「ジョー・ジャクソン (野球)」の版間の差分

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{{Infobox baseball player
 
|選手名 = ジョー・ジャクソン
 
|英語表記 = Joe Jackson
 
|所属球団 =
 
|背番号 =
 
|選手写真ファイル名 = Shoeless Joe Jackson by Conlon, 1913.jpeg
 
|写真サイズ = 315px
 
|写真のコメント = 1913年
 
|国籍 = {{USA}}
 
|出身地 = [[サウスカロライナ州]][[ピケンズカントリー]]
 
|生年月日 = [[1888年]][[7月16日]]
 
|没年月日 = {{死亡年月日と没年齢|1888|7|16|1951|12|5}}
 
|身長 = {{フィートとcm (身長用変換)|6|1}}
 
|体重 = {{ポンドとkg (体重用変換)|200}}
 
|利き腕 = 右
 
|打席 = 左
 
|守備位置 = [[外野手]]
 
|プロ入り年度 =
 
|ドラフト順位 =
 
|初出場 = [[1908年]][[8月25日]]
 
|最終出場 = [[1920年]][[9月27日]]
 
|年俸 =
 
|経歴 =
 
* [[オークランド・アスレチックス|フィラデルフィア・アスレチックス]] (1908 - 1909)
 
* [[クリーブランド・インディアンス|クリーブランド・ナップス<br />クリーブランド・インディアンス]] (1910 - 1915)
 
* [[シカゴ・ホワイトソックス]] (1915 - 1920)
 
|選出国 =
 
|選出年 =
 
|得票率 =
 
|選出方法 =
 
}}
 
'''ジョセフ・ジェファーソン・"ジョー"・ジャクソン'''(Joseph Jefferson "Joe" Jackson, [[1888年]][[7月16日]] - [[1951年]][[12月5日]])は、[[1910年代]]の[[アメリカ合衆国|アメリカ]][[メジャーリーグベースボール|メジャーリーグ]]の元[[野球選手]]([[外野手]])。右投左打。[[サウスカロライナ州]]出身。[[マイナーリーグ]]時代、足に合わない小さな[[スパイクシューズ|スパイク]]しか持っていなかったジャクソンは、靴擦れから足によく[[肉刺|マメ]]が出来たため、ある試合でスパイクを脱ぎ捨てて裸足でプレーした。この逸話から、「'''シューレス(裸足の)・ジョー'''(Shoeless Joe)」という[[ニックネーム|愛称]]を持つ。
 
  
[[1919年]]に起こった八百長事件「'''[[ブラックソックス事件]]'''」で球界を追放された、「悲運の8人」の1人である。
 
 
== 経歴 ==
 
=== プロ入り前 ===
 
子供の頃から織物工場で働き、十分な教育を受けることができなかった。13歳の時に野球を始めた。
 
 
[[1908年]]に[[オークランド・アスレチックス|フィラデルフィア・アスレチックス]]と契約し、同年[[8月25日]]に18歳でメジャーデビュー。しかしフィラデルフィアでの2年間はチームになじめず、ほとんどをマイナーリーグで過ごした。
 
 
=== 現役時代 ===
 
[[ファイル:Cobb jackson.jpg|thumb|220px|[[タイ・カッブ]](左)とジョー・ジャクソン(右)]]
 
[[1910年]]、[[クリーブランド・インディアンス|クリーブランド・ナップス]]にトレードされる。同年にマイナーリーグで結果を残し、メジャーに昇格すると、少ない打数ながら打率.387を記録。翌[[1911年]]にはレギュラーに定着し、打率.408、233安打、41盗塁を記録するも、[[タイ・カッブ]]がそれを上回る打率.420を記録したため首位打者になれなかった。このときの年齢は24歳2ヶ月で4割打者の最年少記録だったが、後に[[テッド・ウィリアムズ]]に更新される。
 
