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{{Infobox company
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'''ゼネラルモーターズ'''({{lang-en|General Motors Company}})
| name              = General  Motors Company
 
| logo              =  [[File:General Motors logo.svg|120px]]
 
| image            = [[File:GM HQ.jpg|280px]]
 
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| industry          = [[自動車産業|自動車]]
 
| foundation        = {{Start date and age|1908|9|16}}
 
| founder            = [[ウィリアム・C・デュラント]]<br>チャールズ・スチュワート・モット
 
| location_city      = {{USA}} [[ミシガン州]][[デトロイト]]
 
| key_people        = メアリー・バーラ(会長兼CEO)<br>ダン・アマン(社長)
 
| products          = [[自動車]]<br>自動車部品<br>[[商用車]]
 
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| operating_income  = {{increase}} US$ 9.545 billion (2016)<ref name="xbrlus_1"/>
 
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| divisions          = [[ビュイック]]<br>[[キャデラック]]<br>[[シボレー]]<br>[[GMC]]
 
| subsid            =
 
* FAW-GM (50%)
 
* [[ホールデン (自動車)|Holden]]
 
* HSV
 
* [[上汽通用五菱汽車|SAIC-GM-Wuling]] Automobile (44%)
 
** Baojun
 
* GM Financial
 
* GM Certified Service
 
* ACDelco
 
* DMAX
 
* GM Components Holdings
 
* General Motors América do Sul
 
** General Motors do Brasil
 
** GM Colmotores (Colombia)
 
* General Motors Canada
 
** CAMI Automotive
 
* General Motors China
 
* General Motors de Mexico
 
* General Motors India
 
** Chevrolet Sales India
 
* [[韓国GM|GM Korea Company]]
 
** Chevrolet Europe
 
** GM Vietnam
 
* GM Uzbekistan
 
* General Motors Egypt
 
* General Motors South Africa
 
* General Motors Japan
 
| homepage          = [https://www.gm.com gm.com]
 
}}
 
'''ゼネラルモーターズ'''({{lang-en|General Motors Company}})は、[[アメリカ合衆国]]の[[自動車]]メーカーである。本社は[[ミシガン州]][[デトロイト]]。略称は「'''GM'''」。
 
 
 
20世紀初頭にミシガン州で創業。1930年代から第二次大戦後にかけてアメリカ最大の市場シェアを握り、特に1950年代から60年代には世界最大の自動車メーカーとして繁栄した。70年代以降は輸入車との競争に苦しみ低迷、[[2009年]][[6月1日]]に[[連邦倒産法第11章]]の適用を申請し倒産、国有化された。[[2013年]][[12月9日]]に[[アメリカ合衆国財務省]]が保有するGMの株式全ての売却が完了し、国有化が解消された。
 
 
 
== 歴史 ==
 
[[File:General_Motors_building_089833pv.jpg|right|thumb|かつてのゼネラルモーターズ本社。[[1923年]]に竣工した当時は世界で二番目に巨大なオフィスビルだった。[[1996年]]に本社移転した後は[[:en:Cadillac Place|キャディラック・プレイス]]と改称されミシガン州などの庁舎が入っている。[[アメリカ合衆国国定歴史建造物]]指定]]
 
=== 創成期~第二次世界大戦まで ===
 
[[1908年]][[9月16日]]に、[[ウィリアム・C・デュラント]]が[[ミシガン州]][[フリント (ミシガン州)|フリント]]で組織した[[持株会社]]がゼネラルモーターズである。[[ビュイック|ビュイック・モーター]]([[1903年]]創業)の経営を[[1904年]]に任されたデュラントは、社長としてビュイックを全米有数の自動車メーカーに育て上げた。デュラントはゼネラルモーターズ創設後、1908年末に[[オールズモビル (自動車)|オールズモビル]]を買収し、翌年には[[キャディラック]]、[[エルモア・マニュファクチャリング・カンパニー|エルモア]]、オークランド(後の[[ポンティアック]])などを買収してGMの一部とした。その後もGMはミシガン州周辺のトラックメーカーを次々買収するが、買収費用がかさんだことにより100万ドルの負債を抱えるはめになった。[[1910年]]、デュラントはGMの支配権を失い、[[バンカーズ・トラスト]]が会社の支配権を握った。
 
 
 
デュラントはその後[[シボレー]]の創立([[1911年]])に関わり、GMの株を買い戻して[[1916年]]には社長に返り咲き、シボレーを翌年GMの一部とした。彼の復活の背後には、[[1914年]]に最初の投資を行って以降、1950年代までGMに関与し続けた[[デュポン]]社の社長[[ピエール・デュポン]]がいた。
 
 
 
[[1920年]]にピエール・デュポンはデュラントを追い出してGMの実権を奪い、社長として擁立した[[アルフレッド・スローン]]の経営によって現在に繋がる経営基盤が確立され、政争に揺れた[[フォード・モーター|フォード]]を抜いて世界最大のメーカーとなった。商品方針は「どんな予算でも、どんな目的でも」。このために複数の[[ブランド]]を所有し、北米では最下段に[[シボレー]]([[1990年]]から[[サターン (自動車)|サターン]]がシボレーとは別にベーシックブランドとして登場した。また、[[ジオ (自動車)|ジオ]]というブランドが最下層として存在した時期があった)を、最上段に[[キャディラック]]を位置付け、シンプルでベーシックな[[フォード・モデルT]]しか作らなかったフォード車に対して、スタイリッシュで、パワフルで高級感のある商品を揃えるという巧妙な[[マーケティング]]戦略や、[[1919年]]に設立された[[GMAC]]の金融サービスによる[[オートローン]]や[[信用販売|クレジット]]で消費者を惹きつけ業界シェアナンバー1を維持し、フォードを突き放した。なおフォードは当初顧客にローンを組ませるという販売方法を拒み、1920年代の後半にようやく似たようなクレジットサービスを提供したが、「フォード・クレジット」というGMACのような信販会社が設立されたのはずっと後の1959年であった。
 
 
 
1920年代から1930年代にかけてGMは[[バス (車両)|バス]]製造会社イエローコーチを買収し、[[グレイハウンド (バス)|グレイハウンド]]社の創設を手助けした。またGMは[[1936年]]に石油会社スタンダード・オイル・カリフォルニア(のちの[[シェブロン]])やタイヤ会社[[ファイアストン]]と共同で「ナショナル・シティ・ラインズ」を創設し、1950年までに全米各地の[[路面電車]]会社や[[電車|電鉄]]会社を買収し、これをバス運送に置き換えていったが、これは後に自動車関連各社による鉄道縮小の陰謀として非難を浴びた(陰謀論の詳細と正確性については[[アメリカ路面電車スキャンダル]]、[[パシフィック電鉄#陰謀説とパシフィック電鉄|パシフィック電鉄]]を参照)。
 
 
 
