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{{ActorActress
 
| 芸名 = Heath Ledger
 
| ふりがな = ヒース・レジャー
 
| 画像ファイル = Heath Ledger (2).jpg
 
| 画像サイズ = 240px
 
| 画像コメント = ヒース・レジャー
 
| 本名 = Heath Andrew Ledger
 
| 別名義 =
 
| 出生地 = {{AUS}}・[[西オーストラリア州]][[パース (西オーストラリア州)|パース]]
 
| 死没地 =
 
| 国籍 = {{AUS}}
 
| 民族 =
 
| 身長 = 184cm
 
| 血液型 =
 
| 生年 = 1979
 
| 生月 = 4
 
| 生日 = 4
 
| 没年 = 2008
 
| 没月 = 1
 
| 没日 = 22
 
| 職業 = [[俳優]]
 
| ジャンル = [[映画]]
 
| 活動期間 = 1996年 - 2008年
 
| 配偶者 =
 
| 著名な家族 =
 
| 事務所 =
 
| 公式サイト =
 
| 主な作品 = 『[[恋のからさわぎ]]』<br />『[[ROCK YOU!]]』<br />『[[ブロークバック・マウンテン]]』<br />『[[ダークナイト]]』<br />『[[Dr.パルナサスの鏡]]』
 
| アカデミー賞 = '''[[アカデミー助演男優賞|助演男優賞]]'''<br />[[第81回アカデミー賞|2008年]]『[[ダークナイト]]』
 
| 全米映画批評家協会賞 =
 
| ニューヨーク映画批評家協会賞 = '''[[ニューヨーク映画批評家協会賞 主演男優賞|主演男優賞]]'''<br />[[第71回ニューヨーク映画批評家協会賞|2005年]]『ブロークバック・マウンテン』
 
| 放送映画批評家協会賞 = '''[[放送映画批評家協会賞|助演男優賞]]'''<br />[[第14回放送映画批評家協会賞|2008年]]『ダークナイト』
 
| ロサンゼルス映画批評家協会賞 = '''[[ロサンゼルス映画批評家協会賞 助演男優賞|助演男優賞]]'''<br />[[第34回ロサンゼルス映画批評家協会賞|2008年]]『ダークナイト』
 
| MTVムービー・アワード = '''[[MTVムービー・アワード|ベストキス賞]]'''<br />[[2005年]]『ブロークバック・マウンテン』<br />'''[[MTVムービー・アワード|悪役賞]]'''<br />[[2008年]]『ダークナイト』
 
| AFI賞 =
 
| 英国アカデミー賞 = '''[[英国アカデミー賞 助演男優賞|助演男優賞]]'''<br />[[2008年]]『ダークナイト』
 
| エミー賞 =
 
| グラミー賞 =
 
| ゴールデングローブ賞 = '''[[ゴールデングローブ賞 助演男優賞|助演男優賞]]'''<br />[[第66回ゴールデングローブ賞|2008年]]『ダークナイト』
 
| ゴールデンラズベリー賞 =
 
| ゴヤ賞 =
 
| ジェミニ賞 =
 
| ジニー賞 =
 
| セザール賞 =
 
| トニー賞 =
 
| ローレンス・オリヴィエ賞 =
 
| 全米映画俳優組合賞 = '''[[全米映画俳優組合賞助演男優賞|助演男優賞]]'''<br />[[第15回全米映画俳優組合賞|2008年]]『ダークナイト』
 
| その他の賞 = '''[[インディペンデント・スピリット賞]]'''<br />'''インディペンデント・スピリット・ロバート・アルトマン賞'''<br />[[2007年]]『[[アイム・ノット・ゼア]]』
 
| 備考 = 故人のアカデミー賞受賞は、[[ピーター・フィンチ]]以来当時32年ぶり2人目
 
}}
 
'''ヒース・アンドリュー・レジャー'''(Heath Andrew Ledger, [[1979年]][[4月4日]] - [[2008年]][[1月22日]])は、[[オーストラリア]]出身の[[俳優]]。
 
  
オーストラリアでテレビ・映画に出演した後、[[1999年]]に『[[恋のからさわぎ]]』でハリウッドデビューを果たす。当初はアイドル路線的な注目だったが、ほどなくして本人がこの路線を拒否し、以後出演作品を選ぶようになった。
+
'''ヒース・アンドリュー・レジャー'''(Heath Andrew Ledger, [[1979年]][[4月4日]] - [[2008年]][[1月22日]])
  
『[[ブロークバック・マウンテン]]』([[2005年]])の演技が絶賛され26歳で[[アカデミー主演男優賞]]にノミネート、一躍若手演技派俳優と目されるようになった。
+
1979年、オーストラリアのパース生まれ。10歳から子役として活動し、97年に「ブラックロック」で映画デビュー。99年の「恋のからさわぎ」(日本未公開)でハリウッドに進出。翌年公開の「パトリオット」で一躍注目を集めた。2005年の「ブロークバック・マウンテン」ではアカデミー主演男優賞にノミネートされたほか、多くの映画賞を受賞した。今回の受賞作「ダークナイト」では、その鬼気迫る演技が公開前から話題となっていたが、撮影終了直後の08年1月22日、処方薬の過剰摂取により28歳で急逝した。レジャーさんはこの作品で、イギリスアカデミー賞、ゴールデングローブ賞などでも助演男優賞を受賞している。故人のアカデミー賞受賞は、1977年に「ネットワーク」で主演男優賞を受賞したピーター・フィンチに次いで史上2人目。
 
 
その後も順調にキャリアを重ねていったが、[[2008年]]、睡眠薬等の薬物併用摂取による急性薬物中毒により急死。死後、『[[ダークナイト]]』(2008年)の演技により、[[アカデミー助演男優賞]]を受賞した。28歳での同賞受賞は史上4番目の若さだった。
 
 
 
