マリア・シャラポワ

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テンプレート:テニス選手 マリア・ユーリエヴナ・シャラポワMaria Sharapova, ロシア語: [1], 1987年4月19日 - )は、ロシア・西シベリアに位置するチュメニ州ハンティ・マンシ自治管区ニャガン市出身の女子プロテニス選手。これまでにWTAツアーでシングルス36勝、ダブルス3勝を挙げる。自己最高世界ランキングはシングルス1位。ダブルス41位。

史上10人目の生涯グランドスラム達成者。グランドスラム優勝5回,準優勝5回。2004年WTAツアー選手権優勝。ロンドンオリンピック銀メダリスト。

プロフィール

シャラポワは華やかな容姿とプレースタイルに加えて、4大大会の女子シングルスで生涯グランドスラムを達成した実力も備える数少ない女子テニス選手の一人である。2004年のウィンブルドンで17歳にして初のグランドスラム優勝を挙げ世界的名声を得た。ベースライン・プレーヤーで、恵まれた体格を生かした強烈なサーブとストロークを武器に、打球時に叫び声をあげる強力なパワーテニスを展開する。身長188cm、体重59kg。左利きだったというが、矯正で両方使える。バックハンド・ストロークは両手打ち。

両親はベラルーシゴメリの出身。父はユーリ・シャラポフであり、ロシア語圏では男性名詞・女性名詞に苗字が分かれており、女性名詞では『シャラポワ』男性名詞では『シャラポフ』である。ベラルーシ人の両親の間で生まれたシャラポワは、ロシアで生まれたためにロシア人扱いになっている。2010年10月にNBAロサンゼルス・レイカーズに所属するサーシャ・ブヤチッチと婚約したが2012年8月に解消したことを明らかにした。

1986年に起きたチェルノブイリ原発事故の影響により、ホメリに居を構えていた両親(出生前当時、妊娠4ヶ月)がロシア・西シベリアにあるニャガンへ移住を決意し同地で出生。マリアは4歳の時からテニスを始め、6歳の頃マルチナ・ナブラチロワに才能を見出され、フロリダ州ニック・ボロテリー・テニスアカデミーへの入学を勧められる。7歳の頃父親とともに渡米したが、アカデミーの入学資格は8歳以上だった為に入学できなかった。また、高額の入学金、授業料を捻出する為に父のユーリは2年間アメリカで働き続け、シャラポワは個人コーチのもとで練習を続けた。シャラポワが9歳の時、再びアカデミーを訪れ入学テストを受けると、その類稀な才能を目にしたニック・ボロテリーにより特別奨学生としての入学を許可された。

使用ラケットはジュニア時代からプリンスだったがヘッドに契約を変更し、ウェアとシューズは一貫してナイキ。ツアー経歴を通じて日本のトーナメントと相性が良いことから、日本好きで有名である。好きな日本食はしゃぶしゃぶと抹茶アイス。2011年よりフィジカルトレーナーは日本人の中村豊が担当。

2016年、全豪オープンでのドーピング陽性を記者会見で発表[2]。ロシア代表が決まっていたリオ五輪も出場できなかったが、翌年にはトーナメントに復帰した。

選手経歴

キャリア初期

シャラポワは2001年4月19日、14歳でWTAツアーにデビューした。1年後の2002年4月21日、草津国際女子オープンテニス大会で中村藍子に 6-4, 6-1 のストレート勝ちを収め、プロ選手としてのトーナメント初優勝を果たす。シャラポワ本人も「草津でのツアー初優勝は私の原点」と常々語っているという。その後ITFのサーキット大会で、さらに2つの優勝を加えた。

