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'''アイ'''(あゐ、'''藍'''、[[学名]]:{{Snamei||Persicaria tinctoria}})は、[[タデ科]][[イヌタデ属]]の[[一年生植物]]<ref name="Ylist"/>。別名は、タデアイ('''蓼藍''')、アイタデ('''藍蓼''')。<!--{{要出典範囲|また、[[インディカン]]を含む(山藍は例外)様々な植物の総称である|date=2011年11月}}。 -->[[紀元前]]より世界各地で青色の[[染料]]として重用されていたが、[[化学合成]]した[[インディゴ]]染料が発明されて以降は合成インディゴが工業的にはよく用いられているため、染料用途で用いられることはあまりなくなった<ref name=chem>{{Cite book|和書|author=矢部章彦|editor=化学大辞典編集委員会(編)|title=化学大辞典|volume=1|pages=1-2頁|edition=縮刷版第26版|publisher=共立|year=1981|month=10}}</ref>。
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'''アイ'''(あゐ、'''藍'''、[[学名]]:{{Snamei||Persicaria tinctoria}}
  
== 特徴 ==
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タデ科の一年草。高さ 50~70cmになり,茎は紅紫色を帯びる。中国原産で古く日本に入った。葉,茎から染料をとり,東洋では古来,ムラサキ,ベニバナ,アカネなどとともに染料として重用された。ヨーロッパでは 16世紀に東洋から輸入して使用されるようになり,のちにはヨーロッパ諸国のアジア植民地で栽培された。日本では奈良・平安時代から栽培され,正倉院宝物中の藍染織物や『[[延喜式]]』の藍染法などの規定はその重用のさまを示している。江戸時代中期までは各地方で自給されたが,その後,阿波藩で奨励と販売統制を行い,大坂市場を独占するにいたり,阿波藍が全国的に商品として流通した。主産地は阿波と摂津。元文1 (1736) 年大坂集荷の藍玉は 48万貫 (1800t) 。 1897年頃までその生産は増加するが,明治末年,ドイツから輸入の人工藍 (アニリン染料) の圧迫によって衰えた。しかし,品質の良いところから現在でも高級品としての需要があり,生産は続けられている。
外形は[[イヌタデ]]によく似ているが、アイは葉を傷つけると傷口が[[藍色]]になる。[[茎]]は高さ60-90cmになり<ref name=chem/>、よく枝分かれする。[[葉]]は幅の広い披針形(竹の葉のような先端が尖り基部のやや広い形)をしている。[[一年生植物]]であり、原産地は東南アジア<ref>{{Cite book|author=|title=世界有用植物事典|url=https://www.worldcat.org/oclc/166931186|date=2002|year=|accessdate=|publisher=Heibonsha|isbn=4582910599|location=Tōkyō|author2=|author3=|author4=|author5=|author6=|author7=|author8=|author9=|others=Hotta, Mitsuru., 堀田満.|oclc=166931186}}</ref>。葉は[[藍色]]色素の原料となる他、乾燥させて、解熱、殺菌の[[漢方薬]]としても用いられる。
 
 
 
== 利用 ==
 
=== 染料 ===
 
{{see also|藍染め|藍摺|藍玉 (染料)|紺屋|インディゴ}}[[藍染め]]に利用される。
 
 
 
藍染めは[[奈良時代]]から続く歴史があり、藍による染色を愛好する人もいる。海外では“''Japan Blue''”と呼ばれることもある(広重や北斎などの浮世絵の藍色をさして同様に“''Japan Blue''”あるいは“[[歌川広重#ヒロシゲブルー|Hiroshige Blue]]”と言うこともあるが、これは正確には藍ではなくベロ藍([[紺青]])である){{要出典|date=2018年7月}}。染色には[[生葉染め]]、乾燥葉染め、[[すくも]]染めがある。生葉染めには、最も古い方法である布に生葉をそのまま叩きつけて染める叩き染めか、すり潰した汁で染める方法があるが、濃く染まらない、葉が新鮮なうちでなければ染色できない(水溶性の[[インディカン]]が不溶性のインディゴに変化<ref name=kibi>{{Cite web |author=大下浩司、豊田健太朗 |date=2013-03 |url=https://kiui.jp/pc/bunkazai/kiyo10/02_os_ty_pp29_34.pdf|title=藍染の染色挙動に関する理論的考察 |format=PDF||work=文化財情報学研究 : 吉備国際大学文化財総合研究センター紀要 |publisher=[[吉備国際大学]]文化財総合研究センター|accessdate=2017-11-26}}</ref>して利用できなくなるため)といった欠点がある。
 
