「メルセデス・ベンツ」の版間の差分

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[[ファイル:Mercedes-benz star amk.jpg|thumb|200px|right|スリー・ポインテッド・スター]]
 
[[ファイル:Neckartalviadukt-museum2006.jpg|thumb|right|200px|本社・工場と博物館([[ドイツ]]・[[シュトゥットガルト]])]]
 
[[ファイル:Mercedes-Benz W 222 S 350 Bluetec.JPG|thumb|200px|right|現行Sクラス(W222)]]
 
[[ファイル:Unimog U400.jpg|thumb|200px|right|ウニモグ U400]]
 
[[ファイル:Actros-maruzen.jpg|thumb|200px|right|アクトロス]]
 
  
'''メルセデス・ベンツ'''({{lang-de-short|Mercedes-Benz}})は、[[ドイツ]]の[[自動車]]会社、[[ダイムラー (自動車メーカー)|ダイムラー]]が所有する[[乗用車]]、[[商用車]]のブランドである。
 
  
「[[メルセデス]]」とは、1899年当時、ダイムラー車のディーラー(販売代理店)を経営していた[[オーストリア=ハンガリー帝国]]の[[領事]]でありユダヤ系ドイツ人の富豪であるエミール・イェリネック<ref>{{lang-de-short|Emil Jellinek}}</ref>の娘の名前である。イェリネックは自らが販売する自動車に、「ダイムラー」という硬い響きを避け当時流行していた[[スペイン]]風の響きを持つ名を冠した<ref group="注釈">メルセデス(''Mercedes'' )は、[[スペイン語]]の女性名。「[[恩寵 (キリスト教)|神の恵み]]、慈悲」を意味する。</ref>。この「メルセデス」[[ブランド]]は非常に有名になり、ダイムラーは[[1902年]]、「メルセデス」を商標登録した。
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'''メルセデス・ベンツ'''({{lang-de-short|Mercedes-Benz}}
  
欧米では一般に「メルセデス」「メルセデス・ベンツ」と呼ばれるのに対して、日本では「ベンツ」と呼ばれることが多い。ただしメルセデス・ベンツ日本は広告で「メルセデス・ベンツ」と表記し、モータースポーツ記事の一部はチーム名に含まれる「メルセデス」を用いる。[[自動車評論]]家の[[徳大寺有恒]]や、作家で評論家の[[五木寛之]]の著書、一部の[[自動車雑誌]]は、ドイツ語の発音に沿った「'''メルツェデス'''」という表記が用いることがある。
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 ドイツのダイムラー社の車種名および乗用車事業部門名。1989年から1996年まではダイムラー・ベンツ社傘下の子会社名であったが、1998年に合併により成立し2007年まで存続したダイムラー・クライスラー社においては、車種名であるとともに、ドイツ側の自動車事業部門名であった。
  
== 概要 ==
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 旧ダイムラー・ベンツ社は、1970年代の二度の石油危機を経て自動車会社としての将来に不安をもち、多角化戦略を進めるとともに、マネジメント・ホールディング型の持株会社(純粋持株会社。資本管理会社でも投資管理会社でもない戦略型持株会社のこと)となった。1989年にメルセデス・ベンツ(自動車)、AEG(アーエーゲー)(電気)、エアロスペースAerospace(航空)、1990年にインターサービスInter Service(金融・サービス)が株式会社化されるが、親会社が純粋持株会社から、事業を営むと同時に傘下の企業の株式を保有する事業持株会社へ転換するという機構改革に伴い、メルセデス・ベンツとAEGが1997年に親会社に吸収され、法人格が消滅した。多角化する旧ダイムラー・ベンツ社においても自動車部門は中核であり、クライスラーとの合併前の1996年でみると、コンツェルン全体に占める自動車部門の比率は、売上げで70%(乗用車41%、商用車29%)、従業員数で69%であった。なお、メルセデス・ベンツの名前は、Mercedes-Benz Japanのように、乗用車販売を行う海外子会社で使用。
1926年に、共にほとんど同時期に設立された世界最古の自動車会社であるベンツ&シー・ライニッシェ・ガスモトーレン・ファブリーク(1883年-1926年)とダイムラー・モトーレン・ゲゼルシャフト(1890年-1926年)、両社の1926年の合併により正式に「メルセデス・ベンツ」がスタートした。以降社名は[[ダイムラー・ベンツ]](1926年-1998年)、ダイムラー・クライスラー(1998年-2007年)、現在はダイムラー(2007年-)と変更されているがブランド名の変更はない。現在ドイツ、[[シュトゥットガルト]]を拠点に、乗用車と商用車の製造、販売を「メルセデス・ベンツ」で展開している。
 
  
=== 乗用車 ===
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 メルセデスの名前の由来は、ダイムラー社の大株主であるとともにフランスでのダイムラー車ディーラーであった外交官出身のエミール・イェリネクEmil Jellinekが、外国、とくにフランスでの販売にあたりダイムラーの名前があまりにもドイツ的であることから、自分の娘の名前を提案したことに始まるといわれている。1902年にダイムラー社は車名メルセデスを商標登録しており、1926年の合併以降は、星型を月桂冠とメルセデス・ベンツの文字で囲むエンブレムが採用された。
[[ファイル:Treinstationstaxi's Bochum.JPG|thumb|200px|[[タクシー]](ドイツ)]]
 
[[ファイル:BRN Conecto H Frankenthal 100 3817.jpg|thumb|200px|[[路線バス]]用コネクトH]]
 
日本では以前に輸入元であった[[ヤナセ]]の営業方針などから、現在も[[高級車]]専門メーカーとの誤認が少なくないが、実際は比較的安価な車種も多く扱っている。[[バン]]や[[タクシー]]、[[大型自動車|大型]][[バス (交通機関)|バス]]や[[貨物自動車|トラック]]、[[ダンプカー]]などの[[営業車]]・[[商用車]]・各種作業車、[[救急車]]などの特殊な車両、[[軍用車両]]まで極めて幅広い種別の自動車を扱い、かつては通勤電車などの鉄道車両もグループ内で製造するなど、[[欧米]]では[[ボルボ]]、[[ルノー]]などと同様の[[自動車産業|自動車総合メーカー]]として認知されている。[[メルセデス・ベンツ・Sクラス|Sクラス]]をはじめとする高級[[セダン]]や[[スポーツ・ユーティリティ・ビークル|SUV]]は、高額所得者、政治家、[[セレブリティ]]が嗜好するなど肯定的なイメージがあるとして知られる一方で、[[暴力団]]<ref>{{Citenews|url=http://biz-journal.jp/2016/03/post_14451.html |title=ヤクザ、資金不足深刻で「ベンツ離れ」加速…トヨタのプリウスやミニバンが人気のワケ|newspaper=[[ビジネスジャーナル]]|date=2016-03-29|accessdate=2018-03-15}}</ref>や威圧的で怖い人が乗る車<ref>『輸入車ガイドブック1990』P213</ref>、成金趣味の象徴でビバリーヒルズの歯医者の車<ref name="Fussell,Paul" />、古今東西の[[独裁者]]達の愛車<ref>{{Citenews|url=http://www.gq-magazine.co.uk/article/mercedes-600-grosser-w100-famous-owners |title=Why did so many evil men love the Mercedes 600?|newspaper=British GQ|date=2017-05-17|accessdate=2018-03-05}}</ref><ref>{{Citenews|url=https://www.cheatsheet.com/automobiles/why-the-mercedes-benz-600-is-the-ultimate-luxury-car.html/ |title=Why the Mercedes-Benz 600 is the Ultimate Luxury Car|newspaper=The Cheat Sheet|date=2016-09-25|accessdate=2018-03-05}}</ref>という偏見とも言える否定的なイメージも存在する。[[冷戦]]時代は外交官の公用車としても普及し<ref name="Fussell,Paul">Fussell, Paul.1983''Class:a guide through the American status system.''Summit Books, New York.</ref>、西側の自動車会社にもかかわらず東側諸国の外交官の利用も多く、「[[ペルソナ・ノン・グラータ]]向けの車」と揶揄されることもあった。
 
  
日本では200万円台後半から販売されており、同クラスの日本車に比して高価格であるが、欧州では[[メルセデス・ベンツ・Eクラス|Eクラス]]がタクシー用をはじめ廉価なグレードを多様な客層が利用する車種として知られている。
 
 
2006年の販売台数クラス別世界ランキングで、1位は634~1530万円のEクラス、2位は1065〜3040万円の[[メルセデス・ベンツ・Sクラス|Sクラス]]、3位は400〜1250万円の[[メルセデス・ベンツ・Cクラス|Cクラス]]、4位は300〜385万円の[[メルセデス・ベンツ・Bクラス|Bクラス]]である。
 
