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'''元首'''(げんしゅ)または'''国家元首'''(こっかげんしゅ、{{lang-la|dux civitatis}}、{{lang-fr|chef d’État}}、{{lang-en|head of state}})とは、
 
*行政の長として対外的代表権を持つ存在
 
*(行政の長かそうでないかを問わず、単に)対外的代表権を持つ存在
 
を指す。
 
  
== 概要 ==
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国家を外に向って一般的に代表する資格をもつ機関。元首の公的行為はすなわち国家の行為であり,その行為の効果は国際法上国家に帰属する。そのような行為の主要なものとして,外交官や領事官の派遣と接受,条約の締結,宣戦および講和などがあげられる。元首は国家の威厳を代表する者として,外国に滞在する場合には,儀礼,不可侵権(名誉,身体,住居など) ,[[治外法権]] (裁判権,警察権,課税権からの免除) など,広い特権を享有する。歴史的には,[[国家有機体説]]に基づいて,主権者にして行政権のにない手であるという背景において対外的に国家を代表する[[君主]]を国家の頭になぞらえるところから生じたものであるが,君主制の衰退に伴い,行政権の首長にして条約締結権その他の対外的代表権をもつものを,さらには対外的代表権に局限してその資格をもつものを元首と考えるようになった。ある国においてどの地位にある者が元首の資格をもつかは通常憲法で定められている。明治憲法下の天皇は本来の元首といえ,憲法でも天皇を「国ノ元首」と規定していた。しかし日本国憲法下でだれが元首かは必ずしも明確ではない。日本国憲法上条約締結権や外交関係を処理する機能は[[内閣]]にある (73条2,3号) から,元首は内閣ないし内閣の代表権をもつ[[内閣総理大臣]]ともいえるが,天皇も全権委任状,信任状の認証,批准書その他の外交文書の認証および外国の大使・公使の接受をなし (7条5,8,9号) ,その限り国を代表する機能を果しており,諸外国も天皇を元首扱いしている。
「国家元首」の概念は、[[国家有機体説]]に発しており、国家を人体に[[比喩|なぞらえ]]た場合に、君主をhead([[頭]][[]]<ref>英語の「head」に相当する部分は、自然な日本語ではしばしば「[[]]」と呼ばれる。</ref>)になぞらえたものとして生まれている<ref>「社会・国家論に対する古くなった・・モデルは社会有機体説あるいは国家有機体説である。国家有機体説は君主の地位を人体のうちの首つまり頭(頭脳)になぞらえる。そしてそうした君主は文字通り元首(head of state)と呼ばれる」(出典:『国家と社会に対する数理的接近法』[[山下正男]](京都大学人文学報1995.03)[http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/48448/1/76_135.pdf] PDF-P.6)</ref>。この比喩から転じて、やがて、そうした国家有機体説の比喩を離れて、行政権の長として対外的代表権を持つ存在(人)を元首と呼ぶようになり、さらに転じて、(行政権の長であるかないかは問わず)ともかく、対外的代表権を持っている存在(人)を指して「元首」と呼ぶようになった <ref>「元首(head of state)は元来、統治権を総攬し、行政権の首長であると同時に、対外的代表権をも君主を、国家有機体説を背景に、国家の頭になぞらえるところに成立したといわれるが、やがて国家有機体説とは無関係に、行政権の首長として対外的代表権をもつ存在を元首と称するようになり、さらにはもっぱら対外的代表権に着眼して元首がいわれるようになった」佐藤幸治『憲法(第三版)』青林書院1995年、P24。</ref>。
 
  
[[社会契約説]]の国家観の下では社会的な委任契約における社会的人格の一つ<ref>委任契約の命令的性格については議論があり、全権委任と解する立場も可能である(独裁政)。現代では憲法に基づく命令委任と解することが多い。国会議員についてはむしろ純粋代表と解釈し、[[命令的委任]]と解することを否定するものが見られる。第五共和制フランス憲法27条1項「命令的委任はすべて無効である」ドイツ連邦共和国基本法38条「・・・議員は、国民全体の代表者であって、委任及び指示に拘束されず、かつ自己の良心にのみ従う」[http://homepage3.nifty.com/constitution/resume/07-gov-5.pdf]</ref>。
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[[君主制]]の国家では[[皇帝]]・[[国王]]などの[[君主]]、[[共和制]]の国家では[[大統領]]が元首とされることが通例である。[[社会主義国]]では大統領の他、[[中華人民共和国]]の[[中華人民共和国主席|国家主席]]や[[キューバ]]の[[国家評議会議長]]、かつての[[ソビエト連邦|ソ連]]の[[ソビエト連邦最高会議幹部会議長|最高会議幹部会議長]]、[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]の[[国家評議会 (東ドイツ)|国家評議会議長]]なども国家元首に該当する。
 
 
 
国家元首に関する規程を持たない国も少なくなく、そうした国での国家元首は慣習上のものである。各国の[[憲法]]により、国家元首が政治の実権を持つ場合も持たない場合もある。実権の有無、統治形態の違いにかかわらず、国家元首は国家の長としての特別な権威を持つべきだと考えられている。しかし同時に[[自由主義]]、および[[国民主権]]の立場からそうした権威は不要であるとする考えもある。
 
 
 
一般的に国家元首が置かれる場合、ひとつの国に一人とされるが、例外もいくつかある。
 
*[[サンマリノ|サンマリノ共和国]]では、2名の[[執政]]が元首
 
*[[アンドラ|アンドラ公国]]では、[[共和国大統領 (フランス)|フランス大統領]]と[[ウルヘル司教]]が「共同元首」
 
*[[スイス]]では、合議体である[[連邦参事会]]が元首。
 
 
 
== 分類 ==
 
以下の項目において国家元首の大まかな分類を行う。なお、これらはあくまで大まかな区分である。各国の憲法には差異があり、元首の機能も多種多様である。
 
 
 
=== 絶対君主制国家・専制君主制国家の元首 ===
 
皇帝や国王のような[[君主]]が、強大な政治的権限を有している。君主は[[世襲]]であることがほとんどである。憲法を制定していない場合(絶対君主制国家)や、憲法を制定していても実際的には君主の大権が憲法を超越している場合(専制君主制国家)などがある。このような国家では、君主が富裕で国家から歳費を支給されていないことが多い。そのため、政府や議会が歳費の支給を停止して、君主の権限である[[大権]]を制限させることができない。さらに、宣伝や教育によって君主による統治の正当化が行われている。
 
 
 
