ダグ・ジェニングス

提供: miniwiki
2018/8/25/ (土) 22:52時点におけるAdmin (トーク | 投稿記録)による版 (1版 をインポートしました)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先:案内検索


ジェームス・ダグラス・ジェニングスJames Douglas Jennings, 1964年9月30日 - )は、アメリカ合衆国ジョージア州アトランタ出身の元プロ野球選手内野手外野手)。日本での登録名はイニシャルのD・J

来歴

ブリバード大学から1984年のMLBドラフト2巡目でカリフォルニア・エンゼルスに指名され契約。1988年オークランド・アスレチックスメジャーデビュー。1993年シカゴ・カブスでメジャー再昇格。

1995年NPBオリックス・ブルーウェーブに入団。開幕当初は不調だったが、7月に成績を伸ばし、打率.393、3本塁打月間MVPを獲得。8月も打率.337、8本塁打で2か月連続で月間MVPを獲得した。8月8日から9日にはプロ野球タイ記録となる4打席連続本塁打を放つ。この年、打率.266、16本塁打、60打点でチームの優勝に貢献。日本シリーズでも、チームが唯一勝利した第4戦で、延長12回表に伊東昭光から決勝ソロ本塁打を放った。

1996年は成績が下がったが、本拠地・グリーンスタジアム神戸での優勝を決めた9月23日の対日本ハムファイターズ戦では9回裏、2死無走者から代打で登場し、島崎毅からライトスタンドへ起死回生の同点本塁打を放ち、その次の回のイチローサヨナラ二塁打での優勝を演出した。オフに解雇が検討されたが、大幅な年俸ダウンで残留が決まった。

1997年クリス・ドネルスの加入もあり、外国人枠の関係でシーズンの大半を二軍で過ごし、この年限りで解雇された。

帰国後は、アメリカ独立リーグマイナーリーグメキシカンリーグで所属を行き来しながら2005年までプレーした。

現在はマイアミ近郊に住み、少年野球の指導などをしている。2015年6月13日、マイアミ・マーリンズの本拠地を訪れ、オリックス時代のチームメイトだったイチローと十数年ぶりに再会した[1]

人物

外野手登録であるが、日本では大半は一塁手として起用された。中西太曰く、「守備は下手くそやったけど、勝負強かった」。

日本プロ野球史上初めて、姓名のイニシャルを登録名とした選手で、これは当時オリックス監督の仰木彬の発案による。新入団の年の春季キャンプで初対面したイチローから「本当にDJの人だと思った」と勘違いされた。以降、イニシャルを登録名とした選手にはクリス・ドネルス(C・D)、ジェレミー・パウエル(JP)、ジェレミー・ゴンザレス(GG)がいる。

2013年9月22日放送の「世界の果てまでイッテQ!」で、出川哲朗がイチローの背面キャッチに挑戦する企画の際に、コーチとして登場した[2]

不可解な退場

1996年5月29日の試合でストライク、ボールの判定を巡って球審の佐藤純一に「NO」と抗議したところ突然退場を宣告された。このシーンは同年の珍プレー番組でも取り上げられた。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1988 OAK 71 128 101 9 21 6 0 1 30 15 0 1 1 3 21 1 2 28 1 .208 .346 .297 .643
1989 4 4 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .000 .000 .000 .000
1990 64 180 156 19 30 7 2 2 47 14 0 3 2 3 17 0 2 48 1 .192 .275 .301 .577
1991 8 11 9 0 1 0 0 0 1 0 0 1 0 0 2 0 0 2 1 .111 .273 .111 .384
1993 CHC 42 57 52 8 13 3 1 2 24 8 0 0 0 0 3 0 2 10 0 .250 .316 .462 .777
1995 オリックス 107 372 335 44 89 22 1 16 161 60 2 1 0 6 27 2 4 104 7 .266 .323 .481 .803
1996 91 278 241 29 53 7 1 15 107 47 1 1 0 1 32 0 4 74 5 .220 .320 .444 .764
1997 9 31 25 2 6 1 0 1 10 3 1 0 0 0 5 0 1 6 0 .240 .387 .400 .787
MLB:5年 189 380 322 36 65 16 3 5 102 37 0 5 3 6 43 1 6 90 3 .202 .302 .317 .619
NPB:3年 207 681 601 75 148 30 2 32 278 110 4 2 0 7 64 2 9 184 12 .246 .325 .463 .787

表彰

  • 月間MVP:2回 (1995年7月、1995年8月)

記録

NPB

背番号

  • 48 (1988年)
  • 21 (1988年 - 1989年)
  • 2 (1990年)
  • 13 (1991年)
  • 53 (1993年)
  • 24 (1995年 - 1997年)

登録名

  • D・J(1995年 - 1997年)

関連項目

脚注

外部リンク