 
[[カー・アンド・ドライバー]]誌が東京・[[国道246号#青山通り|青山通り]]で行なっている車種別の通行数ランキングでは、[[トヨタ・カローラ]]などの日本メーカーの大衆車より多く、[[社用車|社有車・社用車]]としての登録が多い[[メルセデス・ベンツ・Eクラス|Eクラス]]が1位の常連になっており、登録、使用本拠の地域的偏在も大きい。
 
 
=== 商用車、営業車、多目的車 ===
 
[[ファイル:PICZ NGV.jpg|thumb|200px|O405 CNGバス<br />バンコク大量輸送公社([[:en:Bangkok Mass Transit Authority|BMTA]])]]
 
 
バスやバン、特殊車両なども含めた商用車の主な市場は、[[ヨーロッパ]]のほか、[[中東]]、[[アジア]]、[[ラテンアメリカ]]諸国などである。商用バン・[[メルセデス・ベンツ・スプリンター|スプリンター]]や、[[ミニバン]]である[[メルセデス・ベンツ・Vクラス|Vクラス]]の商用バージョンVitoは様々な仕様が存在しヨーロッパ各地で使用されているほか、[[北アメリカ]]では、スプリンターが[[バッジエンジニアリング]]を受け、[[クライスラー]]から「[[ダッジ]]・スプリンター」として販売されている例がある。
 
 
[[フランス]]の[[ルノー]]からは[[ルノー・カングー|カングー]]をベースとした小型商用車を「[[メルセデス・ベンツ・シタン|シタン]]」の名でOEM供給されている。
 
 
韓国の[[双竜自動車]]へは技術供与を行い、商用バンMB100をベースに[[雙龍・イスタナ|イスタナ]]を生産、MB100と共に[[東南アジア]]圏などで広く利用されている。日本ではダイムラー子会社のバスなどを[[三菱ふそうトラック・バス]]が販売、多目的商用自動車である[[ウニモグ]]を[[ワイ・エンジニアリング]]が販売している。
 
 
=== その他 ===
 
エンジンや[[トランスミッション]]を他社に供給するサプライヤーでもあり、かつては[[ポルシェ]]や[[ジャガー (自動車)|ジャガー]]に自社製の[[オートマチックトランスミッション|AT]]を供給していた。現在も日本で[[日立建機]]や[[加藤製作所]]などの重機メーカーがメルセデス製[[ディーゼルエンジン]]を搭載した製品を、[[日産自動車]]がメルセデス製[[ガソリンエンジン]]を搭載した[[日産・スカイライン|スカイライン200GT-t]]をラインナップしている。
 
 
[[ファイル:Benz Patent Motorwagen 1886 (Replica).jpg|thumb|200px|1886年製[[ベンツ・パテント・モトールヴァーゲン]]。世界最初の自動車である。]]
 
[[ファイル:Benz Velo 1894.jpg|thumb|200px|1894年製[[ベンツ・ヴェロ]]]]
 
 
== 来歴 ==
 
''社史については[[ダイムラー・ベンツ]]、および[[ダイムラー (自動車メーカー)|ダイムラー]]を参照。''
 
=== 成り立ち ===
 
1886年にドイツの技術者、[[カール・ベンツ]]によって創設された世界最古の自動車メーカーの一つ。1886年に世界初の自動車として初の[[特許]]を取得している。当時は自動車の有用性に気が付く者はなく、「交通の主役である[[ウマ|馬]]を怖がらせる邪魔者」であった。
 
 
そうした中、妻の[[ベルタ・ベンツ]]は、夫の発明を世間に認めてほしいと考え1888年8月5日、夫が寝ている間に二人の息子と車に乗り[[マンハイム]]の町を出発した。当時の道は舗装されておらず、空気タイヤもまだ自転車用が発明されたばかりでその過酷さは余りあるものだった。[[ガソリンスタンド]]もなく、薬局でシミ抜き用の[[ベンジン]]を購入してそれを給油しながら旅を続けた。やがて陽の暮れる頃106km離れた[[プフォルツハイム]]の町に到着する。車の回りには人々が集まり、ベルタたちに賞賛の声を送った。この時の速度(距離と時間)は、当時の馬車なら10頭以上の馬を乗り換えなければならないほどのもので、この成功により夫の発明は知られるようになり、妻は世界初の女性ドライバーとして自動車長距離旅行の歴史に名を残すことになる。
 
 
1920年代より当時ヨーロッパで盛んになっていたモータースポーツに積極的に参戦し、数々の好成績を収めその名声を確固たるものにした。
 
 
1926年にベンツとほとんど同時期に[[ゴットリープ・ダイムラー]]が創設したダイムラーと合併する。
 
 
=== ナチスへの協力 ===
 
[[ファイル:Bundesarchiv Bild 183-H12705, Bad Godesberg, Vorbereitung Münchener Abkommen.jpg|200px|thumb|right|パレードするアドルフ・ヒトラー]]
 
 
[[国家社会主義ドイツ労働者党]]の党首にして[[ナチス・ドイツ|ドイツ]]の指導者であった[[アドルフ・ヒトラー]]は、政権獲得後の1933年2月11日、国際[[フランクフルトモーターショー|ベルリンモーターショー]]における開会宣言で新時代の交通機関である自動車と自動車道路の建設に注目し、[[モータリゼーション]]を加速することが国家の防衛力を高めることになると説いた。これ以降政府は[[自動車税]]の撤廃、[[アウトバーン]]建設、国有鉄道にトラック輸送部門の新設等の政策を打ち出した。
 
 
ナチスは、党内に[[国家社会主義自動車軍団]](NSKK)を設け、運転技能者育成を始める。ベンツは運転教官の派遣、教習車の無償提供、[[国家社会主義ドイツ労働者党]]機関への役員の派遣等で積極的に対応し、[[国家社会主義ドイツ労働者党]]の強力なバックアップにより、[[グランプリ]]・レース、[[ル・マン24時間レース|ル・マン24時間]]や[[ミッレミリア]]などのレースで同じくバックアップを受ける[[アウトウニオン]]などとともに活躍した。
 
 
1935年の[[ドイツ再軍備宣言]]以降のドイツの軍備拡張を支える企業として、戦闘機のエンジンや軍用車両などの生産を行なった。1939年9月に勃発した第二次世界大戦中は軍需生産に集中して、連合軍の爆撃の標的になるなどして、ドイツの敗戦までの約6年間に壊滅的な損害を受ける。大戦中にユダヤ人や連合軍の捕虜を大量に強制労働者として使用したことから、戦後多額の賠償金を支払うことになった。
 
[[ファイル:300sl-roadster.jpg|サムネイル|200x200ピクセル|[[メルセデス・ベンツ・300SL|300SL]]]]
 
 
=== 名車 ===
 
[[ファイル:Popemobil Mai 2007.jpg|thumb|200px|right|Mクラスを改造した[[パパモビル]](謁見用教皇車)に乗る[[ベネディクト16世 (ローマ教皇)|ベネディクト16世]]]]
 
 
1950年代以降のドイツ経済の回復に合わせるように、有名な[[メルセデス・ベンツ・300SL|300SL]]や、[[ミッレミリア]]や[[ル・マン24時間レース]]で大活躍した[[メルセデス・ベンツ・300SLR|300SLR]]などの数々の名車を送り出す。
 
 
1960年代後半に発売された[[メルセデス・ベンツ・Eクラス|ミディアム・クラス]](現在のEクラス)や、1971年にデビューした3代目の[[メルセデス・ベンツ・SLクラス]](R107/C107)、「サッコプレート」で有名な[[ブルーノ・サッコ]]の手によるW124(このときからコンパクトクラスが「E」クラスと呼ばれる)、ドイツの[[ヘルムート・コール]][[首相]]の専用車であった[[メルセデス・ベンツ・W126|W126]]([[クーペ]]の「SEC」は「C126」)、アメリカの[[CAFE]]対策で生まれたW201(通称190E。現在の[[メルセデス・ベンツ・Cクラス|Cクラス]]につながる)、などのヒット作を市場に送り出し、[[高級車]]市場での存在感を持ち続けている。
 
 
これらのモデルのシートは、世界でも唯一の高品質で凝った構造と評されており、非常に快適なことで知られる。下からコイルスプリング、網状のスプリング(Sばね)、ウレタン製ダンパー、シュロ毛と馬毛で作られた通気性の良いクッション、ウール製の表皮(ベロア、ファブリック)で構成され、十分なサイズと調整機能(電動調整式が多い)があり、滑らず疲れにくく、耐久性も著しく高かった<ref group="注釈">座面は体が沈み込まぬように硬く、[[振動]]や衝撃はばねのストロークで吸収する。一方で路面がスムーズでない場合は、コイルスプリングの特性で絶えず座面が上下に揺すられて、路面からの大入力に対して移動量が大きく、車両の揺れと位相がずれるため、ヒップポイントと、[[ペダル]]や[[ステアリング・ホイール]]との距離や視点が一定を保持し難い。ルーズクッションの様な包まれ感で身体をサポートする旧来の[[フランス車]]のシートと、対極の思想として比較されることもある。</ref>。
 
