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{{Infobox オンライン情報源
 
|サイト名 = [[ウィキペディア]]日本語版
 
|画像 = [[画像:Wikipedia-logo-v2-ja.svg|ウィキペディア日本語版のロゴ]]<br>ウィキペディア日本語版のロゴ
 
|URL = https://ja.wikipedia.org/
 
|タイプ = [[インターネット百科事典]]
 
|分野 = 限定なし
 
|使用言語 = [[日本語]]
 
|項目数 = [[特別:統計|{{NUMBEROFARTICLES}}]]記事
 
|閲覧 = 無料
 
|登録 = 任意
 
|著作権 = [[GNU Free Documentation License|GFDL]] および [[クリエイティブ・コモンズ|CC-BY-SA]]
 
|運営 = [[ウィキメディア財団]]
 
|資金 = [[寄付]]<ref>詳しくは[http://wikimediafoundation.org/wiki/%E5%AF%84%E4%BB%98 寄付のページ]を参照</ref>
 
|営利性 = 非営利
 
|設立 = [[2001年]][[5月20日]]
 
|設立者 =(未詳)
 
|管理人 =
 
|現代表 =(設立当初から不在)
 
|執筆者 = 不特定多数の執筆者
 
|作業者 =
 
|編集委員 = なし
 
|査読 = なし
 
|現状 = 運営中・記事数増加中([[特別:新しいページ]]を参照)
 
}}
 
'''ウィキペディア日本語版'''(ウィキペディアにほんごばん)は、[[ウィキメディア財団]]が運営する[[多言語]][[インターネット百科事典]]プロジェクト「[[ウィキペディア]]」の[[日本語]]版である。
 
  
== 概要 ==
 
ウィキペディア日本語版は[[2001年]]5月頃に発足したものの、当初は編集者も少数で、ローマ字表記の項目が約23項目と[[コンテンツ]]もほとんどなく、認知もほとんどされていなかった<ref name="nikkei20070313">「[http://pc.nikkeibp.co.jp/article/Interview/20070313/264635/ 【インタビュー】有志で取り組む「史上最大の百科事典」――Wikipedia日本語版の舞台裏 Wikipedia日本語版 管理者・ビューロクラット 今泉 誠氏]」 [[日経パソコン]]、2007年3月13日。今泉のアカウントは{{User2|Suisui}}。</ref>。[[2002年]]9月<!---と後の方に書いてあった--->のシステム更新によって日本語表記に対応するようになり<ref name="nikkei20070313"/>、[[2003年]]から[[2004年]]にかけていくつかの[[マスメディア]]で取り上げられたことがきっかけとなって認知され始めた。[[漫画]]や[[アニメ]]の[[トリヴィア|トリビア]]的な記事、[[声優]]の[[紳士録]]的記事など、日本語版ならではの記事が急増した時期もこの頃である。
 
 
[[2005年]]以降は[[Web 2.0]]ブームの一端として大手[[マスメディア|マスコミ]]にも取り上げられるようになり、[[インターネット]]に接する一般市民にも認知されていった。現在では[[検索エンジン最適化]]により、[[Google検索]]を初めとする[[検索エンジン]]で記事が上位に表示されることもあって、認知度や閲覧数も高い。一方で、記事の内容やサイトの運営などに関し、様々な課題も指摘されている<ref name="current-awareness278">[http://current.ndl.go.jp/ca1510 No.278 2003.12.20 CA1510 - オープンコンテンツの百科事典ウィキペディア / 福田亮]([http://current.ndl.go.jp/ カレントアウェアネス・ポータル])</ref><ref name="wiredvsion20050113">{{Cite web
 
|last = Terdiman
 
|first = Daniel
 
|date = 2005-01-13
 
|url = http://wired.jp/wv/archives/2005/01/13/%E6%8B%A1%E5%A4%A7%E3%81%99%E3%82%8B%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E7%99%BE%E7%A7%91%E4%BA%8B%E5%85%B8%E3%80%8E%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%80%8F%E3%81%AE%E8%AA%B2
 
|title = 拡大するフリー百科事典『ウィキペディア』の課題
 
|work = [[WIRED (雑誌)|WIRED.jp]]
 
|publisher = WIRED.jp
 
|accessdate = 2009-08-19
 
}}</ref>。
 
{{See also|ウィキペディアへの批判|Wikipedia:なぜウィキペディアは素晴らしくないのか}}
 
 
== 主な特徴 ==
 
他の言語版に比べた特徴を述べる。
 
 
=== 規模 ===
 
2013年10月現在、純記事数では、13番目の規模のウィキペディアであり(主要語に[[ラテン文字]]が用いられないウィキペディアとしては、[[ロシア語版ウィキペディア|ロシア語版]]に次いで2番目)、最大の[[英語版ウィキペディア|英語版]]の約5分の1の規模である。2005年上期までは英語版、[[ドイツ語版ウィキペディア|ドイツ語版]]に次いで純記事数3位であったが、その後は他言語版に抜かれている。なお、内部リンク数は、3位を維持し続けている([[ウィキペディア日本語版#記事新設数と編集回数|後述]])。
 
 
=== 法的制限 ===
 
日本の[[著作権法]]は、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]以外の多くの国と同様に、[[著作権]]の行使が制限される範囲を個別に定めており、ウィキペディア日本語版では個別に定められた範囲外で著作権のある画像を使用することが禁止されている。このため、英語版ウィキペディアでは、包括的に[[フェアユース]]を認める米国法に基づいて画像が使われているのに、日本語版には一切ないという現象がよくみられる。
 
 
=== 参加者 ===
 
[[画像:Comparison of percentage of edit number - IP user and registered user.png|right|thumb|200px|言語版毎のIP利用者(青)とログイン利用者(赤)の編集回数の比率。日本語版は(ja)。2007年12月調べ。]]
 
日本語版の大きな特徴の一つは、編集をする利用者のうち登録せずにいる利用者の比率が高いことである<ref name="リー2009-日本語版参加者">{{cite book|和書
 
|title = ウィキペディア・レボリューション――世界最大の百科事典はいかにして生まれたか
 
|author = アンドリュー・リー
 
|year = 2009
 
|pages = 284-286
 
|others = 千葉敏生 翻訳
 
|publisher = 早川書房
 
|isbn = 978-4-15-320005-0
 
}}</ref>。[[2007年]][[12月]]時点で、編集回数の約40%は[[ログイン]]しない{{Srlink|Wikipedia:利用者|利用者}}([[IPアドレス|IP]]ユーザー)によるものであり、これは主要10言語のウィキペディアのうちで最も高い割合となった(右グラフ参照)。2010年にはIPユーザーの比率が5割近くとなっている<ref name="asahi20100302">「メディア タイムズ――ウィキペディア曲がり角」『朝日新聞』2010年3月2日付朝刊、第13版、第37面。</ref>。
 
 
アンドリュー・リーは、他言語版およびウィキメディアプロジェクト群全体の国際コミュニティとウィキペディア日本語版コミュニティとの間の連携が強まっていない原因の一つが、この登録済み利用者の少なさだと指摘している<ref name="リー2009-日本語版参加者"/>。たとえばウィキメディアの国際会議、第1回[[ウィキマニア]](2005年)において、ウィキペディア日本語版からの会議出席者はわずか2名であり、より編集者数の少ないオランダ語版や中国語版からの出席者数にも及ばなかった<ref name="リー2009-日本語版参加者"/>。
 
 
=== 記事新設数と編集回数 ===
 
[[画像:PlotNewArticlesJA-1-.png|300px|thumb|ウィキペディア日本語版の新規記事作成数推移]]
 
1日当たりの記事新設数は日本語版設置後順調に伸び続けたが、2007年3月の469件をピークに減少傾向にあり、2008年5月の1日当たりの記事新設数はピーク時と比較して49%減の240件にとどまった<ref name="Zachte ArticlesNewPerDay">{{cite web
 
|url = http://stats.wikimedia.org/JA/TablesArticlesNewPerDay.htm
 
|title = ウィキペディア 多言語統計 - 1日当たりの記事新設数
 
|author = Erik Zachte
 
|accessdate = 2013-6-20
 
}}</ref>。2009年1月に一時300件台を回復したが再び減少に転じ、2008年5月以降は一部240件台もあるものの、概ね200件台後半で推移していたが、2010年5月以降は再び減少傾向に転じ、2011年5月以降は概ね150件前後で推移している。2012年8月にはピーク時以降で最小となる131件を記録した<ref name="Zachte ja">{{cite web
 
|url = http://stats.wikimedia.org/JA/TablesWikipediaJA.htm
 
|title = ウィキペディア 多言語統計 - 日本語版
 
|author = Erik Zachte
 
|accessdate = 2013-6-20
 
}}</ref>。2013年4月現在の日本語版の記事新設数は143件であり、内部リンク数上位10言語版(英語版、ドイツ語版、日本語版、スペイン語版、フランス語版、ポーランド語版、イタリア語版、ロシア語版、ポルトガル語版、オランダ語版)の中で内部リンク数ではドイツ語版に次ぐ3位につけているものの、記事新設数では10位である<ref name="Zachte ArticlesNewPerDay"/>。
 
