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[[ファイル:シャリ川.中央アフリカ共和国.jpg|サムネイル]]
{{基礎情報 国
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'''中央アフリカ共和国'''(ちゅうおうアフリカきょうわこく、{{lang-fr|République centrafricaine}}、{{lang-sg|Ködörösêse tî Bêafrîka}})、通称'''中央アフリカ'''
| 略名 =中央アフリカ
 
| 日本語国名 =中央アフリカ共和国
 
| 公式国名 ='''{{Lang|fr|République centrafricaine}}'''(フランス語)<br />'''{{Lang|sag|Ködörösêse tî Bêafrîka}}'''(サンゴ語)
 
| 国旗画像 =Flag of the Central African Republic.svg
 
| 国章画像 =[[ファイル:Coat_of_arms_of_the_Central_African_Republic.svg|120px|中央アフリカの国章]]
 
| 国章リンク =([[中央アフリカの国章|国章]])
 
| 標語 =''{{Lang|fr|Unité, Dignité, Travail}}''<br />(フランス語:統一、尊厳、労働)
 
| 国歌 = [[再生 (中央アフリカ国歌)|再生(La Renaissance)]]
 
| 位置画像 =Central African Republic (orthographic projection).svg
 
| 公用語 =[[フランス語]]<br />国語は[[サンゴ語]]
 
| 首都 =[[バンギ]]
 
| 最大都市 =バンギ
 
| 元首等肩書 =[[中央アフリカ共和国の大統領|大統領]]
 
| 元首等氏名 =[[フォースタン=アルシャンジュ・トゥアデラ]]
 
| 首相等肩書 ={{ill2|中央アフリカ共和国の首相一覧|en|List of heads of government of the Central African Republic|label=首相}}
 
| 首相等氏名 ={{ill2|サンプリス・サランジ|fr|Simplice Sarandji}}
 
| 面積順位 =42
 
| 面積大きさ =1 E11
 
| 面積値 =622,984
 
| 水面積率 =極僅か
 
| 人口統計年 =2016
 
| 人口順位 =117
 
| 人口大きさ =1 E6
 
| 人口値 =5,507,257
 
| 人口密度値 =6
 
| GDP統計年MER =2015
 
| GDP順位MER =17x
 
| GDP値MER =15.93億<ref name="economy">CIA World Factbook 2016年10月30日閲覧([https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/ct.html])</ref>
 
| GDP統計年 =2015
 
| GDP順位 =188
 
| GDP値 =30.09億<ref name="economy" />
 
| GDP/人 =600<ref name="economy" />
 
| 建国形態 =[[独立]]<br />&nbsp;- 日付
 
| 建国年月日 =[[フランス]]より<br />[[1960年]][[8月13日]]
 
| 通貨 =[[CFAフラン]]
 
| 通貨コード =XAF
 
| 時間帯 =+1
 
| 夏時間 =なし
 
| ISO 3166-1 = CF / CAF
 
| ccTLD =[[.cf]]
 
| 国際電話番号 =236
 
| 注記 =
 
}}
 
'''中央アフリカ共和国'''(ちゅうおうアフリカきょうわこく、{{lang-fr|République centrafricaine}}、{{lang-sg|Ködörösêse tî Bêafrîka}})、通称'''中央アフリカ'''は、[[アフリカ]]中央部にある[[国家]]。北東に[[スーダン]]、東に[[南スーダン]]、南に[[コンゴ民主共和国]]、南西に[[コンゴ共和国]]、西に[[カメルーン]]、北に[[チャド]]と[[国境]]を接する[[内陸国]]で、[[首都]]の[[バンギ]]は[[ウバンギ川]]河畔に位置している。人口は550万人ほどで、独立以来クーデターが多発しており政情は常に不安定である。その影響から経済は低迷し続けており、[[後発開発途上国]]あるいは[[失敗国家]]のひとつにも数えられる。
 
  
== 国名 ==
+
面積 62万2436km<sup>2</sup>。<br>
正式名称はフランス語でRépublique centrafricaine(レピュブリック・サントラフリケーヌ)。通称Centrafrique(サントラフリック)。
+
人口 495万(2011推計)<br>
 +
首都 [[バンギ]]。
  
