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[[File:Lucianus.jpg|thumb|ルキアノス(17世紀の銅版画)]]
 
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'''ルキアノス'''('''サモサタのルキアノス'''、'''ルーキアーノス'''、 '''Lucianos''', '''Lucianus''', '''Lucinus''', 英語では'''Lucian of Samosata'''(ルシアン), [[120年]]乃至[[125年]]頃 - [[180年]]以後)は[[ギリシャ語]]で執筆した[[アッシリア人]]の[[風刺]]作家である。
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'''ルキアノス'''('''サモサタのルキアノス'''、'''ルーキアーノス'''、 '''Lucianos''', '''Lucianus''', '''Lucinus''', 英語では'''Lucian of Samosata'''(ルシアン), [[120年]]乃至[[125年]]頃 - [[180年]]以後)
 
 
ルキアノスは[[シリア属州|シリア]]のサモサタで生まれ、[[アテナイ]]で没した。父親の職業は不明だが、祖父と叔父が石工であり、ルキアノスを叔父の徒弟にしようとしていた。若き日は哲学、弁論、医学など様々な分野種々の流派の学問を聴講し勉学を積んだが、やがて弁論の虜になる(後年、弁論による興行的な活動にも従事している)。シリア属州生まれゆえの「夷狄訛り」を克服し、ギリシャ語と弁論術を習得して弁論家として一本立ちする。アテナイで弁論家及び弁護士として活躍もしていた他、一時アンティオコスで弁護士の仕事もしていたと伝えられている。イタリアや大西洋岸ガリアなどへ旅行し、彼の地にて誇示的な演説を披露し、成功を収めてさえいる。また、ガリアに一時的に居住していたともされる。
 
 
 
彼は80以上の作品の著者として考えられているが、それら全てを著わしたわけではないであろうと考えられる。最も知られている著作としては『神々の対話』と『死者の対話』があげられる。
 
 
 
風刺作品に『ペレグリーノスの昇天』があるが、この作品は主人公のペレグリーノスが[[キリスト教徒]]たちの寛大さとだまされやすさにつけ込むという話が展開されている。これは非キリスト教徒から見た[[キリスト教]]をとらえた書物で現在残っている初期のものの一つである。
 
 
 
また、『[[本当の話]]』という作品では、月への旅行譚を書いており、しばしば最古のSFの一つとして言及される。
 
 
 
== 日本語訳 ==
 
日本ではルキアノスは従来周知されておらず、訳書は多くなかった。
 
* 『本當の話』(『ティモン』『哲學諸派の賣立』『漁師』を併録)、[[呉茂一]]、山田潤二訳(養徳社、1946年)
 
**旧版『ルキアノス短篇集 第1巻』([[筑摩書房]]、1943年)
 
* 『ペレグリーノスの昇天』(『噓好き叉は懷疑者』『僞豫言者アレクサンドロス』を併録)、[[高津春繁]]訳([[東京堂]]、1947年)
 
* 『神々の対話 他6編』、[[呉茂一]]、[[山田潤二]]訳(岩波文庫、1953年)
 
* 『遊女の対話 他3編』(『ペレグリーノスの昇天』を収録)、高津春繁訳([[岩波文庫]]、1961年)
 
* 『本当の話 ルキアノス短篇集』(全10篇を収録)、呉茂一ほか訳([[ちくま文庫]]、1989年)。元版は筑摩書房「世界文学大系 64  古代文学集」
 
* 『ルキアノス選集』、[[内田次信]]訳([[国文社]]、1999年)。『死者の対話』は『死者の対話集』の題名で収録
 
* 『ルキアノス全集』([[京都大学学術出版会]]〈西洋古典叢書〉、2013年~)
 
**※全8巻予定。2017年現在は、第3巻『食客』(2014年)、第4巻『偽預言者アレクサンドロス』のみ刊行。
 
 
 
== 影響 ==
 
*詩『嘘を好む人たち Philopseudes』に基づき[[ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ|ゲーテ]]がバラード『魔法使いの弟子 Der Zauberlehrling 』を書いた。その[[フランス語]]訳に基づき、[[ポール・デュカス|デュカス]]が交響的スケルツォ『[[魔法使いの弟子]]』を作曲した。
 
 
 
== 外部リンク ==
 
* [http://www.kokubunsha.co.jp/archives/ISBN4-7720-0402-5.html 国文社の『ルキアノス選集』の紹介ページ]
 
* [http://homepage3.nifty.com/boumurou/book/lucian/ ルキアノスの紹介ページ]
 
* [[プロジェクト・グーテンベルク]]における[http://www.gutenberg.org/browse/authors/l#a1997 ルキアノスの作品](英語)
 
  
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ギリシアの風刺作家。シリアに生れ,ギリシア語を学び,放浪講演者としてイタリアからガリアまで旅行した。 40歳頃アテネに定住し,対話篇の執筆に従事し,晩年にはエジプトで行政官をつとめた。作品は偽作も含めて 80編に及び,多くは対話または手紙の形式で宗教や哲学に鋭い嘲罵を浴びせたり,世の中の愚行や欠陥を滑稽に描いたもので,機知に富んだ饒舌を特徴とする。[[新喜劇]]とキュニコス派の[[メニッポス]]からの影響が大きい。最もよく知られているのは誇張に満ちた旅行譚『本当の話』Alēthēs Historiā。
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ルキアノス(17世紀の銅版画)

ルキアノスサモサタのルキアノスルーキアーノスLucianos, Lucianus, Lucinus, 英語ではLucian of Samosata(ルシアン), 120年乃至125年頃 - 180年以後)

ギリシアの風刺作家。シリアに生れ,ギリシア語を学び,放浪講演者としてイタリアからガリアまで旅行した。 40歳頃アテネに定住し,対話篇の執筆に従事し,晩年にはエジプトで行政官をつとめた。作品は偽作も含めて 80編に及び,多くは対話または手紙の形式で宗教や哲学に鋭い嘲罵を浴びせたり,世の中の愚行や欠陥を滑稽に描いたもので,機知に富んだ饒舌を特徴とする。新喜劇とキュニコス派のメニッポスからの影響が大きい。最もよく知られているのは誇張に満ちた旅行譚『本当の話』Alēthēs Historiā。




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