ja>曾禰越後守 |
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− | {{Otheruses||}}
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− | {{Redirect|ギリシャ国|[[第二次世界大戦]]時、[[枢軸国]]によって建てられた傀儡政権|第二次世界大戦時のギリシャ}}
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| {{基礎情報 国 | | {{基礎情報 国 |
| |略名 = ギリシャ | | |略名 = ギリシャ |
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| |通貨 = [[ユーロ]] (€) | | |通貨 = [[ユーロ]] (€) |
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| }} | | }} |
− | '''ギリシャ共和国'''(ギリシャきょうわこく、[[ギリシャ語]]: {{lang|el|Ελληνική Δημοκρατία}})、通称'''ギリシャ'''は、[[南ヨーロッパ]]に位置する国。2011年国勢調査<ref>{{Cite web|url=http://www.statistics.gr/el/2011-census-pop-hous|title=Απογραφή Πληθυσμού-Kατοικιών 2011|accessdate=2018-06-19|language=[[ギリシア語]]}}</ref>によると、ギリシャの人口は約1,081万人である。[[アテネ]]は首都及び最大都市であり、[[テッサロニキ]]は第2の都市及び[[中央マケドニア]]の州都である。 | + | '''ギリシャ共和国'''(ギリシャきょうわこく、[[ギリシャ語]]: {{lang|el|Ελληνική Δημοκρατία}})、通称'''ギリシャ''' |
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− | == 概要 ==
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− | ギリシャの地理は[[ヨーロッパ]]の南東端にあり[[アジア]]及び[[アフリカ]]の交差点という戦略的立地にある。[[バルカン半島]]南端に位置し、国境は北西に[[アルバニア]]、北に[[マケドニア共和国]]及び[[ブルガリア]]、北東に[[トルコ]]と接する。同国は9つの[[ギリシャの地理的区分|地理的地域]]から成り、[[マケドニア (ギリシャ)|マケドニア]]、[[w:Central Greece|中央ギリシャ]]、[[ペロポネソス半島]]、[[テッサリア]]、[[イピロス]]、[[ドデカネス諸島]]及び[[キクラデス諸島]]を含む[[エーゲ海諸島]]、[[w:Western Thrace|西トラキア]]、[[クレタ島]]、[[イオニア諸島]]がこれに該当する。[[w:Geography of Greece|本土]]の東には[[エーゲ海]]、西には[[イオニア海]]、南には[[地中海]]が各々位置する。同国の多数の[[ギリシャの島の一覧|島嶼]]のうち227島には居住者がおり、海岸線は全長13,676kmで[[地中海盆地]]最長かつ[[国の海岸線の長さ順リスト|世界第11位]]である。国土の80%は山岳地帯であり、[[オリンポス山]]は2,917mで同国最高峰である。
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− | ギリシャの[[国民国家]]は[[オスマン帝国]]からの[[ギリシャ独立戦争|独立戦争]]後の1830年に建国されたが、同国のルーツは全[[西洋文明]]の発祥地だと考えられる[[古代ギリシア]]の文明に遡る。ギリシャ自体は[[w:Athenian democracy|民主主義]]、[[西洋哲学]]、[[近代オリンピック]]、[[w:Western literature|西洋文学]]<ref name="Strickland2007">{{cite book|author=Carol Strickland|title=The Illustrated Timeline of Western Literature: A Crash Course in Words & Pictures|url=http://books.google.com/books?id=Qw_7eINO_NcC&pg=PA2|year=2007|publisher=Sterling Publishing Company, Inc.|isbn=978-1-4027-4860-8|page=2|quote=Although the first writing originates in the cradle of civilization along Middle Eastern rivers — the Tigris, Euphrates, and Nile — the true cradle of Western literature is Athens. As the poet Percy Bysshe Shelley says, "We are all Greeks."}}</ref>、[[歴史学]]、[[政治学]]、主要な[[w:History of science in classical antiquity|科学的]]及び[[w:Greek mathematics|数学的]]原理、[[悲劇]]及び[[喜劇]]などの[[ドラマ]]の発祥地である。ギリシャの文化的及び技術的偉業は世界に大きな影響を与え、[[アレクサンドロス3世|アレクサンドロス大王]]の遠征を通じて[[東洋]]に影響を受け[[ヘレニズム]]が形成され、[[ローマ帝国]]及び後の[[東ローマ帝国]]への[[ローマ帝国支配下のギリシャ|編入]]により[[西洋]]に大きな影響を与えた。現代のギリシャ人のアイデンティティーは[[ギリシャ正教]]により形成され、ギリシャの伝統はより広範な[[正教会]]に伝播した<ref name=BritIdent>{{cite encyclopedia |year=2008 |title =Greece during the Byzantine period (c. AD 300–c. 1453), Population and languages, Emerging Greek identity |encyclopedia= Encyclopædia Britannica |publisher= Encyclopædia Britannica Inc. |location=United States |id=Online Edition}}</ref>。ギリシャの豊富な遺産は17件の[[世界遺産の一覧 (ヨーロッパ)|世界遺産数]]にも反映され、[[w:Table of World Heritage Sites by country|ヨーロッパ及び世界有数]]である<ref name=Unesco>{{cite web|title=Greece Properties inscribed on the World Heritage List (17)|url=http://whc.unesco.org/en/statesparties/gr|website=Unesco|publisher=Unesco|accessdate=2015-10-3}}</ref>。
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− | ギリシャは[[民主主義]]かつ[[先進国]]であり、先進的な[[w:World Bank high-income economy|高所得経済]]、高度な[[クオリティ・オブ・ライフ]]、高度な[[人間開発指数|生活水準]]を有する。一方で、数多くの資格や許認可が政治家に委ねられている構造を背景に賄賂や汚職、脱税が横行しており、[[腐敗認識指数|汚職指数]]はヨーロッパの国家の中でもイタリアと並び高いレベルにある<ref>http://www.j-cast.com/bookwatch/2014/10/15218407.html</ref>。[[ギリシャ危機]]に象徴される根深い経済問題に悩む。 [[国際連合]]原加盟国であり、[[欧州連合]]の前身である[[欧州諸共同体]]の10番目の加盟国で、2001年以来[[ユーロ圏]]の一部である。その他多数の国際機関の加盟国でもあり、[[欧州評議会]]、[[北大西洋条約機構|NATO]]{{Refn | name="integrated1974" | On 14 August 1974 Greek forces withdrew from the integrated military structure of [[NATO]] in protest at the Turkish occupation of northern Cyprus; Greece rejoined NATO in 1980.}}、[[経済協力開発機構|OECD]]、[[欧州安全保障協力機構|OSCE]]、[[世界貿易機関|WTO]]がこれに該当する。ギリシャは世界有数の[[w:Greek shipping|海運国]]及び[[ギリシャの観光|観光立国]]であり、[[バルカン半島]]最大の[[w:List of sovereign states in Europe by GDP (nominal)|経済規模]]を有し、重要な地域投資国である。
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− | == 国名 ==
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− | 公式名称: {{lang-el|'''Ελληνική Δημοκρατία'''}}, ''Ellinikí Dimokratía'', {{IPA-el|eliniˈci ðimokraˈti.a||}} [http://ja.forvo.com/word/%CE%B5%CE%BB%CE%BB%CE%B7%CE%BD%CE%B9%CE%BA%CE%AE_%CE%B4%CE%B7%CE%BC%CE%BF%CE%BA%CF%81%CE%B1%CF%84%CE%AF%CE%B1/#el (聞く]), ''エリニキ ディモクラティア'', {{lang-en|Hellenic Republic}}
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− | 通称: ギリシャ語: {{lang|el|'''Ελλάδα'''}}, ''Elláda'', {{IPA-el|ɛˈlaða||Ellada.ogg}}, ''エラダ'' または{{lang|el|'''Ελλάς'''}}, ''Ellás'', ''エラス'' また[[古典ギリシア語]]では{{lang|el|'''Ἑλλάς'''}}, ''Hellás'', ''ヘッラス'', 英語: {{lang|en|Greece}}
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− | 古典語の対格形 {{lang|el|Ἑλλάδᾰ}} (Helláda、ヘッラダ)に由来。なお正式名称の {{lang|el|Ελληνική}} の部分は {{lang|el|Ελλάς}} の[[形容詞]]形)。いずれも[[ギリシャ神話]]に登場する民族の父祖[[ヘレーン|ヘッレーン]] ({{lang-grc|'''Ἕλλην'''}}, ''Héllēn'', ''Hellen'')に由来するなど諸説あるが、正確な処は定かではない。
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− | 日本語による公式名称は'''ギリシャ共和国'''で通称は'''ギリシャ'''。歴史・地理・人文系では'''ギリシア'''という表記もされるが、[[国会 (日本)|国会]]の制定法や[[外務省]]、およびギリシャの在日大使館のサイトではギリシャと表記される。ギリシャあるいはギリシアという名称は、[[ラテン語]]名の {{llang|la|Graecia|グラエキア}}が[[ポルトガル語]]で {{llang|pt|Grécia|グレスィア}}となり、これが[[宣教師]]によって[[日本]]にもたらされ変容したとされる<ref>精選版 日本国語大辞典</ref>。こちらも由来についてはラテン民族と境を接していたギリシャ系民族の名、あるいはギリシャ神話の主神[[ゼウス]]と[[パンドーラー]]の息子の一人でギリシャ人の始祖となったグライコスに因むなど諸説あるが、正確なところは不明である。
