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{{出典の明記|date=2015年1月}}
 
{{中華圏の事物
 
|タイトル = 一つの中国
 
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|簡体字 = 一个中国
 
|繁体字 = 一個中國
 
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}}
 
'''一つの中国'''(ひとつのちゅうごく、[[繁体字]][[中国語]]:{{lang|zh-tw|一個中國}}、[[簡体字]]:{{lang|zh-cn|一个中国}})とは、[[中国大陸]]、[[マカオ]]、[[香港]]、[[台湾]]は不可分の[[中華民族]]の統一[[国家]]「[[中国]]」でなければならないとする政策的立場および主張である。
 
  
特に[[中華人民共和国]]政府は、これを自国の[[核心的利益]]であると主張し、「全中国を代表する唯一の合法的政府である」との意味合いで用いることが多く、諸外国に対してこの考えに同調するように強い圧力をかけている。また国際社会では、[[中華民国]]を[[国家承認]]する[[国家]]が少ないため、「一つの中国」は中華民国を国家として承認しないという要求と同義として解釈される傾向が強い。
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'''一つの中国'''(ひとつのちゅうごく、[[繁体字]][[中国語]]:{{lang|zh-tw|一個中國}}、[[簡体字]]:{{lang|zh-cn|一个中国}})
  
== 中華人民共和国が主張する「一つの中国」 ==
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 中国政府の台湾問題に関する政治的主張の一つ。中国語で「一個中国」と表記する。「台湾は中国の不可分の領土であり、中国は一つしかない」ことを強調し、台湾の独立勢力などを牽制(けんせい)するものである。1949年、国共内戦に敗れた中国国民党を中心に構成する中華民国政府が台湾に逃れ、中国共産党は北京(ペキン)で中華人民共和国を成立させた。二つの政府はそれぞれ自身こそ中国唯一の正統政府と主張し、台湾海峡をはさんで軍事的に対峙(たいじ)する時代が1980年代まで続いた。北京の新政府は、旧政府(台湾の中華民国政府)との外交関係を断絶した国に限り国交を樹立するという外交方針を貫いた。台湾政府は1971年に国連から排除され、中国が国連における代表資格を認められて議席を獲得した。その後1972年(昭和47)に日本、1979年にアメリカと国交を樹立するなど、中国の国際社会における存在感が高まった。一方、孤立した台湾では、「台湾独立」を求める勢力、または、中華民国政府の支配地域を台湾に限定して国連加盟を目ざす勢力が台頭した。こうした動きに対して中国は、中国を分裂させようとする陰謀であると反発し、台湾が独立した場合は武力行使も辞さないという姿勢を示した。
かつて、[[国際連合安全保障理事会]]常任理事国であった中華民国(台湾)は、中華人民共和国と『中国唯一の正統政府である』との立場を互いに崩さなかった。1949年から中華人民共和国側が[[国際連合総会]]に「中国代表権問題」を提起し、長きに亘って否決された。しかし、[[1971年]]の[[アルバニア決議]]後に中華民国(台湾)が[[国際連合]]を[[国際連合加盟国|脱退]]、新たに加入し常任理事国となった中華人民共和国が提唱する「一つの中国」の概念が国際社会に宣布された。
 
* [[中国大陸]]に存在する政権(中国)は、[[世界]]でただ一つだけあって、[[台湾]]は中国の一部分であり、中華人民共和国政府が全中国を代表する唯一の合法的政府である。
 
* 中国大陸と台湾島は一つの中国であり、中国の主権と領土の分割は許さない。
 
* 現在まだ統一が達成されていないことに、双方は共に努力すべきで、一つの中国の原則の下、対等に協力し、統一を協議する。
 
* 一つの国家として主権と領土の分割は認めず、台湾の政治的地位は一つの中国を前提として[[一国二制度]]の適用を検討する。
 
  
[[2005年]]には、台湾の「独立」阻止を念頭に[[反分裂国家法]]を制定した。{{see also|二つの中国}}
+
 中国と台湾の交流窓口機関は1992年にシンガポールで会談し、「一つの中国」の原則を確認したとされる。これは「92年コンセンサス」とよばれた。しかし、中国側がこれを「一つの中国原則を口頭で確認した合意」であると主張するのに対し、台湾側は「一つの中国の中身(中華人民共和国と中華民国)について、それぞれが述べあうことで合意した」と主張している。したがって、中台双方が一つの中国についてコンセンサス(共通認識)を達成したかどうかについて論争が続いている。
 