[[画像:PlotEditorsJA-1-.png|300px|thumb|ウィキペディア日本語版において月に5回以上編集した利用者数の推移('''{{color|red|赤}})]]
 
1か月間に5回以上編集した利用者は2007年1月以降4,000名から5,000名の間で推移し、2008年1月に最高の4,989名に達した<ref name="Zachte EditsGt5"/>。月に100回以上編集した利用者は2007年1月以降概ね400名から500名程度で推移し、2007年3月に最高の566名に達した<ref name="Zachte EditsGt100"/>。しかし、どちらも2008年1月前後を境に緩やかに減少傾向にある<ref>{{cite web
 
|url = http://stats.wikimedia.org/JA/ChartsWikipediaJA.htm
 
|title = ウィキペディア グラフ - 日本語版
 
|author = Erik Zachte
 
|accessdate = 2013-6-20
 
}}</ref>。特に、月に100回以上編集した利用者の減少の方が著しい。2013年4月に5回以上編集した利用者は4,164名<ref name="Zachte EditsGt5">{{cite web
 
|url = http://stats.wikimedia.org/JA/TablesWikipediansEditsGt5.htm
 
|title = ウィキペディア 多言語統計 - 活動中のウィキペディアン
 
|author = Erik Zachte
 
|accessdate = 2013年6月20日
 
}}</ref>、100回以上編集した利用者は352名で<ref name="Zachte EditsGt100">{{cite web
 
|url = http://stats.wikimedia.org/JA/TablesWikipediansEditsGt100.htm
 
|title = ウィキペディア 多言語統計 - 特に活発なウィキペディアン
 
|author = Erik Zachte
 
|accessdate = 2009-10-23
 
}}</ref>、内部リンク数上位10言語版のうち、5回以上編集した利用者数は5位<ref name="Zachte EditsGt5"/>、100回以上編集した利用者は7位である<ref name="Zachte EditsGt100"/>。
 
[[画像:PlotEditsSmallJA-1-.png|300px|thumb|ウィキペディア日本語版の編集回数推移(2013年の最大値を100として表示)]]
 
1か月当たりの総編集回数は、2007年3月と10月の53万1千回をピークに活動中の利用者の減少と同様に緩やかに減少しており、2008年1月から5年2ヶ月に渡り50万回に達した月がなかったが、2013年3月に一時的に55万9千回に達した。しかし、翌月には再び50万回を切っている<ref>これは[[ウィキデータ]]の開設に伴って、ウィキデータへの移行が完了した言語間リンクを除去する編集が多くなったことを理由とする一時的なものと考えられる。</ref>。全体的な傾向としては、年々減少を続け、特に2013年5月からは2006年3月以来保っていた月間編集30万回を割り込むようになった<ref name="Zachte DatabaseEdits">{{cite web
 
|url = http://stats.wikimedia.org/JA/TablesDatabaseEdits.htm
 
|title = ウィキペディア 多言語統計 - 1か月当たりの編集回数
 
|author = Erik Zachte
 
|accessdate = 2013-3-27
 
}}</ref>。さらに2013年8月以降には25万回台の月が何度も現れるようになった<ref name="Zachte DatabaseEdits">{{cite web
 
|url = http://stats.wikimedia.org/JA/TablesDatabaseEdits.htm
 
|title = ウィキペディア 多言語統計 - 1か月当たりの編集回数
 
|author = Erik Zachte
 
|accessdate = 2013-3-27
 
}}</ref>。これらのことから、日本語版は一時的な活動活発化が見られることはあるものの、全体的な活動低下傾向が長く続いていることが分かる。
 
 
また記事の増加が著しかった時期によく見られた1人の利用者が速いペースで次々に記事を編集していく行為は少しずつ鳴りを潜めていっていることが窺える。
 
 
=== 連携 ===
 
{{Srlink|Help:言語間リンク|言語間リンク}}が同規模の他言語版に比べると少ない<ref name="Zachte WikiLinks">[http://stats.wikimedia.org/JA/TablesDatabaseWikiLinks.htm 統計ページ(言語間リンク)]</ref>。2009年8月時点の日本語版の言語間リンクは320万リンクであり、内部リンク数上位10言語版のうち最下位である<ref name="Zachte WikiLinks"/>。2008年10月20日現在の記事の[[コアダンプ|ダンプデータ]]によると、言語間リンクを一つも有しない記事は約28万件あり、当時の総記事数約51万件<ref name="articles">内部リンク、すなわち、 <nowiki>[[…]]</nowiki> のマークアップを含む記事をカウントした。</ref>の半数以上に上る<ref><nowiki>[[xx:…]]</nowiki>、<nowiki>[[xxx:…]]</nowiki>(xは任意の小文字アルファベット)および <nowiki>[[</nowiki> で始まる bat-smg, be-x-old, cbk-zam, fiu-vro, map-bms, nds-nl, roa-rup, roa-tara, simple, tokipona, zh-classical, zh-min-nan, zh-yue を一切含まない記事の件数をカウントした。正確には282,924件。検索に用いた正規表現は、<nowiki>\[\[([a-z]{2,3}|bat-smg|be-x-old|cbk-zam|fiu-vro|map-bms|nds-nl|roa-rup|roa-tara|simple|tokipona|zh-classical|zh-min-nan|zh-yue):.*?\]\]</nowiki></ref>。これは日本特有の事象を挙げた記事が多いのも一つの要因である。また、日本語がラテン文字を使わない言語であるために、他言語版の執筆者が日本語版の記事名および記事本体をまったく読めず、他プロジェクトからの支援を受けにくいという事情もある。
 
 
=== 運営 ===
 
他言語版の上位10のうち7言語版は、その言語の主な使用国内に個別の協会([[ウィキメディア財団#国別協会]])を持つのに対し、日本語を主に使用する日本国内には国別協会がない。管理者陣は単なる[[ユーザーグループ]]で、多くが匿名である(→{{Srlink|Wikipedia:日本語版ユーザーグループ}})。
 
 
== 課題 ==
 
=== コンテンツ上の課題 ===
 
==== 信頼性 ====
 
収録されている項目数は一般の[[百科事典]]を上回るが、学者らにより執筆される書籍の百科事典と比較して内容の信頼性を疑問視する声もある<ref name="wiredvsion20050113"/>。ウィキペディアは間違いや問題のある記述がなされた場合、それを善意の利用者らが修正して精度を高めるという考えに則っているが、プロジェクトの匿名性と、何を記事化するかは個々人に一任される完全な[[自由主義]]、徹底された[[民主制]]のため、悪意ある書き手を防ぎ切れないという指摘がある<ref name="asahocom20080713">{{cite news|author =[[小杉泰]]|url =http://book.asahi.com/review/TKY200807150141.html|title =ウィキペディアで何が起こっているのか 山本まさき、古田雄介・著/情報化時代のプライバシー研究 青柳武彦・著|publisher =[[朝日新聞]]|date =2008-07-13|accessdate =2009-08-19|archiveurl =https://web.archive.org/web/20081212220156/http://book.asahi.com/review/TKY200807150141.html|archivedate =2008年12月12日|deadlinkdate =2018年3月}}</ref>。また、後述する{{Srlink|wikipedia:編集合戦|編集合戦}}による(記事の編集が禁止される)編集{{Srlink|Wikipedia:保護|保護}}の状態が長く続くことにより、誤りや問題のある記述が公開され続けることや<ref name="pcjapan200705">{{Cite journal
 
|1            = 和書
 
|author      = 池田信夫
 
|authorlink  = 池田信夫
 
|year        = 2007
 
|month        = 5
 
|title        = 池田信夫の一刀両断 第31回 ウィキペディアは信用できるか
 
|journal      = [[PC Japan]]
 
|publisher    = [[ソフトバンククリエイティブ]]
 
|url          = http://www003.upp.so-net.ne.jp/ikeda/pcjapan31.html
 
|archiveurl  = https://web.archive.org/web/20090226215523/http://www003.upp.so-net.ne.jp/ikeda/pcjapan31.html
 