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− | また、[[中東]]の諸言語での呼称、例えば[[アラビア語]]の {{lang|ar|'''اليونان'''}} ({{lang|ar-Latn|al-Yūnān}} 、アル=ユーナーン)、[[ヘブライ語]]の {{lang|he|'''יוון'''}} ({{lang|he-Latn|Yəván}} 、イェヴァン)、[[トルコ語]]の Yunanistan (ユナニスタン)などは、全て[[イオニア]]に由来する。
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− | == 歴史 ==
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− | {{main|ギリシャの歴史}}
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− | === ギリシア・ローマ時代 ===
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− | [[File:Greek Colonization Archaic Period.png|300px|thumb|right|[[w:Archaic Greece|アルカイック期]]におけるギリシア領及び[[w:Greek colonies|植民地]] (紀元前750-550年)]]
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− | [[File:The Parthenon in Athens.jpg|thumb|right|260px|[[アテナイのアクロポリス]]における[[パルテノン神殿]]は、[[w:Classical Greece|古典ギリシア]]の最も有名な象徴の1つである。]]
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− | {{main|古代ギリシア|エーゲ文明|アカエア}}
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− | 古代のギリシャは[[アテナイ]]、[[コリントス]]、[[テーバイ]]などの多数の[[ポリス]](都市国家)が並び立っており、言語・文化・宗教などを通じた緩やかな集合体であり[[マケドニア王国]]に征服されるまで統一国家を形成することはなかった。政治的に独立していた各ポリス間では戦争が絶え間なく繰り返された。[[紀元前5世紀]]に[[アケメネス朝]](ペルシア帝国)が地中海世界に進出してくると、各ポリスは同盟を結び、これに勝利した([[ペルシア戦争]])。しかしその後アテナイを盟主とする[[デロス同盟]]と[[スパルタ]]を盟主とする[[ペロポネソス同盟]]とで[[ペロポネソス戦争]]が勃発し、ギリシャ全体が荒廃し勢力を失った。[[紀元前4世紀]]半ばに[[マケドニア王国|マケドニア]]の[[ピリッポス2世]]が[[カイロネイアの戦い]]に勝利すると、ギリシャ諸ポリスはマケドニアを盟主とした[[コリントス同盟|ヘラス同盟]](コリント同盟)に属することとなる。ギリシャ人は[[アレクサンドロス3世]](大王)の東方遠征に従軍して長年の宿敵ペルシア帝国を滅亡させた。ペルシャの傭兵となったギリシャ人がいたが、彼らは裏切り者として奴隷にされた。
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− | 大王死後、マケドニアを支配した[[アンティゴノス朝]]と対抗。この時期に[[ピュロス]]([[エペイロス]]王)らが活躍した。やがて[[アカイア同盟]]を結成して[[共和政ローマ]]と手を結ぶ。マケドニアの没落後はローマと対決したが、[[紀元前146年]]にローマ軍に敗北、[[コリントス]]の破壊と共に[[属州|ローマ属州]][[アカエア]]とされた。古代ギリシアは[[民主主義]]の原点であった。
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− | 現在の[[ギリシャ人]]は後世に主に[[バルカン半島]]北部から南下してきた人々、[[ラテン人]]、[[スラヴ人]]、[[アルバニア人]]等との混血、古代においては当時のオリエント世界の人々とも混血が進んでいる。現在と当時ではその[[人種]]的な構成等は異なっていると言われることもあるが<!--(19世紀のドイツ人学者ファルメライヤーは「現代のギリシャ人には古代ギリシャ人の血は一滴も流れていない」「中世以降のギリシャ人はギリシャ語・正教信仰を受け入れギリシャ化したスラヴ人に過ぎない」と語っている)-->、ヨーロッパにおいて古代から純粋な血統を保持している民族などというものはなく、ギリシャ人もまたその例に漏れないだけである。
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− | === 東ローマ帝国 ===
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− | {{main|東ローマ帝国}}
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− | [[395年]]に[[ローマ帝国]]が東西に分裂したのちは、ギリシャ地域は[[東ローマ帝国]]に属した。
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− | 7世紀以降の東ローマ帝国は[[ギリシア語|ギリシャ語]]を公用語とし、皇帝をはじめとする支配階層もギリシャ語を母語とする民族が中心となっていったが、彼ら自身は自分をギリシャ人とみなさず、「ローマ人(ロマイオイ/ロメイ<sup>中世・現代ギリシア語</sup>)」と称した。東ローマ帝国はギリシャ民族の歴史の一部と捉えられている。なお、東ローマ帝国を「ギリシャ化したローマ帝国」と捉える研究者もいる(ギリシャでは自らを「ローマ人」と呼ぶことがあるという{{要出典|date=2018年6月}})。ただ、東ローマ帝国の中心地は[[アナトリア]]・[[トラキア]]・[[マケドニア]]であり、現在のギリシャに当たる部分は、スラブ人の侵入と移住、アラブ勢力の来襲やブルガリア帝国やノルマン王国といった外部勢力の攻撃が相次ぎ、中央の[[コンスタンティノポリス]]からは辺境地域と見なされていた。
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− | [[1204年]]に[[第4回十字軍]]によってコンスタンティノポリスが占領されて東ローマ帝国は崩壊し、ギリシャにも[[十字軍]]が侵入してきた。12世紀末の[[コムネノス王朝]]末期以降東ローマ帝国は内部崩壊を起こして国政が混乱していたため、ヨーロッパ側に住むギリシャ人の多くは十字軍を混乱を収め、安定をもたらすものとして歓迎した<ref>『ギリシア史』第4章 ビザンツ時代(桜井万里子編 [[山川出版社]] 2005年 P196 同部分は[[井上浩一 (歴史学者)|井上浩一]]執筆)</ref>。このため、[[アテネ公国]]などの多くの十字軍国家が成立した(十字軍に抵抗したのは裕福なコリントスのみ)。他には東ローマの亡命政権である[[エピロス専制侯国]]や、[[ブルガリア帝国]]、[[セルビア王国 (中世)|セルビア王国]]、また都市国家[[ヴェネツィア]]などが割拠するようになった。
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− | アナトリアに逃れたギリシャ系の[[ニカイア帝国]]により[[1261年]]に東ローマ帝国は復活したが、国力が弱体化していたためにギリシャ全土を奪回できず、諸勢力の割拠状態が続き、その隙をついて14世紀以降は[[イスラム王朝]]の[[オスマン帝国]]が勢力を伸張させていった。
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− | === オスマン朝・ヴェネツィア支配時代 ===
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− | {{main|トルコクラティア}}
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− | [[1453年]]、東ローマ帝国はオスマン帝国によって滅ぼされ、残る諸勢力も15世紀末までにはほとんどがオスマン帝国に征服された。オスマン帝国はコンスタンティノポリスに遷都し、369年間のオスマン帝国による統治が続いた。
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− | 一方で、オスマン帝国に支配されなかった地域もあり、東ローマ帝国滅亡後も、[[イオニア諸島]]は[[1797年]]まで[[ヴェネツィア共和国]]の領土であり、その後も[[1800年]]に[[イオニア七島連邦国]]、[[1815年]]に[[イオニア諸島合衆国]]が成立している。その他にも、[[1669年]]までのクレタ島、[[1686年]]から[[1715年]]までの[[ペロポネソス半島]]もヴェネツィア領であった。
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− | === 独立回復と王政時代 ===
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− | [[File:Greekhistory.GIF|thumb|right|300px|[[ギリシャ王国]]の領土変遷 (1832年-1947年)]]
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− | {{main|東方問題}}
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− | [[1821年]]に[[オデッサ|オデッセイ]]において創設された秘密組織[[フィリキ・エテリア]]を中心として、オスマン帝国に対する反乱が企てられた。3月にギリシャ各地の都市で蜂起が起こり、[[ギリシャ独立戦争]]が始まった。[[エジプト]]の助けを得てこれを鎮圧しようとしたオスマン帝国に対し、[[イギリス|英]]・[[フランス|仏]]・[[ロシア帝国|露]]が介入、[[1829年]]、[[アドリアノープル条約]]によって[[ギリシャ第一共和政|ギリシャ独立]]が承認された。翌[[1830年]]、[[バイエルン王国]]の王子オットーを[[オソン1世]]として[[国王]]に据え[[ギリシャ王国]]として独立し、[[古代ギリシャ]]滅亡以来約1900年ぶりにギリシャ人の国家が復活した。
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− | その後は汎ギリシャ主義([[メガリ・イデア]])を標榜し、[[1897年]]にはトルコに侵攻([[希土戦争 (1897年)|希土戦争]])し敗北するも、[[第一次世界大戦]]直前の[[1912年]]から[[1913年]]には[[バルカン戦争]]で勝利し、クレタ島をトルコから奪取した。<!--第一次世界大戦は1914-1918が一般的ですが、wikiでは違う定義を行っている?-->
