、60-62ページ。</ref>)は、専属の楽団やダンサーを駆使した華やかなアトラクションで人気を集め、瞬く間にススキノを代表する店となった<ref name=realtime5458"/><ref name=HO111">『HO』2017年11月号増刊、111ページ。</ref>。また、[[1959年]](昭和34年)に久末鐵男が[[第三セクター]]のすすきの場外市場の地下部分を改装して始めた「ススキノゼロ番地」は、道内初の地下飲食店街として知られる<ref name=realtime1418">『リアルタイム 北海道の50年 - すすきの風俗編 前篇』、14-18ページ。</ref>。久末は5年後の[[1964年]](昭和39年)に、ススキノ初の料飲業専用ビル「グリーンビル」を建設し、その後のビルラッシュの嚆矢となった<ref name=realtime1418"/>。
 
 
 
[[1958年]](昭和33年)に「[[売春防止法]]」が完全施行になり、白石遊郭は廃止される<ref name="白石歴しるべ"/>。この流れを受けて、[[1964年]](昭和39年)に行政による「屋台団地」の強制撤去をが行われたが、その後南5条西6丁目と南5条西7丁目の2箇所に移転して通称「桃線」と呼ばれた<ref name=HO114"/><ref name=realtime113115">『リアルタイム 北海道の50年 - すすきの風俗編 前篇』、113-115ページ。</ref>。この新たな屋台団地は、1972年(昭和47年)の[[札幌オリンピック]]の際も外国人選手の利用が多かったと言われ、根強い人気を保ったが、ビル化の波などもあって徐々に減少し、1981年(昭和56年)に立ち退きを拒否し続けていた最後の2軒が取り壊しとなって長い歴史の幕を閉じた<ref name=realtime113115"/><ref>{{Cite web |url=http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090283953 |title=ススキノ 屋台団地、きょう幕 夜の灯14年 強制2軒取り壊し |date=1981-09-15 |work=フォト北海道(道新写真データベース) |publisher=北海道新聞社 |accessdate=2017-09-23}}</ref>。
 
 
 
1970年代に入ると、「[[東京テアトル|札幌クラブハイツ]]」(東京テアトル、1971年 - 2013年)<ref name=realtime106108">『リアルタイム 北海道の50年 - すすきの風俗編 前篇』、106-108ページ。</ref><ref name=HO112">『HO』2017年11月号増刊、112ページ。</ref><ref>{{Cite web |url=https://sapporo.keizai.biz/headline/1572/ |title=国内唯一の大型キャバレー「札幌クラブハイツ」、43年の歴史に幕 |date=2013-01-10 |work=札幌経済新聞 |accessdate=2017-09-24 |quote=[[みんなの経済新聞ネットワーク]]}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0050425819 |title=<探る見る さっぽろプラス>キャバレー「札幌クラブハイツ」28日閉店*記者が体験*昭和の残り香 消える社交場 |date=2013-02-22 |work=フォト北海道(道新写真データベース) |publisher=北海道新聞社 |accessdate=2017-09-24}}</ref>、「エンペラー」(釧路・青木商事、1973年 - 2006年)<ref name=HO112"/><ref name=realtime5964">『リアルタイム 北海道の50年 - すすきの風俗編 前篇』、59-64ページ。</ref><ref name=realtime189193">『リアルタイム 北海道の50年 - すすきの風俗編 後篇』、189-193ページ。</ref><ref>{{Cite web |url=http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0010118492 |title=青木商事*ススキノのビル売却へ*老舗キャバレー来月閉店 |date=2006-08-11 |work=フォト北海道(道新写真データベース) |publisher=北海道新聞社 |accessdate=2017-09-24}}</ref>、「[[ミカド (キャバレー)|ミカド]]」(東京、1975年 - 1986年)<ref name=HO112"/><ref>{{Cite web |url=http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090283868 |title=灯消えた名門キャバレー「ミカド」 |date=1986-06-07 |work=フォト北海道(道新写真データベース) |publisher=北海道新聞社 |accessdate=2017-09-24}}</ref>と、道内外の大手キャバレーチェーンが相次いですすきのに進出し<ref name=HO112"/>、「アカネ」などの既存の業者との競争はますます激化した<ref name=HO112"/>。中でも「エンペラー」は、東京以北最大のキャバレーと呼ばれ、最盛期のホステスの数は約300人を数えた<ref name=realtime189193"/>。さらに大物歌手のビッグショーも売り物の一つで、[[美空ひばり]]を除く30代以上の[[紅白歌合戦]]の出場歌手のほとんどが、定期的に出演していたと言われる<ref name=realtime189193"/>。また1970年代前半には道内に[[ストリップ劇場]]が急増し、ススキノにも数多くの劇場が建てられた<ref name=realtime100105">『リアルタイム 北海道の50年 - すすきの風俗編 前篇』、100-105ページ。</ref>。代表的な劇場には、「マノン」、「カジノ座」、「札幌コマ」などが挙げられ、特に札幌コマは[[愛染恭子]]などの東京から豪華ゲストを迎えて話題を集めた<ref name=realtime100105"/>。[[1974年]](昭和49年)にはススキノ初の[[百貨店]]「札幌松坂屋」(後の[[ヨークマツザカヤ]]、ロビンソン百貨店札幌、現在の[[ススキノラフィラ]])が開店している。
 