 
== 中華民国の反応 ==
 
[[中華民国]]も過去に「中国を代表する政府は、中華民国である」との立場から「一つの中国」政策を打ち出していた。
 
; [[蒋介石]]時代
 
: 蒋介石は[[双十協定]]で分裂の解消に失敗してから[[国共内戦]]の延長としてしか両政府の関係を定義できず、「{{lang|zh-tw|[[:zh:漢賊不兩立|漢賊不兩立]]}}(漢賊並び立たず)」との主張を繰り返した。アメリカや日本から「[[二つの中国]]」を検討するよう説得されても、反発し続けた。しかし1960年代を中心に相次いだアジア・アフリカ諸国の独立により、[[国際連合]]の中国代表権をめぐって中華人民共和国を支持する国が増加していた。アメリカの[[リチャード・ニクソン]]政権は、「中国代表権と[[国際連合安全保障理事会|安全保障理事会常任理事国]]の地位を放棄して、一般の加盟国として国連に残る」という道を蒋介石に勧めた。しかし蒋介石が妥協しなかった(あるいはアメリカの最後通告の後に妥協を決断したが、遅過ぎて間に合わなかったとの説もある)ため、[[1971年]]に国連における「中国代表権」を失った(いわゆる[[アルバニア決議]])。また、国内的には、[[中華民国憲法]]の本文を形式上維持しつつ、中国大陸で選出された国会議員の任期を無期限に延長することで、中国の正統政府であることを誇示しようとした(「[[法理独立#中国国民党の独裁と「法統」|法統]]」)。
 
; [[蒋経国]]時代
 
: 中華人民共和国の[[鄧小平]]は[[改革開放]]政策を打ち出し、毛沢東時代のように資本主義の中華民国を敵視せず、「台湾解放」という従来の姿勢を転換し、「平和統一」「[[一国二制度]]」を呼び掛け始めた。しかし、当時の中華民国政府は、強権的だった蒋介石の死後、重しがとれたことで民主化要求が抑え切れないという不安定な状況にあった。そのため、蒋経国は中華人民共和国の呼びかけに応えることをためらい、「不接觸、不談判、不妥協的(接触しない、交渉しない、妥協しない)」という「[[:zh:三不政策|三不政策]](三つのノー政策)」を掲げた。その一方で、敵対政策を転換する必要性も徐々に認識され、老兵(中華民国軍の退役兵士)の要請を受けて中国大陸の家族・親戚を訪問することも解禁して密使の[[沈誠]]を北京に派遣して大陸部工作指導チーム設置などを指示した。
 
; [[李登輝]]時代
 
: [[1990年]]以降、基本方針は大きく変化していく。[[1990年]]には[[行政院大陸委員会]]と[[海峡交流基金会]]と[[国家統一委員会]]が設置され、[[1991年]]に[[国家統一綱領]]を定める。「一つの中国」の意味を曖昧にしつつ、「法統」を放棄して事実上の[[法理独立]]、つまり憲法改正と民主化へ歩みだした。しかし「一つの中国」を原則として否定もできなかったため、[[中華民国憲法増修条文]]には「統一前の需要により、憲法を以下のように修正する」との一文を前文に挿入した。
 
: [[1999年]]の李登輝総統による「特殊な国と国の関係」発言に至ると、中華人民共和国側はこれを「両国論(二国論)」と呼び、「一つの中国」を放棄したものと解釈して強く反発した。
 
:* [[1990年]]には「{{lang|zh-tw|一國兩府}}(一国二政府)」
 
:* [[1991年]]には「{{lang|zh-tw|一個中國,兩個對等政治實體}}(一つの中国、二つの対等な政治実体)」
 
:* [[1993年]]には「{{lang|zh-tw|一個中國指向的階段性兩個中國政策}}(一つの中国に向けた段階的な二つの中国政策)」
 
:* [[1999年]]には「{{lang|zh-tw|特殊的國與國關係}}(特殊な国と国の関係)」
 
; [[陳水扁]]時代
 
: [[1999年]]、[[民主進歩党]](民進党)は[[2000年中華民国総統選挙|2000年総統選挙]]に向けて現実路線に転換し、[[台湾前途決議文]]を採択し、[[台湾独立運動|台湾独立]]を盛り込んだ党綱領を棚上げした。そして、陳水扁政権は李登輝時代の中華民国政府の立場を継承する姿勢を見せ、さらに中国大陸との「統合論」や「未来における『一つの中国』」という考え方を示した。これは、「一つの中国」という立場を共有した上での対話を求めてきた中華人民共和国政府に譲歩しつつ、中華民国の地位を認めさせようとする戦略(「[[強本西進]]」政策)からであった。アメリカも両者の仲介を行うことを材料に、陳水扁政権に独立路線の放棄を求めていた。これが「四不一没有([[四つのノー、一つのない]])」の背景である。
 
