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[[File:Fukuoka City ISS045.jpg|right|thumb|256px|[[2015年]]の博多湾]]
 
[[File:Fukuoka NASA STS059-97-63AJ.jpg|right|thumb|256px|[[1997年]]の博多湾<br />まだアイランドシティがない]]
 
  
'''博多湾'''(はかたわん)は、[[福岡県]]北西部にある[[玄界灘]]に面した[[湾]]。'''福岡湾'''とも。[[特定重要港湾]]の[[博多港]]、[[和白干潟]]などを抱える。[[福岡市]]の市域拡張による埋立が繰り返し行われてきた。
+
'''博多湾'''(はかたわん)
  
== 概要 ==
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別称福岡湾。福岡県北西部,福岡市域に囲まれ玄界灘に開かれた湾入。東西約 20km,南北約 7kmで胃袋のような形をしている。北東方に全長約 12kmの砂州である[[海ノ中道]]が発達し,玄界灘に対し防波堤の役割を果している。水深は湾口で 20m,湾内では 14m以内と浅い。湾中央に[[能古島]]が浮び,湾口の[[志賀島]]は橋で海ノ中道と結ばれている。湾奥の博多港は古くは大陸への渡航基地として栄え,現在も商港,漁港,壱岐・対馬への連絡港となっている。東部は埋立て地の造成が進行し,かつての[[千代ノ松原]]は消滅した。湾岸には元寇防塁 (史跡) [[筥崎宮]][[香椎宮]],生ノ松原など古跡,名勝が多く,[[玄海国定公園]]に属する。
東は[[陸繋島]][[志賀島]]やその[[陸繋砂州]]の[[海の中道]]から、博多港港湾部を巡り、西は[[糸島半島]]に至る湾。福岡市の[[東区 (福岡市)|東区]]、[[博多区]]、[[中央区 (福岡市)|中央区]]、[[早良区]]、[[西区 (福岡市)|西区]]に面する。
 
 
 
== 名称 ==
 
福岡市の定義<ref>[http://www.city.fukuoka.lg.jp/kankyo/k-chosei/hp/keikaku4.html 福岡市・博多湾環境保全計画]</ref>によれば、志賀島北部勝馬の明神鼻-[[玄界島]]-糸島半島北端の西浦崎を結ぶ線を湾の境界とする。また[[環境省]]によれば<ref>[https://www.env.go.jp/water/heisa/heisa_net/waters/hakatawan.html 閉鎖性海域ネット・58博多湾]</ref>、志賀島明神鼻と糸島西浦崎を結ぶ線を博多湾の海域と定める。
 
 
 
いっぽう、[[国土地理院]]発行の[[地形図]]では「福岡湾(博多湾)」と併記され、港湾エリアの海域に博多港、湾東部(奥部)側に博多湾、湾西部側に福岡湾との名称が見られる。[[海上保安庁]]発行の[[海図]]では「福岡湾」の名称が記載され、西戸崎西端(志賀島橋橋台)から[[能古島]]北部を経由し今津の碁石鼻を結ぶ線を港界と定め、東(内)側を博多港、西(外)側を福岡湾と記載する。また小戸妙見岬-生の松原-[[今宿 (福岡市)|今宿]]-今津碁石鼻(宝島)-能古島に囲まれた海域には「今津湾」の名称が記載される。
 
 
 
[[福岡県議会]]や[[福岡市議会]]の議事録では博多湾の名称使用が福岡湾よりも多く、また福岡[[地方紙]]の[[西日本新聞]]の記事では博多湾の名称使用がほとんどである<ref>[http://www.nishinippon.co.jp/common/search/index.php 西日本新聞サイト内検索]の検索結果参照。なお『[[角川日本地名大辞典]] 40福岡県』や『[[日本歴史地名大系]]41福岡県の地名』、[[都道府県別百科事典]]の『福岡県百科事典』の記事名は「博多湾」である(福岡湾は博多湾へのリダイレクト)。</ref>。
 
 
 
