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'''レオンハルト・オイラー'''(Leonhard Euler, [[1707年]][[4月15日]] - [[1783年]][[9月18日]]
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'''レオンハルト・オイラー'''(Leonhard Euler, [[1707年]][[4月15日]] - [[1783年]][[9月18日]])は、[[18世紀]]の[[数学者]]・[[天文学者の一覧|天文学者]](天体物理学者)。
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スイスの数学者。 18世紀を通じ最も多才な数学者で,近代解析学の創始者の一人。 J.ベルヌーイのもとで学び,1730年にペテルブルグ科学アカデミーの物理学教授,33年に数学教授となる。 41年ベルリン科学アカデミー会員。過度の仕事によりまもなく片方の目の視力を失い,晩年には残りの一方も失明したが,学問に対する熱意は少しも衰えなかった。 66年再びペテルブルグに戻り,その地で没した。彼の業績は,純粋数学の分野に顕著であるが,物理学,天文学にも功績を残している。オイラーの名のつく慣用の記号や定理が,初等幾何学から高等解析学の分野にいたるまで多数存在する。三角関数の解析的取扱い,対数の算法的取扱い,楕円積分の加法定理の証明,整数論における平方剰余の相互法則その他の発見,微分幾何学,変分法,微分方程式への先駆的研究など多大の成果を残した。主著『無限小解析緒論』 (2巻,1748) ,『微分学原理』 (55) ,『積分学原理』 (3巻,68~70)
18世紀の数学の中心となり、続く19世紀の厳密化・抽象化時代の礎を築いた<ref name="math"> 日本数学会編『岩波数学辞典 第4版』、[[岩波書店]]、2007年、項目「オイラー」より。ISBN 978-4-00-080309-0 C3541 </ref>[[スイス]]の[[バーゼル]]に生まれ、現在の[[ロシア帝国|ロシア]]の[[サンクトペテルブルク]]にて死去した。
 
  
== 概要・生涯 ==
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{{テンプレート:20180815sk}}
[[ヨハン・ベルヌーイ]]によって才能を見出されたことと、オイラー自身が数学に興味を抱いていたことから、数学者になる道を選んだ。オイラーの父も数学の教育を受けた人物であったが、オイラーには自分の後を継いで牧師になることを望んでいた<ref name="math"/>。
 
 
 
1727年、オイラーは[[サンクトペテルブルク]]の科学学士院に赴任した<ref name="math"/>。この地で[[ダニエル・ベルヌーイ]]の同僚となり、[[バーゼル問題]]を解決したことで有名になった。しかし、[[エカチェリーナ1世]]の突然の死でロシアは政情不安となり、視力の悪化も伴って、研究生活は不安定になった。
 
 
 
1741年、[[プロイセン王国]]の[[フリードリヒ2世 (プロイセン王)|フリードリヒ2世]]の依頼で[[プロイセン科学アカデミー|ベルリン・アカデミー]]の会員となり、ドイツへ移住した<ref name="math"/>。その業績からフリードリヒ2世に「数学のサイクロプス(単眼の巨人)」と賞賛される(右目を失明していたため)。彼は『無限解析入門』 "Introductio in analysin infinitorum" と『微分学教程』 "Institutiones calculi differentialis" という2冊の数学書を出版した。
 
 
 
また、オイラーはアルンハルト=デッサウ公女の教育のために科学への入門書を執筆し、その後、『自然科学の諸問題についてのドイツ王女へのオイラーの手紙』 "Lettres à une Princesse d'Allemagne sur divers sujets de physique et de philosophie" として出版された。この本は欧米で一般の読者を対象にした科学書として広く読まれ、オイラーの最も有名な著書となった。当時ベルリン・アカデミーには、[[ヴォルテール]]もいたが、二人が親密になることはなかった。
 
 
 
[[エカチェリーナ2世]]が帝位についたことで、1766年ごろオイラーは再びサンクトペテルブルクに戻った<ref name="math"/>。1738年ごろより視力が低下し<ref name="math"/>、1771年ごろ(1766年とする説もある)には両目を完全に失明したものの、その後も研究意欲が衰えることは全くなく<ref name="math"/>、彼は論文の執筆を[[口述筆記]]に頼りながら、1783年に76歳で亡くなるその日まで精力的な研究生活を続けた。墓は[[アレクサンドル・ネフスキー大修道院]]にある。
 
 
 
== 業績 ==
 
=== 解析学 ===
 
[[ファイル:Euler-10 Swiss Franc banknote (front).jpg|thumb|スイスの第6次紙幣の10フラン紙幣]]
 
[[解析学]](無限小解析)においては膨大な業績があり、[[微分積分]]の創始以来もっともこの分野の技法的な完成に寄与した。[[級数]]や[[連分数]]・[[母関数]]の方法・[[補間法]]や[[近似]]計算・[[特殊関数]]や[[微分方程式]]・[[多重積分]]や[[偏微分]]法など、古典的な解析学のあらゆる領域において基礎から応用にいたる広い業績があり、自身の発見を教科書を通し広く一般に普及させた。
 
