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'''シティグループ'''({{lang|en|Citigroup Inc.}})
  
'''シティグループ'''({{lang|en|Citigroup Inc.}})は、[[マンハッタン]]に本社を置く、[[金融]]関連事業の[[持株会社]]である。[[ユーロ債]]市場の第一人者。[[四大銀行]]や[[バルジ・ブラケット]]の一つ。[[ニューヨーク証券取引所]]上場企業({{nyse|C}})。
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アメリカ合衆国の総合金融サービス会社。1812年シティ・バンク・オブ・ニューヨークとして設立,1865年ナショナル・シティ・バンク・オブ・ニューヨークと改称。[[南北戦争]]後の経済発展,[[ロックフェラー]]財閥の協力などもあって 1890~1900年にはアメリカ第1位の銀行に成長した。1955年ファースト・ナショナル・バンクを合併してファースト・ナショナル・シティ・バンクとなった。1967年経営多角化のため[[持株会社]]ファースト・ナショナル・シティを設立。持株会社は 1974年シティコープに,傘下の銀行は 1976年シティバンクにそれぞれ名称を変更した。1970年代後半には[[現金自動預入支払機]] ATMの運用を開始。その後ダイナースクラブなどの[[クレジットカード]]会社を買収し,カード事業でもシェアを拡大したほか,貯蓄と住宅ローンを手がける金融機関を買収,20世紀後半には全世界に約 3000の支店をもつ世界最大の金融会社の一つとなった。1998年投資銀行大手のソロモン・スミス・バーニーなどを傘下にもつ総合金融サービス会社のトラベラーズ・グループ([[トラベラーズ]])と合併しシティグループが発足,証券や投資,保険を扱う総合金融会社となった。2002年トラベラーズの損害保険部門を分離。2008年にはサブプライムローン問題で多額の損失を計上し,アメリカ政府から公的資金の援助を受けた。
 
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== 概要 ==
 
原点は[[第一合衆国銀行]]のニューヨーク支店。1998年10月8日、シティコープとトラベラーズ・グループの合併によって誕生した(時価総額1,400億ドル規模)<ref name="IHT">{{cite news|title=Citicorp and Travelers Plan to Merge in Record $70 Billion Deal : A New No. 1: Financial Giants Unite|date=1998-04-07|url=http://www.iht.com/articles/1998/04/07/citi.t.php|accessdate=2007-04-04|publisher=International Herald Tribune|last=Martin|first=Mitchell}}</ref>。[[サンフォード・ワイル]]が社長・会長となり、2000年1月に[[シュローダー (企業)|シュローダー]]の投資銀行部門を22億ドルで買収した。4月に台湾の富邦グループ([[:en:Fubon Financial Holding Co.|Fubon Financial]])へ15%資本参加した<ref name=first />。7月に[[ABNアムロ銀行]]から欧米銀行(EAB)を16億ドルの現金払いで買収した<ref name=first />。2003年4月、ワイルがジャック・グラッブマン([[:en:Jack Grubman|Jack Grubman]])に[[AT&T]]の株価を引き上げるよう働きかけた問題等をめぐり、[[ウォール街]]の10金融機関も雁首を並べ、当局および[[証券取引委員会]]に和解金を支払うことで決着を図った<ref>[[ニューヨーク・タイムズ|The New York Times]], [https://www.nytimes.com/2003/04/29/business/wall-street-settlement-overview-10-wall-st-firms-reach-settlement-analyst.html WALL STREET SETTLEMENT: THE OVERVIEW; 10 WALL ST. FIRMS REACH SETTLEMENT IN ANALYST INQUIRY], By STEPHEN LABATON, APRIL 29, 2003</ref>。しかし9月に[[ミューチュアル・ファンド]]不正事件([[:en:2003 mutual fund scandal|2003 mutual fund scandal]])に発展してしまった。シティグループは[[世界金融危機]]で不良資産救済プログラム([[:en:Troubled Asset Relief Program|Troubled Asset Relief Program]])の対象となり、さらに[[連邦準備制度]]から手厚いベイルアウトを受けた。
 
 
 
2014年、日本の個人向け事業を売却し撤退することを発表。同じく日本からの撤退を決定した[[ヴァージン・アトランティック航空]]などと共通して、新興国へリソースを振り分ける戦略の一環と見られている<ref>{{cite news |title=記者の眼 シティ、ヴァージンが消える意味「しぼむ選択肢」という由々しき事態|author=小平和良 |agency=|publisher=日経ビジネスオンライン|date=2014-9-10 |url=http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20140909/270997/?P=1|accessdate=2015-8-8}}</ref>。
 
2015年6月、子会社のバナメックスは[[資金洗浄]]に対する内部統制の甘さをめぐり米司法省に捜査されていたところ、[[:en:Bank Secrecy Act|銀行秘密法]]にふれる重大な違反行為のあった可能性が指摘された<ref>Bloomberg [http://www.bloomberg.co.jp/news/123-NQ2AUR6KLVR601.html シティのバナメックス、資金洗浄統制甘さ指摘のメール無視か] 2015/06/17 09:48 JST</ref>。バナメックスの不祥事は30年以上つづいている。[[オイルマネー]]とも長く持ちつもたれつの関係にある。
 
 
 
== 沿革 ==
 
商業銀行が母体ではある。しかし現在では[[機関投資家|機関化]]されてユニバーサル・バンクとなっている。[[1984年]]にCEOに選出されたジョン・リード([[:en:John S. Reed|John S. Reed]])の下、シティバンクはその後14年間米国最大の銀行、世界最大のクレジットカード発行体となり、国際拠点網は90ヶ国に広がった<ref name=Citibank/>。その親会社であるシティコープは100ヶ国近くで銀行業務を展開する[[多国籍企業]]であった。トラベラーズはクレジットカード、消費者金融、証券、保険などに跨がる金融サービスを提供する企業だった。前身企業の歴史は、シティバンク・オブ・ニューヨーク(後の[[シティバンク]])が設立された1812年に遡り<ref name="CitiHistory">[http://www.citigroup.com/citigroup/corporate/history/index.htm About Citi], Citigroup Official Website. Retrieved 2007-04-04.</ref>、1890年代までには米国最大の銀行となる。
 
 
 
=== シティコープ(1962年まで) ===
 
[[画像:Citigroup_center.jpg|220px|thumb|'''シティグループ本社''': ニューヨーク・マンハッタンのシティグループ・センタービル]]
 
主に1812年設立のシティバンク・オブ・ニューヨークと1863年設立のファースト・ナショナル・バンク・オブ・ザ・シティ・オブ・ニューヨークがシティコープの母体となる('''1955年'''両社は合併)。[[サミュエル・オスグッド]]が[[第一合衆国銀行]]のニューヨーク支店を再生した<ref name=first />。ここからシティコープの歴史が始まる。[[1812年]][[6月14日]]、'''シティバンク・オブ・ニューヨーク''' (''City Bank of New York'') が200万ドルの資本金を元に[[ニューヨーク州]]から免許を受けた。オスグッドが初代社長に就任したが、16日に[[米英戦争]]が勃発してしまったので[[9月14日]]に開店、ニューヨークの商業資本家らにサービスを提供し始めた<ref name="Citibank">[http://www.citigroup.com/citigroup/corporate/history/citibank.htm About Citi - Citibank, N.A.], Citigroup Official Website. Retrieved 2007-05-12.</ref><ref name=first>''International Directory of Company Histories'', Vol.137, pp.139-148.</ref>。[[1837年恐慌]]のときすでにモーゼス・テイラー([[:en:Moses Taylor|Moses Taylor]])が経営権を握っており、彼は1856年に社長となった<ref name=first />。さらに、[[大西洋横断電信ケーブル]]を敷設した会社の管財人も務めた<ref name=first />。[[1865年]]、国法銀行制度の成立とともに商号を'''ナショナル・シティバンク・オブ・ニューヨーク'''と変更した。[[1895年]]までには米国で最大の銀行となった<ref name="Citibank"/>。1897年、ニューヨーク第三合衆国銀行([[:en:A. Barton Hepburn|Third National Bank of New York]])を買収した<ref name=first />。[[1913年]]末に[[連邦準備制度]]が発足すると、[[ニューヨーク連邦準備銀行]]の創設に関わる。翌年には米銀として初となる海外支店を[[ブエノスアイレス]]に開設した。[[1918年]]の'''インターナショナル・バンキング・コーポレーション'''の買収により、米銀として初めて総資産10億ドルを突破し、[[1929年]]には世界最大の商業銀行となった<ref name="Citibank"/>。その成長とともに、シティはまた金融サービスにおける先駆者ともなり、[[複利]][[預金]](1921年)、個人向け無担保ローン(1928年)、当座預金(1936年)、[[譲渡性預金]](1961年)などを世界で初めて開発してきた<ref name="Citibank"/>。譲渡性預金の開発を主導したのは会長([[:en:James Stillman Rockefeller|James Stillman Rockefeller]])や社長([[:en:George S. Moore|George S. Moore]])でもなく、当時の副社長ウォルター・リッスン([[:en:Walter Wriston|Walter Wriston]])であった<ref name=first />。[[グラス・スティーガル法]]が施行された1933年に[[投資銀行]]業務を清算、ジェームズ・パーキンス([[:en:James H. Perkins|James H. Perkins]])が社長職についた<ref name=first />。1940年、死亡してゴードン([[:en:Gordon S. Rentschler|Gordon S. Rentschler]])に交代した<ref name=first />。ゴードンも1948年に死亡してウィリアム・ブレイディ([[:en:William Gage Brady Jr.|William Gage Brady Jr.]])が引き継いだ。そしてホールセールを積極的に行った。'''1955年'''に商号を'''ファーストナショナル・シティバンク・オブ・ニューヨーク'''に変更、さらに創業150周年の[[1962年]]にはこれを短縮し'''ファーストナショナル・シティバンク'''となった<ref name="Citibank"/>。
 
