「エミール・ブルンナー」の版間の差分

提供: miniwiki
移動先:案内検索
(1版 をインポートしました)
 
1行目: 1行目:
'''エミール・ブルンナー'''('''Emil Brunner''', [[1889年]][[12月23日]] - [[1966年]][[4月6日]])は、[[スイス]]出身の[[プロテスタント]]([[改革派教会|改革派]])[[神学者]]であり、[[カール・バルト]]と共に[[弁証法神学]]運動の草創期を担った[[新正統主義]]の代表的神学者である。
+
'''エミール・ブルンナー'''('''Emil Brunner''', [[1889年]][[12月23日]] - [[1966年]][[4月6日]])
  
==生涯==
+
スイスのプロテスタント神学者。 1924~53年チューリヒ大学教授,53~55年国際基督教大学教授。『神秘と言葉』 Die Mistik und das Wort (1924) で,F.シュライエルマッハーの神学を退け,K.バルトらとともに弁証法神学の流れに属していたが,バルトとはのちに啓示に対する解釈で対立。彼は,物の知と人の知の間の根本的差が聖書での啓示概念の鍵をなすとした。ほかに『媒介者』 Der Mittler (27) ,『自然と思想』 Natur und Gnade (34) ,『人間』 Der Mensch im Widersprach (37) ,『教義』 Dogmatik (3巻,46~60) ,『永遠』 Das Ewige als Zukunft und Gegenwart (53) などがある。
[[チューリッヒ]]近郊の街[[ヴィンタートゥール]]で生まれる。チューリッヒ、[[ベルリン]]、さらに[[ニューヨーク]]の[[ユニオン神学校]]で学ぶ。
 
  
8年間の牧会生活の後、[[1924年]]から[[チューリヒ大学]]神学部で[[組織神学]]、[[実践神学]]の教授を務める。また、[[1942年]]から[[1944年]]にかけては、同大学総長も務める。
 
 
キリスト教の布教の不徹底が日本における[[ファシズム]]の勃興の一因だったと考えて日本に赴き、[[1953年]]から[[国際基督教大学]]の教壇に立つ。そして日本で[[無教会主義]]の影響を受けた。本人は永住も覚悟した日本移住だったが、健康を損ねてしまったため、[[1955年]]に帰国した。
 
 
その後、病のために自らペンをとる力を失いながらも、テープレコーダーを用いながら著述を続ける。
 
 
[[1966年]]、死去。
 
 
==思想==
 
ブルンナーは極端な[[自由主義神学]]は退けたが、17世紀の[[プロテスタント正統主義|正統主義]]時代の[[福音主義]]とプロテスタントの歴史的な聖書観も同様に否定し、これを「紙の教皇」と呼んだ。それがすでに[[アウクスブルク信仰告白]]に認められるとしている<ref>『聖書の真理の性格』p.26</ref>。ブルンナーが聖書の奇跡と聖書の霊感の教理を否定したため、[[福音派]]と[[キリスト教根本主義]]の神学者は、ブルンナーの思想を認めなかった。ブルンナーの主張は、新正統主義の運動、バルトと[[パウル・ティリッヒ]]の同一線上にある。保守派は、新正統主義が単に中庸の自由主義神学に過ぎないとみなし、これをプロテスタントの伝統を否定する主張だとして拒んだ。
 
 
==人柄・エピソード==
 
{{節stub}}
 
 
==著作==
 
*『聖書の真理の性格』[[弓削達]]訳
 
*『神学論集』「ブルンナー著作集」[[教文館]]
 
*『倫理・社会論集』「ブルンナー著作集」教文館
 
*『フラウミュンスター説教集』「ブルンナー著作集」教文館
 
*『教会・信仰・完成についての教説』「ブルンナー著作集」教文館
 
*『創造と救贖についての教説』「ブルンナー著作集」教文館
 
*『神についての教説』「ブルンナー著作集」「ブルンナー著作集」教文館
 
 
==脚注==
 
<references />
 
  
 
{{新正統主義}}
 
{{新正統主義}}
 
{{現代神学}}
 
{{現代神学}}
  
{{Normdaten}}
+
{{テンプレート:20180815sk}}
{{Academic-bio-stub}}
 
{{christ-stub}}
 
 
{{DEFAULTSORT:ふるんなあ えみいる}}
 
{{DEFAULTSORT:ふるんなあ えみいる}}
  

2018/10/30/ (火) 09:12時点における最新版

エミール・ブルンナーEmil Brunner, 1889年12月23日 - 1966年4月6日

スイスのプロテスタント神学者。 1924~53年チューリヒ大学教授,53~55年国際基督教大学教授。『神秘と言葉』 Die Mistik und das Wort (1924) で,F.シュライエルマッハーの神学を退け,K.バルトらとともに弁証法神学の流れに属していたが,バルトとはのちに啓示に対する解釈で対立。彼は,物の知と人の知の間の根本的差が聖書での啓示概念の鍵をなすとした。ほかに『媒介者』 Der Mittler (27) ,『自然と思想』 Natur und Gnade (34) ,『人間』 Der Mensch im Widersprach (37) ,『教義』 Dogmatik (3巻,46~60) ,『永遠』 Das Ewige als Zukunft und Gegenwart (53) などがある。


テンプレート:新正統主義




楽天市場検索: