二十四の瞳

提供: miniwiki
2019/4/30/ (火) 02:18時点におけるAdmin (トーク | 投稿記録)による版 (1版 をインポートしました)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先:案内検索
二十四の瞳
著者 壺井栄
ジャンル 長編小説
日本の旗 日本
言語 日本語
テンプレートを表示

二十四の瞳』(にじゅうしのひとみ)は、1952年昭和27年)に日本壺井栄が発表した小説である。

第二次世界大戦の終結から7年後に発表された小説で、作者の壺井栄は、自身が戦時中を生きた者として、この戦争が一般庶民にもたらした数多くの苦難と悲劇を描いた。

発表の2年後、1954年昭和29年)に映画化された(二十四の瞳 (映画))。これまで、映画化2回、テレビドラマ化6回、テレビアニメ化1回、計9回映像化された。

概要

瀬戸内海べりの一寒村」を舞台に、女学校を出て赴任した女性教師と、その年、小学校に入学した12人の生徒のふれあいを軸に、日本第二次世界大戦を突き進んだ歴史のうねりに、否応なく飲み込まれていくこの教師と生徒たちの苦難や悲劇を通し、戦争の悲壮さを描いた作品である。

1928年昭和3年)から1946年(昭和21年)まで、すなわち、昭和の戦前期、終戦、その翌年まで、18年間が描かれている。

小説の舞台は、壺井栄が、その冒頭で「瀬戸内海べりの一寒村」としている。そして、全ページを通じて、一切、舞台の具体的な地名は出てこない。しかし、映画・テレビをあわせて9回映像化された際、原作者壺井栄の故郷が香川県小豆島であることから、これら映像作品では、物語の舞台を「小豆島」と設定した。これにより、「二十四の瞳」と、原作にはない「小豆島」の2つが結びついて広く認識されるようになった。

1952年2月から11月までキリスト教の雑誌「ニュー・エイジ」に連載、同年12月に光文社に刊行[1]

文庫本の初版は新潮社では1957年[2]角川書店1961年に刊行[3]。ともに50年以上続けている。

あらすじ

1928年昭和3年)、普通選挙が実施される一方で治安維持法の罰則が厳しくなった年に[4]、「女学校の師範科」を卒業したばかりの正教員の大石久子(おなご先生)は、島の岬の分教場に赴任する。そこに入学した一年生12人(男子5人、女子7人)の児童の、それぞれの個性にかがやく二十四の瞳を前に、この瞳をどうしてにごしてよいものかと感慨を持つ。

若く朗らかな大石に子供たちはすぐになつき、信望を集めた。しかし颯爽と自転車に乗り洋服姿で登校するおなご先生は「ハイカラ」であることを理由に、保守的な村の大人達から敬遠され、些細な誤解から面罵され、思わず涙する事もあった。しかしいつでも子供たちはおなご先生の味方であり、支えであった。

そんな折、大石は年度途中で子供たちの作った落とし穴に落ちてアキレス腱を断裂。分教場への通勤が不可能になってしまう。大石が不在の中、「おなご先生」を一途に慕う子供たちの姿を目の当たりにした村の大人達の態度も軟化する。大石が子供たちにとってかけがえのない存在であることを理解したのだった。やがて怪我が完治した大石は本校へ転任する事となり、村の皆に見送られ、再会を約束して分教場を去った。

1932年昭和7年)、5年生になった子供たちは本校に通うようになり、新婚の大石と再会する。しかし昭和恐慌や東北飢饉、満州事変第一次上海事変と続く戦争といった暗い世相は、大石を始めつつましく暮らす生徒達のそれぞれの暮らしに、不幸の影を落とし始める。

1934年昭和9年)春、アカのレッテル貼りに世間が流れて自由な発言がしづらくなり、忠君愛国が重んじられて行く学校に憂いを持った大石は、船乗りの男性と結婚・妊娠する。防空演習が多くなったこともあって、教え子たちの卒業とともに3月で教職を辞する。12人の生徒たちはそれぞれの運命を歩み、女子は生活苦に追われ、男子は好戦的な空気の中で英雄になる夢を見て、兵隊志願者が多くなっており、行く末を案じる。

1941年(昭和16年)の春、三児の母となった大石は、徴兵検査が行われているK町のバス停で、検査のため来ている教え子の男子たちに出会う。もはやお国のために死ぬことしか言えなくなっている中、甲種合格してしまい海軍に配置された教え子と別れる時、「名誉の戦死など、しなさんな。生きて戻ってくるのよ。」と、声を潜めて伝える大石だった。その年12月に太平洋戦争が始まり、夫は南の海へ出兵している。