 
 
=== シティコープ(ユーロ債時代) ===
 
[[画像:Citigroup.canary.wharf.arp.500pix.jpg|thumb|220px|'''シティグループ 欧州・中東・アフリカ本部''': ロンドン・[[カナリー・ワーフ]]のシティグループ・タワー]]
 
シティはリースやクレジット業務にも進出し、後年[[マスターカード]]に発展する[[クレジットカード]]「ファーストナショナル・シティ・チャージ・サービス」(一般に「エブリシング・カード」と呼ばれた)を[[1967年]]に提供し始めた<ref name="Citibank"/>。この1967年エッジ法の改正がなされ、各州の法制も呼応したので、シティは[[モーゲージ]]とクレジットカードの州際業務を拡大していった<ref name=first />。[[オイルショック]]のときは[[ユーロ債]]を世界中で発行した。1973年にアルゼンチン事業が国有化された<ref name=first />。[[1970年代]]半ば、ウォルター・リッスン[[最高経営責任者|CEO]]のもと、ファーストナショナル・シティバンク及び持株会社のファーストナショナル・シティ・コーポレーションは、'''シティバンク、エヌ・エイ''' (''Citibank, N.A.'') 及び'''シティコープ''' (''Citicorp'') とそれぞれ商号を変更した。間もなく、シティバンクは「シティカード」を発行し、24時間営業[[現金自動預け払い機|ATM]]を世界で初めて運用開始した<ref name="Citibank"/>。1979年、[[イラン革命]]と[[独立自主管理労働組合「連帯」|ポーランドのゼネスト]]で両国の減債を強いられた<ref name=first />。1980年、11%利付き[[米国債]]を30億ドルも購入した<ref name=first />。[[レーガノミクス]]による高金利で機会費用は高くついたが、米国債を担保にレポ市場から資金を調達して、ユーロ債発行を主導するとか、[[シャドー・バンキング・システム]]を拡充するとか、翌[[1981年]]にクレジットカード会社の[[ダイナースクラブ]]を買収するといった積極的な経営を展開することができた。イギリスの[[ビッグバン (金融市場)|ビッグバン]]には前段階から積極的に参入した。1984年ウォルター・リッスン会長が引退して、ジョン・リードが社長兼会長となった。1987年5月、シティバンクは[[第三世界]]に対して30億ドルに上る一般貸倒引当金を積み増した<ref name=first />。国内では[[ドナルド・トランプ]]をふくむデベロッパーに対して野放図に貸し付けたことが投資家の批判を浴びた<ref name=first />。金融自体も失敗していた。[[マーケットメイク]]のために1986年クオトロン([[:en:Quotron|Quotron]])の気配サービスを購入していたが、オートマチック社([[:en:Automatic Data Processing|Automatic Data Processing]])との競争に敗れてしまったのである<ref name=first />。1992年、クオトロンはリストラされた。1991-2年シティコープは26億ドルも増資をしたが、そのうちおよそ4億ドルは[[アル=ワリード・ビン・タラール]]が出資した<ref name=first />。1993年、シティコープはそれまで保有していた不動産の6割を損切りした。翌年[[北米自由貿易協定|NAFTA]]発効。1996年、[[カルロス・サリナス・デ・ゴルタリ]]の兄弟([[:en:Raúl Salinas de Gortari|Raúl Salinas de Gortari]])が[[資金洗浄]]するのをシティコープ従業員が([[プライベート・バンキング]]で)補助したとして立件された<ref name=first />。
 
 
 