 
その後の[[1912年]]、[[1913年]]も2年連続で最多安打を記録するなど活躍し、特に1913年には[[最優秀選手 (MLB)|MVP]]の投票で[[ウォルター・ジョンソン]]に次ぐ2位となった。
 
 
[[File:Shoeless Joe Jackson, ca 1915-1920.jpg|thumb|240px|ジョー・ジャクソン(ホワイトソックス時代)]]
 
[[1915年]]シーズン途中に[[シカゴ・ホワイトソックス]]に移籍。翌[[1916年]]に打率.341を残し、[[1917年のワールドシリーズ]]では全6試合に出場して打率.304を記録。ホワイトソックスの11年ぶり2回目の優勝に貢献した。[[1918年]]は故障でシーズンのほとんどを棒に振ったものの、翌1919年には139試合に出場して打率.351を記録するなど復活した。
 
 
[[1920年]]、自己3番目の高さとなる打率.382、自己最高となる121打点を記録。しかし、同年シーズン終了後、[[1919年のワールドシリーズ]]で八百長事件に関与したとして、32歳という若さでメジャーリーグから永久追放されることとなった。
 
 
通算打率.356は史上3位の高打率であるが、同時期に[[タイ・カッブ]]がいたため、結局1度も[[首位打者 (MLB)|首位打者]]を獲ったことがなかった。
 
 
=== 引退後 ===
 
[[現役引退]]後は[[ジョージア州]]や[[サウスカロライナ州]]のセミプロリーグでプレーした。後にバーベキューレストランや飲み屋 (liquor store) を経営。[[1951年]]、翌日テレビで自身の無実を主張するはずだった12月5日に、心臓発作で死去した。
 
 
== 特筆 ==
 
=== ブラックソックス事件 ===
 
[[File:JacksonCleveland.jpg|thumb|270px|ジョー・ジャクソン(1913年)]]
 
{{main|ブラックソックス事件}}
 
ジャクソンが本当に八百長に関わっていたかどうかについての議論は尽きない。問題のシリーズで、ジャクソンは打率.375(32打数12安打)、無[[失策]]、チーム唯一の[[本塁打]]を打っている一方、第1戦でバックホームを大暴投している。また「本気の彼なら5割を打っていた」という主張もある。大陪審で証言を済ませ、裁判所から出て来たジャクソンに、ひとりの少年ファンが、'''"Say it ain't so Joe!!"'''(「嘘だと言ってよ、ジョー!」)と叫び、これに対してジャクソンは「ごめんよ、どうも本当らしい」と応えたという逸話が残っているが、それは新聞記者のねつ造であり、実際は少年ファンに話しかけられなかったどころか、裁判所の外に子供はひとりもいなかった、とジャクソン記念館のアーリーン・マークリー館長は話している<ref>現在まで「Say it ain't so(嘘だと言ってよ)!」は野球ファンの心からの叫びとして語り継がれており、選手会ストライキによる[[ワールドシリーズ]]中止や[[サミー・ソーサ]]のコルクバット使用疑惑の時など、誌面にこの言葉が躍った。</ref>。
 
 
現役時代のジャクソンはチームの看板選手であり、「悲運の8人」の中で最もファンに愛されていた選手であった。カッブはジャクソンのことを「メジャーリーグ最高の[[左翼手|レフト]]」、「彼のグローブの中で三塁打は死ぬ」と高く評価し、[[ベーブ・ルース]]はジャクソンの打撃フォームを参考にしたという。現在もジャクソンの認知度は高く、ジャクソンや[[タイ・カッブ]]等を含めた1914年度の[[ベースボールカード]]セットが、オークションで80万ドル(約8200万円)で、また直筆サイン入りバットが13万7500ドル(約1450万円)で落札されたことがある。復権の嘆願も多いが、2012年現在もジャクソンは[[ピート・ローズ]]とともに[[アメリカ野球殿堂]]の審査対象となっていない。
 
 
=== 埋もれていた記録 ===
 
[[File:1920 Babe Ruth and Shoeless Joe.jpg|thumb|right|[[ベーブ・ルース]]とジョー・ジャクソン(1920年)]]
 