 
=== 安全性 ===
 
1980年以降、オプション装備としての[[エアバッグ]]設定で先行するなど、自動車の安全向上に関わる実績がある。ジグザグ形状のゲート式ATシフトレバー(現在特許が切れて、多くの自動車メーカーにより模倣されている)、衝撃吸収三叉式構造ボディ、シートベルトテンショナー、レインランネル(雨水を窓に流さないボディ構造)、凹凸のあるテールランプ、衝突時に体を守るステアリングコラムとブレーキペダル、横滑り防止装置、グリップ式ドアハンドル、本体強度・取り付け強度共に高い独自のシート、伸縮しながら窓を拭くワイパー、2速発進および2速後退機能つきAT、安全性を徹底追求したシャシ、アウトバーンにおける高速度での事故に対応した車体剛性など。
 
 
2010年以降に順次発売されているメルセデス・ベンツ各車種は、ライトスイッチから「OFF」が廃止されており、「ON」と「AUTO」(自動点灯)の選択のみになっている。これは、夜間の点け忘れ及びトンネル内や夕暮れ時、悪天候時などの無灯火走行を、ドライバーではなく、車の側で確実に防止するという、メルセデス・ベンツ流の思想に基づく安全設計である。
 
 
=== 他社への影響 ===
 
[[ファイル:117th IOC car.jpg|thumb|200px|right|4代目Sクラス(W220)]]
 
 
メルセデス・ベンツが他社に先んじて採用したデザインや装備が、他社に大きな影響を与えていることがある。一例として、1998年に[[メルセデス・ベンツ・W220|4代目Sクラス]]が世界初採用したドアミラー内蔵式の側面[[方向指示器]]は、世界中のメーカーが模倣および追随しており、2016年現在では多くの車種に標準装備されている。この装備は、安全性の向上に寄与し得るとの調査結果がある<ref>{{Cite web|url=http://www.sae.org/technical/papers/2005-01-0449|title=Geometric Visibility of Mirror Mounted Turn Signals|publisher=[[SAE International]]|accessdate=2016-03-31}}</ref>。
 
 
=== コストダウンと品質の改善 ===
 
かつてメルセデス・ベンツは有名な「最善か無か(''Das Beste oder nichts.'')」の企業スローガンのもと、「全ての形に理由がある」と言われるほどの質実剛健さ{{要出典|date=2009年7月}}を持ち、妥協無き車造りを目指していた。しかしその結果としての高コスト体質・製品の高価格化も事実であり、1990年代中盤以降の[[自動車産業]]を取り巻く環境の変化(特に[[グローバリゼーション]]の進行)を前に、同社も生き残りのため利益率向上やコストダウンを目指すことになった。
 
 
しかし、それによってメルセデス・ベンツは、かつての名声を裏切るような、その品質や性能に疑問符を持たれる製品を市場に出してしまうことになる。
 
[[ファイル:Mercedes-Benz ML 270 CDI (W 163, Facelift) – Frontansicht, 20. Juni 2011, Velbert.jpg|サムネイル|アラバマ・メルセデスと呼ばれたMクラス]]
 
特に1997年に発売されたメルセデス・ベンツとして初のアメリカ工場([[アラバマ州]])で生産された[[メルセデス・ベンツ・Mクラス|Mクラス]]は、その低品質で「'''アラバマ・メルセデス'''」と酷評され、全世界における[[ブランド]]イメージを大きく落とす結果になった。4代目Sクラス(W220)及び2代目Eクラス(W210)が登場した際、古くからのメルセデス・ユーザーが代替した直後、乗り味や質感に強いギャップを感じ、早々に手放し、代わりにそれぞれの先代モデル(Sクラス:[[メルセデス・ベンツ・W140|W140]]、[[メルセデス・ベンツ・W124|Eクラス:W124]])を求める事態すら発生した。これらにより、1990年代後半には「最善か無か(''Das Beste oder nichts.'')」の理念のもとに製造された過去の車種が、一時的に[[中古車]]市場で品薄となり、装備や程度の良い車が新車よりも高値となる事例も発生した。
 
 
これらの問題に対してメルセデス・ベンツは、各車種のイヤーモデルごとに品質の改善を進め、1998年デビューの後期型Cクラス(W202)や、1999年デビューの後期型Eクラス(W210)の品質改善、2000年代以降のモデルであるEクラスやSLクラス、SLKクラスなどでの初期設計からの品質改善などを進めた。
 
 
しかしEクラスやSLクラスで採用された[[センソトロニック]]ブレーキは誤動作が多く国内外で数度のリコールとなり、長年トップクラスであったEクラスの販売はその後低迷し現在に至っている。
 
 
2005年以降のイヤーモデルでは、Sクラス(W221)の発売や最販車種であるEクラスの各種リコールによる問題部分の改善が進み、2010年代中盤に入ると、各モデルの品質や信頼性は高くなっている。
 
 
シート構造は従前の[[ヤシ]](シュロ)のクッション+金属ばね(以前のコイルばね、その後のSばね)を、現在では一般的な発泡ウレタンに変更しており、コストダウンと評されることもある。ただしホールディング能力や、[[プリテンショナー]]付きシートベルトとの親和性が高い点など、衝突を含めた安全性では新世代シートが勝るともいわれる。
 
 
なお、現在では、メルセデス・ベンツも再び「最善か無か(''Das Beste oder nichts.'')」のスローガンを使い、かつての理念の復活をアピールしている<ref>ダイムラー・グループ 公式サイト https://www.daimler.com/marken-und-produkte/unsere-marken/mercedes-benz-pkw</ref>。2015年頃より日本国内の公式ホームページおよびテレビCMでも、同じ意味の英語「The best or nothing」を使い始めている。
 
 
=== リコール ===
 
[[ファイル:Mercedes-Benz W168 A180.jpg|サムネイル|200x200ピクセル|初代Aクラス]]
 
1997年に登場した[[メルセデス・ベンツ・Aクラス]]を使い、[[スウェーデン]]の[[自動車雑誌]]「テクニケンス・ヴァルト」(Teknikens Värld)がエルクテスト([[ヘラジカ]]が突然進路上に現れたときそれを素早く回避するという設定で行う運転操作)を実施したところ、横転してしまい「メルセデス・ベンツにあるまじき失態」と世界中の[[メディア (媒体)|メディア]]で報じられることになった。その後、メルセデス・ベンツは発売した全てのAクラスをリコールし、サスペンションの再調整や[[横滑り防止装置|ESP]]を装着するなどの改修を実施したものの、この事件が世界中で取り上げられたことと、同時期に発売されたMクラスが、設計の悪さと低品質で酷評されたことで著しく評価を下げることになった。
 
 
2004年から2005年にかけて発生した、[[ロバート・ボッシュ (企業)|ボッシュ]]製SBC(センソトロニック・ブレーキ・コントロール)の2度に渡るリコールは、主力車種である[[メルセデス・ベンツ・Eクラス|Eクラス]]と、看板車種のSLクラスで発生し、ベンツにとっては大きな痛手となり、経営を極度に悪化させる原因になった。
 
 
このSBCは雨天時などの走行でブレーキディスクが濡れ、通常であれば制動力を損じてしまうようなケースでも意図的にブレーキバットをブレーキローターに僅かに接触させ、摩擦熱でディスクを乾かしたり([[鉄道車両]]では、「[[鉄道のブレーキ #耐雪ブレーキ|耐雪ブレーキ]]」などで以前から使われている制御)、アクセルペダルを放した瞬間、ブレーキングにそなえてブレーキバッドをブレーキローターに接触寸前まで近づけ、タイムラグを短縮するなど、ブレーキの応答性と能力を高めるものであるが、そのセイフティープロセスの要である[[センサ]]類や[[コネクタ]]類の不具合によりSBCが作動せず、前輪2輪のみに効き通常の約5倍の踏力を必要とする「バックアップモード」に入るというものであった<ref>関連する外部リンク
 
* [http://www.mlit.go.jp/jidosha/recall/recall05/04/recall04-126.html 制動装置(SBCハイドロリックユニット)のリコール届出]</ref>。
 
 
2005年8月以降に発売された[[メルセデス・ベンツ・Eクラス|Eクラス]]、SLクラスでは、各種リコール対応により充分な信頼性の確保が行われたが、マイナーチェンジ後はこの装備がなくなっている。この年のアメリカでの信頼性調査でメルセデス・ベンツは37ブランド中29位、ジャーマン・オートモービル・グラブの顧客満足度調査では、33ブランドのなかで最下位になった。
 
