ジャンカルロ・フィジケラ

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ジャンカルロ・フィジケラ
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
出身地 同・ローマ
生年月日 (1973-01-14) 1973年1月14日(51歳)
F1での経歴
活動時期 1996-2009
過去の所属チーム '96 ミナルディ
'97,'02-'03 ジョーダン
'98-'01 ベネトン
'04 ザウバー
'05-'07 ルノー
'08-'09 フォース・インディア
'09 フェラーリ
出走回数 231
タイトル 0
優勝回数 3
表彰台(3位以内)回数 19
通算獲得ポイント 275
ポールポジション 4
ファステストラップ 2
初勝利 2003年ブラジルGP
最終勝利 2006年マレーシアGP
最終戦 2009年アブダビGP
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ジャンカルロ・フィジケラGiancarlo Fisichella 1973年1月14日 - )は、イタリア、ローマ出身のF1ドライバー。愛称:フィジコ

プロフィール

F1デビュー

レーシングカート時代に頭角を現し、1994年にイタリアF3チャンピオンを獲得。1995年には旧ドイツツーリングカー選手権(DTM)にアルファロメオで参戦。F1ベネトンチームのフラビオ・ブリアトーレとマネージャー契約し、1996年、当初すでにペドロ・ラミーのチームメイトとしてフル参戦が決定していた井上隆智穂が突然チームを離脱したため、ミナルディからF1デビューした。チームの経済事情で8戦のみの出場ながら、非力なマシンでの好走が認められ、ドライバー選考オーディションとなる実走テストを経て1997年にジョーダンに移籍。チームメイトのラルフ・シューマッハと対立しながらも、表彰台を2度獲得する。ドイツGPでは初優勝のチャンスを迎えたが、ゲルハルト・ベルガーとの接戦に破れた。

低迷から復活へ

ファイル:Giancarlo Fisichella 1999 Canada.jpg
ベネトンB199(1999年カナダGP)
ファイル:Jordan GP 2002.jpg
ジョーダンEJ12(2002年アメリカGP)

1998年にベネトンに移籍し、アレクサンダー・ヴルツとコンビを組み、オーストリアGPで初ポールポジションを獲得。時折活躍したものの、チームの低迷期が災いし、ベネトン在籍4年間には期待されたほどの成績を残せなかった。ブリアトーレとの契約を解除したことで、2001年一杯でベネトンのシートを失う。

2002年には古巣ジョーダンに復帰する(F1デビューした佐藤琢磨の最初のチームメイト)。落ち目のチームにあって健闘し、2003年に第3戦ブラジルGPにて念願の初優勝を達成した。F1デビューから8年目、出走110戦目という遅咲きの勝利だった。このレースは豪雨によるクラッシュ発生により赤旗でレース終了し、またフィジケラが、それまでトップを走行していたマクラーレンキミ・ライコネンをかわしたタイミングが微妙であったという様に、あまりに混乱した展開であった為に、周回数の判断をオフィシャルが誤ることとなり、一旦は2位と判定された。しかしレース後の裁定によりフィジケラの優勝が確定し、次戦のサンマリノGPでライコネンからトロフィーが手渡されることとなった。

2004年にはザウバーに移籍。いぶし銀の走りでポイントを重ねたことが評価され、再びトップチームのルノーのシートを獲得することになった(ルノーチームの前身はベネトンであり、復帰という見方もできる)。

ルノー時代

2005年

2004年にコンストラクターズランキング3位を獲得し上昇気流にあるルノーから参戦。そして開幕戦オーストラリアGPでポール・トゥ・ウィンを飾った。ここで才能が一気に開花するかと期待されたが、この年史上最年少でチャンピオンに輝いたフェルナンド・アロンソに負かされる事が多く、またフィジケラ自身もクラッシュやトラブルなどチームメイトに比べ完走率が低く、結局思うようにいかないシーズンとなった。それでも堅実にポイントを稼ぎ、チームのコンストラクターズ・チャンピオン初制覇に貢献した。

2006年

ファイル:Giancarlo Fisichella won the 2006 Malaysian GP.jpg
表彰台の頂点に立つフィジケラ(2006年マレーシアGP)

