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{{#invoke:Infobox3cols|infobox}} パオロ・チェーザレ・マルディーニ(Paolo Cesare Maldini, 1968年6月26日 - )は、イタリア・ロンバルディア州ミラノ出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー。元イタリア代表選手。セリエAのACミランに所属していた。
史上最高の左サイドバックと評され、ミランの象徴とまで呼ばれた選手[1] [2] [3] [4] [5]。 そのサッカー人生の全てをACミランに捧げ、25年間という長きにもわたりミランのバンディエラ(旗手)としてクラブを支え続けた。イタリア代表ではFIFAワールドカップ4大会連続出場を果たし、1998年フランスW杯、2002年日韓W杯の2大会で主将を務めた。彼が築き上げたサッカー人生は、やがてセリエA最多出場試合数(647試合)、W杯最多フル出場試合数(23試合)、W杯最多出場時間(2217分)という3つの歴代最多記録を打ち立て、幾多のタイトルと共に(後述)、今日のサッカー史にその名が刻まれている[3][4][6][7]。
経歴
選手時代
父親のチェーザレ・マルディーニは、息子と同じくACミランのキャプテンを務め、1962-63シーズンのUEFAチャンピオンズカップ優勝を成し遂げ、ミラン、イタリア代表監督を共に務め挙げた存在。必然的にパオロはその下で幼少期よりサッカーに親しんでいった。
ニルス・リードホルム監督の下16歳でセリエAにデビューしたのち、以降25年間に亘り第一線でプレイし続けることになる。イタリア代表でも史上最多の126というキャップ数(後にファビオ・カンナバーロが更新)を記録した他、2004年にセリエA単一クラブ最多出場記録を更新。2005年にはディノ・ゾフが持っていたセリエA最多出場記録570試合を更新している。93~94チャンピオンズリーグ決勝では、出場停止のバレージに代わり、初めてセンターバックのポジションに入り、ロマーリオとストイチコフのツートップを完璧に抑え[8]、優勝に貢献した。2007年2月20日にはチャンピオンズリーグの対セルティック戦においてチャンピオンズリーグ通算100試合出場を達成、更に同年3月11日には史上初となるセリエAのリーグ通算600試合出場を達成した。奇しくもこの日の試合はライバル、インテル・ミラノとのミラノ・ダービーであったが白星を飾ることはできなかった。2008年2月16日、セリエA第23節のパルマFC戦に途中出場しクラブ、U-21代表、A代表での公式戦現役合計出場1000試合を達成した。
長年一線級で活躍し、一時代を築いてきた彼は進退に対して注目されることも多かった。 とはいえ、セリエAはもとより世界に於いてトップクラスの資質を保ち続けたこと、平均年齢が高齢化したミランのディフェンダー陣再構築が遅々として進んでいなかったこと、また精神的支柱としての立場を考慮し、シルヴィオ・ベルルスコーニ会長らクラブ首脳陣は慰留を続けた。
度重なる膝の怪我に悩まされ、2004年には引退をほのめかしたことがある。サイドバックとしてのスピードの衰えを指摘された彼は、本格的にセンターバックにポジションを変え、代表チームを引退し「2足の草鞋」を脱いでクラブでのプレーに専念することで、再び世界トップレベルのDFとして復活した。
また、左膝の怪我や故障から、アレッサンドロ・コスタクルタと共に2007年7月末の契約満了をもって現役引退を示唆したシーズンには、チャンピオンズリーグ 2006-07の決勝で優勝を決めた後「今度はクラブW杯をとりたい。」と語り、翌シーズンもプレーする意思を表明した。膝の怪我を手術した影響で2007-08シーズンは出場機会が限定されたものの、FIFAクラブワールドカップ2007では長年のキャリアで数々の栄光を勝ち取った本職の左サイドバックとして準決勝に途中出場、決勝でもフル出場し優勝に貢献した。 その後も契約を延長し、40歳を迎えてなおもプレーする姿はファンはもとより選手の間からも尊敬を集めた。
2009年に現役引退を発表。一部のミラニスタとは険悪な関係であり、ホームでの現役最後の試合では、マルディーニを批判するメッセージが掲げられたが[9]、 現役最後の試合となったアウェー・フィオレンティーナ戦ではロスタイムにフィオレンティーナの選手がわざとボールを外に出しマルディーニの為だけの時間を作った。敵味方関係なくその場にいたすべての人がスタンディングオベーションでマルディーニを称えた[5]。
現役引退後
引退後は、ACミランの幹部入りが有力視されていたが、キャリア晩年の一部サポーターと副会長職にあったアドリアーノ・ガッリアーニとの確執から長らくミランと距離を置くことになる。アメリカに在住して北米サッカーリーグに2016年から新規参入したマイアミFCの共同オーナーを務めたり、2017年には49歳でアスプリア・テニスカップにてプロテニスプレイヤーとしてデビューした(一試合のみで引退)。2017年にACミランが中国人実業家のリー・ヨンホン(Li Yonghong)に買収されると、確執のあったガッリアーニが退陣したこともあり、幹部入りを打診されたが、役割が曖昧であったことや中国資本への不信感などから固辞している。2018年7月、リー・ヨンホンがミラン買収の資金を借り入れていたアメリカのヘッジファンド、エリオット・マネジメント(Elliott Management Corporation)への返済が滞り、債務不履行を理由にエリオット・マネジメントがミランの所有権を得る。エリオット・マネジメントは新スポーツディレクターにクラブOBのレオナルドを招聘、レオナルドは旧友のマルディーニの入閣に乗り出し、2018年8月にスポーツ部門の戦略開発ディレクターとして約9年ぶりにミランに復帰した。
プレースタイル・評価
果敢な攻撃参加、1対1での強さ、状況判断の良さ、優れた戦術理解能力[4]、 さらにフランコ・バレージより受け継いだキャプテンシーを駆使し[4]、 現役時代は10年以上世界最高の左サイドバックの座を守り続けた[10]。 その間にUEFAチャンピオンズリーグ優勝5回(1988-89, 89-90シーズンは連覇)を筆頭に、セリエA優勝7回(1991-92, 92-93, 93-94シーズンは3連覇)、インターコンチネンタルカップ(FIFAクラブワールドカップ含む)優勝3回を含む、通算26個のタイトルと栄光をクラブにもたらす。
そして、いつしか『グランデ・ミラン』(偉大なミラン)と呼ばれる様になる、クラブを象徴するバンディエラの1人となった[5]。
1999年12月、イギリスの大手サッカー専門誌『ワールドサッカー』が、読者による投票ポイントによってランキング化したのをまとめた『20世紀の偉大なサッカー選手100人』を発表し、総合21位に選ばれた[11]。 これは当時の現役選手としては、ロナウドの13位、ロベルト・バッジョの16位に次ぐ3番目の順位であり、サイドバックの選手としてはOB・現役を含め最高位という快挙であった。
彼の功績と評価は引退後の現在も変わることはなく、2013年7月、『ワールドサッカー』誌が、世界各国の記者や監督、元選手の投票で各ポジションの歴代最高選手を選出した際に、左サイドバックのポジションとして選出された[1]。 尚、イタリア人から選ばれたのは唯一マルディーニのみである。そして全体の得票数では、フランツ・ベッケンバウアー、ディエゴ・マラドーナ、ヨハン・クライフ、ペレに次いで5番目の得票数であった[12]。
元ブラジル代表のロナウドは現役時代に対戦したDFの中で最高のDFはマルディーニだと述べている[13]。
エピソード
- 小さい頃はミシェル・プラティニのユヴェントスのファンだった。しかし、父のチェーザレ・マルディーニから、もし本気でサッカーをするのであればACミランかインテル・ミラノを選ぶよう言われた[14]。
- パオロがACミランでつけていた背番号3は、2005年10月18日に彼の父親のチェーザレ・マルディーニから始まる親子3代のACミラン入りとなった長男クリスティアン・マルディーニ(Christian Maldini, 1996年6月14日 - )が引き継がない限り、フランコ・バレージのつけていた背番号6と同様に永久欠番となる。
