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{{Otheruses|福岡市の歓楽街である中洲|地形の中州|中州}}
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[[ファイル:Nishi-Ohashi Bridge from Nishi-Nakashimabashi Bridge.JPG|thumb|300px|西中島橋から[[那珂川 (九州)|那珂川]]上流側を望む。左側は中洲、右側は[[西中洲]]。]]
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'''中洲'''(なかす)
[[ファイル:Nakasu-yatai.JPG|thumb|300px|清流公園の[[屋台]]街]]
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[[福岡市]][[博多区]]、[[那珂川 (九州)|那珂川]]と[[博多川]]に挟まれた[[中州]]に位置する地区。
[[ファイル:Nakasuhakata01.jpg|thumb|300px|[[ネオンサイン]]]]
 
 
 
'''中洲'''(なかす)は[[福岡市]][[博多区]]、[[那珂川 (九州)|那珂川]]と[[博多川]]に挟まれた[[中州]]に位置する地区である。
 
  
 
== 概要 ==
 
== 概要 ==
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中洲と西中洲・天神を結ぶ「福博であい橋」からは、那珂川沿いの[[ネオンサイン]]の風景が見られる。
 
中洲と西中洲・天神を結ぶ「福博であい橋」からは、那珂川沿いの[[ネオンサイン]]の風景が見られる。
  
== 産業 ==
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== 外部リンク ==
中洲には全国の他の歓楽街と同じく、[[飲食店]]や、[[風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律|風営法]]対象業種である[[クラブ (接待飲食店)|クラブ]]や[[キャバクラ]](中洲では「[[ラウンジ]]」や「ニュークラブ」と言う)、[[セクシーパブ]]、[[バー (酒場)|バー]]などが集積されている。
 
 
 
* 中洲にある店の数 - 約3,500軒(飲食店・風俗店など)
 
* 中洲で働く人の数 - 約3万人
 
* 1日に中洲に遊びに来る人 - 約6万人
 
(いずれも中洲観光協会より)
 
 
 
[[1996年]]、隣接する住吉地区に[[キャナルシティ博多]]が開業。[[1999年]]には隣接する下川端町に[[博多リバレイン]]が開業。[[福岡玉屋]]は1999年に閉店したが[[2006年]]、跡地に複合商業施設[[ゲイツ (商業施設)|gate's]]が開業した。また隣接する[[川端通商店街]]にも多くの小売店や飲食店などが並ぶ。[[ホテル]]や[[カプセルホテル]]、[[インターネットカフェ]]などもある。
 
 
 
かつて中洲には[[映画館]]が集中していたが、現在は[[大洋映画劇場]](中洲大洋)のみとなった。
 
 
 
; 最盛期(1960年代)の映画館
 
: 福岡大映劇場(福岡公楽映画劇場、福岡松竹ピカデリー1・2)、文化劇場(文化オークラ劇場、福岡オークラ劇場)、福岡宝塚会館(九州劇場→福岡日本劇場跡。福岡宝塚劇場・福岡スカラ座・福岡東宝シネマ・福岡東宝名画座)、有楽映画劇場、福岡日活劇場、大洋映画劇場、タマヤシネマ(福岡玉屋内)、博多日活劇場(福岡グランド劇場)、中洲映画劇場、福岡東宝劇場、福岡松竹映画劇場、[[福岡東映]]劇場、福岡東映パラス、多門日活(多聞座)、ハリウッド映画劇場、テアトル川丈、福岡SY[[松竹座]]
 
 
 
南端の[[南新地]]地区(中洲1丁目)は[[ソープランド]]など[[風俗店]]が集積し、いわゆるソープ街を形成する。那珂川沿いに整備された[[歩道|遊歩道]]には[[屋台]]が立ち並ぶ。
 
 
 
=== 風適法上の扱い ===
 
[[風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律]](風適法)のもとで福岡県が制定した「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律施行条例」(昭和59年12月28日 条例第30号)<ref>[http://www1.g-reiki.net/reiki/Li05_Hon_Main_Frame.exe?UTDIR=C:\EFServ2\ss0027A47C\GUEST&TID=1&SYSID=7626 風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律施行条例] 福岡県例規集、2011年1月1日現在、2014年9月23日閲覧。</ref>において、中洲について以下のような指定がなされている。
 
*[[キャバレー (接待飲食店)|キャバレー]]や[[クラブ (接待飲食店)|クラブ]]のような[[風俗営業]]([[パチンコ屋]]などの[[風俗第四号営業|4号営業]]は除く)について、中洲1丁目 - 5丁目で午前1時までの営業が認められている(条例4条の2、別表第1の2)。
 
*[[ソープランド]]([[店舗型性風俗特殊営業]]の1号)について、中洲1丁目・2丁目での営業が許可されている(福岡県での許可地域はこれ以外に[[北九州市]][[小倉北区]][[船頭町 (北九州市)|船頭町]]3番のみ、条例10条、別表第3)。
 
 
 
== 行事 ==
 
* [[博多どんたく]](5月3日、4日)
 
* [[博多祇園山笠]](7月1日 - 15日)
 
*: [[中洲流]]として参加。
 
* 飢人地蔵供養祭(8月23日、24日)
 
*: [[享保の大飢饉]]で餓死した人々を供養する。
 
* [[中洲ジャズ]](9月ごろ)
 
*: [[2009年]]より毎年開催。
 
* [[中洲まつり]](10月第1週の木 - 土曜日)
 
*: [[オイルショック]]の頃より始まる。メインは國廣女衆みこし。
 
 
 