ルノー在籍二年目となる2006年、フィジケラは第二戦マレーシアGPで鮮やかなポール・トゥ・ウィンを飾った。彼はこのGP開催の直前にレースを始めた頃から付き合っていた親友を事故で亡くしており、「大事な友を亡くしたこの週末、彼のために必ず勝ってやると決意したんだ。」とレース後に述べている。2006年の前半戦はチームメイトのアロンソには及ばないものの、2005年を上回るペースでポイントを稼ぎ、6月の段階で彼の2007年ルノーチーム残留が正式に発表された。1987年からの連続開催も一旦の区切りを迎えた鈴鹿サーキットでの日本GP、フィジケラはGP開催直前に上記とは別の親友を亡くすという再びショッキングな出来事に遭遇するも、彼は3位表彰台を獲得し亡き親友へと捧げ、表彰台では涙を浮かべた。結局2006年は彼にとってF1シーズンベスト(ドライバーズランキング4位)となる成績を収めるに至った。

2007年

ファイル:Giancarlo Fisichella 2007 Britain 2.jpg
ルノーR27(2007年イギリスGP)

二年連続チャンピオンに輝いたアロンソのチーム離脱により、在籍三年目のフィジケラは名実ともにルノーのエースドライバーとなり、チームメイトに前年のテストドライバーであったヘイキ・コバライネンを迎えた。しかしルノーは2007年よりワンメイクとなったブリヂストンタイヤへの対応にシーズン序盤から苦しみ、最終的にコンストラクターズ3位へ後退した(本来1位であったマクラーレンが不祥事でポイント剥奪された上の3位なので、実質的には4位である)。フィジケラ自身もシーズンが進むにつれ、ルーキーのコバライネンに予選決勝共に先行を許してしまうレースが続き、実力に対する疑問の声が大きくなる。序盤こそ順調にポイントを重ね信頼性の低いマシンながらも健闘したが、中盤からはコバライネンに劣る場面が多くなる。結局、第6戦カナダGPで上位走行中にピット出口の信号を無視し失格したなどの失態もあり、ポイントは30対21とコバライネンに敗れる。ここで12月、アロンソが契約を残したままマクラーレンを抜けルノーにエースドライバーとして加入、セカンドドライバーはネルソン・ピケと決定してしたため、フィジケラは放出され、シーズンオフはフォース・インディアのシートを得るためテストを行った。シートの一方はエイドリアン・スーティルが引き続き得ることが濃厚とされていたのと、同時にラルフ・シューマッハヴィタントニオ・リウッツィクリスチャン・クリエンフランク・モンタニーロルダン・ロドリゲス山本左近らもテストに参加したため、一つのシートを多くのドライバーが激しく争う異例の展開を見た。

新たなチームへ

2008年

フィジケラは2007年のフォース・インディアのテストでのパフォーマンスが評価され、2008年1月10日に同チームの正ドライバーに選ばれる。パートナーは前スパイカーから在籍しているスーティルと、テストドライバーは元スクーデリア・トロ・ロッソのヴィタントニオ・リウッツィ。ちなみにフォース・インディアは元々ジョーダンであり(ジョーダン→ミッドランド→スパイカー)、ルノー加入時と同様に再びチームに復帰するという見方もできる。

トップチームであるルノーから最下位のチームへの移籍であり、シーズン前には引退したほうが潔いとの批判もあったが、非力なマシンでありながら活躍する事が多く、往年の輝きを見せている。第6戦モナコGPで通算200戦を達成した。イタリアグランプリでは、フォースインディア初の予選Q2進出・最高グリッドの12番手を獲得(決勝は序盤ハミルトン、ライコネンを抑えて走行するも、クルサードとの接触によりフロントウィングがノーズ下にもぐりこんでしまい、ステアリングが切れずに真っ直ぐグラベル→タイヤバリアにクラッシュ→リタイア)。この年は僚友エイドリアン・スーティル共々ノーポイントに終わった。

フェラーリへ電撃移籍、引退

2009年

ファイル:Giancarlo Fisichella 2009 Germany.jpg
フォース・インディアVJM02(2009年ドイツGP)

2008年と同じくフォース・インディアから出走。チームメイトもスーティルで変わらず。シーズン中盤まで、入賞まで後一歩という順位でフィニッシュするレースが多くあった。

第12戦ベルギーGPでは、チーム移籍後初となるQ3進出を果たすと、ポールポジションを獲得。自身にとって約3年半ぶり、入賞経験のないチームにとっては初となる予選パフォーマンスを見せた。決勝では、レース序盤にスクーデリア・フェラーリのキミ・ライコネンに先行されるも終始その背後を脅かし続け、僅差で2位フィニッシュ。フォース・インディアに初ポイント、初表彰台をもたらした。