===トラベラーズ・グループとの合併===
 
トラベラーズ・グループは、シティコープとの合併当時では、CEOの'''[[サンフォード・ワイル]]'''(通称サンディ・ワイル)の指導下で金融複合企業体を形成していた。そのルーツは[[コントロール・データ・コーポレーション]]の金融子会社だった'''コマーシャル・クレジット'''である。業績不調だった同社をワイルは自己資金700万ドルで買い取り、コストカットと経営改革の後に[[株式公開]]に成功した<ref name="IHT"/><ref name="Primerica">[http://www.citigroup.com/citigroup/corporate/history/primerica.htm About Citi - Primerica Financial Services], Citigroup Official Website. Retrieved 2007-04-04.</ref>。その2年後、既に[[生命保険]]会社'''ALウィリアムズ'''と[[証券会社]]'''スミス・バーニー'''の買収を通じてコングロマリットとなっていた'''プライメリカ'''が、ワイルにより買収された。新会社は商号に「プライメリカ」ブランドを引き継ぎ、傘下企業の種々の金融サービスを関連させて販売する「クロスセリング」戦略をとった。非金融部門は[[スピンオフ]]された<ref name="Primerica"/>。
 
 
 
[[1992年]]9月、[[不動産]]投資の損失<ref name="IHT"/>に追い込まれていた保険会社'''[[トラベラーズ|トラベラーズ・インシュアランス]]'''は、プライメリカと戦略的提携を締結し、[[1993年]]12月に経営統合する運びとなった。統合により、商号は'''トラベラーズ・インク''' (''Travelers Inc.'') となり、損害保険・生命保険・年金業務までカバーするようになる<ref name="Primerica"/>。また、トラベラーズの象徴だった赤い傘のロゴマークがすべての事業に冠されるようになった。この間、トラベラーズは'''シェアソン・リーマン'''—リテール証券・資産運用会社で、ワイルが1985年まで代表を務めていた—を買収<ref name="IHT"/>、既に傘下に収めていた証券部門のスミス・バーニーと合併させた<ref name="Primerica"/>。さらに[[1997年]]11月、'''トラベラーズ・グループ'''(1995年4月に再改称)は'''[[ソロモン・ブラザーズ]]'''を90億ドルで買収した<ref name="Primerica"/>。
 
 
 
シティコープとトラベラーズの合併は1998年に行われたが、この合併は非合法なものだった。というのも、[[グラス・スティーガル法]]([[世界恐慌]]時に金融混乱を受けて制定された法律)の規制が残っており、[[銀行]]が[[保険]]会社と一体化することは禁じられていたためである。シティ/トラベラーズ顧問弁護団はグラス・スティーガル法を研究し、「(合併の許認可権を持つ)連邦準備制度理事会は、2年間の猶予期間に保険部門を売却することを条件に銀・保合併を認めることができる」という条項を発見した。CEOらはこの2年後の期限までに法律を「変える」ことができると考えた。結局[[1999年]]に法律は改正され、[[グラム・リーチ・ブライリー法]]の成立によりグラス・スティーガル法は無効となった。もっとも、皮肉なことに、シティグループはやがて自らその保険事業の大部分を売却することになる。『フォーチュン』誌2000年3月号には「Reed: Reflections on a Culture Clash」との見出しが躍って、リードは辞職した。
 
 
 
シティコープとトラベラーズの合併当時、ワイルがトラベラーズ会長を務め、ジョン・リードがシティコープ会長を務めていた。2社の合併は、「銀行・保険のワンストップショッピングの実現」を意義に、ワイルがリードに持ち掛けたものだった。しかし結局はトラベラーズがシティコープを買収する形での合併となった。ディーラーとして金融機関を点々とした後[[M&A]]を繰り返しトラベラーズを成長させたワイルと、従軍後[[マサチューセッツ工科大学]]に学びシティコープの経営に打ち込み続けてきたリード。経営手法においてもキャリアパスにおいても全く異なる2人の経営者は、合併当初「共同CEO」として共に代表の座に就いた。
 
 
 
=== トラベラーズの再分離まで ===
 
「共同CEO」の制度は、シティコープ側の合併了解を取り付けるためにワイルが提案したものだったが、これは多くの報道機関やアナリストから非現実的であるとして非難された。前[[アメリカ合衆国財務長官|米国財務長官]]の[[ロバート・ルービン]]が2社の仲介のため役員に招請されたが、社内の衝突の結果、リードが経営から追われることになった。同様に、3人の共同CEOがコーポレート&amp;インベストメントバンク担当、2人の共同CEOがコンシューマ・グループ担当となっていた。3人とは、トラベラーズ出身の[[ジェームズ・ダイモン]]とデリック・モーン([[:en:Deryck Maughan|Deryck Maughan]])、シティコープ出身のビクター・メネゼス([[:en:Victor Menezes|Victor Menezes]])である。この三頭政治は「The Noah's ark school of management」と揶揄され、長続きしなかった。
 