1946年昭和21年)、夫を海戦で、相次いで母親も末娘も亡くした大石は、ふたたび代用教員として教壇に復帰する。幼い児童たちの中にはかつての12人の児童たちの近親者もいる。最初の12人と子供たちの姿をだぶらせ、涙ぐむ大石は、その昔「おなご先生」とあだ名をつけられたように「泣きミソ先生」と呼ばれることとなる。しばらくたち、教師の道をえらび、母校に勤務しているかつての教え子の呼びかけで、12人のうち消息のわかる5人は大石と後輩の教師と会合をもつ。兵隊塚の墓参をした後、会合では、貧しさから波乱の人生を余儀なくされた者、家が没落し消息を絶った者、誰にも看取られる事なく病死した者、遠い海の向こうで戦死し2度と帰ってこない者、戦場で負傷し失明した者。時代の傷を背負って大人になった教え子は、大石を囲んで小学1年生のあの日皆で一緒に撮った写真を見る。ビールを飲みながら1人の女子は、すさんだ時代の中、海千山千になるしか生き残れなかったことを嘆き、「こういう所になると一番、役に立たないのは学校の先生と思いませんか」と笑い荒城の月を歌う中、失明した男子が一人一人名前を呼びながら写真の顔を指さす。大石が「そう、そうだわ、そうだ」とほほえみながら肩を抱いて、歌を聞きながら涙がほほを伝うと、皆しんとし、大石の後をついで教師になった女子が、歌った同級生にしがみついて、むせび泣く。

フィルモグラフィ

以下は、同作品を原作もしくは、同作品を参考としたものである。

劇場用映画

テレビドラマ

1964年版

1964年4月17日 - 7月10日に、開局して間もない東京12チャンネル(現・テレビ東京)において放送された。放送時間は金曜19:30 - 20:00(JST)。

東京12チャンネル 金曜19時台後半枠
前番組 番組名 次番組
(開局前)
二十四の瞳
(1964年版)

1967年版

1967年10月19日-1968年3月28日日本教育テレビ(現・テレビ朝日)系列において「大丸名作劇場」(木曜21:00 - 2130)枠で放送された。

毎日放送制作・NET系列 木曜21時台前半枠
【『大丸名作劇場』再開】
前番組 番組名 次番組
二十四の瞳
(1967年版)

1974年版

1974年11月11日 - 20日にNHKにおいて「少年ドラマシリーズ」枠で放送された。本作を収録したマスターテープは他の番組制作に使い回されたために映像は残っていない。

1976年版

1976年1月5日 - 14日にNHKにおいて「少年ドラマシリーズ」枠で放送された1974年版の第二部。

NHK制作 少年ドラマシリーズ
前番組 二十四の瞳シリーズ 次番組
少年カウボーイ
(1974.10.14 - 1974.11.6)
二十四の瞳
(1974.11.11 - 1974.11.20)
アルプスのスキーボーイ
(1974.11.25 - 1974.11.28)
あおげばとうとし
(1976.1.3)
二十四の瞳 第2部
(1976.1.5 - 1976.1.14)
幼年時代
(1976.1.19 - 1976.1.29)

1979年版

1979年7月9日-8月31日TBSにおいて「花王愛の劇場」枠で放送された。

TBS 花王 愛の劇場
前番組 番組名 次番組
体の中を風が吹く
(1979.5.14 - 1979.7.6)
二十四の瞳
(1979.7.9 - 1979.8.31)
北の宿から
(1979.9.3 - 1979.10.26)

2005年版

2005年8月2日日本テレビ系列において終戦60周年特別ドラマとして放送された。

2013年版

2013年8月4日21:00 - 23:10[5] (JST)にテレビ朝日系列『日曜エンタ・ドラマスペシャル二十四の瞳』として放送。1954年の映画を監督した木下惠介の生誕100年記念作品。

キャスト
スタッフ

テレビアニメ

1980年10月10日フジテレビ系列において日生ファミリースペシャルとして放送されたテレビアニメ。制作は東京ムービー新社(現:トムス・エンタテインメント[6]。放送時間は金曜19:30 - 20:54。声の出演は倍賞千恵子岡本茉利戸田恵子、白石珠江、高宮淳子、浅野亜子三ツ木清隆ら(ナレーション:奈良岡朋子)。物語の合間と最終場面に実相寺昭雄演出による実写パートが挿入されていた。

最終場面の実写部分は、成長した生徒と大石の再会場面で、大石(倍賞千恵子)や生徒をアニメ部分の声優が演じている。

フジテレビ系列 日生ファミリースペシャル
前番組 番組名 次番組
二十四の瞳
(テレビアニメ)

関連著作

『二十四の瞳からのメッセージ』(澤宮優著 洋泉社刊 2007年) ISBN 4862481965
木下恵介監督の映画「二十四の瞳」を、当時の子役や出演者、スタッフらの証言をもとに検証することで、作品が現代へ何を問いかけているかを探ったノンフィクション。
「古地図で歩く香川の歴史 さぬきで息ぬき 高松城下に遊び、二十四の瞳の世界をさまよう」(井上正夫著 同成社2009年刊) ISBN 4886214509
第3部 二十四の瞳の世界では、昭和3年発行と平成19年発行の小豆島の地図を見比べ、大石が岬の分教場へ通ったであろう道を辿っている。また、大石のモデルについても考察されており、高松市出身の実在の人物にスポットを当てている。

脚注

  1. 財団法人大阪国際児童文学館・日本の子どもの本100選(二十四の瞳)
  2. 新潮社ホームページ
  3. 瑣事加減(2012年8月9日)
  4. 治安維持法1928年(昭和3年)に緊急勅令「治安維持法中改正ノ件」により強化された。(治安維持法#法律制定を参照の事)
  5. 20:58 - 21:00に『今夜のドラマスペシャル』も別途放送。
  6. トムスエンタテインメント(二十四の瞳)

参考文献

関連項目

外部リンク