- FCバルセロナがUEFAチャンピオンズリーグ 2008-09で優勝した際、監督をしていたジョゼップ・グアルディオラは「優勝カップを引退するマルディーニに捧げたい」と発言した[15]。
- 2014年ブラジルWCを目指す日本代表キャプテンであった長谷部は、アルベルト・ザッケローニ監督に対して「もう少し若い選手にキャプテンを任せたらどうですか」と尋ねたところ、アルベルト・ザッケローニは『今までいろんなところで監督をしてきたけど、本物のキャプテンはマルディーニと長谷部だけだ』と述べた[16]。
- 二人の息子もACミランの下部組織に所属している。上述の長男のクリスティアンは父・パオロ同様にセンターバック・サイドバックの選手、次男のダニエルはフォワード[17]。
- 実業家のリッカルド・シルヴァ氏と北米サッカーリーグに2016年から新規参入したマイアミFCの共同オーナーを務めている[18]。初代監督にはミラン時代の同僚アレッサンドロ・ネスタが就任している。
タイトル
- 国内タイトル
- セリエA優勝7回
- 1987-88, 1991-92, 1992-93, 1993-94, 1995-96, 1998-99, 2003-04
- コッパ・イタリア優勝1回
- 2002-03
- イタリア・スーパーカップ優勝5回
- 1988, 1992, 1993, 1994, 2005
- 国際タイトル
- UEFAチャンピオンズリーグ(UEFAチャンピオンズカップ)優勝5回
- 1988-89, 1989-90, 1993-94, 2002-03, 2006-07
- UEFAスーパーカップ優勝5回
- 1989, 1990, 1994, 2003, 2007
- インターコンチネンタルカップ(FIFAクラブワールドカップ含む)優勝3回
- 1989, 1990, 2007
- 個人タイトル
- 20世紀の偉大なサッカー選手100人 21位(ワールドサッカー誌選出 1999)
- セリエA 最多出場試合数(647試合)
- FIFAワールドカップ 最多フル出場試合数(23試合)
- FIFAワールドカップ 最多出場時間(2217分)
個人成績
クラブ | シーズン | 背番号 | 国内リーグ | 国内カップ1 | 国際カップ2 | その他3 | 通算 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | |||
ACミラン | 1984–85 | 3 | 1 | 0 | — | — | — | — | — | — | 1 | 0 |
1985–86 | 27 | 0 | 6 | 0 | 6 | 0 | 1 | 0 | 40 | 0 | ||
1986–87 | 29 | 1 | 7 | 0 | — | — | 13 | 0 | 37 | 1 | ||
1987–88 | 26 | 2 | 1 | 0 | 2 | 0 | — | — | 29 | 2 | ||
1988–89 | 26 | 0 | 7 | 0 | 7 | 0 | — | — | 40 | 0 | ||
1989–90 | 30 | 1 | 6 | 0 | 8 | 0 | 3 | 0 | 47 | 1 | ||
1990–91 | 26 | 4 | 3 | 0 | 4 | 0 | 2 | 0 | 35 | 4 | ||
1991–92 | 31 | 3 | 7 | 1 | — | — | — | — | 38 | 4 | ||
1992–93 | 31 | 2 | 8 | 0 | 10 | 1 | 1 | 0 | 50 | 3 | ||
1993–94 | 30 | 1 | 2 | 0 | 10 | 1 | 4 | 0 | 46 | 2 | ||
1994–95 | 29 | 2 | 1 | 0 | 11 | 0 | 2 | 0 | 43 | 2 | ||
1995–96 | 30 | 3 | 3 | 0 | 8 | 0 | — | — | 41 | 3 | ||
1996–97 | 26 | 1 | 3 | 0 | 6 | 0 | 1 | 0 | 36 | 1 | ||
1997–98 | 30 | 0 | 7 | 0 | — | — | — | — | 37 | 0 | ||