==生い立ち==
 
1979年4月4日、[[西オーストラリア州]][[パース (西オーストラリア州)|パース]]にて生まれる。ファーストネームのヒースは[[エミリー・ブロンテ]]の小説『[[嵐が丘]]』の主人公ヒースクリフに由来する<ref>[http://www.allcinema.net/prog/show_p.php?num_p=293267 allcinema ONLINEによるプロフィール]</ref>。父親のキム・レジャーは[[レーサー]]兼鉱山エンジニア、母親のサリー・レジャー(旧姓レンショー)は[[フランス語]]教師だった。
 
 
 
レジャー家はスコットランド人とアイルランド人の血を引くパースでは有名な家系で、先祖は「レジャー・エンジニアリング・ファウンドリー」という鋳物工場を経営して、パースから[[カルグーリー]]へ至る有名なパイプライン建設の際には原材料を供給していた。また、ヒースの曾祖父の名前を冠した団体「サー・フランク・レジャー慈善信託」は、地元の大学に対して、講師を招いたり才能ある学生へ奨学金を支給するために財政援助をしており、地域の人々から尊敬を集めている<ref>{{Cite book|和書|author=クリス・ロバーツ|translator=上原裕美子|year=2010|title=ヒース・レジャー追悼写真集|publisher=ブルース・インターアクションズ|pages=p. 1|isbn=4860203852|}}</ref><ref name=Wills>{{cite news |url=http://www.tiscali.co.uk/entertainment/film/biographies/heath_ledger_biog.html |first=Dominic |last=Wills |title=Heath Ledger Biography |year=2008 |accessdate=2008-04-22|work=[[:en:Tiscali TV (UK)]] |quote=The Ledger name was well-known in [[パース (西オーストラリア州)|Perth]], the family having run a foundry that provided much of the raw material for the famous Perth to [[カルグーリー|Kalgoorlie]] [[ゴールドフィールズ・エスペランス|Pipeline]] ... The Sir Frank Ledger Charitable Trust, named after Heath's great-grandfather, was renowned for granting funds to the area's universities, paying for visiting lecturers and scholarships for gifted students.}}</ref> 。
 
 
 
ヒース・レジャーが11歳の時に両親は離婚した<ref name=Lipsky>{{cite news| author=[[:en:David Lipsky|Lipsky, David]]|title=Heath Ledger's Lonesome Trail |url=http://www.rollingstone.com/culture/news/heath-ledgers-lonesome-trail-rolling-stones-2006-cover-story-20110120|date=2006-03-23 |accessdate=2011-02-05 |work=[[ローリング・ストーン]] }}</ref>。その後、父親はエマ・ブラウンと、母親はロジャー・ベルと再婚した。兄弟には実姉(ケイト)と異母妹(オリヴィア)、異父妹(アシュリー・ベル)がいる<ref>[http://movies.yahoo.com/movie/contributor/1800018553/bio Heath Ledger Biography] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20071216052636/http://movies.yahoo.com/movie/contributor/1800018553/bio |date=2007年12月16日 }}</ref>。
 
 
 
学生時代は[[ホッケー]]選手として活躍し、演劇部の部長を務めた。飛び級で16歳の時に高校を卒業。
 
 
 
==キャリア==
 
=== オーストラリア時代 ===
 
10歳の時に地元の劇団に所属し、[[オーストラリア]]国内の舞台やテレビに出演。小さい役ながら1992年公開の『''Clowning Around''』に出演している。1996年、オーストラリアのテレビドラマ『[[:en:Sweat (TV series)|''Sweat'']]』でレギュラー役をつかむ。番組自体あまり人気がなく、また役柄がゲイ役だったこともあり、この頃、街中で嫌がらせやいじめを受けることもあったというが、彼の演技は業界関係者の注目を浴び、これが本格的なキャリアの出発点となった<ref>{{Cite journal|和書|last=Duralde|first=Alonso|title=ヒース・レジャー-インタビュー『この愛を100%信じて演じた』|year=2006|journal=yes|issue=2|publisher=インフォレスト|pages=pp. 7-8}}</ref>。その後、1997年公開の[[オーストラリアの映画|オーストラリア映画]]『[[ブラックロック (映画)|ブロックロック]]』で本格的に映画デビューを果たし、同年に[[アメリカ合衆国|全米]]放送のテレビシリーズ『''Roar''』でさらに注目を集めた。
 
 
 
=== ハリウッド進出 ===
 
1999年公開の『[[恋のからさわぎ]]』で[[ハリウッド]]に進出。この映画の成功で、ヒース・レジャーのもとにはアイドル路線的な役柄のオファーが殺到するようになったが、本人がこの路線を拒否し、エージェントにはシリアスで重みのある役柄を演じたいと申し入れた。しかし、大した実績もない駆け出しの若手俳優にそうしたオファーがそうそう来るはずもなく、その後ほぼ1年間、本人いわく「ヌードルと水」だけの貧窮生活を送ることになった<ref>{{Cite book|和書|author=クリス・ロバーツ|translator=上原裕美子|year=2010|title=ヒース・レジャー追悼写真集|publisher=ブルース・インターアクションズ|pages=p. 34|isbn=4860203852|}}</ref>。
 
 
 
2000年、ヒース・レジャーは『[[パトリオット (2000年の映画)|パトリオット]]』に出演して[[メル・ギブソン]]の息子役を演じた。この映画の評価自体は二分されたものだったが、レジャー自身は「メジャーなスターになれるだけの才能とルックスを備えている」と評価されるなど、その演技は好感をもって受け入れられた<ref>{{cite news|author=[[ピーター・トラヴァース]]|title=The Patriot|http://www.rollingstone.com/movies/reviews/the-patriot-19960101|work=[[ローリング・ストーン]]|publisher=rollingstone.com||accessdate=2011-01-23}}</ref>。
 
 
 
