ポツダム宣言

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Potsdam Declaration

1945年7月 26日にベルリン郊外のポツダムで発表された日本の戦争終結条件を示したアメリカ,イギリス,中国3ヵ国首脳の宣言。これはポツダム会談の結果,アメリカ,イギリス両国の合意ができ,それに同会談に参加しなかった中国も同意して発表されたもので,同会談参加のソ連はまだ日本と中立関係にあったためにこの宣言には加わらなかった。

ただしソ連は同年8月8日の対日宣戦布告の際,ポツダム宣言にも加わった。宣言は 13項から成り,そのおもな要求項目は,軍国主義者の権力と勢力の永久除去 (6項) ,日本の新秩序建設までの連合国による日本の諸地点の占領 (7項) ,カイロ宣言の履行,日本主権の本州,北海道,九州,四国,および連合国決定の諸小島への局限 (8項) ,日本軍隊の完全な武装解除 (9項) ,戦争犯罪人の厳罰,民主主義復活に対する障害の除去,基本的人権の尊重 (10項) ,日本経済の支持と実物賠償取立てのため産業を維持することの許可,ただし再軍備のための産業は禁止され,将来の世界貿易関係への参加の許容 (11項) ,前記諸目的達成後の占領軍の撤収 (12項) ,即時無条件降伏の要求 (13項) ,であった。しかし日本はすぐには回答せず,7月 28日に鈴木貫太郎首相は「宣言を黙殺する」と発表した。しかし8月6日広島,9日長崎へ原爆が投下され,その間同8日にソ連が対日宣戦を布告するに及び,ついに日本は 10日留保付きで宣言の受諾を申入れ,14日に無条件降伏を通告し,第2次世界大戦は終結した。