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[[ファイル:カルロフォルテの港.サルジニア島,イタリア.jpg|サムネイル]]
{{Otheruses|島|かつての国家|サルデーニャ王国}}
+
'''サルデーニャ'''({{lang-it|Sardegna}})
{{Notice|サルデーニャ州の県級行政区画は再編の過渡期にあり、本項の記述は現状を反映していない可能性があります。}}
 
{{イタリアの州
 
| nome= サルデーニャ自治州
 
| nomeRegione= Regione Autonoma della Sardegna([[イタリア語]])<br/>Regione Autonoma de sa Sardigna([[サルデーニャ語]])
 
| linkBandiera = Bandiera ufficiale RAS.svg
 
| linkStemma= Sardegna-Stemma.svg
 
| zona= [[イタリア島嶼部]]
 
| capoluogo= [[カリャリ]](カリアリ)
 
| superficie= 24,089.89 <ref name="kmq">{{Cite web|author=[[国立統計研究所 (イタリア)|国立統計研究所(ISTAT)]]|url=http://dawinci.istat.it/MD/dawinciMD.jsp?a1=m0I040WI0&a2=mG0y8048f8&n=1UH90007S04&v=1UH0D807UI30000|title=Tavola: Superficie territoriale (Kmq) - Sardegna (dettaglio provinciale) - Censimento 2001.|language=イタリア語|accessdate=2012-11-04}}</ref>
 
| abitanti= 1,675,411 <ref name="demo.istat">{{Cite web|author=[[国立統計研究所 (イタリア)|国立統計研究所(ISTAT)]]|url=http://demo.istat.it/pop2011/index1_e.html|title=Total Resident Population on 1st January 2011 by sex and marital status|language=英語|accessdate=2012-11-04}}</ref>
 
| densita= 69.5
 
| anno=2011-01-01
 
| province = [[オリスターノ県|オリスターノ]]、[[オリアストラ県|オリアストラ]]、 [[オルビア=テンピオ県|オルビア=テンピオ]]、 [[カリャリ県|カリャリ]]、[[カルボーニア=イグレージアス県|カルボーニア=イグレージアス]]、[[サッサリ県|サッサリ]]、[[ヌーオロ県|ヌーオロ]]、 [[メディオ・カンピダーノ県|メディオ・カンピダーノ]]
 
| numeroComuni= 377
 
| categoriaComuni= サルデーニャ州のコムーネ
 
| sito= http://www.regione.sardegna.it
 
| presidente= Ugo Cappellacci
 
| elezioni=2009/02/15から
 
| note=
 
|linkMappa = Sardinia in Italy.svg
 
}}
 
'''サルデーニャ'''({{lang-it|Sardegna}})は、[[イタリア半島]]西方、[[コルシカ島]]の南の[[地中海]]に位置する[[イタリア]]領の[[島]]。地中海では[[シチリア島]]に次いで2番目に大きな島である。
 
 
 
周辺の島を含めて、'''サルデーニャ自治州'''を構成している。この州は、イタリアに5つある[[イタリアの地方行政区画|特別自治州]]のひとつである。州都は[[カリャリ]](カリアリ)<ref>{{Cite web |url = https://kotobank.jp/word/サルデーニャ島-70136 |title = 日本大百科全書(ニッポニカ)の解説 |publisher = コトバンク |accessdate = 2018-02-09 }}</ref>。
 
 
 
== 名称 ==
 
サルデーニャは、[[サルデーニャ語]]ではSardigna, Sardinna, Sardinnia 、[[イタリア語]]ではSardegna、[[カタルーニャ語]]ではSardenyaと綴る。この違いの影響もあり、[[日本語]]ではイタリア語からのサルデーニャの他、[[ラテン語]]や[[英語]]のSardiniaに由来する'''サルディニア'''、'''サルジニア'''、'''サルヂニア'''、'''サルデニア'''などの表記がある。
 
 
 
古代にこの島は[[フェニキア]]人によりイクヌーザ(ラテン式の綴りでIchnusa、もとはHyknusa)と呼ばれており、現在は州都[[カリャリ]]で製造される、サルデーニャで一番ポピュラーなビールにその名を残している。また、[[イタリア半島]]を足だとすると、その足跡にあたるような島の形から、[[古代ギリシャ]]人はサンダリオン(Sandalyon)と呼んでいた。[[鰯]]の英語名[[サーディン]]はこの島から来ている。
 
 
 
== 地理 ==
 
=== 位置・広がり ===
 
<!--[[ファイル:Sardinia satellite.jpg|right|thumb|280px|衛星写真]]-->
 
[[File:Sardinia topo.png|right|thumb|280px|地勢図]]
 
サルデーニャ島は西[[地中海]]の中央に位置している。島の面積は24,090km{{sup|2}}、人口165万人。
 
 
 
東の[[イタリア半島]]との間の海は[[ティレニア海]]と呼ばれる。北側には[[ボニファシオ海峡]]を挟んで[[フランス]]領[[コルシカ島]](コルス島)を望む。西側の海は[[サルデーニャ海]]と呼ばれており、真西に[[スペイン]]領[[バレアレス諸島]]がある。南に[[チュニジア]]、南東には[[シチリア島]]がある。
 
 
 
島全体が[[イタリア|イタリア共和国]]のサルデーニャ[[自治州]]である。イタリア本土との歴史的・地理的・文化的な差異が大きいことから[[イタリアの地方行政区画#特別自治州|特別自治州]]という位置づけになっているが、海外領土(植民地)ではなく、あくまでも本国の一部である。州都の[[カリャリ]]は島の南海岸に位置し、チュニジアの首都[[チュニス]]から北北西へ約283km、シチリア島の[[パレルモ]]から西北西へ約388km、イタリアの首都[[ローマ]]から南西へ約410km、バレアレス諸島の[[パルマ・デ・マヨルカ]]から東へ約558kmの距離にある。オモデオ湖を始めとする54の貯水池がある。
 
 
 
=== 主要な都市 ===
 
[[File:Sardegna - Lago Omodeo.JPG|thumbnail|right|オモデオ人工湖]]
 
 
 
人口3万人以上のコムーネは以下の通り。人口は2011年1月1日現在<ref name="demo.istat" />。
 
 
 