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− | [[1919年]]の[[パリ講和会議]]では[[大日本帝国|日本]]の提出した[[人種差別撤廃案]]に賛成するなど反人種差別を表明した。[[1919年]] - [[1922年]]にセーブル条約を押し付けるため、ギリシャ系住民保護を名目にアナトリアに侵攻したが、([[希土戦争 (1919年-1922年)|希土戦争]])[[ムスタファ・ケマル・アタテュルク|ムスタファ・ケマル・パシャ]]が率いるトルコ軍に敗退した。[[1924年]]に[[クーデター]]により[[共和制]]の[[ギリシャ第二共和政]]となるが、[[1935年]]には[[王政]]([[ギリシャ王国]]、[[1935年]] - [[1941年]])が復活したが、国王[[ゲオルギオス2世 (ギリシャ王)|ゲオルギオス2世]]の強権発動によって極右政党党首[[イオアニス・メタクサス]]が陸軍大臣に任命されていたが、[[1936年]][[4月12日]]に暫定首相[[コンスタンディノス・デメルジス|デメルジス]]が死去したことに伴い首相に就任。[[1936年]][[8月4日]]にメタクサスがクーデターを起こし[[八月四日体制]]([[1936年]] - [[1941年]])と呼ばれる独裁体制となった。
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− | ===第二次世界大戦===
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− | [[第二次世界大戦]]では[[ナチス・ドイツ]]および[[イタリア王国|イタリア]]、[[ブルガリア]]の侵攻にあい([[ギリシャ・イタリア戦争]])、戦いの最中にメタクサスが病死、王室と政府はイギリスに亡命した。[[1941年]]4月の[[ギリシャの戦い]]に敗れ、ギリシャ本土はドイツ・イタリア・ブルガリア3国による分割占領状態におかれ、[[傀儡国家]][[第二次世界大戦時のギリシャ|ギリシャ国]]([[1941年]] - [[1944年]])体制になった。大戦中、占領軍に対する[[レジスタンス運動]]を主導した共産主義左派[[ギリシャ共産党]] (KKE) に支援された{{仮リンク|ギリシャ人民解放軍|en|Greek People's Liberation Army}} (ELAS)、対立する反共共和主義者のパルチザン{{仮リンク|ギリシャ民族共和同盟|en|National Republican Greek League}} (EDES) の三つ巴の戦いとなった。さらにナチスによる[[ロマニオット]]や[[セファルディム]]に対する[[第二次世界大戦時のギリシャ#ギリシャにおけるホロコースト|ホロコースト]]が行われた。
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− | === ギリシャ内戦 ===
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− | 第二次大戦が終結し亡命政府が帰還した後、[[1944年]][[12月3日]]に{{仮リンク|十二月事件|el|Δεκεμβριανά}}が起き、共産主義左派と王党派右派の間で対立が先鋭化すると、[[1946年]]には[[ギリシャ内戦]]が勃発した。[[ソビエト連邦|ソ連]]と隣国[[ユーゴスラビア社会主義連邦共和国|ユーゴスラビア]]に支援された共産勢力が「{{仮リンク|ギリシャ民主軍|en|Democratic Army of Greece}}(共産主義者民主主義軍)」という[[ゲリラ]]部隊を組織するが、戦後の財政難に苦しむ[[イギリス]]に替わって[[アメリカ合衆国]]が王党派右派政府の全面的な支援に乗り出したことと([[マーシャル・プラン]])、[[1948年]]以降ユーゴスラビアとソ連が対立し、ギリシャの共産勢力はソ連を支持したので、ユーゴスラビアからの援助が失われ、内戦は[[1949年]]に[[共産主義者|共産主義勢力]]の敗北によって終結した。
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− | === 戦後 ===
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− | [[1950年]]に行われた総選挙の結果保守連立政権が発足するが政局は安定せず、翌年[[1951年]]に選挙制度を最大与党に有利に改正して行われた選挙によってようやく政局は安定し、[[1952年]]に[[北大西洋条約機構]] (NATO) へ加盟、[[1953年]]に隣国の[[ユーゴスラビア]]および[[トルコ]]との間に三国親善条約と同盟条約が結ばれ、外交的にもようやくの安定をみた。
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− | 1950年代の後半になると、[[キプロス]]を巡って[[トルコ]]との対立が激化するが、ギリシャ自体は順調な経済成長を続け、[[1951年]]から[[1964年]]の間に国民平均所得はほぼ4倍になった。
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− | 国王と対立した首相[[コンスタンディノス・カラマンリス]]の辞任をきっかけに総選挙が行われ、中道勢力と左派勢力が躍進、一旦は中道連合(EK)を率いる[[ゲオルギオス・パパンドレウ]]が首相に任命されるが、他党との連立を拒んだパパンドレウは再び総選挙を行い、[[1964年]]、中道連合 (EK) は過半数を獲得した。パパンドレウ政権は教育制度改革等の内政面で功績を挙げるが、軍の制度改革に失敗してパパンドレウは国王[[コンスタンティノス2世 (ギリシャ王)|コンスタンティノス2世]]によって首相辞任を要求された。
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− | === 軍事独裁政権時代 ===
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− | [[コンスタンティノス2世 (ギリシャ王)|国王]]は[[アメリカ合衆国]]の支援の元に中道諸派の連合による新政権を確立させるべく、[[1967年]]、総選挙を準備した。しかし、選挙の結果中道派政権が確立されることによる発言権の低下を恐れた軍部が陸軍将校、{{仮リンク|スティリアノス・パッタコス|en|Stylianos Pattakos}}准将、[[ゲオルギオス・パパドプロス]]大佐、{{仮リンク|ニコラオス・マカレゾス|en|Nikolaos Makarezos}}大佐を中心としてクーデターを起こし、結局アメリカが軍部の独裁体制を容認した。結局、反クーデターに失敗したコンスタンティノスは国外へ亡命した。
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− | [[1968年]]には憲法が改正され[[ギリシャ軍事政権|軍事独裁政権]]が確立する。軍部は国内の批判勢力に対して激しい弾圧を行い、前首相パパンドレウを始めとして多数の著名人を国外に追放した。欧州各国からは軍部独裁政権に対して厳しい批判が向けられたが、ギリシャは地勢的に [[北大西洋条約機構|NATO]] の要であるとしてアメリカが軍事独裁政権を擁護・支援したため、ギリシャに対して実効性のある圧力が加えられることはなかった。
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− | 1970年代に入ってギリシャの国内経済が悪化すると、軍部の独裁政権に対する国民の不満が増大し学生により大規模なデモなどの抗議行動が活発化する。軍事独裁政権の首班であった[[ゲオルギオス・パパドプロス]]は大統領制を導入するなどの政策を行うが、国内経済が回復しないこともあって国民の抗議行動は収まらず、[[1973年]]、学生デモ隊による大学占拠に対して実力鎮圧を行った結果多数の死傷者を出したことで独裁政権の基盤が揺らぎ、パパドプロスの腹心で秘密警察長官である{{仮リンク|ディミトリオス・イオアニディス|en|Dimitrios Ioannidis}}がクーデターを起こし、パパドプロスは失脚した。
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− | その後、パパドプロス政権の閣僚であった[[フェドン・キジキス]]が名目上の大統領に選ばれて軍部の独裁体制は続くが、[[1974年]]にギリシャが支援した[[キプロス]]でのクーデターが失敗に終わり、海軍と空軍が陸軍と秘密警察に対して態度を硬化させる。結果、軍事政権の中核を占めていた陸軍と秘密警察は孤立し、軍部の独裁体制は崩壊した。
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− | {{main|キプロス紛争#1973_-_74年}}
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− | このように政治的には混乱と弾圧の続いた軍部独裁時代ではあったが、[[マーシャル・プラン]]他の欧米各国による経済支援策と、外国資本の積極的な誘致を背景に、戦争とその後の内戦によって壊滅的な打撃を受けた国内インフラを復興させるための大規模な国内投資により、戦後のギリシャ経済は軍事独裁政権の崩壊まで非常に高い経済成長率を誇った。この高成長時代は“[[ギリシャの奇跡]]”と呼ばれる。
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− | {{main|ギリシャの奇跡}}
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− | === 共和政治の確立 ===
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− | キジキス大統領は国内の諸政治勢力と協議して[[フランス]]へ亡命していた[[コンスタンディノス・カラマンリス]]元首相に帰国を要請、帰国したカラマンリスを首相に指名した。
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− | [[1974年]][[11月11日]]に行われた軍事政権崩壊後初の選挙の結果、カラマンリス元首相率いる[[新民主主義党]]が多数の議席を獲得して与党となり、次いで行われた国民投票により[[君主制]]は廃止され[[共和制]]への移行が決定した(ギリシャにおける民主主義の回復については、活動的な役割を担った[[アレクサンドロス・パナグリス]]も参照)。
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− | [[1975年]]には憲法が再改正され、[[1977年]]の選挙の結果左派勢力の伸長があったものの政局の混乱は発生せず、ギリシャの政局は以後安定化する。[[1981年]]に[[欧州共同体]] (EC) の10番目の加盟国となった。
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− | 1980年代には[[全ギリシャ社会主義運動]] (PASOK) が選挙の結果過半数を確保して与党となり、社会主義政権が誕生、{{仮リンク|アンドレアス・パパンドレウ|en|Andreas Papandreou}}は NATO と[[欧州共同体]] (EC) への加盟に懐疑的で[[西側諸国]]を「[[帝国主義]]国家」と呼ぶほど親ソ派であったが、大きな外交政策の変更は行われず、NATO と EC への加盟は続行されたままギリシャは引き続き西側諸国の一員として冷戦の終結を迎える。
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− | | |
− | [[2004年]]には[[1896年]]以来108年ぶりに首都[[アテネ]]において2回目の[[夏季オリンピック]]([[2004年アテネオリンピック|第28回アテネ大会]])が開催された。それに先立つ[[2001年]]には[[ユーロ]]導入も実現したが、工業生産力が西欧諸国と比較して小さいギリシャの経済は脆弱で、[[2010年]]には統計操作による巨額の財政赤字隠蔽が発覚したことから、ユーロ圏全体や世界中を巻き込む金融危機へと発展した([[2010年欧州ソブリン危機]])。
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− | == 政治 ==
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− | [[ファイル:Hellenic Parliament from high above.jpg|thumb|[[ギリシャ議会]]議事堂]]