2001年公開の『[[チョコレート (映画)|チョコレート]]』では、[[ビリー・ボブ・ソーントン]]の息子役を演じた。冒頭40分足らずの出演であったが、その演技は「短いながらも強烈な存在感」との批評を得るなど<ref>{{Cite book|和書|author=クリス・ロバーツ|translator=上原裕美子|year=2010|title=ヒース・レジャー追悼写真集|publisher=ブルース・インターアクションズ|pages=p. 56|isbn=4860203852|}}</ref>、単なる若手アイドル俳優ではないことを示した。[[ダニエル・デイ=ルイス]]も、後年の[[全米映画俳優組合賞]]での追悼スピーチの中で、『ブロークバック・マウンテン』とともにこの映画での彼の演技を讃えている。
 
 
 
2001年公開の『[[ROCK YOU!]]』でハリウッド作品に初主演する。この作品は全米興行収入初登場1位を記録、約5600万ドルのヒットとなりトップスターの仲間入りを果たす。この年の[[ピープル (雑誌)|ピープル誌]]の「最も美しい人物50人」にも選出された。その後も『[[サハラに舞う羽根]]』や『[[ケリー・ザ・ギャング]]』、『[[ブラザーズ・グリム]]』など、様々なジャンルの映画に出演した。これらの映画において、ヒース・レジャーの演技はそれなりに評価される向きもあったものの、映画自体の興行がいずれもふるわず、また批評家からの作品レビューも辛辣なものがあった。
 
 
 
=== 『ブロークバック・マウンテン』 ===
 
2004年製作、2005年公開の映画『[[ブロークバック・マウンテン]]』に[[:en:Ennis Del Mar|イニス・デルマー]]役として出演した。ヒース・レジャーは、せりふの少ないこの主人公の20歳から40歳近くまで20年に及ぶ役柄を、わずかなメイクと、あとは歯を食いしばるようなしゃべり方や声の調子を変えることで演じた。抑制的な、ときに激情を爆発させる彼の演技は、批評家から[[マーロン・ブランド]]や[[ショーン・ペン]]のそれに比せられるなど、手放しの絶賛を受けた。
 
 
 
ヒース・レジャーはこの役で[[ニューヨーク映画批評家協会賞]]などを受賞。また、史上9番目(26歳と302日)の若さで[[アカデミー主演男優賞]]にノミネートされ、[[映画芸術科学アカデミー]]の会員に招待された<ref>http://www.oscars.org/press/pressreleases/2006/06.07.01a.html</ref>。
 
 
 
『ブロークバック・マウンテン』は2005年度の各映画賞を総なめにした。また、当初全米で5館のみという上映であったが次第に上映館を増やし、興行収入もこの種の映画では考えられないほど記録的なものになった。
 
 
 
=== 『ブロークバック・マウンテン』以後 ===
 
[[ファイル:Director and actors of I'm not there at the 64th Venice Film Festival-01.jpg|thumb|300px|[[第64回ヴェネチア国際映画祭]]にて。左から[[リチャード・ギア]]、[[トッド・ヘインズ]]、[[シャルロット・ゲンズブール]]、ヒース・レジャー。]]
 
『ブロークバック・マウンテン』の後、[[ロマンティック・コメディ]]映画『[[カサノバ (2005年の映画)|カサノバ]]』に出演した。作品自体評価のあまり高くないドタバタ喜劇で、「レジャーのカリスマ性と知性は、発想が陳腐で演出も不器用なこのバロック風駄作には、もったいなさすぎる」(『[[:en:Time Out (company)|英タイムアウト誌]]』)<ref>{{Cite book|和書|author=クリス・ロバーツ|translator=上原裕美子|year=2010|title=ヒース・レジャー追悼写真集|publisher=ブルース・インターアクションズ|pages=p. 101|isbn=4860203852|}}</ref><ref>{{cite news |author=MH|title=Film Review Casanova (2005) - Movie review |url=http://www.timeout.com/film/reviews/83360/casanova.html|work=Time Out London|publisher=Time Out|date=2006-02-15/22 |accessdate=2011-01-28}}</ref>と、前作で名声を得た彼がこうしたB級映画に出ることを惜しむ批評もあったが、レジャー自身はこの映画の出演を楽しんだ。
 
 
 
2006年公開のオーストラリア映画『[[キャンディ (2006年の映画)|キャンディ]]』では、ドラッグに溺れる詩人志望の役柄を演じた。映画自体は『ブロークバック・マウンテン』以前に撮られていたが、公開は2006年まで先延ばしにされていた。低予算で作られた映画だったが、『ブロークバック・マウンテン』以降のヒース・レジャーの人気もあって、公開されるとそれなりの興行収入を叩きだした。彼の演技も「レジャーは、まっすぐに生きられない人間を、傑出した才能で演じた」「彼は冒頭からキャラクターになりきっている」(『[[ニューヨーク・タイムズ]]』)<ref>{{Cite book|和書|author=クリス・ロバーツ|translator=上原裕美子|year=2010|title=ヒース・レジャー追悼写真集|publisher=ブルース・インターアクションズ|pages=p. 103|isbn=4860203852|}}</ref>と評されるなど、批評家から高い評価を受けた。
 
 
 
2007年公開の『[[アイム・ノット・ゼア]]』では、[[ボブ・ディラン]]役を演じる6人の俳優の1人として出演した。この映画がヒース・レジャーの生前に公開された最後の映画となった。
 
 
 