*[[カリャリ]] ([[カリャリ県]]) - 156,488人
 
*[[サッサリ]] ([[サッサリ県]]) - 130,658人
 
*[[クアルトゥ・サンテーレナ]] (カリャリ県) - 71,779人
 
*[[オルビア]] ([[オルビア=テンピオ県]]) - 56,066人
 
*[[アルゲーロ]] (サッサリ県)  - 40,965人
 
*[[ヌーオロ]] ([[ヌーオロ県]]) - 36,347人
 
*[[オリスターノ]] ([[オリスターノ県]]) - 32,015人
 
 
 
州都カリャリ周辺のカリャリ都市圏{{enlink|Area metropolitana di Cagliari||it}}には、島の人口の約25%にあたる約42万人が暮らす。他方、島の東部を中心として人口が稀薄であり、2011年現在の県別人口密度において、イタリアで最も低い[[オリアストラ県]](31.3人/km{{sup|2}})を筆頭として、[[ヌーオロ県]](40.8人/km{{sup|2}}、第3位)、[[オルビア=テンピオ県]](46.5人/km{{sup|2}}、第4位)、[[オリスターノ県]](54.6人/km{{sup|2}}、第6位)が人口密度の低さの上位に並んでいる。
 
{{gallery
 
|width=180
 
|height=180
 
|lines=1
 
|File:StampaceCA2.jpg|カリャリ
 
|File:Piazza d'Italia di Sassari.JPG|サッサリ
 
|File:Beach-near olbia.JPG|オルビア
 
|File:Nuoro agosto 2009 149.JPG|ヌーオロ
 
}}
 
 
 
=== 気候 ===
 
サルデーニャは[[地中海性気候]]に属し、春と秋は暖かく、夏は暑く、冬は穏やかである。近年、旱魃が続いている。
 
 
 
== 歴史 ==
 
[[新石器時代]]から[[ローマ帝国]]の時代にかけて、[[ヌラーゲ]](Nuraghe)人が上陸し、生活しはじめた。この謎に満ちた民族は、[[紀元前20世紀]]頃、東地中海からやって来たものと推測されている。少しわかっていることは、[[古代エジプト|エジプト]]の碑文に「[[海の民]]」という意味の名前で登場する人々を指しているということである。その碑文の研究によると、彼らは、サルディス([[リディア]])を出発し、[[ティレニア海]]にたどり着いた。そこで、サルデーニャに行く者と[[エトルリア]]に行く者に分かれた、ということである。しかし、サルデーニャ人の起源に関する理論のほとんどは、[[遺伝学]]的な研究と民族の移動状況を重要視している。遺伝学的な研究によると、サルデーニャ人は周辺地域の人々や若い民族とは異なり、前インド=ヨーロッパ人だとしている。新石器時代以降の遺跡の散らばりぐあい、点在範囲、その大きさを調べれば、島の大体の人口がわかり、また彼らがこの島のどこに上陸し、定着したかがわかる。
 
 
 
:''以下は英語版の項目[[:en:History of Sardinia]]からの翻訳である。''
 
 
 
=== 先史時代 ===
 
[[File:Monted'accoddisardegna.png|thumb|right|250px|先史時代の遺跡]]
 
[[1979年]]、15万年前にさかのぼる人類の痕跡が発見された。[[ガッルーラ]]からサルデーニャ北部に居住した最初の人間は、おそらく[[イタリア半島]]の[[トスカーナ]]から渡ってきたとみられている。島の中央部には[[バレアレス]]海を渡り、[[イベリア半島]]から来た人々が居住したとも考えられている。[[先史時代]]の矢じり(約5000年〜6000年前)や、現在[[カリャリ]]の[[考古学]]博物館に納められている[[地中海]]地方の母神像から、高いレベルで石の彫刻を作る能力を持っていたと推測される。
 
 
 
=== 石器文化と黒曜石の時代 ===
 
[[石器時代]]には既に、モンテ・アルチ (Monte Arci) は重要な役割を演じていた。この[[休火山]]は、[[黒曜石]]採掘と刃物・矢じりへの加工の中心地のひとつであった。現在でも山腹では[[火山ガラス]]を見つけることが出来る。[[サッサリ]]の考古学博物館には、紀元前2600年頃の[[青銅器時代]](またはAneolithic Age)の土器が展示されている。
 
 
 
[[File:Sa ena e thomes 2.jpg|thumb|right|250px|青銅器時代の遺跡]]
 
 
 
=== ヌラーゲ文化の時代 ===
 
先史時代のサルデーニャは、[[ヌラーゲ]]と呼ばれる独特の石造りの構造物に特徴づけられている。サルデーニャには複雑な構造のものから単純なものまで、大小7000のヌラーゲが現存している。最も有名なのは[[カリャリ県]]バルーミニのヌラーゲ遺跡、[[スー・ヌラージ・ディ・バルーミニ]]である。このヌラーゲは[[紀元前1800年]]から250年頃にわたって造られ、[[紀元前1200年]]から900年頃に全盛期を迎えた。聖なる水場の隣に建てられ(例:Santa Cristina, Sardara)、墓の構造は[[ドルメン]]と呼ばれる。この時代サルデーニャ人は既に、西地中海で交易を行っていた[[ミケーネ]]人と接触していたことがわかっている。
 
 
 
エジプトを侵略した海洋民族シャルダナ (Shardana) とサルデーニャとのつながりは真偽が疑わしく、立証されていない。墓場 (Tombe dei giganti) には沈みかけの船をかたどった墓石があり、長い航海中に惨事があったことを示している。古代ギリシャで初めて地中海を西に航海した[[エウボイア]]人は、サルデーニャをHyknousaと呼んだ。のちにラテン化しIchnus(s)a(イクヌーザ)となった。ノーラ遺跡の石碑は、[[フェニキア]]人がこの島をShardenと呼んだ証拠となっており、これがSardiniaという名前の由来となっている。
 
 
 
=== サルデーニャにおけるフェニキア人、カルタゴ人、そしてローマ人 ===
 
[[File:- Fordongianus Thermes+.JPG|thumb|right|250px|ローマ時代の風呂遺跡]]
 