 
 
1970年代半ばに入ると、「[[トルコ風呂 (性風俗)|トルコ風呂]]」(現在の[[ソープランド]])が急増した<ref name=realtime190195">『リアルタイム 北海道の50年 - すすきの風俗編 前篇』、190-195ページ。</ref>。これらのトルコ風呂は東京資本のチェーン店が多かったが、地元の業者も工夫をこらしたアイデアで対抗した<ref name=realtime190195"/>。また同時期、[[ゲイバー]]、[[ホモバー]]、レズバーなども脚光を集め、ゲイバーでは「ゴールデンK」などの店が人気を集めた<ref name=realtime163165">『リアルタイム 北海道の50年 - すすきの風俗編 前篇』、163-165ページ。</ref>。ちなみに、すすきのにおけるゲイバーの草分けは、1950年代に開業した「ベラミ」で、[[カルーセル麻紀]]などを輩出した<ref name=realtime163165"/>。
 
 
 
1970年代後半からは[[ディスコ]]がブームになり、「エクスィング」、「釈迦曼荼羅」、「[[マハラジャ (ディスコ)|マハラジャ]]」などが誕生した<ref name=realtime4851">『リアルタイム 北海道の50年 - すすきの風俗編 後篇』、48-51ページ。</ref>。
 
 
 
1980年代に入ると、[[ゴルフ]]の大衆化などによる接待の多様化が進み<ref name=realtime6062"/>、さらに1990年代前半の[[バブル経済]]崩壊や、その後の[[平成不況]]なども追い討ちをかけ<ref name=realtime180182">『リアルタイム 北海道の50年 - すすきの風俗編 後篇』、180-182ページ。</ref>、「ミカド」、「アカネ」、「エンペラー」などの大型キャバレーや高級クラブ<ref name=realtime180182"/>、老舗料亭などの多くの店が閉店に追い込まれた<ref name=realtime152154">『リアルタイム 北海道の50年 - すすきの風俗編 後篇』、152-154ページ。</ref>。その半面、廉価で気軽にサービスを受けられる[[キャバクラ]]などが急増した<ref name=realtime180182"/>。
 
 
 