2003年 初タイトル

シャラポワが世界的な知名度を獲得したのは、2003年ウィンブルドンの4回戦進出であった。ワイルドカード(主催者推薦)で出場した彼女は、3回戦で第11シードのエレナ・ドキッチ(当時セルビア・モンテネグロ国籍)を 6-4, 6-4 のストレートで圧倒した後、続く4回戦で同じロシアスベトラーナ・クズネツォワに 1-6, 6-2, 5-7 で敗れた。同年10月のジャパン・オープンにおいて、シングルスとダブルスでWTAツアー初優勝を果たす。シングルス決勝ではアニコ・カプロスハンガリー)に 2-6, 6-2, 7-6 で競り勝ち、ダブルスでもタマリネ・タナスガーンタイ)とのコンビで優勝した。

2004年 ウィンブルドン優勝

2004年、シャラポワは全仏オープンパオラ・スアレスアルゼンチン)との準々決勝に進出した後、ウィンブルドン4大大会初優勝を飾った。第13シードから勝ち上がった彼女は、決勝でセリーナ・ウィリアムズアメリカ)を 6-1, 6-4 のストレートで圧倒した。17歳2ヶ月でのウィンブルドン女子シングルス優勝は、1997年に「16歳9ヶ月」で優勝したマルチナ・ヒンギスに次ぐ大会史上2番目の年少優勝記録である。18歳未満の選手が4大大会女子シングルスを制したのも、1999年全米オープンに17歳11ヶ月で初優勝したS・ウィリアムズ以来であった。続く全米オープンでは、3回戦でマリー・ピエルスフランス)に敗退した。10月のジャパン・オープンには第1シードとして出場し、決勝でアメリカマショーナ・ワシントンマラビーヤ・ワシントンの妹)に 6-0, 6-1 のスコアで圧勝し、大会2連覇を達成した。この日(10月9日)は台風22号が関東地方を直撃したが、例年より多い約9000人の観客が来場したことから“シャラポワ効果”という言葉で表現される場合もあった。女子ツアー年間最終戦・WTAツアー選手権でも初出場で初優勝を飾り、セリーナ・ウィリアムズに 4-6, 6-2, 6-4 の逆転勝利を収めた。

2005年 世界ランキング1位

2005年は、2月に東京体育館で開催された東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメント決勝でリンゼイ・ダベンポートを破って初優勝を果たし、好調なスタートを切る。しかし、ウィンブルドンでは準決勝でビーナス・ウィリアムズに 6-7, 1-6 で敗れ、大会2連覇はならなかった。同年8月22日、ロシアの女子テニス選手として史上初の世界ランキング1位になる。

2006年 全米オープン優勝

2006年には、東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメント準決勝で実現したマルチナ・ヒンギスとの初対戦が大きな話題となり、シャラポワは当年度から現役復帰したヒンギスに 3-6, 1-6 で敗れた。この年の全米オープンで、彼女は2004年ウィンブルドン以来の4大大会決勝戦に進出し、ジュスティーヌ・エナン=アーデンベルギー)を 6-4, 6-4 で破って2冠を獲得した。

2007年 肩の怪我

2007年全豪オープンで、シャラポワは初めて決勝戦に進出したが、世界ランキング81位のノーシードから勝ち上がったセリーナ・ウィリアムズに 1-6, 2-6 で完敗し、ここでは準優勝に終わった。この後全仏オープンで初の準決勝に進出し、アナ・イバノビッチセルビア)に 2-6, 1-6 で敗れた。また、全米オープンでは3回戦でアグニエシュカ・ラドワンスカポーランド)に不覚を取り、あっさりと大会連覇を逃してしまう。ツアー年間最終戦のWTAツアー選手権では、3年ぶり2度目の決勝戦でジュスティーヌ・エナンに 7-5, 5-7, 3-6 で敗れた。