 
 
トラベラーズ出身の経営陣は、同社のクロスセリング戦略をシティグループに持ち込もうとした。シティバンクのリテール従業員は、年金商品や[[投資信託]]を売るために、証券・保険関係の資格を取得させられた。しかし、米国におけるリテール銀行業務は、こうした戦略にそぐわないものだった。CFOのトッド・トンプソン(Todd S. Thomson)が「リテール支店は大抵、預金を集めて、より高い利回りで運用するための業務を担っていた」と述べているように、コンシューマ部門内部は他の金融機関のように統合されておらず、それぞれの分野がスタンドアローンで業務をしている状態だった。
 
 
 
コーポレート&amp;インベストメント部門の統合は、コーポレートバンカーとインベストメントバンカーの何れが主に顧客対応にあたるのかなどで対立が続き、さらに困難を極めた。共同CEOの一人であるジェームズ・ダイモンはこの混乱の中でシティグループを去り、代わってシティと競合関係にある[[JPモルガン・チェース]]のCEOとなっている。
 
 
 
2000年11月と2001年8月シティグループは、消費者金融最大手の[[アソシエイツ・ファースト・キャピタル]]と、メキシコ最大の銀行であるバナメックス([[:en:Grupo Financiero Banamex|Banamex]])をそれぞれ買収した。後者は「大手金融機関が全て外資に奪われる」という危惧からメキシコ国内で大いに議論を呼んで、バナメックスの支店に爆弾が置かれるという武力抗議まで見られた。西海岸では2002年11月にゴールデン・ステート・バンコープ([[:en:California Federal Bank|Golden State Bancorp]])を58億ドルで買収した<ref name=first />。シティグループは傘下の損害保険部門トラベラーズをスピンオフして、その代金の一部をゴールデンの買収に使った<ref name=first />。
 
 
 
トラベラーズ損保は2004年にセントポール・カンパニーズと合併し、セントポール・トラベラーズとなった<ref>[http://www.travelers.com/corporate-info/about/history.aspx History of Travelers]</ref>。シティグループはその後も生命保険・年金業務を続けていたが、2005年にはこの部門も[[メットライフ]]に売却することを決定した<ref>{{Cite web |url=http://www.citigroup.jp/japanese/press_release/2005.html |publisher=Citigroup Inc. |title=日本におけるシティ - プレスリリース バックナンバー(2005年) |accessdate=2011-07-20}}<br />{{Cite web |url=http://www.citigroup.jp/japanese/press_release/2005/20050131.pdf |publisher=Citigroup Inc. |title=メットライフ、シティグループよりトラベラーズ・ライフ&アニュイティを115億ドルで買収 |format=pdf |date=2005-01-31 |accessdate=2011-07-20}}</ref>。シティグループは未だに多くの保険商品の「販売」を取り扱っているが、シティグループそれ自体は保険会社機能(引受・運用)は失っている。
 
 
 
トラベラーズ部門の売却以降も、シティグループは赤い傘のロゴを使用していたが、この商標権も[[2007年]]2月にセントポール・トラベラーズに売却され<ref name="PR">[http://www.citigroup.com/citigroup/press/2007/070213a.htm Citigroup Announces Unified, Global Brand Identity Under "Citi" Name] - Citigroup Press Release, 2007-02-13</ref>、同社は再び'''[[トラベラーズ]]'''となった。同時に新しい「シティ」ブランドとロゴを、バナメックスとプライメリカを除く全子会社で使用開始した<ref name="PR"/>。
 
 
 
=== サブプライムローン問題 ===
 
2007年4月11日には、経費の削減と、低迷が続いている株価の回復のため、シティグループは全従業員の5%にあたる1万7000人の雇用を削減すると発表した<ref>[http://web.archive.org/web/20070505224450/news.yahoo.com/s/nm/20070411/bs_nm/citigroup_dc Citigroup to Slash 17,000 jobs]. Yahoo News, 2007-04-11.</ref>。
 
 
 
その後表面化した[[サブプライム住宅ローン危機|サブプライムローン問題]]では、[[メリルリンチ]]や[[UBS]]などをはるかに超える、世界の金融機関の中でも最大規模となる莫大な損失を被ったことから株価が大幅に下落し、チャールズ・プリンス会長兼最高経営責任者 (CEO) が辞任を表明した。また、これを受け世界各国で事業の再編成や大幅なリストラが行われている<ref>[http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/economy/finance/89072/ 米金融業界 サブプライム余波で解雇10万人]</ref>。なお、チャールズ・プリンスは11月4日に、損失が10月中旬に発表していた20億ドルをはるかに越え、およそ80-110億ドルになる可能性があると発表した<ref>[http://www.afpbb.com/article/economy/2307945/2318917 「シティグループの損失、さらに拡大の可能性」(AFP)]</ref>。この様な事態を受けて、11月26日に[[アブダビ投資庁]]が75億ドル融資すると発表された。12月にヴィクラム([[:en:Vikram Pandit|Vikram Pandit]])社長が就任した。
 