|archivedate  = 2009年2月26日
 
|deadlinkdate = 2018年3月
 
}}</ref><ref name="syokun200706">[http://www003.upp.so-net.ne.jp/ikeda/shokun0706.pdf ウィキペディアは無法者の楽園か] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20090320221724/http://www003.upp.so-net.ne.jp/ikeda/shokun0706.pdf |date=2009年3月20日 }}(『[[諸君!]]』2007年6月号)</ref>、「百科事典」として当然書かれるべき事や外部の、それなりに権威あるウェブサイトもしくは新聞・通信社において報道されている事実などが項目により記述が認められないことについて運営の偏向性を指摘する声もある<ref>ある[[Wikipedia:管理者|管理者]]は「ウィキペディアと表現の自由は関係ない」とまで言い放ったという。[http://www.a902.net/topics/2007/0408.html Wikipedia日本語版の異常な偏向具合](悪徳商法?マニアックス)、『ウィキペディアで何が起こっているのか』第3章「ウィキペディアの管理は問題山積み」、84ページ</ref>。しかし[[査読]]制度を執らないウィキペディアは“内容の信頼性”は利用者の質に左右される。また、常に改変できるシステムを採用しているため記事が完成・確定されることは(永久に)ない。ウィキペディアのいくつかの言語版においては紙媒体や[[コンパクトディスク|CD]]、[[DVD]]としても発行されている<ref>[http://current.ndl.go.jp/node/9123 独の出版大手、Wikipediaのドイツ語版を紙媒体で発行]([http://current.ndl.go.jp/ カレントアウェアネス・ポータル])</ref>が、日本語版では同様の動きは起きていない。一部には[[土木学会]]による組織的な活動のような「主要項目を網羅・充実させよう」という動きがあるものの<ref>「ウィキペディアを用いた学術学会による社会貢献の新形態を提案します」『土木学会誌』95巻3号 2010年3月<br>大学の土木学科に在籍する学部4年生、院生、研究者達が合宿を行い、自分の決めた土木用語について文献で調査して執筆するプロジェクトであり、2007年のスタートである。プロジェクトでは「記事の執筆には高度な専門性は必ずしも必要なく、大学の学部教育程度の専門知識を有していれば十分」と判断しているという。</ref>、他の多くの学術団体でこのような動きはほとんどなく、一般ユーザーを含めてもまだ本格化していない。
 
 
2009年9月末の日本語版<ref>当時の項目数は約60万項目以上</ref>と『[[日本大百科全書]]』を対象とし、同辞典の「日本の政治問題」に収録された132項目とそれに相当するウィキペディアの記事で定量比較を行った研究がある。全体的な傾向としては一つの記事の平均記述量は日本大百科全書1083.3文字に対してウィキペディア3531.5文字<ref>共に解説文テキストの抽出を主眼とし、見出し、関連項目、外部リンク等は抽出対象外</ref>であるが、「日本の政治問題」に収録されている項目でウィキペディアには全く見つけることができないものが15項目あった。また、「日米安全保障条約」「教科書裁判」のような記事でも当時は日本大百科全書の方が長い記述文字数で、ユーザーの関心や適切な参考文献を得にくい記事は短くなる傾向にあると推定されている<ref>相良佳弘「『ウィキペディア』の特性」-日本の政治問題に関する項目の定量的分析-」『聖徳大学言語文化研究所論叢』17巻 2009年<br>なお、固有名詞の出現頻度を高い側から観察すると両者の傾向は類似し、『日本大百科全書』でほとんど出現しないがウィキペディアでは高頻度で出現するのは新聞や雑誌などメディアの固有名称であった。</ref>。
 
 
この他、出典([[参考文献]])を明記した記事が非常に少なく、2008年10月20日時点の記事のダンプデータによると、&lt;ref&gt;タグを用いたインライン形式の出典([[脚注]])を設けた記事は45,676件である。これは、当時の総記事数511,877件<ref name="articles"/>の8.9%である。脚注を補足説明に使っている記事もあるため、出典が明記されている記事はこの数よりも若干少ないと考えられる。参考文献が示されている記事もあるが、記事のどの部分がその文献からの情報によるものかはっきりしないことがある。ウィキペディアが掲げている三大方針のうちの「{{Srlink|Wikipedia:検証可能性|検証可能性}}」を満たしている可能性があり、かつ出典がどの部分に対応するのか明らかになっている記事は、データの解析の上では全体の1割程度である。
 
 
また、後述されているような宣伝や売名行為、荒らしなどによって信頼性への悪影響が懸念されている。
 
 
なお、インターネット市場調査会社のアイシェアが2007年11月に行った[[アンケート]]調査では、「ウィキペディアの内容を信用するか」という設問に対し「信用する」と回答した人は4割弱(39.4パーセント)に留まり、6割以上の人はあまり信用していないことが分かっている<ref>[http://japan.cnet.com/marketing/story/0,3800080523,20362788,00.htm Wikipediaを「信用している」は4割未満、「知っているが参加経験なし」は9割以上に][[CNET Japan]] 2007年12月7日</ref>。信用されない理由としては「内容が改変できる」が40パーセント、「中立的な立場ではないと思える」が38パーセント、「調査機関が関わっていない」が9.8パーセントとなっている。
 
 
==== 宣伝的・改竄的投稿 ====
 
ウィキペディアの知名度にあやかり、また[[検索エンジン最適化]]がされていることを悪用し、若手起業家([[青年実業家]])や中小企業、インディーズ系バンド・アーティストのメンバーや関係者、売り出し中のクリエイター、果ては[[カルト]]など世間から眉を顰められる類いの団体までが、「箔付け」すべく自身に都合の良い宣伝をする、逆に不都合な記述は削除する等いわゆる[[プロパガンダ]]目的での編集がされることがあるとの指摘がある<ref>[http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0708/29/news059.html 総務省や文科省もWikipediaを編集していた 「WikiScanner」日本語版で判明] ([http://www.itmedia.co.jp/news/ ITmedia News])</ref><ref>『宮内庁職員、職場からウィキペディア書き換え…厳重注意に』([http://www.yomiuri.co.jp/index.htm yomiuri online] 読売新聞、2007年9月10日)</ref><ref>宮内庁がウィキペディアの編集禁止措置(産経新聞、2007年9月10日)</ref><ref>『「ウィキペディア」の不利益情報、楽天証券社内から削除』(『[[朝日新聞]]』 2006年8月30日付)</ref><ref>{{Cite web
 
|author = 『朝日新聞』
 
|date = 2007-09-08
 
|url = http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200709070389.html
 
|title = ウィキペディア 省庁から修正次々 長妻議員の悪口も
 
|language = 日本語
 
|accessdate = 2008-3-22
 
}}</ref>。例えば、[[アスキー (企業)|アスキー]]創業者で元社長の[[西和彦]]は、自身に不都合な事実について、何が正しい情報であるのかを明示することなく、デタラメな記述をされたということで自ら大量削除を行った。これに対し、自身に不都合という理由だけで削除するのはウィキペディアの方針に反するものだとする一般利用者との間で論争となった。その後、西は、西に不都合な事実を「誰でも編集できる」編集方針は「嘘で嘘を塗り固めているようなもの」だとして、「[[2ちゃんねる]]もウィキペディアも同じようなもの」と主張した<ref>[http://www.j-cast.com/2006/11/30004064.html ウィキペディア編集方針 西和彦がモーレツ批判] [[ジェイ・キャスト]]2006年11月30日</ref>。
 
 
==== プライバシー侵害や名誉毀損の投稿 ====
 
[[芸能人]]や著名人などの記事において誹謗、中傷などの[[名誉毀損]]的記述がなされたり<ref name="pcjapan200705"/><ref name="syokun200706"/>、著名人に加え一般人についても、本人や家族、親類に関する非公開の[[個人情報]]、[[不祥事]]などを書き込んだりして他者の[[プライバシー]]を侵害する投稿がなされることがある<ref>{{cite news
 
|title        = あなたの個人情報、Wikiに書かれていませんか?
 
|url          = http://news.ohmynews.co.jp/news/20080218/21091
 
|newspaper    = オーマイニュース
 
|date        = 2008-02-26
 
|accessdate  = 2013-01-11
 
|archiveurl  = https://web.archive.org/web/20080920100716/http://news.ohmynews.co.jp/news/20080218/21091
 
|archivedate  = 2008年9月20日
 
|deadlinkdate = 2018年3月
 
}}</ref>。
 
 
こうした傾向は対外的なものであるとは限らず、ウィキペディアの利用者が他の利用者の実名やそれに類するものの記載をし、その結果、無期限の{{Srlink|Wikipedia:投稿ブロックの方針|投稿ブロック}}を受けるといった事態も発生している。
 
