ギヨーム・ジョゼフ・シャミナード

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シャミナード

ギヨーム・ジョゼフ・シャミナード(Guillaume-Joseph Chaminade, 1761年4月8日 - 1850年1月22日)は、フランス出身のカトリック司祭である。1816年アデル・ド・トランケレオン修道女)と共に汚れなきマリア修道会を、1817年にはマリア会 (enを創立した。2000年教皇ヨハネ・パウロ2世によって列福された。

一族に作曲家・ピアニストのセシル・シャミナード1857年 - 1944年)がいる。

生涯

1761年4月8日フランスペリグーに誕生する。ムシダンの小神学校、次いでボルドーパリで学んだ後、1785年司祭叙階された。1789年フランス革命以前には、ムシダンの小神学校で会計係と教師をしていた。

1790年、フランス革命による聖職者民事基本法によって統制された司祭として生きることを拒絶し、彼を捕らえようとする官憲の目を避けて、ムシダンを去った。1791年にボルドーへ入り、恐怖政治の時代にあって命がけで秘密裏に聖務を行っていた。1795年から2年間、つかのまの宗教迫害の休止の後、1797年に迫害が再開された時、シャミナードはスペインに亡命を余儀なくされる。亡命中、サラゴサヌエストラ・セニョーラ・デル・ピラール聖堂の「柱上の聖母」の傍近くで恵みの日々を過ごし、ここで将来の使命、マリアニスト家族についてのインスピレーションを受ける。

1800年、39歳の時にボルドーへ戻り、現在の信徒マリアニスト共同体 (MLC) の前身であるコングレガシオン(修道会)を創立する。

1809年、“エタ”が誕生する。これは世間で生活しながら,神に身を捧げて生きることを望む人々のためのものである。 この間にシャミナードは、ラムルス嬢を助けて、娼婦の更生を目的とする“ミゼリコルド会”の創立に関わる。

1816年には荒廃した社会を再建すべく、青少年の教育に携り、修道女アデル・ド・トランケレオンEnglish版と共に汚れなきマリア修道会(女子修道会)を、1817年にはマリア会(男子修道会)を創立する。

1819年、ボルドーに15名の生徒を集めて中学校を開校する。5年後にはフランス南西部に15の学校を持つまでに発展する。

シャミナードはその後の生涯の日々を、自ら創立した諸事業への奉仕のうちに過ごし、1850年1月22日にボルドーで死去した。

2000年9月3日、ローマサン・ピエトロ大聖堂において教皇ヨハネ・パウロ2世によって列福された。

マリア会

今日、マリア会は世界30数カ国において、約1600人の会員が約8000人の教師と協力し、大学、高等学校、中学校、小学校ならびに幼稚園を含む135の教育施設で教育にあたっている。日本には1887年、5人のマリア会員が派遣され、翌年東京暁星学園が創立された。1891年には長崎市海星学園が、1898年には大阪市大阪明星学園が、1901年には横浜市にセント・ジョセフ学院が創立された。1946年には札幌市札幌光星学園を継承し、今日に至っている。

ハワイシャミナード大学English版もマリア会によって創立された大学で、ギヨーム・ジョゼフ・シャミナードにちなんで名付けられている。

日本での教育事業

参考文献

関連項目

外部リンク