 
 
乾燥葉染めは、アイ葉を乾燥させたものを用いる方法。そのままでは[[色素]]が[[繊維]]に沈着しないので、[[還元]]反応を行って色素の沈着ができるようにしなければならない。生葉に比べて無駄なく染色でき、時期もあまり選ばない。
 
 
 
すくも染めは、乾燥したアイ葉を室のなかで数ヶ月かけて醗酵させてすくもを造り、更にそれを搗き固めて[[藍玉 (染料)|藍玉]]を作り、これを利用する方法である。生産に高度な技術と手間を必要とするため、現在では徳島以外で日本産のすくもを見ることはほぼない。染色には、藍玉(すくも)を水甕で[[醗酵]]させてから行う(醗酵すると水面にできる藍色の泡を「藍の華」と呼び、これが染色可能な合図になる)ので、夏の暑い時期が最適である。すくもの利点は、いつでも醗酵させて染色できること、染料の保存が楽なこと、[[木綿]]にも濃く染められることなどが挙げられる。
 
 
 
藍染は、[[徳島平野]]で行われるものが有名である。
 
 
 
日本に存在するアイの品種は、小上粉(こじょうこ)(赤花、白花があり、最も栽培されている)、小千本(こせんぼん)(青茎、赤茎があり、株が真っ直ぐに育つ)、百貫(ひゃっかん)(大量に収穫できる事からの名だが、品質は劣ると言われる)などがある。
 
 
 
藍染した布は、抗菌性、消臭性に優れており、虫食いを受けにくく高い保存性を有している<ref name=sasaki2015>{{Cite journal|和書|journal=東北薬科大学研究誌|volume=62|year=2015|month=12|title=蓼藍の成分と機能性について ─機能性を併せ持つ染料の科学─|author=佐々木健郎|pages=25-37|url= http://id.nii.ac.jp/1202/00000641/|publisher=東北医科薬科大学}}</ref>。また、藍染した和紙である紺紙はその色合いの美しさのみならず防虫も目的として写経などに利用されており<ref name=tanaka1991>{{Cite journal|和書|journal=家屋害虫|title=植物を用いた江戸時代の書籍害虫防除法|author=田中誠|volume=13|issue=2|year=1991|month=12|pages=86-90|publisher=日本家屋害虫学会}}</ref>、平安時代末に書かれた国宝の「紺紙金銀字交書一切経」は紺紙の保存性により朽ちることなく現存している<ref name=sasaki2015/>。ただし、紺紙の防虫性はアイの成分に由来しているのではなく、何度も水洗いし表面を貝殻で擦り平滑化するという特殊な製紙法に起因しているとも考えられている<ref name=tanaka1991/>
 
 
 
=== その他 ===
 
アイの葉は古来より薬用植物として解熱、解毒や抗炎症薬等に用いられており<ref name=sasaki2015/><ref name=yokota2015/>、江戸時代にはクモやヘビなどの毒を持つ生き物に咬まれた傷の治療に用いられていた記録が残っている<ref name=tanaka1991/>。近年の研究では抗ガン作用を持つトリプタンスリンや抗菌活性を持つ[[ケンペロール]]などの複数の生理活性物質がアイから単離されており、またアイの葉には[[フラボノール]]配糖体が豊富に含まれることから、[[コレステロール]]を低減させる効果についても研究されている<ref name=yokota2015/>。その他、アイの葉を刺身のツマに使ったり、[[酢]]と混ぜて[[アユ]]の臭み取りに使うなど、食用に用いている地域もある<ref name=yokota2015>{{Cite journal|和書|journal=特産種苗|volume=21|year=2015|month=11|title=タデアイ(藍)葉の新規フラボノイドの同定と
 
コレステロール生合成阻害作用|author=横田一成、木村英人、徳山翔太|pages=103-107|publisher=公益財団法人 日本特産農作物種苗協会}}</ref>。
 
 
 