 
また、刑事事件の関係者の実名や[[プライバシー]]が書き込まれることも多い。英語版などでは問題とされていないが、日本語版では[[日本法]]との兼ね合いからほとんどの場合削除となる(''{{Srlink|Wikipedia:削除の方針#ケース B-2:プライバシー問題に関して}}を参照'')
 
 
存命中の人物や活動中の組織に対する誹謗中傷(であると当人・関係者から指摘される)に類する加筆に対し、項目本人・当該団体から訂正の申し入れが、該当ページの{{Srlink|Help:ノートページ|ノートページ}}や{{Srlink|Wikipedia:連絡先}}にたびたび寄せられるようにもなった。書き手は正義の告発を意図していると見られる場合もあるが、日本においてはたとえ事実であっても社会一般に広くに認識されていること以外は[[名誉毀損]]とされる虞があり[[訴訟]]リスクが高いため、対応に苦慮することになる。
 
以下は実例。
 
*[[産経新聞]][[論説委員]]の[[古森義久]]は自身の記事中の中傷的記述について、自身の[[ブログ]]で「(ウィキペディアが)私の日ごろの言論が嫌で嫌でたまらない[[左翼]]分子の誹謗のフォーラムとなっている」と批判した<ref>[http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/34171/ 個人誹謗の「フリー百科事典」 ] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20110616062810/http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/34171/ |date=2011年6月16日 }}([http://komoriy.iza.ne.jp/blog/ ステージ風発] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20090111024313/http://komoriy.iza.ne.jp/blog |date=2009年1月11日 }} 2006年9月5日 06:49)</ref>。
 
*[[脳科学]]者の[[茂木健一郎]]は自著でウィキペディアを「内容が充実した便利なサイト」として紹介している<ref>茂木健一郎 『脳を活かす勉強法 - 奇跡の「強化学習」』([[PHP研究所]] 2007年12月) P92-p94、ISBN 978-4569696799</ref>が、自身や[[養老孟司]]の記事についての問題点をそれぞれのノートページで訴え[http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E8%8C%82%E6%9C%A8%E5%81%A5%E4%B8%80%E9%83%8E&oldid=9984871][http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E9%A4%8A%E8%80%81%E5%AD%9F%E5%8F%B8&diff=9985016&oldid=7362138]、そのことを自身のブログでも紹介した<ref>[http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2007/01/post_74c0.html 火山爆発 2007年1月12日]([http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/ クオリア日記])</ref><ref>[http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2007/01/post_1d34.html 五十嵐茂さんからのコメント 2007年1月12日](クオリア日記)</ref>。
 
*[[クライン孝子]]は、自分に関する誤記を訂正しようとして作成したアカウントが「本人の宣伝となる」という理由で無期限ブロックを受け(ブロック理由は本人証明の記述が「パスワードの公開」とされたため。削除提案を参照)、ウィキペディアを「匿名記述が可能である故の限界か」「八卦見の感覚で見なければならないようだ」「提訴しようか」とブログで批判している<ref>[http://www2.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=119209&log=200905 クライン孝子の日記 5月分] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20111102064833/http://www2.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=119209&log=200905 |date=2011年11月2日 }}より「フリー百科事典『ウィキペディア』への疑問と抗議」。</ref>。
 
*[[小谷野敦]]もやはり誤記訂正を「宣伝」「荒らし」「本人である保証がない」とされ、アカウントが1か月ブロックされる。
 
*物理学者の[[大槻義彦]]は、自分の項目に“[[スカラー電磁波]]は静電気のことと答えた”とオカルティストに書き込まれた(実際には「そんなものは物理学のどこを探してもありはしない、強いて言えば静電気の類だろう」と答えている)。このため、「放置できない。不必要な項目を全面削除して凍結するか項目すべてを削除するかを検討中」とコメントしていた<ref>本人ブログより[http://ohtsuki-yoshihiko.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-d40a.html ウィキペディアのでたらめ] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20090322154317/http://ohtsuki-yoshihiko.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-d40a.html |date=2009年3月22日 }}</ref>。
 
*[[イオンド大学]]からは“関係者”を称する人物により法的措置を予告しての抗議申し入れがなされ、これにより同団体に不都合な部分が削除される事態になった(ちなみに同団体が[[ディプロマミル]]であることは周知の事実)。
 
 
=== 運営上の課題 ===
 
==== 編集合戦・記事の保護 ====
 
複数の利用者が、特定の記述を巡り、記述する内容や記述すること自体の可否を争い、お互いに自身を是、相手を否とする内容に何度も差し戻す{{Srlink|Wikipedia:編集合戦|編集合戦}}と呼ばれる事態がしばしば起こる。こうした編集合戦を止め、話し合いによる解決のために{{Srlink|Wikipedia:管理者|管理者}}により記事の編集ができない{{Srlink|Wikipedia:保護|保護}}という処置が取られるが、合意になかなか至れず、記事が長期に渡り編集できない状態になってしまうことがある<ref>お互いに出口の見えない論争になるため、終いには馬鹿馬鹿しくなって放置され、記事も保護されたままとなる。</ref>。また、ニュースなどになった事件や事故について、速報的な記述をする利用者とそれに反対する利用者の意見が対立したり<ref name="asahicom20061020">[http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200610200259.html どこまで載せる?ウィキペディア 進行中の項目巡り議論]([[朝日新聞]]2006年10月20日)</ref>、百科事典に載せるに値する特筆性(著名性)があるか否かについて意見が分かれ、削除すべきがどうかの論議になることもある。他の言語に比べて、保護、{{Srlink|Wikipedia:半保護の方針|半保護}}(アカウントがない、若しくは[[ログイン]]していない匿名ユーザーの制限)とされている項目の比率が高い。
 
 
また、分野によっては非常に細かな内容まで記されている分野もあるが、逆にまったく未執筆の分野も多い。また、編集合戦にまで至らないものの、書籍としての[[百科事典]]の概念にどれだけ忠実であるべきとする意見と新しい[[ウェブサイト]]上の百科事典の可能性を追求するべきとする意見が対立を起こすこともある<ref name="asahicom20061020"/>。
 
 
==== 荒らし ====
 
記事の内容にまったく関係ない投稿や、記述をするなどのいたずらなどの[[荒らし]]行為も増えている。これに対してはIPユーザーによるものが多いため、ログインした利用者のみが編集できる「{{Srlink|Wikipedia:半保護の方針|半保護}}」という処置が取られることが多い。具体例としては、あるロックミュージシャンの身長が156センチメートルだという根拠のない内容を記入する荒らし行為が広範囲に発生し、半保護などの処置が取られた<ref>[https://web.archive.org/web/20060411093653/http://www.ultracyzo.com/newssource/0603/02.html ネット上で壮絶バトル勃発!! キムタク&Hydeの身長は?] [[サイゾー]]2006年3月号(ウェブアーカイブ)</ref><ref>[http://internet.watch.impress.co.jp/static/yajiuma/2006/01/index.htm#yaji060113 【2006/01/13】 ■ 木村拓哉さんやhydeさんの身長を巡ってウィキペディア編集合戦]</ref><ref>[[Wikipedia:進行中の荒らし行為/長期/身長記入問題]]</ref>。
 
 
==== 犯罪予告 ====
 
これまで爆破予告や殺傷予告など、[[犯罪予告]]に類する書き込みがなされることもあった。このような書き込みがなされた場合も、削除の手続きが行われる。なお、2009年6月と同年8月には逮捕者も出ている<ref>[http://www.geocities.jp/mylibraries_2ch/ja_wikipedia-yokoku.html フリー百科事典Wikipediaにおける事件簿]</ref>。
 
 
==== プロジェクトの運営形態 ====
 
作業内容の負担の大きさから管理者数が不足している<ref name="asahi20100302"/>。プロジェクト内の犯罪予告案件を通報していた[[wikipedia:管理者|管理者]]の「[[利用者:海獺|海獺]]」は、「2010年時点で最低100人は管理者が必要」と指摘している<ref name="asahi20100302"/>(2013年5月現在56人)。なお、2009年末に管理者を増やすキャンペーンなどが行われたものの<ref name="asahi20100302"/>、結局2014年3月現在管理者数約50人程度にとどまっている。ただし、[[Wikipedia:削除者|削除者]]のような管理者の権限の一部を持った者が、管理の補佐をするようになった。
 
 
== 歴史 ==
 
[[File:Japanese Wikipedia Main page history.png|thumb|alt=ウィキペディア日本語版のメインページの変遷]]
 