膨大な量のため、彼の解析学における仕事、言わば公式一つ一つが完全に伝わっている訳ではなく、新たな公式の発見とされたことが実はオイラーの発見の再発見に過ぎなかった、ということがしばしば起きている。
 
また、彼の名前は[[指数関数]]と[[三角関数]]の関係を与える[[オイラーの公式]]・[[オイラーの和公式|オイラー=マクローリンの和公式]]・オイラーの微分方程式・[[オイラーの定数]]などに残る。
 
さらに[[複素数]]の[[変数]]を積極的に用いて、解析学に限らず数学全分野に大きな業績を残した<ref name="math"/>。
 
 
 
=== 数論 ===
 
[[ピエール・ド・フェルマー|フェルマー]]以降進展がなかった[[整数論]]において、[[ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ|ラグランジュ]]の出現までほぼ一人で研究し続け、[[二次形式]]や[[原始根]]・[[フェルマーの小定理]]の拡張など、数々の功績を残した。現在でも、数論的関数の一つであるオイラー関数([[オイラーのφ関数]])に彼の名前が残っている。
 
 
 
また[[リーマンゼータ函数|ゼータ関数]]を初めて扱い(ゼータ関数の名称は[[ベルンハルト・リーマン|リーマン]]による)、後に解析的整数論の重要な主題となる重大な結果を得た。彼は1735年に[[バーゼル問題|&zeta;(2)=&pi;<sup>2</sup>/6]]を求めることに初めて成功し、さらに&zeta;(4) = &pi;<sup>4</sup>/90、&zeta;(6) = &pi;<sup>6</sup>/945、&zeta;(8) = &pi;<sup>8</sup>/9450、&zeta;(10) = &pi;<sup>10</sup>/93555、&zeta;(12) = 691&pi;<sup>12</sup>/638512875 を求めた。また、1737年にはゼータ関数と素数の関係を表すオイラー積の公式を発見し、素数の逆数の和が発散するという新たな結果を得た。さらに超人的な数学的直感に基づいてゼータ関数の負の数における値に意味付けを与えたが、これは後に数学的に正当化された。数の分割の理論においては、母関数の方法の応用が著しく、[[五角数定理]]をはじめ様々な組み合わせ論的、あるいは[[楕円関数]]論的な恒等式を得た。
 
 
 
=== 幾何学 ===
 
幾何学においては、位相幾何学のはしりとなった[[オイラーの多面体定理]](ただしオイラーは証明を与えていない)や「[[ケーニヒスベルクの橋]]の問題」が特に有名である。特性類の一つである[[オイラー類]]は本質的にこの[[オイラーの多面体定理]]によって特徴付けられるものである。「ケーニヒスベルクの橋の問題」は一種の[[一筆書き]]問題であるが、オイラーはこれに取り組んで一筆書きが可能になるための必要十分条件を求めた。これは[[グラフ理論]]の起源となり、今日では一筆書き可能なグラフは[[オイラー路|オイラーグラフ]]と呼ばれる。[[解析幾何学]]でも古代ギリシャの[[ペルガのアポロニウス|アポロニウス]]による[[円錐曲線]]の理論を[[解析幾何学]]的手法によって近代化をはかっている。
 
 
 
=== 数理物理学 ===
 
[[数理物理学]]では、[[ニュートン力学]]の幾何学的表現を解析学的に修正して、現代的なスタイルに変更した。
 
彼は1736年に初めて[[力 (物理学)|力]]をはっきり定義し、解析的な形で運動方程式を与えた。
 
それ以後、この定式化に基づいて振動弦の問題を論じ、また地球の[[章動]]の研究において運動方程式による3体問題の定式化を行った。
 
そして1755年には[[流体力学]]の基礎方程式([[連続の方程式|連続方程式]]と[[オイラー方程式 (流体力学)|運動方程式]])を導いて体系化した。
 
さらに1760年には[[剛体]]の力学を論じ、剛体に固定した運動座標系を導入して[[オイラーの運動方程式]]を得、これを発展させた。剛体の方位を規定する3つの角は「[[オイラー角|オイラーの角]]」と呼ばれている。
 
だが、彼は1760年代までニュートンの重力理論を容認できず、デカルトの充満理論・エーテル理論に固執した。
 
その他、[[変分法]]に関する業績も多い。
 
 
 
=== 関数概念の導入 ===
 
[[ゴットフリート・ライプニッツ|ライプニッツ]]によって定義された[[関数 (数学)|関数]]を初めて''y=f(x)''の形で表したのもオイラーである。
 
このような近代的関数の概念は1748年に導入され、物理学など応用方面でも使いやすいものとなった<ref name="math"/>。
 
 
 
== その他 ==
 
オイラーは人類史上最も多くの論文を書いた数学者であったと言われる。
 
彼の論文は5万ページを超える全集にまとめられて1911年から刊行され続けているが、その全集は100年以上たった今日でも未だに完結していない<ref name="math"/>。
 