 
 
2008年秋の[[リーマン・ブラザーズ]]破綻に端を発した金融危機の拡大は、シティグループの業績にも大きな悪影響を及ぼし、10月にはアメリカ政府から250億ドルの公的資金注入を受けた<ref>[http://special.reuters.co.jp/contents/uscrisis_article.html?storyID=2008-10-31T130645Z_01_NOOTR_RTRMDNC_0_JAPAN-346579-1.xml 米シティグループなど3行、財務省による資本注入を発表]</ref>。さらに、11月下旬には200億ドルに上る追加の資本注入および3060億ドルもの不良資産の損失の一部肩代わり(290億ドルまでは自己負担でそれ以上は1割の損失負担)の支援を受けたと同時に、政府により当面の間は普通株について四半期に1セント以上の配当が禁止された。
 
 
 
サブプライム危機により一時受け入れた政府出資は、2009年末までに優先株200億ドルを返済、残りも普通株転換後、2010年中に政府が売却を完了する計画で、金融危機後の業績低迷から復活。2010年第1四半期の決算は、市場の大方の事前予想を大幅に上回り、最終純利益が3ヶ月間で4400億円と[[ゴールドマン・サックス]]等投資銀行も含めた米国の大手銀行の中で最大であった。2007年12月から2010年6月の間に[[連邦準備制度]]が15の金融機関に総額16兆ドルも{{仮リンク|ベイルアウト (金融)|label=ベイルアウト|en|Bailout}}したが、シティ・グループは最も高額な2.5兆を受けた。これを使い[[ドッド・フランク法]]の及ばない国外で[[シャドー・バンキング・システム]]の拡充を試みた。2011年には、[[プライベート・バンキング]]の業界誌プライベート・バンカー・インターナショナルにおいて、アジア・太平洋地域におけるプライベート・バンキング顧客預かり資産で、シティグループがUBSや[[HSBC]]等を抜きトップとなった。これら3つの金融機関は[[LIBOR]]不正操作でニュースになっており、必ずしも競争関係にないとみられる。なおシティグループはICSDの[[クリアストリーム|セデル]]に匿名口座の開設を要求している。欧州ではユーロ危機がおこり、[[欧州中央銀行]]がレポ市場を考えて国債を買わない苛烈な財政再建をつづけている。シティグループは東欧のユーロ債発行市場をにらみながら堅調な業績をあげている。2012年2月に[[中華人民共和国]]当局がシティグループのクレジットカード発行を認可した<ref name=first />。2014年ごろより中国のシャドー・バンキングは、中国勢が米国債を担保にレポ取引していたパターンから、国外勢が中国債を担保にレポ取引をするパターンへ転換している。
 
 
 
2016年4月まで、シティグループは連邦準備制度のストレステストに適合するため、さまざまな事業売却を行った。
 
 
 
== 主な傘下企業 ==
 
現在、Global Consumer Group、Corporate and Investment Banking、Global Wealth Management、Citigroup Alternative Investmentsなど事業別のグループの傘下でアメリカをはじめ[[日本]]、[[ドイツ]]、[[インド]]、[[ロシア]]、[[ブラジル]]、[[イギリス]]、[[シンガポール]]など世界100カ国以上で事業を展開し、[[法人]]向け[[銀行]](シティバンク、バナメックスなど)や[[クレジットカード]]([[ダイナースクラブ]]など複数の[[ブランド]]で展開)、個人向金融事業シティファイナンシャル)、[[投資銀行]]、[[証券]]などの事業を行っている。
 
 
 
* [[シティバンク]]
 
* シティファイナンシャル(アメリカ最大の[[不動産担保証券|MBS]]オリジネータ)<ref name=first />
 
* [[メットライフ|シティストリート]]
 
* シティグループ・コーポレート・アンド・インベストメンツ(投資銀行・証券)
 
* シティグループ・プライベート・バンク - 2013年から[[マッキンゼー]]のジェーン・フレイザー([[:en:Jane Fraser (banking)|Jane Fraser]])が責任者
 
* バナメックス
 
* [[ソロモン・スミス・バーニー]]
 