[[1947年]]に制定された[[ルーキー・オブ・ザ・イヤー (MLB)|ルーキー資格]]に照らした場合に、ジョー・ジャクソンが[[1911年]]に放った233安打が、それまでの「ルーキー最多安打」であったことが発見されたのは、[[2001年]]のことである。この年メジャーリーグ1年目の[[イチロー]]が200本を超える安打を記録した頃から、ルーキー最多安打記録が話題になり始めたため、メジャーリーグ機構がルーキー表彰制度の始まった1947年以前の記録を改めて調べなおした結果、それまで認知されていた[[ロイド・ウェイナー]]のメジャー1年目安打数(223安打)を、ジャクソンの記録が超えていたことが判明した(現在のルーキー最多安打記録は、イチローの242安打である)。
 
 
=== その他 ===
 
アメリカ合衆国のミュージシャン、元[[クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル]](CCR)[[ジョン・フォガティ]]の1985年のアルバムタイトル曲『センターフィールド』の2番の歌詞において、有名なベースボール・ポエム「[[ケイシー打席に立つ]]」の一節、[[ウィリー・メイズ]]、[[タイ・カッブ]]、[[ジョー・ディマジオ]]といった殿堂入り中堅手の名前と共に、[[ブラックソックス事件]]における有名フレーズ "Say it ain't so Joe!!"(「嘘だと言ってよ、ジョー!」)が「Don't say "it ain't so"」として引用されている。ちなみに、フレーズだけで名前は登場しないジョー・ジャクソンは左翼手だった。
 
 
2013年のメジャーリーグのドラフト会議において、ひ孫のジョー・ジャクソンが[[テキサス・レンジャース]]から5巡目で指名されている<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/06/09/kiji/K20130609005973930.html 「シューレス・ジョー」のひ孫も!話題選手のドラフト指名相次ぐ]スポーツニッポン2013年6月9日配信</ref>。
 
 
== 詳細情報 ==
 
=== 年度別打撃成績 ===
 
{|{{年度別打撃成績|リーグ=メジャーリーグベースボール}}
 
|-
 
|style="text-align: center;"|{{by2|1908}}
 
|rowspan="2" style="text-align:center; white-space:nowrap;"|[[オークランド・アスレチックス|PHA]]
 
|5||23||23||0||3||0||0||0||3||3||0||-||0||-||0||-||0||-||-||.130||.130||.130||.261
 
|-
 
|style="text-align: center;"|{{by2|1909}}
 
||5||18||17||3||3||0||0||0||3||3||0||-||0||-||1||-||0||-||-||.176||.222||.176||.399
 
|-
 
|style="text-align: center;"|{{by2|1910}}
 
|style="text-align:center;" rowspan="6" |[[クリーブランド・インディアンス|CLE]]
 
||20||86||75||15||29||2||5||1||44||11||4||-||3||-||8||-||0||-||-||.387||.446||.587||1.032
 
|-
 
|style="text-align: center;"|{{by2|1911}}
 
||147||641||571||126||233||45||19||7||337||83||41||-||6||-||56||-||8||-||-||.408||'''.468'''||.590||1.058
 
|-
 
|style="text-align: center;"|{{by2|1912}}
 
||154||653||572||121||'''226'''||44||'''26'''||3||'''331'''||90||35||20||15||-||54||-||12||-||-||.395||.458||.579||1.036
 
|-
 
|style="text-align: center;"|{{by2|1913}}
 
||148||623||528||109||'''197'''||'''39'''||17||7||291||71||26||-||10||-||80||-||5||26||-||.373||.460||'''.551'''||'''1.011'''
 
|-
 
|style="text-align: center;"|{{by2|1914}}
 
||122||513||453||61||153||22||13||3||210||53||22||15||13||-||41||-||5||34||-||.338||.399||.464||.862
 
|-
 
|style="text-align: center;" rowspan="2"|{{by2|1915}}
 
||83||338||303||42||99||16||9||3||142||45||10||10||3||-||28||-||3||11||-||.327||.389||.469||.858
 
|-
 
|rowspan="7" style="text-align:center;"|[[シカゴ・ホワイトソックス|CWS]]
 
||45||193||158||21||43||4||5||2||63||36||6||10||8||-||24||-||3||12||-||.272||.378||.399||.777
 
|- style="background-color: #f2f2f2;"
 
