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{{出典の明記|date=2012-1}}[[Image:Strait of Dover map.png|thumb|ドーバー海峡の地図]]
 
[[Image:Strait of dover STS106-718-28.jpg|thumb|ドーバー海峡の衛星画像]]
 
'''ドーバー海峡'''(ドーバーかいきょう、{{lang-en-short|Strait of Dover}})は、[[イギリス]]と[[フランス]]を隔てる[[イギリス海峡]]の最狭部である。フランス語では'''カレー海峡'''({{lang-fr-short|Pas de Calais}})と呼ばれる。
 
  
== 概要 ==
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'''ドーバー海峡'''(ドーバーかいきょう、{{lang-en-short|Strait of Dover}})
[[国際水路機関]] (IHO) による海域分類では、北東の[[北海]]と南西の[[イギリス海峡]]の境界付近にある。ただし、イギリス海峡を広義の[[大西洋]]の一部とし「大西洋と北海の境」、あるいは、イギリス海峡の一部と考え「イギリス海峡の最狭部」ととらえることもある。
 
  
最狭部は[[ケント州]][[フォーランド]]―[[パ=ド=カレー県]][[カレー (フランス)|カレー]]で、34[[キロメートル]]。呼称はイギリス側の都市、[[ドーバー (イングランド)|ドーバー]]市に由来する。
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フランスではカレー海峡 Pas de Calaisと呼ぶ。イギリス南東端とフランス北端とをへだてる海峡。イギリス海峡の北東部を占め,同海峡と北海を結ぶ。イギリス海峡の最狭・最浅部をなし,幅 30~40km,水深 35~55m。両岸とも白亜系の岩石が露出し,特にイギリス側では白い断崖が発達。イギリス側沿岸にはドーバー,フォークストン,フランス側にはカレー,ブーローニュシュルメール,ダンケルクなどの港があり,両岸は鉄道連絡フェリーを含むフェリーによって密に連絡されている。イギリスとフランスを結ぶ[[ユーロトンネル]]の工事が 1987年から進められていたが,93年 12月に完成した。
 
 
かつては唯一の海峡を渡る手段として[[フェリー]]が利用されていた。1968年-2000年は{{仮リンク|SR.N4<!-- リダイレクト先の「[[サンダース・ロー#ホバークラフト]]」は、[[:en:Saunders-Roe]] とリンク -->|en|SR.N4|FIXME=1}} 型高速大型[[ホバークラフト]]による運行が行われていた。現在はフォークトン、カレー間に[[英仏海峡トンネル]]が開通している、国際高速列車[[ユーロスター]]も[[アッシュフォード]]乗り換えで利用できる。
 
 
 
名称は、IHO によれば、現在はドーバー海峡とカレー海峡の併記となっている。
 
 
 
[[Image:White cliffs of dover 09 2004.jpg|thumb|right|300px|[[ドーバーの白い崖]]]]
 
 
 
== 成り立ち ==
 
海峡の両側の英仏とも海底含め同じ岩石である[[白亜|チョーク]]で出来ており、海峡になる前の[[氷河期]]には地続きであったと考えられる。これより北海側に存在した氷河との間に、ライン川やテムズ川から流れてきた水が湖を形成したが、何らかの作用で決壊し浸食した所が現在の海峡で、氷河期後に海面下に没したものと推定されている。
 
 
 
== 歴史 ==
 
[[第一次世界大戦]]中、[[ドイツ海軍]]の[[駆逐艦]]部隊がドーバー海峡に浸入し、1つの部隊がドーバーを砲撃し、もう1つの部隊は対岸のカレーに砲撃をした。その翌日に砲撃を加えたドイツ駆逐艦と[[イギリス海軍]]の駆逐艦との間で[[ドーバー海峡の海戦]]が起きた。
 
 
 
[[第二次世界大戦]]では[[ナチス・ドイツ]]が海峡を越えてイギリス本土を砲撃出来る[[多薬室砲]]も研究していたが開発には失敗した。戦争の終盤には英仏間で原油の[[パイプライン輸送]]まで行われた([[:en:Operation Pluto]])。
 
 
 
== 横断の試み ==
 
=== 気球による横断 ===
 
[[1785年]][[1月7日]]、フランスの[[ジャン=ピエール・ブランシャール]]はアメリカ人の[[ジョン・ジェフリーズ]]と共に[[気球|水素気球]]で横断を試みた。二人はイギリス側から出発したが海峡の中ほどで[[ガス漏れ]]を起こし高度が低下。荷重物を次々に捨て、果ては[[ゴンドラ]]、上着・ズボンまで捨ててロープにしがみつき、カレー近くの陸地まで辿り着いて横断を果たした。航空距離38km、時間2時間47分。その服装にも関わらずカレー市では空を飛んでドーバーを横断した最初の人間として大歓迎を受けたという。
 
 
 
一方、最初の有人飛行を記録した[[モンゴルフィエ兄弟|モンゴルフィエ式気球]]の飛行士[[ピラートル・ド・ロジェ]]はこれにライバル意識を燃やし、新型気球による横断を企てた。直径13mの[[水素]]気球の下に円筒の直径3mの[[熱気球]]を取り付けたもので、水素気球で浮遊力を保ち熱気球で高度の調節をすることを狙っていた。これに対し水素気球の発明者[[ジャック・シャルル]]は「火薬の下で火を焚くようなものだ」と警告したが、ロジェは耳を貸さなかった。[[1785年]][[6月15日]]、ロジェは製作協力者のジュール・ローマンと共にフランス側から海峡横断行に出発したが、高度約400mの所で熱気球が発火、上の水素気球に誘爆して爆発事故を起こした。ロジェは即死、ローマンも短時間で息を引き取る惨事となった。これが人類最初の[[航空事故]]とされる。
 
