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'''アラブ連盟'''(アラブれんめい、جامعة الدول العربية、Jāmi'a al-Duwal al-'Arabīya、League of Arab States)
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|footnote1 = 1979年から1989年まではチュニジアのチュニスにあった
 
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}}
 
  
'''アラブ連盟'''(アラブれんめい、جامعة الدول العربية、Jāmi'a al-Duwal al-'Arabīya、League of Arab States)は、[[アラブ世界]]の政治的な地域協力機構。[[第二次世界大戦]]末期の[[1945年]][[3月22日]]創設。本部は[[カイロ]]にある。加盟は22(21カ国と1機構)。
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アラブ諸国の地域協力機構。1945年3月エジプト,シリア,レバノン,イラク,ヨルダン,サウジアラビア,イエメン(イエメン=アラブ共和国)の 7ヵ国により結成され,同年 10月に発足した。加盟各国の主権の擁護,相互協力,[[中東]]の安全保障確保のため,政策の調整をはかることを目的とする。のちにリビア,スーダン,チュニジア,モロッコ,クウェート,アルジェリア,南イエメン(イエメン民主人民共和国),バーレーン,モーリタニア,オマーン,カタール,ソマリア,アラブ首長国連邦,ジブチおよびパレスチナ解放機構 PLOが加盟,1991年5月南北イエメンが国家統合,1993年コモロが加盟し,2012年現在は 21ヵ国と 1機構から構成される。主要機関は首脳会議,理事会,事務局で,理事会には政治,文化,社会,保健,経済,法律,通信,情報,石油,財政,行政,連絡担当の常任委員会が付置され,ほかにアラブ郵便連合,アラブ電気通信連合,アラブ放送連合など 21の専門機関がある。事務局はエジプトのカイロに置かれていたが,エジプトが 1979年3月にイスラエルと平和条約を締結して資格停止の処分を受け,チュニジアのチュニスに移された。1989年5月モロッコのカサブランカにおける首脳会議でエジプトの資格停止処分が撤回され,1990年3月事務局のカイロ復帰も決定された。イスラエルと関係をもつ企業などにボイコットの指令を出す委員会も設けられているが,エジプトの復帰後はボイコットはしだいにゆるめられつつある。
現在の連盟事務局長は元[[エジプト]]外相の[[アハマド・アブルゲイト]]。
 
  
== 組織 ==
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{{テンプレート:20180815sk}}
参加各国の代表からなる理事会が最高決定機関で、その下に実行機関である事務総局や常任委員会、共同防衛理事会、社会経済理事会、ほかパレスチナ問題総本部やイスラエル・ボイコット本部などの部局や専門の諸機関がある。理事会は1年に2回開催されるほか、加盟二か国または通常理事会の要請によって緊急理事会を開くことができる<ref>「アラブ連盟 ナショナリズムとイスラームの交錯」(イスラームを知る22)p9 北澤義之 山川出版社 2015年2月20日1版1刷</ref>。また、上記の組織とは別に、1963年から開催されているアラブ首脳会議は、2000年に正式にアラブ連盟の会議となった。首脳会議は年に一度加盟国の都市に集まって行われる。理事会が閣僚レベルの各国代表で構成されるのに対し、首脳会議は各国の元首が集合して議論を行うため、首脳会議の重要性は高まってきている<ref>「国際機構 第四版」p267 家正治・小畑郁・桐山孝信編 世界思想社 2009年10月30日第1刷</ref>。
 
  
本部がカイロにあり、また歴代の7人の事務局長が、エジプト追放期のチュニジア人一人を除いて全員エジプト人である<ref>『現代アラブを知るための56章』p215 松本弘編著 明石書店、2013年6月 ISBN 4750338443</ref>ように、エジプトの主導権が強く、[[サウジアラビア]]などを中心に反発もあり、サウジアラビアが[[イスラム諸国会議機構]]の設立に積極的であった理由のひとつともされる。[[1979年]]にはエジプトとイスラエルの単独和平によって盟主であったエジプトが連盟から追放され、本部は一時[[チュニジア]]の[[チュニス]]に移っていたが、[[1990年]]にエジプトが連盟に復帰すると、本部もカイロへと戻った<ref>『イスラーム世界事典』p73 片倉もとこ、後藤明、中村光男、 加賀谷寛編、明石書店、2002年3月25日</ref>。
 
 
当初は1945年当時のアラブ独立国7か国で発足した連盟であるが、アラブ諸国が次々と独立していくにつれて加盟国数も拡大し、さらに[[1973年]]に[[モーリタニア]]が加盟したのを皮切りに、それまでアラブ諸国とはみなされていなかった[[ジブチ]]や[[ソマリア]]、[[コモロ]]などの加盟が認められていった<ref>「アラブの人々の歴史」p437 アルバート・ホーラーニー著 湯川武監訳 阿久津正幸編訳 第三書館 2003年12月31日初版発行</ref>。
 
 
連盟発足後すぐに勃発したイスラエルとの対立とそれによる数度の中東戦争によって連盟は結束して行動したものの、連盟自体の強制力は小さなものであり、しばしば足並みの乱れや内部対立が起こっているため、連盟はそれほど強力な政治力を持っているとは言い難い。最近ではアラブ連盟の政治的役割はますます低下しており、実質的には中東の政治問題の解決にほとんど有効な手段を取ることができていない。地域統合でも[[湾岸協力会議]]や[[アラブ・マグレブ連合]]など、より狭い地域での統合を目指す動きの方が進展が見られる。
 