[[リヒテンシュタイン]]の[[公]](侯)<ref>リヒテンシュタイン家は、ハプスブルク家の重臣として家産を蓄積した。つまり、公国とは無関係なので、「国民の財産を取り返す」というようなことができない。また、第二次世界大戦時、大権によって選挙を停止し、ナチズムの台頭を阻止した。そのため、今でも大権の行使が正当化されている。このような経緯で、象徴・儀礼的存在にとどまらず、強大な政治的権限を有している。そのため、ヨーロッパ最後の[[絶対君主制]]と言われる。</ref> は形式的には立憲君主制の君主であるが、実際的には強大な権限を握っており、絶対君主制または専制君主制の典型であるといわれる。
 
 
 
[[アラビア半島]]所在の諸国([[サウジアラビア]]、[[アラブ首長国連邦]]を構成する7[[首長国]]、[[オマーン]]、[[カタール]]、[[クウェート]])の[[スルターン]]は、絶対君主制の君主の典型である。君主の下に行政の実務を担当する[[首相]]が置かれる場合もあるが、君主が首相を兼任していたり、君主の一族([[皇太子]]など)が首相となっている場合も多く、こうした事例では事実上、首相の権限は君主大権の中に包括されている。
 
 
 
アラブ首長国連邦の国家元首は大統領である。これは国家の最高意志決定機関である'''連邦最高評議会(FSC)'''で互選されるため、形の上では君主ではない。しかし、連邦最高評議会は絶対君主制を採る7首長国の首長から構成されるとともに、実際には大統領はアブダビ首長、副大統領兼首相はドバイ首長が世襲により継ぐのが慣例化している。さらに、アブダビは連邦の最大国家であるとともに連邦の中心国家である<ref>[[アラブ首長国連邦#内政|連邦予算の8割を拠出、連邦最高評議会もアブダビとドバイの同意なしに決定をくだすことはできない仕組みになっている]]</ref> ため、アブダビ首長が兼ねる連邦の大統領は事実上、絶対君主制国家の君主に比肩する強大な権限を行使している。
 
 
 
=== 立憲君主制国家の元首 ===
 
==== 君主の政治的権限が強い立憲君主制国家の元首 ====
 
[[議院内閣制]]を採用する[[立憲君主制|立憲君主国]]であり、行政を担当する首相が存在するが、国家元首である君主が国政の実権を握っている例。
 
 
 
[[ヨルダン|ヨルダン・ハシミテ王国]]の国王などが、これに分類される。
 
 
 
==== 君主が儀礼上の存在となっている立憲君主制国家の元首 ====
 
[[議院内閣制]]を採用する立憲君主国の君主(国王など)がこれにあたる。行政は議会に指名される首相に委ねられ、国家元首である君主は国政の実権を有さない。[[イギリス]]、[[オランダ]]、[[ノルウェー]]、[[デンマーク]]、[[スペイン]]、[[カンボジア]]、[[タイ王国|タイ]]などの国王が、これに分類される。[[日本]]の[[天皇]]も一般的にこれに分類されることが多い。
 
 
 
憲法上、国家元首に期待される役割は、内閣の助言と承認に基づく首相を始めとする官吏の任免や、外国元首・大公使の接受といった儀礼的なものである。これらの国の中には、イギリスの国王のように法律上は強力な権限を与えられているケースもあるが、そうした権限は長年の不行使により形骸化しており、実際には行使されないのが通例である。上記のような理由から政治的発言の自制が求められる。
 
 
 
*[[アンドラ|アンドラ公国]]では、成立の歴史的な経緯によって、[[共和国大統領 (フランス)|フランスの大統領]]と[[ウルヘル司教]]が「共同元首」となる。行政の実権は議会が指名する首相にあり、共同元首の権限は儀礼的なものに限られる。さらに、共同元首がアンドラに来訪することはほとんどなく、それぞれの代行者が来訪して、または駐在代理官が委任を受けて、その権限を行使する。
 
 
 
*[[イギリス連邦]](コモンウェルス)所属の国などの中には、イギリス国王(現在は[[女王]][[エリザベス2世]])を自国の国家元首として戴き、国王から任命された[[総督]]が元首権を代行するところがある。これらは、'''[[英連邦王国]]'''(イギリス連邦王国、コモンウェルス・レルム、イギリス自治領とも表記される)と通称されている。[[アンティグア・バーブーダ]]、[[オーストラリア]]、[[バハマ]]、[[バルバドス]]、[[ベリーズ]]、[[カナダ]]、[[グレナダ]]、[[ジャマイカ]]、[[ニュージーランド]]、[[パプアニューギニア]]、[[セントクリストファー・ネイビス]]、[[セントルシア]]、[[セントビンセント・グレナディーン]]、[[ソロモン諸島]]、[[ツバル]]、がこれにあたる。また、それに準ずる事例として、イギリス連邦加盟国であるニュージーランドと[[自由連合 (国家間関係)|自由連合]]を組む[[クック諸島]]と[[ニウエ]]もまた、イギリス国王を自国の国家元首としている。
 
**ただし、エリザベス2世がイギリス連邦という単一の国家の国王なのではない。エリザベス2世が[[イギリスの君主|イギリス国王]]、[[アンティグア・バーブーダ国王]]、[[オーストラリア国王]]、[[バハマ国王]]・・・・を兼任するという形式をとっている。
 
**総督の人選については、現代では他の[[大権]]行使同様に、当該国の首相の[[助言]]どおりになされる。国王個人やイギリス政府の意向はほぼ問われず、通常は当該国国民が指名される。
 
**形式上、総督は強力な大権を国王から預かるものの、実際にはもっぱら儀礼的な役割を担当し、大権行使については基本的に内閣の助言どおりに行うべきとする憲法的慣行が確立している。ただし、1975年のオーストラリアでは、政治的混乱をうけて[[オーストラリアの総督#総督、首相を罷免|総督が首相を罷免し、議会の解散を命じるという事件]]が起こり、憲法危機と呼ばれ問題化された。
 
**君主および総督の保持する大権は憲法的法律や憲法的慣行によって強く制限されるが、わずかではあるが憲法上制限されていない権限が残されている。これは{{仮リンク|留保権限|en|Reserve power}}と呼ばれ、君主および総督の裁量によって行使できる。
 
**英連邦諸国でイギリス同様に[[ウエストミンスター・システム]]を採用する国では一般に、首相指名選挙を行わず、元首(もしくは元首代理)が自らの判断で首相を任命する。ただし内閣は下院の信任を確保する必要があるため、下院多数派の指導者が明らかである場合はその者を指名するほかなく、実質上の裁量の余地はない。下院過半数を掌握する指導者が存在しない場合、複数の下院指導者のうち元首等により選択された者が首相に任命される。
 
**英連邦の共和国でも[[インド]]などでは大統領が上記のような役割を担うが、[[ナイジェリア]]のようにアメリカ合衆国型の[[大統領制]]を採用し、行政権を握る大統領が上院の承認を経て閣僚を任命する国もある。
 
 
 
