アレクサンドリアのアタナシオス

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(293年頃 - 373年5月2日, ギリシア語: Αθανάσιος Αλεξανδρείας, ラテン語: Athanasius アタナシウス)

ニカイア公会議 (325) 時代の教父,聖人,教会博士。当時キリスト教会を2分したアリウス派異端との戦いにおいて正統教義を代表し,教会史上大きな役割を果した。プラトン,アリストテレス,新プラトン主義,キリスト教学を若くして学び,のち司教アレクサンドロスに師事。ニカイア公会議にはアレクサンドロスに従って出席,アリウス派を論駁した。 328年アレクサンドリアの司教となる。その後も一貫して反アリウス主義の立場を取ったため,アリウス派から憎まれ,アリウスのアレクサンドリア帰還問題に端を発しコンスタンチヌス大帝によって第1回 (336~337) の追放を受けてから前後5回 17年に及んで追放の生活をおくった。第2回(339~346) はローマの教皇ユリウス1世のもとに逃れ,ローマ教会とアタナシウス説が結合する結果を生む。その教理史的意義は三位一体説とロゴス・キリスト論にある。