* 2001年{{0}}1月15日 -(ウィキペディア英語版発足)
 
* 2001年{{0}}5月20日 - ウィキペディア日本語版発足(日本語の文字が使用できなかったため当初はローマ字表記)
 
* 2002年{{0}}9月{{0}}1日 - 日本語版で日本語の文字(かな・漢字等)が利用可能に
 
* 2003年{{0}}9月{{0}}9日 - 1万項目達成
 
* 2004年{{0}}5月26日 - 5万項目達成
 
* 2004年{{0}}9月{{0}}1日 - 第1回[[メインページ]]デザイン変更
 
* 2004年{{0}}9月{{0}}9日 - 「第2回Webクリエーションアウォード 特別賞」を受賞。
 
* 2005年{{0}}2月11日 - 10万項目達成
 
* 2006年{{0}}4月{{0}}9日 - 20万項目達成
 
* 2006年12月{{0}}6日 - 「[[Web of the Year]] 2006」総合大賞およびウェブ情報源部門1位を受賞。
 
* 2006年12月15日 - 30万項目達成
 
* 2007年{{0}}3月24日 - 第2回[[メインページ]]デザイン変更
 
* 2007年{{0}}8月10日 - 40万項目達成
 
* 2007年12月21日 - 「[[Web of the Year]] 2007」総合大賞およびウェブ情報源部門1位を受賞。
 
* 2008年{{0}}6月25日 - 50万項目達成
 
* 2009年{{0}}6月15日 - ライセンス変更(従来の[[GFDL]]に加えて[[CC-BY-SA]]でも利用可能に)
 
* 2009年{{0}}7月{{0}}8日 - 60万項目達成
 
* 2010年{{0}}6月10日 - ロゴおよびインターフェイスの変更
 
* 2010年{{0}}8月31日 - 70万項目達成{{small|(日本時間9月1日)}}
 
* 2012年{{0}}4月{{0}}3日 - 80万項目達成
 
* 2013年{{0}}2月{{0}}1日 - 第3回[[メインページ]]デザイン変更
 
* 2014年{{0}}3月14日 - 90万項目達成{{small|(日本時間3月15日)}}
 
* 2016年{{0}}1月19日 - 100万項目達成
 
* 2018年{{0}}3月22日 - 110万項目達成
 
 
=== 発足当時 ===
 
発足当時の日本語版<ref>[https://web.archive.org/web/20010405154539/http://nihongo.wikipedia.com/ Nihongo No Wikipedia: HomePage(2001年4月のWebarchive)]</ref>。
 
 
[[英語版ウィキペディア|英語版]]をベースに始まったウィキペディアが[[多言語]]化に乗り出したのは[[2001年]]の5月頃である<ref>[[:en:Wikipedia:Announcements May 2001|Wikipedia:Announcements May 2001]](英語)、[[2005年]][[5月20日]]に Wikipedia-l に流れた[[電子メール|メール]] [http://lists.wikimedia.org/pipermail/wikipedia-l/2005-May/021964.html Wikipedia-l happy birthday] による。</ref>。[[2001年]]5月20日に日本語版を含む13の非英語版サイトが発足した<ref><!--リンク切れhttp://en.wikipedia.org/w/index.php?title=International_Wikipedia&action=history ]-->[https://web.archive.org/web/20010613111530/http://www.wikipedia.com/wiki/International_Wikipedia International Wikipedia]</ref>。
 
 
発足当初の[[Uniform Resource Locator|URL]]には <nowiki>http://ja.wikipedia.com/</nowiki> と <nowiki>http://nihongo.wikipedia.com/</nowiki> が使われていた形跡がある。
 
 
当初の[[メインページ]]は irrashaimase! で始まる全文[[ローマ字]]だった。残されている履歴情報から、3月から4月にかけてすでに数度の編集を経ていることが分かる<ref>[https://web.archive.org/web/20010414201012/http://nihongo.wikipedia.com/wiki.cgi?action=history&id=HomePage Nihongo no Wikipedia:Home Page]ウェブアーカイヴ</ref>。このため、英語版内部などで開発された可能性も考えられる。
 
 
最初の項目は 「日本語の[[音韻論|音素論]]」という意味だと思われるNihongo No Funimekusu と題されたもので、日本語の[[音素]](英: Phonemics → Funimekusu)が[[仮名 (文字)|仮名]]と必ずしも一対一対応の関係にないことを示した記事だが、これも[[ローマ字]]で書かれていた。投稿者は RoseParks(英語版の初期メンバーの一人)で、投稿時期は4月初め頃の間、つまり[[ウェブサイト]]がテスト段階にあった頃と思われる<ref>この項目の[[ミラーサイト]]が[https://web.archive.org/web/20011021020227/http://nihongo.wikipedia.com/wiki.cgi?Nihongo_No_Funimekusu]に保存されている。履歴情報は、[https://web.archive.org/web/20010610150453/http://nihongo.wikipedia.com/wiki.cgi?action=history&id=Nihongo_No_Funimekusu]で見ることができる。</ref>。
 
 
12月下旬時点での総ページ数は、2ページに留まった。
 
 
その当時使われていた[[ウィキ]][[ソフトウェア|ソフト]]は日本語に対応していなかったので、記事は[[ローマ字]]表記で書かれ、項目も23個ほどであった<ref name="nikkeipc20070313">[http://pc.nikkeibp.co.jp/article/Interview/20070313/264635/?ST=pc_news 【インタビュー】有志で取り組む「史上最大の百科事典」――Wikipedia日本語版の舞台裏 Wikipedia日本語版 管理者・ビューロクラット 今泉 誠氏]([http://pc.nikkeibp.co.jp/pc/index.html 日経パソコン online] 2007年3月14日閲覧)</ref>。
 
 
=== 日本語化 ===
 
[[2002年]][[9月1日]]に従来のウィキソフトが改良され、日本語に対応できるようになる<ref name="nikkeipc20070313"/>。日本人の利用者が徐々に集まり、記事が充実していく。この時期の[[ファイル (コンピュータ)|ファイル]]は現在の日本語版の履歴からも遡れる。[[国の一覧]]<ref>[{{Fullurl:国の一覧|action=history&go=first}} 「国の一覧」編集履歴]</ref>や[[エスペラント]]<ref>[{{fullurl:エスペラント|action=history&go=first}} 「エスペラント」編集履歴]</ref>、各々の最古版などから見て取れるように、日本語の[[母語話者]]ではない利用者の投稿による項目も多かった(履歴で辿れる最古のメインページでは「ウィキ'''ペ'''ディア」が「ウィキ'''ピ'''ディア」になっているなど)。主な分野は[[日本の文化|日本文化]]・[[言語]]・[[世界]][[地理]]・[[プログラミング (コンピュータ)|プログラミング]]関連。
 
 
同月の内に[[インタフェース (情報技術)# ソフトウェアインタフェース|インターフェース]]の日本語訳が始まり、年末の時点で{{Srlink|Help:ページの編集|Wikipedia:編集の仕方}}(正確にはその前身に当たるWikipedia:How does one edit a page)や[[GNU Free Documentation License|GNU FDL]]が訳された。
 
 
12月中旬の時点で登録利用者数は10人程度、総項目数は10件程度であった。
 
 
=== 参加者の急激な増加 ===
 
[[2003年]]初頭、[[インターネット]]の大きな日本語サイトで相次いでウィキペディアが取り上げられた。これにより数次の急激な利用者増が起こり、ウィキペディア日本語版は、他の言語のウィキペディアにもなかった急激な成長を見せることとなる。
 
 
==== Wired News 日本語版での掲載 ====
 
[[2003年]][[1月31日]]、[[WIRED (雑誌)|Wired News 日本語版]]でウィキペディア(英語版)についての記事が掲載された[https://web.archive.org/web/20051124041108/http://hotwired.goo.ne.jp/news/culture/story/20030131208.html]。これはウィキペディアが日本の[[マスメディア]]で紹介された最初の例であると思われる。
 
 
これを境に多数の参加者を迎え、{{Srlink|Help:名前空間|Wikipedia:名前空間}}・{{Srlink|Wikipedia:ウィキペディアへようこそ}}・{{Srlink|Wikipedia:基本方針とガイドライン}}などプロジェクト関連の文書が本格的に[[翻訳]]または作成された。
 
 
[[漫画家]]・[[都道府県]]など、項目数が増えた。[[証券]]取引などを巡る本格的な項目も出現した。
 
 
==== スラッシュドット現象 ====
 
[[2003年]][[2月12日]]にウィキペディア日本語版は{{Srlink|Wikipedia:発表/1000ページ達成|1,000ページを達成}}した。英語版が奇しくもちょうど2年前に1,000ページを達成している。
 