!style="text-align: center;"|'15計
 
|128||531||461||63||142||20||14||5||205||81||16||20||11||-||52||-||6||23||-||.308||.385||.445||.830
 
|-
 
|style="text-align: center;"|{{by2|1916}}
 
||155||658||592||91||202||40||'''21'''||3||'''293'''||78||24||14||16||-||46||-||5||25||-||.341||.393||.495||.888
 
|-
 
|style="text-align: center;"|{{by2|1917}}
 
||146||623||538||91||162||20||17||5||231||75||13||-||19||-||57||-||7||25||-||.301||.375||.429||.805
 
|-
 
|style="text-align: center;"|{{by2|1918}}
 
||17||78||65||9||23||2||2||1||32||20||3||-||5||-||8||-||0||1||-||.354||.425||.492||.917
 
|-
 
|style="text-align: center;"|{{by2|1919}}
 
||139||599||516||79||181||31||14||7||261||96||9||-||17||-||60||-||4||10||-||.351||.422||.506||.928
 
|-
 
|style="text-align: center;"|{{by2|1920}}
 
||146||649||570||105||218||42||'''20'''||12||336||121||9||12||16||-||56||-||7||14||-||.382||.444||.589||1.033
 
|-
 
!colspan="2"|通算:13年
 
|1332||5695||4981||873||1772||307||168||54||2577||785||202||81||131||-||519||-||59||158||-||.356||.423||.517||.940
 
|}
 
 
*各年度の'''太字'''はリーグ最高
 
 
=== 獲得タイトル・表彰・記録 ===
 
* [[最多安打]]:2回(1912年、1913年)
 
* 最多二塁打:1回(1913年)
 
* 最多三塁打:3回(1912年、1916年、1920年)
 
* 最多塁打:2回(1912年、1916年)
 
* 最多長打:1回(1916年)
 
* 最多出塁:1回(1913年)
 
* 最高出塁率:1回(1911年)
 
* 最高長打率:1回(1913年)
 
 
* 通算打率:.356(歴代3位)
 
* シーズン新人安打数:233(1911年)※歴代2位。2001年に[[イチロー]]よって90年ぶりに更新された
 
* ワールドシリーズ優勝:1回(1917年)
 
 
== 脚注 ==
 
{{reflist}}
 
 
== 外部リンク ==
 
{{commonscat|Shoeless Joe Jackson}}
 
*{{MLBstats |mlb=116432 |espn=23269 |br=j/jacksjo01 |fangraphs=1006301 |cube=Joe-Jackson}}
 
*[http://retrosheet.org/boxesetc/J/Pjackj101.htm 打撃成績(レトロシート)]
 
*[http://bioproj.sabr.org/bioproj.cfm?a=v&v=l&bid=1715&pid=6843 Biography(SABR.org)]
 
{{Cleveland Indians}}
 
{{1917 シカゴ・ホワイトソックス}}
 
 
{{baseball-biography-stub}}
 
{{DEFAULTSORT:しやくそん しよお}}
 
[[Category:アメリカ合衆国の野球選手]]
 
[[Category:オークランド・アスレチックスの選手]]
 
[[Category:クリーブランド・インディアンスの選手]]
 
[[Category:シカゴ・ホワイトソックスの選手]]
 
[[Category:八百長に関与した選手]]
 
[[Category:永久追放されたスポーツ選手]]
 
[[Category:サウスカロライナ州の人物]]
 
[[Category:1889年生]]
 
[[Category:1951年没]]
 

2019/4/24/ (水) 09:04時点における最新版