その後、第10戦ハンガリーGPで負傷したフェリペ・マッサの代役として出走していたルカ・バドエルの成績不振に伴い、第13戦イタリアGPからフェラーリへ移籍することが発表された[1][2]。また、2010年はフェラーリのテストドライバーに就任することも発表され、2009年限りでの引退が明らかにされた[1][2]。かねてからフェラーリへの憧れを語っていたフィジケラはこの移籍を「長年の夢」と表現した[3]

しかし、バドエルと格の違いを見せ付けるものの、F60の信頼性と競争力は決して十分とは言えず、さらにはシーズン中のテスト禁止の制約もありマシンを乗りこなすには至らず、ポイントを獲得することは出来なかった。

その後、フェラーリエンジンを使用することになったザウバーと契約交渉するものの合意には至らず、当初の発表通り、最終戦アブダビGPをもってレースドライバーから引退することとなった。出走回数231回、14年のF1キャリアであった。

引退後

2010年はフェラーリのサードドライバーを務める傍ら、同じく元フェラーリのジャン・アレジと共にAFコルセからフェラーリ・F430GTCル・マン・シリーズにフル参戦した。

その後もフェラーリとの縁は深く、フェラーリ・チャレンジにゲストドライバーとして参戦する他、2012年から2015年にかけてAFコルセからFIA 世界耐久選手権に参戦している。2016年は同じくAFコルセから石川資章、ミケーレ・ルゴロとともにブランパンGT選手権とFIA 世界耐久選手権に参戦する。

特徴

F1デビュー当初より、才能があるといわれながらなかなかタイミングが合わず、一時期は「盛りを過ぎたドライバー」と言われた時期もある。しかし、下位・中堅チームでしぶとく結果を残し、再浮上のチャンスをつかんだ。ルノーでの献身的な働きは、フェラーリホンダでのルーベンス・バリチェロと並び「理想的なナンバー2ドライバー」と評された事もある(ナンバー1ドライバーとしては力不足という意味も含む)。

雨のレースに滅法強く、初優勝を記録した2003年のブラジルGPや初ポールを達成した1998年のオーストリアGPをはじめ、多くの雨のレースで殊勲を打ち立てた。不安定な天候で波乱のレースが多いベルギーGPスパ・フランコルシャンも得意とする。

またカナダGPの舞台であるジル・ヴィルヌーヴ・サーキットやモナコGPの舞台であるモナコ市街地など、コース幅が狭くドライバーの技量が問われるレースでも、正確なドライビングで結果を残している。

決勝では予選で下位に沈んだ場合でも順位を多く上げてフィニッシュすることが多く、決勝に強いが予選が苦手という声もある。

2003年1月には「ドライバー・オブ・ドライバー」に選出されている。これは現役のF1レギュラードライバーとテストドライバーによって投票されるもので、前年に17戦中11勝を達成したフェラーリのミハエル・シューマッハを抑えての受賞であった。

F1では通算3勝を記録したが、ヨーロッパのレースでは未勝利に終わった。

余談

  • 1男1女の所帯持ちであり、15年間連れ添ったルナ夫人と2009年10月10日にローマで挙式した。数年前の「F1グランプリ特集」の担当コラムで、ガンダム好きであることを語っていた。
  • サッカー好きのF1ドライバーは多いが、中でも彼は熱狂的なことで有名。ドライバー参加のイベント試合ではミハエル・シューマッハと並ぶ常連であり、「フィジケラが一番上手い」との評判である。地元クラブASローマの大ファン(ロマニスタ)であり、フランチェスコ・トッティら選手とも親交がある。

初優勝時にはASローマの本拠地スタディオ・オリンピコで、サポーターの前で優勝報告をした。ジェンソン・バトンが、フィジケラをからかうためにASローマと同じくローマを本拠地とする宿敵SSラツィオのユニフォームを着て現れ、本気で憮然とした表情をしたことがある。

  • 2006年ヨーロッパGPでは、予選第2ラウンドの最終アタックで10番手のタイムを出した際BMWザウバージャック・ヴィルヌーヴに進路を妨害されたため、抗議の意を込めて大きく腕を振り上げアピールした。その時日本の中継では実況の西岡孝洋に「なんとフィジケラは10番手でガッツポーズ!!」と間違われていた(最終的には13位で第2ラウンドノックアウト)。