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− | <!-- ''詳細は[[ギリシャの政治]]を参照'' -->
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− | [[国家体制]]として[[共和制]]を採用しており、[[ギリシャの大統領|大統領]]が[[元首|国家元首]]として儀礼的な責務にあたる。大統領は任期5年で[[議会]]により選出される。現大統領は2015年3月13日に就任した[[プロコピス・パヴロプロス]]。[[行政|行政府]]の長である[[ギリシャの首相|首相]]は議会によって選出され大統領により任命される。閣僚は首相の指名に基づき大統領が任命する。
| |
− | {{See also|ギリシャの大統領|ギリシャの首相}}
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− | [[立法|立法府]]たる[[ギリシャ議会]] (Vouli ton Ellinon) は[[一院制]]で、300議席、任期4年、[[比例代表制]]による直接選挙で選出される。政党は中道右派の[[新民主主義党]] (ND) と中道左派の[[全ギリシャ社会主義運動]] (PASOK)が二大政党として交代で政権を担当していたが、2012年の選挙で左派の[[急進左派連合]] (SYRIZA) や中道右派の[[独立ギリシャ人]] (ANEL)が台頭し、PASOKが少数勢力に転落するなどの変動がみられる。また、この他に左翼政党の[[ギリシャ共産党]] (KKE) 、極右政党の[[黄金の夜明け (ギリシャの政党)|黄金の夜明け]]などがある。
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− | {{See also|ギリシャの政党}}
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− | [[1996年]]以来 PASOK の[[コンスタンティノス・シミティス]]政権が続いていたが、[[2004年]][[3月7日]]の総選挙で[[コスタス・カラマンリス]]率いる新民主主義党が議席の過半数を獲得し、政権が交代した。その後新民主主義党は2007年の総選挙でも辛勝し、政権を維持したが繰り上げ解散を行った2009年の総選挙では[[ゲオルギオス・アンドレアス・パパンドレウ]]率いる全ギリシャ社会主義運動に敗北、5年ぶりに全ギリシャ社会主義運動が政権与党の座を奪回した<ref>下院300議席のうち152議席、2011年11月4日現在</ref>。
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− | [[2011年]][[10月31日]]、パパンドレウ首相は、財務問題を巡る欧州による支援策の受け入れの是非を問う国民投票の実施を表明した。しかし、ユーロ圏諸国(ドイツやフランスなど)は国民投票で支援策が否決されれば、国際的な金融危機を誘発しかねない状況で、危機が欧州全体に広がるのを防ぐため、国民投票の実施を断念するように同首相を説得し、11月4日ベニゼロス財務相が国民投票の実施を断念したことを明らかにした。
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− | | |
− | [[2011年]][[11月5日]]、ギリシャ国会(一院制、定数300)は、パパンドレウ内閣の信任投票を行い、賛成多数で信任した。与党の全ギリシャ社会主義運動 (PASOK) は過半数をわずかに上回る152議席を占めている。信任投票では賛成が153票であった。
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− | | |
− | [[2011年]][[11月10日]]、ギリシャ次期首相にルーカス・パパデモスが就任し、全ギリシャ社会主義運動(PASOK)と新民主主義党(ND)が合意し11日に組閣、二大政党による[[大連立]]内閣が発足した。大連立内閣は、緊縮策を前提とする支援策を受け入れる。来年2月19日に総選挙を実施する。
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− | | |
− | [[2011年]][[12月1日]]、政府の財政緊縮策に抗議する24時間ストが行われた。今年7度目のスト。<ref>[http://sankei.jp.msn.com/world/news/111201/erp11120119260004-n1.htm 新政権下で初のゼネスト ギリシャ官民2大労組] 産経ニュース 2011年12月1日</ref><ref>[http://www.afpbb.com/article/economy/2843473/8151391 ギリシャで今年6回目のゼネスト、新首相推進の緊縮策に抗議] AFPBB News 2011年12月2日</ref>
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− | 若年齢での失業率が世界的に見ても高く50%台である。また、[[ギリシャ政治における腐敗|政界における腐敗の問題]]も指摘されている。
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− | | |
− | == 国際関係 ==
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− | 周辺国との関係では、[[キプロス]]の帰属問題で[[トルコ]]とは対立関係にある。ギリシャ民族の国家であった[[マケドニア王国]]やギリシャ国内の[[マケドニア地方]]と同じ名を名乗るスラヴ系の[[マケドニア共和国]]とも対立状態にある。
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− | | |
− | == 軍事 ==
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− | {{main|ギリシャ軍}}
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− | {{節スタブ}}
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− | | |
− | == 地方行政区分 ==
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− | {{main|ギリシャの地方行政区画}}
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− | [[File:Peripheries of Greece numbered.svg|thumb|250px|ギリシャのペリフェリア]]
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− | 全土は、13のペリフェリア(地方)、74のペリフェリアキ・エノティタ(県)、325のディモス(市)に区画されている。ギリシャ共和国の主権の下に属する特殊な地域として、[[修道士]]による自治が行われている[[アトス自治修道士共和国]]([[アトス山]])がある。
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− | #[[アッティカ]]
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− | #[[中央ギリシャ]]
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− | #[[中央マケドニア]]
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− | #[[クレタ島|クレタ]]
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− | #[[東マケドニア・トラキア]]
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− | #[[イピロス]]
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− | #[[イオニア諸島]]
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− | #[[北エーゲ]]
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− | #[[ペロポネソス]]
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− | #[[南エーゲ]]
| |
− | #[[テッサリア]]
| |
− | #[[西ギリシャ]]
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− | #[[西マケドニア]]
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− | :(14). [[アトス自治修道士共和国]]([[アトス山]])
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− | | |
− | === 主要都市 ===
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− | {{Main|ギリシャの都市の一覧}}
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− | {|class="wikitable" style="text-align:center"
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− | |+ギリシャの10万人以上の都市(2001年)
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− | !style="width:30px"| !!都市!!地方!!人口
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− | |-
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− | |'''1'''
| |
− | |'''[[アテネ]]'''
| |
− | |[[アッティカ]]
| |
− | |style="text-align:right"|745,514
| |
− | |-
| |
− | |'''2'''
| |
− | |'''[[テッサロニキ]]'''
| |
− | |[[中央マケドニア]]
| |
− | |style="text-align:right"|363,987
| |
− | |-
| |
− | |'''3'''
| |
− | |'''[[ピレウス]]'''
| |
− | |[[アッティカ]]
| |
− | |style="text-align:right"|175,697
| |
− | |-
| |
− | |'''4'''
| |
− | |'''[[パトラ]]'''
| |
− | |[[西ギリシャ]]
| |
− | |style="text-align:right"|171,616
| |
− | |-
| |
− | |'''5'''
| |
− | |'''[[イラクリオン]]'''
| |
− | |[[クレタ島|クレタ]]
| |
− | |style="text-align:right"|137,711
| |
− | |-
| |
− | |'''6'''
| |
− | |'''[[ラリサ]]'''
| |
− | |[[テッサリア]]
| |
− | |style="text-align:right"|126,076
| |
− | |}
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− | | |
− | == 地理 ==