 
== ハイブリッドカー ==
 
2007年11月、[[ダイムラー (自動車メーカー)|ダイムラー]]は子会社である[[三菱ふそうトラック・バス]]が持つハイブリッド技術を流用したディーゼル・トラックを、2008年中を目処に同社の'''メルセデス・ベンツ'''ブランドから発売するとの計画を発表した([http://sankei.jp.msn.com/economy/business/071112/biz0711122104003-n1.htm 『産経新聞』2007年11月12日])。
 
 
2009年に、メルセデス・ベンツの乗用車としては初の[[ハイブリッドカー]]である[[メルセデス・ベンツ・W221 #ハイブリッドカー|「S400 Hybrid」(W221)]]が追加された。このモデルはマイルド・ハイブリッド(ガソリンエンジン+モーター)であり、[[リチウムイオン二次電池]]を搭載した世界初の量産車である。Sクラスのハイブリッド仕様は、次のモデルである[[メルセデス・ベンツ・W222|W222]]にも継続され、ガソリンエンジン+モーターの「S400h」だけでなく、[[ディーゼルエンジン]]+モーターの「S300h」も追加された。これらのモデルは日本市場にも逐一導入されており、特にS300hについては、当時はクラス唯一のディーゼルエンジン搭載モデルであった。
 
 
2012年からは[[メルセデス・ベンツ・W212|Eクラス]]にもハイブリッドカーが追加された。3.5L[[ガソリンエンジン]]+モーターの「E400 Hybrid」、[[ディーゼルエンジン]]+モーターの「E300 BlueTEC Hybrid」である。「E400 Hybrid」は市場を限定し、日・米・中の3カ国のみに導入された。それに対し「E300 BlueTEC Hybrid」は[[ヨーロッパ]]のみならず世界市場に展開されたものの、エンジンルーム右にバッテリーおよび補機があるために右ハンドル車が製造できないため日本市場へは導入されなかった。
 
 
[[プラグインハイブリッドカー]]は、CクラスとGLCクラス、Sクラスにそれぞれ「C350e」「GLC350e 」「S550e」として設定しており、日本へも導入している。その結果、メルセデス・ベンツは2016年時点において、日本で「ガソリン・ハイブリッド」「ディーゼル・ハイブリッド」「プラグイン・ハイブリッド」という3種類ものハイブリッドカーを同時にラインアップする、唯一の自動車ブランドとなっていた<ref>{{PDFlink|[http://www.mercedes-benz.jp/news/release/2014/20141125_1.pdf S 550 PLUG-IN HYBRID longを発表]}} - メルセデス・ベンツ日本株式会社 プレスリリース 2014年11月25日</ref><ref>{{PDFlink|[http://www.mercedes-benz.jp/news/release/2015/20151204_1.pdf プラグインハイブリッドモデル「C 350 e AVANTGARDE」を発表]}} - メルセデス・ベンツ日本株式会社 プレスリリース 2015年12月4日</ref><ref>{{PDFlink|[http://www.mercedes-benz.jp/news/release/2016/20160909_1.pdf プラグインハイブリッドモデル「GLC 350 e 4MATIC Sports」、ハイパフォーマンスモデル「メルセデスAMG GLC 43 4MATIC」を発売]}} - メルセデス・ベンツ日本株式会社 プレスリリース 2016年9月9日</ref>。なお、2018年現在、S300h・S400hともにモデル廃止となっており、新たに[[直列6気筒]]ガソリンエンジンに48Vマイルドハイブリッドを組み合わせた「S450」が新規導入されている。
 
 
== エンブレムとシルバーアロー ==
 
<!--[[File:Mercedes Benz Logo.JPG|thumb|メルセデス・ベンツのマーク]]-->
 
[[ファイル:Mercedes-benz W222 Three-pointed Star.jpg|250px|サムネイル|2016年現在のSクラス([[メルセデス・ベンツ・W222|W222]])の<br />「スリー・ポインテッド・スター」]]
 
メルセデス・ベンツの車体に輝くエンブレムは、合併前のダイムラー社が使用していた'''スリーポインテッド・スター'''とベンツ社の円形月桂冠とを併せデザインされたもので、3点にはそれぞれ「陸・海・空」の各分野でダイムラーベンツ社の繁栄が込められている。
 
 
メルセデス・ベンツのセダン、クーペ、オープンカーでは、銀色のボティカラーの人気が高い。理由のひとつとしてあげられるのが、「シルバー・アロー」の逸話である。[[1934年]] - [[1937年]]のグラン・エプルーブ(現在のF1世界選手権に相当)、グランプリ・レースは、後に「750kgフォーミュラ」と呼ばれることとなる、車重を750kg以下とするレギュレーションで実施されていた。1934年のニュルブルクリンクにおける[[アイフェル・レンネン]](アイフェルレース)前夜、車両重量規定をわずか1キログラムオーバーしてしまったメルセデス・チーム(監督は[[アルフレート・ノイバウアー]])は、苦肉の策としてボディーの純白の塗装をすべて剥がすことを決断する。一晩かかって塗装を落としたアルミむき出しの銀色のボディーに、直接ゼッケンを貼り付けてレースに参戦、そしてこの車を駆るマンフレート・フォン・ブラウヒッチュが優勝する。以降メルセデス・ベンツのレーシングカーは銀色がトレードマークとなり、「シルバー・アロー」の愛称で呼ばれるようになり、[[モータースポーツ]]におけるドイツの[[ナショナルカラー]]も、それまでの白色から銀色とされた。同時期に活躍した、[[アウトウニオン]]も同様に銀の塗装で「シルバー・フィッシュ」と呼ばれ、第二次世界大戦の勃発する1939年まで、シルバー・アローとシルバー・フィッシュのドイツ勢が、グランプリを席巻するのである。
 
 
== 新規則による車名変更(2015年~) ==
 
2014年、近年の車種拡充にともない車名が複雑になっていることから、メルセデスベンツは車種の新しい命名方法を発表した<ref>{{Cite web|url=http://response.jp/article/2014/11/25/238132.html|title=メルセデスベンツ、車種倍増を計画…2020年までに30車種以上へ|publisher=[[Response.]] ||accessdate=2016-03-31}}</ref>。
 
 
これにより、2015年からこの命名方法に基づき、一部車種の車名が順次変更される。
 
 
既存のクラスである「A」「B」「C」「E」「S」をコアにし、その頭にSUVを意味する「GL」やロードスターを意味する「SL」、またはクーペの「CL」をつけ、各モデルバリエーションとする。そのため、[[メルセデス・ベンツ・SLKクラス|SLK]]は[[メルセデス・ベンツ・SLCクラス|SLC]]となり([[メルセデス・ベンツ・SLクラス #3代目 R107(1971年-1989年)|3代目SLクラス]]に存在した4シータークーペと同じ名称になる)、「ML」は[[メルセデス・ベンツ・GLEクラス|GLE]]、「GL」は[[メルセデス・ベンツ・GLSクラス|GLS]]と順次変更される。これでSUVやロードスターでも明確にクラスがわかるようになる。なお、[[メルセデス・ベンツ・CLAクラス|CLA]]や[[メルセデス・ベンツ・GLAクラス|GLAクラス]]は、すでに新しい命名方法に準じた車名となっており、変更はない。[[メルセデス・ベンツ・CLSクラス|CLS]]は実際にはEクラス・ベースの車種だが、「EクラスとSクラスの中間に位置する4ドアクーペ」として、こちらも名称変更はない。
 
 
加えて、パワートレインの種類により、数字の最後にそれを表すアルファベットが付くことなり、[[天然ガス自動車|圧縮天然ガス車]]は「c」、[[ディーゼル自動車|ディーゼル車]]は「d」、[[電気自動車]]は「e」、[[燃料電池自動車|燃料電池車]]は「f」、[[ハイブリッドカー]]は「h」となる、[[四輪駆動|四輪駆動車]]モデルは今まで通り「4MATIC」のサブネームが付く。
 
{|class="wikitable" cellpadding="0"  cellspacing="0" style="text-align:center; font-size:75%;"
 
|-
 
!style="background:#87ceeb" align="center" valign="middle" | <small>基幹モデル</small>
 