: しかし、中華人民共和国政府はこうした動きを無視し、中華民国を承認する国に承認転換を迫り続けた。そのため、陳水扁政権は「一つの中国」政策に見切りをつけ、また選挙キャンペーンでの材料として独立路線の活用を再開した。また、「{{lang|zh-tw|一個中國,各自表述}}(一つの中国の解釈は各自が表明する)」という「[[九二共識]](1992年コンセンサス)」について、中国国民党および当時の中華民国政府による拡大解釈であり、中華人民共和国が同意したことを表明していないことにも懸念を示し始めた。そして、陳水扁政権は「コンセンサスがない、というコンセンサス」だったとの見解を示している。そして、「一つの中国」という言葉が、国際的には「中国とは中華人民共和国であり、台湾はその一部」というイメージが定着していることを懸念し、その使用を控えるようになった。
 
:* [[2000年]]の就任演説で「[[四つのノー、一つのない]]」を表明。独立路線の棚上げを表明。
 
:* [[2002年]]、[[ナウル]]の承認転換に際し、陳総統が「[[一辺一国]]」を表明。独立路線への復帰とみなされる。
 
:* [[2006年]]には[[国家統一委員会]]と[[国家統一綱領]]の「終止」を決定する。
 
; [[馬英九]]時代
 
: [[2008年]]に総統に就任した馬英九は、九二共識を前提としつつ「統一せず、独立せず、武力を行使せず」という「三つのノー」(三不)政策を打ち出している。一方で中華人民共和国との間で「[[三通]]」(通信、通商、通航)を解禁して[[ECFA|中台FTA]]を結ぶなど、中華人民共和国との融和姿勢を取っている。
 
 
 
'''[[蔡英文]]時代'''
 
 
 
 2016年に総統に就任した蔡英文は、一つの中国を否定しており<ref>{{Cite web|url=http://www.sankei.com/world/news/160722/wor1607220049-n1.html|title=台湾の蔡英文総統が「一つの中国」92年合意受け入れ“拒否” 米紙の取材に 中国は不快感示す|accessdate=2018年6月6日|publisher=}}</ref>、国家存続の為にアメリカとの関係を強化する方針と強めている<ref>{{Cite web|url=https://mainichi.jp/articles/20180519/ddn/007/030/042000c|title=蔡政権2年 進む米依存 中国圧力、3カ国が断交|accessdate=2018年6月6日|publisher=}}</ref>。 
 
 
 
== 国際社会の反応 ==
 
; [[日本]]
 
: [[日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明|日中共同声明]]を踏襲し「中華人民共和国を中国の唯一の合法的政府」と承認 ({{lang|en|recognize}}) し、「台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部である」と表明する「中華人民共和国政府の立場を十分理解し尊重する ({{lang|en|understand and respect}})」 として、現状では中華人民共和国の主張も支持はしていないが、中華民国の主張は支持しないという立場を取っている。しかし、現在も民間レベルで親密な関係を保っており、事実上の[[大使館]]機能([[台北経済文化代表処]])も存在するほか、[[2012年]]から[[住民基本台帳]]における[[在留カード]]では中華民国国籍保有者の国籍・地域欄は「中国」から「台湾」となり<ref>{{cite news
 
|url = http://japan.cna.com.tw/news/aeco/201206260002.aspx
 
|title = 日本、7/9から在留カード開始 出身の記載「台湾」に
 
|work = フォーカス台湾
 
|publisher = [[中央通訊社]]
 
|date = 2012-06-26
 
|accessdate = 2017-05-22
 
}}</ref>、中華人民共和国国籍保有者と明確に区別している。また、2016年現在の首相である[[安倍晋三]]は2015年7月29日に行われた参議院の我が国及び国際社会の[[平和安全法制]]に関する特別委員会において、「台湾は、基本的な価値観を共有する重要なパートナーであり、大切な友人であります」と答弁している<ref>{{cite news
 
|url = http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/189/0192/18907290192004.pdf
 
|title = 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 平成27年7月29日
 
|work = 国会会議録検索システム
 
|publisher = [[国立国会図書館]]
 
|date = 2015-07-29
 
|accessdate = 2016-07-23
 
}}</ref>。
 
; [[アメリカ合衆国]]
 