2008年 全豪オープン優勝 再び肩の怪我

2008年全豪オープンで、シャラポワは2年連続2度目の決勝でアナ・イバノビッチを 7-5, 6-3 のストレートで破り、初優勝を飾った。本大会ではリンゼイ・ダベンポートエレーナ・デメンチェワジュスティーヌ・エナンエレナ・ヤンコビッチの強豪を圧倒し、全試合ストレート勝ちで優勝を決めた。これでシャラポワの4大大会優勝も3勝目となり、あとは全仏オープンを残すのみとなる。しかし、2008年はふくらはぎや右肩など多くの故障に悩まされた年でもあった。5月14日にエナンが世界1位のままで現役引退を表明したことから、翌週にシャラポワが世界1位に返り咲いたものの、全仏オープンは4回戦敗退に終わり、ウィンブルドンにいたっては2回戦で姿を消してしまう。7月末のロジャーズ・カップ3回戦敗退の後、彼女は長期間の戦線離脱を余儀なくされ、北京五輪への出場も断念した。

2009-10年 肩の手術と復帰

2009年3月前半のBNPパリバ・オープンで、シャラポワはエレーナ・ベスニナ(同じロシアの選手)とのダブルス戦に出場し、8ヶ月ぶりにツアー大会へ復帰した。1年ぶりの4大大会出場となった全仏オープンでは、2年ぶりの準々決勝でドミニカ・チブルコバスロバキア)に 0-6, 2-6 のストレートで完敗した。

2009年10月3日、シャラポワは東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメントのシングルス決勝で第7シードのエレナ・ヤンコビッチセルビア)と対戦する。第1セット途中(5-2)にヤンコビッチが棄権したため、シャラポワは2005年以来4年ぶり2度目の優勝を果たした。前年優勝者として出場した2010年の大会では主催者推薦出場のクルム伊達公子に 5-7, 6-3, 3-6 で敗れ初戦で敗退している。

2011年 再び世界10位入り

2011年5月のBNLイタリア国際でシャラポワは決勝でサマンサ・ストーサーオーストラリア)を 6–2, 6–4 で破り約1年ぶりのツアー23勝目を挙げた。全仏オープンでは4年ぶりのベスト4に進出したが準決勝で優勝した李娜中国)に 4-6, 5-7 で敗れ全仏初の決勝進出を逃した。ウィンブルドンでは決勝に進出したが、ペトラ・クビトバチェコ)に 3–6, 4–6 で敗れ7年ぶりの優勝はならなかった。

2012年 キャリアグランドスラム達成 世界ランキング1位復帰

2012年全豪オープンでも決勝に進出したが、ビクトリア・アザレンカベラルーシ)に 3–6, 0–6 で敗れ4年ぶりの優勝を逃した。全仏オープンでも決勝に進出しサラ・エラニイタリア)を 6-3, 6-2 で破り史上10人目のキャリアグランドスラムを達成した。大会後のランキングでは4年ぶりに1位に返り咲いた。7月のロンドン五輪で五輪に初出場し、開会式ではロシア選手団の旗手を務めた。シングルスでは準決勝で同じロシアのマリア・キリレンコを 6-2, 6-3 で破って決勝に進出した。決勝ではセリーナ・ウィリアムズに 0-6, 1-6 で完敗したが初めての五輪で銀メダルを獲得した。

2013-15年

2013年5月マドリード・オープン準決勝にて通算500勝達成。[3]2013年全仏は2年連続決勝進出。セリーナ・ウィリアムズに敗れ準優勝となる。

2014年マドリード・オープンで優勝。第7シードで出場した2014年全仏オープンにて3年連続で決勝進出。決勝でシモナ・ハレプを破り優勝。全仏は2年ぶり2度目の優勝でグランドスラム通算5個目のタイトルとなる。チャイナ・オープンで優勝。

2015年全豪オープンにて3年ぶり4度目となる決勝進出。決勝でセリーナ・ウィリアムズに敗れる。BNLイタリア国際で2年ぶりの優勝。前回優勝の全仏オープンではルーシー・サファロバに敗れ4回戦敗退。全仏でベスト8に上がれなかったのは2010年以来5年ぶり。