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− | [[File:Mytikas.jpg|thumb|220px|ギリシャ最高峰及び神話上の[[オリュンポス十二神]]の居所である[[オリンポス山]]]]
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− | {{main|{{仮リンク|ギリシャの地理|en|Geography of Greece}}}}
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− | ギリシャの国土は4つの地方に分かれる。
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− | *まず、国土の約2割を占める[[エーゲ海]]を中心とした島嶼である([[ギリシャの島の一覧]]参照)。最大の島はエーゲ海南方に浮かぶ[[クレタ島]] (8336[[平方キロメートル|km<sup>2</sup>]])、次いでエーゲ海西部と本土の間に横たわる[[エヴィア島]] (3,670km<sup>2</sup>) である。
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− | *次に[[コリンティアコス湾]]と[[コリントス運河]]によって他の地域と区別できる南部の[[ペロポネソス半島]]である。
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− | *国土の西海岸線に沿った形で南北に伸びるギリシャ最大の山脈{{仮リンク|ピンドス|en|Pindus|label=ピンドス山脈}}は湿潤な西部と乾燥した東部を分かつ。
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− | *最後に、古代の都市国家を含む[[中央ギリシャ]]である。
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− | ギリシャの国土は山がちである。ピンドス山脈には2000mを超える峰がいくつもあり、北東のブルガリア国境には[[ロドピ山脈]]が東西に伸びる。ギリシャの最高峰[[オリンポス山]] (2917m) はどちらの山脈にも属さず、東西、南北とも15kmにわたって広がる独立した山塊となっている。平原から立ち上り山頂に雪を帯びたオリンポス山の姿は古代から神聖視されてきた。
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− | | |
− | === 気候 ===
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− | ほぼ全土が[[ケッペンの気候区分]]でいう[[地中海性気候]] (Cs) に区分される。従って、温暖で湿潤な冬季と乾燥し高温の夏季にはっきり分かれる。首都アテネの平均気温は、冬季の1月が10.1°C、夏季の7月では28.0°Cである。年平均降水量は383.8mm。これは同じ地中海性気候に分類される[[ローマ]]の約{{sfrac|1|2}}と少ない。なお、最北部は山岳地帯であり、冬季に気温が下がる[[温暖湿潤気候]] (Cfa) に分類される。
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− | | |
− | == 経済 ==
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− | [[File:Greece public debt 1999-2010.svg|thumb|1999–2010年のギリシャの公債割合及びユーロ圏平均の比較]]
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− | {{main|ギリシャの経済}}
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− | {{See also|2010年欧州ソブリン危機|グレグジット}}
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− | | |
− | === 産業 ===
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− | [[国際通貨基金|IMF]]の統計によると、[[2013年]]の[[国内総生産]] (GDP) は2,418億ドルであり<ref name="imf201410" />、[[神奈川県]]よりやや小さい経済規模である(なお、神奈川県の人口はギリシャの全人口の82%ほどである)<ref>[http://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/data/data_list/kenmin/files/contents/pdf/gaiyou1.pdf 平成 22 年度県民経済計算について]内閣府。2013年12月7日閲覧。</ref>。同年の一人当たりの名目GDPは21,857ドルであり<ref name="imf201410" />、世界平均の2倍を越えている。バルカン半島の国家の中では経済的に最も豊かな国であり、一人当たりの名目GDPは[[ルーマニア]]やトルコの約2倍、アルバニアの約5倍である。[[2008年]]には一人当たりの名目GDPは3万ドルを超えていたが、近年は不況と財政問題で下落している。
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− | | |
− | 主力産業は農業、鉱業、工業、輸送業(主に海運業)、観光業。農業では世界第3位の生産量である[[オリーブ]](200万トン)や世界8位の[[綿]]、同10位の[[タバコ|葉タバコ]]が際立つ。いずれも地中海性気候に合った作物である。しかしながら小麦やとうもろこしなど主食となる穀物の生産は振るわず、食料を自給できていない<ref>以下、統計資料は[[国際連合食糧農業機関|FAO]] Production Yearbook 2002、[[国際連合|United Nations]] International Trade Statictics Yearbook 2002、United Nations Mineral Yearbook 2002。統計データはいずれも2002年時点の数値である</ref>。
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− | | |
− | 鉱業では[[石炭]]が有力。石炭の統計は品位別に分かれており、低品位で主に燃料に用いる[[亜炭]]・[[褐炭]]では世界第4位(6,600万トン)である。[[マグネシウム]]鉱にも富み、[[鉄]]、[[ニッケル]]、[[ボーキサイト]]、原油、[[天然ガス]]など、生産量は少ないながら10種類以上の主要鉱物が見られる。
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− | | |
− | 古代から地中海一帯で貿易を展開してきた歴史があるせいか、[[オナシス]]家、[[スタブロス・ニアルコス|ニアルコス]]家、[[ラティス家]]、[[マルチノス家]]、[[ロス家]]、[[クルクンディス家]]、[[:en:Stavros G. Livanos|リバノス]]家と[[海運]]王が多く、輸送業の中心は船舶であり、船舶保有量は世界第4位の2,870万総トンに及ぶ。一般貨物船は船舶保有量(総トン)の3%と少なく、[[オイルタンカー]]、鉱石や穀物用のばら積み船が80%以上を占める。このような比率は船舶保有量上位10カ国には見られない特異な傾向である。ギリシャ人船主は[[パナマ]](世界第1位)や[[キプロス]](世界第6位)など税制優遇措置を利用できる国に自らの船を登録することも多く、実態を反映していない可能性がある。<!--(ただし、その内実は[[税制]]的な優遇から外国企業よりの[[名義貸し]]的な数が含まれる)--><!-- 逆です -->ギリシャには輸出できる製品が少ないため、貿易赤字が続いている。<ref>http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-07-03/2015070308_01_1.html</ref>
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− | | |
− | === 観光業 ===
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− | [[File:Corfu Town R02.jpg|thumb|center|700px|[[世界遺産]]の[[ケルキラ]]旧市街]]
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− | [[File:Ia Santorini-2009-1.JPG|thumb|right|240px|[[サントリーニ島]]]]
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− | {{See also|ギリシャの観光}}
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− | 数多くの古代ギリシャや東ローマ時代の[[遺跡]]・遺構、[[エーゲ海]]の風光明媚な島々などの観光資源も多く、観光も重要な産業となっており、海運業、[[移民]]からの送金と観光業でギリシャの三大収入源となっている。オリンピックの開催地アテネで[[2004年アテネオリンピック|アテネオリンピック]]が開催された2004年の時点でギリシャ総労働者数の16,5%、約66万件が何らかの形で観光業に携わっており、さらにそれまでギリシャ観光を統括していたギリシャ政府観光局の上の組織として観光省が新設された。
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− | | |
− | === 貿易 ===
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− | [[ファイル:Greece Export Treemap.jpg|thumb|色と面積で示したギリシャの輸出品目]]
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− | | |
− | 100億ドルの輸出に対し、輸入は300億ドルであり、慢性的な貿易赤字が続いている。しかしながら、輸送業、観光業などによって貿易赤字をほぼ充当できている。主要輸出品目は、衣料、[[果実]]、石油製品である。これらに次ぎ、[[アルミニウム]]の輸出が多いことが特徴である。主要輸出相手国は、ドイツ、イタリア、イギリス。主要輸入品目は、[[原油]]、機械類、電気機械である。主要輸入相手国はドイツ、イタリア、フランス。
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− | | |
− | 日本との貿易関係は、日本に対して[[ナフサ]]、葉タバコ、貴金属製品を輸出し、乗用車、タンカー、貨物船を輸入するというものである。このことから、ギリシャの[[石油化学工業]]や軽工業が機能しており、輸送業に必要な船舶を自前で調達していることが分かる。なお[[大理石]]の輸出も日本への輸出額の4.2%を占めている。
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− | | |
− | === 交通 ===
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− | [[1980年代]]に入ると、ギリシャの道路、鉄道はかなりの部分が近代化された。この中での重要な箇所にはギリシャ北西部([[イグメニツァ]])とギリシャ北東部を結ぶギリシャの[[エグナシア・ハイウェイ]]{{enlink|Egnatia Odos (modern road)|a=on}}が含まれている。[[リオン・アンティリオン橋]](ヨーロッパで最も長い斜張橋、総距離は2,252m(7382フィート)は中央ギリシャの[[アンティリオン]]{{enlink|Antirrio|a=on}}と[[ペロポネソス半島]]の[[リオン (ギリシャ)|リオン]]{{enlink|Rio, Greece|a=on}}([[パトラ]]から7km、もしくは4マイル)を結んでいる。ペロポネソス半島西部の[[ピルゴス (ギリシャ)|ピルゴス]]{{enlink|Pyrgos, Ilia|a=on}}へ続く、パトラ・アテネ高速道路の延長は2014年までに完成される予定となっている。