[[紀元前8世紀]]から、Tharros(ターロス)、Bithia(ビティア)、Sulcis(スルシス)、Nora(ノーラ)、Karalis(カラリス、現在のカリャリ)と、[[フェニキア]]人が都市や砦をいくつもサルデーニャに築いた。フェニキア人は[[レバノン]]の出身で、地中海で交易を行っていた。彼らは島のあらゆるエリアに定住した。サルデーニャは[[カルタゴ]](現在の[[チュニジア]])、[[スペイン]]、[[ローヌ川]]([[フランス]])、[[エトルリア]]([[イタリア半島]])の間にあったため、西地中海の中心として特別な地位を獲得していた。[[イグレージアス]]周辺の鉱物地帯は、[[鉛]]や[[亜鉛]]の産地として重要であった。都市は防御しやすく天然の港になる、多くは河口に近い半島部や島のような、戦略上の重要な地点に造られた。フェニキア人ののちに、[[紀元前500年]]ごろカルタゴ人(Punic、ポエニ)がサルデーニャ周辺の地中海の覇権を確立した。カルタゴの影響はサルデーニャのほぼ全域に及んでいる。
 
 
 
[[紀元前238年]]、[[ローマ人]]が島を獲得した。ローマはカルタゴと第一次[[ポエニ戦争]]を戦ったが、戦後にカルタゴの[[傭兵]]が反乱を起こしたため、ローマはこの年サルデーニャに上陸し、占領する機会を得た。ローマ人がサルデーニャを獲得した時点で、既に社会基盤と(少なくとも平野部では)都市化された文化があった。サルデーニャは[[シチリア]]とともに、[[古代エジプト|エジプト]]征服までのあいだローマの穀倉地帯のひとつでありつづけた。フェニキア・カルタゴ文化は、ローマ人の支配下にあっても紀元後数世紀まで根強く残った。Tharros(ターロス)、Nora(ノーラ)、Bithia(ビティア)、Antas(アンタス)、Monte Sirai(モンテ・シライ)らは、建築と都市計画の調査に非常に重要な考古学遺跡となっている。
 
 
 
=== 中世 ===
 
[[File:Giudicati of Sardinia 1.svg|thumb|200px|ジュディカーティの領国(14世紀)]]
 
[[ローマ帝国]]の滅亡後、サルデーニャは何度と征服の対象とされている。[[東ローマ帝国]]による帝国の一部としての奪還に先立ち、[[456年]]北アフリカの[[ヴァンダル族|ヴァンダル人]]に占領された。[[711年]]からは、[[サラセン人]]による沿岸部の都市への攻撃が始まった。これが原因となり、[[9世紀]]には1800年の歴史を持つターロスが放棄され、内陸の[[オリスターノ]]が取って代わった。アラブ人に対抗するために、海洋共和国であった[[ピサ]]と[[ジェノヴァ共和国|ジェノヴァ]]による支援が求められた。
 
 
 
[[1063年]]から、この地域の[[東ローマ帝国]]の政治行政組織を踏襲する形で、審判による統治を意味する[[ジュディカーティ]](Giudicati)という制度が形成された。[[中世後期]]において最も特筆すべき、今に至るまで島のヒロインと慕われる人物は、ジュディカーティであったアルボレア国の妃[[エレオノーラ・ダルボレア]](Eleonora d'Arborea)である。彼女は法制の整備に尽力し、[[1395年]]に発効した先進的な民法典カルタ・デ・ログ(Carta de Logu)は[[1827年]]まで使われた。
 
 
 
同じ時代、[[アラゴン連合王国|アラゴン=カタルーニャ王国]]の影響が大きくなり、これはアラゴンによるサルデーニャ占領まで続いた。アラゴンの塔と呼ばれた見張り台が沿岸部全域にわたって作られ、アラブ人の侵入を防ぐことに役立った。これらの見張り台のいくつかは、ちょうど戦略上の重要地点にあったフェニキア都市の石を使って作られた。教会建築への再利用としての好例は、古い都市オトカ(Othoca)の跡に建てられたサンタ・ジュスタ(Santa Giusta)教会にみられる。当時のスペインの影響の強さは、今でも[[アルゲーロ]]周辺で[[カタルーニャ語]]の方言が使われていることからも伺える。
 
 
 
=== サルデーニャ王国の誕生から現代 ===
 
[[スペイン継承戦争]](1701年 - 1714年)でサルデーニャはスペインから[[ハプスブルク君主国|オーストリア]]に渡った。しかし、旧領回復を目指すスペインは1717年にサルデーニャに侵攻([[スペインによるサルデーニャ侵攻]])。[[四国同盟戦争]](1718年 - 1720年)を経て、[[1720年]]に[[シチリア島]]との交換により[[サヴォイア家]]が領有した。以後、[[イタリア統一]]の[[1861年]]まで、サルデーニャは[[ピエモンテ]]とともに[[サルデーニャ王国]]を形成していた。
 
 
 
[[フランス革命戦争]]中の1793年には、フランス共和国軍がサルデーニャ島に侵攻したが、サルデーニャ人によって撃退された([[サルデーニャ遠征]])。
 
 
 
サルデーニャ島の社会基盤の開発は遅れていたが、19世紀初期に[[カルロ・フェリーチェ]]による統治のもと、南のカリャリから北のサッサリに至る島の大動脈が建設され、いまでも彼の名がこの道につけられている。1861年にサルデーニャ王国がイタリア統一を果たして国名を「[[イタリア王国]]」と改めた。[[1883年]]にはカリャリからサッサリまでの鉄道が開通した。
 
 
 
[[ベニート・ムッソリーニ|ムッソリーニ]]政権下では、オリスターノ周辺の沼沢地が干拓され、最も成功した農村コミュニティとなったアルボレアの基盤が作られた。またムッソリーニは鉱業の中心地として[[カルボーニア]]を建設した。[[第二次世界大戦]]後、石炭の重要性は低下し、観光業が盛んとなった。雇用を創出するための様々な施策は、安価な労働力をもっても埋め合わせることの出来ない高い運送費のために、これまでのところうまくいってはいない。
 
 
 
今日、サルデーニャは自治州であり、その歴史は言語と文化の中にいまだ息づいている。また注目すべきは沿岸部と内陸部の差異である。沿岸部は常に外部からの影響に対してよりオープンであった。今日サルデーニャは、船や飛行機の便がよい北部の海岸や島々([[ラ・マッダレーナ]]、[[コスタ・ズメラルダ]])と南部カリャリ周辺の海岸によって、最もよく知られている。
 