 
1000ページ達成を受け、[[コンピュータ]]関係の有名[[電子掲示板]]である[[スラッシュドット]]ジャパンにウィキペディア日本語版が紹介された<ref>[http://slashdot.jp/article.pl?sid=03/02/12/1118206 WikiPedia日本語版 1000ページ突破]</ref>。これにより、この数日後参加者は倍増することとなり、日本においてもウィキペディアにおいて[[スラッシュドット効果|スラッシュドット現象]]が発生した。
 
 
この結果、様々な分野の項目が増加した。主なものとして、[[物理学]]・[[生物学]]・[[情報工学]]・[[文学]]・[[音楽]]・[[ゲームソフト]]・[[漫画]]・[[タレント]]関連などが挙げられる。
 
 
また、執筆者にはいわゆる[[サブカルチャー]](殊に[[アニメ]]や[[声優]]・[[鉄道]]・[[コンピュータゲーム]]及び[[ゲームソフト]])関連分野での[[トリヴィア]]を誇る者、即ち[[おたく]]が多く、半ば[[まとめサイト]]やデータブック(人物については[[紳士録]]、名鑑、言動録)と化した項目があるのも日本語版の大きな特徴であるが、それは、この「スラッシュドット現象」から始まったともいえる。
 
{{See also|Wikipedia:なぜウィキペディアは素晴らしくないのか#関心の偏在}}
 
 
=== さらなる成長 ===
 
ウィキペディアは数度の[[サーバ]]故障によるサイトダウンを経験している。[[2003年]][[4月5日]]18時08分から[[4月6日]]17時37分(いずれも日本時間)の間、ウィキペディアのサーバが故障し、書き込みができなくなった。サーバダウンは後に、2003年12月・[[2004年]]6月、および[[2005年]]2月にも起こっている。
 
 
しかし大勢においては、このような事故はウィキペディアの拡大には影響を及ぼしていない。10000項目を超える頃から、ウィキペディア日本語版はほぼ同じペースの成長率で項目を増大させていき、数ある小さなプロジェクトの一つから、ウィキペディアプロジェクト有数の規模を誇る代表的なプロジェクトへと発展していった。
 
 
==== 大規模DBクラッシュ ====
 
2003年12月、ウィキペディアを提供していた3台のサーバが故障した。このため数日全言語および各種姉妹プロジェクトを含めて停止していた。利用者の一部は[[寄付]]を行ってサーバ購入費用を提供した。
 
 
2004年[[6月7日]]未明、ウィキペディアなどの[[データベース]]サーバーが故障し、[[6月8日|翌日]]12時前まで全言語および各種姉妹プロジェクトを含めて停止していた。このクラッシュの直前のごく一部の編集だけが失われた状態で復活している。
 
 
2005年[[2月22日]]の日本時間7時15分、データセンターの内部で停電が起こり、全言語版が停止した。当日中に読み出し専用状態に回復したものの、書き込みが可能となったのは翌23日の日本時間7時25分頃だった。
 
 
==== 成長の軌跡 ====
 
[[File:Japanese Wikipedia article statistics 2001-2016.svg|thumb|280px|記事数と毎月の増加数の推移。[[Wikipedia:日本語版の統計]]による。]]
 
[[2003年]][[3月23日]]にはウィキペディア日本語版の項目数は{{Srlink|Wikipedia:発表/5000ページ達成|5,000項目を達成}}し、さらに[[6月15日]]には{{Srlink|Wikipedia:発表/10000ページ達成|10,000項目を達成}}した。1,000項目から10,000項目までの増加に要した日数は4か月と3日間であり、これは英語版よりも早いペースであった。2003年の間に項目数は72項目から24,242項目へと約337倍に増加した。2003年12月にはウィキペディア日本語版の項目数が[[フランス語版ウィキペディア]]を抜き、[[英語版ウィキペディア|英語版]]、[[ドイツ語版ウィキペディア|ドイツ語版]]に次いで全言語版中3位になった。
 
 
[[2004年]][[5月26日]]2時21分頃には項目数が{{Srlink|Wikipedia:発表/50000項目達成|50,000を達成}}した。
 
 
また[[9月29日]]11時3分(日本時間)頃には項目数が{{Srlink|Wikipedia:発表/75000項目達成|75,000を達成}}した。
 
 
ある時期から、[[Yahoo! JAPAN|Yahoo!]]ニュースなどからの[[ハイパーリンク|リンク]]による利用者が急増し、日本語版の特定の項目が多く参照される現象がしばしば観測されるようになる。これは英語を使用する開発者などからは、yahoo spike(ヤフーによる急激な利用者増加)などともいわれた。
 
 
2004年末、ウィキペディア日本語版の登録者は、1万5千弱に達した。利用者は前年比600%を超えるなどと報道された。2004年中に項目数は24,242項目から92,181項目へと約3.80倍に増加した。
 
 
[[2005年]][[2月11日]]17時52分(日本時間)頃には項目数が{{Srlink|Wikipedia:発表/10万項目達成|10万を達成}}し、同年10月24日には項目数が{{Srlink|Wikipedia:発表/15万項目達成|15万を達成}}した。2005年中に項目数は92,181項目から168,874項目へと約83.2%増加した。しかし2005年7月には項目数がフランス語版に再び抜かれ4位になった。
 
 
[[2006年]][[4月9日]]には項目数が{{Srlink|Wikipedia:発表/20万項目達成|20万を達成}}、[[8月28日]]には{{Srlink|Wikipedia:発表/25万項目達成|25万を達成}}し、[[12月15日]]には{{Srlink|Wikipedia:発表/30万項目達成|30万を達成}}した。2006年中に項目数は168,874項目から307,134項目へと約81.9%増加した。2006年1月には項目数が[[ポーランド語版ウィキペディア|ポーランド語版]]に抜かれ5位になった。
 
 
[[2007年]][[8月10日]]には項目数は{{Srlink|Wikipedia:発表/40万項目達成|40万を達成}}した。2007年中に記事数は307,134項目から452,023項目へと約47.2%増加した。
 
 
2006年に入ってから1か月あたりの増加のペースが1万項目を超える月が出始め、2006年10月頃には約1万7千項目と過去最多を記録する。その前後より激しく増減しながら、2008年始めまでは1か月に1万項目を超えていたが、これがピークとなり、[[2008年]]4月には一時約6千項目に落ち込む。
 
 
[[2008年]][[6月25日]]には項目数が{{Srlink|Wikipedia:発表/50万項目達成|50万を達成}}した。
 
 
一時急減した増加のペースはやや回復し、2008年末には8千項目台まで持ち直す。しかし、その後はゆっくり減少する傾向となり、[[2010年]]末には再び約6千項目となる。
 
 
[[2009年]][[7月8日]]には項目数が{{Srlink|Wikipedia:発表/60万項目達成|60万を達成}}した。12月には項目数が[[イタリア語版ウィキペディア|イタリア語版]]に抜かれ6位になった。
 
 
2010年[[8月31日]](日本時間[[9月1日]])には項目数が{{Srlink|Wikipedia:発表/70万項目達成|70万を達成}}した。
 
 
[[2011年]]3月には項目数が[[スペイン語版ウィキペディア|スペイン語版]]に抜かれ7位に、9月には項目数が[[ロシア語版ウィキペディア|ロシア語版]]に抜かれ8位に、10月には項目数が[[オランダ語版ウィキペディア|オランダ語版]]に抜かれ9位になった。
 
 
1か月あたりの増加のペースも、2011年4月に5千項目を割り、[[2012年]]まで4千項目から5千項目程度で推移する。
 
 
2012年3月から自身の投稿履歴を確認するページにおいて、変更字数が緑色で表示される機能が加わった。
 
 
2012年[[4月3日]]には項目数が{{Srlink|Wikipedia:発表/80万項目達成|80万を達成}}した。
 
 
2012年[[4月26日]]より過去の版との比較機能において、凡例がリニューアルされた。この頃、項目数が[[ポーランド語版ウィキペディア|ポーランド語版]]、[[ワライ語版ウィキペディア|ワライ語版]]、セブアノ語版に抜かれ12位となった。
 