 
[[イスラエル]]とは同国建国以来緊張関係にあり、イスラエルおよびその主要取引先に対する経済制裁である「イスラエル・ボイコット」も行っており、イスラエルに{{仮リンク|アラブ和平イニシアティブ|en|Arab Peace Initiative}}の受け入れを要求してる。
 
 
== 歴史 ==
 
=== 創設 ===
 
20世紀にはいると、アラブ民族主義の高まりを受けて、アラブ諸国家間の地域協力機構の設立が叫ばれるようになった。[[第二次世界大戦]]が始まると、アラブ諸国が[[枢軸国]]側につくことを避けるために1941年5月29日からイギリスの[[アンソニー・イーデン]]がこの構想を主張しはじめた。この時はアラブ各国の支持を受けられなかったものの、イーデンは1943年2月に再度同様の呼びかけを行い、これにアラブ各国が積極的な賛同を示したことで、この構想は一気に具体化した。とはいえ、この機構に対する各国の反応はまちまちだった。エジプトのムスタファ・エル・ナハス首相は積極的な賛成を示し、連盟設立の主導権を握ったが、エジプトの立場はこの機構を緩やかな国家間の協力機構にとどめるものだった。トランスヨルダンとシリアはともに大シリア(シリア・ヨルダン・レバノン・パレスチナ)の統合を主張し、そのうえでアラブの連合を求める考えを示していたが、ヨルダンは[[ハーシム家]]による[[君主制]]を、シリアは[[共和制]]を構想していた。イラクはこれにイラクを加えた統合構想を持っていたが、イラクとヨルダンは各国家の完全な統合までには踏み込まず、やや統制の強い国家連合を志向していた。これに対しシリアはアラブ統一に最も積極的であり、創設7か国中で唯一主権放棄にも応じる姿勢を示していた。こうした積極派の諸国に対し、サウジアラビアとレバノンは主権の移譲に強い抵抗を示していた。レバノンは前述の大シリアに含まれる地域ではあったが、他地域とは違い[[キリスト教]]の[[マロン派]]が主導権を握っており、大シリアが統合された場合周囲の[[スンニ派]]に飲み込まれる恐れがあったために、どのような主権移譲の動きにも強い抵抗を示していた。サウジアラビアはもともと孤立主義的な傾向が強く、連盟の設立自体に懐疑的であり、イエメンもこれに追随した。こうした中でエジプトが主体となって妥協が行われ、どのような強制力も持たない緩やかな地域協力機構にとどめることで消極派諸国をつなぎとめ、連盟が設立されることとなった<ref>「アラブ連盟 ナショナリズムとイスラームの交錯」(イスラームを知る22)p55-65 北澤義之 山川出版社 2015年2月20日1版1刷</ref>。こうして1945年3月22日にアレキサンドリア議定書の発効によって、当時のアラブ7カ国が加盟してアラブ連盟が結成された。
 
 
=== 中東戦争への対処 ===
 
発足したアラブ連盟がまず最初に直面した問題は、パレスチナ地方におけるアラブ人とユダヤ人の対立、すなわち[[パレスチナ問題]]であった。すでに連盟結成前からパレスチナ問題はこの地域における一大政治問題となっており、アラブ連盟は一貫してアラブ人の権利を主張した。1947年11月に[[国際連合]]において[[パレスチナ分割決議]]が採択されると、アラブ連盟は一致してこれに反対した。このころにはすでにパレスチナは内乱状態となっており、1948年5月14日にイギリス軍がパレスチナを撤退すると、同日この地域のユダヤ人が[[イスラエル]]の独立を宣言したため、レバノン、シリア、トランスヨルダン、イラク、エジプトのアラブ連盟5か国もこれに反応してイスラエルに即日宣戦を布告し、パレスチナになだれ込んだ。[[第一次中東戦争]]である。アラブ連盟諸国は兵力的には優位だったものの連携が取れておらず、やがてイスラエルに反撃され、1949年には停戦協定が結ばれることでイスラエルの独立を許すこととなった。
 
 
第一次中東戦争においてアラブ諸国が十分に連携が取れなかった反省から、戦後のアラブ連盟諸国においてはより強い統合を求める動きが強まった。この直接の結果として、[[1950年]]には連盟に共同防衛理事会とその補佐をする常任軍事委員会が設置され、軍事協力が強化された<ref>「アラブ連盟 ナショナリズムとイスラームの交錯」(イスラームを知る22)p12-13 北澤義之 山川出版社 2015年2月20日1版1刷</ref>。また創設以来連盟はイスラエルに対するボイコットを行ってきたが、1951年には[[ダマスカス]]にイスラエル・ボイコット事務局が設立され、イスラエルとの貿易をはじめイスラエルと取引のある企業との契約をも禁止するボイコット運動が開始された<ref>https://www.jetro.go.jp/world/middle_east/sa/trade_02.html 「サウジアラビア-貿易管理制度」ジェトロ 2017年4月16日閲覧</ref>。[[1956年]]の[[スエズ危機]]においては連盟はエジプトを全面的に支持し、イギリス・フランス・イスラエルに対抗した。このスエズ危機においてエジプトが軍事的に敗北したものの政治的に勝利を収めると、エジプト大統領の[[ガマール・アブドゥル=ナーセル]]の威信が高まり、彼の提唱により[[アラブ民族主義]](汎アラブ主義)に基づくアラブ世界の統一を目指した[[アラブ連合]]構想が各地で実現したものの、基本的にエジプトばかりかサウジアラビア、シリア、イラクがそれぞれアラブ圏での主導権を握ろうとし、互いに従属することを嫌ったためにいずれも頓挫した。
 
