上杉禅秀の乱
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上杉禅秀の乱(うえすぎぜんしゅうのらん)
応永 23 (1416) 年 10月,犬懸上杉家の氏憲 (禅秀) が鎌倉公方足利持氏にそむいた争乱。持氏と不和で,山内上杉家の憲基の関東管領就任などに不満をもった禅秀が,室町幕府4代将軍足利義持の弟義嗣,持氏の叔父満隆らとはかって挙兵し,一時は鎌倉を掌握したが,翌年正月,満隆,禅秀は敗れて自殺。
上杉禅秀の乱(うえすぎぜんしゅうのらん)
応永 23 (1416) 年 10月,犬懸上杉家の氏憲 (禅秀) が鎌倉公方足利持氏にそむいた争乱。持氏と不和で,山内上杉家の憲基の関東管領就任などに不満をもった禅秀が,室町幕府4代将軍足利義持の弟義嗣,持氏の叔父満隆らとはかって挙兵し,一時は鎌倉を掌握したが,翌年正月,満隆,禅秀は敗れて自殺。