 
[[2013年]]以降、少なくとも[[2015年]]末までは、増加のペースは1か月あたり4千項目前後で安定して推移している。
 
 
2013年[[9月]]、項目数が[[ベトナム語版ウィキペディア|ベトナム語版]]に抜かれ13位になった。[[11月]]、再びベトナム語版を抜き、12位になった。
 
 
[[2014年]][[3月14日]]には項目数が{{Srlink|Wikipedia:発表/90万項目達成|90万を達成}}した。
 
 
[[2016年]][[1月19日]]には項目数が{{Srlink|Wikipedia:発表/100万項目達成|100万を達成}}した。
 
 
[[2018年]][[3月22日]]には項目数が{{Srlink|Wikipedia:発表/110万項目達成|110万を達成}}した。
 
==== 外部からの反応・評価 ====
 
===== 2003年 - 2004年 =====
 
2004年9月には、日本広告主協会(現:「[[日本アドバタイザーズ協会]]」)からWeb クリエーション・アウォード特別賞を贈呈された。これは本来個人を対象とする賞であったため、日本語版の初期に活動していたフランス人利用者、ギヨーム・ブランシャー(利用者名[[User:Aoineko|Aoineko]])が代表で賞を受け取った。
 
 
===== 2005年 - 2006年 =====
 
日本語版が{{Srlink|Wikipedia:発表/15万項目達成|15万項目のマイルストーン}}を超える前後から、「[[Web 2.0]]」の一翼としてウィキペディアが取材・紹介されることが増えた。特に、[[goo]]が「[[goo辞書]]」の一環に「[[goo Wikipedia記事検索]]」を組み込んだ頃から「Web 2.0」という文脈以外の「検索手段」としても認知が広がった。2006年8月に[[朝日新聞]]1-2面の特集コラムで詳しく紹介されたことも、ウィキペディアの名前を一般に広めることとなった。また、ウィキペディアを[[検索エンジン最適化|SEO]]に利用することを推奨するような部分がある記事が[[インプレス]]の[[Impress Watch]]に掲載されたが、その後「不適切な記述」として推奨するような部分が削除された<ref>[http://internet.watch.impress.co.jp/static/column/seolesson/2006/11/22/ ページランクの高いサイトとリンクする方法 (2006年11月22日 Impress Watch)]</ref><ref>仕様上、実際にはウィキペディアからリンクしてもページランクは上がらない。</ref>。
 
 
利用者投票によってベストサイトを決めるイベント「[[Web of the Year]] 2005」では、ノミネートされた検索情報部門の上位18位にも入らず、話題賞でも12位であったが、翌年の「Web of the Year 2006」において、「年間総合大賞」、「ウェブ情報源部門賞」(1位)をダブル受賞し、内外の関係者を驚かせた。
 
 
===== 2007年 - 2008年 =====
 
2007年になるとウェブ上の情報源として一層広く認知され、「[[Web of the Year]] 2007」で前年に続き「年間総合大賞」、「知識・情報源部門賞」(1位)を同時受賞したときにも大きな驚きは引き起こさなかった。
 
 
こうしてウィキペディアも社会に市民権を得てきており、また[[インターネット]]社会の特質も一般に認知されるようになった。所詮[[ウェブページ]]は信憑性のないただの雑文だという捉え方と、自由表現と[[集団的知性|集合知]]の中に真実があるという意見とが揺れ動いている。
 
 
2007年5月20日の[[読売新聞]]のコラム「方位計」(4頁、政治面)は憲法学者石川健治の紹介として[[石川健治]]の項目にある「現代憲法学の鬼才、20年に1人の逸材」を研究者間の評価として引用した。
 
 
2008年7月13日には[[朝日新聞]]の[[書評]]欄で[[小杉泰]]・京都大学教授が、『情報化社会のプライバシー研究』(青柳武彦著、NTT出版)と併せて、日本で初めてウィキペディアを正面から論じたとされる『ウィキペディアで何が起こっているのか』(山本まさき・吉田雄介著、[[九天社]]、のち[[オーム社]])を取り上げ、同書の「ウィキペディアのシステムは悪意の投稿を防げないため信頼性は危うい」旨の見解を紹介した。
 
 
2008年11月9日、[[東金市]]の項目に未解決事件の犯行の告白と犯行予告が書き込まれる<ref>殺人予告:ウィキペディアに…集団登下校 新潟 - 毎日jp、殺人予告:ネット事典に「小学生を殺す」 新潟で集団登下校 - 毎日jp</ref>。
 
 
2008年11月19日、[[毎日新聞社]]が当日2時30分更新の[[毎日jp]]および当日の[[毎日新聞]]朝刊にて、前日に起きた元[[厚生省|厚生]][[事務次官]][[吉原健二]]の妻への傷害事件([[元厚生事務次官宅連続襲撃事件]])の発生6時間前に、ウィキペディアの[[社会保険庁長官]]という項目に犯行を示唆する書き込みがあったと報道する<ref>{{Cite news
 
|title = 元次官宅襲撃:事件6時間前にネット書き込み…犯行示唆
 
|url = http://mainichi.jp/select/jiken/news/20081119k0000m040155000c.html
 
|date = 2008-11-19
 
|newspaper = 毎日jp
 
|publisher = 毎日新聞社
 
|accessdate = 2013-03-12
 
|archiveurl = http://megalodon.jp/2008-1119-0323-31/mainichi.jp/select/jiken/news/20081119k0000m040155000c.html
 
|archivedate = 2008-11-19
 
}}</ref>。この報道は各新聞社の当日の朝刊を紹介する各テレビ局の朝のテレビ番組<ref>([[日本テレビ放送網|日本テレビ]] 『[[ズームイン!!SUPER]]』 新聞のミカタ、[[フジテレビジョン|フジテレビ]] 『[[めざましテレビ]]』、[[テレビ朝日]] 『[[やじうまプラス]]』、[[中京テレビ放送|中京テレビ]] 『[[おめざめワイド]]』、[[東海テレビ放送|東海テレビ]] 『[[ぴーかんテレビ]]』、[[朝日放送]]、[[ABCテレビ]]、[[名古屋テレビ放送]]等。[[TBSテレビ|TBS]]の『[[みのもんたの朝ズバッ!]]』では問題記事を隠して別記事を紹介)</ref>でも取り上げられた。しかしこの報道は毎日新聞の記者が協定世界時で記された編集履歴を日本時間だと誤解したことが故の誤報であった<ref>件の編集は、[[下村健]]元社会保険庁長官または実際には無傷だったが恐らく犯人の暗殺対象であったと思われる吉原健二が暗殺されたとする内容。この編集は実際には事件報道後の2008年11月18日 (火) 21:27から21:32(UTCでは同日12:27から12:32)の間に数回行われたが、ウィキペディアはタイムゾーンの表示変更がされない場合は編集履歴を日本時間(JST)より9時間遅い[[協定世界時]] (UTC) で表す。毎日新聞はこれが事件後の投稿だと気付かぬままこの情報を警察へ伝える(「書き込みの内容は、参考情報として、捜査当局にも伝えていたという。」[https://web.archive.org/web/20081218095423/http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/081119/crm0811191229031-n1.htm 【元厚生次官ら連続殺傷】毎日報道「ネットに犯行示唆」は誤報 (1/2ページ) - MSN産経ニュース](2008年12月18日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]))一方で「アクセスの記録などから書き込みがなされたパソコンが特定できるとみられ、捜査本部は慎重に調べている。」と報じていた。毎日jpの誤報記事は当日4時前に削除され、報道から9時間後の2008年11月19日11時35分の毎日jp、11月19日の夕刊、11月20日の朝刊にて「タイムゾーンの仕様を知らないが故の誤報」という旨の訂正記事が発表された([https://web.archive.org/web/20081209095659/http://www.mainichi.jp/select/jiken/news/20081119k0000e040034000c.html おわび:「ネットに犯行示唆?」の記事について - 毎日jp(毎日新聞)](2008年12月9日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])[https://web.archive.org/web/20081209095250/http://mainichi.jp/select/jiken/20081119/etc/owabi.html おわび:「ネットに犯行示唆?」の見出しと記事=11月19日付朝刊 - 毎日jp(毎日新聞)](2008年12月9日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]))。しかしその訂正記事ですら当該編集を「問題の書き込み」、編集した利用者を「犯行示唆と受け取れる書き込みをした人物」と悪し様に報じ続けており、利用者名を大きく紙面に載せたにも関わらず謝罪は読者に対する誤報についてのみで、無辜の個人に冤罪をかけたことに対する謝罪は無かった。利用者は後に毎日新聞に抗議をしたが、毎日新聞は口頭で謝罪したのみで紙面での謝罪、利用者への補償は拒否した。また一連の記事はどれも記名記事ではなかった。
 