2015年12月に開催されるコカ・コーラIPTLではジャパン・ウォリアーズの一員として参戦が決定している。

2016年 ドーピング問題

1月に行われた全豪オープン期間中の検査で、世界アンチ・ドーピング機構(WADA)が2016年から禁止薬物に指定したメルドニウムの陽性反応が出ていた。シャラポワは3月7日に記者会見を開き自ら事実を公表し、すべて自身に責任があり国際テニス連盟(ITF)から長期に渡る出場停止処分が下される可能性がある、と語った。[4]

「とんでもない過ちを犯してしまいました。このような形で4歳のころから愛し続けているテニスのキャリアを終えたくはない。機会が与えられるのであれば……もう一度、試合の場に戻ってきたいんです。」と引退への気持ちはないことを明かした[5]

競技での収入を遥かに上回るスポンサー収入も、ナイキ、ポルシェ、タグ・ホイヤーなど大手が契約を停止した[6]が、シャラポワにとっては比較的新しいスポンサーであったラケットのヘッドは「彼女が見せた、自身の過失を公表し、認めたことへの誠実さと勇気は称賛に値する。マリアは過ちを犯してしまったかもしれないが、我々は彼女との契約を継続する。」とコメントした[7]

6月8日国際テニス連盟(ITF)がシャラポワに対して「2016年1月26日に遡ってドーピング違反により『2年間の選手資格停止処分』を科した」ことを発表した[8][9]。この処分決定によりシャラポワは全豪オープン女子シングルスベスト8の成績と2016年WTAツアーランキングポイントが無効となり、賞金の返還も求められる。またシャラポワはリオデジャネイロオリンピックテニス競技ロシア代表に選出されていたが、これによりオリンピックへの出場資格も失った[9]。今回のITFの処分について、シャラポワ側は「2年間の資格停止は重すぎて受け入れることは出来ない」としてスポーツ仲裁裁判所(CAS)に提訴[9][10]、10月4日に資格停止期間を9ヵ月短縮して15ヵ月とする裁定が下された[11]

2017年 ツアー復帰

出場停止処分が明けた直後の4月、ポルシェ・テニス・グランプリでワイルドカードを得てツアー復帰。10月の天津オープンで復帰後の初優勝となるツアー通算36勝目を挙げる[12]

他の活動

シャラポワはテニス選手のみならず、ファッションモデルとしても多方面の活動を繰り広げており、女子スポーツ選手としては世界トップの収入を誇る(スポーツ選手長者番付)。

2007年2月14日、シャラポワは国際連合開発計画親善大使に就任し、チェルノブイリ原発事故後遺症に苦しむ祖国ロシア・ベラルーシウクライナの8つの若者支援プロジェクトに自身の基金から10万ドルを寄付すると発表した。

2011年の東レ・パンパシフィック・オープンでは、東日本大震災で被災した福島県の中高生を招き、激励している。

2017年5月、ESPN世界で最も有名なアスリート100人を発表し、シャラポワは23位に選出された。女性アスリートとしてはロンダ・ラウジーセリーナ・ウィリアムズに次ぐ3位[13]

プレースタイル

強く深く角度のあるフォアハンドとバックハンドを持つアグレッシブベースライナー[14]。WTAでは珍しくリバースフォハンドをよく使う。長身を活かしたボレーも強力[15]

フラット系のショットをストロークのベースとしており、感覚をつかむまでは不安定だが、入りだすと相手にとって驚異。カウンターショットを最大の持ち味としており、少々打点が遅れても、そこから切り返してより攻撃的なショットが打て、 また一見でたらめなフォームに思えるときでも、きっちりコースをついて切り返してくる[16]

フォアハンドは、ボールの引きつけが良いという特徴がある。しっかりボールを引きつけて、まともに正面からとらえるため、かなり厚い当たりで打つことができる。得意な打点が後ろめにあるため、追いこまれても他の選手より思いきって叩ける。それを活かしたランニングショットでのカウンターを得意とする[17]