 
<small>セダン・ワゴン・コンパクト</small>
 
 
<small>2ドアクーペ・カブリオレ</small>
 
!style="background:#87ceeb" align="center" valign="middle" |
 
<small>4ドアクーペ</small>
 
!style="background:#87ceeb" align="center" valign="middle" |
 
<small>ロードスター</small>
 
!style="background:#87ceeb" align="center" valign="middle" |
 
<small>クロスカントリー・SUV</small>
 
|-
 
|
 
|
 
|
 
|G
 
|-
 
|S
 
|
 
|SL
 
|style="background:#ffff00" | GLS(GL)
 
|-
 
|E
 
|CLS
 
|
 
|style="background:#ffff00" | GLE(ML)
 
|-
 
|C
 
|
 
|style="background:#ffff00" | SLC(SLK)
 
|style="background:#ffff00" | GLC(GLK)
 
|-
 
|B
 
|rowspan="2" | CLA
 
|
 
|
 
|-
 
|A
 
|
 
|GLA
 
|-
 
|colspan="4" |黄色の車種が車名変更された車種。括弧内は旧車名
 
|}
 
 
== 日本における販売 ==
 
[[ファイル:Shinagawa seaside rakuten tower 2009.JPG|thumb|200px|メルセデス・ベンツ日本が入居する[[品川シーサイドフォレスト]]]]
 
 
日本において、販売台数は[[日本自動車販売協会連合会]]2016年集計で67,386台、輸入車新規登録台数は市場占有率が19.60[[パーセント|%]]で1位、[[日本自動車輸入組合]]2016年集計の外国メーカー車モデル別順位は、[[メルセデス・ベンツ・Cクラス|Cクラス]]が17,760台で3位、[[メルセデス・ベンツ・CLAクラス|CLAクラス]]が8,557台で7位、[[メルセデス・ベンツ・Eクラス|Eクラス]]が7,900台で9位、[[メルセデス・ベンツ・Aクラス|Aクラス]]が6,973台で12位、[[メルセデス・ベンツ・GLCクラス|GLCクラス]]が4,147台で18位、[[メルセデス・ベンツ・Sクラス|Sクラス]]が4,115台で19位である。
 
 
ブランドの知名度を上げるため、日本国内限定の[[アンテナショップ]]「[[メルセデス・ミー]](旧名称:メルセデス・ベンツコネクション)」の運営も行っている。
 
 
かつて正規[[自動車ディーラー|ディーラー]]を担った[[ヤナセ]]<ref group="注釈">メルセデス・ベンツやフォルクスワーゲンなどが1990年代以降に自社の日本法人を設立し自動車輸入事業務をそちらに移管したことから、現在は自動車輸入事業からヤナセは完全撤退し、自動車輸入事業者としてではなく、マルチブランドメガディーラーとして事業をしている。ピステンプーリー(特殊キャタピラ車両)などの輸入事業やファッション商品事業は継続している。
 
* ヤナセの経営多角化については、1990年代初頭の[[バブル景気]]崩壊とともにほとんどの部門から撤退した。創業以来梁瀬一族による経営が続いたが現在は[[伊藤忠商事]]傘下となっている。</ref>と、1990年代以降に整備されたシュテルングループ(現メルセデス・ベンツ店)が正規販売代理店である。
 
 
シュテルングループの販売店は、[[バブル景気]]末期の1980年代後半から1990年代前半にかけて一部の三菱[[ギャラン店]]で販売されたことから三菱系ディーラーのほかに、[[トヨタ自動車|トヨタ]]や[[日産自動車|日産]]など日本車ディーラーが経営するところもある。[[輸入車#並行輸入車|並行輸入]]はいくつかの輸入業者が扱い、正規輸入ディーラーにない車種やオプションの組み合わせなども可能である。
 
 
メルセデスオーナーの満足度向上とメルセデス車の耐久性例示を目的に、走行距離が10万キロ、20万キロ、30万キロ、50万キロ、100万キロを超えた時、または、10年、15年、20年、25年、30年を超えた時にはオーナーの申告により、それぞれ赤、青、黒、ゴールドの記念エンブレムと証明書がメルセデス本社より交付される。2000年ころを機に一度消滅したが近年復活している。
 
 
;メルセデス・ケア
 
正規販売店で新車を購入した場合、3年間の無料保障と故障や事故時に「24時間ツーリングサポート」を提供する。1998年4月から、AMGとGクラスは6月以降、日本でも開始された。
 
 
一般的な故障のほかにワイパーブレード、オイル、ブレーキパッド、ブレーキディスクなど一部の消耗品も無料交換の対象で、車検整備にかかる費用及び車検取得に必要な諸費用は含まれない。
 
 
;欧米出荷モデルと日本モデルとの違い
 
欧米の正規代理店で購入できる車種と日本国内の正規代理店から購入できる車種は、販売戦略や[[電波法]]などの関連法規により装備や内装などに相違がみられる。SOSシステムは、事故時などに自動で事故情報と生存者の状況を問う音声回路が接続されるシステムで、北米で運用されているが日本は導入されていない。安全装備とは関連がない部分だが、過去、ナンバープレート取り付けの部分が欧米仕様のままの横長で、日本のナンバープレートの比率と合っていない状態が、90年代中盤まで続いた。
 
 
;中古車市場
 
広く販売されており新車売価に比して廉価であるが、現行モデルは売価の下落は大きくない。
 
 
;商用車
 
正規輸入[[ディーラー]]として[[小松製作所|コマツ]]、[[シュテルン]]およびその他ディーラーでの取り扱いが行われていたが、ダイムラー・クライスラーと[[三菱ふそうトラック・バス]]との関係の強化に伴い、2006年までに日本における輸入販売事業から撤退した。
 
 
;バス
 
{{Double image aside|right|STS-Hokuto Mercedes-BenzO303RHD No.506.jpg|200|Mercedes-Benz O530 CITARO-G Kanachu A201.jpg|200|STS北燈(青森県上北郡野辺地町)が導入したO303RHD|神奈川中央交通が導入したO530(シターロG)}}
 
 
[[ヤナセ#外国車インポーター時代|ウェスタン自動車]](メルセデス・ベンツ日本総代理店)によって1985年に輸入され、1986年に[[宮城野観光バス]]に導入されたものが最初である。その後、[[日の丸自動車興業]]や[[岐阜乗合自動車|岐阜バス]]などで導入された。
 
 
当初はほとんどが貸切バスとしての導入であるが、当時の[[名古屋観光日急|日本急行バス]]は[[名神ハイウェイバス]]名古屋 - 神戸線を中心に「ベンツ特急」と銘打って昼行[[高速バス]]へ投入した。
 
 
1993年に[[西日本鉄道]]などへ導入された2台を最後に新車の輸入は途絶えていたが、2006年に東京都内の新規貸切バス事業者[[亜希プロ]]が、イギリスで使用されていたスーパーハイデッカー「[[メルセデス・ベンツ・トゥーロ|トゥーロ]]」の中古車を2台輸入し、のちに1台が[[日の丸自動車グループ]]に売却されている。
 
 
路線バス車両は、[[大阪市交通局]]が「[[赤バス]]」と通称される小型コミュニティバスにメルセデス・ベンツ・スプリンター(T1N)を13台導入した事例が最初である。2007年末に[[神奈川中央交通]]が連節バスの[[メルセデス・ベンツ・シターロ]]を導入している。
 
<gallery>
 
ファイル:Miyaginokannkoubus_BENZ_O303.jpg|宮城野観光バス KINGDOM
 
ファイル:Nikyuubus BENZ EXPRESS O303.jpg|日本急行バス ベンツ特急
 
</gallery>
 
 
;多目的商用自動車
 
様々な特殊パーツを装備できるウニモグを、ワイ・エンジニアリングが販売している。
 
{{clear}}
 
 
== 現行モデル ==
 
===乗用車(現行モデル)===
 
{|class=wikitable
 
|-
 
! 外観
 
! 車名
 
! 形態
 
! 初登場年
 
! 現行モデル
 
|-
 
| [[ファイル:2012 Mercedes-Benz A 200 (W 176) BlueEFFICIENCY hatchback (2012-10-26) 01.jpg|200x200ピクセル]]
 
| [[メルセデス・ベンツ・Aクラス|Aクラス]]
 
| [[ハッチバック]]
 
| 1997年
 
| W176(3代目)
 
|-
 
| [[ファイル:Mercedes-Benz W246 IAA 2011 Heck.JPG|200x200ピクセル]]
 
| [[メルセデス・ベンツ・Bクラス|Bクラス]]
 
|スポーツツアラー
 
(MPV)
 
| 2006年
 
| W246(2代目)
 
|-
 
| [[ファイル:Mercedes-Benz CLA 200 (C 117) – Heckansicht, 13. April 2013, Düsseldorf.jpg|200x200ピクセル]]
 
| [[メルセデス・ベンツ・CLAクラス|CLAクラス]]
 
| 4ドアクーペ<br />シューティングブレーク
 
(ステーションワゴン)
 
| 2013年
 
| C117(初代)
 