=== 『ダークナイト』 ===
 
2008年の死後に公開された『[[ダークナイト]]』では主人公[[バットマン]]の宿敵[[ジョーカー (バットマン)|ジョーカー]]を演じた。ヒース・レジャーは、一ヶ月間ロンドンのホテルにひとりきりで閉じこもり、ジョーカー独特の声や笑い方を作り上げるなどして圧倒的な役作りで撮影に臨み<ref name=Jolin1>{{cite journal |author=Dan Jolin|title=Fear Has a Face |url=http://www.empireonline.com/magazine/covers/image.asp?id=24227&gallery=1365&caption=%23223%20%28January%202008%29 |journal=[[:en:Empire (magazine)|Empire]] |volume=223 |date=January 2008 |pages=87–88 |accessdate=2008-07-08}}</ref><ref name=Jolin2>{{cite journal |author=Dan Jolin|title=The Dark Knight |url=http://www.empireonline.com/magazine/covers/image.asp?id=27819&gallery=1365&caption=%23229+%28July+2008%29 |journal=[[:en:Empire (magazine)|Empire]]|volume=229 |date=July 2008 |pages=92–100 |accessdate=2008-08-18}}</ref><ref name=Richards>{{Cite news |author=Olly Richards|title=World Exclusive: The Joker Speaks: He's a Cold-blooded Mass-murdering Clown |url=http://www.empireonline.com/news/story.asp?nid=21560|work=[[:en:Empire (magazine)|Empire]] |date=2007-11-28|accessdate=2008-08-18}}</ref>、[[ジャック・ニコルソン]]のとはまた違ったジョーカー像を創造することに成功し、批評家から高い評価を得た。
 
 
 
この作品で彼は[[アカデミー助演男優賞]]、[[ゴールデングローブ賞 助演男優賞]]、[[英国アカデミー賞 助演男優賞]]など主要映画賞を総なめにした。故人のアカデミー賞受賞は、[[ピーター・フィンチ]]以来32年ぶり2例目となる。アカデミー授賞式には亡き本人に代わり、両親と姉が出席。父親のキム・レジャーは、「息子の演技を評価していただき、ありがとうございます」と礼を述べた。また、関係者にも感謝の意を伝え、「息子は映画の世界を愛していました」とメッセージを送った。また、同助演男優賞の中では史上4番目(28歳と324日)の若さでの受賞となった。
 
 
 
死亡時、[[テリー・ギリアム]]監督作『[[Dr.パルナサスの鏡]]』の撮影途中であったため、[[ジョーカー (バットマン)|ジョーカー]]を演じた『ダークナイト』が遺作になるものとみられていたが、親友の[[ジョニー・デップ]]、[[コリン・ファレル]]、[[ジュード・ロウ]]が代役の出演を快諾して製作の続行が可能になり、無事に完成し公開された。なお、本作でのヒースの演技はカット・加工されることなく予定通り使用された。さらに、ヒースの代役を務めた3人は出演料のすべてを娘のマティルダに寄付した<ref>{{cite web|url=http://cinematoday.jp/page/N0013171|title=ヒース・レジャー死去で撮影がストップしていたテリー・ギリアム監督映画が撮影再開|date=2008年2月19日|accessdate=2008年2月21日|author=AFPBB News}}</ref>。
 
 
 
=== 監督活動 ===
 
ヒースレジャーは映画監督業にも興味があり、生前いくつかの[[ミュージックビデオ]]では監督をつとめている。2006年には、オーストラリアのヒップホップアーティストN'faのシングル「Seduction Is Evil (She's Hot)」<ref name=Inertiacat>{{cite web|title=Seduction Is Evil|url=http://www.inertia-music.com/catalogue/41236/Nfa/Seduction_Is_Evil/|work=Inertia Catalogue|publisher=inertia.net|date=2006-10-28|accessdate=2008-03-05|archiveurl=https://web.archive.org/web/20070914185433/http://www.inertia-music.com/catalogue/41236/Nfa/Seduction_Is_Evil/|archivedate=2007年9月14日|deadurldate=2017年9月}}</ref><ref name=Drever>{{cite news|author=Andrew Drever|title=N'Fa: Frontman for 1200 Techniques May Be Doing Solo Work, But Everything's Cool |url=http://www.theage.com.au/news/gig-previews--reviews/nfa/2006/08/21/1156012452247.html |work=The Age|publisher=theage.com.au|date=2006-08-21|accessdate=2008-03-05|page=2 | location=Melbourne}}</ref>や[[ベン・ハーパー]]のシングル「Morning Yearning」の[[ミュージックビデオ]]を監督した<ref>{{cite news |author=Lyall, Sarah|title=Movies: In Stetson or Wig, He's Hard to Pin Down |url=http://www.nytimes.com/2007/11/04/movies/moviesspecial/04lyal.html |work=[[ニューヨーク・タイムズ]] |date=2007-11-04 |accessdate=2008-08-18}}</ref><ref name=Starpulse>{{cite web|title=Heath Ledger Teams Up with Ben Harper to Launch New Record Label |url=http://www.starpulse.com/news/index.php/2007/02/14/heath_ledger_teams_up_with_ben_harper_to |work=Starpulse Entertainment News Blog|publisher=starpulse.com |date=2007-02-14 |accessdate=2008-03-05}}</ref>。
 
 
 
== 突然の死 ==
 
[[画像:LedgerMemorial.jpg|thumb|170px|住んでいたアパートに置かれた献花]]
 
[[2008年]][[1月22日]]、ヒースは映画『[[ダークナイト]]』の完成を待たずに、[[マンハッタン]]の自宅アパートで遺体で発見された<ref>{{cite news |author=James Barron |title=Heath Ledger, Actor, Is Found Dead at 28 |url=http://www.nytimes.com/2008/01/23/movies/23ledger.html |work=The New York Times |[publisher=nytimes.com |date=2008年1月23日 |accessdate=2008年4月27日}}、{{cite news |title=Heath Ledger: The Times Obituary |url=http://www.timesonline.co.uk/tol/comment/obituaries/article3237974.ece |work=[[The Times]] |publisher=timesonline.co.uk |date=2008年1月23日 |accessdate=2008年4月27日}}</ref>。{{没年齢|1979|4|4|2008|1|22}}。前年11月頃から[[不眠症]]となり、「とても疲れているのに二時間程しか眠れない」と映画『ダークナイト』出演に際してのインタビューでは[[睡眠薬]]服用を公言している。また、インタビュー時期は自身の婚約解消と別居が重なる時期でもあった。当時は[[インフルエンザ]]にもかかっており、薬の併用摂取(特定の薬物を過剰摂取したわけではない)による急性薬物中毒による事故死だった<ref>{{cite news |author=Sewell Chan |title=City Room: Heath Ledger's Death Is Ruled an Accident |url=http://cityroom.blogs.nytimes.com/2008/02/06/heath-ledgers-death-is-ruled-an-accident/ |work=The New York Times |publisher=cityroom.blogs.nytimes.com |date=2008年2月6日 |accessdate=2008年2月6日}}、{{cite news |author=Associated Press |title=Heath Ledger Died of Accidental Overdose: 28-Year-Old Actor Had Oxycodone, Anti-Anxiety, Sleep Aids in His System |url=http://www.msnbc.msn.com/id/23029566/ |work=MSNBC (Entertainment) |publisher=''msnbc.msn.com'' |date=2008年2月6日 |accessdate=2008年3月17日}}</ref>。
 