ディスコブーム末期の[[1990年]]([[平成]]2年)には「パシャ」<ref name=realtime112115">『リアルタイム 北海道の50年 - すすきの風俗編 後篇』、112-115ページ。</ref>、[[1991年]]([[平成]]3年)にはユニークな外観で話題を集めた「キング・ムー」が開店したが<ref>{{Cite web |url=http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090283734 |title=<こだま> ススキノに「ムー文明」が出現? |date=1991-03-03 |work=フォト北海道(道新写真データベース) |publisher=北海道新聞社 |accessdate=2017-09-23}}</ref>、「パシャ」は[[1997年]](平成9年)に閉店<ref name=realtime112115"/>。「キング・ムー」は[[バブル時代]]を経て[[クラブ (接待飲食店)|クラブ]]に変更した後、[[2008年]](平成20年)頃に閉店したが<ref>{{Cite web |url=http://hre-net.com/syakai/syakaibunka/16141/ |title=「キングムー」が来春ディスコに? 「三新」が再デビュー準備か |date=2015-08-25 |work=リアルエコノミー |accessdate=2017-09-26}}</ref>、[[2016年]](平成28年)にダンスクラブ「KING∞XMHU」として復活した<ref>{{Cite web |url=http://hre-net.com/syakai/syakaibunka/18727/ |title=キングムー30日復活 テーマパーク型ダンスクラブで装い一新 |date=2016-05-01 |work=リアルエコノミー |accessdate=2017-09-26}}</ref>。
 
 
 
ストリップ劇場は1986年の「札幌コマ」閉鎖後は、1995年に「[[浅草ロック座]]」(東京)、1999年に「[[道頓堀劇場]]」(東京)が進出<ref name=realtime193197">『リアルタイム 北海道の50年 - すすきの風俗編 後篇』、193-197ページ。</ref>。「カジノ座」と覇を競う形となったが、「浅草ロック座」は2000年、「カジノ座」は2001年に閉鎖<ref name=realtime193197"/>。残る「道頓堀劇場」も2007年に不祥事で営業中止に追い込まれ、2009年に一時復活したが、2012年以後は休業中である<ref name=realtime193197"/>。
 
 
 
[[2005年]](平成17年)、すすきの地区は[[内閣官房]]による都市再生プロジェクト「防犯対策等とまちづくりの連携協働による都市の安全・安心の再構築」モデル地区に指定され、札幌市は「クリーン薄野活性化連絡協議会」を設立して安全で安心なススキノづくりに向けた取組みを進めたほか<ref name="ススキノ対策">{{Cite web |url=http://www.city.sapporo.jp/shimin/chiiki-bohan/kanrakugai/ |title=ススキノ対策 |publisher=札幌市 |accessdate=2017-09-23}}</ref>、「カラス族」{{Refnest|group="注"|「カラス族」とは、道行く女性に声を掛けて性風俗店での勤務やアダルトビデオなどへの出演を勧誘する者たちのことを指し、黒い服を着て何人かで固まっていることが多いため、そう呼ばれるようになった<ref name="ススキノ対策"/>。}}、[[風俗店]]などへの勧誘行為、卑猥な広告物や看板などの迷惑行為を罰則付きで規制する「札幌市公衆に著しく迷惑をかける風俗営業等に係る勧誘行為等の防止に関する条例」(通称・ススキノ条例)を施行した<ref name="ススキノ対策"/>。
 
 
 
=== 年表 ===
 
* [[1871年]]([[明治]]{{0}}4年):[[開拓使]]による[[遊廓]](官許遊郭)設置。
 
* [[1887年]](明治10年):開拓使による「貸座敷並芸娼妓三業規則」制定。
 
* [[1918年]]([[大正]]{{0}}7年):札幌電気軌道(現在の[[札幌市電]])薄野交番前停留場(現在の[[すすきの駅|すすきの停留場]])開業。
 
* [[1920年]](大正{{0}}9年):[[白石村 (北海道)|白石村]][[菊水 (札幌市)|菊水]]に遊郭移転(白石遊郭)。
 
* [[1965年]]([[昭和]]40年):「薄野祭」(現在の『すすきの祭り』)初開催<ref>{{Cite web |url=http://www.susukino-ta.jp/history/index3.html |title=すすきの祭りの歴史 |publisher=すすきの観光協会 |accessdate=2017-09-22}}</ref>。
 
* [[1971年]](昭和46年):[[札幌市営地下鉄南北線]][[すすきの駅]]開業。
 
* [[1978年]](昭和53年):「すすきの観光協会」設立<ref name="歩み">{{Cite web |url=http://www.susukino-ta.jp/ayumi/ |title=設立経緯・歩み |publisher=すすきの観光協会 |accessdate=2017-09-22}}</ref>。
 
