ja>Dr. Back-In-The-Street |
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− | {{Portal|文学}}
| + | Charlotte Brontë、1816年4月21日 - 1855年3月31日 |
− | [[Image:CharlotteBronte.jpg|thumb|right|180px|シャーロット・ブロンテ<br />1854年撮影]]
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− | [[Image:Charlotte Brontë.jpg|thumb|right|180px|シャーロット・ブロンテ<br />({{仮リンク|ジョージ・リッチモンド|en|George Richmond}}原画)]]
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− | '''シャーロット・ブロンテ'''(Charlotte Brontë、[[1816年]][[4月21日]] - [[1855年]][[3月31日]])は、[[イギリス]]の[[小説家]]。[[ヨークシャー]]の[[ソーントン]]生れ。
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− | [[ブロンテ姉妹|ブロンテ3姉妹]]の長姉。当時の社会通念に反逆した同名の女性を描いた『[[ジェーン・エア]]』で反響を呼んだ。ほかに自伝的な『ヴィレット』などがある。 | + | イギリスの女流作家。シャーロットの妹。少女時代,姉や弟妹と一緒に空想的な物語を書くことに熱中。妹アンと共作した『ゴンダル物語』は現存しないが,これらによって培われた奔放な想像力は,詩作やイギリス小説の最高傑作の一つ『[[嵐が丘]]』 Wuthering Heights (1847) においてみごとに結実した。『囚人』 The Prisoner,『わが魂は怯懦ならず』 No Coward Soul is Mine (46) などによって,詩人としても特異な地位を占めている。 |
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− | == 生涯 ==
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− | [[1816年]]4月21日、イギリスの[[ヨークシャー]]の[[ソーントン]]に、牧師パトリック・ブロンテの三女として生まれた。[[ハワース (イングランド)|ハワース]]に一家が移った翌年の1821年に母マリアが死去。1824年8月、姉2人と2歳下の妹[[エミリー・ブロンテ|エミリー]]と共に[[ランカシャー]]のカウアン・ブリッジ校に入学する。しかし、その学校の施設は環境が劣悪であり、姉2人は[[寄宿舎]]の不衛生が原因で[[結核]]にかかり1825年に11歳と10歳で死去した。この学校は『[[ジェーン・エア]]』のローウッド学院のモデルである。
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− | 牧師館に帰ると文学にふけり、1歳下の弟ブランウェルとの合作「アングリア物語」など、多くの詩や戯曲を書く。1831年より、私塾で1年半学び、その後家庭教師として各地を転々とする。牧師館に戻ると妹と相談し私塾を開くことを計画し、エミリーとともに1842年、[[ベルギー]]の[[ブリュッセル]]にあるエジェ寄宿学校へ留学。一時期伯母の死のためにイギリスに戻るが、エミリーを残して再びブリュッセルに戻った。だが留学先のエジェに恋慕を抱いてしまい、1年足らずで帰国。その後私塾を開くが、入塾希望者は現れなかった。
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− | 1846年5月、カラー・ベルの筆名で、3姉妹共同の『詩集』を出版する。2部しか売れなかったが、3人は小説を書き始め、シャーロットは「教授」を完成させた。この作品は出版社に受け取ってもらえなかったが(死後出版)、父の看病の合間に第2作「ジェーン・エア」を執筆し、1847年10月にカラー・ベルの筆名で刊行。社会に反抗する同名の女主人公は大反響を呼び、その名前を広く知られるようになった。しかし翌年、ブランウェルが31歳で死亡すると、同じ年の末にエミリーも30歳で死亡。さらに翌年には[[アン・ブロンテ|アン]]も倒れ、29歳で没した。
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− | ロンドンに出るように誘われるようになると、身元を明らかにし、[[エリザベス・ギャスケル|ギャスケル夫人]]や[[ウィリアム・メイクピース・サッカレー|サッカレー]]らと交わった。作品も『シャーリー』(1849年)、『ヴィレット』(1853年)などを発表、1854年6月に副牧師のアーサー・ニコルズと結婚した。だが妊娠中に妊娠中毒症にかかり、[[1855年]]3月31日、「エマ」を未完のまま胎内の子供と共に死去した。38歳だったが、著名な3姉妹だけでなく姉と弟を含めた6人姉弟の中でも最も長く生きた。
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− | ブロンテ姉妹の中では唯一写真が現存する。
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− | == 作品一覧 ==
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− | {{commons|Charlotte Brontë}}
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− | *[[ジェーン・エア]](''Jane Eyre''、1847年)
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− | *[[シャーリー (小説)|シャーリー]](''Shirley''、1849年)
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− | *[[ヴィレット]](''Villette''、1853年)
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− | *[[教授 (小説)|教授]](''The Professor''、1857年)
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− | **[[みすず書房]]で『ブロンテ全集』(全12巻)が刊行されている。
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− | == 関連項目 ==
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− | *[[シャーロット・ブロンテ (小惑星)]]
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− | == 外部リンク ==
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− | * [http://maple.shizuoka-eiwa.ac.jp/~bronte/BSJ/ 日本ブロンテ協会]
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− | * {{青空文庫著作者|1111|ブロンテ シャーロット}}
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− | * [http://victorian.lang.nagoya-u.ac.jp/concordance/bronte/ A Hyper-Concordance to the Works of the Brontë Sisters](英語)
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− | * [http://www.valeriodistefano.com/villette.htm Villette] MP3 Audiobook {{en icon}}
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− | {{writer-stub}}
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− | {{ブロンテ姉妹}}
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− | {{Normdaten}}
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| {{DEFAULTSORT:ふろんて しやあろつと}} | | {{DEFAULTSORT:ふろんて しやあろつと}} |
| [[Category:イギリスの小説家]] | | [[Category:イギリスの小説家]] |
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| [[Category:アイルランド系イギリス人]] | | [[Category:アイルランド系イギリス人]] |
| [[Category:シティ・オブ・ブラッドフォード出身の人物]] | | [[Category:シティ・オブ・ブラッドフォード出身の人物]] |
− | [[Category:難産死した人物]]
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