 
[[1959年]]に[[国際石油資本]]が[[産油国]]の承諾なしに一方的に石油公示価格の引き下げを発表すると、アラブ連盟は4月にカイロにおいて第1回アラブ石油会議を開催し、この措置に抗議した。この会議にはアラブ諸国のみならず大産油国である[[イラン]]および[[ベネズエラ]]も招かれ、この会議をきっかけとして産油国間の協調体制が整うようになり、[[1960年]]の[[石油輸出国機構]]の結成へとつながっていくこととなった<ref>「岩波講座 現代 別巻1 各国別世界の現勢Ⅰ」p124 1964年9月14日第1刷 岩波書店</ref>。1963年からはナセルの提唱によってアラブ首脳会議が行われるようになり<ref>佐藤次高:編『新版世界各国史8 西アジア史I』山川出版社、2002年3月 p.501</ref>、1982年以降一時中断したものの2000年に復活し、[[2012年]]現在も継続している。1963年の第一回アラブ首脳会議において、アラブ連盟の承認の元にパレスチナ解放のための機関として[[パレスチナ解放機構]](PLO)が設立されることになり、1964年にはPLOが発足した<ref>「アラブ連盟 ナショナリズムとイスラームの交錯」(イスラームを知る22)p80 北澤義之 山川出版社 2015年2月20日1版1刷</ref>。
 
 
[[中東戦争]]では共同歩調をとり、[[1967年]]の[[第三次中東戦争]]においてアラブ側が大敗しイスラエルの軍事的優勢が確立した際は、同年9月のアラブ首脳会議において、イスラエルに対し「和平せず、交渉せず、承認せず」という原則を打ち出した<ref>「サウジアラビア現代史」p165 岡倉徹志 文春新書 平成12年6月20日第1刷</ref>。しかしこの第三次中東戦争の大敗はアラブ諸国に激震をもたらし、ナセルの政治的威信が失墜してアラブの政治的統合の動きはこれ以降失速していった。またヨルダン川西岸地区をめぐって、あくまでこの地区の奪還を目指すPLOとイスラエルとの妥協を志向するヨルダンの対立は激化し、[[1970年]]には両者の間に[[ヨルダン内戦]]が勃発した。この内戦においてアラブ連盟はPLOとヨルダンの仲介に立ち、PLOは本部をヨルダンの首都[[アンマン]]からレバノンの首都[[ベイルート]]へと移転させることとなった。
 
 
[[1973年]]には[[第四次中東戦争]]が勃発し、エジプトとシリアがイスラエルへと侵攻した。連盟は一致してエジプト・シリアを支援したものの、緒戦の敗北から立ち直ったイスラエルは両国に逆侵攻をかけ、最終的にはイスラエル有利でこの戦争も終結した。しかしこの戦争はイスラエルの軍事的威信を弱め、またアラブ諸国の結束の機運を一時的に高めることとなった。アラブ連盟の動きに呼応した[[アラブ石油輸出国機構]](OAPEC)は非友好国への石油供給削減を行い、さらにこれに石油輸出国機構が同調したことで石油価格が高騰し、第一次[[石油危機]]が勃発した。この結束の機運に乗ってPLOはアラブ連盟との関係を強めていき、[[1974年]]のアラブ首脳会議においてPLOはパレスチナ唯一の代表となり、1976年には正式に連盟に加盟してその一員となった<ref>「アラブ連盟 ナショナリズムとイスラームの交錯」(イスラームを知る22)p92 北澤義之 山川出版社 2015年2月20日1版1刷</ref>。[[レバノン内戦]]においては[[1976年]]に[[平和維持活動]]を決定した。また、[[1973年]]にはモーリタニアが加盟し、アラブ連盟が伝統的にアラブとされている領域から拡大するきっかけとなった。
 
 
=== エジプトの追放と復帰 ===
 
こうした共同歩調に大きな亀裂が走ったのが[[1978年]]3月の[[キャンプ・デービッド合意]]である。この合意においてアラブ側の中心国家であり、4度の中東戦争において唯一アラブ側ですべての戦争に参加していたエジプトの[[アンワル・アッ=サーダート|サダト]]大統領とイスラエル首相の[[メナヘム・ベギン]]の間で、両国の停戦と相互承認が締結されたことは、アラブ諸国に激震をもたらした。アラブ連盟の対イスラエル共通政策である「和平せず、交渉せず、承認せず」に違反したとしてエジプトは強い批判にさらされ、翌[[1979年]]には主導国であったにもかかわらずアラブ連盟を追放されてしまう。同時にアラブ連盟の本部もチュニジアのチュニスへと移転した。
 
 
[[1980年]]から[[1988年]]まで続いた[[イラン・イラク戦争]]では、イラクが連盟内の国家でありイランがそうでなかったこと、およびこの前年の[[1979年]]に起きた[[イラン革命]]によって成立した[[イスラム共和制]]に対し加盟各国が強い警戒心を抱いたことから一貫してイラクを支持し続けた。[[1987年]]にパレスチナで起こった[[第1次インティファーダ]]については支援を行う決議を採択した<ref>「アラブ連盟 ナショナリズムとイスラームの交錯」(イスラームを知る22)p104 北澤義之 山川出版社 2015年2月20日1版1刷</ref>。またこの間エジプトが加盟各国との関係改善に努めた結果、[[1990年]]3月にはエジプトが連盟に復帰して本部も再びカイロへと戻った。
 