初期のフォードは1つの車種([[フォード・モデルT]])だけを世界中で大量生産したが、一方でGMは初期から各々の地域毎に多種多様な車種を供給し、そのために南北アメリカ、[[ヨーロッパ]]、[[アジア]]、[[オーストラリア]]など世界中に生産拠点を設けた。1925年(大正14年)のアジアを視野に入れたフォード社日本進出に続き、[[1927年]](昭和2年)から[[1941年]](昭和16年)まで、[[大阪]](現在の[[大阪市]][[大正区]]鶴町1丁目、[[大阪市の公営渡船|大阪市営渡船]]船町渡船場付近)に日本法人[[日本ゼネラル・モータース]]を設立。シボレー車のアジア向けノックダウン生産および、販売サービスをおこなった。昭和初期の日本国内は、GMのシボレー車とフォード車の独擅場だった。
 
 
 
同じく[[1925年]]にはイギリスの[[ボクスホール]]を買収、[[1929年]]3月にはドイツの[[オペル]]を80%買収、3年後の[[1931年]]には100%とし、さらにオーストラリアの[[ホールデン]]も傘下に収める。オペル買収でドイツでの自動車製造を利益の大きな重要事業とみていたが、[[ナチス]]台頭後オペルは一旦GMの支配を離れた。子会社ボクスホールなどを通じて[[戦車]]など軍用車両を製造し、[[第二次世界大戦]]下で連合軍を支えたが、一方でオペルはナチスの欧州侵攻を支えた。GM首脳グレアム・K・ハワードやジェームズ・D・ムーニーらはナチスに個人的に深くかかわり、ムーニーは戦争前にヒトラーから受勲するなどしている。[[1948年]]11月GMは再びオペルを支配下に置く。
 
 
 
GMは[[航空機]]製造にも関心を示し、[[1930年]]に[[フォッカー]]の子会社[[アトランティック・エアクラフト・コーポレーション・オブ・アメリカ]]を買収しゼネラル・アビエーション部門とし、[[1933年]]にはノースアメリカンを買収して[[ノースアメリカン]]を存続企業としたが、[[1948年]]に株を公開し、[[F4F (航空機)|F4Fワイルドキャット戦闘機]]のライセンス生産後は航空機には携わっていない。
 
 
 
第二次世界大戦中には[[M3サブマシンガン]]や[[FP-45]]などの銃器を製造していた。
 
 
 
=== 第二次世界大戦後~1990年代 ===
 
戦後、[[1950年代]]にはGMはアメリカ最大の会社となり、[[1953年]]には社長[[チャールズ・E・ウィルソン]]は[[アイゼンハワー]]政権の[[アメリカ合衆国国防長官|国防長官]]となった。[[1955年]]12月末には、GMはアメリカで最初に年10億ドル以上を稼ぐ企業となった。
 
 
 
[[1970年代]]以降、[[オイルショック]]によって[[小型車]]の需要が高まると、それまでアメリカ国内で開発して来た小型車(コーヴェア、ヴェガ等)を[[オペル]]、[[いすゞ自動車|いすゞ]]等の開発協力を得たモデル(『[[オペル・カデット|Tカー]]』、『[[オペル・アスコナ|Jカー]]』等)に代替するなどの販売戦略の転換が進められたが、品質と生産性の悪化が顕著となり、[[1981年]]から[[1990年]]まで会長職にあった[[ロジャー・スミス]]の下、さまざまな取り組みが進められた。[[1984年]]には[[トヨタ自動車]]との合弁会社『[[NUMMI]]』を設立し、[[QC]]に関するノウハウの吸収に努めたほか、アメリカ国内の工場の[[リストラ]]、[[労働条件]]の引き下げといった生産性を向上する取り組みにも着手した。日本車やドイツ車のコンセプトを模倣した[[サターン (自動車)|サターン]]や高度に[[ロボット]]化された工場の失敗などはあったものの、1990年代初頭には一定の成果を見せるようになった。また、1990年代を通じたアメリカの好景気は、[[フルサイズ]][[SUV]]・[[ピックアップトラック]]などの需要を生み出し、アメリカ国内の[[シェア]]低下には歯止めが掛からなかったものの、高い[[利益率]]は好業績を維持することに貢献した。
 
 
 
=== 2000年頃~2008年 ===
 
[[2000年]]頃からは[[環境保護]]問題の高まりなどの外部環境の変化を受け、[[消費者]]の嗜好は再び燃費の良い[[サブコンパクトカー]]や[[ハイブリッドカー]]にシフトしたが、GMは時代の流れに逆行し高い利益率のフルサイズSUV・ピックアップトラックに集中し続け、むしろ小型車部門の[[ジオ (自動車)|ジオ]]は整理・縮小させる方向にあった。
 
 
 
また[[2001年]]の[[アメリカ同時多発テロ事件]]直後に販売量が落ち込んだ際には、生産量を落とさない方針を採ったため次第に[[在庫]]が増加。在庫を捌くために販売店への[[インセンティブ (自動車)|インセンティブ]]の上乗せや[[値引き販売]]を激化させる悪循環に陥り、[[2005年]]までに[[企業収益]]は一気に悪化した。過去の従業員の退職[[年金]]や[[医療費]]負担なども財務を圧迫し続け、[[格付け会社]]からは[[社債]]を「投資不適格」にランク付けされるに至り[[株価]]は低迷、株式投資会社の介入を招く事態にもなった。部品調達で密接な関係を持つ[[デルファイ・コーポレーション]]が経営危機を迎えた際にも、直接救済する体力は無かった。
 
 
 
[[2005年]]以降は、提携先の株式の処分も進められている。[[10月]]には、資本提携していた[[富士重工業]](当時)株を[[トヨタ自動車]]へ売却、[[2006年]]には[[いすゞ自動車]]株を売却し資本提携を解消、2006年[[3月]]には、[[スズキ (企業)|スズキ]]株の大半を売却し、[[2008年]][[11月18日]]付で[[資本提携]]を完全に解消した。こうした株式の処分は[[特別利益]]となり経営体質の改善に直結するが、一方でGMの伝統である、地域毎に多種多様な車種を生産し融通し合うという特徴(サブコンパクトカーの開発・生産はスズキやいすゞが担った)を薄めることであり、今後の商品開発力低下を危惧する見方もある。
 
 
 
[[2006年]][[7月]]には、[[カーク・カーコリアン]]率いる[[投資会社]]・[[トラシンダ]]から、[[ルノー|ルノー=日産アライアンス]]との提携を推奨され協議に入ることが大々的に報じられたが、GM首脳部には提携の意志はなく、同年10月中に破談し交渉は終了している。
 
 
 