[[日本語]]の表記は中央アフリカ共和国。通称中央アフリカ。植民地時代の名称はウバンギ・シャリ (Oubangui-Cha-ri)。
+
アフリカ大陸中央部の国。北はチャド,東はスーダンと南スーダン,南はコンゴ民主共和国とコンゴ共和国,西はカメルーンに国境を接する内陸国。国土の大部分は標高 600~900mの高原で,北西端にカレ山地(1410m)があり,[[コンゴ川]]水系とチャド盆地との分水界が東西を横切る。南部は森林に覆われ高温多湿。年平均気温 27℃。北へ行くに従い乾燥し,北部は疎林[[サバナ]]となる。年降水量約 1700mm。3~10月が雨季。旧石器時代の人類の居住跡があり,のちいくつかの部族王国が形成されていたが,1889年フランスがバンギに交易所を建設,チャド方面への前進基地とし,1910年ウバンギシャリ植民地として,ガボン,チャド,中央コンゴを含む[[フランス領赤道アフリカ]]の一部となった。1946年フランス海外領,1958年[[フランス共同体]]内の自治国となり,それに伴って中央アフリカ共和国と命名,1960年に独立した。1976年12月ジャン・[[ボカサ]]が帝位につき,共和国を帝国に改称したが,1979年9月のクーデターで廃位,共和国へ復帰した。農業を主とし,綿花をはじめ木材,コーヒー,ゴム,パーム油などを輸出。鉱物資源に恵まれ,ダイヤモンドが輸出額の 50%近くを占めるほか,ウラン,金,鉄鉱石,石灰石なども発見されている。住民は多様だが西部のマンジャ族,バヤ族,中部の[[バンダ族]],南部のウバンギ族が主。大半は部族固有の宗教をもち,約 70%のキリスト教徒と少数のイスラム教徒がいる。公用語はフランス語とサンゴ語で,サンゴ語が広く用いられる。
  
== 歴史 ==
+
{{テンプレート:20180815sk}} __NOINDEX__
{{main|{{ill2|中央アフリカ共和国の歴史|en|History of the Central African Republic}}}}
 
 
 
=== アラブ人の奴隷貿易 ===
 
[[Image:African slave trade.png|thumb|280px|left|[[中世]]におけるアフリカの主要奴隷貿易路]]
 
[[7世紀]]頃から[[チャド湖]]周辺地域には、{{ill2|カネム帝国|en|Kanem Empire}}([[700年]] - [[1387年]]、[[カネム・ボルヌ帝国]]を参照)や{{ill2|ワダイ王国|en|Ouaddai Empire}}や{{ill2|バギルミ王国|en|Kingdom of Baguirmi}}が割拠していた。[[アラブ人の奴隷貿易]]におけるサブサハラ地域の主要な奴隷供給地であった[[ウバンギ川]]流域を巡って、多くのスルタン国が領有を主張した。[[16世紀]]頃から{{ill2|ボルヌ帝国|en|Bornu Empire}}がサハラ中央部の覇者となり、{{ill2|フラニ戦争|en|Fulani War}}([[1804年]] – [[1808年]])の影響などから[[19世紀]]には人口流入がおこり、[[アザンデ族]]、{{ill2|バンダ族|en|Banda people}}、[[:en:Gbaya people|Baya-Mandjia]]が移住して来た。フランスの植民地化が始まるまでは、各部族が首長を中心に居住していた。
 
 
 
=== 植民地化 ===
 
[[1885年]]、[[ベルリン会議]]でベルギー王の私領地が[[コンゴ自由国]]となった。[[1887年]]、[[フランス]]は[[ウバンギ川]]右岸に[[ベルギー]]との協定で[[フランス領コンゴ|コンゴ植民地]]を建設する。さらにフランスは[[1889年]]に前哨基地(現バンギ)を建設し、[[1894年]]、[[ウバンギ・シャリ (フランス領)|ウバンギ・シャリ]]([[1894年]] - [[1910年]])がフランス領となった。[[1910年]]より[[フランス領赤道アフリカ]]([[1910年]] - [[1958年]])と改称しウバンギ・シャリは軍政下の[[チャド]]をその一部としたが、[[1916年]]にチャドを分離した。
 