 
=== 湾岸戦争 ===
 
エジプトが復帰してアラブ連盟は再び以前の状態に戻ったものの、この時アラブ連盟は深刻な内部対立に悩まされていた。イラン・イラク戦争で疲弊していたイラクは原油価格の引き上げによってこの苦境を乗り越えようとしていたが、アラブ諸国が主導権を握る[[石油輸出国機構]]がこれを認めなかったうえ、クウェートをはじめとするアラブの数か国がOPECの産油量割り当てを越えて増産を続け、原油の値崩れを招いていたからである。イラクは抗議を行ったがクウェートは全く聞き入れず、やがて国境上にある[[ルマイラ油田]]をめぐって両国は深刻な対立に陥った。
 
 
1990年3月に議長国となったイラクはバグダッドでアラブ連盟の首脳会議を主催し、1990年8月2日、イラク軍は[[クウェート侵攻]]を行いクウェート全土を支配下におさめた。このクウェート侵攻をめぐって、アラブ連盟は同年8月9日にカイロ国際会議場に緊急サミットを開き<ref>{{cite web|title=Cairo International Convention Centre|publisher=7awalaya|accessdate=2018-07-29|url=http://7awalaya.com/stores/details/48/Cairo-International-Convention-Centre---CICC}}</ref>、エジプトの主導でイラク非難決議を採択した。この決議にイラクはもとよりPLOとリビアがイラク側に完全に立って反対し、さらにイエメンが態度保留、ヨルダンも棄権してイラク寄りの姿勢を保った<ref>「パレスチナ紛争史」p74 横田勇人 集英社新書 2004年5月19日第1刷</ref>。アラブ連盟には深刻な亀裂が走ったものの、主流派はイラク反対派であることは変わらず、湾岸諸国やサウジアラビアをはじめとする多くの国が[[1991年]]の[[湾岸戦争]]において対イラク攻撃に参戦した。湾岸戦争はイラクの敗北とクウェートの解放によって終結したものの、この戦争によって連盟内部の深刻な亀裂と弱体さが明るみに出、これ以降連盟の求心力はさらに弱まった。
 
 
[[1993年]]にイスラエルとパレスチナ解放機構の間で合意された[[オスロ合意]]については承認を行っている<ref>「アラブ連盟 ナショナリズムとイスラームの交錯」(イスラームを知る22)p108 北澤義之 山川出版社 2015年2月20日1版1刷</ref>。[[2003年]]に起きた[[イラク戦争]]においては、アメリカ・イギリス軍の即時撤退要求をクウェート以外のすべての国家の賛成によって議決している<ref>「国際機構 第四版」p270 家正治・小畑郁・桐山孝信編 世界思想社 2009年10月30日第1刷</ref><ref>「アラブ連盟 ナショナリズムとイスラームの交錯」(イスラームを知る22)p115 北澤義之 山川出版社 2015年2月20日1版1刷</ref>。
 
 
[[2009年]]3月30日、31日の両日、カタールの首都ドーハで第21回アラブ連盟首脳会議が開かれた。会議には21カ国と1機構、国連の事務総長、[[イスラム諸国会議機構]] (OIC) の事務局長が参加。エジプトの[[ホスニー・ムバーラク|ムバーラク大統領]]は欠席を表明。<br/>最終宣言では、中東和平、イラク、スーダンの国内情勢、中東非大量破壊兵器地帯創設などの課題解決のために参加国の努力を確認した。中東非大量破壊兵器地帯創設では、核兵器保有のイスラエルに対し、[[核不拡散条約]] (NPT) に調印し、[[国際原子力機関]] (IAEA) の監視を受けるよう国際社会が圧力をかけることを求めた。中東和平問題では、最近のパレスチナ自治区のガザ地区に対する攻撃を「野蛮な侵略」と非難した。<br/>討議でヨルダンの[[アブドゥッラー2世]]国王は、スーダン情勢について、[[国際刑事裁判所]] (ICC) が[[オマル・アル=バシール]]大統領に対して逮捕状を発行したことを非難した。
 
 
=== アラブの春 ===
 
2011年におこった[[アラブの春]]においては当初は慎重な姿勢だったが、徐々に改革派寄りの姿勢に立つようになった。これを示すのが、以下のシリア騒乱に対する姿勢である。2011年10月30日カタール(ドーハ)で外相会議が開かれ、[[シリア騒乱]]を論議した。31日には、アラビ事務局長が、シリア政府の反政府デモに対する武力弾圧を終了させるためのロードマップを明らかにした。11月2日には暴力行為停止などの調停案受け入れでシリアと合意したが弾圧は続き、11月16日をもってシリアは加盟資格が停止された<ref>{{Cite news
 
|url=http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20111112-OYT1T00833.htm
 
|title=アラブ連盟、シリアの資格停止…制裁へ
 
|work=YOMIURI ONLINE
 
|newspaper=[[読売新聞]]
 
|date=2011-11-12
 
|accessdate=2011-11-12
 
}}</ref>。
 
2011年11月16日、モロッコ・ラバトで外相会議を開き、シリア問題について話し合った。同会議は、シリア政府に対し3日以内に弾圧を停止するよう求め、これに応じなければ経済制裁を科することを決定した。
 