 
 
== 行政区画 ==
 
[[Image:Map of region of Sardinia, Italy, with provinces-it.svg|right|200px|thumb|サルデーニャ州と各県(2005年)]]
 
サルデーニャ州は8つの県からなる。20世紀末には[[カリャリ県]]、[[サッサリ県]]、[[ヌーオロ県]]、[[オリスターノ県]]の4県があったが、[[2005年]]に県の分割が行われ、[[オルビア=テンピオ県]]、[[オリアストラ県]]、[[カルボーニア=イグレージアス県]]、[[メディオ・カンピダーノ県]]が設立された。
 
 
 
左端の数字はISTATコード、アルファベット2文字は[[イタリア共和国の県名略記号|県名略記号]]を示す。人口は2011年1月1日現在<ref name="demo.istat" />。面積の単位はkm²。
 
{| class="wikitable sortable" style="text-align:left; font-size:85%"
 
!|
 
!|
 
!| 県名
 
!| 綴り
 
!| 県都
 
!width="40"| 面積
 
!width="50"| 人口
 
|-
 
|090||SS|| [[サッサリ県]] || {{lang|it|[[:it:Provincia di Sassari|Sassari]]}} || [[サッサリ]] || align=right| 4,281 || align=right| 337,237
 
|-
 
|091||NU|| [[ヌーオロ県]] || {{lang|it|[[:it:Provincia di Nuoro|Nuoro]]}} || [[ヌーオロ]] || align=right| 3,934 || align=right| 160,677
 
|-
 
|092||CA|| [[カリャリ県]] || {{lang|it|[[:it:Provincia di Cagliari|Cagliari]]}} || '''[[カリャリ]]''' || align=right| 4,570 || align=right| 563,180
 
|-
 
|095||OR|| [[オリスターノ県]] || {{lang|it|[[:it:Provincia di Oristano|Oristano]]}} || [[オリスターノ]] || align=right| 3,040 || align=right| 166,244
 
|-
 
|104||OT|| [[オルビア=テンピオ県]] || {{lang|it|[[:it:Provincia di Olbia-Tempio|Olbia-Tempio]]}} || [[オルビア]]<br/>[[テンピオ・パウザーニア]] || align=right| 3,399 || align=right| 157,859
 
|-
 
|105||OG|| [[オリアストラ県]] || {{lang|it|[[:it:Provincia dell'Ogliastra|Ogliastra]]}} || [[ラヌゼーイ]]<br/>[[トルトリ]] || align=right| 1,854 || align=right| 57,965
 
|-
 
|106||VS|| [[メディオ・カンピダーノ県]] || {{lang|it|[[:it:Provincia del Medio Campidano|Medio Campidano]]}} || [[サンルーリ]]<br/>[[ヴィッラチードロ]] || align=right| 1,516 || align=right| 102,409
 
|-
 
|107||CI|| [[カルボーニア=イグレージアス県]] || {{lang|it|[[:it:Provincia di Carbonia-Iglesias|Carbonia-Iglesias]]}} || [[カルボーニア]]<br/>[[イグレージアス]] || align=right| 1,495 || align=right| 129,840
 
|}
 
 
 
=== 広域行政区画の再編 ===
 
[[Image:Map of region of Sardinia, Italy, with provinces-it (as of 2016).svg|right|200px|thumb|サルデーニャ州と各県(2016年)]]
 
サルデーニャ自治州では、2016年9月現在、県級行政区画の統廃合のプロセスが進められている。2016年2月に新たな行政区画の設置が行われたが、地方自治上は過渡期である。
 
 
 
新制度では、サルデーニャ州の県級行政区画は5(1大都市4県)となる。結果として2005年に新設された県がすべて消滅した。また、[[カリャリ県]]はカリャリ市周辺が大都市({{lang|it|[[:it:Città metropolitana|Città metropolitana]]}})として再編され、その他は新設の南サルデーニャ県の一部となった。
 
*[[カリャリ県]](大都市) - [[カリャリ]](州都)
 
*[[ヌーオロ県]] - [[ヌーオロ]]
 
*[[オリスターノ県]] - [[オリスターノ]]
 
*[[サッサリ県]] - [[サッサリ]]
 
*{{仮リンク|南サルデーニャ県|en|Province of South Sardinia|it|Provincia del Sud Sardegna}} - [[カルボーニア]]
 
{{-}}
 
 
 
== 経済 ==
 
イタリアの一部であるサルデーニャの現在の通貨は[[ユーロ]]である。
 
 
 
鉱業では、かつて[[ファシズム]]時代に[[カルボーニア]]が炭坑都市として開発され栄えたほか、今日でも金と銀の鉱山が島内で操業している。
 
 
 
現在はコスタ・ズメラルダに代表される観光業、工業、商業、サービス業、IT産業がサルデーニャの中心的な産業となっている。ヨーロッパのインターネットプロバイダーとしてトップ企業となっている[[ティスカリ]](Tiscali)は、[[1998年]]に前州知事のレナート・ソルが[[カリャリ]]で設立した。また[[ワイン]]とローカル料理が有名になり、島の収入源として成長している。
 
 
 
== 文化 ==
 
サルデーニャ州は、州法で住民に "popolo"(固有の民族集団)という用語を用いている2つの州のうちのひとつである。もうひとつの州である[[ヴェネト州]][[ヴェネツィア語]]話者が多い)における規定は国法に根拠をもつものではないが、特別自治州であるサルデーニャ州の規定は国法に根拠を持つ。なお、いずれのケースにおいても、ほかのイタリア国民(市民)との間に権利の差異をもたらす法的な意味は持たないとされる。
 
 
 
=== 言語 ===
 
[[File:No-smoking-sardinian.JPG|thumb|200px|イタリア語とサルデーニャ語で書かれた禁煙の掲示]]
 
[[File:Sardinia Language Map.png|thumb|250px|サルデーニャ島の言語分布を示した地図(地名はイタリア語とサルデーニャ語の二言語表記)]]
 