== 歴史 ==
 
[[慶長]]年間、[[福岡藩]]初代藩主の[[黒田長政]]が、福岡(現在の[[中央区 (福岡市)|中央区]])と[[博多]](現在の博多区)を結ぶために、中の島(中島町。現在の中洲中島町近辺)の東西に東中島橋と西中島橋(現在の昭和通り)をかけて整備された。当初は魚町流([[福神流]])に属し、町人町である博多の一部とされた。中島町から西中島橋を渡って福岡入りする箇所には城下町防御のため'''枡形門'''が置かれた。
 
 
 
[[博多湾]]に面する北西端には長崎警護の船を係留する御船入が設けられたが、砂が堆積し用をなさなくなり、[[寛政]]3年([[1791年]])には新御船入が現在の[[福岡市立博多中学校|博多中学校]]の位置に新設。中の島の古御船入は[[1820年]]([[文政]]3年)頃に埋められ(浜新地)、[[1834年]]([[天保]]5年)の福岡藩[[藩政改革]]では発行した[[藩札|銀札]]を流通させるため中島町・浜新地一帯が繁華街として整備され、[[芝居]]・[[相撲]]・[[富籤]]がおこなわれた。同年秋には[[市川團十郎 (7代目)|市川團十郎]]が『[[仮名手本忠臣蔵]]』を上演。また[[茶屋]]なども集まった。[[1847年]]([[弘化]]4年)には[[黒田長溥]]により藩営[[精錬]]所が設けられる。
 
 
 
いっぽう現在の中洲(当時は東中洲と呼ばれた)の大半は18世紀半ばまで畑であり、福岡市制が始まる[[1889年]]([[明治]]22年)までは[[那珂郡 (福岡県)|那珂郡]]春吉村の一部であった。
 
 
 
明治時代になり、中洲には福岡病院([[九州大学病院]]の前身)や[[九州電灯鉄道|博多電灯]]本社、福岡電話局などが開設される。[[1874年]](明治7年)には常設芝居小屋が設立され、明治30年代には次々と劇場が建てられた。さらに[[1913年]]([[大正]]2年)からは[[映画館]]が続々と立てられ、繁華街として発展。[[1925年]](大正14年)には玉屋デパートが開業。
 
 
 
[[1897年]](明治30年)から券番(検番。[[芸妓]]と客を取り持つ事務所)が複数設立された。大正時代初期からは[[カフェ]]や[[バー (酒場)|バー]]も増えていった。中でも[[1934年]]([[昭和]]9年)に開店した「ブラジレイロ」は文学サロンとなり、[[火野葦平]]、[[夢野久作]]、原田種夫らが足を運んだ。
 
  
[[1907年]]には[[与謝野鉄幹]]や[[北原白秋]]ら文学人5人が九州各地を旅行中、中洲の川丈旅館に宿泊。この時の紀行文は『[[五足の靴]]』として出版された。
 
 
[[1945年]]の[[福岡大空襲]]では南新地の一部を除いた中洲全域が罹災。しかし同年末から映画館が復興。劇場も復活。映画館は[[1956年]]には17館も立ち並んだ。券番も復活。またスナックやキャバレーも激増。また南新地にはソープランドなどが増加した。
 
 
なお、[[1956年]]から[[1959年]]までの間、花の関ビル上階に[[久留米市]]にあったラジオ局の[[九州朝日放送]](KBC)が移転。テレビ開局に伴い長浜に再移転するまでここで放送していた。
 
 
かつて中洲は「なかず」と[[濁音]]で呼ばれたとされる。[[清音]]の「なかす」が正式になった時期は不明だが、今でもこだわりをもって「なかず」と呼ぶ人もいる。
 
 
== 脚注 ==
 
{{reflist}}
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[中洲産業大学]] - [[タモリ]]が初期の持ちネタとして用いた架空の大学
 
* [[雑餉隈]] - 第2の中洲と呼ばれている。
 
* [[龍が如く5 夢、叶えし者]] - 中洲をモデルにした'''永洲街'''が舞台となっている。
 
 
== 外部リンク ==
 
{{commons category|Nakasu}}
 
 
* [http://nakasukankou.com/ 中洲観光協会・中洲町連合会]
 
* [http://nakasukankou.com/ 中洲観光協会・中洲町連合会]
 
* [http://nakasumatsuri.com/ 中洲まつり]
 
* [http://nakasumatsuri.com/ 中洲まつり]
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[[Category:博多区の地理]]
 
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2018/10/22/ (月) 23:00時点における版


中洲(なかす) 福岡市博多区那珂川博多川に挟まれた中州に位置する地区。

概要

那珂川の流れに沿って北西から南東にかけて約1キロの細長い地形を呈する。北東から南西にかけての横幅は約200メートル。

北西から昭和通り明治通り国体道路国道202号)が当該地域を貫き、それらに直角に交る中洲中央通りが中洲の歓楽街の中心。行政界として、昭和通りから北西が中洲中島町、昭和通りから南東が中洲(1-5丁目)である。中洲中島町を除いた地区が歓楽街に該当する。また那珂川の対岸は「西中洲」と呼ばれ料亭などが多い。西中洲は「中洲の続き」という位置付けであるが博多区ではなく中央区である。

九州最大の歓楽街であり、大阪北新地と並んで西日本一の歓楽街ともされる。また、東京新宿歌舞伎町札幌すすきのと合わせて日本3大歓楽街と称されることもある。

最寄り駅は福岡市地下鉄中洲川端駅

1991年に公開された映画『ゴジラvsキングギドラ』では周辺が舞台になり、大規模なロケーションが敢行された。

中洲と西中洲・天神を結ぶ「福博であい橋」からは、那珂川沿いのネオンサインの風景が見られる。

外部リンク


座標: 東経130度24分19秒北緯33.593647度 東経130.405295度33.593647; 130.405295



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