== 地理 ==
 
[[画像:Hakata Bay up200606242035.jpg|right|thumb|256px|福岡市東区西戸崎界隈より見られる対岸の箱崎海岸]]
 
[[画像:View of Hakata Bay and Fukuoka City from Nokonoshima Island 20140506.JPG|right|thumb|256px|[[能古島]]より望む福岡都心方面]]
 
[[画像:View of Uminonakamichi from Nokonoshima Island.JPG|right|thumb|256px|能古島より望む[[海の中道]]方面]]
 
東西20キロメートル、南北10キロメートル。面積およそ133.3平方キロメートル。[[海岸|海岸線]]長128キロメートル。湾口幅は7.7キロメートル。湾口部が狭いため閉鎖性が高く、湾内の波は湾外の玄界灘と比較するとはるかに穏やかであり、土砂等の陸域からの流入物が堆積しやすい。水深は平均10メートル、最大水深23メートル、大潮時の潮位差は2メートル。海底の地質は微粒な[[砂]]を主体とし粗めの砂や[[粘土]]が混交する堆積層で、これを'''博多湾[[シルト]]層'''という。[[博多港]]を往来する大型[[船舶]]の喫水高確保のために能古島と東区大岳の中間点から[[航路]]が[[浚渫]]されている。
 
 
 
福岡市の都心部に隣接する南岸部は[[明治時代]]以前から[[埋立地|埋立]]が進められており、[[1945年]]以降には1167ヘクタールの埋立が行われた。埋立の主な理由は博多港の港湾機能の強化ならびに[[宅地]]等の造成である。[[1994年]]7月からは和白干潟前面の浅海域401ヘクタールを[[人工島]]'''[[福岡アイランドシティ|アイランドシティ]]'''として埋立造成している。
 
 
 
{{Main2|港湾施設については[[博多港#主な施設]]を}}
 
 
 
志賀島・海の中道・糸島半島・玄界島・能古島といった地域は[[玄海国定公園]]に指定されており、福岡市都心部からさほど離れていないにも関わらず自然環境がよく保たれている。博多湾の海岸線は、玄海国定公園一帯の自然海岸、港湾施設の整備された人工海岸、その中間の半自然海岸に大別され、それぞれ3分の1ずつを占める。[[昭和]]の初期までは海岸線の大半が自然海岸であって[[白砂青松]]と謳われていた。湾内には[[和白干潟]]、今津干潟、[[多々良川]]河口、[[室見川]]河口などといった[[干潟]]がある。
 
 
 
湾内にはまた、[[三韓征伐]]の船の帆柱が石と化したという伝説をもつ樹幹[[化石]]「名島檣石」(なじまほばしらいし)や、「長垂の含紅雲母[[ペグマタイト]]岩脈」([[リチア雲母]])(ともに国の[[天然記念物]]に指定)がある。また博多湾の地下には[[警固断層]]を含む複数の[[断層]]が走る。
 
 
 
== 歴史 ==
 
古墳時代の博多湾は、博多区冷泉町~博多区住吉~中央区[[薬院]]~中央区今泉とめぐる'''冷泉津'''と、現在の[[福岡城]]址~城南区別府~中央区今川~荒津山([[西公園 (福岡市)|西公園]])とめぐる'''草香江'''の2つの内湾があったと推定される。よって現在の[[天神 (福岡市)|天神地区]]などは海であった。
 
 
 
*[[57年]] [[後漢]]の[[光武帝]]が[[奴国]]に[[金印]]「[[倭奴国王印]]」を綬与。
 
*[[3世紀]]末 [[魏 (三国)|魏]]の使者が[[伊都国]]·奴国に来訪。([[魏志倭人伝]])
 