1998–99 | 31 | 1 | 2 | 0 | — | — | — | — | 33 | 1 | ||
1999–00 | 27 | 1 | 4 | 0 | 6 | 0 | 1 | 0 | 38 | 1 | ||
2000–01 | 31 | 1 | 4 | 0 | 14 | 0 | — | — | 49 | 1 | ||
2001–02 | 15 | 0 | — | — | 4 | 0 | — | — | 19 | 0 | ||
2002–03 | 29 | 2 | 1 | 0 | 19 | 0 | — | — | 49 | 2 | ||
2003–04 | 30 | 0 | — | — | 9 | 0 | 3 | 0 | 42 | 0 | ||
2004–05 | 33 | 0 | — | — | 13 | 1 | 1 | 0 | 47 | 1 | ||
2005–06 | 14 | 2 | — | — | 9 | 0 | — | — | 23 | 2 | ||
2006–07 | 18 | 1 | — | — | 9 | 0 | — | — | 27 | 1 | ||
2007–08 | 17 | 1 | — | — | 4 | 0 | 2 | 0 | 23 | 1 | ||
2008–09 | 30 | 0 | — | — | 2 | 0 | — | — | 32 | 0 | ||
キャリア通算 | 647 | 29 | 72 | 1 | 161 | 3 | 22 | 0 | 902 | 33 |
1 コッパ・イタリア、イタリア・スーパーカップを指す
2 UEFAチャンピオンズリーグ、UEFAカップ、UEFAインタートトカップ、UEFAスーパーカップを指す
3 インターコンチネンタルカップ、FIFAクラブワールドカップを指す
脚注・出典
- ↑ 1.0 1.1 英メディアの歴代ベストイレブン、現役選手はメッシのみ livedoor NEWS スポーツ、2013年7月4日
- ↑ 歴代最強欧州CLベストイレブン Qoly football web magazine 2012年10月21日
- ↑ 3.0 3.1 カカ、マルディーニを語る「パオロは伝説だよ」 livedoor NEWS スポーツ 2006年12月4日
- ↑ 4.0 4.1 4.2 4.3 パオロ・マルディーニ|ゲキサカ(講談社) パオロ・マルディーニ|ゲキサカ(講談社)
- ↑ 5.0 5.1 5.2 プランデッリ監督:「マルディーニは最後のバンディエラ」 Goal.com 2009年5月30日
- ↑ サネッティが大記録…セリエA歴代3位の570試合出場 livedoor NEWS スポーツ 2012年4月12日
- ↑ FIFAワールドカップにおける記録
- ↑ 週刊サッカーマガジン no457 1994.6.8 112~115ページ
- ↑ 去るタイミング。 ~“バンディエラ”マルディーニの 寂しき引退~ Number Web 2009年5月29日
- ↑ キャラガー、マルディーニを称賛 キャラガー、マルディーニを称賛 UEFA.com 2007年5月24日
- ↑ World Soccer 100 Players of the Century
- ↑ The Greatest: – how the panel voted
- ↑ http://news.livedoor.com/article/detail/10913820/ 元ブラジル代表FWロナウド、最強のDFを暴露「無条件でマルディーニ」]
- ↑ ワールドサッカーマガジン 2007年4月5日 Vol.153より
- ↑ “3冠のグアルディオラ、マルディーニを称賛”. asahi.com (2009年5月28日). . 2009閲覧.
- ↑ ハリルはなぜ森重真人を指名した?代表キャプテンを巡る、歴史と個性。(Number Web)より
- ↑ マルディーニ氏の息子たちがミラン下部組織で注目 Goal.com 2014年11月30日
- ↑ 元イタリア代表のネスタ氏が米で監督に…盟友マルディーニ氏とタッグ SoccerKing 2015年9月1日
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