 
 
1月26日に[[ロサンゼルス]]で、2月9日に地元[[パース (西オーストラリア州)|パース]]の大学で葬儀が行われた。
 
 
 
== 私生活 ==
 
2001年から2002年までは[[ヘザー・グラハム]]、2002年から2004年までは[[ナオミ・ワッツ]]と交際。『[[ブロークバック・マウンテン]]』で共演した女優[[ミシェル・ウィリアムズ (女優)|ミシェル・ウィリアムズ]]と2005年に婚約。同年10月28日に長女マティルダ・ローズが誕生したが、2007年9月に婚約解消<ref>{{cite web|url=http://cinematoday.jp/page/N0011400|title=ヒース・レジャー、ミシェル・ウィリアムズ破局|date=2007年9月4日|accessdate=2007年9月20日|author=シネマトゥデイ}}</ref>。その後は[[ヘレナ・クリステンセン]]<ref name=Supermodel>{{cite news |title=Supermodel's Last Call to Heath |url=http://www.news.com.au/heraldsun/story/0,21985,23100669-5015809,00.html |work=news.com.au |publisher=Herald Sun |date=2008-01-24 |accessdate=2008-01-26}}</ref><ref name=Stansfield>{{cite news |author=Robert Stansfield |title=Helena Christensen Was On Way to See Heath Ledger |url=http://www.dailyrecord.co.uk/news/uk-world-news/2008/01/24/helena-christensen-was-on-way-to-see-heath-ledger-86908-20296307/ |publisher=Scottish Daily Record |page=6 |date=2008-01-24 |accessdate=2008-01-26}}</ref>、[[ジェマ・ワード]]<ref>{{cite web|url=http://www.walkerplus.com/movie/news/news3820.html|title=ヒース、新カノは同郷のスーパーモデル?|date=2008年1月21日|accessdate=2008年1月23日|author=MovieWalker}}</ref>、[[オルセン姉妹|メアリー=ケイト・オルセン]]<ref name=FifeYeomans>{{cite news |author=Janet Fife-Yeomans |title=Sorrow of Heath Ledger's Secret Love |url=http://www.news.com.au/dailytelegraph/story/0,22049,23105983-5001021,00.html |publisher= The Daily Telegraph|page=4 |date=2008-01-25 |accessdate=2008-02-06}}</ref>とも交際の噂があった。
 
 
 
== 評価 ==
 
* 映画評論家の[[ピーター・トラヴァース]]は、雑誌『[[ローリング・ストーン]]』誌上での『ブロークバック・マウンテン』のレビューにおいて、「レジャーの壮麗な演技は、まさに演技における奇跡である」と述べ、「レジャーは彼(イニス)がどう動くか、どんな喋り方や動き方をするかを理解しているだけではなく、どう呼吸するかまで理解している」と評した<ref>{{cite news|author=[[ピーター・トラヴァース]]|title=Review: Brokeback Mountain |url=http://www.rollingstone.com/movies/reviews/brokeback-mountain-20091202|work=[[ローリング・ストーン]]|publisher=rollingstone.com|date=2005-12-01 |accessdate=2011-01-22}}</ref>。
 
* 作家、音楽・映画批評家、詩人の[[:en:Stephen Holden|ステファン・ホールデン]]は、『[[ニューヨーク・タイムズ]]』紙上での『ブロークバック・マウンテン』のレビューにおいて、「レジャー氏の演技は、[[マーロン・ブランド]]や[[ショーン・ペン]]の最良の演技に匹敵するくらい、偉大な演技である」と評した<ref>{{cite news |author=[[:en:Stephen Holden|Holden, Stephen]]|title=Film Review - Brokeback Mountain - Riding the High Country, Finding and Losing Love |url=http://movies.nytimes.com/2005/12/09/movies/09brok.html|publisher=[[ニューヨーク・タイムズ]]|page=1 |date=2005-12-09 |accessdate=2011-01-22}}</ref>。
 
* [[ダニエル・デイ=ルイス]]は、ヒース・レジャー死去直後の2008年[[全米映画俳優組合賞]]、主演男優賞の受賞スピーチにおいて、自分に映画界復帰の気持ちを与えてくれた俳優としてヒース・レジャーの名前を挙げ、「『ブロークバック・マウンテン』での彼の演技は、比類なく、完璧でした」と語り、「映画の最後のあのトレーラーの場面は私が今まで見た全てのシーンのどれにも引けを取らないほど感動的でした」と述べて、賞をヒース・レジャーに捧げた<ref>{{cite news|author=Billington, Alex|title=Daniel Day-Lewis Dedicates His SAG Award to Heath Ledger|url=http://www.firstshowing.net/2008/daniel-day-lewis-dedicates-his-sag-award-to-heath-ledger/|publisher=FIRSTSHOWING.NET|accessdate=2011-01-22}} </ref>。
 
 
 