*[[4世紀]] [[神功皇后]]が三韓征伐出征·帰国。
 
*[[536年]] [[磐井の乱]]ののち遠の朝廷(那津宮家)を設置。
 
*[[7世紀]]初 [[遣隋使]]船の経由地となる。
 
*[[7世紀]]-[[9世紀]] [[遣唐使]]船の経由地となる。
 
*[[663年]] [[白村江の戦い]]に敗れる。この後、[[防人]]を能古島に置く。
 
*[[688年]] 筑紫館の名が[[日本書紀]]に出る。
 
*[[806年]] [[空海]]が帰朝し[[東長寺]]を開山。
 
*[[837年]] [[鴻臚館]]の名が文献に出る。
 
*[[869年]] [[新羅の入寇#貞観の韓寇|貞観の韓寇]]。新羅海賊が侵入。
 
*[[901年]] [[菅原道真]]が[[大宰権帥]]に遷任。
 
*[[941年]] [[承平天慶の乱#藤原純友の乱|藤原純友の乱]]。[[藤原純友]]が[[小野好古]]に討たれる。
 
*[[10世紀]]-[[13世紀]] [[日宋貿易]]で船の往来が盛んになる。
 
*[[1019年]] [[刀伊の入寇]]。[[女真|女真族]]が侵入。
 
*[[1161年]] [[平清盛]]が後の博多商人の基盤となる日本で最初の人工港「袖の湊」を建設。
 
*[[1195年]] [[栄西]]が帰朝し[[聖福寺 (福岡市)|聖福寺]]を開山。
 
*[[1242年]] [[円爾]](弁円)が帰朝し[[承天寺]]を開山。
 
*[[1268年]] [[クビライ]]の使者が来訪。
 
*[[1274年]][[元寇]]・文永の役。[[元 (王朝)|元]]軍が百道・[[博多]]・箱崎に上陸。
 
*[[1276年]] 沿岸一帯に[[元寇防塁]]を築く。
 
*[[1281年]] 元寇・弘安の役。
 
*[[15世紀]]-[[16世紀]] [[日明貿易]]で船の往来が盛んになる。
 
*[[1550年]] [[フランシスコ・ザビエル]]が来舶。
 
*[[1587年]] [[豊臣秀吉]]、[[九州征伐]]ののち湾から博多の町を眺める。
 
*[[1784年]] 志賀島にて[[金印]]を発見。
 
*[[1828年]] [[シーボルト台風]]による[[高潮]]で2000人をこす死者。
 
*[[1899年]] 博多港開港。
 
*[[1945年]] [[太平洋戦争]]敗戦で[[引揚者]]を受け入れる。
 
*[[1990年]] 博多港が特定重要港に指定される。
 
*[[2005年]] [[福岡県西方沖地震]]で港湾施設などに被害が発生する。
 
 
 
''港に関する近現代史については[[博多港#歴史]]を、湾も含む福岡市全般の歴史については[[福岡市#歴史]]を参照のこと。''
 
 
 
== 環境 ==
 
[[File:Japan Fukuoka wajiro tidal flat2010A.jpg|right|thumb|250px|アオサが大量発生した和白干潟とクロツラヘラサギ]]
 
湾内の代表的な生物として、室見川を産卵遡上する[[シロウオ]]や今津湾の[[カブトガニ]]が知られる。ただしカブトガニの標識個体は25匹程度で、つがいも年に2組ほどが確認されるのみである。また[[アイナメ]]・[[アジ]]・[[カレイ]]・[[クロダイ]]・[[コノシロ]]・[[スズキ (魚)|スズキ]]・[[ウミタナゴ]]・[[ボラ]]・[[メバル]]・[[ヤリイカ]]などを釣ることができる。春の[[大潮]]のときは今津干潟や室見川河口や志賀島周辺では[[アサリ]]などを[[潮干狩り]]する光景が見られる。また湾内には[[アマモ]]場・[[アラメ]]場・ガラモ場といった多様な[[藻場]]が形成されている。
 
 
 
