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− | {{Infobox 哲学者
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− | | region = [[西洋哲学]]
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− | | era = [[19世紀の哲学]]
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− | | image_name = Max_stirner.jpg
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− | | image_size = 200px
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− | | image_caption = シュティルナーの人物スケッチ([[フリードリヒ・エンゲルス|エンゲルス]]画)<br />このスケッチは、過去から現在を通じシュティルナーの風貌を知ることのできるほとんど唯一ともいえる資料である。しかしこれはエンゲルスが約50年前の記憶を頼りに描いたものであり、実際のシュティルナーの風貌と似ているかどうかは疑わしい。
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− | | name = マックス・シュティルナー<br />Max Stirner
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− | | birth_date = {{生年月日と年齢|1806|10|25|no}}
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− | | birth_place = {{BAY}}・[[バイロイト]]
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− | | death_date = {{死亡年月日と没年齢|1806|10|25|1856|6|26}}
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− | | death_place = {{DEU1815}}・{{PRU1803}}・[[ベルリン]]
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− | | school_tradition = [[青年ヘーゲル派]]([[ヘーゲル学派]]急進派)、[[実存主義]]、[[無神論]]、[[ニヒリズム]]、[[利己主義|エゴイズム]]
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− | | main_interests = [[倫理学]]、[[政治哲学]]、[[存在論]]、{{仮リンク|プロパティ (哲学)|en|Property (philosophy)}}、[[:en:Value theory|価値理論]]
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− | | notable_ideas = ラディカル・エゴイズム、唯一者(Der Einzige)、所有、[[w:Union of egoists|エゴイストの連合]]
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− | | influences = [[ドイツ観念論]]、[[ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル]]、[[ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ]]、[[ルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハ]]、[[ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ]]、[[ブルーノ・バウアー]]、[[イマヌエル・カント]]、[[アダム・スミス]]、[[ジャン=バティスト・セイ]]など
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− | | influenced = [[:en:Julius Evola|Julius Evola]]、[[:en:Enrico Arrigoni|Enrico Arrigoni]]、[[:en:Steven T. Byington|Steven T. Byington]]、[[フリードリヒ・エンゲルス]]、[[カール・マルクス]]、[[:en:Saul Newman|Saul Newman]]、[[フリードリヒ・ニーチェ]]、[[:en:Benjamin Tucker|Benjamin Tucker]]、[[:en:John Henry Mackay|John Henry Mackay]]、[[エルンスト・ユンガー]]、[[ルドルフ・シュタイナー]]、[[:en:Émile Armand|Émile Armand]]、[[アルベール・カミュ]]、[[カール・シュミット]]、[[:en:Renzo Novatore|Renzo Novatore]]、[[:en:Adolf Brand|Adolf Brand]]、[[エマ・ゴールドマン]]、[[:en:Bob Black|Bob Black]]、[[:en:Miguel Giménez Igualada|Miguel Giménez Igualada]]、[[:en:Wolfi Landstreicher|Wolfi Landstreicher]]、[[ハーバート・リード]]、[[ロバート・アントン・ウィルソン]]、[[ヴィルヘルム・ライヒ]]、[[:en:Gustav Landauer|Gustav Landauer]]、[[:en:Max Adler (Marxist)|Max Adler]]、[[:en:Otto Gross|Otto Gross]]など
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− | }}
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− | [[Image:Skiz-hegel.png|thumb|ヘーゲル左派のメンバー・ルーゲやエトガー・バウアー・シュティルナーらがかかれている。([[フリードリヒ・エンゲルス|エンゲルス]]風刺画)]]
