エイブラハム・リンカーン

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エイブラハム・リンカーン: Abraham Lincoln 英語発音: [ˈeɪbrəhæm ˈlɪŋkən]1809年2月12日 - 1865年4月15日)

アメリカの政治家。第 16代大統領 (在任 1861~65) 。ケンタッキー州の農民の子として生れ,インディアナ州,次いでイリノイ州に移り,ニューセーレムで商店の経営,測量士などさまざまな仕事をしながら独学で法律を勉強,1836年弁護士の資格を取得してスプリングフィールドで開業。

34~40年ホイッグ党イリノイ州議会議員となり,46年連邦下院議員に当選,一期 (47~49) をつとめて引退。 54年カンザス=ネブラスカ法の成立に憤激して政界復帰を決意し,共和党の結成に参加。 58年 S.ダグラスを敵として連邦上院議員候補となり,敗北はしたが7回にわたって行われた「リンカーン=ダグラス論争」によって全国的に有名となった。 60年共和党の大統領候補に指名され,当選。南北対立の激化を前にリンカーンは連邦の維持を政策目的として努力したが,61年4月には南北戦争が開始された。戦況は初め北軍に不利であったが,62年9月戦況が好転しはじめた。同月 22日奴隷解放予備宣言を公布,63年1月1日に奴隷解放宣言を発布し,反乱状態にある南部諸州の奴隷解放を宣言。軍事的に後方攪乱をはかるとともに北部,あるいは海外の世論を味方につけ,南部連合側とイギリスの同盟をはばんだ。戦争中の 64年大統領選挙で再選。戦争が終りに近づくにつれ,寛大な措置による南部の早期連邦復帰を計画したが,南軍 R.リー将軍降伏 (65.4.9.) 後,65年4月 14日フォード劇場で観劇中,南部人俳優 J.ブースによって撃たれ,翌朝死亡した。

脚注・出典

関連項目