*[[リヒテンシュタイン]]の[[公]](侯)は絶対君主制の君主とされているが、現在の公である[[ハンス・アダム2世]]と[[摂政]][[アロイス・フォン・リヒテンシュタイン (1968-)|アロイス・フォン・リヒテンシュタイン]]は政治の実権を徐々に首相に譲り、自らを立憲君主制国家の国家元首へと変貌させつつある。
 
 
 
上記の通り、このタイプの国家の君主は儀礼的役割のみを果たすことが通例であるけれども、政争やクーデターによる国政の混乱時には、仲裁者としての役割を期待され、権限を行使する場合もある。
 
 
 
*タイの場合、1946年から2016年まで在位した国王[[ラーマ9世|ラーマ9世プーミポンアドゥンラヤデート]]がしばしばこうした役割を演じた。
 
 
 
*スペインでは、[[23-F|1981年2月23日に勃発したクーデター]]の際、当時の国王[[フアン・カルロス1世]]は、全軍と国民に呼びかけて民主制の維持を図り、これによって反乱を失敗に追い込んだ。一方で、[[2017年カタルーニャ独立住民投票|2017年のカタルーニャ自治州の独立住民投票]]の際には、当時の国王[[フェリペ6世]]が「[[カタルーニャ州]]政府はスペイン国家に対し許しがたい不誠実な態度をとった」と、[[ジャナラリター・デ・カタルーニャ|カタルーニャ州政府]]と当時のカルレス・プッチダモン自治州首相に対する批判と敵対を示す演説を行い、当時の[[バスク自治州]][[レンダカリ]][[イニゴ・ウルクリュ]]をはじめ国内外からの批判と失望に晒された。
 
 
 
君主は[[世襲]]によって継承されることが一般的であるが、例外もある。
 
*[[マレーシア]]の[[マレーシアの国王|国王]](アゴン 〈Agong, 「Yang di-Pertuan Agong」〉) は、同国を構成する13の州のうち[[スルターン]]をおいている9州(ジョホール州・クダ州・クランタン州・ヌグリ・スンビラン州・パハン州・ペラ州・プルリス州・スランゴール州・トレンガヌ州)のスルターンにより、5年を任期としての輪番制が採られている(形式上はスルターンたちによる互選であるが、実質的には各州スルターンが輪番によって国王をつとめる)。ただし、マレーシアの政治実権は首相にあり、国王は象徴的存在である。
 
 
 
*[[サモア|サモア独立国]]の元首は[[オ・レ・アオ・オ・レ・マーロー]](意味は「国家元首」)である。任期は5年で、立法議会において選出される。立法議会議員(ほとんどはサモアの伝統的指導者層である首長〈マタイ〉が占める)から選出されるが、実際にはその中でも特別に高い権威を有する4人の大首長(タマ・ア・アイガ)から選ばれる。選挙制・任期制である点を考慮すると公選制の大統領に該当するとも考えられるが、一般的には同国の政体は立憲君主制と見なされており、敬称も大統領のような「閣下」ではなく、君主制に見られる「殿下」(His Highness)である。すなわち、オ・レ・アオ・オ・レ・マーローは[[選挙君主制]]の君主に該当することになる。
 
 
 
==== 象徴君主制 ====
 
立憲君主制のひとつではあるが、君主の政治的権限を排除した場合には、国家元首の役割は象徴的なものに限定される。こうした事例に対しては、[[立憲君主制#ヨーロッパの立憲君主制|象徴君主制]]という新たな区分で説明されることがある。
 
 
 
[[スウェーデン]]の国王は、首相の任命や議会の招集・解散の権限を形式的にも失っており、国家元首と行政府を完全に分離している。そのため、世界で最も象徴的な立憲君主制とされており、これを'''象徴君主制'''の典型とみなす説がある<ref>『象徴君主制憲法の現代的展開--象徴的国家元首論の観点から見た日本とスウェーデンとの比較考察』下條芳明 憲法研究(38)2006 pp,29 - 58</ref>。
 
 
 
イギリスの国王(女王)もこれに分類されることがある<ref>『イギリスにおける象徴君主制の成立』浜林正夫 社会思想史研究1991 北樹出版pp,p6 - 17</ref>。イギリスの国王は形式的には強力な権限を持っているが、実際にはそれを行使しないのが通例となっているからである。
 
 
 
日本の天皇もこれに分類されることがある。[[日本国憲法第4条]]に「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と規定されているからである。
 
 
 
=== 共和制国家の国家元首 ===
 
共和制国家では国家元首の権限は各国の政治体系によりまちまちであり、大統領が議会から独立した[[政府の長]]として強大な権限を握っている場合(大統領制)、大統領は行政に関して権限を有するが、議会による一定の制限を受ける場合([[半大統領制]])、大統領は形式的な権限を行使する象徴的なものである場合([[議院内閣制]])、などがある。社会主義国は君主制でない点において共和制国家に分類されるが、国家元首の地位は形式的・象徴的であり、実権は[[共産党]]の書記長・総書記が握っていることが多い。また、国家元首の地位は独任の機関ではなく、合議体の長([[ソビエト連邦|ソ連]]の[[ソビエト連邦最高会議幹部会議長|最高会議幹部会議長]]、[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]など旧東欧圏や[[キューバ]]の[[国家評議会議長]]など)であることが多い。東アジアの共産圏では、大統領に相当する職位がある場合でも、[[中華人民共和国|中国]]や[[ベトナム]]、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]のように[[国家主席]]と称する。
 
 
 
==== 大統領制国家の国家元首====
 
[[大統領]]は有権者の選挙により選出され(代議員制の場合もある)、一般に[[政府の長]]として強大な権限を有する。大統領は議会とは独立した地位にあり、議会の勢力と関係なく一定の任期が保証される。一般に大統領は議会の法案への[[拒否権]]を持つが、法案の提出権はない<ref>米国では[[一般教書演説|教書]]、韓国では議案提出権の形で立法素案が提示される。大統領は拒否権を持つため教書、議案に極端に反する立法はすべて拒否される。</ref>。また閣僚の任免権を有する。閣僚は一般的に、国会議員との兼任はできない。議会の勢力が、大統領派の与党で占められている場合には強大なリーダーシップを発揮できるが、野党が多数派になった場合には厳しい議会運営が強いられる。
 
 
 
*大統領が行政を総攬し、首相を置かない場合:[[アメリカ合衆国]]、[[フィリピン|フィリピン共和国]]など。
 
*大統領とは別に[[首相]]が置かれ、首相は大統領の補佐役として行政の実務を担当する場合:[[大韓民国]]や[[中華民国]]がこれにあたる。正式には、前者は[[国務総理 (大韓民国)|国務総理]]、後者は[[行政院長]]と呼ばれる。韓国の[[国務総理 (大韓民国)|国務総理]]は国会議員である必要はなく、大統領を補佐しその命を受け行政機関を統括し国務会議(日本の内閣に相当)の副議長を務める。
 