[[2007年]]の自動車販売台数は、トヨタ自動車グループと僅差で世界一(937万台)であったが<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20080124-OYT1T00073.htm トヨタ、年間販売台数で初の世界一に届かず]。[[読売新聞]]。2008年1月24日取得</ref>、[[ガソリン]]価格の高騰、[[サブプライムローン]]問題に端を発する[[世界金融危機]]の影響で、[[北米]]での売上が大きく落ち込んだ。その結果、2007年度決算で3兆円という途方もない額の[[赤字]]を生むこととなった。また、[[2008年]][[上半期]]には'''約77年間も守り続けた販売台数世界一の座'''もトヨタに明け渡した<ref>[http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-32876720080723 08年上半期の世界販売台数でトヨタが首位、米GMは3%減]。[[ロイター]]。2008年10月21日取得</ref>。
 
 
 
GMは巨額の[[年金]]・退職者医療の債務を抱え、[[債務超過]]に陥り、株主[[配当]]も停止され、金融市場から[[債券]]発行による[[資金調達]]も困難な状態にあった。GMの純損失額は2005年105億6700万ドル、2006年19億7800万ドル、2007年387億3200万ドルであった。
 
 
 
2008年第1四半期から第3四半期までの財務データは、売上高1186億ドル、営業損失139億ドル、純損失213億ドルであり、第3四半期終了時点で、負債総額は1703億ドル、[[CDS]]残高2000億ドル、債務超過額599億ドル、手元資金162億ドル(3ヶ月のうちに50億ドル減少)であった。2008年第3期の売上高は前年同期比13%減の379億4100万ドルであった。
 
 
 
2008年10月のGMの新車販売台数が前年同月比45%減になる状況の中<ref>[http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20081104AT2N0301004112008.html]</ref>、[[10月31日]]に米国財務省はGMと[[クライスラー]]の合併に必要なリストラ費用100億ドルを、2008年に成立した[[緊急経済安定化法]]から支出することを拒否し<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20081103-OYT1T00577.htm?from=navr GM・クライスラー合併への公的支援、米財務省が難色]</ref>、GMはクライスラーとの合併協議を中断した。[[格付会社]][[S&P]]は、GMの格付けを「B-」から「CCC+」に格下げし、見通しもネガティブとした<ref>[http://www.nikkei.co.jp/news/main/20081107AT1D0709307112008.html米GMの7-9月期、最終赤字2400億円 フォードは125億円]</ref>。
 
 
 
2008年[[11月11日]]には株価が2.75ドルと[[1943年]]以来65年ぶりの安値になった。11月のGMの新車販売は2ヶ月連続の4割減、-41.2%だった。
 
GMは、フォードとクライスラーと共に、アメリカ連邦政府に金融支援を含んだ自動車業界救済法案の採決を求めたが、金融支援をうけるのに必要な経営再建策に具体性がないことなどを理由として、議会は11月に採決を行わなかった。
 
 
 
そこで、GMら3社は、[[12月1日]]に経営再建策を議会に送付し、[[アメリカ上院|上院]]と[[アメリカ下院|下院]]で[[公聴会]]が開かれた。下院は自動車業界救済法案を[[12月10日]]にまとめ本会議で可決したが、選挙前の勢力分布で伯仲していた上院では、修正案を採決にもっていくための投票で必要な60票がとれず、[[12月11日]]に廃案となった。
 
 
 
議会での自動車業界救済法案の不成立を受けて、ついに[[ジョージ・W・ブッシュ|ブッシュ大統領]]が介入し、[[12月19日]]に、緊急経済安定化法の成立で運用が始まった不良資産救済プログラム(TARP)7000億ドル分のうち、議会承認済みの3500億ドルの中で未使用であった150億ドルを活用して、GMに134億ドル、クライスラーに40億ドルの合わせて174億ドルのつなぎ融資を実施することを決定した。実際に、GMには2008年[[12月31日]]に40億ドル、[[2009年]][[1月21日]]に54億ドル、[[2月17日]]に40億ドルの3段階に分けた合計134億ドル、クライスラーには2009年[[1月2日]]に40億ドルの、総額で174億ドルのつなぎ融資が実施された。
 
 
 
===経営破綻===
 
[[バラク・オバマ|オバマ]]政権発足後も危機は継続し、[[2009年]][[2月20日]]には、子会社の[[サーブ・オートモービル]]が[[スウェーデン]]政府からの公的支援を拒否されたこともあって事実上の[[経営破綻]]に追い込まれた。
 
 
 
[[2009年]]4月には、[[アメリカ政府]]は新たにGMに50億ドル、[[クライスラー]]に5億ドルの合わせて55億ドルのつなぎ融資を実施することを決定し、実際に4月末に[[クライスラー]]への5億ドルの融資が実施された。
 
 
 
しかし会社側と債権者の[[債務削減交渉]]が[[5月26日]]深夜にまとまらず、翌27日に交渉の打ち切りが発表された。結果、米政府が支援を継続する条件を満たせなくなる見通しが強まり、この影響により29日の[[ニューヨーク株式市場]]ではGM株価が急落し0.75ドルで取引を終え、[[1933年]]以来76年ぶりに1ドルを割り込む形となった<ref>{{cite news |http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20090530AT2M3001A30052009.html|title=GM株、終値75セント NY株は続伸|publisher=NIKKEI NET|date=2009年5月29日}}</ref>。
 
 
 
2009年6月1日、GMは[[連邦倒産法第11章]](日本の民事再生手続きに相当する制度)の適用を申請した。負債総額は1,728億ドル(約16兆4100億円)。この額は製造業としては世界最大である。同時にアメリカ政府が60%、カナダ政府が12%の株式を保有する、事実上の国有企業として再建を目指す事になった。メディアから社名のGMは“ガバメント・モーターズ”と揶揄された<ref>[http://sankei.jp.msn.com/world/america/090601/amr0906010804001-n1.htm 2009年6月1日付MSN・産経ニュース]</ref>。
 
 
 
[[ニューヨーク証券取引所]]は、GMの連邦倒産法第11章の申請を受け、2009年6月2日の取引開始前から同社株を売買停止・上場廃止とした。[[ティッカー]]を「GM」から「GMGMQ」に変更した<ref>[http://www.asahi.com/business/news/reuters/RTR200906010141.html 2009年6月1日付朝日新聞asahi.com(ロイター社提供)]</ref>。これを受けて[[ダウ・ジョーンズ]]は、同社が算出・公表する「[[ダウ平均株価|ダウ工業株30種平均]]」構成銘柄からGMを除外した<ref>[http://www3.nhk.or.jp/news/k10013363301000.html 2009年6月2日付NHKニュース]</ref>。
 
 
 
=== 新生GM ===
 
[[2009年]][[7月10日]]、アメリカ政府が61%、残りを[[全米自動車労組]](United Auto Workers、UAW)やカナダ政府などが保有する新会社が設立され、旧GMは社名を「モーターズ・リキデーション・カンパニー」に改称すると共に、新会社に優良資産等を売却する手続を完了。「新生GM」が正式に発足した。これを受けモーターズ・リキデーション(ティッカー:GMGMQ)の株価は37%急騰し、40日ぶりに1ドルを超えて終えた。なおモーターズ・リキデーションは7月15日にティッカーを「GMGMQ」から「MTLQQ」に変更している([[2011年]][[3月31日]]、「MTLQU」に再変更)。
 