2006年の[[国立統計研究所 (イタリア)|国立統計研究所(ISTAT)]]の統計によれば、6歳以上の住民の家庭内での会話における言語状況は以下の通り<ref>{{cite web|url=http://www.istat.it/salastampa/comunicati/non_calendario/20070420_00/testointegrale.pdf|author=[[国立統計研究所 (イタリア)|国立統計研究所(ISTAT)]]|title=La lingua italiana, i dialetti e le lingue stranieri|language=イタリア語|format=pdf|page=5|accessdate=2012-11-03}}</ref>。イタリア語({{lang|it|Italiano}})、地方言語({{lang|it|Dialetto}})、他の言語({{lang|it|Altra lingua}})についてのデータで、左列が全国平均、右列がサルデーニャ州の数値である。
 
{| class="wikitable" style="text-align:right; font-size:85%"
 
!|家庭内の会話における使用言語
 
!width="50"|全国
 
!width="50"|州
 
|-
 
|| イタリア語のみ、あるいは主にイタリア語
 
|| 45.5%
 
|| '''52.5%'''
 
|-
 
|| 地方言語のみ、あるいは主に地方言語
 
|| 16.0%
 
|| '''1.9%'''
 
|-
 
|| イタリア語と地方言語の双方
 
|| 32.5%
 
|| '''29.3%'''
 
|-
 
|| 他の言語
 
|| 5.1%
 
|| '''14.7%'''
 
|-
 
|}
 
イタリア全土で公用語とされているのは[[イタリア語]]であるが、サルデーニャでは[[サルデーニャ語]](Sardu)が広く使われている。
 
 
 
[[サルデーニャ語]]は[[イタリア語]]の[[方言]]([[言語変種]])ではなく、[[ラテン語]]を起源とする[[ロマンス語]]に属する言語である。この言葉は[[カタルーニャ語]]や[[スペイン語]]の影響を受けており、土着のヌラーゲ文化を経由して[[フェニキア語]]からの影響も受けているとも考えられている。公的文書での使用はイタリア語によって行われているが、2006年に州政府は公文書に用いるためのサルデーニャ語の規範{{enlink|Limba Sarda Comuna||it}}を制定している。書記言語としてのサルデーニャ語の規範化問題は重要性を増しているが、[[正書法]]が確立されていないことから激しい議論やさまざまな提案が続いている。
 
 
 
サルデーニャ語の方言(言語変種)は、大きく分けて2つある。州都カリャリを含む島の南半分で用いられているカンピダーノ方言{{enlink|Campidanese dialect}}、島の中北部を中心に用いられているログドーロ方言{{enlink|Logudorese dialect}}である。
 
 
 
島の最北部の[[サッサリ]]付近で使われているサッサリ方言{{enlink|Sassarese language}}や、[[ガッルーラ]]地方で用いられているガッルーラ方言{{enlink|Gallurese dialect}}は、[[コルシカ語]]の影響が大きく、コルシカ=サルディニア方言/語と呼ばれる。これら最北部の言語は、サルデーニャ語の一部ではなく独立した言語とみなされたり、あるいは[[コルシカ語]]の方言とみなされることもある。
 
 
 
サルデーニャにはまたいくつかの[[言語島]]もみられる。北西部の[[アルゲーロ]]近辺では、[[アラゴン連合王国|アラゴン=カタルーニャ王国]]の支配を経験した歴史的背景から、中世期の要素を受け継ぐ[[カタルーニャ語]]の変種であるアルゲーロ方言{{enlink|Algherese dialect}}が使用されている。サルデーニャの南西沖にあるサンピエトロ島{{enlink|San Pietro Island}}や[[サンタンティーオコ]]島では、[[ジェノヴァ]]地域からの移民が暮した経緯から[[リグリア語]]の変種であるタバルカ方言{{enlink|Dialetto tabarchino||it}}が使われている。さらに少数の言語としては[[アルボレーア]]やフェルティリア{{enlink|Fertilia}}において、1920年代から1930年代に北東イタリアから移住してきた人々によって、[[ヴェネト語]]、[[フリウリ語]]、[[イストリア語]]が話されている。
 
 
 
=== 食文化 ===
 
[[File:Bottarga.png|thumb|200px|カリャリのボッタルガ]]
 
[[File:MacaronesDePunzu(Malloreddus).JPG|thumb|200px|マロレッドゥスを用いた煮物]]
 
[[File:Pane carasau.jpg|thumb|200px|パーネ・カラザウ]]
 
[[サルデーニャ料理]]{{enlink|Cucina sarda||it}}は、[[イタリア料理]]のほか、アラブや北アフリカなどの料理の影響を受けて発展した。豊富な海産物や、島において牧畜される羊の肉などが主要な食材として用いられる。2010年にユネスコの[[無形文化遺産]]に指定された「地中海の食文化」{{enlink|Mediterranean diet}}の一部を構成する。
 
 
 
;海産物
 
サルデーニャ料理の主役のひとつは、エビやマグロ、イワシ、貝などといったさまざまな海産物である。
 
 
 
日本の[[カラスミ]]に相当する魚の卵巣の加工品「ボッタルガ」{{enlink|Bottarga||it}}が、[[カリャリ]]や[[トルトリ]]、[[サンタンティオコ]]など島内各地で生産されている。日本のカラスミは[[ボラ]]の卵巣を加工したものであるが、ボッタルガにはボラに限らず、タラやマグロなど他の魚も使用される。
 
 
 
;パスタ・パン
 
サルデーニャの特徴的なパスタとして、[[クスクス]]に似た粒状のパスタである「[[フレグラ]]」や、[[ニョッキ]]状の「[[マロレッドゥス]]」{{enlink|Malloreddus||it}}などがある。パスタは、魚介類とともにトマトベースのソースで煮られることが多い。
 
[[ファイル:SeadasCA.jpg|サムネイル|サルデーニャの伝統的なデザートである[[セアダス]]]]
 
堅く焼いた薄いパン「[[パーネ・カラザウ]]」は長期保存が可能な食材でもある。これを用いた代表的な料理として、パーネ・カラザウとトマトソース、[[ペコリーノ]](羊乳のチーズ)とをラザニア状に重ねた「パーネ・フラッタウ」{{enlink|Pane frattau||it}}がある。
 
 
 
;ワイン
 
サルデーニャは[[イタリアワイン]]の生産が盛んな地域であり、多くのワインが[[デノミナツィオーネ・ディ・オリージネ・コントロッラータ|原産地統制呼称]](DOC)の指定を受けている。サルデーニャ全域を名称保護地域とするものには以下がある。
 