レース戦績

フォーミュラ

F1

所属チーム CarNo. 出走回数 ポイント ランキング 決勝最高位・回数 表彰台 予選最高位・回数
1996年 ミナルディ 21 8戦 0 NC 8位・1回(カナダ) 0回 16位・2回(オーストラリア・カナダ)
1997年 ジョーダン 12 全17戦 20 8位 2位・1回(ベルギー) 2回 2位・1回(ドイツ)
1998年 ベネトン 5 全16戦 16 9位 2位・2回(モナコ・カナダ) 2回 1位・1回(オーストリア)
1999年 9 全16戦 13 9位 2位・1回(カナダ) 1回 4位・1回(ハンガリー)
2000年 11 全17戦 18 6位 2位・1回(ブラジル) 3回 3位・1回(ドイツ)
2001年 7 全17戦 8 11位 3位・1回(ベルギー) 1回 6位・1回(日本)
2002年 ジョーダン 9 全17戦 7 11位 5位・3回(オーストリア・モナコ・カナダ) 0回 5位・1回(ハンガリー)
2003年 11 全16戦 12 12位 1位・1回(ブラジル) 1回 8位・1回(ブラジル)
2004年 ザウバー 11 全17戦 22 11位 4位・1回(カナダ) 0回 5位・1回(ベルギー)
2005年 ルノー 6 全19戦 58 5位 1位・1回(オーストラリア) 3回 1位・1回(オーストラリア)
2006年 2 全18戦 72 4位 1位・1回(マレーシア) 5回 1位・1回(マレーシア)
2007年 3 全17戦 21 8位 4位・1回(モナコ) 0回 4位・1回(モナコ)
2008年 フォース・インディア 21 全18戦 0 19位 10位・1回(スペイン) 0回 12位・1回(イタリア)
2009年 フォース・インディア 21 全17戦 8 15位 2位・1回(ベルギー) 1回 1位・1回(ベルギー)
フェラーリ 3 9位・1回(イタリア) 0回 14位・2回(イタリア・日本)
チーム シャシー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 WDC Points
1996年 ミナルディ M195B AUS
Ret
BRA ARG EUR
13
SMR
Ret
MON
Ret
ESP
Ret
CAN
8
FRA
Ret
GBR
11
GER HUN BEL ITA POR JPN NC 0
1997年 ジョーダン 197 AUS
Ret
BRA
8
ARG
Ret
SMR
4
MON
6
ESP
9
CAN
3
FRA
9
GBR
7
GER
11
HUN
Ret
BEL
2
ITA
4
AUT
4
LUX
Ret
JPN
7
EUR
11
8位 20
1998年 ベネトン B198 AUS
Ret
BRA
6
ARG
7
SMR
Ret
ESP
Ret
MON
2
CAN
2
FRA
9
GBR
5
AUT
Ret
GER
7
HUN
8
BEL
Ret
ITA
8
LUX
6
JPN
8
9位 16
1999年 B199 AUS
4
BRA
Ret
SMR
5
MON
5
ESP
9
CAN
2
FRA
Ret
GBR
7
AUT
12
GER
Ret
HUN
Ret
BEL
11
ITA
Ret
EUR
Ret
MAL
11
JPN
14
9位 13
2000年 B200 AUS
5
BRA
2
SMR
11
GBR
7
ESP
9
EUR
5
MON
3
CAN
3
FRA
9
AUT
Ret
GER
Ret
HUN
Ret
BEL
Ret
ITA
11
USA
Ret
JPN
14
MAL
9
6位 18
2001年 B201 AUS
13
MAL
Ret
BRA
6
SMR
Ret
ESP
14
AUT
Ret
MON
Ret
CAN
Ret
EUR
11
FRA
11
GBR
13
GER
4
HUN
Ret
BEL
3
ITA
10
USA
8
JPN
17
11位 8
2002年 ジョーダン EJ12 AUS
Ret
MAL
13
BRA
Ret
SMR
Ret
ESP
Ret
AUT
5
MON
5
CAN
5
EUR
Ret
GBR
7
FRA
DNQ
GER
Ret
HUN
6
BEL
Ret
ITA
8
USA
7
JPN
Ret
11位 7
2003年 EJ13 AUS
Ret
MAL
Ret
BRA
1
SMR
15
ESP
Ret
AUT
Ret
MON
10
CAN
Ret
EUR
12
FRA
Ret
GBR
Ret
GER
13
HUN
Ret
ITA
10
USA
7
JPN
Ret
12位 12
2004年 ザウバー C23 AUS
10
MAL
11
BHR
11
SMR
9
ESP
7
MON
Ret
EUR
6
CAN
4
USA
9
FRA
12
GBR
6
GER
9
HUN
8
BEL
5
ITA
8
CHN
7
JPN
8
BRA
9
11位 22
2005年 ルノー R25 AUS
1
MAL
Ret
BHR
Ret
SMR
Ret
ESP
5
MON
12
EUR
6
CAN
Ret
USA
DNS
FRA
6
GBR
4
GER
4
HUN
9
TUR
4
ITA
3
BEL
Ret
BRA
5
JPN
2
CHN
4
5位 58
2006年 R26 BHR
Ret
MAL
1
AUS
5
SMR
8
EUR
6
ESP
3
MON
6
GBR
4
CAN
4
USA
3
FRA
6
GER
6
HUN
Ret
TUR
6
ITA
4
CHN
3
JPN
3
BRA
6
4位 72
2007年 R27 AUS
5
MAL
6
BHR
8
ESP
9
MON
4
CAN
DSQ
USA
9
FRA
6
GBR
8
EUR
10
HUN
12
TUR
9
ITA
12
BEL
Ret
JPN
5
CHN
11
BRA
Ret
8位 21
2008年 フォース・インディア VJM01 AUS
Ret
MAL
12
BHR
12
ESP
10
TUR
Ret
MON
Ret
CAN
Ret
FRA
18
GBR
Ret
GER
16
HUN
15
EUR
14
BEL
17
ITA
Ret
SIN
14
JPN
Ret
CHN
17
BRA
18
19位 0
2009年 VJM02 AUS
11
MAL
18
CHN
14
BHR
15
ESP
14
MON
9
TUR
Ret
GBR
10
GER
11
HUN
14
EUR
12
BEL
2
15位 8
フェラーリ F60 ITA
9
SIN
13
JPN
12
BRA
10
ABU
16