 
 
[[2010年]]11月18日、新生GMは旧GM破綻前のティッカー「GM」を引き継ぎ、ニューヨーク証券取引所に上場を果たした。
 
 
 
[[2013年]]12月9日に[[アメリカ合衆国財務省|アメリカ財務省]]は、これまで保有してきたGMの全ての株の売却を完了してGMの国有化を解消した。公的資金として投入した500億ドルのうち、390億ドルは株式の売却で回収し、残りはGMの資産の売却で回収した<ref>[http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131210/t10013706551000.html GM 国有化終了し本格再建へ] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20131213185952/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131210/t10013706551000.html |date=2013年12月13日 }} NHKニュース 2013年12月10日</ref>。
 
 
 
[[2014年]]1月、大手自動車メーカーでは初めての女性の[[メアリー・バーラ]]がCEOに就任
 
<ref>{{cite news|url=http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20131219/257308/| title =「血液にGMが流れている」新女性CEO 大手自動車メーカー初の女性CEOメアリー・バーラ | newspaper=[[日本経済新聞]]| date= 2013-12-20| accessdate =2015-12-1}}</ref>。
 
 
 
2014年2月、GMは大規模な[[リコール]]を発表<ref>{{cite news|url=http://response.jp/article/2014/03/31/220151.html|title=GMの大規模リコール、米国で82万台を追加|newspaper=[[Response.]]|accessdate=2015-12-1}}</ref>。その後、このリコールに関してリコール隠しの疑惑が表面化した。バーラCEOは同年4月1日に下院エネルギー・商業委員会の公聴会に出席し、破綻以前の2001年の段階で不具合を把握したことを認めて陳謝した<ref>{{Cite news|url=http://www.sankeibiz.jp/business/news/140407/bsa1404071739001-n2.htm|title=「GM」の泥沼リコール問題は、「トヨタ」とは比較にならぬほど悪質 (2/4ページ)
 
|work=産経Biz|newspaper=産経新聞社|date=2014-04-08|accessdate=2015-12-1}}</ref>。
 
{{see also|ゼネラルモーターズ大規模リコール_(2014年)}}
 
これは、エンジンが停止してハンドルが動かなくなったり、[[エアバッグ]]が作動しなくなったりして死亡事故にもつながった欠陥が存在すると知りながら、10年以上も放置していたという悪質なもので、2014年5月16日、[[アメリカ合衆国運輸省|運輸省]]は、制裁金3500万[[アメリカ合衆国ドル|ドル]]を科した<ref>{{cite news |title=欠陥放置問題の米GM、当局に制裁金3500万ドル|newspaper=[[トムソン・ロイター|ロイター]] |date=2014-5-16|url=http://jp.reuters.com/article/2014/05/16/gm-penalty-idJPKBN0DW1CW20140516|accessdate=2015-12-1}}</ref>。
 
 
 
この欠陥が原因で13人が死亡しているとゼネラルモーターズは発表している。しかし、[[トムソン・ロイター|ロイター]]の調査などによると、少なくとも74人が死亡した疑いがあるとされる。ただ、ロイターの調査は、交通事故分析報告システムで、疑わしい事故を調べるという方法のため、正確なものとはならないという指摘されている<ref>{{cite news |title=GMリコール原因事故、死者数少なくとも74人に=ロイター分析 |newspaper=[[朝日新聞]]|publisher=[[トムソン・ロイター|ロイター]] |date=2014-6-3 |url=http://www.asahi.com/business/reuters/CRBKBN0EE0B4.html|accessdate=2015-12-01 }}</ref>。ゼネラルモーターズは、この欠陥について経営陣は把握してなかったとして、組織的隠蔽については否定している<ref>{{cite news |title=疑問残る経営陣への報告遅れ…GMの欠陥放置 |newspaper=[[読売新聞]] |date=2014-6-7 |url=http://www.yomiuri.co.jp/atcars/news/20140607-OYT8T50018.html |accessdate=2014-6-8 }}{{リンク切れ|date=2015年12月}}</ref>。2014年6月16日時点で、既に2014年内のリコールだけで30回以上、リコールした台数は2000万台を超えた<ref>{{cite news|title=GM、355万台を追加リコール 年初から計2004万台に |newspaper=[[日本経済新聞]]|date=2014-6-17|url=http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM17015_X10C14A6EAF000/|accessdate=2015-12-1}}</ref>。
 
 
 
2015年9月17日、リコール問題についてゼネラルモーターズは、9億ドルの罰金を支払うことで司法当局と和解した<ref>{{cite news|url=http://response.jp/article/2015/09/18/260322.html|newspaper=[[Response.]]|title=GM、米司法省と罰金9億ドルで和解…点火スイッチのリコール|accessdate=2015-12-1}}</ref>。
 
 
 
=== 無視された警告 ===
 
GM北米乗用車・トラック部門担当副社長(旗艦ブランドのシボレー事業部長から昇進。日本風に言えば専務)に48歳でなった[[ジョン・デロリアン]](彼が作った[[デロリアン|デロリアン・DMC-12]]は、映画「[[バック・トゥ・ザ・フューチャー]]」にも登場している)は財務部門との内部抗争に破れ退社し、「晴れた日にはGMが見える」(原題:ON A CLEAR DAY YOU CAN SEE GENERAL MOTORS:1979)というインタビュー記録(本人不承認)が出版された。その中で特に強調されているのは外部や内部からの忠告・提言をたとえどんなものであっても拒絶する姿である。
 
 
 
強く印象に残る内容は[[経営学者]]・[[ピーター・ドラッカー]]がGMを研究した好意的な著書「会社という概念」(1946年)で書かれた「戦後期には組織・事業・目標を見直す必要がある」という穏健な記述に対して起こったGM内部の憤激である。「GMは世界一なのだから、批判はもってのほか」という理屈である。また最上層部(「十四階」)には自動車産業運営の知識と経験と能力がないとも書いている。
 
 
 
[[ジャーナリスト]]の[[デビッド・ハルバースタム]]は『覇者の驕り―自動車・男たちの産業史』(原著、[[1986年]])で、GMをはじめとする[[ビッグスリー]]が驕り高ぶり、その結果として[[日本車]]の攻勢に徐々に破れるも改革を拒む姿勢を描いている。
 
 
 