湾内には[[和白干潟]](80ha)を筆頭に、今津干潟(80ha)、多々良川河口(32ha)、室見川河口(26ha)と、大きく4か所の干潟がある。干潟は野鳥の棲息域であり、西日本[[日本海]]側としては[[宍道湖]]に並ぶ。通年棲息する[[留鳥]]の棲息地である他、冬季には[[渡り鳥]]の越冬地となり、春秋の渡り時期には休息地ともなる。棲息野鳥の種類は200種類以上、冬季には[[カモメ]]や[[鴨|カモ]]や[[カイツブリ]]が訪れ、春秋には[[シギ科|シギ]]や[[チドリ科|チドリ]]が訪れる。また[[カラシラサギ]]・[[カンムリカイツブリ]]・[[クロツラヘラサギ]]・[[コアジサシ]]・[[ズグロカモメ]]・[[ツクシガモ]]・[[ハヤブサ]]・[[ヘラサギ]]・[[ホウロクシギ]]・[[ミサゴ]]といった希少種も見られる。建設中の人工島[[福岡アイランドシティ|アイランドシティ]]の造成工事現場内の擬似湿地にもクロツラヘラサギなどが飛来している。
 
 
 
湾の形状と流入河川の数から、博多湾内は土砂が堆積しやすいのみならず、産業排水や生活廃水など環境汚染物質も流れ込みやすい。湾内の海水は潮の干満による緩やかな循環がなされているが、外海水との交換は遅い。福岡市および[[福岡都市圏]]の人口増加・都市化により、汚染物質の海底堆積や[[水質汚濁]]が年々進行している。水質の[[環境基準]]は、西部海域と中部海域がA類型、東部海域がB類型となっており、湾奥部ほど汚濁傾向が高い<ref>類型については「[http://www.env.go.jp/kijun/wt2-2.html 環境省・水質汚濁に係る環境基準について・別表2]」を参照。</ref>。[[化学的酸素要求量]](COD)の発生源別流入負荷量は福岡市が3分の2、周辺市町村が3分の1を占める。
 
 
 
産業排水や生活廃水などの流入により湾内の海水は概して[[富栄養化]]状態にある。夏季には海面表層では[[赤潮]]が、海底では[[貧酸素水塊]]が発生する。また富栄養化によって[[緑藻]]類の[[アオサ]]が発生し、博多湾奥部の和白干潟に大量に漂着。これは干潟の[[貝類]]の生育に被害を及ぼし、加えて腐敗時に[[悪臭]]を発生させる。ただしアオサの繁殖により[[窒素]]や[[リン]]が吸収され富栄養化が抑制されるため、アオサを[[堆肥]]や食材として活用する動きがある。また水底質浄化および沿岸生物繁殖地供給のため[[アマモ]]場が和白干潟に人工的に創生されている。
 
 
 
== 河川 ==
 
博多湾に流れ込むのは、[[二級水系|二級河川]]が11水系40河川、[[準用河川]]が10水系27河川、[[河川法]]適用外の[[普通河川]]が63河川ある。二級河川の流域面積はおよそ700平方キロメートル。ただし[[一級水系|一級河川]]はない。以下は博多湾に流入する河川とその支流の一部。
 
*唐原川
 
*香椎川
 
**浜男川
 
**宮北川
 
*[[多々良川]]
 
**久原川
 
***猪野川
 
****長谷川
 
**宇美川
 
***須恵川
 
***綿打川
 
***吉塚新川
 
*[[御笠川]]
 
**上牟田川
 
**諸岡川
 
**那珂古川
 
*[[那珂川 (九州)|那珂川]]
 
**博多川
 
**薬院新川
 
**若久川
 
*黒門川
 
*菰川
 
*[[樋井川]]
 
**七隈川
 
***梅林川
 
**片江川
 
***一本松川
 
**駄ケ原川
 
***桧原川
 
***東油山川
 
**糠塚川
 
*[[室見川]]
 
**金屑川
 
***汐入川
 
***油山川
 
**貞島川
 
**日向川
 
**竜谷川
 
**小笠木川
 
**椎原川
 
**小原川
 
***坊主川
 
***唐原川
 
***蟹又川
 
***新飼川
 
*名柄川
 
*十郎川
 
**野方川
 
*七寺川
 
**鯰川
 
*江の口川
 
**徳永川
 
*瑞梅寺川
 
**水崎川
 
**周船寺川
 
**田尻川
 
**弁天川
 
**川原川
 
*大原川
 
※東区の湊川および西区の桜井川は玄界灘へ流入する。
 
 
 