スポーツカー

ル・マン・シリーズ

チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 順位 ポイント
2010年 AFコルセ フェラーリ・F430 GT2 GT2 CAS
3
SPA
3
ALG
2
HUN
4
SIL
12
3位 66
2011年 AFコルセ フェラーリ・458 GT2 LMGTE Pro CAS
2
SPA
1
IMO
2
SIL
1
EST
Ret
1位 60

インターコンチネンタル・ル・マン・カップ

チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7
2010年 AFコルセ フェラーリ・F430 GT2 GT2 SIL
12
PET
ZHU
2011年 AFコルセ フェラーリ・458 GT2 LMGTE Pro SEB
5
SPA
1
LMN
2
IMO
2
SIL
1
PET
1
ZHU
5

アメリカン・ル・マン・シリーズ

チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 順位 ポイント
2011年 AFコルセ フェラーリ・458 GT2 LMGTE Pro SEB
5
LNB
LIM
MOS
MID
AME
BAL
MON
PET
1
NC 0
2012年 AFコルセ フェラーリ・458 GT2 LMGTE Pro SEB
1
LNB
MON
LIM
MOS
MID
AME
BAL
VIR
PET
NC 0

ユナイテッド・スポーツカー選手権

チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 順位 ポイント
2014年 リシ・コンペツィオーネ フェラーリ・458 GT2 GT LM DAY
Ret
SEB
Ret
LNB
9
LGA
3
WGL
7
MOS
10
IMS
2
AME
1
VIR
1
CTA
4
PET
10
13位 258
2015年 リシ・コンペツィオーネ フェラーリ・458 GT2 GT LM DAY
Ret
SEB
2
LNB
2
LGA
4
WGL
5
MOS
6
AME
3
VIR
3
CTA
2
PET
5
4位 293
2016年 リシ・コンペツィオーネ フェラーリ・488 GTE GT LM DAY
6
SEB
4
LNB
3
LGA
5
WGL
6
MOS
7
LIM
4
AME
5
VIR
7
CTA
8
PET
1
5位 305
2017年 リシ・コンペツィオーネ フェラーリ・488 GTE GT LM DAY
3
SEB
3
LNB
Ret
CTA
Ret
WGL
MOS
LIM
AME
VIR
3
LGA
2
PET
3
9位 199