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− | | |
− | 首都であるアテネの都市圏では2001年に新たに[[アテネ国際空港]]が開港し、さらに郊外を走る新たな民間の高速道路である[[アッティキ・ハイウェイ]]{{enlink|Attiki Odos|a=on}}が2001年に開通、そして2000年以降、[[アテネ地下鉄]]が拡張された。
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− | | |
− | ギリシャの[[島嶼]]部と主要都市の多くはギリシャの二大航空会社、[[オリンピック航空]]と[[エーゲ航空]]によって結ばれている。航路は[[水中翼船]]、[[双胴船|カタマラン(双胴船)]]を含む最新の高速船で運航されている。他のヨーロッパ諸国では重要な位置を占めている鉄道はギリシャでは主要地位ではない。しかし、アテネオリンピックを契機に近郊鉄道[[プロアスティアコス]]がアテネ都市圏に新たに開設されたり、[[ギリシャ国鉄]]の[[アテネ駅]]と[[テッサロニキ新駅]]間の幹線路線も複線電化されるなど、鉄道インフラのスクラップアンドビルドが斬新的に進められている。
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− | | |
− | かつてはアテネやテッサロニキから他のヨーロッパ諸国、バルカン諸国、トルコへ直通する列車が運行されていたが、[[2010年欧州ソブリン危機]]により国鉄の経営が圧迫されたため、国際列車が全面運休となったこともある<ref>{{cite web | url=http://www.tanea.gr/ellada/article/?aid=4618021 | title=Αναστέλλονται όλα τα διεθνή δρομολόγια του ΟΣΕ [All international routes of OSE have been suspended] | publisher=''Ta Nea'' | date=February 13, 2011|accessdate=不明}} {{el icon}}</ref>。その後、限定的な運行が再開され、2014年夏ダイヤでは[[テッサロニキ新駅]]より[[ブルガリア]]と[[マケドニア]]/[[セルビア]]方面の一部列車が運行している。また、ペロポネソス半島内の鉄道路線(ペロポネソス狭軌鉄道)は、改軌されたプロアスティアコスの路線など一部を除き、(2014年現在)全面運休が続いている。
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− | {{-}}
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− | == 国民 ==
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− | [[File:Greecepop.svg|thumb|right|ギリシャの[[人口ピラミッド]]]]
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− | <!-- ''詳細は[[ギリシャの国民]]を参照'' -->
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− | ギリシャの公式統計機関であるギリシャ国立統計局 (NSSG) の発表によれば、2001年のギリシャの全人口は、10,964,020人<ref name=nssg>{{cite web |url = http://www.statistics.gr/eng_tables/hellas_in_numbers_eng.pdf |title = Greece in Numbers |work = National Statistical Service of Greece |publisher = www.statistis.gr |year = 2006 |accessdate = 2007-12-14 |format = PDF }}</ref>。その内訳は男性5,427,682人、女性5,536,338人であった<ref name=nssg/>。1971年、1981年そして2001年とギリシャの人口統計は過去数十年行われることがなかった<ref name=nssg/>。
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− | | |
− | 2013年の[[合計特殊出生率]]は1.30人と、[[少子高齢化]]が進む<ref name="OECDstat">{{Cite report|publisher=OECD |date=2016 |title=Demographic references - Fertility rates|doi=10.1787/health-data-en}}</ref>。2003年の出生率は1000人に対して9.5人(1981年は1000人に対して14.5人)であった。同時に死亡率は1981年の1,000人に対して8.9%であったのが2003年には1,000人に対して9.6%と増加している。2001年の時点で65歳以上の高齢者は16.71%、15歳から64歳までが68.12%、14歳以下が15.18%であった<ref name=nssg/>。
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− | | |
− | ギリシャ社会は時を経ると共に急激に変化した。婚姻率は1981年の1,000人に対して71%から2002年まで低下し続けていたが、2003年には僅かに増加して61%となったが、2004年、再び低下して51%となった<ref name=nssg/>。一方で離婚率は増加しており、1991年の時点で1,000組に対して191.12件であったが、2004年には1,000組に対して239.5組となっている<ref name=nssg/>。ギリシャ人のほぼ3分の2が市街地に居住しており、2001年のギリシャ最大自治体は以下の通りであった。[[アテネ]]、[[テッサロニキ]]、[[ピレウス]]、[[パトラ]]、[[イラクリオン]]、[[ラリサ]]、[[ヴォロス]]<ref name=cities>{{cite web |url=http://www.statistics.gr/Athena2001/Athena2001.ASP?wcu=$cmd=0$id=5200712142356520314915 |title = Athena 2001 Census |work = National Statistical Service of Greece |accessdate = 2007-12-14 |publisher = www.statistics.gr }}</ref>。
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− | === 国外への移民 ===
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− | [[File:50 largest Greek diaspora.png|thumb|380px|[[w:Greek diaspora|ギリシャ人移住]]者数上位50箇国]]
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− | 19世紀末から20世紀を通じて、何百万人ものギリシャ人が[[アメリカ合衆国]]、[[オーストラリア]]、[[カナダ]]、[[イギリス]]、[[ドイツ]]、南米へ移住、各地で[[ギリシャ移民]]<!--[[:en:Greek diaspora]]-->らは成功を収めた。特にオーストラリアのメルボルンには、ギリシャ人移民が多く、その数はギリシャ国内の[[アテネ]](75万人)、[[テッサロニキ]](32万人)に次ぐ<ref>{{cite news |title = ギリシャから国民続々脱出で今や豪州に“第3の都市”が誕生 |author = |newspaper = ガジェット通信 |date = |url = http://getnews.jp/archives/269202 |accessdate = 2012-10-30 }}</ref>。
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− | | |
− | この海外移住傾向は1980年代以降、[[ギリシャの経済|ギリシャ経済]]の重要な改善の後、収まりつつあったが、2010年からのギリシャの経済危機により、再び海外への移民が増えている。
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− | | |
− | === 国内への移民 ===
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− | ギリシャ国内には外国人の移民もいるが、彼らは正式な書類を持たない不法移民が多い。ギリシャでは[[人種差別]]的な攻撃に関して有罪判決が下ることはほとんどなく、人種差別が横行している。ギリシャの経済危機があってから、彼ら移民はギリシャ人の不満のはけ口にされており、特に攻撃にさらされている<ref>{{cite news |title = アングル:緊縮策のギリシャで「移民危機」、社会不満のはけ口に |author = |newspaper = ロイター |date = |url = http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPTYE8B800420121209 |accessdate = 2012-12-9 }}</ref>。ギリシャ当局も不法移民には厳しい態度で当たっており、[[国際連合難民高等弁務官事務所|国連難民高等弁務官事務所]]によれば、ギリシャの警察は海上で難民を乗せた船を見かけた場合、移民を乗せた船を引っ張って[[トルコ]]などに「押し戻す」行為が行われているという。これにより船が転覆、死亡する者も出ているが、ギリシャはこれを否定している。また、不法移民を収容する施設は過密状態で不衛生であり、さらに勾留期限は無期限となっている<ref>{{cite news |title=欧州への不法移民:海から押し寄せる大波 |newspaper=[[日本ビジネスプレス]] |date=2014-8-21 |url=http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41532 |accessdate=2014-8-23 }}</ref>。
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− | | |
− | === 民族 ===
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− | {{bar box
| |
− | |title=ギリシャの民族構成
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− | |titlebar=#ddd
| |
− | |width= 300px
| |
− | |float=right
| |
− | |bars=
| |
− | {{bar percent|[[ギリシャ人]]|blue|98}}
| |
− | {{bar percent|[[トルコ人]]|green|1}}
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− | {{bar percent|その他|lightblue|1}}
| |
− | }}