[[消費者|消費者運動]]家・[[ラルフ・ネーダー]]が『どんなスピードでも自動車は危険だ』(''[[:en:Unsafe at Any Speed|Unsafe at Any Speed]]'')という[[シボレー・コルヴェア]]の欠陥を告発した本を出版したときGMから探偵の尾行を付けられ、GMは議会で謝罪する事態になった。あとで分かったのは、この活動は最上層部の承認なしに自動的に行われたということである。GMは批判を色々な手段で抑圧する会社と見られた(ネーダーは極めて禁欲的な人間であり、全く弱みを見つけることはできなかった)。
 
 
 
現在のGMは「それらは昔のGMであり、今のGMとは異なる」という立場をとっている。しかし、2014年に発覚した[[ゼネラルモーターズ大規模リコール (2014年)|大規模なリコール隠し]]により、税金によって救済されてもゼネラルモーターズの隠蔽体質は変わっていないと批判されている<ref>{{cite news |title=破綻しても変わらなかったGMの隠蔽体質 |newspaper=[[ニューズウィーク]] |date=2014-4-3|url=http://www.newsweekjapan.jp/stories/business/2014/04/post-3237.php |accessdate=2014-4-18|author=ハワード・コプロウィッツ}}</ref>。
 
 
 
== ブランド一覧 ==
 
[[File:GPA02-09 US SecretService press release 2009 Limousine Page 3 Image.jpg|thumb|240px|キャデラック・DTS(アメリカ大統領専用車仕様)]]
 
[[File:Chevrolet Volt WAS 2010 8852.JPG|thumb|240px|シボレー・ボルト (ハイブリッドカー)]]
 
{{main|ゼネラルモーターズの車種一覧}}
 
=== 現行のブランド ===
 
* {{flagicon|USA}} [[ビュイック]] (1908)
 
* {{flagicon|USA}} [[キャデラック]] (1909)
 
* {{flagicon|USA}} [[GMC]] (1912)
 
* {{flagicon|USA}} [[シボレー]] (1911)
 
* {{flagicon|AUS}} [[ホールデン (自動車)|ホールデン]] (1948) - [[オーストラリア]]・[[ニュージーランド]]市場のみ
 
* {{flagicon|CHN}} 五菱 (2002) - [[中華人民共和国|中国]]市場のみ。[[上汽通用五菱汽車]]が製造を行う。
 
* {{flagicon|CHN}} 解放 (2009) - 中国市場のみ。一汽GM軽型商用汽車([[第一汽車]]との合弁会社)が製造を行う。
 
* {{flagicon|CHN}} 宝駿 (2010) - 中国市場のみ。上汽通用五菱汽車が製造を行う。
 
{{-}}
 
 
 
=== 廃止されたブランド ===
 
*{{flagicon|USA|1912}} [[w:Welch (automobile company)|Welch]] (1903&ndash;1911)
 
*{{flagicon|USA|1912}} [[w:Rainier (automobile company)|Rainier]] (1905&ndash;1911)
 
*{{flagicon|USA|1912}} [[w:Marquette (automobile)|Welch-Marquette]] (see Marquette)
 
*{{flagicon|USA|1912}} [[w:Cartercar|Cartercar]] (1905&ndash;1915)
 
*{{flagicon|USA|1912}} [[エルモア・マニュファクチャリング・カンパニー]] (1909&ndash;1912)
 
*{{flagicon|USA|1912}} [[w:GMC (automobile)|Rapid Truck]] (1909&ndash;1912)
 
*{{flagicon|USA|1912}} [[w:GMC (automobile)|Reliance Truck]] (1909&ndash;1912)
 
*{{flagicon|USA|1912}} [[w:Welch-Detroit (automobile company)|Welch-Detroit]] (1910&ndash;1911)
 
*{{flagicon|USA|1912}} [[w:Marquette (automobile)|Marquette]] (1912)
 
*{{flagicon|USA|1912}} [[w:Marquette (automobile)|Peninsular]] (1912) (see Marquette)
 
*{{flagicon|USA|1912}} [[w:Samson Tractor|Samson Tractor]] (1917&ndash;1922)
 
*{{flagicon|USA|1912}} [[w:Scripps-Booth|Scripps-Booth]] (1917&ndash;1923)
 
*{{flagicon|USA|1912}} [[w:Marquette (automobile)|Marquette]] (1930)
 
*{{flagicon|USA|1912}} [[ポンティアック|オークランド]] (1909&ndash;1931)
 
*{{flagicon|USA|1912}} [[w:Viking (automobile)|Viking]] (1929&ndash;1931)
 
*{{flagicon|USA|1912}} [[キャディラック#ラ・サール|ラサール]] (1927&ndash;1940)
 
*{{flagicon|CAN|1921}} [[w:McLaughlin automobile|McLaughlin]] (1918&ndash;1942)
 
*{{flagicon|USA|1912}} [[w:Yellow Coach|Yellow Coach]] (1925&ndash;1943)
 
*{{flagicon|CAN}} [[w:Beaumont (automobile)|Beaumont]] (1966&ndash;1969)
 
*{{flagicon|CAN}} [[w:Vauxhall Victor|Envoy]] (1960&ndash;1970)
 
*{{flagicon|CAN}} [[w:Acadian (automobile)|Acadian]] (1962&ndash;1971)
 
*{{flagicon|ZAF|1928}} [[w:Ranger (automobile)|Ranger]] (1968&ndash;1976)
 
*{{flagicon|GBR}} [[w:Bedford Vehicles|Bedford Vehicles]] (1929&ndash;1987)
 
*{{flagicon|USA}} [[w:General Motors Diesel Division|General Motors Diesel Division]] (1938&ndash;1987)
 
*{{flagicon|CAN}} [[w:Passport (automobile dealership)|Passport]] (1988&ndash;1991)
 
*{{flagicon|CAN}} [[アスナ (自動車)|アスナ]] (1993)
 
*{{flagicon|USA}} [[ジオ (自動車)|ジオ]] (1989&ndash;1997)
 
*{{flagicon|USA}} [[オールズモビル (自動車)|オールズモビル]] (1897&ndash;2004)
 
*{{flagicon|USA}} [[ポンティアック]] (1926&ndash;2010)
 
*{{flagicon|USA}} [[サターン (自動車)|サターン]] (1985&ndash;2010)
 
*{{flagicon|USA}} [[ハマー (自動車)|ハマー]] (1992&ndash;2010)
 
*{{flagicon|KOR}} [[韓国GM|大宇(DAEWOO、デーウ)自動車→GM大宇]](大宇自動車1983-2002、GM大宇2002-2011)→シボレーに移行
 
 
 
=== 売却されたブランド ===
 
* {{flagicon|USA}} [[w:Frigidaire|Frigidaire]] (1919–1979) -  [[w:White Consolidated Industries|White Consolidated Industries]]へ売却
 
* {{flagicon|GBR}} [[ロータス・カーズ|ロータス]](1986–1993) - Luxembourgish A.C.B.N. Holdings S.A.へ売却
 