|-
 
| [[ファイル:Mercedes-Benz C 200 Avantgarde (W 205) – Frontansicht, 26. April 2014, Düsseldorf.jpg|200px]]
 
| [[メルセデス・ベンツ・Cクラス|Cクラス]]
 
| [[セダン]]<br />[[ステーションワゴン]]<br />クーペ
 
カブリオレ
 
| 1993年
 
| [[メルセデス・ベンツ・W205|W205]]<br />S205<br />C205
 
A205  (4代目)
 
|-
 
| [[ファイル:2014 Mercedes-Benz CLS 250 CDI (C 218) Avantgarde 10 Edition sedan (2015-06-27) 02.jpg|200x200ピクセル]]
 
| [[メルセデス・ベンツ・CLSクラス|CLSクラス]]
 
| 4ドアクーペ<br />[[シューティングブレーク]]<br />(ステーションワゴン)
 
| 2005年
 
| C218(2代目)<br />X218(2代目から登場) 
 
|-
 
| [[ファイル:Mercedes-Benz E200 AVANTEGARDE Sports by Japan specification.jpg|200x200ピクセル]]
 
| [[メルセデス・ベンツ・Eクラス|Eクラス]]
 
| セダン<br />ステーションワゴン<br />クーペ<br />[[オープンカー|カブリオレ]]
 
| 1985年
 
| W213(5代目)<br />S213(5代目)<br />[[メルセデス・ベンツ・C207/A207|C207]](4代目)<br />[[メルセデス・ベンツ・C207/A207|A207]](4代目)
 
|-
 
| [[ファイル:Mercedes-Benz G 350 BlueTEC (W 463, 3. Facelift) – Frontansicht, 7. August 2012, Stuttgart.jpg|200px]]
 
| [[メルセデス・ベンツ・Gクラス|Gクラス]]
 
| [[スポーツ・ユーティリティ・ビークル|SUV]]
 
| 1979年
 
| W463(2代目)
 
|-
 
| [[ファイル:Mercedes-Benz GLS350d 4MATIC Sports (X166) front.JPG|200px]]
 
| [[メルセデス・ベンツ・GLSクラス|GLSクラス]]
 
| SUV
 
| 2006年(GLクラスとして)<br />2016年(GLSクラスとして)
 
| [[メルセデス・ベンツ・X166|X166]](GLクラスとして2代目、GLSクラスとして初代)
 
|-
 
| [[ファイル:MB W166 GLE 1.jpg|200px]]
 
| [[メルセデス・ベンツ・GLEクラス|GLEクラス]]
 
|SUV
 
SUVクーペ
 
| 1997年(Mクラスとして)<br />2015年(GLEクラスとして)
 
| W166(Mクラスとして3代目、GLEクラスとして初代)<br />C292(初代)
 
|-
 
| [[ファイル:Mercedes-Benz GLC250 4MATIC Sports (X253) front.JPG|200px]]
 
| [[メルセデス・ベンツ・GLCクラス|GLCクラス]]
 
| SUV
 
SUVクーペ
 
| 2015年
 
| X253(初代)
 
C253(初代)
 
|-
 
| [[ファイル:Mercedes-Benz GLA250 4MATIC (X156) front.JPG|200px]]
 
| [[メルセデス・ベンツ・GLAクラス|GLAクラス]]
 
| SUV
 
| 2014年
 
| X156(初代)
 
|-
 
| [[ファイル:Mercedes R 350 CDI 4MATIC Lang (V251) Facelift front 20101017.jpg|200px]]
 
| [[メルセデス・ベンツ・Rクラス|Rクラス]]
 
| スポーツツアラー
 
(MPV)
 
| 2006年
 
| W251(初代)
 
|-
 
| [[ファイル:Mercedes-benz S400h Exclusive AMG Line by Front (White).jpg|200x200ピクセル]]
 
| [[メルセデス・ベンツ・Sクラス|Sクラス]]
 
| セダン
 
| 1972年
 
| [[メルセデス・ベンツ・W222|W222]](6代目)
 
|-
 
| [[ファイル:Mercedes-Benz C217 fr.jpg|200x200ピクセル]]
 
| [[メルセデス・ベンツ・Sクラスクーペ|Sクラスクーペ]]
 
| クーペ
 
| 2014年
 
| C217(初代)
 
|-
 
| [[ファイル:Mercedes-Benz S550 Cabriolet by Japan specification.jpg|200x200ピクセル]]
 
| Sクラスカブリオレ
 
| rowspan="3" | [[オープンカー]]
 
| 2016年
 
| A217(初代)
 
|-
 
| [[ファイル:Mercedes-Benz SL550 (2016) by Japan specification (Roof Open).jpg|200x200ピクセル]]
 
| [[メルセデス・ベンツ・SLクラス|SLクラス]]
 
| 1954年
 
| [[メルセデス・ベンツ・R231|R231]](6代目)
 
|-
 
| [[ファイル:Mercedes-Benz SLC 300 (MSP16).jpg|200x200ピクセル]]
 
| [[メルセデス・ベンツ・SLCクラス|SLCクラス]]
 
| 1996年(SLKクラスとして)<br />2016年(SLCクラスとして)
 
| R172(SLKクラスとして3代目、SLCクラスとして初代)
 
|-
 
| [[ファイル:Mercedes AMG GT - Mondial de l'Automobile de Paris 2014 - 002.jpg|200px]]
 
| [[メルセデスAMG・GT]]
 
| スポーツカー
 
| 2015年
 
| C190(初代)
 
|-
 
| [[File:Mercedes-AMG Project One IMG 0607.jpg|200px]]
 
| [[:en: Mercedes-AMG Project One|メルセデスAMG・Project One]]
 
| スポーツカー
 
| 2017年
 
|
 
|-
 
| [[ファイル:Mercedes-Benz V220d AVANTGARDE Extra-long (W447) front.JPG|200px]]
 
| [[メルセデス・ベンツ・Vクラス|Vクラス]]
 
| ミニバン
 
| 1998年
 
| W447(3代目)
 
|-
 
| [[ファイル:Mercedes-Benz Citan Van on IAA 2012 right side.jpg|200px]]
 
| [[メルセデス・ベンツ・シタン|シタン]]
 
| ライトバン
 
| 2012年
 
| W415(初代)
 
|-
 
| [[ファイル:Mercedes X-Klasse IMG 0571.jpg|200px]]
 
| [[メルセデス・ベンツ・Xクラス|Xクラス]]
 
| ピックアップトラック
 
| 2017年
 
| BR470(初代)
 
|}
 
 
=== 商用車 ===
 
* [[ウニモグ]](多目的トラック)
 
* [[メルセデス・ベンツ・スプリンター|トランスポーターT1N/スプリンター]](商用バン)
 
* [[メルセデス・ベンツ・アクトロス|アクトロス]](大型[[貨物自動車|トラック]])
 
* [[メルセデス・ベンツ・ゼトロス|ゼトロス]](大型[[貨物自動車|オフロードトラック]])
 
* [[メルセデス・ベンツ・トゥーロ|トゥーロ]](大型[[観光バス]])
 
* [[メルセデス・ベンツ・シターロ|シターロ]](大型[[路線バス]])
 
<gallery>
 
ファイル:Actros-maruzen.jpg|アクトロス
 
ファイル:Benz66.jpg|OM441LA<br />バンコク大量輸送公社([[:en:Bangkok Mass Transit Authority|BMTA]])
 
</gallery>
 
 
=== メルセデスAMG ===
 
[[ファイル:Mercedes-Benz SL 63 AMG (R 231) – Frontansicht, 13. September 2012, Velbert.jpg|thumb|200px|right|SL63 AMG (2012年)]]
 
{{main|メルセデスAMG}}
 
メルセデス・ベンツの[[チューニング]]部門であり、メルセデス・ベンツの上級高性能モデルやスポーティーなパーツに冠される[[ブランド]]でもある。工場はドイツのアファルターパッハ(''Affalterbach'' )にある。元は独立したチューナーである'''AMG'''だったが、1999年にダイムラー・クライスラー(当時)に吸収され、さらに2014年からは「メルセデスAMG」(''Mercedes-AMG'' )として'''メルセデス・ベンツ'''のサブブランドとされている。「究極のハイパフォーマンスを追求するモデル」と位置付けられている<ref>{{PDFlink|[http://www.mercedes-benz.jp/news/release/2016/20160427_2.pdf 「メルセデスAMG GLE 43 4MATIC」を発売]}} - メルセデス・ベンツ日本株式会社 プレスリリース 2016年4月27日</ref>。
 
 
=== メルセデス・マイバッハ ===
 
[[ファイル:Mercedes-Maybach S550 by Japan specification.jpg|thumb|200px|right|メルセデス・マイバッハ S550 日本仕様]]
 