11月27日、カイロで外相会議を開き、シリアに対する制裁措置を19ヵ国(22ヵ国・機構加盟)の賛成で承認した。制裁措置は、アラブ諸国とシリア政府との関係の断絶、シリアへのアラブ各国政府の投資の禁止、アラブ各国にあるシリア資産の凍結、シリア政府高官<ref>精鋭部隊の共和国防衛隊を率いるアサド大統領の弟マーヘル等シリア要人19人</ref>の渡航禁止、シリアへの民間航空の乗り入れ禁止<ref>50%削減</ref>などから成っている。12月3日には、ドーハ(カタール)で閣僚級会合を開きシリアへの制裁について協議した。<ref>[http://www.asahi.com/international/update/1128/TKY201111270446.html アラブ連盟、シリアへの経済制裁決定 在外資産を凍結] 朝日新聞 2011年11月28日</ref><ref>[http://mainichi.jp/select/world/mideast/archive/news/2011/11/28/20111128ddm007030146000c.html アラブ連盟:シリア経済制裁] 毎日新聞 2011年11月28日</ref><ref>[http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-24363820111128 アラブ連盟がシリア制裁決定、資産凍結や投資打ち切りへ] ロイター 2011年 11月 28日</ref>
 
 
2015年3月29日、地域の不安定化の拡大に対応するため合同軍の創設で原則的に合意した<ref>{{cite news |language  = | author  = | url =http://www.bloomberg.co.jp/news/123-NLZSLV6S972901.html| title=アラブ連盟:合同軍の創設で原則合意-首脳会議で | publisher =| date= 2015-03-30| accessdate =2015-04-03}}</ref>。
 
 
== アラブ連盟加盟国(加盟順) ==
 
=== 原加盟国 ===
 
[[ファイル:Arab League History.svg|thumb|right]]
 
* {{EGY}}(1979年3月に[[イスラエル]]との[[エジプト・イスラエル平和条約|平和条約]]締結を理由に加盟資格停止。[[1989年]]5月に復帰)
 
* {{SYR}}(2011年11月16日より加盟資格停止)
 
* {{IRQ}}
 
* {{JOR}}
 
* {{LIB}}
 
* {{KSA}}
 
* {{YEM}}(加盟時は{{NYE}})
 
 
=== 追加加盟国・機構 ===
 
* [[1953年]] - {{LBA}}
 
* [[1956年]] - {{SUD}}
 
* [[1958年]] - {{MAR}}、{{TUN}}
 
* [[1961年]] - {{KWT}}
 
* [[1962年]] - {{ALG}}
 
* [[1971年]] - {{UAE}}、{{BHR}}、{{QAT}}、{{OMA}}
 
* [[1973年]] - {{MTN}}
 
* [[1974年]] - {{SOM}}
 
* [[1976年]] - {{PLE}}
 
* [[1977年]] - {{DJI}}
 
* [[1993年]] - {{COM}}
 
 
=== 旧加盟国 ===
 
* [[1967年]] - {{SYE}}({{NYE}}との合併に伴い消滅)
 
 
== アラブ連盟事務局長 ==
 
{| class="wikitable sortable"
 
!
 
!事務局長
 
!生没年
 
!就任
 
!辞任
 
!国籍
 
!画像
 
|-
 
|1
 
| [[アブドゥル・ラフマーン・ハサン・アッザーム]]
 
| 1893–1976
 
| 1945年3月22日
 
| 1952年9月
 
| {{Flagu|Egypt}}
 
|
 
|-
 
|2
 
| [[アブドル・ハーレク・ハッスーナ]]
 
| 1898–1992
 
| 1952年9月
 
| 1972年6月1日
 
| {{Flagu|Egypt}}
 
|
 
|-
 
|3
 
| [[マフムード・リヤード]]
 
| 1917–1992
 
| 1972年6月1日
 
| 1979年3月
 
| {{Flagu|Egypt}}
 
| [[File:Mahmoed Riad (1969).jpg|100px]]
 
|-
 
|4
 
| [[シャドリ・クリービー]]
 
| 1925–
 
| 1979年3月
 
| 1990年9月
 
| {{Flagu|Tunisia}}
 
| [[File:Chadli klibi.JPG|100px]]
 
|-
 
|5
 
| [[アフマド・アスマト・アブデルマギード]]
 
| 1924–2013
 
| 1991年5月15日
 
| 2001年5月15日
 
| {{Flagu|Egypt}}
 
|
 
|-
 
|6
 
| [[アムル・ムーサ]]
 
| 1936–
 
| 2001年5月15日
 
| 2011年7月1日
 
| {{Flagu|Egypt}}
 
| [[File:Amr Moussa at the 37th G8 Summit in Deauville 054.jpg|100px]]
 
|-
 
|7
 
| [[ナビール・エル=アラビー]]
 
| 1935–
 
| 2011年7月1日
 
| 2016年7月3日
 
| {{Flagu|Egypt}}
 
| [[File:Nabil el-Araby 2005.jpg|100px]]
 
|-
 
|8
 
| [[アハマド・アブルゲイト]]
 
| 1942–
 
| 2016年7月3日
 
| 現職
 
| {{Flagu|Egypt}}
 
| [[File:Msc 2005-Saturday, 16.00 - 18.00-AboulGheit.jpg|100px]]
 
|}
 
 
==アラブ首脳会談(アラブ連盟サミット)==
 
===定例サミット===
 
[[File:Arab League Summit Logo.png|right|thumb|350px|2013年アラブ連盟サミットのロゴ]]
 