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− | [[画像:Y-Stirner.png|thumb|([[フリードリヒ・エンゲルス|エンゲルス]]画) 1842年]]
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− | {{アナキズム}}
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− | {{リバタリアニズムのサイドバー}}
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− | '''マックス・シュティルナー'''('''Max Stirner''', [[1806年]][[10月25日]] - [[1856年]][[6月26日]])は、[[ドイツ]]の[[哲学者]]。[[青年ヘーゲル派]]の代表的な哲学者の一人とされる。マックス・シュティルナーという名前は、[[ペンネーム]](筆名)であり、本名は'''ヨハン・カスパー・シュミット'''(Johann Kaspar Schmidt)である。シュティルナーの名は、彼の身体的特徴である突起している「[[額|おでこ]]」(Stirn)を基に高校時代につけられた[[愛称|ニックネーム]]に由来する。なお日本語では「スチルネル」や「スティルネル」と表記されることもある。
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− | ==概要==
| + | '''マックス・シュティルナー'''('''Max Stirner''', [[1806年]][[10月25日]] - [[1856年]][[6月26日]]) |
− | [[ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ]]と[[ルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハ]]の[[哲学]]に影響され、極端な[[利己主義|エゴイズム]]を軸とする[[哲学]]を展開。いかなる人間的共通性にも解消出来ない交換不可能な自己の[[自我]]以外の一切のものを空虚な概念として退け、その自己が、自らの有する[[力]]によって[[所有]]し、[[消費]]するものだけに価値の存在を認める徹底した[[利己主義|エゴイズム]]という彼の[[思想]]は、青年ヘーゲル派のメンバーに大きな影響を与えると同時に批判にもさらされた。 | |
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− | しかしながら、彼のエゴイズムは単なる浅薄な利己主義ではなく、個々の人間の人格の独自性と自律性を最大限に重んじる立場である。シュティルナーの思想は、強力に[[個人主義]]に見えるが、しかし、シュティルナーによって「移ろいゆく自我(das vergängliche Ich)」と称されるその「自我」にかかわる思想は、近代的な意味の個人の概念とは異質なものであり、単に近代的[[自由主義]]における「過激な[[個人主義]]」というわけではない(参考文献欄『哄笑するエゴイスト』参照)。シュティルナーは、唯一者(後述)の自由を求めているのであって、個人(国民集団を分割した最小単位としてあらわれる人間の概念)の自由は、それとは異なる。シュティルナーによれば、自由主義の想定する「国民の自由」は、シュティルナーの求める「私の自由」とは異なるのである。
| + | ドイツの哲学者。個人主義的無政府主義者。ヘーゲル左派に属す。本名 Johann Kaspar Schmidt。 1826~28年ベルリン大学で哲学を学び,ヘーゲルの影響を受けた。その後,短期間,エルランゲン,ケーニヒスベルクの各大学で学んだのち,ベルリンに戻り,女学校教師をつとめながら,シュティルナーの筆名で哲学的著述に励んだ。理性主義に反対して,主著『唯一者とその所有』 Der Einzige und sein Eigentum (1845) のなかで自我主義を徹底的に追究,唯一の現実は自我であり,自我こそが創造的虚無であるとし,唯一者とその自己所有の思想を説いた。彼の思想は無政府主義者たちに迎えられたほか,ニーチェの「超人」の思想にも影響を与えた。 20世紀実存主義の一つの源泉とみなされることもある。主著『反動の歴史』 Geschichte der Reaktion (1852) ,『小論集』 Max Stirners Kleinere Schriften (1898) 。 |
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− | シュティルナーの哲学は、シュティルナーと同様に青年ヘーゲル派に属していた[[カール・マルクス]]や[[フリードリヒ・エンゲルス]]にも多大な影響を与えており、エンゲルスは「私たちはシュティルナーの到達した地点から出発しなければならない。そしてそれをひっくり返さなければならない」と述べ、「利己主義による共産主義」というものを提起している<ref>Zwischen 18 and 25, pp. 237–238.</ref>。マルクスやエンゲルスは、主にシュティルナーの思想に見られる[[ニヒリズム]]的傾向を批判しているが(『[[ドイツ・イデオロギー]](第3篇 聖マックス)』)、今日の研究では、彼らの批判は、シュティルナーの哲学理論を理解していなかったことによることが指摘されている。『ドイツ・イデオロギー』では、シュティルナーに対する批判、反駁が強く行われていた。
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− | また、シュティルナーは[[アナキズム|アナキスト]]は自称していなかったものの、前記の徹底したエゴイズムの立場から、個人の価値を阻害する国家権力や圧力体系としてのあらゆる権力を唯一者に対して否定する。従ってシュティルナーの思想は、後続世代の個人主義的アナキズムに深い影響を与えることとなった。シュティルナーは『唯一者とその所有』において、「[[w:Union of egoists|エゴイストの連合]]」なるものの成立を提唱している。