{{main|マイバッハ}}
 
かつてドイツの高級車メーカーとして存在し、2002年から2012年にかけてメルセデス・ベンツ・ブランドから独立した最高級車として製造販売されていた'''マイバッハ'''は、2015年に「メルセデス・マイバッハ」(''Mercedes-Maybach'' )としてサブブランド化されている。こちらは上記メルセデスAMGとは対照的に「究極のエクスクルーシブ」と銘打たれている<ref>{{PDFlink|[http://www.mercedes-benz.jp/news/release/2016/20160427_2.pdf 「メルセデスAMG GLE 43 4MATIC」を発売]}} - メルセデス・ベンツ日本株式会社 プレスリリース 2016年4月27日</ref>。
 
 
== かつての車種 ==
 
=== 第二次世界大戦前・大戦中の車種 ===
 
[[ファイル:Mercedes-Benz 770 Pullman-Limousine of Showa Emperor front-right Mercedes-Benz Museum.jpg|thumb|200px|right|770 昭和天皇御料車]]
 
* S/SS/SSK/SSKL 通称Sシリーズ。1927年、前身のKシリーズをいっそうスポーティにしたモデル「S」(SはSport(シュポルト)の略)が登場。設計は[[フェルディナント・ポルシェ]]である。前身のKシリーズのフレームにキックダウンをつけることで低重心化し、エンジン位置も調整したもので、市販車であるがそのままレース出場すら可能な、文字通りのスーパースポーツカーである。Sシリーズはエンジン排気量・ホイールベースの改良により、SS/SSKへと進化。SSKに至っては、1920年代の市販車でありながら、最高速192km/hを出すことが可能であったという。究極的には、エンジンを当時としては例のない300馬力まで強化し、大幅にストリップダウンされて軽量化したSSKLとなり、最高速は235km/hに達したが、レース専用であり、わずか数台が製造されただけであるとされる。SSKLは、1931年には、伝統の[[ミッレミリア]]を制したことでも名高い。Sシリーズは、名手[[ルドルフ・カラツィオラ]]の活躍や、その生産台数の少なさもあり、現在まで伝説のマシーンとして記憶されている。
 
* 170H
 
* 540K - [[ホルヒ・853]]と互角に競った、最高のパーソナルカーである。当時、どの自動車会社もスペシャルモデルはすべてコーチワークをコーチビルダーに任せていたが先代の500K同様、自社でコーチワークを行っている。その完成度はコーチビルダーに勝るとも劣らないほどであった。映画[[サウンド・オブ・ミュージック]]でもこれのカブリオレBが使用されている。
 
* 260D - 世界で初めて[[ディーゼルエンジン]]を搭載・市販された乗用車である。
 
* {{仮リンク|770/770K|en|Mercedes-Benz 770}} - 通称「グローサー・メルセデス」。初代と2代目がある。[[排気量]]7.7Lの[[直列8気筒]]エンジンを積むこのモデルは、当時のダイムラー・ベンツの[[フラグシップ機|フラグシップモデル]]である。主な顧客は世界の王侯貴族や富豪、ナチ高官であった。[[ナチス・ドイツ]]では戦勝地でのパレードで国力を見せつけるために使用された。[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]らナチ高官のものはスーパーチャージャー(''Kompressor'' )を追加した「770K」であり、中でもヒトラー専用車はルドルフ・カラツィオラにより納車された。当時の[[大日本帝国]]でも、[[昭和天皇]]の[[御料車]]として採用されている。こちらはスーパーチャージャー非装備(出力は150馬力<ref>小林彰太郞 『天皇の御料車』 24頁より。</ref>)の770が選択された。1931年から1935年にかけ合計7台が輸入され、1969年まで連綿と使われた<ref>小林彰太郞 『天皇の御料車』 36頁より。</ref>。黒と溜色に塗られたこの御料車は、戦後間もなくの[[昭和天皇の戦後の巡幸都道府県一覧|巡幸]]でも使用され、昭和天皇と共に全国を周り、当時の日本国民の目に触れている<ref>小林彰太郞 『天皇の御料車』 41頁より。</ref>。
 
 
=== 大戦後 ===
 
* [[メルセデス・ベンツ・300SL|300SL]] - スポーツクーペ・ロードスター。世界初の[[ガソリン直噴エンジン]]搭載車。クーペは[[ガルウィングドア]]が特徴。
 
* [[メルセデス・ベンツ・W201|190E]](W201) - 長らく小型車を持たなかったメルセデスが[[1982年]]に発表、業界を驚かせた。アメリカのCAFE対策で生まれた車。名称も本来は排気量を示す「190」がそのまま車名になってしまい、2.3リットルモデルは、190E2.3などとCクラス出現までは変則的な名称となってしまった。デザインは、社内デザイナーの[[ブルーノ・サッコ]]の手によるもので[[Sクラス]]に酷似している。ブレーメン工場で初めて生産された。小型化するために世界初のマルチリンクが開発され、空力的なボディデザインやサッコプレートとともにその後世界の各メーカーで模倣された。
 
* 本来の目的はラリー参戦とも、アメリカ合衆国で販売する際のメーカーの総排気量規制の結果とも言われる(ラリー参戦については実現しなかったがツーリングカーレースには参戦)。[[コスワース]]が開発に協力した高性能版『2.3-16』後の『2.5-16』は特に有名で4ドアセダンの高性能モデルの魁となった。オリジナルの2リットル版の他に2.3/2.6リットルの直6や2.5リットルのディーゼルを搭載した車両もあったが、ボディタイプは上級車であるミディアムクラス(後のEクラス)と異なり4ドアセダンのみだった。[[バブル経済]]時代の日本では、5ナンバーサイズに収まる小型サイズであり、街中でよく見かけることから「小ベンツ」と揶揄された。しかしサスペンションを始め多くの部品が上級車であるミディアムクラス(後のEクラス)との共通であり、いわゆる「最善か無か(''Das Beste oder nichts.'')」の理念のもと造られた最後のモデルの一つである。
 
 
== モータースポーツ ==
 
{{main|メルセデスAMG F1}}
 
 
== 各年代の市販乗用車 ==
 
'''1920年代以前'''
 
<gallery>
 
ファイル:Mercedes-simplex-508.jpg|1902年:'''メルセデス・ジンプレックス'''
 
ファイル:Mercedes Double Phaeton.jpg|1905年:'''メルセデス・ダブルフェートン'''
 
</gallery>
 
 
'''1930年代'''
 
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ファイル:1930 Mercedes-Benz SSK 34.jpg|1930年:'''W06'''<br />最高時速192kmに達した。画像はSSK
 
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'''1940年代'''
 
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ファイル:Hitlers Car 3 db.jpg|1940年:'''W150'''<br />770K。画像はアドルフ・ヒトラー専用車。
 
ファイル:W136.jpg|1949年:'''W136'''<br />戦後まもなくの主力車種。画像は170S
 
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'''1950年代'''
 
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ファイル:Mercedes Benz 300 d Adenauer.jpg|1951年:'''|W186'''/'''W188'''/'''W189'''<br />1950年代の最上級車種。画像は300d
 
ファイル:1955 Mercedes-Benz 300SL Gullwing Coupe 34.jpg|1954年:'''[[メルセデス・ベンツ・300SL|W198]]'''<br />ガルウィングで知られるスポーツカー、300SL
 
ファイル:MercedesBenz300SLR 1.jpg|1955年:'''W196S'''<br />F1カー・W196を基に製作されたスポーツカー、300SLR。市販はされていない。
 
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'''1960年代'''
 
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ファイル:Mercedes-Benz 600 vl silver TCE.jpg|1965年:'''[[メルセデス・ベンツ・W100|W100]]'''<br />ショーファードリヴンカー、600
 
ファイル:Mercedes strichacht 2 v sst.jpg|1969年:'''[[メルセデス・ベンツ・W114|W114'''/'''W115]]'''<br />当時の欧州を代表する中型車。5気筒ディーゼルエンジンの採用は世界初。
 
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'''1970年代'''
 
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ファイル:Mercedes w116 v sst.jpg|1973年:'''[[メルセデス・ベンツ・W116|W116]]'''<br />画像は280SEL
 
ファイル:Mercedes W123 3 v sst.jpg|1976年:'''[[メルセデス・ベンツ・W123|W123]]'''<br />当時のベストセラー車種。画像はクーペ。
 
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'''1980年代'''
 
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ファイル:W201.jpg|1982年:'''[[メルセデス・ベンツ・W201|W201]]'''<br />メルセデス・ベンツ初の[[Dセグメント]]車。画像は190D
 
ファイル:Mercedes W124 E-Class.jpg|1986年:'''[[メルセデス・ベンツ・W124|W124]]'''<br />ヒットしたW123の後継。画像はE500
 