1980年~2000年にかけて流通していたスイスの第6次紙幣の10フラン紙幣にその肖像を見ることができる。
 
 
 
== 参考文献 ==
 
{{reflist}}
 
 
 
== 著作 ==
 
*{{Cite book|和書|author=おいれる|others=[[林鶴一]]・[[小野藤太]]訳|year=1914|title=不定解析論 おいれる代数学 整数論ノ一部|series=数学叢書 第18編|publisher=[[大倉書店]]|ref=おいれる1914|url={{近代デジタルライブラリーURL|43004834}}}}
 
*{{Cite book|和書|author=レオンハルト・オイラー|others=[[高瀬正仁]]訳|year=2001|month=6|title=オイラーの無限解析|publisher=[[海鳴社]]|isbn=4-87525-202-1|ref=オイラー2001|url=http://www.kaimeisha.com/index.php?cmd=read&page=%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%AE%E7%84%A1%E9%99%90%E8%A7%A3%E6%9E%90}}
 
*{{Cite book|和書|author=レオンハルト・オイラー|others=高瀬正仁訳|year=2005|month=11|title=オイラーの解析幾何|publisher=海鳴社|isbn=4-87525-227-7|ref=オイラー2005|url=http://www.kaimeisha.com/index.php?cmd=read&page=%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%81%AE%E8%A7%A3%E6%9E%90%E5%B9%BE%E4%BD%95}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
{{commons|Leonhard Euler}}
 
{{div col|colwidth=25em|small=yes}}
 
* [[オイラーの公式]]
 
* [[オイラーの等式]]
 
* [[オイラーの定理 (数論)|数論におけるオイラーの定理]]
 
* [[オイラーの定理 (微分幾何学)|微分幾何学におけるオイラーの定理]]
 
* [[オイラーの定理 (平面幾何学)|平面幾何学におけるオイラーの定理]]
 
* [[ゴールドバッハ・オイラーの定理]]
 
* [[オイラー予想]]
 
* [[バーゼル問題#オイラーの解法]]
 
* [[オイラー積分]]
 
** [[ベータ関数]]
 
** [[ガンマ関数]]
 
* [[オイラー=ラグランジュ方程式]]
 
* [[オイラーの運動方程式]]
 
** [[オイラーのコマ]]
 
* [[オイラー力]]
 
* [[オイラー角]]
 
* [[オイラー方程式 (流体力学)|流体力学におけるオイラーの方程式]](非粘性流体)
 
::&rarr; [[ナビエ-ストークスの式]](粘性流体)
 
* [[弾性曲線方程式#ベルヌーイ・オイラーの仮定|ベルヌーイ・オイラーの仮定]]
 
* [[座屈#オイラーの式|座屈応力に関するオイラーの式]]
 
* [[オイラー法]]
 
* [[多面体|オイラーの多面体定理]]
 
* [[九点円|オイラー円]]
 
* [[オイラー路]](オイラーグラフ、準オイラーグラフ)
 
* [[オイラー線]]
 
* [[オイラー図]]
 
* [[オイラーのφ関数]]
 
* [[オイラーの和公式]]
 
* [[オイラー積]]
 
* [[オイラーの分割恒等式]]
 
* [[オイラーの五角数定理]]
 
* [[ネイピア数]](オイラー数と呼ばれることがある)
 
* [[オイラー数]]
 
* [[オイラーの定数]]
 
* [[オイラー標数]]
 
* [[オイラー素数]]
 
* [[オイラー (小惑星)]]
 
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== 外部リンク ==
 
*{{MacTutor|id=Euler|title=Leonhard Euler}}
 
*[http://math.dartmouth.edu/~euler/ The Euler Archive] オイラーの原論文を閲覧可能
 
*[http://i.cas-msds.com/%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%BC Google logo for Leonhard Euler]
 
*{{Find a Grave|15567379}}
 
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レオンハルト・オイラー(Leonhard Euler, 1707年4月15日 - 1783年9月18日

スイスの数学者。 18世紀を通じ最も多才な数学者で,近代解析学の創始者の一人。 J.ベルヌーイのもとで学び,1730年にペテルブルグ科学アカデミーの物理学教授,33年に数学教授となる。 41年ベルリン科学アカデミー会員。過度の仕事によりまもなく片方の目の視力を失い,晩年には残りの一方も失明したが,学問に対する熱意は少しも衰えなかった。 66年再びペテルブルグに戻り,その地で没した。彼の業績は,純粋数学の分野に顕著であるが,物理学,天文学にも功績を残している。オイラーの名のつく慣用の記号や定理が,初等幾何学から高等解析学の分野にいたるまで多数存在する。三角関数の解析的取扱い,対数の算法的取扱い,楕円積分の加法定理の証明,整数論における平方剰余の相互法則その他の発見,微分幾何学,変分法,微分方程式への先駆的研究など多大の成果を残した。主著『無限小解析緒論』 (2巻,1748) ,『微分学原理』 (55) ,『積分学原理』 (3巻,68~70) 。



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