{| class="wikitable sortable"
 
|-
 
! 回 !! 開催日 !! 開催国!!開催都市
 
|-
 
| 1 || 1964年1月13日-17日 || {{flag|Egypt|1958}} ||[[カイロ]]
 
|-
 
| 2 || 1964年9月5日-11日 || {{flag|Egypt|1958}} ||[[アレキサンドリア]]
 
|-
 
| 3 || 1965年9月13日-17日 || {{flag|Morocco}} ||[[カサブランカ]]
 
|-
 
| 4 || 1967年8月29日 || {{flag|Sudan}} ||[[ハルツーム]]
 
|-
 
| 5 || 1969年12月21日-23日 || {{flag|Morocco}} ||[[ラバト]]
 
|-
 
| 6 || 1973年11月26日-28日 || {{flag|Algeria}} ||[[アルジェ]]
 
|-
 
| 7 || 1974年10月29日 || {{flag|Morocco}} ||[[ラバト]]
 
|-
 
| 8 || 1976年10月25-26日 || {{flag|Egypt|1972}} ||[[カイロ]]
 
|-
 
| 9 || 1978年11月2-5日 || {{flag|Iraq|1963}} ||[[バグダード]]
 
|-
 
| 10 || 1979年11月20–22日 || {{flag|Tunisia}} ||[[チュニス]]
 
|-
 
| 11 || 1980年11月21–22日 || {{flag|Jordan}} ||[[アンマン]]
 
|-
 
| 12 || 1982年9月6日-9日 || {{flag|Morocco}} ||[[フェズ]]
 
|-
 
| 13 || 1985年 || {{flag|Morocco}} ||[[カサブランカ]]
 
|-
 
| 14 || 1987年 || {{flag|Jordan}} ||[[アンマン]]
 
|-
 
|15  || 1988年6月 || {{flag|Algeria}} ||[[アルジェ]]
 
|-
 
| 16 || 1989年 || {{flag|Morocco}} ||[[カサブランカ]]
 
|-
 
| 17 || 1990年 || {{flag|Iraq|1963}} ||[[バグダード]]
 
|-
 
| 18 || 1996年 || {{flag|Egypt}} ||[[カイロ]]
 
|-
 
| 19 || 2001年3月27日–28日 || {{flag|Jordan}} ||[[アンマン]]
 
|-
 
| 20 || 2002年3月27日–28日 || {{flag|Lebanon}} ||[[ベイルート]]
 
|-
 
| 21 || 2003年3月1日 || {{flag|Egypt}} ||[[シャルムエルシェイク]]
 
|-
 
| 22 || 2004年5月22日-23日 || {{flag|Tunisia}} ||[[チュニス]]
 
|-
 
| 23 || 2005年3月22日-23日 || {{flag|Algeria}} ||[[アルジェ]]
 
|-
 
| 24 || 2006年3月28日-30日 || {{flag|Sudan}} ||[[ハルツーム]]
 
|-
 
| 25 || 2007年3月27日–28日 || {{flag|Saudi Arabia}} ||[[リヤド]]
 
|-
 
|26 || 2008年3月29日–30日 || {{flag|Syria}} ||[[ダマスカス]]
 
|-
 
| 27 || 2009年3月28日-30日 || {{flag|Qatar}} ||[[ドーハ]]
 
|-
 
| 28 || 2010年3月27日–28日 || {{flag|Libya|1977}} ||[[スルト]]
 
|-
 
| 29 || 2012年3月27日–29日 || {{flag|Iraq}} ||[[バグダード]]
 
|-
 
|30 || 2013年3月21日-27日 || {{flag|Qatar}} ||[[ドーハ]]<ref>[http://qatarconferences.org/arableaguesummit2013/ Arab League Summit 2013]. Qatarconferences.org (2013-03-27). Retrieved on 2014-04-28.</ref>
 
|-
 
| 31 || 2014年3月25日・26日 || {{flag|Kuwait}} ||[[クウェート市]]<ref>[http://www.aljazeera.com/indepth/features/2014/03/arab-league-summit-hit-new-rifts-201432173625331320.html Arab League summit hit by new rifts - Features]. Al Jazeera English. Retrieved on 2014-04-28.</ref>
 
|-
 
| 32 || 2015年3月28日・29日 || {{flag|Egypt}} ||[[シャルムエルシェイク]]<ref>[http://www.aljazeera.com/news/middleeast/2014/03/opposition-fail-get-syria-arab-league-seat-2014326144447997621.html Opposition fail to get Syria Arab League seat - Middle East]. Al Jazeera English. Retrieved on 2014-04-28.</ref>
 
|-
 
| 33 || 2016年7月20日 || {{flag|Mauritania}} ||[[ヌアクショット]]
 
|-
 
| 34 || 2017年3月 || {{flag|Jordan}} ||[[アンマン]]<ref>[https://www.alarabiya.net/ar/arab-and-world/2016/11/02/%D8%A7%D9%84%D8%A3%D8%B1%D8%AF%D9%86-%D9%8A%D8%B3%D8%AA%D8%B6%D9%8A%D9%81-%D8%A7%D9%84%D9%82%D9%85%D8%A9-%D8%A7%D9%84%D8%B9%D8%B1%D8%A8%D9%8A%D8%A9-%D9%81%D9%8A-%D9%85%D8%A7%D8%B1%D8%B3.html]</ref>
 
|}
 
 
===緊急サミット===
 
{| class="wikitable sortable"
 
|-
 
! 回 !! 開催日 !! 開催国!!開催都市
 
|-
 
| 1 || 1970年9月21日-27日 || {{flag|Egypt|1958}}|| [[カイロ]]
 
|-
 
| 2 || 1976年10月17日-28日 || {{flag|Saudi Arabia}} ||[[リヤド]]
 
|-
 
| 3 || 1985年9月7日-9日 || {{flag|Morocco}}|| [[カサブランカ]]
 
|-
 
| 4 || 1987年11月8日-12日 || {{flag|Jordan}} ||[[アンマン]]
 
|-
 
| 5 || 1988年6月7日-9日 || {{flag|Algeria}} ||[[アルジェ]]
 