* [[アソシエーツ・ファースト・キャピタル]]
 
 
 
== 日本における事業 ==
 
 
 
=== 歴史 ===
 
[[日本]]ではシティバンクの前身となるインターナショナル・バンキング・コーポレーションが[[1902年]]に最初の支店を[[横浜市|横浜]]に開設した。その後[[神戸市|神戸]]や[[東京]]、[[大阪]]にも相次いで支店を開設する。同年に中国と[[フィリピン]]にも開いた<ref>Kartini Saparudin, "Citibank", National Library Board Singapore, Retrieved June 30, 2018.</ref>。
 
 
 
その後は[[第二次世界大戦]]中の日米間の開戦による一時的な事業閉鎖を経て、[[1973年]]にはファースト・ナショナル・シティ・コーポレーション(ファースト・ナショナル・シチー)が[[東京証券取引所]]に[[株式]][[上場]]するなど日本市場に根付いた事業展開を進めた。
 
 
 
現在は、東京都千代田区の[[丸の内]]にある「[[新丸の内ビルディング]]」を拠点に、法人向け銀行、証券、投資銀行の各業務を展開している(個人向けは、[[2015年]]までに他社に売却や事業譲渡によって順次撤退)。[[2007年]][[1月29日]]には、外資系金融機関として初めて日本で[[金融持株会社]]([[シティグループ・ジャパン・ホールディングス]])を設立すると発表した。
 
 
 
2007年[[3月6日]]には、不正会計が問題になっている[[日興コーディアルグループ]]と資本・業務両面で包括提携することで基本合意し、同社に対して株式公開買い付けを行い株式の保有比率(議決権ベース)を引き上げ、完全子会社化を進めると発表された。その後株式公開買い付けが行われ、決済が行われる[[2007年]][[5月9日]]付けでシティグループが61.08%の株式を保有する筆頭株主となり、事実上同社を傘下に収めた。
 
 
 
2007年8月に完全子会社のシティグループ・ジャパン・ホールディングスに日興コーディアルグループ株式を譲渡。株式を譲り受けたシティグループ・ジャパン・ホールディングスは、2008年1月30日に[[三角合併]]方式の[[株式交換]]を行い(日興株主に親会社のシティグループ株式を交付)、日興コーディアルグループを完全子会社化。同年5月1日付で日興コーディアルグループを吸収合併し、シティグループの日本国内事業を統括する持株会社「[[日興シティホールディングス]]」となった。
 
 
 
不祥事は以下に列挙するとおり、アメリカで分が悪くなった時期に集中している。
 
* [[2004年]]には、グループ傘下のシティバンク、エヌ・エイ在日支店の富裕層の資産運用を助言する[[プライベートバンキング]]部門において、融資と債権の違法な抱き合わせ販売や株価操作のための資金提供、組織犯罪関係者の[[マネーロンダリング]]の手助けや匿名口座と知りながら大口顧客の口座開設などを行った不祥事が[[金融庁]]に摘発され、拠点の認可取り消しなど、金融庁の厳しい行政処分が行われたと同時に同部門の閉鎖、全面撤退が行われた([http://www.fsa.go.jp/news/newsj/16/ginkou/f-20040917-3.html シティバンク、エヌ・エイ在日支店に対する行政処分について])。その後これを受け関係者の処分を行ったほか、現在では[[企業コンプライアンス|コンプライアンス]]の遵守の厳格化を積極的に行っている。
 
 
 
* [[2009年]]6月、銀行法第26条第1項に基づき、シティバンク銀行に対しての2回目の業務停止命令が出された<ref>[http://www.fsa.go.jp/news/20/ginkou/20090626-3.html 金融庁公式サイト]</ref>。法令等遵守態勢の問題、経営管理態勢、内部管理態勢の問題、内部監査の問題が金融庁によって指摘された。
 
 
 
* [[2011年]]12月、銀行法第26条第1項に基づき、シティバンク銀行に対して3回目の業務停止命令が出された<ref>[http://www.citibank.co.jp/ja/customernotices/customernoticesindex/customernoticepages/cust_121611_01.html 金融庁公式サイト]</ref>。顧客に対する不適切な勧誘や不適切な投資商品の販売等、多数の法令違反等が認められたとして、顧客保護等管理態勢の問題が金融庁によって指摘された。また、経営管理態勢の問題、システムリスク管理態勢の問題が指摘された。
 
 
 
* [[2011年]]12月、多数の法令違反があるとして、シティグループ証券株式会社に対して金融商品取引法第51条、第52条第1項第6号及び第9号の規定に基づき業務停止命令が出された<ref>[http://www.fsa.go.jp/news/23/syouken/20111216-3.html 金融庁公式サイト]</ref>。
 