WTAツアー決勝進出結果

シングルス: 59回 (36勝23敗)

結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
優勝 1. 2003年9月28日 日本の旗 東京 ハード ハンガリーの旗 アニコ・カプロス 2–6, 6–2, 7–6(5)
優勝 2. 2003年10月27日 カナダの旗 ケベックシティ ハード (室内) ベネズエラの旗 ミラグロス・セケラ 6–2 途中棄権
優勝 3. 2004年6月7日 イギリスの旗 バーミンガム フランスの旗 タチアナ・ゴロビン 4–6, 6–2, 6–1
優勝 4. 2004年6月21日 イギリスの旗 ウィンブルドン アメリカ合衆国の旗 セリーナ・ウィリアムズ 6–1, 6–4
優勝 5. 2004年9月27日 大韓民国の旗 ソウル ハード ポーランドの旗 マルタ・ドマホフスカ 6–1, 6–1
優勝 6. 2004年10月9日 日本の旗 東京 ハード アメリカ合衆国の旗 マショーナ・ワシントン 6–0, 6–1
準優勝 1. 2004年10月24日 スイスの旗 チューリッヒ ハード (室内) オーストラリアの旗 アリシア・モリク 6–4, 2–6, 3–6
優勝 7. 2004年11月8日 アメリカ合衆国の旗 ロサンゼルス ハード (室内) アメリカ合衆国の旗 セリーナ・ウィリアムズ 4–6, 6–2, 6–4
優勝 8. 2005年2月6日 日本の旗 東京 カーペット (室内) アメリカ合衆国の旗 リンゼイ・ダベンポート 6–1, 3–6, 7–6(5)
優勝 9. 2005年2月21日 カタールの旗 ドーハ ハード オーストラリアの旗 アリシア・モリク 4–6, 6–1, 6–4
準優勝 2. 2005年3月3日 アメリカ合衆国の旗 マイアミ ハード ベルギーの旗 キム・クライシュテルス 3–6, 5–7
優勝 10. 2005年6月6日 イギリスの旗 バーミンガム [[ファイル:テンプレート:Country flag alias SCG|border|25x20px|テンプレート:Country alias SCGの旗]] エレナ・ヤンコビッチ 6–2, 4–6, 6–1
準優勝 3. 2006年2月26日 アラブ首長国連邦の旗 ドバイ ハード ベルギーの旗 ジュスティーヌ・エナン=アーデン 5–7, 2–6
優勝 11. 2006年3月18日 アメリカ合衆国の旗 インディアンウェルズ ハード ロシアの旗 エレーナ・デメンチェワ 6–1, 6–2
準優勝 4. 2006年4月2日 アメリカ合衆国の旗 マイアミ ハード ロシアの旗 スベトラーナ・クズネツォワ 4–6, 3–6
優勝 12. 2006年8月6日 アメリカ合衆国の旗 サンディエゴ ハード ベルギーの旗 キム・クライシュテルス 7–5, 7–5
優勝 13. 2006年9月9日 アメリカ合衆国の旗 全米オープン ハード ベルギーの旗 ジュスティーヌ・エナン=アーデン 6–4, 6–4
優勝 14. 2006年10月22日 スイスの旗 チューリッヒ ハード (室内) スロバキアの旗 ダニエラ・ハンチュコバ 6–1, 4–6, 6–3