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− | [[エドゥアルト・フォン・ハルトマン]]の無意識者の思想はもちろんのこと、自我の超克を求めていたという点からは、[[フリードリヒ・ニーチェ]]の[[超人]]の概念にも影響を与えたといえるが、ニーチェ自身がシュティルナーの思想について言及している点は確認されていない。この点に関しては[[:en:Relationship between Friedrich Nietzsche and Max Stirner|フリードリヒ・ニーチェとマックス・シュティルナーとの関係性]]の記事を参照されたい。[[実存主義]][[哲学]]の先駆者としては、[[セーレン・キェルケゴール]]とほぼ同時期に「'''唯一者({{lang-de-short|der Einzige}})'''(1844年)」としての[[自我]]を全ての思考と行動の基礎に据えようとした点が特筆されるべきである。キェルケゴールによる「'''単独者({{lang-de-short|der Einzelne}})'''」の概念は、『[[死に至る病]]』(1849年)において初めて提出されたものであった。
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− | == 生涯 ==
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− | シュティルナーは、[[バイロイト]]で[[楽器]]職人の子として生まれた。小さい頃から、[[ラテン語]]や[[フランス語]]などに親しみ、優秀であった。彼の通っていた高校が後に[[老ヘーゲル派]]を代表する学者・[[ゲオルク・アンドレアス・ガプラー]]が校長を務めていた学校である、イムホーフ高校であるのも受けて、当時[[ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル|ヘーゲル]]哲学の牙城・[[フンボルト大学ベルリン|ベルリン大学]]に進学。たちまち哲学、特にヘーゲルを中心とする[[ドイツ観念論]]の虜となるが、かねてから病気療養中の母のために、退学を余儀なくされる。
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− | その後、いくつかの大学に断続的に在籍し、教員資格を手にし、1839年から高等学校の語学と歴史の教職を手にし主著『唯一者とその所有』を書き上げる。生涯ベルリンで過ごした、同時にこのころから「フライエン("Die Freien"「自由人」の意)」と呼ばれていた青年ヘーゲル派(ヘーゲル左派)の人物を中心に、軍人・芸術家・学生などの人物らと酒場で交わり、[[自由]]や[[政治]]について語り合った。このグループは時として酒乱が高じた振る舞いもした。このグループらと交わり、[[ブルーノ・バウアー]]らと共に中心的な人物となる。このグループとの交流により、やがて[[アナキズム|無政府主義]]的な考え方が生じたといえる。他にマルクスが主宰する「[[ライン新聞]]」に「芸術と国家」「愛の国家についての試論」などを発表。[[ルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハ]]やバウアーからも一目を置かれる存在(あるいは後には論敵に)となる。シュティルナーの自由人ぶりが高じ、[[無神論]]的な奇抜な自身の結婚式を行い、夫婦で始めた商売が失敗して離縁され、それが機縁で1845年に教職を辞す羽目ともなる。
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− | 彼は翻訳などで生計を立てようとしたが、貧困に苦しみ、孤独のうちに死去した(餓死したとされている)。遺体は引き取り手がなかったため、かつての盟友ブルーノ・バウアーが引き取り、バウアーによって葬られた。主著『唯一者とその所有』は、マルクスとエンゲルスの共著『ドイツ・イデオロギー』が多くのページを割いて批判の試みをしていることからも分かるように、シュティルナーの歩んだ孤独な生涯に反して、その思想は当時の思想家たちに多くの議論を巻き起こしたといえる。
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− | ==思想==
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− | シュティルナーは、いかなる[[人間]]的共通性にも解消しえない「私」という[[自我]]を指して、それを「唯一者」と呼ぶ。「唯一者」は私を指し示す単なる[[名辞]]、[[記号]]であるに過ぎない。「唯一者」を一般的・普遍的に定義することは不可能である。なぜなら「唯一者」とは、個別的・具体的な[[自我]]であり、私が[[所有]]することができるもの、自己が[[消費]]することができるもの一切だからである。
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− | 「唯一者」はいかなる[[概念]]によっても規定することはできない。私という現実にある[[自我]]によってのみ内容と規定が生じる。そうして初めて自己は自己として生きることができるのである。彼は単なる[[独我論]]を主張していたのではない。このことは、主体的に独立した個々人による真の人間的連帯を彼が想定していたことからも明らかである。彼が個人主義的アナキズムや[[実存主義]]の先駆けと評価されているのも、彼が自らの力によって所有し、消費するものだけに価値の存在を認めたこと、そして'''自己自身、つまり[[自我]]を[[思想]]の根底に置いた'''ことが理由としてあげられる。
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− | また、彼のいう自我は、主著である『唯一者とその所有』を飾った次の言葉に現されている。<BR>
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− | '''"Ich hab' mein Sach' auf Nichts gestellt."''' 「私の事柄を、無の上に、私はすえた。」<BR>
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− | 彼はこの言葉どおり、自己を「[[無]]」、つまり誰もが迎える「[[死]]」という必然によって規定される有限なる主体であることを自覚しつつ、生きていく瞬間瞬間において常に自らが自らを定立し、新たに自己自身(自我)を創造し、被造物である自己をとどまることなく超克する(自己規定を克服する)もの、すなわち「創造的[[ニヒリズム|虚無]]」として捉えている。
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− | ==著作==
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− | 『'''唯一者とその所有'''』はシュティルナーの主著たる大著。下段『シュティルナーの批評家たち』は、『唯一者とその所有』へのヘーゲル左派哲学者たちからの[[批評]]に対する、シュティルナーからの反論である。[[ジャーナリスト]]であったシュティルナーのこの他の著書は、基本的に時事論説ばかりである。