* [[1980年]](昭和55年):『すすきのマラソン大会』初開催(1987年終了)<ref name="歩み"/>。
 
* [[1981年]](昭和56年):『すすきの雪まつり』(後の『すすきの氷の祭典』、現在の『[[すすきのアイスワールド]]』)『すすきのイルミネーション』初開催<ref name="歩み"/>。
 
* [[1988年]](昭和63年):[[札幌市営地下鉄東豊線]][[豊水すすきの駅]]開業。
 
* [[1999年]]([[平成]]11年):『薄野縁市』初開催<ref name="歩み"/>。
 
* [[2005年]](平成17年):[[内閣官房]]による都市再生プロジェクト「防犯対策等とまちづくりの連携協働による都市の安全・安心の再構築」モデル地区指定。「札幌市公衆に著しく迷惑をかける風俗営業等に係る勧誘行為等の防止に関する条例」(通称・ススキノ条例)施行。
 
 
 
== すすきの交差点 ==
 
{{Ja_Route_Sign|36|align=left}}
 
'''すすきの交差点'''は、[[札幌市]][[中央区 (札幌市)|中央区]]にある[[札幌駅前通]]と月寒通(南4条通)の[[交差点]]。別称「ススキノ十字街」。交差点の面積が広く人や車の[[交通量]]が多いことから[[交通事故]]の発生率が高く、[[日本損害保険協会]]による北海道内の「交通事故多発交差点」に度々指定されている<ref>{{Cite web |url=http://www.sonpo.or.jp/efforts/reduction/kousaten/kousatenmap26/01/0101.html |title=すすきの交差点 |work=北海道 平成26年の交通事故多発交差点 一覧 |publisher=[[日本損害保険協会]] |accessdate=2017-09-25}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0050647572 |title=「交通事故多発マップ」HPで公開*道内1位はススキノ交差点*日本損保協会*ワースト5、すべて札幌市 |date=2013-09-24 |work=フォト北海道(道新写真データベース) |publisher=北海道新聞社 |accessdate=2017-09-23}}</ref>。交差点中央にある時計付の[[街路灯]]は、[[2005年]]([[平成]]17年)に地下鉄改修工事のため一次撤去したが<ref>{{Cite web |url=http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0020050150 |title=サヨナラ?時計塔*ススキノ交差点の“顔”*交通局*地下鉄工事で一時撤去*財政難、再設置困難か |date=2005-12-15 |work=フォト北海道(道新写真データベース) |publisher=北海道新聞社 |accessdate=2017-09-25}}</ref>、[[2008年]](平成20年)に新たなものを設置して復活した<ref>{{Cite web |url=http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0010344259 |title=時計付き街路灯復活*ススキノに3年ぶり |date=2008-10-28 |work=フォト北海道(道新写真データベース) |publisher=北海道新聞社 |accessdate=2017-09-25}}</ref>。[[2016年]](平成28年)には交差点名標識を「南4西3」または「南4西4」から、[[観光地]]として分かりやすい案内にするため「すすきの」(''Susukino'')に統一した<ref>{{Cite press release |url=http://www.hkd.mlit.go.jp/sp/release/kluhh4000000c2qh-att/gburoi0000002ti2.pdf |title=観光地名称を表示した交差点名標識を設置します! 〜国道36号×札幌駅前通の交差点名標識を改善します〜 |date=2016-07-26 |publisher=[[北海道開発局]] 札幌開発建設部 |accessdate=2017-09-25}}</ref>。
 
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File:Chuo Sapporo S4W4S4W3 01s4s3200.jpg|すすきの交差点(2009年10月)
 
File:Chuo Sapporo S4W4S4W3 02n3200.jpg|すすきの交差点(2009年10月)
 
File:Chuo Sapporo S4W4S4W3 04n3200.jpg|すすきの交差点(2009年10月)
 
</gallery>
 
 
 
== すすきのが舞台(ロケ地)となった作品 ==
 
* 『万年太郎と姉御社員』(1961年)
 