 
 
=== 独立・ダッコ政権 ===
 
[[1958年]]の[[フランス第五共和国憲法国民投票]]に賛成、[[フランス共同体]]内の[[自治共和国]]となり国名を中央アフリカ共和国と改称、[[1960年]]8月にフランスから独立し[[ダヴィド・ダッコ]] (David Dacko) が中央アフリカの初代[[大統領]]に就任した。
 
 
 
=== クーデター・ボカサ政権 ===
 
[[ファイル:Bokassa portrait.jpg|thumb|left|180px|[[ジャン=ベデル・ボカサ]]。]]
 
 
 
[[1965年]]12月、ダッコ大統領の従兄弟で当時国軍の参謀総長だった[[ジャン=ベデル・ボカサ]]中佐による軍事クーデターが起こり、ダッコ政権が転覆。[[1966年]]1月、ボカサ中佐が大統領に就任し独裁政治を始めた。[[1970年]]10月、ジャン=ベデル・ボカサ大学開校。[[1972年]]にボカサ大統領が終身大統領を宣言し[[1976年]]12月、ボカサ大統領により中央アフリカ共和国に帝政を敷くことが決定された([[中央アフリカ帝国]])。[[1977年]]12月4日、ボカサ大統領は約65億円(2000万ドル)<ref>『アフリカを知る事典』、平凡社、ISBN 4-582-12623-5 p.376</ref>という国家予算の1/4に相当する国費をつぎ込むなど、贅を尽くしたフランス風の戴冠式を行い中央アフリカ帝国初代[[皇帝]]ボカサ一世を称する。(「黒い[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]」)。
 
{{Clearleft}}
 
=== クーデター・ダッコ政権 ===
 
[[1979年]]9月、ボカサ皇帝の外遊中にフランスがクーデターを仕掛けボカサ政権を転覆しフランスが介入し共和制を復活、新憲法の制定や複数政党制の導入などが行われダッコ元大統領が再就任した。
 
 
 
=== クーデター・コリンバ政権 ===
 
1981年9月1日、[[アンドレ・コリンバ]]国軍参謀総長による[[クーデター]]が発生し、ダッコ大統領は[[カメルーン]]に亡命した。
 
 
 
=== パタセ政権 ===
 
[[1993年]]の選挙でコリンバ参謀総長は落選し、[[アンジュ・フェリクス・パタセ]]が大統領に就任した。しかし国内の混乱は収まらず騒乱状態となり、[[1998年]]には[[国際連合中央アフリカ共和国ミッション]](MINURCAT)による[[多国籍軍]]の駐留が行われた。
 
 
 
=== クーデター・ボジゼ政権 ===
 
{{main|{{ill2|中央アフリカ共和国内戦|en|Central African Republic Bush War}}}}
 
 
 
[[2003年]]、チャドの[[イドリス・デビ]]大統領や MINURCAT の支援を受けた[[フランソワ・ボジゼ]]がパタセ大統領が国外にいる間に権力の掌握に成功して大統領に就任した。
 
 
 
{{ill2|中央アフリカ共和国内戦|en|Central African Republic Bush War}}([[2004年]] - [[2007年]])。
 
 
 
=== クーデター・セレカ政権 ===
 
{{main|[[:en:2012–present Central African Republic conflict]]}}
 
 
 
[[2012年]]12月、反政府武装勢力CPSK-CPJP-UFDRの連合体である[[セレカ]]が北部および東部の広域を掌握していった<ref>{{cite news |language  = | author  =| url =http://www.afpbb.com/article/politics/2918156/10033535?ctm_campaign=txt_topics| title =反政府勢力に不安募らせる市民、仏大使館前で暴徒化 中央アフリカ共和国| publisher =| date= 2012-12-27| accessdate =2012-12-31}}</ref>。翌年3月には、1月の和平合意を履行しなかったとしてボジゼ政権への攻撃を再開し、24日首都のバンギを制圧した。ボジゼ大統領は隣国[[コンゴ民主共和国]]へと脱出し中央アフリカの旧宗主国であるフランスはバンギ空港を確保した。
 