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− | [[ギリシャ人]]が98%、他に[[アルーマニア人]]、[[トルコ人|トルコ系]]、[[ユダヤ人|ユダヤ系]]、[[アルバニア人]]。
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− | {{節スタブ}}
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− | | |
− | === 言語 ===
| |
− | 主たる言語はギリシャ語である。
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− | {{節スタブ}}
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− | | |
− | === 人名 ===
| |
− | ギリシャ人は長男に父方の祖父の名を付ける、などの習慣があるが、姓が普及したのは、有力貴族が成長してきた9世紀の東ローマ帝国時代以降のことである。婚姻の際に姓が変わることはない([[夫婦別姓]])が、社会的な関係においては、配偶者が同意した場合のみ配偶者の姓を用いる、あるいはその姓に自己の姓を付加して使用することが認められている。
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− | | |
− | === 宗教 ===
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− | {{Bar box
| |
− | |title = ギリシャの宗教(2001年)<ref>https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/gr.html</ref><ref>The newest polls show about 20% Greek citizens being irreligious which is much more than 1%. Ultimately, the statistics are disputed until the results of the [[Greek census 2011|new census]].</ref>
| |
− | |titlebar = #ddd
| |
− | |float = right
| |
− | |bars =
| |
− | {{Bar percent|ギリシャ正教会|blue|98}}
| |
− | {{Bar percent|イスラム教|green|1.3}}
| |
− | {{Bar percent|その他|grey|0.7}}
| |
− | }}
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− | 主たる宗教は、[[キリスト教]][[正教会]]に属するアテネ[[大主教]]の管掌下にある[[ギリシャ正教会]]。ただし、[[クレタ島]]と[[アトス山]]だけは[[コンスタンディヌーポリ総主教庁]]の管轄下にある。少数派としては[[イスラム教]]や[[カトリック教会|カトリック]]の他に、[[ネオペイガニズム]]運動の1つとして古代[[ギリシア神話]]の神々を信仰する「{{仮リンク|ギリシア多神教復興運動|en|Hellenic Polytheistic Reconstructionism}}」が存在する。
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− | {{節スタブ}}
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− | | |
− | === 保健 ===
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− | [[平均寿命]]は81.4歳<ref name=OECDhg />。かつては[[ユニバーサルヘルスケア]]が実現されていたが、国家経済破綻のため2013年には加入率79.9%に転落し、長期失業者や保険に加入しない自営業者が発生した<ref name="OECDhg">{{Cite |publisher=OECD |date=2015-11 |title=Health at a Glance 2015 |doi=10.1787/19991312 |isbn=9789264247680 |at=Chapt.7.1}}</ref>。
| |
− | | |
− | == 文化 ==
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− | [[File:Temple of Hephaestus.jpg|thumb|260px|[[アテネ]]の[[ヘーパイストス神殿]]]]
| |
− | [[File:Corfu Town Hall R01.jpg|thumb|現代ギリシャ初の劇場及びオペラハウスである[[w:Nobile Teatro di San Giacomo di Corfù|Nobile Teatro di San Giacomo di Corfù]]]]
| |
− | [[File:Plato Silanion Musei Capitolini MC1377.jpg|thumb|right|150px|[[プラトン]]。「[[西洋哲学|全欧州哲学史]]はプラトン哲学に対する膨大な注釈に過ぎない。」 ([[アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド]]、''[[w:Process and Reality|Process and Reality]]''、1929年)]]
| |
− | {{main|[[:en:Culture of Greece|ギリシャの文化]]|ビザンティン文化}}
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− | 紀元前からギリシャは[[哲学]]や文化、芸術に様々な影響を与えてきた。その影響力の大きさから、ギリシャは「ヨーロッパ文化のゆりかご」と称されることもある。
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− | === 食文化 ===
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− | {{main|ギリシア料理}}
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− | ギリシャの料理は[[地中海]]料理であるが、西方の[[イタリア料理]]のみならず[[トルコ料理]]や[[レバノン料理]]などの東方の地中海料理との共通性も多い。これには[[東ローマ帝国]]や[[オスマン帝国]]といった[[歴史]]から由来する。
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− | 新大陸に原産地とされて以降食として加えられる[[トマト]]や他の[[野菜]]を多彩に使用する点が特徴とされているが、これは一定期間、肉食を禁じられるという[[ギリシア正教会]]における戒律にある。また地中海に面するため[[タコ]]や[[イカ]]、そして[[魚介類]]なども使用する。
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− | ギリシャの代表的な料理として[[タラモサラダ]]や[[ムサカ]]、[[ピキリア]]、[[ドルマ]]などがある。このギリシャ料理は[[2010年]]に、イタリア料理や[[スペイン料理]]、[[モロッコ料理]]と共に『地中海の食事』として[[ユネスコ]]の[[無形文化遺産]]に登録されている。
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− | === 建築 ===
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− | {{main|ギリシア建築}}
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− | === 文学 ===
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− | {{main|ギリシア文学}}
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− | === 哲学 ===
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− | {{main|ギリシア哲学}}
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− | === 美術 ===
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− | {{main|ギリシア美術}}
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− | === 世界遺産 ===
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− | {{main|ギリシャの世界遺産}}
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− | ギリシャ国内には、[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[世界遺産]]リストに登録された[[文化遺産 (世界遺産)|文化遺産]]は15件、[[複合遺産 (世界遺産)|複合遺産]]は2件の全'''17'''件が存在する。
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− | === 祝祭日 ===
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− | {|class="wikitable" align="center" style="font-size:95%"
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− | |+祝祭日
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− | !日付!!日本語表記!!ギリシャ語表記!!備考
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− | |[[1月1日]]||元日||{{lang|el|Πρωτοχρονιά}}||
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− | |[[1月6日]]||[[エピファニー|神現祭]]||{{lang|el|Αγια Θεοφάνεια}}||
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− | |移動祝日||聖灰月曜日||{{lang|el|Καθαρά Δευτέρα}}||[[復活祭]]41日前
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− | |[[3月25日]]||独立記念日||{{lang|el|Ευαγγελισμός / Εθνική εορτή}}||
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− | |移動祝日||[[聖大金曜日]]||{{lang|el|Μεγάλη Παρασκευή}}||復活祭前金曜日
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− | |移動祝日||[[聖大土曜日]]||{{lang|el|Μεγάλο Σάββατο}}||復活祭前土曜日
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− | |移動祝日||[[復活大祭]]||{{lang|el|Πάσχα}}||[[春分]]後の満月の次の日曜日