優勝 15. 2006年10月29日 オーストリアの旗 リンツ ハード (室内) ロシアの旗 ナディア・ペトロワ 7–5, 6–2
準優勝 5. 2007年1月29日 オーストラリアの旗 全豪オープン ハード アメリカ合衆国の旗 セリーナ・ウィリアムズ 1–6, 2–6
準優勝 6. 2007年6月18日 イギリスの旗 バーミンガム セルビアの旗 エレナ・ヤンコビッチ 6–4, 3–6, 5–7
優勝 16. 2007年8月5日 アメリカ合衆国の旗 サンディエゴ ハード スイスの旗 パティ・シュナイダー 6–2, 3–6, 6–0
準優勝 7. 2007年11月11日 スペインの旗 マドリード ハード ベルギーの旗 ジュスティーヌ・エナン 7–5, 5–7, 3–6
優勝 17. 2008年1月26日 オーストラリアの旗 全豪オープン ハード セルビアの旗 アナ・イバノビッチ 7–5, 6–3
優勝 18. 2008年2月24日 カタールの旗 ドーハ ハード ロシアの旗 ベラ・ズボナレワ 6–1, 2–6, 6–0
優勝 19. 2008年4月13日 アメリカ合衆国の旗 アメリアアイランド クレー スロバキアの旗 ドミニカ・チブルコバ 7–6(7), 6–3
準優勝 8. 2009年8月23日 カナダの旗 トロント ハード ロシアの旗 エレーナ・デメンチェワ 4–6, 3–6
優勝 20. 2009年10月3日 日本の旗 東京 ハード セルビアの旗 エレナ・ヤンコビッチ 5–2, 途中棄権
優勝 21. 2010年2月20日 アメリカ合衆国の旗 メンフィス ハード (室内) スウェーデンの旗 ソフィア・アルビドソン 6–2, 6–1
優勝 22. 2010年5月22日 フランスの旗 ストラスブール クレー ドイツの旗 クリスティナ・バロイス 7–5, 6–1
準優勝 9. 2010年6月13日 イギリスの旗 バーミンガム 中華人民共和国の旗 李娜 5–7, 1–6
準優勝 10. 2010年8月1日 アメリカ合衆国の旗 スタンフォード ハード ベラルーシの旗 ビクトリア・アザレンカ 4–6, 1–6
準優勝 11. 2010年8月15日 アメリカ合衆国の旗 シンシナティ ハード ベルギーの旗 キム・クライシュテルス 6–2, 6–7(4), 2–6
準優勝 12. 2011年4月2日 アメリカ合衆国の旗 マイアミ ハード ベラルーシの旗 ビクトリア・アザレンカ 1–6, 4–6
優勝 23. 2011年5月15日 イタリアの旗 ローマ クレー オーストラリアの旗 サマンサ・ストーサー 6–2, 6–4
準優勝 13. 2011年7月2日 イギリスの旗 ウィンブルドン チェコの旗 ペトラ・クビトバ 3–6, 4–6
優勝 24. 2011年8月22日 アメリカ合衆国の旗 シンシナティ ハード セルビアの旗 エレナ・ヤンコビッチ 4–6, 7–6(7), 6–3
準優勝 14. 2012年1月28日 オーストラリアの旗 全豪オープン ハード ベラルーシの旗 ビクトリア・アザレンカ 3–6, 0–6
準優勝 15. 2012年3月18日 アメリカ合衆国の旗 インディアンウェルズ ハード ベラルーシの旗 ビクトリア・アザレンカ 2–6, 3–6