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− | *[[片岡啓治]]訳『'''唯一者とその所有'''』(原著1844年)[[現代思潮新社]] 上巻・下巻 改版2013年。
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− | **邦訳としては本書以外に[[草間平作]]訳([[岩波文庫]]、上巻・下巻)が存在する。なお岩波版の著者名は「スティルネル」と表記されている。また、1929年(昭和4年)に平凡社・社会思想全集の第25巻にニーチェを併載として『唯一者と其所有』が訳出されている([[生田長江]]・高橋清共訳)。著者名はマクス・スティルネルと表記されている。その、訳者の序によれば[[辻潤]]による訳業がある旨記されているが、生田・高橋訳を原文(レクラム版)からの最初の直接訳としている。
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− | *星野智・滝口清栄訳『'''シュティルナーの批評家たち'''』(原著1845年)
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− | **『ヘーゲル左派論叢 第1巻 ドイツ・イデオロギー内部論争』所載 御茶の水書房 1986年。
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− | ==参考文献==
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− | *[[大杉栄]]『[http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/data/osugi02.html#09/ 唯一者 マクス・スティルナー論] 』1912年
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− | *大杉栄『[http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/data/osugi02.html#10/ 意志の教育 マクス・スティルナーの教育論]』1915年
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− | *[[西谷啓治]]『ニヒリズム』国際日本研究所 1966年
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− | *[[アルベール・カミュ]]『反抗的人間』佐藤朔・白井浩司訳 1956年
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− | **『反抗的人間』の他、『カミュの手帖』にてシュティルナーについて言及
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− | *[[ダニエル・ゲラン]]『現代のアナキズム』江口幹訳 三一新書 1966年
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− | *[[ピョートル・クロポトキン]]『近代科学とアナーキズム』
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− | **『世界の名著53 プルードン/バクーニン/クロポトキン』所載 [[猪木正道]]・[[勝田吉太郎]]編 中央公論社 1980年
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− | *ジョージ・ウドコック『アナキズム Ⅰ 思想篇』白井厚訳 紀伊國屋書店 1968年
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− | *[[カール・レーヴィット]]『キェルケゴールとニーチェ』中川秀恭訳 未來社 1969年
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− | *カール・レーヴィット『ヘーゲルからニーチェへⅡ』柴田治訳 未來社 1977年
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− | *大沢正道『個人主義 シュティルナーの思想と生涯』青土社 1988年
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− | *尾崎恭一『ヘーゲル左派/思想・運動・歴史』
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− | **『叢書/現代の社会科学 ヘーゲル左派/思想・運動・歴史』所載 石塚正英編 法政大学出版局 1992年
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− | *[[住吉雅美]]『哄笑するエゴイスト――マックス・シュティルナーの近代合理主義批判』風行社 1997年
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− | *住吉雅美『[http://ci.nii.ac.jp/search?q=マックス・シュティルナーの近代合理主義批判&count=20&sortorder=1/ マックス・シュティルナーの近代合理主義批判(1)-(10)]』国立情報科学研究所所載
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− | *滝口清栄『マックス・シュティルナーとヘーゲル左派』理想社 2009年
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− | ==出典==
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− | <references/>
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− | ==関連項目==
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− | {{節スタブ}}
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− | *[[ドイツ観念論]]