*例外として、[[首長国]]による[[連邦|連邦制国家]]である[[アラブ首長国連邦]]は[[アラブ首長国連邦の首長国|各国]]の[[首長]]から選出する独自の大統領制を導入している。
 
 
 
==== 半大統領制国家の国家元首 ====
 
国家元首たる大統領は有権者による選挙で選出される。行政権の主体は大統領と首相(内閣)にあることが多く、内閣の首班たる首相は議会の承認を得て大統領に任命される。大統領は議会と独立した存在でその任期中は地位、身分を保障され、首相の任免権を通じて実質的に法案提出権を行使する。このように内閣は議会に責任を持ち、議院内閣制の枠組みが取り入れられているが、同時に大統領に対しても責任を負っている。大統領は議会解散権や法案拒否権、大統領令の発布など議院内閣制と比べより強大な権限を有することが多い。
 
 
 
議会で大統領側の勢力が多数を占めれば、大統領は内閣を自由に組織し、内政でも強大なリーダーシップを発揮できるが、反対勢力が多数派を占めた場合は、反対勢力の党首に組閣を命じざるをえず、外交・国防は大統領、内政は反対勢力の首相が分担することとなる。このような状態をフランスでは[[コアビタシオン]]と呼ぶ。
 
 
 
[[フランス]]や[[ロシア|ロシア連邦]]の大統領が、[[半大統領制]]に分類される。
 
 
 
==== 議会共和制国家の国家元首 ====
 
[[議院内閣制]]を採用する共和国の大統領がこれにあたる。行政は議会に指名される首相に委ねられ、国家元首である大統領は国政の実権を有さない。憲法上、国家元首に期待される役割は、内閣の助言と承認に基づく首相を始めとする官吏の任免や、外国元首・外交官の接受といった儀礼的なものである。大統領は直接選挙で選出される場合と、それによらずに議会の投票により功績のある長老政治家が選出される場合などがある。これらの国の中には、[[オーストリア]]の[[連邦大統領 (オーストリア)|連邦大統領]]のように法律上は強力な権限を与えられているケースもあるが、そうした権限は長年の不行使により形骸化しており、実際には行使されないのが通例である。
 
 
 
[[インド]]、[[イタリア]]、[[アイルランド]]、[[アイスランド]]、[[ギリシア]]の大統領、[[ドイツ]]の[[連邦大統領 (ドイツ)|連邦大統領]]、[[オーストリア]]の[[連邦大統領 (オーストリア)|連邦大統領]]などが、これに分類される。
 
 
 
[[スイス|スイス連邦]]では、合議体である[[連邦参事会]](内閣)が国家元首かつ[[政府の長]]とされているが、その7人の閣僚の中の1人が輪番制で就任する[[連邦大統領 (スイス)|連邦大統領]](任期1年)は、他国において通常、国家元首が果たす儀礼的な機能を果たしている。
 
 
 
スイスに類する例として、かつての[[イングランド共和国]]においても、元首として[[護国卿]]が設置されるまでは、合議体である国務院(Council of State)が元首とされた。なお、国務院の議長は(枢密院議長と同じく)Lord President of the Councilと呼ばれたが、ここでいうpresidentは単に議長の意味である。
 
 
 
==== 社会主義国の国家元首 ====
 
[[社会主義国]]の国家元首の権能は国によりまちまちであるが、通常は議会共和制国家における国家元首に相当する権能を有する<ref>いわゆる「社会主義国」の場合も一人の人物に権力が集中していることがあるが、その場合、その人物が国家元首だからではなく[[一党独裁制]]を敷く[[共産主義]]政党の党首だからという場合が大半であり、国家元首自体には権限が殆どない場合が多い。例えば、[[中華人民共和国]]では、[[中華人民共和国主席|国家主席]]の地位にある人物が、外交・内政での強大な権力を行使している場合があるが、これはその人物が[[中国共産党]]の最高職である[[中国共産党中央委員会総書記|総書記]]をも兼任しているためである。国家主席は[[中国共産党中央委員会|党中央委員会]]の決定を追認しているに過ぎず、実質的な権限を有さない。主席と総書記が別の人物である場合も当然にあり得る。</ref>。元首自体は儀礼的な存在であり、実質的な最高指導者である[[共産党]]の党首([[書記長]]・[[総書記]]・[[第一書記]]など)が兼任したり、長老幹部を礼遇するための名誉職として用いられたりするケースが多いが、元首の職権に実質的権限が付与されるケースとして、[[毛沢東]]・[[劉少奇]]が就任した時代の[[中華人民共和国主席]]や[[金日成]]時代の[[朝鮮民主主義人民共和国主席]]、[[ミハイル・ゴルバチョフ]]が就任したソビエト連邦大統領がある。[[ベトナム]]では、最高指導者である[[ベトナム共産党]]書記長と元首である[[ベトナム社会主義共和国主席]]が分離しているものの、同国の国家主席は憲法上は軍の統帥権を持っているため、全く無力な存在という訳ではない。なお、党中央が動揺する非常時に、儀礼的な国家元首が自らの判断で重要な権限を行使する例<ref>[[六四天安門事件]]の際に戒厳令を発令した[[中国共産党中央軍事委員会|軍事委員会]]副主席[[楊尚昆]]。</ref> がある。
 
 
 
他に社会主義国の特徴としては、正式には国家の最高決議機関の常設委員会に国家元首の権能が与えられ、その議長が代表して国家元首の権限を執行するケースが見られる<ref>ソビエト連邦の最高会議幹部会議長、[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]の[[国家評議会 (東ドイツ)|国家評議会議長]]、[[ハンガリー人民共和国]]の[[国民議会 (ハンガリー)|国民議会]]幹部会議長、[[国家主席の廃止|国家主席廃止]]時における中華人民共和国の[[全国人民代表大会常務委員会]]委員長やベトナムの国家評議会議長など。</ref>。
 
 
 
[[朝鮮民主主義人民共和国]](北朝鮮)の国家元首に関する規定は特異である。
 
* 国家元首である'''朝鮮民主主義人民共和国主席'''は[[1994年]]に金日成が死去したことによって空席となり、[[1998年]]の憲法改正で廃止された。なお、1998年憲法および[[2009年]]に改訂された現行の[[朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法]]の序文では、金日成を「'''永遠の主席'''」と表記している。
 