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'''1990年代'''
 
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ファイル:Mercedes G500 silber.jpg|1990年:'''[[メルセデス・ベンツ・Gクラス|W463]]'''<br />Gクラス。画像はG500
 
ファイル:W140 Dunkelblau rvr.jpg|1991年:'''[[メルセデス・ベンツ・W140|W140]]'''<br />Sクラス。画像はS500
 
ファイル:Mercedes-Benz W168 A180.jpg|1997年:'''W168'''<br />新設されたAクラス。画像はA180
 
ファイル:Mercedes-Benz ML 270 CDI (W 163, Facelift) – Frontansicht, 20. Juni 2011, Velbert.jpg|1997年:'''W163'''<br />新設されたMクラス。画像はML270 CDI
 
ファイル:Mercedes SLK 200 schwarz.jpg|1998年:'''[[メルセデス・ベンツ・SLKクラス|R170]]'''<br />画像はSLK200
 
ファイル:Mercedes S-KLasse S 320 CDI.jpg|1999年:'''[[メルセデス・ベンツ・W220|W220]]'''<br />Sクラス。画像はS320 CDI
 
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'''2000年代'''
 
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ファイル:MBSL500.JPG|2001年:'''R230''''<br />SLクラス。画像はSL500
 
ファイル:Mercedes-Benz W203 front 20080825.jpg|2001年:'''[[メルセデス・ベンツ・W203|W203]]'''<br />2代目Cクラス。楕円形のヘッドライトを持つ
 
ファイル:Mercedes_CLK55_W209.jpg|2003年:'''W209'''<br />画像はCLK55 AMG
 
ファイル:Mercedes Benz Classe E dsc06450.jpg|2003年:'''W211'''<br />Eクラスの[[ステーションワゴン]]。画像はE240
 
ファイル:Mercedes-Benz-SLR.jpg|2004年:'''C190'''<br />[[マクラーレン]]との共同開発による[[スーパーカー]]、[[メルセデス・ベンツ・SLRマクラーレン|SLRマクラーレン]]
 
ファイル:Mercedes A-Klasse A200 2004.jpg|2004年:'''W169'''<br />2代目Aクラス。画像はA200
 
ファイル:Mercedes_SLK55_R171.jpg|2005年:'''R171'''<br />画像はSLK55 AMG
 
ファイル:Mercedes-Banz S65 AMG front Tx-re.jpg|2006年 : '''[[メルセデス・ベンツ・W221|W221]]'''<br />画像はS65 AMG
 
ファイル:Mercedes R-Klasse silver vl.jpg|2006年:'''W251'''<br />新設されたRクラス
 
ファイル:Mercedes Benz B 170 silver vl.jpg|2006年:'''W245'''<br />新設されたBクラス。画像はB170
 
ファイル:Mercedes-Benz C 200 -W204- ja-1.jpg|2007年:'''[[メルセデス・ベンツ・W204|W204]]'''<br />3代目Cクラス。画像はC200
 
ファイル:Mercedes-Benz GLK front 20081125.jpg|2008年 : '''[[メルセデス・ベンツ・GLKクラス|X204]]'''<br />新設されたGLKクラス。後継車はGLC。画像はGLK320
 
ファイル:Mercedes-Benz SL65 AMG Tx-re.JPG|2008年:'''R230'''<br />画像はSL65 AMG
 
ファイル:Mercedes-Benz SLS AMG (C 197) – Frontansicht geöffnet, 10. August 2011, Düsseldorf.jpg|2008年:'''C197'''<br />AMGにより開発されたスーパーカー、[[メルセデス・ベンツ・SLS AMG|SLS AMG]]
 
ファイル:Mercedes E 250 CDI BlueEFFICIENCY Avantgarde (W212) front 20100705.jpg|2009年 : '''W212'''<br />4代目Eクラス。画像はE250 CDI
 
ファイル:Mercedes-Benz C 220 CDI BlueEFFICIENCY Avantgarde (W 204, Facelift) – Frontansicht, 17. April 2011, Düsseldorf.jpg|2011年 : '''W204''' <br />3代目Cクラス・後期型。画像はC220 CDI
 
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== 注釈 ==
 
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== 出典 ==
 
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== 参考文献 ==
 
* {{Cite book |和書 |last= |first= |author=五木寛之 |authorlink= |coauthors= |translator= |year=1990 |title=メルセデスの伝説 |publisher=[[講談社]] |page= |id= |isbn=4061846833 |quote= }}
 
* {{Cite book |和書 |last= |first= |author= |authorlink= |coauthors= |translator= |year=1990 |title=輸入車ガイドブック 1990 |publisher=[[日刊自動車新聞]]社 |page= |id= |isbn= |quote= }}
 
* {{Cite book |和書 |last= |first= |author=アルフレート・ノイバウアー |authorlink= |coauthors= |translator=橋本茂春 |year=1991 |title=メルセデス・ベンツ:Racing history |publisher=三樹書房 |page= |id= |isbn=4895221482 |quote= }}
 
* {{Cite book |和書 |last= |first= |author=小林彰太郞 |authorlink= |coauthors= |translator= |year=1993 |title=天皇の御料車 |publisher=[[二玄社]] |page= |id= |isbn= |quote= }}(別冊[[カーグラフィック|CG]])
 
* {{Cite book |和書 |last= |first= |author=ダグ・ナイ |authorlink= |coauthors= |translator=川上顕治郎 |year=1997 |title=ベンツと自動車 |publisher=玉川大学出版部 |page= |id= |isbn=9784472058615 |quote= }}
 
* {{Cite book |和書 |last= |first= |author=西牟田祐二 |authorlink= |coauthors= |translator= |year=1999 |title=ナチズムとドイツ自動車工業 |publisher=[[有斐閣]] |page= |id= |isbn=4641160740 |quote= }}
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[ダイムラー (自動車メーカー)]]
 
** [[メルセデスAMG]]
 
** [[メルセデスAMG F1]]
 
** [[マイバッハ]]
 
** [[スマート (自動車)|スマート]]
 
 
* [[ドイツ車]]
 
* [[欧州車]]
 
 
* [[モータースポーツ]]
 
** [[フォーミュラ1]]
 
** [[ドイツツーリングカー選手権]]
 
** [[カレラ・パナメリカーナ・メヒコ]]
 
  
 
== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==
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* [http://brand-square.com/mb/ ブランドスクエア]:ヤナセのベンツ中古車検索
 
* [http://brand-square.com/mb/ ブランドスクエア]:ヤナセのベンツ中古車検索
  
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{{デフォルトソート:めるせてすへんつ}}
 
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[[Category:ドイツの自動車メーカー・ブランド]]
 
[[Category:ドイツの自動車メーカー・ブランド]]

2018/10/28/ (日) 14:52時点における最新版


メルセデス・ベンツ: Mercedes-Benz

 ドイツのダイムラー社の車種名および乗用車事業部門名。1989年から1996年まではダイムラー・ベンツ社傘下の子会社名であったが、1998年に合併により成立し2007年まで存続したダイムラー・クライスラー社においては、車種名であるとともに、ドイツ側の自動車事業部門名であった。

 旧ダイムラー・ベンツ社は、1970年代の二度の石油危機を経て自動車会社としての将来に不安をもち、多角化戦略を進めるとともに、マネジメント・ホールディング型の持株会社(純粋持株会社。資本管理会社でも投資管理会社でもない戦略型持株会社のこと)となった。1989年にメルセデス・ベンツ(自動車)、AEG(アーエーゲー)(電気)、エアロスペースAerospace(航空)、1990年にインターサービスInter Service(金融・サービス)が株式会社化されるが、親会社が純粋持株会社から、事業を営むと同時に傘下の企業の株式を保有する事業持株会社へ転換するという機構改革に伴い、メルセデス・ベンツとAEGが1997年に親会社に吸収され、法人格が消滅した。多角化する旧ダイムラー・ベンツ社においても自動車部門は中核であり、クライスラーとの合併前の1996年でみると、コンツェルン全体に占める自動車部門の比率は、売上げで70%(乗用車41%、商用車29%)、従業員数で69%であった。なお、メルセデス・ベンツの名前は、Mercedes-Benz Japanのように、乗用車販売を行う海外子会社で使用。

 メルセデスの名前の由来は、ダイムラー社の大株主であるとともにフランスでのダイムラー車ディーラーであった外交官出身のエミール・イェリネクEmil Jellinekが、外国、とくにフランスでの販売にあたりダイムラーの名前があまりにもドイツ的であることから、自分の娘の名前を提案したことに始まるといわれている。1902年にダイムラー社は車名メルセデスを商標登録しており、1926年の合併以降は、星型を月桂冠とメルセデス・ベンツの文字で囲むエンブレムが採用された。


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