* {{flagicon|SWE}} [[サーブ・オートモービル|サーブ]](1990–2010) - [[スパイカー・カーズ]]へ売却
 
* {{flagicon|DEU}} [[オペル]] (1929-2017) - [[PSA]]へ売却
 
 
 
== 主なプラットフォームと使用車 ==
 
これまで1970年代からの「Tカー」「Jカー」の様なグローバル・プロジェクトがあったものの、基本的には北米・欧州の2([[オーストラリア]]を含めると3)極体制でそれぞれの市場に向けた車種の開発・生産・販売を行い棲み分けを図ってきた。近年ではここに韓国が加わり、全世界・全ブランドにおけるプラットフォームレベルでの融合が加速している。
 
更に、これまでは北米・欧州由来のGM車を生産していたに過ぎなかった[[第三世界]]における拠点([[ブラジル]]や[[中国]]など)や、車両開発能力がありながら国内(あるいはオセアニア地域)限定の展開に留まっていたオーストラリア(ホールデン)の主導で開発されたプラットフォームやモデルがグローバル市場向けに輸出されるなど、これまでになかった新しい展開も見られる。
 
 
 
=== アルファ・プラットフォーム ===
 
*[[キャデラック・ATS]]
 
*[[キャデラック・CTS]]
 
*[[シボレー・カマロ]] - 6代目
 
 
 
=== デルタ・プラットフォーム ===
 
==== デルタ ====
 
*[[シボレー・コバルト]] - 初代
 
*[[シボレー・HHR]]
 
*[[サターン・アイオン]]
 
*[[オペル・アストラ|オペル・アストラ-H]]
 
*[[オペル・ザフィーラ|オペル・ザフィーラ-B]]
 
==== デルタII ====
 
*[[ビュイック・ベラーノ]]
 
*[[シボレー・クルーズ]] - 2代目・3代目
 
*[[シボレー・ボルト (ハイブリッドカー)|シボレー・ボルト (ハイブリッドカー) / オペル・アンペラ]]
 
*[[シボレー・オーランド]]
 
*オペル・アストラ-J
 
*オペル・ザフィーラ-C
 
*[[オペル・カスケーダ]]
 
 
 
=== イプシロン・プラットフォーム ===
 
==== イプシロン ====
 
*[[キャディラック・BLS]]
 
*[[シボレー・マリブ]]
 
*{{仮リンク|ポンティアック・G6|en|Pontiac G6}}
 
*[[サターン・オーラ]]
 
*[[オペル・ベクトラ]]
 
*[[サーブ・9-3]]
 
==== イプシロンII ====
 
*[[キャデラック・XTS]]
 
*[[ビュイック・リーガル]] / [[オペル・インシグニア]]
 
*[[ビュイック・ラクロス]] / [[GM大宇・アルフェオン|アルフェオン]]
 
*[[シボレー・インパラ]] - 10代目
 
*[[シボレー・マリブ]]
 
*[[サーブ・9-5]]
 
 
 
=== ガンマ・プラットフォーム ===
 
====ガンマ/GM4300====
 
*[[オペル・コルサ|オペル・コルサ-C]]
 
*[[オペル・コンボ|オペル・コンボ-C]]
 
*[[オペル・メリーバ|オペル・メリーバ-A]]
 
*[[オペル・ティグラ|オペル・ティグラ Twin Top B]]
 
*シボレー・コバルト - 2代目
 
 
 
====ガンマII====
 
*[[シボレー・アベオ|シボレー・ソニック/アベオ]]
 
*[[GM大宇・マティス|シボレー・スパーク]]
 
*{{仮リンク|シボレー・オニキス|en|Chevrolet Onix}}
 
*[[シボレー・トラックス]] / [[オペル・モッカ]] / [[ビュイック・アンコール]]
 
*[[シボレー・スピン]]
 
*{{仮リンク|シボレー・プリズマ|en|Chevrolet Prisma}}
 
 
 
=== シータ・プラットフォーム ===
 
*[[シボレー・エクイノックス]] / {{仮リンク|ポンティアック・トレント|en|Pontiac Torrent}} / [[スズキ・XL7]]
 
*[[シボレー・キャプティバ|シボレー・キャプティバ / デーウ・ウィンストーム]] / [[サターン・ヴュー]] / [[オペル・アンタラ]]
 
 
 
=== ラムダ・プラットフォーム ===
 
*[[ビュイック・アンクレイブ]]
 
*[[サターン・アウトルック]]
 
*[[GMC・アカディア]]
 
 
 
=== カッパ・プラットフォーム ===
 
*[[ポンティアック・ソルスティス]]
 
*[[サターン・スカイ|サターン・スカイ / オペルGT / デーウ・G2X]]
 
 
 
=== ジータ・プラットフォーム ===
 
*{{仮リンク|ビュイック・パークアベニュー|en|Buick Park Avenue}}
 
*シボレー・カマロ
 
*[[ホールデン・コモドア|ホールデン・コモドア・シボレー・カプリス・ポンティアック・G8]]
 
 
 
=== W プラットフォーム ===
 
*シボレー・インパラ - 9代目
 
 
 
=== Y プラットフォーム ===
 
*[[シボレー・コルベット]]
 
 
 
== モータースポーツ ==
 
主に[[ツーリングカー]]・[[スポーツカーレース]]を中心に活動している。
 
 
 
アメリカ国内最高峰の[[NASCAR]]カップ戦では旧くから[[オールズモビル]]、[[ビュイック]]、[[キャデラック]]、[[ポンティアック]]、[[シボレー]]など多くのGM車が勝利・タイトルを獲得しており、中でも[[シボレー]]は[[デイトナ500]]・[[モンスターエナジー・NASCARカップ・シリーズ|カップ戦]]で[[フォード]]を大きく引き離して歴代最多チャンピオンブランドとして君臨している。2018年現在は[[ヘンドリック・モータースポーツ]]、[[チップ・ガナッシ・レーシング]]といった強豪チームがシボレーで参戦している。なおシボレーエンジンはヘンドリック・モータースポーツとECR(リチャード・チルドレス・レーシングのエンジン部門)が開発を担当している。
 
 
 