: [[w:Shanghai Communiqué|米中共同コミュニケ]]に基づき「[[中華人民共和国]]を中国の唯一の合法的政府」と承認 ({{lang|en|recognize}}) し、「台湾は中国の一部である」と認知する ({{lang|en|acknowledge}}) として、今の所、中華民国の主張を支持しない立場を取っている。しかし、現在も民間レベルで親密な関係を保つほか、中華民国との間に[[米華相互防衛条約]]の後継法である「[[台湾関係法]]」を結ぶ、双方政府高官の訪問を促進する「[[台湾旅行法]]」を成立させる<ref>{{Cite web|url=https://mainichi.jp/articles/20180317/k00/00e/030/288000c|title=台湾旅行法が成立 閣僚の相互訪問を促進|accessdate=2018年6月6日|publisher=}}</ref>など緊密な関係にある。
 
; [[大韓民国]]
 
: [[中華人民共和国政府と大韓民国との共同声明|中韓共同声明]]を踏襲し「中華人民共和国を中国の唯一の合法的政府」と承認 ({{lang|en|recognize}}) し、「台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部である」と表明する「中華人民共和国政府の立場を十分理解し尊重する ({{lang|en|fully understanding and respect}})」 として、現状では中華民国の主張を支持しないという立場を取っている。しかし、現在も民間レベルでの関係を保っている。
 
 
 
==脚注==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{Reflist}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[ハルシュタイン原則]]
 
* [[二つの中国]]
 
* [[九二共識]]
 
* [[一辺一国]]
 
* [[一国両区]]
 
* [[アルバニア決議]]
 
* [[台湾関係法]]
 
* [[台湾問題]]
 
* [[第23回東京国際映画祭]] - 映画祭の台湾表記問題を記載。
 
* [[中国の夢]]
 
  
 +
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[[Category:東アジア史]]
 
[[Category:東アジア史]]

2019/5/7/ (火) 23:03時点における最新版

一つの中国(ひとつのちゅうごく、繁体字中国語一個中國簡体字一个中国

 中国政府の台湾問題に関する政治的主張の一つ。中国語で「一個中国」と表記する。「台湾は中国の不可分の領土であり、中国は一つしかない」ことを強調し、台湾の独立勢力などを牽制(けんせい)するものである。1949年、国共内戦に敗れた中国国民党を中心に構成する中華民国政府が台湾に逃れ、中国共産党は北京(ペキン)で中華人民共和国を成立させた。二つの政府はそれぞれ自身こそ中国唯一の正統政府と主張し、台湾海峡をはさんで軍事的に対峙(たいじ)する時代が1980年代まで続いた。北京の新政府は、旧政府(台湾の中華民国政府)との外交関係を断絶した国に限り国交を樹立するという外交方針を貫いた。台湾政府は1971年に国連から排除され、中国が国連における代表資格を認められて議席を獲得した。その後1972年(昭和47)に日本、1979年にアメリカと国交を樹立するなど、中国の国際社会における存在感が高まった。一方、孤立した台湾では、「台湾独立」を求める勢力、または、中華民国政府の支配地域を台湾に限定して国連加盟を目ざす勢力が台頭した。こうした動きに対して中国は、中国を分裂させようとする陰謀であると反発し、台湾が独立した場合は武力行使も辞さないという姿勢を示した。

 中国と台湾の交流窓口機関は1992年にシンガポールで会談し、「一つの中国」の原則を確認したとされる。これは「92年コンセンサス」とよばれた。しかし、中国側がこれを「一つの中国原則を口頭で確認した合意」であると主張するのに対し、台湾側は「一つの中国の中身(中華人民共和国と中華民国)について、それぞれが述べあうことで合意した」と主張している。したがって、中台双方が一つの中国についてコンセンサス(共通認識)を達成したかどうかについて論争が続いている。



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