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− | |移動祝日||復活祭翌月曜日||{{lang|el|Δευτέρα του Πάσχα}}||
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− | |[[5月1日]]||[[メーデー]]||{{lang|el|Εργατική Πρωτομαγιά}}||
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− | |移動祝日||[[ペンテコステ|聖神降臨祭]]翌月曜日||{{lang|el|Δευτέρα του Αγίου Πνεύματος}}||
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− | |[[8月15日]]||[[生神女就寝祭]]||{{lang|el|Κοίμησις Θεοτόκου}}||
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− | |[[10月28日]]||[[参戦記念日 (ギリシャ)|参戦記念日]] || {{lang|el|To "΄Οχι"}}||対伊国土通過拒否の日 ({{lang|el|Επέτειος του Όχι}})
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− | |[[12月25日]]||[[クリスマス|主の降誕祭]]||{{lang|el|Χριστούγεννα}}||
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− | |[[12月26日]]||[[生神女]]のシナクシス||{{lang|el|Σύναξις Θεοτόκου}}||
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− | == スポーツ ==
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− | [[ファイル:Louis entering Kallimarmaron at the 1896 Athens Olympics.jpg|thumb|第1回[[近代オリンピック]]である1896年の[[1896年アテネオリンピック|アテネオリンピック]]]]
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− | {{Main|[[:en:Sport in Greece|ギリシャのスポーツ]]}}
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− | [[古代オリンピック|オリンピック]]発祥の地。このため、[[オリンピックのギリシャ選手団]]は[[近代オリンピック]]の開会式では常に第1番目の入場国となっている。
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− | 国民に人気があるスポーツは[[サッカー]]である。[[サッカーギリシャ代表|ギリシャ代表]]は[[UEFA欧州選手権]]に3度出場して[[サッカー欧州選手権2004|2004年大会]]で初優勝。[[FIFAワールドカップ]]は3度([[1994 FIFAワールドカップ|1994年大会]]・[[2010 FIFAワールドカップ|2010年大会]]・[[2014 FIFAワールドカップ|2014年大会]])出場した。[[サッカー・ブンデスリーガ (ドイツ)|ドイツ・ブンデスリーガ]]で[[テオファニス・ゲカス]]が2006-07シーズンの得点王となった。
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− | また[[バスケットボール]]も盛んであり、[[2006年]]に[[日本]]で開催された[[2006年バスケットボール世界選手権|世界選手権]]では [[NBA]] でプレーする選手が不在の中、[[バスケットボール男子アメリカ合衆国代表|ドリームチーム]]を下し準優勝となった。
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− | == 脚注 ==
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− | == 参考文献 ==
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− | == 関連項目 ==
| + | ヨーロッパ南東部にある共和国。地中海東部に突出する[[バルカン半島]]の南部を中心に,[[クレタ島]]をはじめとする[[エーゲ海]]諸島,および[[イオニア諸島]]からなり,北は[[アルバニア]],[[マケドニア]],[[ブルガリア]],東は[[トルコ]]と国境を接する。地形は全体に山がちで,国土の約 4分の3を山地が占め,バルカン半島部の西寄りを北北西-南南東方向に連なる[[ピンドス山脈]]が脊梁山脈をなす。最高点は[[オリンボス山]]の 2917m。[[ストルマ川]],[[アクシオス川]],[[ピニオス川]]などの流域に比較的広い平野がある。基本的には[[温帯冬雨気候]](地中海式気候)に属し,夏は乾燥し,雨はおもに冬に降るが,複雑な地形の影響で地域差が大きい。住民の 90%以上は[[ギリシア人]]で,ほかにマケドニア人,トルコ人,アルバニア人,[[ロム]]などが住む。[[ギリシア正教]]が国教に定められ,住民のほとんどすべてがこれに属する。言語は従来,公文書,議会,法廷などの公式用語としては[[カサレブサ]]と呼ばれる現代ギリシア語文語が用いられてきたが,1976年に[[ディモティキ]]と呼ばれる口語を主とした標準現代ギリシア語が公用語となった([[ギリシア語]])。1973年6月,6年間続いた軍事政権に終止符が打たれ,共和制へ移行。[[立憲君主制]]への復帰が国民投票で否決されたのち,1975年6月大統領を国家元首とする議会民主制を定めた新しい共和国憲法が公布された。1981年[[ヨーロッパ連合]] EUの前身であるヨーロッパ共同体 ECに加盟。同年 10月社会主義政権が誕生したが,1989年6月議会選挙で敗北し,保守政権が誕生。伝統的に農業国だったが,2009年の農林水産業従事者は 52万人で,食糧自給は達成されておらず,[[国内総生産]] GDPに占める割合も 2.8%にすぎない。主要作物はコムギ,オオムギ,トウモロコシ,タバコ,テンサイ,トマト,各種果樹。牧畜はヒツジ,ヤギの飼育が中心。鉱業生産の半分以上は褐炭により,ほかに鉄鉱,マグネシウム鉱,亜鉛などの採掘が盛んで,近年ボーキサイト,石油,天然ガス生産が増加。主要工業は食品,繊維,化学,鉄鋼,アルミニウム,造船,石油精製などであるが,アテネ,[[セサロニキ]]に集中して立地するため,政府は他地域の工業化を推進した。交通・宿泊施設の拡充に伴って 1970年代半ば以降に観光業が急成長,2011年の観光収入は約 148億ドルに達し,重要な産業となっている。世界的海運国として,海運業も重要。2010年に財政が著しく悪化,EUと[[国際通貨基金]] IMFの支援を受けた。[[北大西洋条約機構]] NATO加盟国。 |
− | * [[文明]]
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− | * [[ギリシア神話]]
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− | * [[ギリシャ関係記事の一覧]]
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− | * [[ギリシャの民俗舞踊]]
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− | * [[w:International rankings of Greece|International rankings of Greece]]
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− | * [[w:Macedonia naming dispute|Macedonia naming dispute]]
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− | * [[w:Outline of Greece|Outline of Greece]]
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− | * [[w:Water supply and sanitation in Greece|Water supply and sanitation in Greece]]
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| + | *[[ギリシア史]] |
| + | |
| == 外部リンク == | | == 外部リンク == |
− | {{Wiktionary}}
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− | {{Commons&cat|Ελλάδα|Greece}}
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− | ;政府
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| *[http://www.presidency.gr/ ギリシャ共和国大統領府] {{el icon}}{{en icon}} | | *[http://www.presidency.gr/ ギリシャ共和国大統領府] {{el icon}}{{en icon}} |
− | *[http://www.primeminister.gr/ ギリシャ共和国首相府] {{el icon}}{{en icon}}
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− | *[http://www2.mfa.gr/www.mfa.gr/AuthoritiesAbroad/Asia/Japan/EmbassyTokyo/ja-JP/ 駐日ギリシャ大使館] {{ja icon}}
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− | ;日本政府
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− | *[http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/greece/ 日本外務省 - ギリシャ] {{ja icon}}
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− | *[http://www.gr.emb-japan.go.jp/portal/jp/index.html 在ギリシャ日本国大使館] {{ja icon}}
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− | ;観光
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| *[http://www.visitgreece.jp/ ギリシャ政府観光局] {{ja icon}} | | *[http://www.visitgreece.jp/ ギリシャ政府観光局] {{ja icon}} |
− | ;その他
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− | *[http://www.jetro.go.jp/world/europe/gr/ ジェトロ- ギリシャ] {{ja icon}}
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− | {{ヨーロッパ}} | + | {{テンプレート:20180815sk}} |
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