[[プロトタイプレーシングカー]]では、1965年に[[セブリング12時間]]、1969年に[[デイトナ24時間]]をシボレーエンジン搭載車が制したのが最も古い記録である。その後は欧州勢の躍進により鳴りを潜めたが、[[グループC]]終焉以後に復活。[[アメリカン・ル・マン・シリーズ]]にキャデラック・ノーススターLMPで参戦した他、2012年からグランダム・シリーズにコルベットを模したデイトナプロトタイプ(コルベットDP)で参戦、USCC([[ユナイテッド・スポーツカー選手権]])も含めて2016年まで選手権を6連覇した。2017年にDPi規定が導入されると、ブランドをシボレーから[[キャデラック]]へとスイッチ。シャシーは規則により[[ダラーラ]]との共同開発で、エンジンはDPiの4メーカー中唯一大排気量自然吸気エンジンを搭載する<ref>[http://gmauthority.com/blog/2017/12/cadillac-dpi-to-utilize-a-new-smaller-displacement-v8-in-2018-imsa-season/#ixzz54pYUAzkq Cadillac DPi To Utilize A New, Smaller-Displacement V8 In 2018 IMSA Season Read more: ]</ref>。このマシンはコルベットDP時代と全く変わらぬ圧倒的な速さで[[デイトナ24時間]]・[[セブリング12時間]]・選手権全て制覇した。2018年現在はアクション・エクスプレス、ウェイン・テイラー・レーシングがキャデラックDPiを運用する。また2017年まで存在していたオレカ・FLM09のワンメイクであるLMPCクラスに、[[シボレー]]のV8自然吸気エンジンを供給していた。
 
 
 
GTカーでは1999年にコルベット・レーシングを組織して、[[シボレー・コルベット]]でル・マン・デイトナ・セブリングに毎年参戦し続けている。コルベット・レーシングは[[フェラーリ]]・[[ポルシェ]]相手に全く譲らず、これまでに8度ル・マンでクラス優勝を飾った。またPWC(ピレリ・ワールド・チャレンジ)には[[シボレー・カマロ]]の他、[[キャデラック]]や[[ポンティアック]]のマシンで参戦している。
 
{{main|プラット・アンド・ミラー}}
 
 
 
世界各地のツーリングカーレースにも参戦しており、英BTCCにはシボレー・[[ボクスホール]]・[[オペル]](後2社は2017年にPSAに売却)、[[ストックカー・ブラジル]]と[[アルゼンチン]]のスーパーTC2000はシボレー、豪州スーパーカーシリーズ(旧[[V8スーパーカー]]は[[ホールデン]]ブランドがそれぞれ活躍し、数多のタイトルを獲得している。また世界選手権の[[WTCC]]にも2005年にシボレーブランドを欧州に復活させた際に参戦を開始、[[イヴァン・ミュラー]]と[[ロバート・ハフ]]により、2010~2012年にドライバー・マニュファクチャラー三連覇を達成した。2013年以降はマニュファクチャラーとしての参戦からは撤退したが、プライベーターのRMLが[[シボレー・クルーズ]]を開発・供給することで存続し続け、2013年はワークス勢を差し置いてミュラーがドライバーズタイトルを獲得している。
 
 
 
[[F1]]に参戦したことが無いが、北米[[フォーミュラ|オープンホイール]]の最高峰[[インディカー]](チャンピオンシップカー)にはたびたび登場している。1986~1993年には[[インディ500]]で6連勝を飾り、同期間の[[CART]]でも1993年を除いて5連覇を達成している。その後シボレーから[[オールズモビル]](オーロラ)へとブランドをスイッチし、こちらでも1997年から2002年の間インディ500を5連覇している。その後2005年に撤退したが、V8自然吸気からV6ターボとなる2012年に復帰。ライバルの[[ホンダ]]をパワーで圧倒しており、2017年現在、復帰以降の選手権では2013年を除き全てチャンピオンエンジンとなっている。
 
 
 
ラリーではグループ4及び[[グループB]]時代に[[オペル]]が[[WRC]]に参戦し、1982年にヴァルター・ロールがドライバーズタイトル、1993年のFIA 2リッターカップを獲得しているが、それ以外はほとんど記録は無く、地域ラリーでもGM車を見ることは少ない。他方[[ラリーレイド]]やオフロードレースではGM製[[ピックアップトラック]]が見られる。
 
<gallery>
 
File:Johnson 48 (23152294929).jpg|NASCARの[[シボレー・インパラ|シボレー・SS]](2017年)
 
File:Will Power car - 2015 Indianapolis 500 - Stierch.jpg|インディカーのダラーラ・シボレー(2015年)
 
File:Chevrolet trio 2011 WTCC Race of Japan (Race 2).jpg|WTCCの[[シボレー・クルーズ]](2011年)
 
File:DP 90 Spirit of Daytona Racing Antonio Garcia Richard Westbrook Road America 2012.jpg|グランダムのコルベットDP(2012年)
 
File:Chevrolet Corvette C7.R.JPG|ル・マンとデイトナに参戦するシボレー・コルベットC.7R(2014年)
 
Image:Cadillac Northstar LMP Mosport.jpg|キャデラック・ノーススターLMP(2002年)
 
File:Level 5 Motorsports LMPC Oreca FLM09.jpg|シボレーエンジンを搭載するオレカFLM09(2010年)
 
File:Röhrls Opel Ascona 400 - Rallye-WM 1982.jpg|オペル・アスコナ400(1982年型)
 
File:Vauxhall Astra VXR BTCC.jpg|BTCCのボクスホール・アストラ(2006年)
 
File:Vodafone's King of the Mountain Drivers Swap 038.jpg|V8スーパーカーのホールデン・コモドア(2012年)
 
</gallery>
 
 
 
== 日本での販売と日本法人 ==
 
[[1915年]]([[大正]]4年)創業の梁瀬自動車(現[[ヤナセ]])が輸入代理店としてGMのビュイック、キャディラックの販売を開始。当時の呼び方は、ビュイックは『ビウイク号』、キャディラックは『カデラツク号』だった。のちシボレー号も販売開始。
 
 
 
[[1925年]](大正14年)、フォードが日本に進出し、[[神奈川県]][[横浜市]]に組立工場を開業した。GMは[[1927年]]、[[大阪市]][[大正区]]鶴町(現在の鶴町1丁目、大阪市営渡船船町渡船場付近)に日本法人の「[[日本ゼネラル・モータース]]」を設立し、組立工場でのシボレー車の完全[[ノックダウン生産]]と販売を行う。フォード同様、日本だけでなく中国などアジア全体を視野に入れての進出だった。日本における影響は大きく、全国に渡る[[自動車ディーラー|自動車販売サービス]](販売・整備)網を構築し、以後の自動車販売業界はここから発展したものである。昭和初期の日本国内は、GMのシボレー車とフォード車の独擅場だった。
 
 
 
[[1936年]](昭和11年)の[[自動車製造事業法]]施行により国産メーカーのみに大量生産が許され、発展の余地がなくなり、[[1941年]](昭和16年、[[太平洋戦争]]開戦の年)に日本から撤退。[[第二次世界大戦]]後、再びヤナセが日本市場の販売代理店を長期間つとめる一方、車種によっては[[西武自動車販売]]、[[日英自動車]]、[[東邦モーターズ]]、[[三井物産]]オートモーティブもGM車販売に参入していた。
 
 
 
近年の日本法人は[[日本ゼネラルモーターズ]](GMJ)とゼネラルモーターズ・アジア・パシフィック・ジャパン(GMAPJ)の2社体制であったが、[[2011年]](平成23年)に両社は合併し、「[[ゼネラルモーターズ・ジャパン]]」となった。
 