 
 
セレカの主導者[[ミシェル・ジョトディア]]が自ら暫定大統領に就任([[独裁政治|軍事独裁]]、[[軍事政権]])し、3年後の選挙まで{{ill2|ニコラ・チャンガイ|en|Nicolas Tiangaye|label=チャンガイ}}首相が政権を担うことになった。だが、[[アフリカ連合]]はセレカによる首都制圧を非難、加盟国に対し「結束した断固たる行動」を求めた。4月、ジョトディアはアフリカ連合の要求を受け入れ、暫定評議会を設置。ほかに候補者がいないなかで、暫定評議会から大統領に選出された。8月、宣誓式が行われ正式にジョトディアが大統領に就任した<ref>{{cite news |language  = | author  =| url =http://www.jiji.com/jc/zc?k=201308/2013081800229&g=int| title =ジョトディア大統領就任=中央アフリカ| publisher =[[時事通信社]]| date= 2013-8-18| accessdate =2013-10-13}}</ref>。ジョトディア大統領は、中央アフリカの歴史上初めての[[イスラム教徒]]の大統領であった。
 
 
 
=== 無政府期 ===
 
2013年9月にはジョトディア大統領によりセレカの解散が行われたが、単に非合法化されただけで武装組織そのものは温存された。一般市民への弾圧や新たに登場したキリスト教系武装組織、[[アンチバラカ]]などとの抗争は続き、次第に国内は無政府状態に近い状況に陥った。首都のバンギでも、イスラム教とキリスト教の対立が激化していった。数百人規模の死者が出る状態となったため、2013年の後半には旧宗主国のフランスやアフリカ連合の治安維持を目的とした派遣軍の軍事介入を受けた<ref>{{Cite news|url=http://www.afpbb.com/articles/-/3004693
 
|title=フランスとアフリカ連合、中央アフリカへの派遣部隊を増強|work=AFP|publisher=フランス通信社|date=2013-12-08|accessdate=2013-12-10}}</ref>。2014年1月10日、混乱を収拾するためにジョトディア大統領とチャンガイ首相が辞任した<ref>{{Cite news|url=http://www.afpbb.com/articles/-/3006348|title=中央アフリカ、大統領辞任後に暴力行為が続発|work=AFP|publisher=フランス通信社|date=2014-01-12|accessdate=2014-01-12}}</ref>。2014年2月には、評議会内の選挙により[[カトリーヌ・サンバ=パンザ]]が大統領に選出され、キリスト教徒の立場から国内融和に乗り出した<ref>{{Cite news|url=http://www.afpbb.com/articles/-/3006910|title=中央アフリカの暫定大統領に首都市長、同国初の女性大統領|work=AFPBBNews|publisher=フランス通信社|date=2014-01-21|accessdate=2014-02-13}}</ref>。
 
 
 
2014年2月、[[国際刑事裁判所]](ICC)の検察官が政治的な混乱の中で行われた[[人道に対する罪]]の予備調査を開始、同年4月10日、国連[[安全保障理事会]]は中央アフリカにおいて、国外から派遣軍を倍増させる11,800人規模の[[国際連合平和維持活動|平和維持活動部隊]](PKO)を発足させる決議案を全会一致で採択。[[フランス軍]]に事実上の指揮権を与えた<ref>{{Cite news|url=http://mainichi.jp/select/news/20140411k0000e030205000c.html
 
|title=中央アフリカ:安保理、PKO部隊発足を採択|work=毎日新聞|newspaper=毎日新聞社|date=2014-04-11|accessdate=2014-04-21}}</ref>。
 
 
 
== 政治 ==
 
=== 2013年3月まで ===
 
 
 
{{main|{{ill2|中央アフリカ共和国の政治|en|Politics of the Central African Republic}}|[[:en:Central African Republic Council of Ministers]]|中央アフリカ共和国の政党}}
 
 
 
中央アフリカは[[共和制]]、[[大統領制]]をとる立憲国家である。現行[[憲法]]は[[2004年]][[12月5日]]に制定され、同月27日より施行されたもの。
 