 
 
=== 傘下企業(全額出資子会社)と展開ブランド ===
 
* [[シティグループ・ジャパン・ホールディングス]]株式会社
 
** [[シティグループ証券]]株式会社
 
** [[CFJ (企業)|CFJ]]合同会社
 
*** [[ディック (ファイナンス)|ディック]]
 
*** [[ユニマットレディス]]
 
** シティリース株式会社
 
** シティグループ・サービス・ジャパン
 
** [[シティバンク銀行|CJL]]合同会社(旧シティバンク銀行)
 
** [[シティバンク、エヌ・エイ]]東京支店
 
 
 
; その他の関連会社
 
* シーヴィーシー・アジア・パシフィック・ジャパン・リミテッド
 
 
 
=== 過去に展開していた傘下企業と展開ブランド ===
 
* シティインシュアランス生命保険株式会社
 
* シティグループ・アセット・マネジメント株式会社
 
* シティグループ・アドバイザーズ株式会社
 
* シティグループ・プリンシパル・インベストメンツ・ジャパン株式会社
 
* [[アイク (消費者金融)|アイク]] - [[ディック (ファイナンス)|ディック]]に統合。
 
* [[シティバンク証券]]株式会社 - 日興コーディアル証券に吸収合併。
 
* [[日興コーディアル証券]]株式会社(2011年度より新社名・'''SMBC日興証券株式会社''') - [[三井住友フィナンシャルグループ|SMFG]]により実質買収(法定上では、法人格ごと受け皿会社(準備会社)へ吸収合併)。
 
* [[NCT信託銀行|日興シティ信託銀行]]株式会社 - [[野村信託銀行]]が買収の末、吸収合併。
 
* [[日興アセットマネジメント]] - 日興コーディアル証券の元子会社。現在は[[三井住友信託銀行]](SMTB系)主導で再建中。
 
* シティカードジャパン株式会社 - [[三井住友信託銀行]]に買収され、現在は[[三井住友トラスト・カード]]。
 
** [[ダイナースクラブ]]
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{Reflist}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[メガバンク]]
 
* [[ワクワクウォッチング]]
 
* [[シティ・フィールド]] - 開場がシティへの公的資金注入直後であったため、一部のニューヨーク市議などから「{{lang|en|'''Citi/Taxpayer Field.'''}}(シティ・納税者・フィールド)」と名称を変更するように要求されたこともある。
 
* [[EMI]] - 2011年2月にシティにより完全買収。その後、2013年に[[ソニー]]陣営及び同業者の[[ユニバーサル ミュージック グループ|米ユニバーサル ミュージック]]により事実上の分割買収が行われた。
 
 
 
 
== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==
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* http://www.citigroup.com/ {{En icon}}
 
* http://www.citigroup.com/ {{En icon}}
 
* http://www.citigroup.jp/ {{Ja icon}}
 
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* [http://www.citifinancialracing.com/default.asp Citifinancial Racing] {{En icon}} - 傘下企業のシティファイナンシャルがスポンサーする[[NASCAR]]チームの公式サイト
 
 
 
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シティグループCitigroup Inc.

アメリカ合衆国の総合金融サービス会社。1812年シティ・バンク・オブ・ニューヨークとして設立,1865年ナショナル・シティ・バンク・オブ・ニューヨークと改称。南北戦争後の経済発展,ロックフェラー財閥の協力などもあって 1890~1900年にはアメリカ第1位の銀行に成長した。1955年ファースト・ナショナル・バンクを合併してファースト・ナショナル・シティ・バンクとなった。1967年経営多角化のため持株会社ファースト・ナショナル・シティを設立。持株会社は 1974年シティコープに,傘下の銀行は 1976年シティバンクにそれぞれ名称を変更した。1970年代後半には現金自動預入支払機 ATMの運用を開始。その後ダイナースクラブなどのクレジットカード会社を買収し,カード事業でもシェアを拡大したほか,貯蓄と住宅ローンを手がける金融機関を買収,20世紀後半には全世界に約 3000の支店をもつ世界最大の金融会社の一つとなった。1998年投資銀行大手のソロモン・スミス・バーニーなどを傘下にもつ総合金融サービス会社のトラベラーズ・グループ(トラベラーズ)と合併しシティグループが発足,証券や投資,保険を扱う総合金融会社となった。2002年トラベラーズの損害保険部門を分離。2008年にはサブプライムローン問題で多額の損失を計上し,アメリカ政府から公的資金の援助を受けた。

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