*カンノナウ・ディ・サルデーニャ{{enlink|Cannonau di Sardegna||it}}
 
*モニカ・ディ・サルデーニャ{{enlink|Monica di Sardegna||it}}
 
*モスカート・ディ・サルデーニャ{{enlink|Moscato di Sardegna||it}}
 
*ヴェルメンティーノ・サルデーニャ{{enlink|Vermentino di Sardegna||it}}
 
北東部の[[ガッルーラ]]地方([[オルビア=テンピオ県]])、北西部の[[アルゲーロ]]周辺([[サッサリ県]])、中西部の[[オリスターノ]]周辺([[オリスターノ県]])、南西部の[[スルチス]]地方([[カリャリ県]]、[[カルボーニア=イグレージアス県]])が主要生産地であり、より限定された地域を指定したDOCワインも多い。ガッルーラ地方で生産されるヴェルメンティーノ・ディ・ガッルーラ{{enlink|Vermentino di Gallura||it}}は、統制呼称の最上級にあたる[[デノミナツィオーネ・ディ・オリージネ・コントロッラータ・エ・ガランティータ|保証つき統制原産地呼称]](DOCG)に指定されている。
 
 
 
;チーズ
 
[[File:Pecorino Sardo Cheese.jpg|thumb|200px|ペコリーノ・サルド]]
 
[[デノミナツィオーネ・ディ・オリージネ・プロテッタ|原産地名称保護]](PDO)の指定を受けたチーズとして以下がある。
 
 
 
*[[ペコリーノ・サルド]]
 
*[[ペコリーノ・ロマーノ]]
 
 
 
サルデーニャ島では牧羊が盛んなことから、羊乳を用いた[[ペコリーノ]]が多く生産される、「ペコリーノ・ロマーノ」にはラツィオ州・トスカーナ州とともにサルデーニャ州も生産地域としての指定を受けている。「ペコリーノ・サルド」(サルディニアのペコリーノ)はサルデーニャ産のペコリーノにのみ認められた名称である。
 
 
 
このほか、サルデーニャでは[[カチョカヴァッロ]]なども生産される。
 
 
 
サルデーニャ島のユニークなチーズとして、チーズバエの幼虫の働きでペコリーノの発酵をすすめた[[カース・マルツゥ]]がある。
 
 
 
=== 文化遺産 ===
 
サルデーニャ島には[[世界遺産]]がひとつある。[[メディオ・カンピダーノ県]][[バルーミニ]]にある'''[[スー・ヌラージ・ディ・バルーミニ|スー・ヌラージ]]'''で、この遺跡は[[先史時代]]の石造建築である[[ヌラーゲ]]を代表するものとして評価された。
 
 
 
フェニキア・ローマ時代の都市遺跡としては、[[オリスターノ]]近郊の[[ターロス]]、カリアリ南郊[[プーラ (イタリア)|プーラ]]にあるノーラなどがある。
 
 
 
これらの文化遺産は、観光資源ともなっている。
 
 
 
=== 観光 ===
 
この島には、リゾート地[[コスタ・ズメラルダ]]や[[ジェンナルジェントゥ]]山地など、多くの観光地がある。
 
 
 
有名なビーチの美しさだけでなく、多くの文化遺産は観光資源ともなっている。
 
 
 
== スポーツ ==
 
=== サッカー ===
 
州内に本拠を置くプロサッカークラブとしては以下がある。所属リーグは2012-13シーズン現在。
 
*[[カリアリ・カルチョ]] ([[カリャリ県]][[カリャリ]]) - [[セリエA (サッカー)|セリエA]](1部リーグ)
 
 
 
5部リーグ(アマチュア最上位リーグ)の[[セリエD (サッカー)|セリエD]]では、[[ラツィオ州]]、[[カンパニア州]]のクラブとともにジローネGに属する。サルデーニャ州の地方リーグ(6部リーグ)として、エッチェッレンツァ・サルデーニャ{{enlink|Eccellenza Sardegna||it}}がある。
 
 
 
== 交通 ==
 
=== 空港・空路 ===
 
[[File:Meridiana Airbus A319 KvW.jpg|thumb|200px|[[メリディアナ|メリディアーナ・フライ]]]]
 
サルデーニャには3つの国際空港、2つの地方空港がある。
 
;国際空港
 
*[[フェルティリア空港]]{{enlink|Fertilia Airport}} ([[サッサリ]])
 
*[[オルビア=コスタ・スメラルダ空港]]{{enlink|Olbia Costa Smeralda Airport}} ([[オルビア]])
 
*[[カリャリ=エルマス空港]]{{enlink|Cagliari-Elmas Airport}} ([[カリャリ]])
 
;地方空港
 
*[[オリスターノ=フェノス空港]]{{enlink|Oristano-Fenosu Airport}} ([[オリスターノ]])
 
*[[トルトリ空港]]{{enlink|Tortolì Airport}} ([[トルトリ]]
 
3つの国際空港は、イタリア本土の主要都市やその他のヨーロッパの諸都市(とくに[[イギリス]]、[[スカンディナヴィア]]諸国、[[スペイン]]、[[ドイツ]])との間を結んでいる。サルデーニャ島内の航空便は、カリャリ - オルビア便、トルトリ - オルビア便が出ている程度に限られる。
 
 
 
この島ではいくつかの[[格安航空会社]]が運営されており、島の住民は格安チケットの恩恵を受けている。オルビア空港に本拠を置く[[メリディアナ|メリディアーナ・フライ]]もその代表的なものである。
 
 
 
=== 港湾・海路 ===
 
[[File:Corsica Express Seconda.jpg|thumb|200px|right|オルビア湾を航行する高速フェリー]]
 
サルデーニャには[[フェリー]]が発着する主要な港湾として以下がある。
 
*[[ポルト・トッレス]]
 
*[[オルビア]]
 
*[[ゴルフォ・アランチ]]
 
*アルバタクス{{enlink|Arbatax}}([[トルトリ]])
 
*[[サンタ・テレーザ・ガッルーラ]]
 
*[[パラーウ]]
 
*[[カリャリ]]
 