世界耐久選手権

チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 順位 ポイント
2012年 AFコルセ フェラーリ・458 GT2 LMGTE Pro SEB
EX
SPA
2
LMN
1
SIL
1
SAO
1
BHR
1
FUJ
2
SHA
Ret
1位 161
2013年 AFコルセ フェラーリ・458 GT2 LMGTE Pro SIL
5
SPA
1
LMN
5
SAO
1
COA
2
FUJ
2
SHA
4
BHR
3
2位 135
2014年 AFコルセ フェラーリ・458 GT2 LMGTE Pro SIL
SPA
LMN
1
COA
FSW
SHA
BHR
SÃO
9位 51
2015年 AFコルセ フェラーリ・458 GT2 LMGTE Pro SIL
SPA
LMN
4
NÜR
COA
FSW
SHA
BHR
20位 24

ル・マン24時間レース

チーム コ・ドライバー クラス 周回 総合順位 クラス順位
2010年 イタリアの旗 AFコルセ フランスの旗 ジャン・アレジ
フィンランドの旗 トニ・バイランダ―
フェラーリ・F430 GT2 GT2 323 16位 4位
2011年 イタリアの旗 AFコルセ イタリアの旗 ジャンマリア・ブルーニ
フィンランドの旗 トニ・バイランダ―
フェラーリ・458 GT2 GTE
Pro
314 13位 2位
2012年 イタリアの旗 AFコルセ イタリアの旗 ジャンマリア・ブルーニ
フィンランドの旗 トニ・バイランダ―
フェラーリ・458 GT2 GTE
Pro
336 17位 1位
2013年 イタリアの旗 AFコルセ イタリアの旗 ジャンマリア・ブルーニ
イタリアの旗 マッテオ・マルーチェリ
フェラーリ・458 GT2 GTE
Pro
311 22位 6位
2014年 イタリアの旗 AFコルセ イタリアの旗 ジャンマリア・ブルーニ
フィンランドの旗 トニ・バイランダ―
フェラーリ・458 GT2 GTE
Pro
339 13位 1位
2015年 イタリアの旗 AFコルセ イタリアの旗 ジャンマリア・ブルーニ
フィンランドの旗 トニ・バイランダ―
フェラーリ・458 GT2 GTE
Pro
330 25位 3位
2016年 アメリカ合衆国の旗 リシ・コンペツィオーネ フィンランドの旗 トニ・バイランダ―
イタリアの旗 マッテオ・マルーチェリ
フェラーリ・488 GTE GTE
Pro
340 20位 2位
2017年 アメリカ合衆国の旗 リシ・コンペツィオーネ フィンランドの旗 トニ・バイランダ―
ドイツの旗 ピエーレ・カファー
フェラーリ・488 GTE GTE
Pro
72 DNF DNF

ツーリングカー

ドイツツーリングカー選手権

チーム 使用車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 順位 ポイント
1995年 アルファ・コルセ 2 アルファロメオ・155 V6 TI HOC
1

6
HOC
2

Ret
AVU
1

4
AVU
2

19
NOR
1

DNS
NOR
2

DNS
DIE
1

6
DIE
2

Ret
NÜR
1

6
NÜR
2

Ret
SIN
1

15
SIN
2

Ret
HOC
1

10
HOC
2

10
15位 30

国際ツーリングカー選手権

チーム 使用車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 順位 ポイント
1995年 アルファ・コルセ 2 アルファロメオ・155 V6 TI MUG
1

7
MUG
2

2
HEL
1

16
HEL
2

Ret
DON
1

5
DON
2

Ret
EST
1

4
EST
2

14
MAG
1

Ret
MAG
2

Ret
10位 37
1996年 TV Spielfilm アルファ・コルセ アルファロメオ・155 V6 TI HOC
1

7
HOC
2

19
NUR
1

DSQ
NUR
2

DSQ
EST
1

2
EST
2

5
HEL
1

12
HEL
2

5
NOR
1

11
NOR
2

Ret
DIE
1

3
DIE
2

Ret
SIL
1

Ret
SIL
2

9
NUR
1

5
NUR
2

4
MAG
1

3
MAG
2

2
MUG
1

3
MUG
2

13
HOC
1

12
HOC
2

5
SAO
1

12
SAO
2

16
SUZ
1

4
SUZ
2

2
6位 139

関連項目

脚注

外部リンク

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