 
 
[[元首|国家元首]]である大統領は、[[国民]]の直接選挙により選出され任期は5年。3選は禁止されている。[[首相]]は総選挙の結果に基づき、国民議会が選出する。内閣に相当するものとして'''閣僚評議会'''が設置されている。
 
 
 
議会は[[一院制]]で、正式名称は'''国民議会'''。定数109議席で国民議会議員は直接選挙で選出され、任期は5年である。
 
 
 
主要政党としては、ボジゼ元大統領政権の事実上の与党である[[国民集合クワ・ナ・クワ]](KNK, ボジゼ自身は党員ではなく無所属)、パタセ前大統領の所属する[[中央アフリカ人民解放運動]] (MLPC)、コリンバ元大統領が率いる[[中央アフリカ民主連合]] (RDC) の3党が挙げられる。他には[[社会民主党 (中央アフリカ共和国)|社会民主党]] (PSD)、[[進歩愛国戦線]] (FPP)、{{ill2|民主進歩同盟 (中央アフリカ共和国)|en|Alliance for Democracy and Progress (Central African Republic)|label=民主進歩同盟}} (ADP)、[[新進歩同盟]] (NDP) といった小政党がある。
 
 
 
反政府武装勢力として「{{ill2|民主復興人民軍|en|People's Army for the Restoration of Democracy (CAR)}}」(APRD) があり、主に北部を拠点に活動している。
 
 
 
最高[[司法]]機関は[[最高裁判所]] (''Cour suprême'') である。[[憲法裁判所]]も存在する。
 
[[File:Faustin_Touadera_with_Obamas.jpg|thumb|right|トゥアデラ大統領と[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[バラク・オバマ|オバマ]]大統領夫妻。]]
 
 
 
=== 2013年3月以降 ===
 
2013年3月、セレカの首都進攻により初めてイスラム政権が誕生した。同年中に2004年に制定された憲法は廃止され、2015年まで有効とする暫定憲法が公布された。議会も解散し、新たな議会として暫定評議会、次いで国民移行評議会(135議席)が設置された。評議会は大統領を選出する機能を有しており、2014年2月には会内の選挙によりサンバ=パンザを新しい大統領として選出している。2015年12月から2016年3月にかけて大統領選挙と国民議会選挙を実施し、現在のトゥアデラ大統領が就任した。
 
 
 
== 地方行政区分 ==
 
{{Main|中央アフリカ共和国の行政区画}}
 
[[ファイル:CAR_prefectures.png|thumb|400px|中央アフリカ共和国の州]]
 
中央アフリカは14の行政州と2つの経済州、そして州に属さない首都のバンギがある。また州はさらに71の地区(支庁)に分けられる。
 
 
 
中央アフリカの14の行政州は以下の通り。
 
* [[バミンギ・バンゴラン州]] (Bamingui-Bangoran)
 
* [[バス・コト州]] (Basse-Kotto)
 
* [[オート・コト州]] (Haute-Kotto)
 
* [[オー・ムボム州]] (Haut-Mbomou)
 
* [[ケモ州]] (Kémo)
 
* [[ロバイエ州]] (Lobaye)
 
* [[マンベレ・カデイ州]] (Mambéré-Kadéï)
 
* [[ムボム州]] (Mbomou)
 
* [[ナナ・メンベレ州]] (Nana-Mambéré)
 
* [[オンベラ・ムポコ州]] (Ombella-M'Poko)
 
* [[ワカ州]] (Ouaka)
 
* [[ウハム州]] (Ouham)
 
* [[ウハム・ペンデ州]] (Ouham-Pendé)
 
* [[バカガ州]] (Vakaga)
 
また、2つの経済州は、[[ナナ・グリビジ州]] (Nana-Grébizi) と[[サンガ・ムバエレ州]] (Sangha-Mbaéré) である。
 
 
 
===主要都市===
 
{{Main|中央アフリカ共和国の都市の一覧}}
 
主要な都市はバンギ(首都)があり、人口10万人以上の都市は[[ビンボ (中央アフリカ共和国)|ビンボ]]がある。
 
 
 