*[http://megalodon.jp/2008-1119-1307-49/www.asahi.com/national/update/1119/TKY200811190165.html asahi.com(朝日新聞社):「ネットに犯行予告?」記事で毎日新聞がおわび - 社会](2008年11月19日時点の[[ウェブ魚拓]])
 
*[http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20081126/115307/ 元厚生事務次官殺傷事件の報道に、 現場的「おい!大丈夫か」 | 時評コラム | nikkei BPnet 〈日経BPネット〉] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20111202121923/http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20081126/115307/ |date=2011年12月2日 }}</ref>。
 
 
===== 2009年 - 2010年 =====
 
2009年4月26日12時34分、[[大友皇子即位説]]の項目に、[[草なぎ剛|草彅剛]]に対する捜査への抗議として[[皇太子徳仁親王]]、[[Yahoo! JAPAN]]、赤坂警察署の警察官に対する犯行予告が書き込まれる<ref>[http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090427/crm0904271235006-n1.htm 草なぎ逮捕に逆上? ネット上で赤坂署に報復予告] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20090430032035/http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090427/crm0904271235006-n1.htm |date=2009年4月30日 }} [[産経新聞]], [http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4118434.html 草なぎさん宅捜索で「赤坂署に手榴弾」]{{リンク切れ|date=2018年3月 |bot=InternetArchiveBot }}TBS動画チャンネル</ref>。
 
 
===== 2011年 - 2012年 =====
 
2012年4月、前年に痴漢容疑で逮捕され、のちに不起訴となったフリーライターが誤認逮捕の実名報道で人権を侵害されたとして、[[日弁連]]などに人権侵害救済申立書を提出した。警告を求める対象は報道各社の他、ウィキペディア日本語版の本人の項目にもその内容が加筆されていた事から「ウィキペディアの運営会社」も含まれている<ref>[http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20120424-939599.html 実名報道で人権侵害…不起訴男性が申立書 - 社会ニュース : nikkansports.com] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20120428003710/http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20120424-939599.html |date=2012年4月28日 }}</ref>。
 
 
===== 2013年 - 2014年 =====
 
「[[ウィキペディアタウン]]」という取り組みが[[2013年]]の2月に[[横浜]]で、7月に[[二子玉川]]で始まった。これは日本語版ウィキペディア編集者の有志と、地元の保存会など地域ボランティアたちが現地でミーティングを行い、文化財や観光名所などの地域情報を共同してウィキペディアに掲載し、そうしたウィキペディア上での情報提供を通じて地域の活性化に繋げようという試みである<ref>{{Cite web
 
|date        = 2013-06-24
 
|url          = http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130624/k10015530831000.html
 
|title        = ウィキペディアタウンを作ろう
 
|work        = NHKニュース
 
|publisher    = NHK
 
|archiveurl  = https://web.archive.org/web/20130627220851/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130624/k10015530831000.html
 
|archivedate  = 2013年6月27日
 
|accessdate  = 2013-07-09
 
|deadlinkdate = 2018年3月
 
}}</ref>。
 
 
かつて精力的に活動していた東京ウィキメディアン会 ([http://tokyo.wikimedia.jp])、関西ウィキメディアユーザ会 ([http://meta.wikimedia.org/wiki/%E9%96%A2%E8%A5%BF%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%B6%E4%BC%9A])、北海道ウィキメディアングループ ([http://do.wikimedia.jp/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8]{{リンク切れ|date=2018年3月 |bot=InternetArchiveBot }}) などの複数の有志ユーザ会は、その活動を大幅に縮小しており、現時点ではその実態がまったく確認できていない。ウィキマニア台北2007の頃に精力的にインターネット上で情報を発信していた実名ユーザも、2013年11月現在ではウィキペディア日本語版について、何らかの発言を行った痕跡は見られない。
 
 
===== 2015年 - 2016年 =====
 
ウィキペディア日本語版の記事数が2016年1月19日に100万項目を越え、[[産経新聞]]、[[東京新聞]]などに報じられた<ref name="sankei20160430">{{Cite news
 
|title = ウィキペディア「知」集めて百万本突破 信頼性見極める取り組みも
 
|url = http://www.sankei.com/economy/news/160430/ecn1604300008-n1.html
 
|publisher = [[産経新聞]]
 
|date = 2016-4-30
 
|accessdate = 2016-12-19
 
}}</ref><ref name="tokyo20160430">{{cite news
 
|title        = ウィキペディア日本語版 記事数100万本突破
 
|url          = http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201604/CK2016043002000226.html
 
|publisher    = [[東京新聞]]
 
|date        = 2016-4-30
 
|accessdate  = 2016-12-19
 
|archiveurl  = https://web.archive.org/web/20161220195545/http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201604/CK2016043002000226.html
 
|archivedate  = 2016年12月20日
 
|deadlinkdate = 2018年3月
 
}}</ref>。
 
 
== MediaWikiのアップグレード ==
 
ウィキペディア日本語版を支えるソフトウェア、[[MediaWiki]]は、ウィキペディア寄稿者のボランティアにより開発されており、これまでに数回のアップグレードを行っている。
 
 
[[2004年]][[5月28日]]22時38分頃、ウィキペディア日本語版のMediaWikiがバージョン1.3にアップグレードされ、それに伴い新しい外装([[スキン]])「MonoBook」が追加された。また[[コンピュータ#コンピュータ|デフォルト]]のスキン設定がそれまでの「標準」から「MonoBook」に変更された。このアップデートは5月28日から5月29日にかけて全言語版で行われた。
 
 
MediaWiki1.3には、項目を分類するカテゴリ機能が付与されていた。これは最初英語版などに導入され、日本語版ではすぐには導入されなかったが、2004年6月25日10時頃(日本時間)、日本語版でも使用可能となった。
 
 
2004年12月に、MediaWiki1.4がウィキメディア・プロジェクトに導入され始めた。これにより削除された特定の版を復帰する機能や、画像表示のための[[マークアップ言語]]の簡略化などの機能が提供されるようになった。
 
 
ウィキメディア財団が進めていたインターフェイス改善プロジェクトにより、2010年6月10日に日本語版など9言語版のインターフェイスが変更された。その内容は、編集画面や検索機能の強化、閲覧画面と編集画面を明確にするナビゲーション、ウィキペディアロゴの変更、などである。同時に、既定の外装も「モノブック」から「ベクター」となった。
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{Reflist|2}}
 
 
== 関連項目 ==
 
{{Commonscat|Japanese Wikipedia|日本語版ウィキペディア}}
 
*[[日本のインターネット]]
 
*[[ウィキペディア完全活用ガイド]]
 
*{{Srlink|Wikipedia:日本語版の統計}}
 
*{{Srlink|Wikipedia:ロゴとスローガン}} - 日本語版ロゴの経緯など。
 
*{{Srlink|Wikipedia:メインページの改訂}} - メインページの遷移など。
 
*{{Srlink|Wikipedia:バナー}}
 
*{{Srlink|Wikipedia:なぜウィキペディアは素晴らしいのか}}
 
*{{Srlink|Wikipedia:なぜウィキペディアは素晴らしくないのか}}
 
*[[ウィキペディアン]] - [[Wikipedia:ウィキペディア中毒]]
 
 
== 外部リンク ==
 
*[http://www.geocities.jp/mylibraries_2ch/ja_wikipedia-yokoku.html フリー百科事典Wikipediaにおける事件簿] アンチ犯罪予告!!
 
*[http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50799396.html Wikipedia:はじめての編集合戦]([[小飼弾]]「404 Blog Not Found」2007年4月1日)
 
*[http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200709030400.html ウィキペディア、信頼度は? 利用者急増、誤った情報も]([[朝日新聞]]2007年9月4日)
 
*[https://web.archive.org/web/20081212220156/http://book.asahi.com/review/TKY200807150141.html 『ウィキペディアで何が起こっているのか』の書評とウィキペディア日本語版への問題提起]([[小杉泰]]・京都大学教授、朝日新聞書評面2008年7月15日)
 
*[http://www.narinari.com/Nd/20090311323.html 「Wikipedia」のウソに著名人からの声が続々、本当に信用できるのか。] [[Narinari.com]]編集部2009年3月19日
 
*[https://web.archive.org/web/20100306025130/http://www.asahi.com/national/update/0303/TKY201003030157.html 悩むウィキペディア 少ない管理人 芸能系ばかり人気](朝日新聞2010年3月3日)(2010年3月6日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]])
 
 
{{ウィキペディア各言語版}}
 
 
{{DEFAULTSORT:ういきへていあにほんこはん}}
 
[[Category:日本語の文化]]
 
[[Category:各言語のウィキペディア|にほんこはん]]
 

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