* 『[[ガメラ2 レギオン襲来]]』(1996年)<ref>{{Cite web |url=http://photodb.hokkaido-np.co.jp/detail/0090025283 |title=<故郷 20世紀の映画>8*ガメラ2 レギオン襲来(札幌)*迫力満点の破壊力 協力者の心境複雑 |date=2000-08-10 |work=フォト北海道(道新写真データベース) |publisher=北海道新聞社 |accessdate=2017-09-23}}</ref>
 
* 『[[探偵はBARにいる]]』(2011年)
 
* 『[[龍が如く5 夢、叶えし者]]』(2012年)
 
* 『[[探偵はBARにいる#探偵はBARにいる2 ススキノ大交差点|探偵はBARにいる2 ススキノ大交差点]]』(2013年)
 
* 『帰っておいで』(2015年)<ref>{{Cite web |url=https://pucchi.net/hokkaido/funlog/201508y-kita.php |title=舞台はススキノ! 道民の力を結集した道産映画『帰っておいで』公開 |date=2015-08-07 |work=[[北海道ファンマガジン]] |accessdate=2017-09-24}}</ref>
 
* 『[[探偵はBARにいる#探偵はBARにいる3|探偵はBARにいる3]]』(2017年)<ref>{{Cite web |url = http://www.city.sapporo.jp/keizai/tokku/tanteihabaniiru3.html |title = 映画「探偵はBARにいる3」 |publisher = 札幌市 |accessdate = 2018-02-09 }}</ref>
 
 
 
== アクセス ==
 
* [[札幌市営地下鉄南北線]][[すすきの駅]]下車
 
* [[札幌市営地下鉄東豊線]][[豊水すすきの駅]]下車
 
* [[札幌市電]]「[[すすきの駅|すすきの停留場]]」下車
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
'''注釈'''
 
{{Reflist|group="注"}}
 
'''出典'''
 
{{Reflist|2}}
 
 
 
== 参考資料 ==
 
* {{Cite book|和書|publisher=[[札幌市]] |title=さっぽろ文庫 |url=http://www.city.sapporo.jp/kobunshokan/kankobutsu/bunko/ |accessdate=2017-09-22 |volume=1 札幌地名考 |ref={{SfnRef|札幌地名考}}}}
 
* {{Cite web |url=http://www.city.sapporo.jp/chuo/gaiyo/history/documents/4-02.pdf |title=ススキノ |format=PDF |work=歴史の散歩道 |publisher=札幌市中央区 |accessdate=2017-09-22 |ref={{SfnRef|ススキノ}}}}
 
* 『リアルタイム 北海道の50年 - すすきの風俗編 前篇』 財界さっぽろ、2013年2月
 
* 『リアルタイム 北海道の50年 - すすきの風俗編 後篇』 財界さっぽろ、2013年2月
 
* 『HO』2017年11月号増刊 ぶらんとマガジン社、2017年11月
 
 
 
== 関連項目 ==
 
{{Commonscat|Susukino}}
 
* [[さっぽろ・ふるさと文化百選]]
 
* [[風俗街]]
 
* [[ゲイ・タウン]]
 
* [[タケちゃんマン|THE TAKECHANマン(タケちゃんマンの歌)]]
 
 
 
== 外部リンク ==
 
* [http://www.susukino-ta.jp すすきの観光協会]
 
* {{Facebook|susukinokankoukyoukai|一般社団法人すすきの観光協会}}
 
 
 
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[[Category:歓楽街]]
 
[[Category:歓楽街]]

2019/6/11/ (火) 09:54時点における最新版

薄野.北海道札幌市.jpg

すすきの(ススキノ、薄野、: Susukino

北海道中西部,札幌市中央区の中心部にある歓楽街。明治4 (1871) 年開拓使により南4,5条,西3,4丁目の2町四方に遊郭が開設されたのが起源。 1920年遊郭が白石へ移転したのち,映画館,続いて昭和初期に飲食店が集って歓楽街に発展。地名については,開拓使官吏薄井龍之にちなむとする説と,「すすきの原」にちなむとする説とがある。



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