* 2009年までの朝鮮民主主義人民共和国の国家元首は'''[[最高人民会議常任委員会]]委員長'''であった。1998年憲法第111条で「最高人民会議常任委員会委員長は、国家を代表し、外国の使臣の信任状、召還状を接受する」と規定されているからである。ただしこの職の権能は儀礼的な部分にとどまり、実際の最高権力は[[朝鮮労働党中央委員会総書記]]、[[朝鮮民主主義人民共和国国防委員会]]委員長、[[朝鮮人民軍]]最高司令官の[[金正日]]が掌握していた<ref>このうち、国家の代表(事実上の国家元首)としての肩書きは「朝鮮民主主義人民共和国国防委員会委員長」となっていた。2000年6月の[[南北首脳会談]]や2002年9月の[[日朝首脳会談]]ではこの肩書きを使用している。</ref>。
 
* 2009年に同国の憲法が改正され、'''朝鮮民主主義人民共和国国防委員会委員長'''(以下「国防委員長」)を「朝鮮民主主義人民共和国の最高指導者である」(第100条)と明確に規定した。これにより、[[朝鮮民主主義人民共和国国防委員会#国防委員長|国防委員長]]が国家の最高指導者としての国家元首に宛てられたことになる。ただし、その一方で「最高人民会議常任委員会委員長(以下「常任委員長」)は、国家を代表し、外国使節の信任状、召喚状を接受する」(第117条)という規定もそのまま残されており、常任委員長も国家元首の権能の一部(ただし儀礼的な部分に限られる)を行使していることになる。
 
* [[2011年]]に金正日が死去すると[[朝鮮民主主義人民共和国国防委員会#国防委員長|国防委員長]]は空席となり、翌年の第12期[[最高人民会議]]第5回会議で金正日を「'''永遠の国防委員長'''」と位置づける決議が採択されるとともに、憲法が改正されて国防委員長の職は廃止された。新たに国家の最高指導者として'''国防委員会第一委員長'''が設置され、[[金正恩]]が就任した。
 
* 2016年6月29日に朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法が改正された。この新憲法では朝鮮民主主義人民共和国国防委員会が廃止され、それに代わる国家の最高政策指導機関として[[朝鮮民主主義人民共和国国務委員会]]が設置された。国家の最高指導者と規定された国務委員長には、金正恩が就任した。
 
 
 
[[キューバ]]では、国家元首は[[キューバの国家元首|国家評議会議長]]であり、これは単に儀礼的地位にとどまらず強大な権限を有している。さらに、内閣に相当するのは[[閣僚評議会]]であり、[[キューバの首相|閣僚評議会議長]]が行政権の担当者としての[[首相]]に相当する。機構上ではその両者は分離されているが、[[1976年]]制定の新憲法では国家評議会議長は閣僚評議会議長が兼任すると規定されており、国家元首と行政権の首長の権能は統合されている<ref>フィデル・カストロが[[2008年]][[2月24日]]に人民権力全国会議で国家評議会議長を退任したが、閣僚評議会議長の辞表や退任表明などは一切行っていない。これは憲法の規定により国家評議会議長が閣僚評議会議長を兼ねることになっているため、国家評議会議長を退任すれば閣僚評議会議長も自動的に退任となるからである。</ref>。したがってキューバでは国家評議会議長兼閣僚評議会議長に国家の最高指導権が集中することになる。
 
 
 
=== 専制国家・軍事国家・独裁政治国家の国家元首 ===
 
形式的には共和制などの政体を採っているものの、実際には終身大統領のような独任制の元首が強大な政治的権限を有している。軍部・宗教団体・部族・外部勢力といった特定の集団が権力を掌握し、その代表者が元首に就任していることが多い。これらの場合、形式的に議会は存在していても、それは国家元首や特定集団の追認機関に過ぎない。民主的で公正な選挙が行なわれていないこともよく見られる。北朝鮮、アフリカの多くの諸国や、いわゆる「[[開発独裁]]」制を敷く国家、かつての南米の多くが、これに分類される。
 
 
 
[[軍事国家]]では、軍部出身の大統領が国家元首となる場合や、軍事政権が樹立した「○○評議会」(革命評議会、救国評議会、国家評議会など)議長が国家元首の役割を果たす場合、などがある。
 
*1988年9月から2011年2月までの[[ミャンマー]]の国家元首は、'''[[国家平和発展評議会]]議長'''([[ソウ・マウン]]、[[タン・シュエ]])だった。同国は2011年2月に'''大統領制'''に移管し、選挙の結果として[[テイン・セイン]]首相が大統領に就任した。大統領制移管後も暫くは、国家平和発展評議会議長の[[タン・シュエ]]が国家元首と目されていたが2011年3月に国家平和発展評議会は解散となり、タン・シュエは政治的影響力を行使しなくなった。軍事政権の基盤は与党の[[連邦団結発展党]]に引き継がれ、2011年3月の国家平和発展評議会解散後の国家元首は名実ともに大統領のテイン・セインになった。それ以降、ミャンマーは少しずつ民主化路線を受け入れていき、2016年3月30日に[[国民民主連盟]]が選出した[[ティン・チョー]]が大統領に就任し、54年ぶりの文民大統領が誕生した。
 
*[[モーリタニア]]では2008年に軍事クーデターが起こって大統領が失脚し、軍事政権の'''高等国家評議会議長'''([[ムハンマド・ウルド・アブデルアズィーズ]])が国家元首となった。2009年、大統領選が実施されて形式的には民政移管を果たし、国家の形態も大統領制に戻った。ただ、新しい大統領となったのは前高等国家評議会議長のムハンマド・ウルド・アブデルアズィーズであった。
 
 
 
かつての[[ナチス・ドイツ]]では、1934年8月2日に発効した「国家元首に関する法律」によって、それまで国家元首であった[[ドイツ国大統領|大統領]]と[[ドイツ国首相|首相]]の職務が統合され、指導者および首相である[[アドルフ・ヒトラー]]({{lang|de|Der Führer und Reichskanzler Adolf Hitler}})個人に大統領権限が委譲された。これはヒトラーが[[民族共同体]]の指導者であるという[[指導者原理]]に基づくものであり、法律や命令を必要とせず、発言すべてが「法」となる存在となった([[総統]]を参照)。
 
 
 
ナチス・ドイツの支配下にあった[[クロアチア独立国]](1941年 - 1945年)では、建国当初の国家元首は国王([[トミスラヴ2世]])であった。しかしこの地位はまったく形式上のもの(トミスラヴ2世は終始イタリアに居住し、クロアチアには足を踏み入れることがなかった)であり、国家の最高指導者は'''ポグラヴニク'''('''国家指導者'''または[[総統#その他の国での用例|総統]]と訳される)の称号を名乗る[[アンテ・パヴェリッチ]]であった。さらに、1943年のイタリア敗戦にともなってトミスラヴ2世国王が退位したため、パヴェリッチはポグラヴニクの称号のもとで名実ともに国家元首となった。
 
 
 