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− | *[[青年ヘーゲル派]](ヘーゲル左派)
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− | *[[アナキズム]]
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− | *[[ニヒリズム]]
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− | *[[個人主義]]
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− | *[[利己主義|エゴイズム(利己主義)]]
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− | *[[実存主義]]
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− | *[[独我論]]
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− | *[[ジョルジュ・パラント]]:徹底した個人主義の哲学者([[フランス]])
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− | *[[ハーバート・リード]]:詩人、文芸批評家、美術批評家([[イギリス]])
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− | *[[埴谷雄高]]:哲学的な長編観念小説『[[死靈]](しれい)』で知られる作家([[日本]])
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− | ==外部リンク==
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− | {{SEP|max-stirner|Max Stirner}}
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− | *[http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/faq/faqg6.html マックス・シュティルナーの思想とは何か?] [http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/ アナーキー・イン・ニッポン]
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| + | {{テンプレート:20180815sk}} |
| {{DEFAULTSORT:しゆているなあ まつくす}} | | {{DEFAULTSORT:しゆているなあ まつくす}} |
| [[Category:19世紀ドイツの哲学者]] | | [[Category:19世紀ドイツの哲学者]] |
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| [[Category:1856年没]] | | [[Category:1856年没]] |
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− | {{Academic-bio-stub}}
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− | {{philos-stub}}
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− | <!--以下独語版wikiによるWerkeの記載。近日中に加筆予定。英語版のが秀逸だが…
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− | == Werke ==
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− | * Max Stirner: ''[http://gutenberg.spiegel.de/stirner/einzige/einzige.htm Der Einzige und sein Eigentum]''. Reclam, 1981 ISBN 3-15-003057-9 (Erstausgabe 1845)
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− | * Max Stirner: ''Geschichte der Reaktion'', 2 Bände, Berlin 1852
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− | * Max Stirner: ''Parerga, Kritiken, Repliken''. Hg. Bernd A. Laska. LSR-Verlag, 1986 ISBN 3-922058-32-9
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− | * ''Kleinere Schriften und seine Entgegnungen auf die Kritik seines Werkes: 'Der Einzige und sein Eigentum'', Hg. John Henry Mackay, Berlin 1898.
| |
− | * ''[http://gutenberg.spiegel.de/stirner/texte/unwahr.htm Das unwahre Prinzip unserer Erziehung oder der Humanismus und Realismus]'' - Hg. John Henry Mackay, Charlottenburg 1911
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− | * ''[http://www.lsr-projekt.de/msrec.html Recensenten Stirners]'' - Stirners Replik auf seine Kritiker Szeliga, Feuerbach und Hess
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