|-
 
| 6 || 1989年6月23日-26日 || {{flag|Morocco}} ||[[カサブランカ]]
 
|-
 
| 7 || 1990年3月28日-30日 || {{flag|Iraq|1963}} ||[[バグダード]]
 
|-
 
| 8 || 1990年8月9日-10日 || {{flag|Egypt}}|| [[カイロ]]
 
|-
 
| 9 || 1996年6月22日-23日 ||{{flag|Egypt}}|| [[カイロ]]
 
|-
 
| 10 || 2000年10月21日-22日 || {{flag|Egypt}}|| [[カイロ]]
 
|-
 
| 11 || 2016年1月7日 || {{flag|Saudi Arabia}}|| [[リヤド]]
 
|}
 
 
== 加盟各国の人口統計 ==
 
{| style="font-size:95%; text-align:right;" class="wikitable sortable"
 
|-
 
! 順位 !! 国 !! 人口 !! 人口密度 (/km<sup>2</sup>) !! 人口密度 (sq mi) !! 注
 
|-
 
| 1 || align=left|{{flag|Egypt}} || 92,519,544 || {{convert|{{#expr:(81650212 + 4241 * {{Age in days|2006|11|11}}) / 1001449 round 0}}|/km2|0|disp=table}} || align=left|<ref>[http://www.msrintranet.capmas.gov.eg/pls/fdl/tst12e?action=1&lname=%201 Official Egyptian Population clock] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20121030052148/http://www.msrintranet.capmas.gov.eg/pls/fdl/tst12e?action=1&lname=%201 |date=30 October 2012 }}</ref>
 
|-
 
| 2 || align=left|{{flag|Algeria}} || 37,100,000 || {{convert|{{#expr: 37100000 / 2381741 round 0}}|/km2|0|disp=table}} || align=left|<ref name=unpop/>
 
|-
 
| 3 || align=left|{{flag|Iraq}} || 37,056,169 || {{convert|{{#expr: (32487860 + 923 * {{Age in days|2009|7|1}}) / 446550 round 0}}|/km2|0|disp=table}} || align=left|<ref>http://www.hcp.ma Official Moroccan Population clock</ref>
 
|-
 
| 4 || align=left|{{flag|Morocco}} || 32,064,173 || {{convert|{{#expr: 31234000 / 438317 round 0}}|/km2|0|disp=table}} || align=left|<ref name=unpop/>
 
|-
 
| 5 || align=left|{{flag|Sudan}} || 30,894,000 || {{convert|{{#expr: 30894000 / 1886068 round 0}}|/km2|0|disp=table}} || align=left|<ref>http://www.cbs.gov.sd 2008 Sudanese census</ref>
 
|-
 
| 6 || align=left|{{flag|Saudi Arabia}} || 28,146,658 || {{convert|{{#expr: 25721000 / 2149690 round 0}}|/km2|0|disp=table}} || align=left|<ref name=unpop/>
 
|-
 
| 7 || align=left|{{flag|Yemen}} || 23,580,000 || {{convert|{{#expr: 23580000 / 527968 round 0}}|/km2|0|disp=table}} || align=left|<ref name=unpop/>
 
|-
 
| 8 || align=left|{{flag|Syria}}* || 21,906,000 || {{convert|{{#expr: 21906000 / 185180 round 0}}|/km2|0|disp=table}} || align=left|<ref name=unpop/>
 
|-
 
| 9 || align=left|{{flag|Tunisia}} || 10,673,800 || {{convert|{{#expr: 10673800 / 163610 round 0}}|/km2|0|disp=table}} || align=left|<ref>{{cite web|url=http://www.ins.nat.tn/indexen.php|title=National Statistics Institute of Tunisia|publisher=|accessdate=20 November 2014}}</ref>
 
|-
 
| 10 || align=left|{{flag|Somalia}} || 11,400,000 || {{convert|{{#expr: 11400000 / 637657 round 0}}|/km2|0|disp=table}} || align=left|<ref name=unpop/>
 
|-
 
| 11 || align=left|{{flag|United Arab Emirates}} || 8,264,070 || {{convert|{{#expr: 8264070 / 83600 round 0}}|/km2|0|disp=table}} || align=left|<ref>{{cite web|url=http://www.alittihad.ae/details.php?id=31500&y=2011 |title=المركز الوطني للإحصاء: المواطنون 947.9 ألفاً - جريدة الاتحاد |publisher=Alittihad.ae |date= |accessdate=16 August 2011| archiveurl= https://web.archive.org/web/20110719221110/http://www.alittihad.ae/details.php?id=31500&y=2011| archivedate= 19 July 2011 <!--DASHBot-->| deadurl= no}}</ref>
 
|-
 
| 12 || align=left|{{flag|Libya}} || 6,733,620 || {{convert|{{#expr: 6733620 / 1789540 round 1}}|/km2|1|disp=table}} || align=left|<ref name=unpop/><ref>{{cite web|url=https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/ly.html|title=The World Factbook|work=cia.gov |accessdate=2017年3月18日}}</ref>
 
|-
 
| 13 || align=left|{{flag|Jordan}} ||6,332,000 || {{convert|{{#expr: 6316000 / 89342 round 0}}|/km2|0|disp=table}} || align=left|<ref name=unpop/>
 