== 離島 ==
 
[[画像:Hakata Bay up200606242110.jpg|right|thumb|260px|福岡市東区西戸崎界隈より見られる湾内の島々]]
 
[[画像:View of Nokonoshima Island and Shikanoshima Island from seaside of Atagohama.JPG|right|thumb|260px|福岡市西区愛宕浜より見られる能古島(左)と志賀島(右)]]
 
*[[能古島]]
 
*象瀬
 
:能古島沖
 
*[[志賀島]]
 
:陸繋島
 
*[[福岡アイランドシティ]]
 
:東区の人工島
 
*鵜来島
 
:中央区福浜海岸沖
 
*宝島
 
:西区今津沖
 
*御島
 
:東区[[香椎]]海岸沖
 
*端島
 
:東区西戸崎沖
 
 
 
== 海水浴場 ==
 
[[File:Beach of Nokonoshima Camp Village.jpg|right|thumb|260px|能古島キャンプ村海水浴場]]
 
*志賀島海水浴場
 
*勝馬海水浴場
 
*志賀島国民休暇村前海水浴場
 
*能古島海水浴場(大泊)
 
*能古島海水浴場(西浜)
 
*[[シーサイドももち]]海浜公園
 
*生の松原海水浴場
 
*大原海水浴場
 
 
 
== 遊漁場 ==
 
[[釣り|遊漁]]は[[防波堤]]等のある場所ならばおおむね可能だが、[[1914年の海上における人命の安全のための国際条約]](SOLAS条約)や[[漁業権]]には留意せねばならない。波止釣りのほか、[[遊漁船]]による沖釣りも行われる。
 
*福岡市海づり公園(西区小田池ノ浦)
 
:財団法人福岡市海づり公園管理協会による管理運営
 
*博多湾沖防
 
*博多港箱崎埠頭
 
*博多港中央埠頭
 
*多々良川河口
 
*玄界島
 
*能古島
 
*弘漁港
 
*姪浜漁港
 
*唐泊漁港
 
*伊崎漁港
 
 
 
== 湾内交通 ==
 
*[[福岡市営渡船]]
 
*[[安田産業汽船]]
 
*[[海上タクシー]]
 
 
 
{{Main2|湾外交通等については[[博多港#旅客航路]]を}}
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
<references />
 
 
 
== 関連項目 ==
 
*[[博多湾鉄道汽船]]
 
*[[日本の地理]]
 
*[[湾の一覧]]
 
*[[ラムサール条約]]
 
 
 
== 外部リンク ==
 
{{commonscat|Hakata Bay}}
 
*[http://www.port-hakata.co.jp/ 博多港開発株式会社]
 
  
 +
{{テンプレート:20180815sk}}
 
{{デフォルトソート:はかたわん}}
 
{{デフォルトソート:はかたわん}}
 
[[Category:九州地方の湾]]
 
[[Category:九州地方の湾]]
 
[[Category:福岡県の地形]]
 
[[Category:福岡県の地形]]
 
[[Category:福岡市の地理]]
 
[[Category:福岡市の地理]]

2018/12/24/ (月) 11:30時点における最新版

博多湾(はかたわん)

別称福岡湾。福岡県北西部,福岡市域に囲まれ玄界灘に開かれた湾入。東西約 20km,南北約 7kmで胃袋のような形をしている。北東方に全長約 12kmの砂州である海ノ中道が発達し,玄界灘に対し防波堤の役割を果している。水深は湾口で 20m,湾内では 14m以内と浅い。湾中央に能古島が浮び,湾口の志賀島は橋で海ノ中道と結ばれている。湾奥の博多港は古くは大陸への渡航基地として栄え,現在も商港,漁港,壱岐・対馬への連絡港となっている。東部は埋立て地の造成が進行し,かつての千代ノ松原は消滅した。湾岸には元寇防塁 (史跡) ,筥崎宮香椎宮,生ノ松原など古跡,名勝が多く,玄海国定公園に属する。



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