これらの港湾に発着するフェリーは、イタリア本土([[チヴィタヴェッキア]]、[[ジェノヴァ]]、[[リヴォルノ]]、[[ナポリ]]、[[ピオンビーノ]])、シチリア島([[パレルモ]]、[[トラーパニ]])、フランス本土([[マルセイユ]]、[[トゥーロン]])、コルシカ島([[ボニファシオ]]、[[プロプリアノ]]、[[アジャクシオ]])、[[スペイン]]([[バルセロナ]])などの諸港湾との間を結んでいる。
 
 
 
地元の船会社としてはサレマール社{{enlink|Saremar}}があり、サルデーニャ本島と離島([[ラ・マッダレーナ諸島]]、サンピエトロ島など)とを結んでいる。
 
 
 
=== 道路 ===
 
[[File:Sardinia Map.png|thumb|250px|サルデーニャの道路網]]
 
サルデーニャ州はイタリアで高速道路([[アウトストラーダ]])が走っていない唯一の州である。しかしながら道路網は発達しており、スーペルストラーダ{{enlink|Superstrada}}とよばれる高規格道路(上下線を分離した自動車専用道路、[[最高速度]]は時速90 - 110 km)が主要都市や交通拠点を結んでいる。
 
 
 
島の幹線となる道路は、島の最南部にある州都[[カリャリ]]と、北西部にある第二の都市[[サッサリ]]を結び、島の西部を南北に縦貫する国道131号「カルロ・フェリーチェ」{{enlink|Strada statale 131 Carlo Felice||it}}(SS131)であり、[[欧州自動車道路]][[E25号線]]の一部にも指定されている。国道131号ヌーオロ中央支線{{enlink|Strada statale 131 Diramazione Centrale Nuorese||it}}(SS131 d.c.n.)は、[[オリスターノ]]で本線と分かれ、[[ヌーオロ県]]を横断して東海岸の[[オルビア]]とを結ぶ。
 
 
 
このほか高規格の道路が、サッサリ - [[アルゲーロ]]間、サッサリ - [[テンピオ・パウザーニア]]間、サッサリ - オルビア間、カリャリ - [[トルトリ]]間、カリャリ - [[イグレージアス]]間、[[ヌーオロ]] - [[ラヌゼーイ]]間を結んでいる。これら幹線道路では、交差点をなくして高速道路水準とするための事業が進められている。一方、内陸部や山間部の二線級道路は一般に狭隘で[[つづら折れ]]が多く、最高速度も低く抑えられている。
 
 
 
地元の公共バスは、公共交通事業体 Azienda Regionale Sarda Trasporti {{enlink|ARST||it}}によって運営されている。公共バスは、島内のすべての都市や村落を、少なくとも1日1本以上の本数で結んでいる。しかしながら人口密度の低い地域の一部には公共バスが走っておらず、自動車が必要となる。
 
<gallery>
 
File:Ss131camionale ss-portotorres9539286.jpg|サッサリ付近のSS131
 
File:Bus_ARST_mercedes_benz_citaro_2.jpg|サッサリにおけるArstのバス
 
</gallery>
 
=== 鉄道 ===
 
[[File:Ferrovie sardegna tutte 2008-03.png|thumb|200px|2008年3月時点での鉄道網。赤がFS、青がFdS、緑が"Trenino Verde"、黄は廃止区間。都市近郊の紫は[[ライトレール]]区間]]
 
サルデーニャの鉄道システムは19世紀にイギリス人技術者ベンジャミン・パーシー{{enlink|Benjamin Piercy||it}}の手によって発展を遂げた。鉄道は全島を結んでいるが、異なる二つの事業者が存在する。すなわち、旧イタリア国鉄である[[トレニタリア]](FS)と、[[狭軌]]の[[サルデーニャ鉄道]](FdS)である。
 
 
 
;トレニタリア
 
'''[[トレニタリア]]'''(FS)の経営規模は大きく、島の主要都市や主要港を鉄道で結び、イタリア本土との間に[[鉄道連絡船]]も運営している。島の西部で南北を縦貫する[[鉄道路線]]が島の幹線で、南部の[[カリャリ]]と北部の[[サッサリ]]および[[オルビア]]とを結ぶ(北部の[[オツィエーリ]]・キリバニ駅で路線が分岐している)。このほか、カリャリからは[[カルボーニア]]および[[イグレージアス]]を結ぶ路線も出ている。
 
<!--
 
*カリャリ=ゴルフォ・アランチ線{{enlink|Ferrovia Cagliari-Golfo Aranci||it}}
 
*:[[カリャリ]] - [[デチモマンヌ]] - [[オリスターノ]] - [[オツィエーリ]] - [[オルビア]] - [[ゴルフォ・アランチ]]
 
*オツィエーリ・キリバニ=ポルト・トッレス・マリッティマ線{{enlink|Ferrovia Ozieri Chilivani-Porto Torres Marittima||it}}
 
*:オツィエーリ - [[サッサリ]] - [[ポルト・トッレス]]
 
*デチモマンヌ=イグレージアス線{{enlink|Ferrovia Decimomannu-Iglesias||it}}
 
*:デチモマンヌ - [[ヴィッラマッサルジャ]] - [[イグレージアス]]
 
*ヴィッラマッサルジャ=カルボーニア線{{enlink|Ferrovia Villamassargia-Carbonia||it}}
 
*:ヴィッラマッサルジャ - [[カルボーニア]]
 
-->
 
 
 
トレニタリアの車両は、[[アルストム]]社の"Minuetto"のような気動車が主力であるが、高速の[[振り子式車両]]([[CAF (企業)|CAF]]の Class 598 や、[[タルゴ]] XXI)も導入される。
 
 
 
;サルデーニャ鉄道
 
一般に'''[[サルデーニャ鉄道]]'''(FdS)の名で知られる[[狭軌]]鉄道は、ARSTの一部門であり、"ARST Gestione FdS"(ARST経営FdS)が正式名称である。島の北部に[[サッサリ]]と[[アルゲーロ]]や[[ポルト・トッレス]]などを結ぶ路線、中部に[[マコメール]]と[[ヌーオロ]]を結ぶ路線、南部にカリャリとイジーリとを結ぶ路線があるが、カリャリやサッサリ近郊の電化された[[トラムトレイン]]区間を除き、速度は遅い。
 