== マスコミとの確執・あがり症 ==
 
* マスコミ及びパパラッチ嫌いであり、『[[キャンディ (2006年の映画)|キャンディ]]』の撮影現場にいたパパラッチにつばを吐いたことがきっかけ(ヒース側は否定)で<ref>{{cite web|url=http://www.sfgate.com/cgi-bin/blogs/dailydish/detail?blogid=7&entry_id=2527|title=Ledger Slams Spitting Claims|date=2006年1月12日|accessdate=2008年1月23日|author=World Entertainment News Network}}</ref>、2006年1月に[[シドニー]]で行われた『ブロークバック・マウンテン』のプレミアのレッドカーペットで、パパラッチに水鉄砲で水をかけられた<ref>{{cite web|url=http://www.smh.com.au/articles/2006/01/14/1137118993564.html|title=Sprayed Heath flies out|date=2006年1月14日|accessdate=2008年1月23日|author=Australian Associated Press}}</ref>。
 
 
 
* 『パトリオット』の最初のオーディションは、前作の出演から期間が空いていたこともあり、完全にしどろもどろになって失敗してしまった。レジャーは2001年に、「僕は本当にオーディションがダメなんだ」「ほんとに、本当にダメなんだよ。ひとに判断されるっていうのが。すごく意識しすぎてダメになってしまう。リラックスできなくて、ガチガチになる。声も緊張して固くなる。演技してるってことを意識しすぎてしまうんだ。なにしろ目の前に座っている女性が、『撃タレタクナカッタラ、言ウコトヲ聞ケ』とかなんとか、紙に書いてある台詞を棒読みで読み上げるんだから。すごくやりにくいよ! 本当にいやなんだ」と語っている<ref>{{Cite book|和書|author=クリス・ロバーツ|translator=上原裕美子|year=2010|title=ヒース・レジャー追悼写真集|publisher=ブルース・インターアクションズ|pages=p. 35|isbn=4860203852|}}</ref>。幸いキャスティング担当者が彼に女性ファンが多いことを知っていて、監督を説得して再挑戦させた。二度目のオーディションのときには、のちに『ブロークバック・マウンテン』で共演することになる[[ジェイク・ジレンホール]]も参加していた。このときのオーディションでは見事に勝ち進んで、最後は[[ライアン・フィリップ]]との対決を制して役を手に入れた。
 
 
 
* 第12回[[全米映画俳優組合賞]](2005年度)で、ヒース・レジャーは、アンサンブル演技賞にノミネートされていた『ブロークバック・マウンテン』の紹介のために、ジェイク・ジレンホールと舞台に上がった。このとき、彼は緊張のあまり手に腰を当て、落ち着きなく、ときに意味のないくすくす笑いを発するなど挙動不審な行動を行った。この様子を『[[ロサンゼルス・タイムズ]]』紙が「明らかにゲイの人たちをからかっていた」と報道した<ref name=Snead1>{{cite news|author=Elizabeth Snead|title=Ledger's Strange SAG Behavior |url=http://latimesblogs.latimes.com/thedishrag/2006/01/ledgers-strange.html|work=The Dish Rag ([[Blog]])|publisher=[[ロサンゼルス・タイムズ]]  |accessdate=2008-01-23 |date=2006-01-30}}</ref>。この報道に慌てたレジャーは直接新聞社に電話して、自分の「[[あがり症]](stage fright)」について告白した。そして「自分はたくさんの人を前にすると緊張するんだ」「自分の神経質さに対して大変申し訳なく、謝罪したい気持ちです。もし自分のあがり症のせいで、この映画や映画のテーマ、またこの映画の製作にたずさわった人たちを侮辱したと誤解されたのなら、それは本当に恐ろしいことです」と弁解した。また、腰に手を当てていたことも「子供の頃からのクセなんだ。母親に聞いてもらってもいい。たぶん緊張してそんなことをするんだと思う。自分はひどく落ち着きのない人間で、たえず動き回っていて、じっと座ったり立ったりしていることができないんだ」と語った<ref name=Snead2>{{cite news|author=Elizabeth Snead |title=Heath Explains His SAG Giggles|url=http://latimesblogs.latimes.com/thedishrag/2006/02/heath-explains-.html |work=The Dish Rag ([[Blog]])|publisher=[[ロサンゼルス・タイムズ]] |date=2006-02-03|accessdate=2008-01-23}}</ref><ref name=damagecontrol>{{cite news|title=Ledger in Damage Control |url=http://www.theage.com.au/news/film/ledger-in-damage-control/2006/02/12/1139679468944.html |work=The Age|publisher=theage.com|date=2006-02-12 |accessdate=2007-08-17 | location=Melbourne}}</ref>。
 
 
 
* トーク番組やバラエティショーに出るのも苦手としていた。人気トーク番組『[[レイト・ショー・ウィズ・デイヴィッド・レターマン]]』に出演したとき、本人いわく「『ヘイ!ジョークを思いついたよ!』なんて言わずに、ただそこにくそまじめに座って緊張して、ごく普通の人間みたいにしていたら、退屈で気の利かないやつって書かれたよ」とのこと<ref>{{Cite journal|author=[[:en:David Lipsky|Lipsky, David]]|Heath Ledger's Lonesome Trail|journal=[[ローリング・ストーン]]|issue=996|year=2006|month=March|publisher=Rolling Stone|pages=p. 49}}</ref><ref name="Lipsky"/>。
 
 
 