 
 
1930年代にも[[ガス気球]]を使用して[[イギリス]]の[[ロンドン]]からドーバー海峡を横断し[[フランス]]の[[パリ]]まで行こうと試みた冒険家3名がおり、1936年5月23日に飛行を開始したもののドーバー海峡にたどり着くことなく、ロンドン市内でタワーに激突し墜落。死亡する事故が起きている。
 
 
 
=== 航空機による横断 ===
 
[[1906年]]に[[ロンドン]]の新興紙[[デイリー・メール]]が宣伝目的で賞金1,000[[スターリング・ポンド|ポンド]]を掛けたことから、英仏海峡横断飛行の達成競争が熱を帯びた。
 
 
 
[[1909年]][[7月25日]]、フランス人[[ルイ・ブレリオ]]が自ら製作した[[ブレリオ XI]]で、カレー市郊外からドーバー城下まで所要時間37分で初の横断に成功した。その前週には、[[ユベール・ラタム]]が[[アントワネット IV]]を駆り同じコースで挑戦したが、エンジンが故障し洋上に[[不時着]]水している。
 
 
 
ブレリオの偉業を記念して、出発地はブレリオ海岸({{lang|fr|[[:fr:Blériot-Plage|Blériot-Plage]]}})と命名された。
 
 
 
女性初は、[[1912年]][[4月16日]]達成のアメリカ人[[ハリエット・クインビー]]。
 
 
 
=== 横断泳 ===
 
直線距離34kmというきわめて狭い海峡であるがゆえに[[遠泳]]のコースとしても有名であり、昔から世界中の[[スイマー]]の憧れの海となってきた。ドーバー海峡横断泳の達成者は「チャネルスイマー」(Channel Swimmer)と呼ばれる<ref name="natgeo8322" />。公認・後援団体は「チャンネルスイミング案内連合」(Channel Swimming & Piloting Federation、CS&PF)と「チャンネルスイム協会」(Channel Swimming Association、CSA)の2つがある。直線距離は約34kmであるが常に南西から北東へ流れる潮流が速く実際に泳ぐ距離は約50〜60km程度とされ、冷たい水温、夜を徹して泳ぐことになる精神的疲労などのさまざまな障害があり、単独横断泳の成功率はかつては約10%という困難な挑戦だった。データ解析やスイマーの技術向上により成功率は上がったが、現在でも60%程度である。また、記録が公認されるのは水着のみを着用し己の力のみで泳いだ場合のみで、[[ウェットスーツ]]を着用したり何らかの補助を用いた場合は公認されない。
 
 
 
記録に残っている中で最初にドーバー海峡を泳いで渡ったのは、[[1875年]]8月25日にイギリスのドーバーを出発し、21時間45分掛かってフランスのカレーに到着したイギリス人男性[[マシュー・ウェッブ]]である<ref name="natgeo8322">{{Cite web|url=http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/8322/?ST=m_news|title=海峡横断水泳、5つの歴史的偉業|publisher=[[ナショナルジオグラフィック]]|date=2013-9-4|accessdate=2015-12-26}}</ref>。
 
 
 
女性で初めて泳いで渡ったのは[[1926年]]8月6日にフランスを出発し、14時間31分でイギリスに到着した'''ガートルード・キャロライン・イーダリー'''(Gertrude Caroline Ederle)である。史上6番目の成功であり、それまでの最短記録を2時間も短縮した。'''メルセデス・グライツ'''(Mercedes Gleitze)は、[[1927年]]11月24日、15時間15分で横断した。
 
 
 
最速記録は[[2005年]]8月1日にイギリスを出発し、7時間3分52秒でフランスに到着したドイツのChristof Wandratschである(2006年現在)。
 
 
 
日本人では、[[1982年]]7月31日に大貫(現姓増島)映子が9時間32分で泳いだ。また、テレビ番組『[[ウッチャンナンチャンのウリナリ!!]]』の企画「[[ウッチャンナンチャンのウリナリ!!の企画#ドーバー海峡横断部|ドーバー海峡横断部]]」で、[[内村光良]]、[[ウド鈴木]]、[[濱口優]]、[[堀部圭亮]]、[[神尾米]]、[[藤井貴彦]]の6人がリレーでの横断泳を達成し、チャネルスイマーとなった。
 
 
 
=== 水陸両用車 ===
 
珍しい例だが、[[BBC]]自動車番組[[トップ・ギア]]のSeries10 Episode3において、[[日産・ダットサントラック]]のD21型を改造した[[水陸両用車]]で、ロンドン郊外からドーバーまで一般道路を自走し、そのまま海峡の横断に成功している。
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{Reflist}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
*[[P&O]]
 
*[[グレン・ミラー]]
 
*[[航空史]]
 
 
 
== 外部リンク ==
 
* [http://www.channelswimmingassociation.com/ チャンネルスイム協会] - The Channel Swimming Association
 
  
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[[Category:イギリスの海峡]]
 
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ドーバー海峡(ドーバーかいきょう、: Strait of Dover

フランスではカレー海峡 Pas de Calaisと呼ぶ。イギリス南東端とフランス北端とをへだてる海峡。イギリス海峡の北東部を占め,同海峡と北海を結ぶ。イギリス海峡の最狭・最浅部をなし,幅 30~40km,水深 35~55m。両岸とも白亜系の岩石が露出し,特にイギリス側では白い断崖が発達。イギリス側沿岸にはドーバー,フォークストン,フランス側にはカレー,ブーローニュシュルメール,ダンケルクなどの港があり,両岸は鉄道連絡フェリーを含むフェリーによって密に連絡されている。イギリスとフランスを結ぶユーロトンネルの工事が 1987年から進められていたが,93年 12月に完成した。



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