 
 
これら通年運行の路線以外にも、'''[[トレニーノ・ヴェルデ]]'''({{lang|it|Trenino Verde}}, 「緑の小さな列車」)という季節運行の観光路線があり、島内の最も自然豊かなエリアを走っている。速度が遅い分、道路からは見えないような素晴らしい車窓を楽しむことができる。南部では[[カリャリ]] - アルバタックス([[トルトリ]])、西部でマコメール - ボサ・マリーナ、北部では[[サッサリ]] - [[パラウ]]間で運行されている。
 
 
 
FdSの路線はすべて狭軌であり、FSとFdSが共用するサッサリ駅構内には[[三線軌条]]区間が存在する。
 
 
 
== 自然環境 ==
 
[[File:Sughero TempioPausania.jpg|thumbnail|left|皮を剥いだコルクの幹]] 
 
 
 
サルデーニャは豊かな自然資源に恵まれており、チチュウカイモンク[[アザラシ]]や[[イノシシ]]をはじめ、多くの希少種の動植物が生息している。一方、大陸部のどこにでもいるクサリヘビや[[マーモット]]等、多くの[[種 (分類学)|種]]が存在しないという特徴がある。
 
 
 
== 人物 ==
 
[[File:Cagliari - Statua Carlo Felice.jpg|thumb|200px|カリャリのカルロ・フェリーチェ像]]
 
=== 著名な出身者 ===
 
{{see|Category:サルデーニャ州出身の人物}}
 
*[[グラツィア・デレッダ]]<!--(1871年 - 1936年)--> - 詩人・小説家、ノーベル文学賞受賞者。[[ヌーオロ]]出身。
 
*[[アントニオ・グラムシ]]<!--(1891年 - 1937年)--> - マルクス主義思想家。[[アーレス (イタリア)|アーレス]]出身。
 
*[[アントニオ・セーニ]]<!--(1891年 - 1972年)--> - イタリア共和国首相・大統領。[[サッサリ]]出身。
 
*[[エンリコ・ベルリンゲル]]<!--(1922年 - 1984年)--> - イタリア共産党書記長。サッサリ出身。
 
*[[フランチェスコ・コッシガ]]<!--(1928年 - 2010年)--> - イタリア共和国首相・大統領。サッサリ出身。
 
*[[ジャンフランコ・ゾラ]]<!--(1966年生まれ)--> - サッカー選手・指導者。[[オリエーナ]]出身。
 
 
 
=== ゆかりの人物 ===
 
*[[カルロ・フェリーチェ・ディ・サヴォイア|カルロ・フェリーチェ]]<!--(1765年 - 1831年)--> - 19世紀初頭のサルデーニャ王。島の幹線道路に名を残す。
 
*[[ジュゼッペ・ガリバルディ]]<!--(1807年 - 1882年)--> - イタリア統一戦争の軍事家。晩年を[[カプレーラ島]]で送る。
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{Reflist}}
 
 
 
== 外部リンク ==
 
{{Commons&cat|Sardegna|Sardinia}}
 
*[http://www.regione.sardegna.it/ 州政府公式サイト]{{it icon}}
 
*[http://visitaly.jp/travel/sardegna イタリア政府観光局公式サイト内の州紹介ページ] {{ja icon}}
 
* [http://www.sardegnadavedere.it/ sardegnadavedere.it]{{it icon}}
 
* [http://www.olbialive.it/ olbialive.it]{{it icon}}
 
 
 
{{イタリアの地方行政区画}}
 
{{サルデーニャ州}}
 
  
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イタリア語ではサルデーニャ Sardegna,サルジニアは英語。地中海西部にあり,シチリア島に次ぐ2番目に大きな島。付近の小島とともにイタリアの一州をなす。州都カリアリ。本土から約 220km,北端はボニファーチョ海峡をへだててコルシカ島 (フランス) と対する。全島が山がちで,最高点は東部ジェナルジェンツ山地のマルモラ山 (1834m) 。地中海性気候で,年降水量 775mm。フェニキア,カルタゴ,ローマ,バンダル,アラブ,ビザンチン帝国などに次々と支配され,1720年サルジニア王国の一部となり,1861年統一イタリア王国に加わった。イタリアの代表的な開発途上地域で,産業の中心は亜鉛,鉛,マンガン,鉄,アンチモンなどの鉱業。ヒツジ,ヤギが放牧され,ブドウ,オリーブ,アーモンド,コルクを特産。マグロ漁を中心に漁業も行われる。伝統的な社会,生活様式や技術が保持されており,住民は現在でもサルジニア語を話し,祭典には伝統衣装をまとう。しかし,都市部の生活と伝統的な生活との差がきわだってきている。面積2万 4089km<sup>2</sup>。人口 164万 5192 (1991推計。いずれも小島を含む) 。
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[[Category:イタリアの州]]
 
[[Category:イタリアの州]]

2019/5/10/ (金) 22:55時点における最新版

カルロフォルテの港.サルジニア島,イタリア.jpg

サルデーニャイタリア語: Sardegna

イタリア語ではサルデーニャ Sardegna,サルジニアは英語。地中海西部にあり,シチリア島に次ぐ2番目に大きな島。付近の小島とともにイタリアの一州をなす。州都カリアリ。本土から約 220km,北端はボニファーチョ海峡をへだててコルシカ島 (フランス) と対する。全島が山がちで,最高点は東部ジェナルジェンツ山地のマルモラ山 (1834m) 。地中海性気候で,年降水量 775mm。フェニキア,カルタゴ,ローマ,バンダル,アラブ,ビザンチン帝国などに次々と支配され,1720年サルジニア王国の一部となり,1861年統一イタリア王国に加わった。イタリアの代表的な開発途上地域で,産業の中心は亜鉛,鉛,マンガン,鉄,アンチモンなどの鉱業。ヒツジ,ヤギが放牧され,ブドウ,オリーブ,アーモンド,コルクを特産。マグロ漁を中心に漁業も行われる。伝統的な社会,生活様式や技術が保持されており,住民は現在でもサルジニア語を話し,祭典には伝統衣装をまとう。しかし,都市部の生活と伝統的な生活との差がきわだってきている。面積2万 4089km2。人口 164万 5192 (1991推計。いずれも小島を含む) 。



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