ヘンリー・ペラム=クリントン (第5代ニューカッスル公爵)

提供: miniwiki
2018/8/19/ (日) 20:54時点におけるAdmin (トーク | 投稿記録)による版 (1版 をインポートしました)
移動先:案内検索

第5代ニューカッスル=アンダー=ライン公爵ヘンリー・ペラム・ファインズ・ペラム=クリントン英語: Henry Pelham Fiennes Pelham-Clinton, 5th Duke of Newcastle-under-Lyne, KG, PC1811年5月22日 - 1864年10月18日)は、イギリス政治家貴族

ヴィクトリア朝前期から中期にかけて、保守党ピール派自由党と党派を移しながら閣僚職を歴任した。

1851年に爵位を継承する前までリンカン伯爵(Earl of Lincoln)の儀礼称号を使用した。

経歴

第4代ニューカッスル=アンダー=ライン公爵ヘンリー・ペラム=クリントンとその妻ジョージナ(旧姓マンディ)の長男として生まれる[1]

イートン校を経てオックスフォード大学クライスト・チャーチで学ぶ[1]ウィリアム・グラッドストンとはオックスフォード大学で学友だった。グラッドストンが学内の討論クラブで行った演説に共感し、父ニューカッスル公に頼み込んでニューカッスル公の強い影響下にあるニューアーク選挙区English版からのグラッドストンの出馬の根回しを行った[2]

1832年から1846年にかけて父ニューカッスル公の強い影響下にある南ノッティンガムシャー選挙区English版から選出されて保守党所属の庶民院議員を務める[1]

1841年から1846年にかけて第二次ピール内閣の木材・森林長官English版を務めた[1]。1846年中にアイルランド担当大臣English版を務めた[3]

1846年の穀物法廃止をめぐる保守党の分裂では自由貿易派のピール派を支持したが、これにより保護貿易派を支持していた父ニューカッスル公から絶縁を宣告され、父の工作で南ノッティンガム選挙区において落選に追い込まれた[4]。代わってフォルカーク・バラ選挙区English版から当選する[1]

1851年1月の父の死去に伴い、第5代ニューカッスル公爵位を継承し、貴族院議員に列した[3]。父とは臨終直前に和解できた[4]

1852年12月にピール派とホイッグ党の連立政権アバディーン伯爵内閣が発足すると、ピール派からの閣僚の一人として陸軍・植民地大臣に就任した[5]クリミア戦争で対ロシア参戦するか否かをめぐる論争では、ピール派としては珍しく参戦派に属した(アバディーン伯爵やグラッドストンなどピール派閣僚は対ロシア開戦に慎重派だったのに対し、パーマストン子爵ジョン・ラッセル卿などホイッグ党閣僚は参戦派だった)。この論争は最終的にニューカッスル公ら参戦派が制した[6]

しかしクリミア戦争の泥沼化により彼の陸軍大臣としての戦争指導は批判にさらされた[7]。そのため神経過敏となり、1855年1月にアバディーン伯爵が首相職を辞すると、内閣を離れる決意を固めた。アバディーン伯爵に代わってパーマストン子爵がヴィクトリア女王より組閣の大命を受けたが、この際に女王はアバディーン伯爵とニューカッスル公爵を内閣から外すようパーマストン子爵に命じている[7]。アバディーン伯爵とニューカッスル公爵自身も戦争指導の失敗に責任を感じており、後継内閣の問題に直接関わろうとしなかった[8]

ピール派の長老政治家サー・ジェームズ・グラハム準男爵が病気で第一線を退くと、グラッドストンやシドニー・ハーバートとともに同派の指導的存在となった[9]

1859年にはホイッグ党とピール派が合同して自由党が結成され、自由党政権の第二次パーマストン子爵内閣が成立。ニューカッスル公は同内閣に植民地大臣English版として入閣したが、体調を悪化させて1864年4月に辞職[10]

同年10月18日に死去した[1]

栄典

爵位

勲章

名誉職その他

家族

1832年にスーザン・ハミルトン(第10代ハミルトン公爵アレクサンダー・ハミルトンの娘)と結婚し、彼女との間に以下の5子を儲けた。

脚注

注釈

出典

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 1.7 1.8 1.9 Lundy, Darryl. “Henry Pelham Pelham-Clinton, 5th Duke of Newcastle-under-Lyme” (英語). thepeerage.com. . 2014閲覧.
  2. 神川(2011) p.41/46
  3. 3.0 3.1 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「hansard」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
  4. 4.0 4.1 ブレイク(1993) p.274
  5. バトラー(1980) p.17
  6. バトラー(1980) p.23
  7. 7.0 7.1 バトラー(1980) p.25
  8. 君塚(1999) p.138
  9. 君塚(1999) p.152
  10. 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「秦(2001)510」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません

参考文献

外部リンク

公職
先代:
ダンカノン子爵
木材・森林長官English版
1841年1846年
次代:
第2代カニング子爵
先代:
サー・トマス・フレマントル准男爵English版
アイルランド担当大臣English版
1846年
次代:
ヘンリー・ラボシェールEnglish版
先代:
サー・ジョン・パッキングトン准男爵English版
陸軍・植民地大臣
1852年–1854年
次代:
彼自身
陸軍大臣English版
次代:
サー・ジョージ・グレイ准男爵
植民地大臣English版
先代:
彼自身
陸軍・植民地大臣
陸軍大臣English版
1854年1855年
次代:
第2代パンミューア男爵
先代:
シドニー・ハーバート
戦時大臣English版
1854年1855年
先代:
サー・エドワード・ブルワー=リットン准男爵
植民地大臣English版
1859年1864年
次代:
エドワード・カードウェル
無効なパラメータ
新設 南ノッティンガムシャー選挙区English版選出庶民院議員
1832年English版1846年
次代:
トマス・ソーントン・ヒルドヤードEnglish版
先代:
ウィリアム・ベアードEnglish版
フォルカーク・バラ選挙区English版選出庶民院議員
1846年1851年
次代:
ジェームズ・ベアードEnglish版
名誉職
先代:
第8代スカボロー伯爵English版
ノッティンガムシャー知事English版
1857年1864年
次代:
初代ベルパー男爵English版
先代:
王配アルバート
スズ鉱山長官English版
1862年 - 1864年
次代:
初代ポートマン男爵English版
グレートブリテンの爵位
先代:
ヘンリー・ペラム=クリントン
第5代ニューカッスル・アンダー・ライン公爵
1851年1864年
次代:
ヘンリー・ペラム=クリントンEnglish版