== 歴史 ==
 
[[日本]]には[[6世紀]]頃中国から伝わり、藍色の[[染料]]を採る為に広く[[栽培]]された。特に[[江戸時代]]に[[阿波国|阿波]]で発達し、[[19世紀]]初めには藍玉の年産額15万-20万俵を誇った。しかし、[[明治時代]]に入ると藍玉が[[インド]]から輸入され作付が激減し、また[[ドイツ]]で人工藍の工業化が成功して[[1904年]]ごろから盛んに[[輸入]]されるようになり、現在ではほとんど栽培されなくなった。
 
 
 
== {{要出典範囲|アイと呼ばれる|date=2018年8月}}植物 ==
 
=== ナンバンコマツナギ ===
 
{{main article|ナンバンコマツナギ}}
 
'''[[ナンバンコマツナギ]]'''<ref name=yonekura>米倉浩司・梶田忠 (2003-) [http://ylist.info/ylist_detail_display.php?pass=4514 「BG Plants 和名−学名インデックス」(YList)]</ref>([[学名]]:{{Snamei||Indigofera suffruticosa}})は、[[マメ科]][[コマツナギ属]]の植物([http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/indoai.html 画像])である。[[タイワンコマツナギ]] {{Snamei|I. tinctoria}} などの近縁種がある。{{要出典範囲|アイ植物の中でも特にインディカンの含有率が高く、[[19世紀]]に人工のインディゴピュアが合成・量産されるまでは、高品質の顔料・染料として世界中で用いられた。原産は[[インド]]、[[東南アジア]]。日本のタデアイとは違い、すくも法ではなく沈殿法と言う方法で泥藍と呼ばれるブロック状の塊を作る(リュウキュウアイも沈殿法を行う)。沈殿法は生葉を水につけたままにして醗酵させ、[[石灰]]で色素を分離して余分な腐植を取り除き、乾燥させたものである。すくもよりも不純物が少ない染料が取れる。|date=2018年8月}}
 
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=== ハマタイセイ ===
 
'''ハマタイセイ'''<ref name=yonekura />({{lang-en-short|woad}}、[[学名]]:{{Snamei||Isatis tinctoria}})は、[[ヨーロッパ]]で栽培されている[[アブラナ科]][[タイセイ属]]の植物([http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/hosobataisei.html 画像])。
 
 
 
{{要出典範囲|アイ植物の中でも特に寒さに強いので、寒冷地での栽培が多かった。日本では近縁種の[[タイセイ (植物)|タイセイ]](大青、[[学名]]:{{Snamei|I. Indigotica}})を[[アイヌ民族]]が用いていた。また、[[中央アジア]]にも近縁種があるため、中央アジアが原産地で、そこから東西へ広がったのではと考えられている。ヨーロッパでは[[中世]]まではよく栽培されていたが、安価で高品質のインドアイ(近代にはいってからは合成アイ)が入ってくるようになると急速に栽培が衰え、現在では営利目的での栽培はほとんど見ること(かつてはウォードの花畑が、日本で言う菜の花畑のように広がっていたと言う)はできない。[[風車]]で生葉を搗いてからすくも法のように発酵させて用いた。その際に悪臭がしたらしい。|date=2018年8月}}
 
 
 
マタイセイ,ホソバタイセイ,エゾタイセイの別名がある<ref name=yonekura />。別の解説によると、ハマタイセイ別名エゾタイセイIsatis tinctoria L.var.yezoensis(Ohwi) Ohwiは、[[ホソバタイセイ]]Isatis tinctoria L.の[[変種]]であるとされる<ref>{{Cite web |author= |date=|url=https://kotobank.jp/word/ホソバタイセイ-1415949|title=タイセイ(大青)|work=[[世界大百科事典]]第2版|publisher= |accessdate=2017-12-06}}</ref>。
 