== 逸話 ==
 
* 『パトリオット』で共演した[[メル・ギブソン]]とは親交があったものの、『ブロークバック・マウンテン』の出演を機にレジャーとの関係が疎遠になった。ギブソンはレジャーにゲイの役を演じないように忠告したが、彼がこの忠告を無視して『ブロークバック・マウンテン』への出演を決めたため、両者の関係は冷めてしまったという。ギブソンは超伝統主義カトリック教徒として知られ、道徳的にも極めて保守的な信条の持ち主であったため、レジャーが同性愛者の役柄を演じるのは受け入れがたかったと見られる<ref>{{cite news|title=Heath Ledger's role in 'Brokeback Mountain' miffed Mel Gibson|url=http://www.nydailynews.com/gossip/2008/01/25/2008-01-25_heath_ledgers_role_in_brokeback_mountain.html|publisher=NYDailyNews.com|date=2008-01-24|accessdate=2011-02-02}}</ref><ref>{{cite news|title=Report: Mel Gibson Distanced Himself From Heath Ledger After 'Brokeback Mountain'|url=http://www.foxnews.com/story/0,2933,325567,00.html|publisher=[[FOXニュース]]|date=2008-01-25|accessdate =2011-02-02}}</ref>。
 
 
 
* ギブソンの代表作『[[マッドマックス]]』シリーズの[[マッドマックス 怒りのデス・ロード|4作目]]の制作企画が2001年~2003年頃にあった時、『パトリオット』以来の共演の可能性があった。ギブソンが演じた主人公マックスのDNAを受け継ぐ「息子」としての新しいマックス役で、ギブソン演じるマックスが過去のフラッシュバックで登場する形で共演するとされていた。また2014年に[[ジョージ・ミラー (プロデューサー)|ジョージ・ミラー]]監督はレジャーをキャスティングしようとしていた事を認めている。
 
 
 
* 『[[Dr.パルナサスの鏡]]』の出演オファーを1度は断るも、その後、自分から直接テリー・ギリアム監督のもとに出向いて前言を撤回。「[[ケータリング]]係でもいいから参加させてほしい」と頼んだ。
 
 
 
== 主な出演作品 ==
 
=== 映画 ===
 
<!--日本での公開順、未公開・ドラマなどは制作国に準じる。賞歴は主なものだけに。-->
 
{| class="wikitable"
 
|-
 
! 公開年 !! 邦題 <br> 原題 !! 役名 !! 備考
 
|-
 
| style="text-align: center;"| 1992 || ''Clowning Around'' || オーファン・クラウン || 日本未公開・クレジット表記なし
 
|-
 
| style="text-align: center;" rowspan="2"| 1997 || [[ブラックロック (映画)|ブラックロック]]<br />''Blackrock'' || トビー || 日本未公開
 
|-
 
| [[ポーズ! おしゃべりパソコン犬危機一髪!]]<br />''Paws'' || [[オーベロン|オベロン]] || 日本未公開
 
|-
 
| style="text-align: center;" rowspan="2" | 1999 || [[トゥー・ハンズ 銃弾のY字路]]<br />''Two Hands'' || ジミー || 日本未公開<br />[[オーストラリア映画協会賞]]主演男優賞ノミネート
 
|-
 
| [[恋のからさわぎ]]<br />''10 Things I Hate About You'' || パトリック・ヴェローナ ||
 
|-
 
| style="text-align: center;"| 2000 || [[パトリオット (2000年の映画)|パトリオット]]<br />''The Patriot'' || ガブリエル・マーティン || 
 
|-
 
| style="text-align: center;" rowspan="2" | 2001 || [[チョコレート (映画)|チョコレート]]<br />''Monster's Ball'' || ソニー・グロトウスキ || 
 
|-
 
| [[ROCK YOU!]]<br />''A Knight's Tale'' || ウィリアム・サッチャー卿 || 
 
|-
 
| style="text-align: center;"| 2002 || [[サハラに舞う羽根]]<br />''The Four Feathers'' || ハリー・フェバーシャム || 
 
|-
 
| style="text-align: center;" rowspan="2" | 2003 || [[悪霊喰]]<br />''The Order'' || アレックス・ベルニエ || 
 
|-
 
| [[ケリー・ザ・ギャング]]<br />''Ned Kelly'' || [[ネッド・ケリー]] || 日本未公開<br />[[オーストラリア映画協会賞]]主演男優賞ノミネート
 
|-
 
| style="text-align: center;" rowspan="4" | 2005 || [[ブラザーズ・グリム]]<br />''The Brothers Grimm'' || ジェイコブ ([[ヤーコプ・グリム]]) || 
 
|-
 
| [[ロード・オブ・ドッグタウン]]<br />''Lords of Dogtown'' || スキップ・イングロム || 
 
|-
 
| [[ブロークバック・マウンテン]]<br />''Brokeback Mountain'' || イニス・デル・マー || [[MTVムービー・アワード]]・ベストキス賞(ジェイク・ジレンホールと共同受賞)<br />[[オーストラリア映画協会賞]]主演男優賞受賞<br />[[オーストラリア映画協会賞]] Reader's Choice Award for Best Actor 受賞 <br />サンタバーバラ国際映画祭 Performance of the Year Award 受賞<br />[[:en:San Francisco Film Critics Circle Awards|サンフランシスコ映画批評協会賞]]主演男優賞受賞 <br />[[ニューヨーク映画批評家協会賞]][[ニューヨーク映画批評家協会賞 主演男優賞|主演男優賞]]受賞<br />[[フェニックス映画批評家協会]]主演男優賞受賞<br />[[ラスベガス映画批評家協会]]主演男優賞受賞<br />[[アカデミー主演男優賞]]ノミネート<br />[[英国アカデミー賞 主演男優賞]]ノミネート<br />[[ゴールデングローブ賞 主演男優賞 (ドラマ部門)|ゴールデングローブ賞 主演男優賞(ドラマ部門)]]ノミネート
 
|-
 
| [[カサノバ (2005年の映画)|カサノバ]]<br />''Casanova'' || [[ジャコモ・カサノヴァ]] || 
 
|-
 
| style="text-align: center;"| 2006 || [[キャンディ (2006年の映画)|キャンディ]]<br />''Candy'' || ダン || [[オーストラリア映画協会賞]]主演男優賞ノミネート
 
|-
 
| style="text-align: center;"| 2007 || [[アイム・ノット・ゼア]]<br />''I'm Not There'' || ロビー・クラーク ([[ボブ・ディラン]]) || 
 