準優勝 16. 2012年3月31日 アメリカ合衆国の旗 マイアミ ハード ポーランドの旗 アグニエシュカ・ラドワンスカ 5–7, 4–6
優勝 25. 2012年4月29日 ドイツの旗 シュトゥットガルト クレー ベラルーシの旗 ビクトリア・アザレンカ 6–1, 6–4
優勝 26. 2012年5月20日 イタリアの旗 ローマ クレー 中華人民共和国の旗 李娜 4-6, 6-4, 7–6(5)
優勝 27. 2012年6月9日 フランスの旗 全仏オープン クレー イタリアの旗 サラ・エラニ 6-3, 6-2
準優勝 17. 2012年8月4日 イギリスの旗 ロンドン五輪 アメリカ合衆国の旗 セリーナ・ウィリアムズ 0–6, 1–6
準優勝 18. 2012年10月7日 中華人民共和国の旗 北京 ハード ベラルーシの旗 ビクトリア・アザレンカ 3–6, 1–6
準優勝 19. 2012年10月28日 トルコの旗 イスタンブール ハード (室内) アメリカ合衆国の旗 セリーナ・ウィリアムズ 4–6, 3–6
優勝 28. 2013年3月17日 アメリカ合衆国の旗 インディアンウェルズ ハード デンマークの旗 キャロライン・ウォズニアッキ 6-2, 6-2
準優勝 20. 2013年3月31日 アメリカ合衆国の旗 マイアミ ハード アメリカ合衆国の旗 セリーナ・ウィリアムズ 6-4, 3-6, 0-6
優勝 29. 2013年4月28日 ドイツの旗 シュトゥットガルト クレー 中華人民共和国の旗 李娜 6–4, 6–3
準優勝 21. 2013年5月12日 スペインの旗 マドリード クレー アメリカ合衆国の旗 セリーナ・ウィリアムズ 1-6, 4-6
準優勝 22. 2013年6月8日 フランスの旗 全仏オープン クレー アメリカ合衆国の旗 セリーナ・ウィリアムズ 4–6, 4–6
優勝 30. 2014年4月27日 ドイツの旗 シュトゥットガルト クレー セルビアの旗 アナ・イバノビッチ 3-6, 6-4, 6-1
優勝 31. 2014年5月11日 スペインの旗 マドリード クレー ルーマニアの旗 シモナ・ハレプ 1-6, 6-2, 6-3
優勝 32. 2014年6月7日 フランスの旗 全仏オープン クレー ルーマニアの旗 シモナ・ハレプ 6-4, 6-7, 6-4
優勝 33. 2014年10月5日 中華人民共和国の旗 北京 ハード チェコの旗 ペトラ・クビトバ 6-4, 2-6, 6-3
優勝 34. 2015年1月10日 オーストラリアの旗 ブリスベン ハード セルビアの旗 アナ・イバノビッチ 6-7, 6-3, 6-3
準優勝 23. 2015年1月31日 オーストラリアの旗 全豪オープン ハード アメリカ合衆国の旗 セリーナ・ウィリアムズ 3-6, 6-7
優勝 35. 2015年5月17日 イタリアの旗 ローマ クレー スペインの旗 カルラ・スアレス・ナバロ 4-6, 7-5, 6-1
優勝 36. 2017年10月15日 中華人民共和国の旗 天津 ハード ベラルーシの旗 アリーナ・サバレンカ 7–5, 7–6(8)