=== 特殊な政体を採る国家の元首 ===
 
[[ムアンマル・アル=カッザーフィー]](カダフィ大佐)が支配していた時代の[[リビア]]は[[ジャマーヒリーヤ]]([[直接民主制]])という特異な政体を標榜しており、法的には国家元首は存在しなかった。通常は国家元首の職務とされている権能の一部は、'''全国人民会議書記'''が担っており、同書記が事務的には元首代行ともいえる。事実上の最高指導者は'''革命指導者'''のカッザーフィーであり、1979年までは'''革命評議会議長'''や'''全国人民会議書記長'''という役職に就いていた名実ともに国家元首であった。カッザーフィーは1979年に一切の公職を退いているが、それ以降も革命指導者という肩書で他国元首と親書のやり取りをするなど、対外的に国家元首と受け取れる役割を担っていた。その一方でカッザーフィーは1988年に勃発した[[パンアメリカン航空103便爆破事件]]の容疑者引き渡し問題で国連の[[コフィ・アナン]]事務総長と会談した際には「私は国家元首でも首相でもないので、容疑者を引き渡す権限を持っていません」と語ったことがある。
 
 
 
[[イラン]]は[[イスラム共和制]]を採っており、国家元首に相当するのは[[ウラマー|イスラーム聖職者]]である'''[[イランの最高指導者|最高指導者]]'''である。それとは別に、直接選挙によって選ばれる[[イランの大統領|大統領]]は存在するが行政権の首長にすぎず、最高指導者から解任される規定がある。ただ、対外的にはイランの大統領も元首に準ずる存在として扱われている。
 
 
 
[[バチカン市国]]の国家元首は[[ローマ教皇]]である。ローマ教皇はバチカンという独立国の国家元首であるとともに、全世界の[[カトリック教会|ローマ・カトリック教会]]の統治者であり、[[イエス・キリスト]]の代理人とされている。教皇の選出はローマ・カトリック教会の高位聖職者である[[枢機卿]]による互選([[コンクラーヴェ]])であるから、大統領制のような国家元首公選制と見ることもできる。ただ、教皇は任期が定められていない上に本人の意に反する退位が認められておらず、事実上終身の地位である<ref>2013年に退位した[[ベネディクト16世]]のように、本人の意思で退位することは出来る。</ref>。また教皇の地位には特別な権威([[聖座]])が認められている。そうした点ではバチカン市国の国家元首としてのローマ教皇の地位は大統領制の大統領と同等とはいえず、むしろ[[選挙君主制]]のもとでの君主に近い。
 
 
 
[[チベット]](1959年以降は[[亡命政権]])の国家元首は、[[チベット仏教]]の[[ダライ・ラマ]]法王であった。ダライ・ラマ法王の地位は世襲でも選挙制でもなく「[[化身ラマ|転生]]」という特異な方式により継承されていた。1959年の[[チベット動乱]]によって[[ダライ・ラマ14世]]と[[ガンデンポタン|チベット政府(ガンデンポタン)]]はインドに移って[[ガンデンポタン|亡命政府]]を樹立した。1961年、将来の独立チベット国家の体制の指針であるとともに亡命チベット人社会を統治するための[[ガンデンポタン#チベット亡命政府の基本法規|自由チベット憲法]]が制定され、ダライ・ラマは立憲君主制体制の元首と定められた。その後、2011年にダライ・ラマ14世の発議によって亡命チベット人憲章が改訂され、ダライ・ラマは「チベットとチベット人の守護者であり象徴」となり、チベット亡命政府の国家元首の座は亡命政府主席大臣に移譲された。
 
 
 
[[サモア|サモア独立国(1997年7月3日までは西サモア(独立国))]]の国家元首は、[[オ・レ・アオ・オ・レ・マーロー]](サモア式国家元首)であり、独立前の1960年10月28日の起草によるものであり、1962年1月1日の独立とともに施行された憲法で定められた国家元首の称号である。「アオ」「マーロー」は現地語([[サモア語]])でそれぞれ「頭(ここでは“長(おさ)”)」「政府/王国」を意味する(詳細は[[オ・レ・アオ・オ・レ・マーロー#概要|サモア国家元首の「概要」]]を参照)。
 
 
 
政治的な諸事情によって本来の国家元首を置くことができない場合、それに代わる存在が国家元首となる場合がある。
 
*[[第一次世界大戦]]後の[[ハンガリー王国 (1920年-1946年)|ハンガリー王国]]は、本来は[[ハプスブルク=ロートリンゲン家|ハプスブルク家]]出身の[[オーストリア大公]][[ヨーゼフ・アウグスト・フォン・エスターライヒ|ヨーゼフ・アウグスト]]を国王とする王国として成立するはずであった。しかしハプスブルク家の国王を戴くことに内外の反発が強かったため、ヨーゼフ・アウグストは国王になることができず、さらに[[オーストリア=ハンガリー帝国]]最後の皇帝であった[[カール1世 (オーストリア皇帝)|カール1世]](カーロイ4世)の[[カール1世の復帰運動|ハンガリー国王としての復辟運動]]とその失敗もあり、国王空位の王国となった。国王に代わる国家元首として[[摂政]]が置かれ、建国から1944年まで海軍提督[[ホルティ・ミクローシュ]]が摂政を務めた。
 
*[[スペイン内戦]]後の[[フランコ体制下のスペイン|スペイン]]では、内戦に勝利した[[フランシスコ・フランコ]]将軍が独裁権を握り、国家元首に就任した。国家元首としてのフランコは'''カウディーリョ'''(Caudillo、日本語では'''[[総統]]'''と訳される)の称号を用いた。なお、軍総司令官としてのフランコの称号は'''ヘネラリッシモ'''(Generalísimo、'''総帥''')である。一方、フランコは自分の後継体制においては王制復古してスペインを王国に戻すべきだと考えていた。1947年にフランコ総統は「国家首長継承法」を制定し、スペインを「王国」とすること、フランコが王国の'''「摂政」として終身の国家元首'''となること、フランコに後継の国王の指名権が付与されることなどを定めた。
 
 
 
[[満州国]](満洲国)は1932年の建国の際、[[愛新覚羅溥儀]]が国家元首となった。[[清]]の最後の[[皇帝]]であった溥儀は、満洲国でも皇帝となることを熱望していたが、同国の実質上の支配者であった日本の[[関東軍]]は帝政を採ることによる新国家のイメージの低下を懸念してそれを許さなかったため、建国当初の満洲国の国家元首の称号は'''執政'''という曖昧なものとなった。関東軍の意向は「満洲国の元首は執政、ただし執政が善政を敷くこと数年に及ぶならば、全国民の推戴によって執政は皇帝となる」というものであった。1934年(康徳元年)3月1日、満洲国は帝政に移行して溥儀が皇帝に即位、それによって「執政」の称号は消滅した。
 