|-
 
| style="text-align: center;"| 2008 || [[ダークナイト]]<br />''The Dark Knight'' || [[ジョーカー (バットマン)|ジョーカー]] || [[アカデミー助演男優賞]]受賞<br />[[オーストラリア映画協会賞]]主演男優賞受賞<br />[[ゴールデングローブ賞 助演男優賞]]受賞<br />[[英国アカデミー賞 助演男優賞]]受賞<br />[[ロサンゼルス映画批評家協会賞]][[ロサンゼルス映画批評家協会賞 助演男優賞|助演男優賞]]受賞
 
|-
 
| style="text-align: center;"| 2009 || [[Dr.パルナサスの鏡]]<br />''The Imaginarium of Doctor Parnassus'' || トニー || 遺作 
 
|-
 
|2017
 
|I AM ヒース・レジャー<br />''I Am Heath Ledger'' || 本人 || ドキュメンタリー(日本未公開・[[スターチャンネル]]で放送)
 
|}
 
 
 
=== テレビ ===
 
<!--日本での公開順、未公開・ドラマなどは制作国に準じる。賞歴は主なものだけに。-->
 
{| class="wikitable"
 
|-
 
! 放送年 !! 邦題 <br> 原題 !! 役名 !! 備考
 
|-
 
| style="text-align: center;"| 1993 || ''[[:en:Ship to Shore (TV series)|Ship to Shore]]'' || 自転車乗り ||
 
|-
 
| style="text-align: center;"| 1996 || ''[[:en:Sweat (TV series)|Sweat]]'' || スノーウィー・ボールズ || 初のレギュラー出演。ゲイの自転車乗り役
 
|-
 
| style="text-align: center;" rowspan="2" | 1997 || ''[[:en:Home and Away|Home and Away]]'' || スコット・アーウィン || ゲスト出演
 
|-
 
| ''[[:en:Roar (TV series)|Roar]]'' || コナー || 主演
 
|-
 
|}
 
 
 
== 主な受賞 ==
 
* [[アカデミー賞]] 
 
** 2008年度 [[アカデミー助演男優賞|助演男優賞]] 『[[ダークナイト]]』
 
* [[オーストラリア映画協会賞]]
 
** 2005年度 主演男優賞 (国外) 『[[ブロークバック・マウンテン]]』
 
** 2005年度 Reader's Choice Award for Best Actor 『ブロークバック・マウンテン』
 
** 2008年度 主演男優賞 (国外) 『ダークナイト』
 
* [[英国アカデミー賞]]
 
** 2008年度 [[英国アカデミー賞 助演男優賞|助演男優賞]] 『ダークナイト』
 
* [[ゴールデングローブ賞]]
 
** 2008年度 [[ゴールデングローブ賞 助演男優賞|助演男優賞]] 『ダークナイト』
 
* [[インディペンデント・スピリット賞]]
 
** 2007年度 ロバート・アルトマン賞 『[[アイム・ノット・ゼア]]』
 
* [[ロサンゼルス映画批評家協会賞]]
 
** 2008年度 [[ロサンゼルス映画批評家協会賞 助演男優賞|助演男優賞]] 『ダークナイト』
 
* [[MTVムービー・アワード]]
 
** 2005年度 ベスト・キス賞([[ジェイク・ギレンホール]]と共に) 『ブロークバック・マウンテン』
 
** 2008年度 悪役賞 『ダークナイト』
 
* [[ニューヨーク映画批評家協会賞]]
 
** 2005年度 主演男優賞 『ブロークバック・マウンテン』
 
* [[放送映画批評家協会賞]]
 
** 2008年度 助演男優賞 『ダークナイト』
 
* [[全米映画俳優組合賞]]
 
** 2008年度 助演男優賞 『ダークナイト』
 
 
 
== 関連書籍 ==
 
* ヒース・レジャー追悼写真集([[ブルース・インターアクションズ]]、2010年)
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{reflist|2}}
 
 
 
== 外部リンク ==
 
* {{allcinema name|293267|ヒース・レジャー}}
 
* {{Kinejun name|152330|ヒース・レジャー}}
 
* {{IMDb name|0005132|Heath Ledger}}
 
 
 
{{アカデミー賞助演男優賞 2001-2020}}
 
{{英国アカデミー賞助演男優賞}}
 
{{ゴールデングローブ賞 助演男優賞}}
 
{{ニューヨーク映画批評家協会賞 主演男優賞}}
 
{{ロサンゼルス映画批評家協会賞 助演男優賞}}
 
{{全米映画俳優組合賞助演男優賞}}
 
{{Normdaten}}
 
  
 +
{{テンプレート:20180815sk}}
 
{{DEFAULTSORT:れしやあ ひいす}}
 
{{DEFAULTSORT:れしやあ ひいす}}
 
[[Category:オーストラリアの男優]]
 
[[Category:オーストラリアの男優]]

2018/11/1/ (木) 23:16時点における最新版

ヒース・アンドリュー・レジャー(Heath Andrew Ledger, 1979年4月4日 - 2008年1月22日

1979年、オーストラリアのパース生まれ。10歳から子役として活動し、97年に「ブラックロック」で映画デビュー。99年の「恋のからさわぎ」(日本未公開)でハリウッドに進出。翌年公開の「パトリオット」で一躍注目を集めた。2005年の「ブロークバック・マウンテン」ではアカデミー主演男優賞にノミネートされたほか、多くの映画賞を受賞した。今回の受賞作「ダークナイト」では、その鬼気迫る演技が公開前から話題となっていたが、撮影終了直後の08年1月22日、処方薬の過剰摂取により28歳で急逝した。レジャーさんはこの作品で、イギリスアカデミー賞、ゴールデングローブ賞などでも助演男優賞を受賞している。故人のアカデミー賞受賞は、1977年に「ネットワーク」で主演男優賞を受賞したピーター・フィンチに次いで史上2人目。



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