{{see also|ホソバタイセイ}}
 
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=== リュウキュウアイ ===
 
'''[[リュウキュウアイ]]'''<ref name=yonekura />(琉球藍、[[学名]]:{{Snamei||Strobilanthes cusia}})は、[[キツネノマゴ科]][[イセハナビ属]]の植物。{{要出典範囲|[[沖縄県|沖縄]]で栽培されてきたアイ([http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/ryuukyuu-ai.html 画像])。琉球では日本のスクモ(固形)とは違う泥藍という泥状の染料に加工して染色に用いていた。泥藍はインドアイと同じ沈殿法で作るが、琉球では乾燥の工程を行わなかったという。一部専門書や歴史書で山藍を琉球藍としている例があるが、これは明治初期に鹿児島県製藍局が琉球藍を山藍と命名したことを発端とする誤りである。|date=2018年8月}}また、健康食品に配合されることもあるが[[潰瘍性大腸炎]]患者では、摂取により[[肺動脈性肺高血圧]]を発症する可能性があるため[[厚労省]]から注意喚起されている<ref>{{PDFlink|[http://www.j-circ.or.jp/topics/notice_mhlw_20161227.pdf 【厚生労働省通達】 植物由来製品による健康被害(疑い)について]}} 薬生監麻発 1227 第9号</ref>。
 
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=== ソメモノカズラ ===
 
'''[[ソメモノカズラ]]'''<ref name=yonekura />(染物蔓、{{要出典範囲|藍蔓、[[学名]]:{{Snamei||Marsdenia tinctoria}})は、[[キョウチクトウ科]](APG体系)[[キジョラン属]]の植物。沖縄や[[タイ王国|タイ]]など、東南アジアを中心に生息している|date=2018年8月}}([http://plantdb.ipc.miyakyo-u.ac.jp/php/view.php?plant_id=6804 外部リンク]{{リンク切れ|date=2018年3月 |bot=InternetArchiveBot }})。{{要出典範囲|葉からインディカンを採る。|date=2018年8月}}
 
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=== ヤマアイ ===
 
[[ファイル:2016 0521 1431 dsc06748.jpg|サムネイル|ヤマアイ]]
 
{{main article|ヤマアイ}}
 
'''[[ヤマアイ]]'''<ref name=yonekura />(山藍、[[学名]]:{{Snamei||Mercurialis leiocarpa}})は[[トウダイグサ科]]の[[多年草]]で、{{要出典範囲|日本最古の[[染料]]植物である([http://had0.big.ous.ac.jp/plantsdic/angiospermae/dicotyledoneae/choripetalae/euphorbiaceae/yamaai/yamaai.htm 画像])。アイと称するものの、インディカンが含まれていないために青色に染める事はできないが、摺り染めにより緑色に染める事ができる。[[東アジア]]各地に自生している。|date=2018年8月}}研究により、[[地下茎]](乾燥させると青くなる)を乾燥させて細かくして水で抽出し、[[銅]]を[[媒染]]に用いることにより青色を定着させることに成功している<ref>[http://www.juno.dti.ne.jp/~skknari/yama-ai-senshoku.htm 萬葉のヤマアイ染め]</ref>。
 
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== ことわざ ==
 
* 「青は藍より出て藍より青し」 - 染料の藍は黒や茶の様な色があり、青みがあまり無い。しかし染め出すと非常に美しい青に染まる。と言うことから、親(師匠)よりも優れる事を言う。出藍の誉れとも。
 
  
 
== 脚注 ==
 
== 脚注 ==
 
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{{テンプレート:20180815sk}}
== 関連項目 ==
 
* [[染料]]
 
* [[徳島平野]]
 
* [[インディゴ]]
 
* [[ジーンズ]]
 
* [[デニム]]
 
 
 
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2018/10/4/ (木) 14:06時点における最新版


アイ(あゐ、学名Persicaria tinctoria

タデ科の一年草。高さ 50~70cmになり,茎は紅紫色を帯びる。中国原産で古く日本に入った。葉,茎から染料をとり,東洋では古来,ムラサキ,ベニバナ,アカネなどとともに染料として重用された。ヨーロッパでは 16世紀に東洋から輸入して使用されるようになり,のちにはヨーロッパ諸国のアジア植民地で栽培された。日本では奈良・平安時代から栽培され,正倉院宝物中の藍染織物や『延喜式』の藍染法などの規定はその重用のさまを示している。江戸時代中期までは各地方で自給されたが,その後,阿波藩で奨励と販売統制を行い,大坂市場を独占するにいたり,阿波藍が全国的に商品として流通した。主産地は阿波と摂津。元文1 (1736) 年大坂集荷の藍玉は 48万貫 (1800t) 。 1897年頃までその生産は増加するが,明治末年,ドイツから輸入の人工藍 (アニリン染料) の圧迫によって衰えた。しかし,品質の良いところから現在でも高級品としての需要があり,生産は続けられている。

脚注



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