== 地理 ==
 
<!-- ''詳細は[[中央アフリカの地理]]を参照'' -->
 
[[ファイル:Central African Republic-CIA WFB Map.png|thumb|中央アフリカ共和国の地図]]
 
[[File:Ubangi river near Bangui.jpg|thumb|left|バンギ近くのウバンギ川]]
 
 
 
国土面積約623千平方kmはアメリカ・テキサス州よりやや小さい。大部分が海抜500mの平坦地で北部にはボンゴ山地が聳え立つ。中部から北部には[[サバナ (地理)|サバンナ]]が広がり、南部に全土の8%程度の熱帯雨林がある。北部と南部には川([[ウバンギ川]]、[[シャリ川]])が流れており、植民地時代の名称の由来となっている赤道に近いため熱帯気候を示す。北部は熱く乾いた[[ハルマッタン]]風が吹き砂漠化を進める。
 
 
 
[[氾濫原]]やサバンナを含む[[マノヴォ=グンダ・サン・フローリス国立公園]]は[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[世界遺産]]に登録されている。
 
{{Clearleft}}
 
== 経済 ==
 
<!-- ''詳細は[[中央アフリカの経済]]を参照'' -->
 
[[File:Bangui Shopping District.jpg|thumb|right|首都バンギ]]
 
 
 
第一次産業が主。[[プランテーション]]的な[[モノカルチャー]]であり、[[木綿|綿花]]や[[コーヒー]]を輸出している。[[ダイヤモンド]]や[[ウラン]]、[[金]]などの鉱産資源も産出し、同様に輸出している。主要な輸出先は[[ベルギー]],[[中国]],モロッコ,コンゴ(民)、輸入先はオランダ,韓国,[[フランス]],カメルーン(2010年)である。しかし内陸国であるため資源の輸送費は高くつき、加えて政情不安が度重なっておりそこにはウラン利権も関係している<ref>[[ウィキリークス]] [https://wikileaks.org/car-mining/#car The New Dirty War for Africa's uranium and mineral rights] 2016-02-05</ref>。また経済も大きな打撃を蒙り低迷が続いていて、人口の9割は一日2ドル以下で生活している状況である。
 
 
 
== 国民 ==
 
[[File:Group of Peul women in Paoua.jpg|thumb|[[ウハム・ペンデ州]]の女性グループ]]
 
 
 
=== 民族 ===
 
{{main|{{ill2|中央アフリカ共和国の国民|en|Demographics of the Central African Republic}}}}
 
 
 
住民は、{{ill2|アダマワ・ウバンギ語群|en|Adamawa–Ubangi languages|label=アダマワ・ウバンギ系言語}}を話す民族が中心である。主な民族は、{{仮リンク|バイヤ族|en|Gbaya people}} (33%)、{{仮リンク|バンダ族|en|Banda people}} (27%)、{{仮リンク|マンディア族|en|Mandja people}} (13%)、{{仮リンク|サラ族|en|Sara people}} (10%)、ムブーム族 (7%)、[[ムバカ族]] (4%)、{{仮リンク|ヤコマ族|en|Yakoma people}} (4%)、その他 (2%) である<ref>{{Cite web |date= |url=https://www.iworldatlas.com/central-african-republic-world-atlas-history-stats-map-jp-10-745 |title=中央アフリカ共和国についての情報 |publisher=iWorldAtlas.com |accessdate=2018-05-13}}</ref>。
 
 
 
=== 言語 ===
 
{{main|[[中央アフリカ共和国の言語]]|フランコフォニー国際機関}}
 
 
 
言語は公用語がフランス語である。日常生活では、フランス語と{{ill2|アダマワ・ウバンギ語群|en|Adamawa–Ubangi languages|label=アダマワ・ウバンギ系言語}}の{{ill2|ンバンディ語|en|Ngbandi language}}が混淆して形成された[[サンゴ語]]という[[クレオール言語]]が事実上の共通語となっている。
 
 
 
=== 宗教 ===
 
{{main|{{ill2|中央アフリカ共和国の宗教|en|Religion in the Central African Republic}}}}
 
 
 