 
 
== 提携関係 ==
 
*[[トヨタ自動車]] - カリフォルニア州での合弁事業([[NUMMI]])、[[燃料電池車]]の開発など。
 
*[[BMW]]、[[ダイムラー (自動車メーカー)|ダイムラー]] - [[ハイブリッドカー|ハイブリッドシステム]]「[[2モードハイブリッド]]」の3社共同開発。
 
*[[アフトヴァース|アフトヴァズ]]([[ロシア]]- ロシアでの合弁事業(GM-AVTOVAZ)。[[ラーダ (自動車)|ラーダ]]などを生産。
 
*[[ボスホス]] - [[オートバイ]]メーカー。自社製の[[V型8気筒]]エンジンを供給。
 
*[[カノン (オートバイメーカー)|カノン]] - 同上。[[フォード・モーター]]とともに自社製エンジンを供給。
 
*スズキ合弁企業 - [[CAMIオートモーティブ]]([[カナダ]])での生産や、スズキがGM大宇への出資を行っていた。
 
*[[PSA・プジョーシトロエン]] - 7%の株を保有し、部品の共同調達等を行っている。
 
 
 
=== かつての関連企業 ===
 
*[[富士重工業]](現・[[SUBARU_(自動車)|スバル]])→1999年から提携開始、タイ工場製オペル・ザフィーラを[[スバル・トラヴィック]]として発売。2006年に資本提携解消し、保有株式の一部を[[トヨタ自動車]]へ売却。
 
*[[フィアット]](イタリア)→資本提携解消。後に[[クライスラー]]を傘下に収める。
 
*[[いすゞ自動車]]→資本提携解消(のち保有株式の一部を[[伊藤忠商事|伊藤忠]]と[[三菱商事]]、それに[[トヨタ自動車]]がそれぞれ取得)。ただし業務提携関係は維持。
 
*[[スズキ (企業)|スズキ]]→資本提携解消。GMはスズキの株式を20%取得していたが、2006年にその持ち株比率を20%から3%へ大幅に引き下げ、2008年11月18日付で全株をスズキに売却し資本提携を解消した。ただし業務提携関係は小型車で維持されている。<!--何時までかは判りませんが。-->
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{reflist}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
*[[エレクトロ・モーティブ・ディーゼル]]
 
*[[ビッグ3]]
 
*[[デルファイ・コーポレーション]]
 
*[[フィアット|フィアット・オート]]
 
*[[韓国GM]]
 
*[[スズキ (企業)|スズキ]]
 
*[[ヤナセ]]
 
*[[6大グループ]]
 
*[[リチャード・ワゴナー]](前CEO)
 
  
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アメリカ合衆国の自動車メーカー。略称 GM。海外に多数の子会社を有し,世界各国で製造・販売を展開する代表的な多国籍企業で,[[フォード・モーター]],[[クライスラー]]とともに自動車産業の[[ビッグ・スリー]]と呼ばれる。[[デトロイト]]に本社を置く。1908年ウィリアム・C.[[デュラント]]が創立したビュイック・モーターが母体となり,キャデラック,オールズモビル,オークランドなどの自動車および部品メーカーを買収して事業拡大し,1916年に現社設立。1920年の不況で倒産の危機に瀕したが,アルフレッド・[[スローン]]の改革により,「あらゆる所得とあらゆる目的に合う車」のモットーのもと,1920年代末フォードを抜いてトップメーカーとなった。事業内容はシボレー,ビュイック,キャデラックなどの乗用車やトラックを主力に,機関車,土木建設機械,国防・宇宙関連製品,商業衛星,自動生産・検査設備,金融に及ぶ。1960年代後半にラルフ・[[ネーダー]]らに自動車の欠陥を告発され,1970年代は自動車の大気汚染問題から,アメリカ最大の公害企業と批判を受けた。また 1980年代にかけてはヨーロッパと日本の小型車の攻勢を受け苦境に陥った。1984年にコンピュータサービス会社のエレクトロニクス・データを,1986年に防衛電子機器会社のヒューズ・エアクラフトを買収したが,1996年にエレクトロニクス・データを,1997年にヒューズの 3事業を売却した。1971年に[[いすゞ自動車]]と,1998年に[[スズキ]]と資本提携をしたが,2000年代後半の業績低迷をうけ,それぞれ 2006年と 2008年に提携を解消した。2008年のリーマン・ショックにより経営状態は危機的になり,2008年末にはアメリカ政府から 134億ドルの緊急融資を受けたが資金繰りは好転せず,2009年6月に連邦破産法11条の適用を申請し経営破綻。負債総額は 1728億ドルに上った。破産法申請に伴ってニューヨーク証券取引所の上場も廃止されたが,2010年11月に再上場を果たした。
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2019/6/19/ (水) 12:33時点における最新版

ゼネラルモーターズ英語: General Motors Company

アメリカ合衆国の自動車メーカー。略称 GM。海外に多数の子会社を有し,世界各国で製造・販売を展開する代表的な多国籍企業で,フォード・モータークライスラーとともに自動車産業のビッグ・スリーと呼ばれる。デトロイトに本社を置く。1908年ウィリアム・C.デュラントが創立したビュイック・モーターが母体となり,キャデラック,オールズモビル,オークランドなどの自動車および部品メーカーを買収して事業拡大し,1916年に現社設立。1920年の不況で倒産の危機に瀕したが,アルフレッド・スローンの改革により,「あらゆる所得とあらゆる目的に合う車」のモットーのもと,1920年代末フォードを抜いてトップメーカーとなった。事業内容はシボレー,ビュイック,キャデラックなどの乗用車やトラックを主力に,機関車,土木建設機械,国防・宇宙関連製品,商業衛星,自動生産・検査設備,金融に及ぶ。1960年代後半にラルフ・ネーダーらに自動車の欠陥を告発され,1970年代は自動車の大気汚染問題から,アメリカ最大の公害企業と批判を受けた。また 1980年代にかけてはヨーロッパと日本の小型車の攻勢を受け苦境に陥った。1984年にコンピュータサービス会社のエレクトロニクス・データを,1986年に防衛電子機器会社のヒューズ・エアクラフトを買収したが,1996年にエレクトロニクス・データを,1997年にヒューズの 3事業を売却した。1971年にいすゞ自動車と,1998年にスズキと資本提携をしたが,2000年代後半の業績低迷をうけ,それぞれ 2006年と 2008年に提携を解消した。2008年のリーマン・ショックにより経営状態は危機的になり,2008年末にはアメリカ政府から 134億ドルの緊急融資を受けたが資金繰りは好転せず,2009年6月に連邦破産法11条の適用を申請し経営破綻。負債総額は 1728億ドルに上った。破産法申請に伴ってニューヨーク証券取引所の上場も廃止されたが,2010年11月に再上場を果たした。

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