 
 
[[ヴィシー政権]]のフランス(国号は「フランス国」、1940年 - 1944年)の国家元首は[[フィリップ・ペタン]][[元帥]]であった。国家元首としてのペタンは'''フランス国家主席'''(フランス語: Chef de l'État français)の称号を名乗っていた。この国は、憲法が「全権力をペタン将軍に委任する」の1条だけから構成されるという、きわめて特異な国家体制を採っていた。
 
 
 
=== 日本国の元首 ===
 
{{Main|日本の元首}}
 
[[大日本帝国憲法]]では天皇を元首と規定していたが、[[日本国憲法]]を始めとする現行の日本の法律には国家元首の規定がない。[[内閣法制局]]は、「要するに元首の定義いかんに帰する問題である」「かつてのように元首とは内治、外交のすべてを通じて国を代表し行政権を掌握をしている、そういう存在であるという定義によりますならば、現行憲法のもとにおきましては天皇は元首ではないということになろう」「今日では、実質的な国家統治の大権を持たれなくても国家におけるいわゆるヘッドの地位にある者を元首と見るなどのそういう見解もあるわけでありまして、このような定義によりますならば、天皇は国の象徴であり、さらにごく一部ではございますが外交関係において国を代表する面を持っておられるわけでありますから、現行憲法のもとにおきましてもそういうような考え方をもとにして元首であるというふうに言っても差し支えない」<ref>1988年(昭和63年)10月11日の参議院内閣委員会における内閣法制局第一部長答弁</ref>「天皇は限定された意味における元首である」としており<ref>1990年(平成2年)5月14日の参議院[[予算委員会]]における内閣法制局長官答弁。もっとも、「天皇は国の象徴であり、さらにはごく一部では…外交関係において国を代表する面」もあるという限定された意味における「元首」であるとする。「[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/118/1380/11805141380006.pdf 第118回国会参議院予算委員会会議録第6号]」4頁。</ref>、要するに、天皇を元首と呼びうるかは定義によるとしている<ref>[[2001年]][[6月6日]]第151回国会参議院[[憲法調査会]]、[[阪田雅裕]]内閣法制局第一部長答弁</ref>。学説上は議論があり、「天皇ではなく内閣が元首である」、「日本には元首は存在しない」とする学説もある。なお、外交慣例上では天皇は国家元首と同様の待遇を受けている。
 
 
 
== 国家元首に関する慣例 ==
 
国家元首の慣例とみなされる例については「兵は誰に忠誠を誓うか」や「自国で開催されたオリンピック開会式の開会宣言は誰が行うか」などがある。
 
 
 
=== 外交特権 ===
 
国家元首、政府の長および外務大臣については、慣例により対象国による外交官接受がなくとも[[外交特権]]が認められる。[[パスポート]]や[[査証]]の扱いも異なり、例えば皇后を除く皇族が外交の際に用いるパスポートは外交旅券であり、天皇及び皇后は旅券は必要ない。公式訪問の際には、受入れ(接受)国に保護義務が発生する。
 
 
 
=== 兵は誰に忠誠を誓うか ===
 
[[古代ローマ]]の昔より軍は[[インペリウム]]([[ローマ法]]に承認された命令権)に対して[[忠誠の宣誓]]を行なうことが[[政軍関係]]の基礎とされていた。日本では明治15年の[[軍人勅諭]]において、統帥権は天皇にあり忠節は国家・国権に尽くすものとした。戦後、この[[服務の宣誓|忠誠宣誓]]は自衛隊法施行規則(39-42条)により規定された<ref>昭和29年6月30日総理府令第40号</ref> が、国、日本国憲法、法令および国民の負託に宣誓する体裁をとっており、天皇や内閣総理大臣に対する宣誓の体裁は採用していない<ref>自衛隊法施行規則第39条 隊員<!--(学生、予備自衛官等及び非常勤の隊員(法第44条の5第1項に規定する短時間勤務の官職を占める隊員を除く。第46条において同じ。)を除く。以下この条において同じ。)-->となった者は、次の宣誓文を記載した[[宣誓書]]に[[署名]][[印章|押印]]して服務の宣誓を行わなければならない。学生、予備自衛官等又は非常勤の隊員が隊員となったとき<!--(法第70条第3項又は第75条の4第3項の規定により予備自衛官又は即応予備自衛官が自衛官になつたときを除く。)-->も同様とする。宣誓 私は、我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法 及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、強い責任感をもつて専心職務の遂行に当たり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います。</ref>。一方で自衛隊法第7条により内閣総理大臣は、内閣を代表して自衛隊の最高の指揮監督権を有する、とされる。なお服務宣誓については国家公務員([[国家公務員法]]第97条<ref>宣誓内容の詳細については「職員の服務の宣誓に関する政令」で規定されている。</ref>)、地方公務員([[地方公務員法]]第31条<ref>宣誓内容の詳細については各自治体条例により制定されている</ref>)においても求められる。
 
 
 
===オリンピックの開会式の開催宣言は誰が行うか===
 
{{See also|オリンピック開会宣言者一覧}}
 
[[オリンピック憲章]]では[[近代オリンピック]]の開会宣言は開催国の国家元首によっておこなわれるものと規定されている<ref>[http://www.joc.or.jp/olympism/charter/pdf/olympiccharter2007.pdf オリンピック憲章第5章56]</ref>。
 
 
 
日本で開かれた近代オリンピック([[1964年東京オリンピック|1964年東京]]・[[1972年札幌オリンピック|1972年札幌]]・[[1998年長野オリンピック|1998年長野]])ではいずれも[[天皇]]が開会宣言を行っている。
 
 
 
国家元首がいないとされるスイスでは2回のオリンピック([[1928年サンモリッツオリンピック|1928年サンモリッツ]]と[[1948年サンモリッツオリンピック|1948年サンモリッツ]])でいずれもその年の連邦大統領が開会宣言を行っている。
 
 
 
1980年に[[ソビエト連邦]]で開かれた[[1980年モスクワオリンピック]]では[[ソビエト連邦最高会議幹部会議長|最高会議幹部会議長]][[レオニード・ブレジネフ]]が開会宣言を行っている。
 
 
 
英連邦王国においては、[[1976年モントリオールオリンピック]]では[[エリザベス2世]]が[[カナダ国王|カナダ女王]]として開会宣言を行っている。その後、[[1988年カルガリーオリンピック]]で[[カナダの総督|カナダ総督]]ジャンヌ・ソーヴェが開会を宣言して以降、[[2000年シドニーオリンピック]]では[[オーストラリアの総督|オーストラリア総督]][[ウィリアム・パトリック・ディーン|ウィリアム・ディーン]]が、[[2010年バンクーバーオリンピック]]ではカナダ総督[[ミカエル・ジャン]]が開会を宣言している。
 