ダブルス: 4回 (3勝1敗)

結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
優勝 1. 2003年9月29日 日本の旗 東京 ハード タイ王国の旗 タマリネ・タナスガーン アメリカ合衆国の旗 アンスレー・カーギル
アメリカ合衆国の旗 アシュレー・ハークルロード
7–6(1), 6–0
優勝 2. 2003年10月20日 ルクセンブルクの旗 ルクセンブルク ハード タイ王国の旗 タマリネ・タナスガーン ウクライナの旗 エレナ・タタルコワ
ドイツの旗 マレーネ・ヴァインゲルトナー
6–1, 6–4
準優勝 1. 2004年2月16日 アメリカ合衆国の旗 メンフィス ハード ロシアの旗 ベラ・ズボナレワ スウェーデンの旗 アサ・スベンソン
アメリカ合衆国の旗 メイレン・ツー
4–6, 6–7(0)
優勝 3. 2004年6月7日 イギリスの旗 バーミンガム ロシアの旗 マリア・キリレンコ オーストラリアの旗 リサ・マクシア
ベネズエラの旗 ミラグロス・セケラ
6–2, 6–1

4大大会優勝

大会 対戦相手 試合結果
2004年 ウィンブルドン アメリカ合衆国の旗 セリーナ・ウィリアムズ 6-1, 6-4
2006年 全米オープン ベルギーの旗 ジュスティーヌ・エナン=アーデン 6-4, 6-4
2008年 全豪オープン セルビアの旗 アナ・イバノビッチ 7-5, 6-3
2012年 全仏オープン イタリアの旗 サラ・エラニ 6-3, 6-2
2014年 全仏オープン ルーマニアの旗 シモナ・ハレプ 6-4, 6-7, 6-4

4大大会シングルス成績

テンプレート:Performance key

大会 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 2017 2018 通算成績
全豪オープン 1R 3R SF SF F W A 1R 4R F SF 4R F QF A 3R 54–13
全仏オープン 1R QF QF 4R SF 4R QF 3R SF W F W 4R A A QF 56–12
ウィンブルドン 4R W SF SF 4R 2R 2R 4R F 4R 2R 4R SF A A 1R 46–13
全米オープン 2R 3R SF W 3R A 3R 4R 3R SF A 4R A A 4R 4R 38–11

: 2018年全仏4回戦の不戦勝は通算成績に含まない

年間最終世界ランキング

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順位 186 32 4 4 2 5 9 14 18 4 2 4 2 4 60

脚注

  1. ロシア語ラテン翻字: Marija Jurjevna Sharapova
  2. 毎日新聞jp. “女子テニス シャラポワ、薬物検査で陽性 引退は否定”. . 2016閲覧.
  3. http://www.wtatennis.com/news/article/3175253/title/sharapova-gets-500th-career-match-win
  4. シャラポワ衝撃“薬物使用”会見 いわく付き「抗虚血薬」でリオ絶望”. スポニチSponichi Annex. スポーツニッポン (2016年3月9日). . 2016閲覧.
  5. 内田暁 (2016年3月8日). “シャラポワ薬物違反から見える問題点 厳しさ増すテニス界のドーピング検査”. スポーツナビ. Y's Sports Inc.. . 2016閲覧.
  6. “シャラポワ 大型3社契約停止”. tennis365.net. STATS - AP (Fubic Corporation). (2016年3月8日). http://news.tennis365.net/news/today/201603/108647.html . 2016閲覧. 
  7. “シャラポワ ラケット契約継続”. tennis365.net. STATS - AP (Fubic Corporation). (2016年3月10日). http://news.tennis365.net/news/today/201603/108678.html . 2016閲覧. 
  8. “Decision in the case of Maria Sharapova” (プレスリリース), International Tennis Federation, (2016年6月8日), http://www.itftennis.com/news/231175.aspx . 2016-6-9閲覧. 
  9. 9.0 9.1 9.2 “シャラポワ2年間資格停止 全豪8強無効、リオも×”. 日刊スポーツ. (2016年6月9日). http://www.nikkansports.com/sports/news/1660266.html . 2016閲覧. 
  10. Please see my statement on the ITF’s decision on my Facebook page Maria Sharapova Official site 2016-6-8
  11. “シャラポワの活動停止処分を15ヵ月に減刑”. THE TENNIS DAILY. (2016年10月5日). http://www.thetennisdaily.jp/sp/news_detail.asp?idx=119105&page=1&code_s=100010001000 . 2016-11-3閲覧. 
  12. “シャラポワ、ドーピング違反から復帰後初V 通算36回目 天津”. AFP. (2017年10月16日). https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171016-00000006-jij_afp-spo . 2017閲覧. 
  13. ESPN World Fame 100 ESPN.com 2017年6月10日閲覧。
  14. Jeff Cooper. Maria Sharapova – Tennis Game Profile, About.com. Retrieved July 23, 2008.
  15. Douglas Robson. Swinging, midcourt volley becomes key weapon among pros, USA Today, June 25, 2007. Retrieved July 23, 2008.
  16. http://news.tennis365.net/lesson/pro/f_sharapova01.html
  17. http://news.tennis365.net/lesson/pro/f_sharapova03.html

外部リンク

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