|-
 
| 14 || align=left|{{flag|Palestine}} || 4,550,368 || {{convert|{{#expr: 4550368 / 6020 round 0}}|/km2|0|disp=table}} || align=left|<ref>{{cite web|title=Estimated Population in the Palestinian Territory Mid-Year by Governorate,1997-2016 |accessdate=8 June 2014 |website=Palestinian Central Bureau of Statistics |url=http://www.pcbs.gov.ps/Portals/_Rainbow/Documents/gover_e.htm |archive-url=https://web.archive.org/web/20140608204943/http://www.pcbs.gov.ps/Portals/_Rainbow/Documents/gover_e.htm |archive-date=8 June 2014 |publisher=State of Palestine |deadurl=no |df=dmy }}</ref>
 
|-
 
| 15 || align=left|{{flag|Lebanon}} || 4,224,000 || {{convert|{{#expr: 4224000 / 10452 round 0}}|/km2|0|disp=table}} || align=left|<ref name=unpop>{{cite journal| url=http://www.un.org/esa/population/publications/wpp2008/wpp2008_text_tables.pdf| title=World Population Prospects, Table A.1| page=17| version=2008 revision| format=PDF| publisher=[[United Nations Department of Economic and Social Affairs]]| year=2009| accessdate=22 September 2010}}</ref>
 
|-
 
| 16 || align=left|{{flag|Kuwait}} || 3,566,437 || {{convert|{{#expr: 3566437 / 17818 round 0}}|/km2|0|disp=table}} || align=left|<ref name=unpop/>
 
|-
 
| 17 || align=left|{{flag|Mauritania}} || 3,291,000 || {{convert|{{#expr: 3291000 / 1025520 round 1}}|/km2|1|disp=table}} || align=left|<ref name=unpop/>
 
|-
 
| 18 || align=left|{{flag|Oman}} || 2,845,000 || {{convert|{{#expr: 2845000 / 309500 round 1}}|/km2|0|disp=table}} || align=left|<ref name=unpop/>
 
|-
 
| 19 || align=left|{{flag|Qatar}} || 1,699,435 || {{convert|{{#expr: 1699435 / 11000 round 0}}|/km2|0|disp=table}} || align=left|<ref name=unpop/>
 
|-
 
| 20 || align=left|{{flag|Bahrain}} || 1,234,596 || {{convert|{{#expr: 1234596 / 750 round 0}}|/km2|0|disp=table}} || align=left|<ref>[http://www.census2010.gov.bh/results_en.php Bahraini Census 2010 - تعداد السكــان العام للبحريــن 2010]. Census2010.gov.bh. Retrieved on 2014-04-28.</ref>
 
|-
 
| 21 || align=left|{{flag|Djibouti}} || 864,000 || {{convert|{{#expr: 864000 / 23200 round 0}}|/km2|0|disp=table}} || align=left|<ref name=unpop/>
 
|-
 
| 22 || align=left|{{flag|Comoros}} || 691,000 || {{convert|{{#expr: 691000 / 2235 round 0}}|/km2|0|disp=table}} || align=left|<ref name=unpop/>
 
|-
 
 
|- class="sortbottom"
 
| '''総計''' || align=left|{{flag|Arab League}} || ''' 356,398,918 ''' || '''{{#expr: 400625486 / 13181059 round 1}}''' || '''{{convert|{{#expr: 400625486 / 13181059 round 1}}|/km2|/sqmi|1|disp=output number only}}'''
 
|
 
|}
 
 
== 出典 ==
 
{{Reflist}}
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[イスラム諸国会議機構]]
 
* [[南米・アラブ諸国首脳会議]]
 
 
== 外部リンク ==
 
{{commons|League of Arab States}}
 
* [http://www.lasportal.org The League of Arab States] (公式サイト)
 
* [http://www.worldstatesmen.org/International_Organizations.html#Arab%20League World Statesmen - Arab League]
 
 
{{地域統合}}
 
{{現行の軍事同盟・安全保障条約・集団安全保障}}
 
{{Normdaten}}
 
  
 
{{デフォルトソート:あらふれんめい}}
 
{{デフォルトソート:あらふれんめい}}

2019/4/27/ (土) 17:38時点における最新版

アラブ連盟(アラブれんめい、جامعة الدول العربية、Jāmi'a al-Duwal al-'Arabīya、League of Arab States)

アラブ諸国の地域協力機構。1945年3月エジプト,シリア,レバノン,イラク,ヨルダン,サウジアラビア,イエメン(イエメン=アラブ共和国)の 7ヵ国により結成され,同年 10月に発足した。加盟各国の主権の擁護,相互協力,中東の安全保障確保のため,政策の調整をはかることを目的とする。のちにリビア,スーダン,チュニジア,モロッコ,クウェート,アルジェリア,南イエメン(イエメン民主人民共和国),バーレーン,モーリタニア,オマーン,カタール,ソマリア,アラブ首長国連邦,ジブチおよびパレスチナ解放機構 PLOが加盟,1991年5月南北イエメンが国家統合,1993年コモロが加盟し,2012年現在は 21ヵ国と 1機構から構成される。主要機関は首脳会議,理事会,事務局で,理事会には政治,文化,社会,保健,経済,法律,通信,情報,石油,財政,行政,連絡担当の常任委員会が付置され,ほかにアラブ郵便連合,アラブ電気通信連合,アラブ放送連合など 21の専門機関がある。事務局はエジプトのカイロに置かれていたが,エジプトが 1979年3月にイスラエルと平和条約を締結して資格停止の処分を受け,チュニジアのチュニスに移された。1989年5月モロッコのカサブランカにおける首脳会議でエジプトの資格停止処分が撤回され,1990年3月事務局のカイロ復帰も決定された。イスラエルと関係をもつ企業などにボイコットの指令を出す委員会も設けられているが,エジプトの復帰後はボイコットはしだいにゆるめられつつある。



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