宗教は、伝統的宗教が24%、[[プロテスタント]]が25%、[[カトリック教会|ローマ・カトリック]]が25%、[[イスラム教]]が15%、その他が11%である。
 
 
 
===教育===
 
{{節スタブ}}
 
 
 
== 文化 ==
 
[[File:CARvillagefromthesky.jpg|thumb|中央アフリカ共和国の農村]]
 
 
 
=== 世界遺産 ===
 
中央アフリカ国内には[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[世界遺産]]リストに登録された[[自然遺産]]が2件存在する。
 
 
 
* [[マノヴォ=グンダ・サン・フローリス国立公園]](1988年)
 
* [[サンガ川流域の3か国保護地域]](2012年)- うち[[ザンガ=ンドキ国立公園]]を保有。
 
 
 
=== 祝祭日 ===
 
{| class="wikitable"
 
|+ 祝祭日
 
!日付!!日本語表記!!現地語表記!!備考
 
|-
 
|3月29日||独立の父[[バルテレミー・ボガンダ]]の[[命日]] ||Décès du Fondateur Barthélemy Boganda||
 
|-
 
|8月13日||独立記念日||Fête de l'Indépendance||
 
|-
 
|12月1日||国の祝日||Fête nationale, jour de défilé sur l'Avenue des Martyrs||
 
|}
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{Reflist|2}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
{{Commons&cat|Central African Republic|Central African Republic}}
 
* [[中央アフリカ帝国]]
 
 
 
== 外部リンク ==
 
* 日本政府
 
** [http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/car/ 日本外務省 - 中央アフリカ共和国]{{ja icon}}
 
** [http://www.cmr.emb-japan.go.jp/jp/RCA-jp.html 在中央アフリカ日本国大使館]{{ja icon}}
 
 
 
{{アフリカ}}
 
{{OIF}}
 
 
{{デフォルトソート:ちゆうおうあふりか}}
 
{{デフォルトソート:ちゆうおうあふりか}}
 
[[Category:中央アフリカ|*]]
 
[[Category:中央アフリカ|*]]

2019/7/3/ (水) 09:38時点における版

シャリ川.中央アフリカ共和国.jpg

中央アフリカ共和国(ちゅうおうアフリカきょうわこく、フランス語: République centrafricaineテンプレート:Lang-sg)、通称中央アフリカ

面積 62万2436km2
人口 495万(2011推計)
首都 バンギ

アフリカ大陸中央部の国。北はチャド,東はスーダンと南スーダン,南はコンゴ民主共和国とコンゴ共和国,西はカメルーンに国境を接する内陸国。国土の大部分は標高 600~900mの高原で,北西端にカレ山地(1410m)があり,コンゴ川水系とチャド盆地との分水界が東西を横切る。南部は森林に覆われ高温多湿。年平均気温 27℃。北へ行くに従い乾燥し,北部は疎林サバナとなる。年降水量約 1700mm。3~10月が雨季。旧石器時代の人類の居住跡があり,のちいくつかの部族王国が形成されていたが,1889年フランスがバンギに交易所を建設,チャド方面への前進基地とし,1910年ウバンギシャリ植民地として,ガボン,チャド,中央コンゴを含むフランス領赤道アフリカの一部となった。1946年フランス海外領,1958年フランス共同体内の自治国となり,それに伴って中央アフリカ共和国と命名,1960年に独立した。1976年12月ジャン・ボカサが帝位につき,共和国を帝国に改称したが,1979年9月のクーデターで廃位,共和国へ復帰した。農業を主とし,綿花をはじめ木材,コーヒー,ゴム,パーム油などを輸出。鉱物資源に恵まれ,ダイヤモンドが輸出額の 50%近くを占めるほか,ウラン,金,鉄鉱石,石灰石なども発見されている。住民は多様だが西部のマンジャ族,バヤ族,中部のバンダ族,南部のウバンギ族が主。大半は部族固有の宗教をもち,約 70%のキリスト教徒と少数のイスラム教徒がいる。公用語はフランス語とサンゴ語で,サンゴ語が広く用いられる。



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