 
 
ただし、憲章ができる前には閣僚や有力者が、国家元首が出席できない場合は国家元首に準ずる人物(王配や副大統領など)が、開会宣言を行ったことがある。
 
 
 
== その他 ==
 
=== 国家元首が宗教の首長を兼ねる例 ===
 
現在の事例として、次のようなものがある。
 
*{{Flagicon|バチカン市国}}[[教皇|ローマ教皇]] - [[バチカン市国]]元首と[[カトリック教会]]の首長を兼ねる
 
*{{Flagicon|イギリス}}[[イギリス国王]] - [[イギリス]]国王と[[国王至上法|イングランド国教会の地上における唯一最高の首長]]を兼ねる
 
*{{Flagicon|デンマーク}}[[デンマーク国王]] ‐ [[デンマーク国教会]]([[ルーテル教会|ルター派]])首長
 
*{{Flagicon|ノルウェー}}[[ノルウェー国王]] ‐ [[ノルウェー国教会]](ルター派)首長
 
 
 
かつての事例([[近代]]以降)。
 
*[[中国]]の皇帝は[[天命]]を受け[[天子]]として[[天]]を祭る祭政の総攬者であった。
 
*[[オスマン帝国]]のスルタンは[[イスラーム]]の首長である[[カリフ]]の称号を持ち、オスマン帝国の崩壊後は[[ヒジャーズ王国|ヒジャーズ]]王がカリフを名乗った。
 
*[[モンテネグロ]]では中世以来[[ツェティニェ]]の主教が「主教公」として支配しており、16世紀以降ペトロヴィチ=ニェゴス家がその地位を保持した。
 
*[[ネパール王国]]の君主は、[[ヒンドゥー教]]の神[[ヴィシュヌ]]の化身とされた。
 
*[[チベット]]では1959年まで[[ダライ・ラマ]] が国家元首と[[チベット仏教]]の[[法王]]を兼ねていた。1959年に発足した[[チベット亡命政府]]でもダライ・ラマは元首とチベット仏教の最高指導者を兼ねていた。しかし、2011年5月28日に亡命チベット人憲章が改訂され、ダライ・ラマは政治的権限を'''亡命政府主席大臣'''に委譲し、同大臣がチベット亡命政府の国家元首となった。ダライ・ラマは「チベットとチベット人の'''守護者'''であり'''象徴'''」となった。
 
 
 
*日本の天皇は、明治から第二次世界大戦終結までは[[国家神道]]([[神社神道]])の頂点に立ち、[[現人神]]と呼ばれた。現在は[[皇室神道]]は神社神道から分離しており、天皇は[[神社本庁]]の長ではない。ただ、現在でも伝統的に皇室は大嘗祭等をはじめとした多くの[[神道]]の祭祀を執り行い、[[伊勢神宮]]や[[勅祭社]]に定期的に勅使を派遣している。
 
 
 
=== 日本における「外国の元首」が関連する法規定 ===
 
日本では「外国の元首」が関連する法規定として以下のものがある。
 
*[[特別永住者]]を外国の元首に対する犯罪行為で[[禁錮]]以上の刑に処せられた上に日本国の外交上の重大な利益が害されたと[[法務大臣]]が認定して[[退去強制]]させる規定([[日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法|入管特例法]]第9条第1項第3号)
 
*日本国内における外国政府と個人における労働契約終了効力に関する訴えであって、当該外国元首によって当該訴えに係る裁判手続が当該外国等の安全保障上の利益を害するおそれがあるとされた場合は裁判権から免除される規定(対外国等民事裁判権法第9条第2項)
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{Reflist}}
 
 
 
== 参考文献 ==
 
*『天皇制(皇室典範その他の皇族関連法に関する調査を含む)に関する基礎的資料』衆議院憲法調査会事務局(平成16年2月5日の参考資料)[http://www.shugiin.go.jp/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/shukenshi036.pdf/$File/shukenshi036.pdf]
 
*『象徴天皇制に関する基礎的資料 最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会』衆議院憲法調査会事務局(平成15年2月6日及び3月6日の参考資料)[http://www.shugiin.go.jp/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/shuken013.pdf/$File/shuken013.pdf]
 
 
 
== 関連項目 ==
 
{{Wiktionary|元首}}
 
{{Wikidata property|P35}}
 
*[[日本の元首]]
 
*[[国家]]
 
*[[君主制]]
 
*[[立憲君主制]]
 
*[[共和制]]
 
*[[世界各国の指導者一覧]]
 
*[[選出もしくは任命された女性の元首の一覧]]
 
=== 日本関連 ===
 
*[[天皇制]](皇室制度)
 
*[[象徴天皇制]]
 
 
 
{{Normdaten}}
 
 
{{DEFAULTSORT:けんしゆ}}
 
{{DEFAULTSORT:けんしゆ}}
 
[[Category:国の象徴]]
 
[[Category:国の象徴]]
 
[[Category:元首|* けんしゅ]]
 
[[Category:元首|* けんしゅ]]

2019/5/1/ (水) 23:29時点における最新版

元首(げんしゅ)または国家元首(こっかげんしゅ、ラテン語: dux civitatisフランス語: chef d’État英語: head of state

国家を外に向って一般的に代表する資格をもつ機関。元首の公的行為はすなわち国家の行為であり,その行為の効果は国際法上国家に帰属する。そのような行為の主要なものとして,外交官や領事官の派遣と接受,条約の締結,宣戦および講和などがあげられる。元首は国家の威厳を代表する者として,外国に滞在する場合には,儀礼,不可侵権(名誉,身体,住居など) ,治外法権 (裁判権,警察権,課税権からの免除) など,広い特権を享有する。歴史的には,国家有機体説に基づいて,主権者にして行政権のにない手であるという背景において対外的に国家を代表する君主を国家の頭になぞらえるところから生じたものであるが,君主制の衰退に伴い,行政権の首長にして条約締結権その他の対外的代表権をもつものを,さらには対外的代表権に局限してその資格をもつものを元首と考えるようになった。ある国においてどの地位にある者が元首の資格をもつかは通常憲法で定められている。明治憲法下の天皇は本来の元首といえ,憲法でも天皇を「国ノ元首」と規定していた。しかし日本国憲法下でだれが元首かは必ずしも明確ではない。日本国憲法上条約締結権や外交関係を処理する機能は内閣にある (73条2,3号) から,元首は内閣ないし内閣の代表権をもつ内閣総理大臣ともいえるが,天皇も全権委任状,信任状の認証,批准書その他の外交文書の認証および外国の大使・公使の接受をなし (7条5,8,9号) ,その限り国を代表する機能を果しており,諸外国も天皇を元首扱いしている。



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