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'''可児市'''(かにし)は、岐阜県の[[市]]。[[岐阜県]]の中南部、[[木曽川]]南岸に位置する。
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'''可児市'''(かにし)
== 概要 ==
 
[[愛知県]]との県境という地理的条件から1970年代より市の西部を中心に人口が爆発的に増加し、[[名古屋市]]の[[ベッドタウン]]として発展した。<br>
 
一方で[[長塚古墳]]や[[次郎兵衛塚一号墳]]などの古墳群、[[明智光秀]](異説あり)や[[森成利]](蘭丸)の生誕地、[[志野焼]]の発祥地などとしても知られており、歴史的な背景や遺産も多く有する。特に東部の丘陵地は現在も広く山林となっており、古くからの自然環境と新興都市としての側面を併せ持った町と言える。<br>
 
可児市は一般に[[中濃地域]]に区分されるが、[[東濃地域]]とする場合もある。その他にも可児市と美濃加茂市、可児郡、加茂郡を[[可茂]]と呼称する事も多い。近隣都市の中では[[多治見市]]に次いで人口が多い。しかし、中濃・可茂の枠組みでは歴史的流れから隣の[[美濃加茂市]]が中心都市として挙げられている。
 
=== 呼称 ===
 
市を大きく東西にわけて、今渡や広見などの東を東可児、土田や帷子などの西を西可児と呼ぶことがある。市内の東可児や西可児の名が付いた施設などは、それが由来である。また、東可児には兼山地区を含めないことが多い。
 
 
 
== 地理 ==
 
[[ファイル:Ontakesan from Hatobukiyama 2008-12-7.jpg|thumb|right|[[鳩吹山]]から[[木曽川]]を望む。川を挟んで奥は太田盆地([[美濃加茂市]])。]]
 
[[ファイル:KisogawaBashiBridge.jpg|thumb|[[木曽川橋 (東海環状自動車道)|木曽川橋]]]]
 
[[ファイル:Kani city center area Aerial photograph.1987.jpg|thumb|可児市中心部周辺の空中写真。1987年撮影の4枚を合成作成。{{国土航空写真}}。]]
 
岐阜県の中南部、木曽川南岸に位置し、岐阜市および愛知県名古屋市から約30km程の距離にある。可児盆地と呼ばれる盆地を市域としており、北部を除く三方を丘陵地が囲む。市域の南部が内側に入り込んでいるため、全体として逆凹形となっている。<br>
 
可児市に隣接し四方を丘陵地に囲まれた完全な盆地である[[多治見市]]とは異なり、比較的北西に開けていることから、[[美濃加茂市]]・[[御嵩町]]・[[川辺町]]・[[坂祝町]]・[[富加町]]・[[関市]]等と共に[[濃尾平野]]に含まれることが多い。<br>
 
市の北部は木曽川が流れ、対岸の太田盆地まで概ね平坦な地形が続く。東部は最高峰である浅間山をはじめ広く丘陵地となっており、多くのゴルフ場を有する(ゴルフ場は市域の1割近くを占める)。また、東部の丘陵地には桜ヶ丘ハイツなどの住宅団地もある。南部は多治見市と愛知県犬山市に隣接し、ニュータウンや工業団地が広がっている。西部の丘陵地は[[西可児駅]]を中心としたニュータウンとして開発が進んでおり、市で最も人口が多い地区になっている。北西部には[[鳩吹山]]がそびえ、そのふもとでは市を横断する[[可児川]]が木曽川と合流する。<br>
 
[[平成の大合併]]の際に[[可児郡]][[御嵩町]]および[[兼山町]]との3市町合併構想があったが合意に至らず、兼山町のみとの合併となったため、兼山地区(旧兼山町)は[[御嵩町]]を挟んだ[[飛地]]になっている。
 
===山===
 
*[[浅間山 (岐阜県可児市・多治見市)|浅間山]] (372m)
 
*[[鳩吹山]] (313.3m)
 
=== 河川 ===
 
*[[木曽川]]
 
*[[可児川]]
 
*瀬田川
 
*[[久々利川]]
 
*中郷川
 
*[[姫川 (岐阜県)|姫川]]
 
*大森川
 
*谷迫間川
 
*横市川
 
*矢戸川
 
*中切川
 
*山座川
 
=== 気候 ===
 
比較的温暖で夏期に雨が多い表日本式気候であるが、盆地にあることから気温が上がりやすく、若干[[内陸性気候]]の様相も帯びる。<br>
 
積雪はほとんどなく、年に数回程度である。
 
=== 地層 ===
 
岐阜県の東濃地方を中心に[[中新世]]前期から中期に堆積した[[瑞浪層群]]と呼ばれる地層が分布しており、可児・美濃加茂地域では下層から蜂屋累層、中村累層、平牧累層の3層に区分される。
 
 
 
この内平牧累層からは哺乳類の化石が多数発掘されており、[[平牧動物群]]として知られている。主な化石としては[[カニサイ]]({{仮リンク|キロテリウム|en|Chilotherium}})、[[ヒラマキウマ]]({{仮リンク|アンキテリウム|en|Anchitherium}})、[[ゴンフォテリウム|ゴンフォテリウム科]]の[[ゾウ]]などである。
 
 
 
また中村塁層には多くの[[褐炭]]が含まれており、戦前から戦後に掛けて[[亜炭]]として盛んに採掘された。<br>
 
[[瑞浪層群]]の地層には加工しやすいサバ石(凝灰質砂岩のこと)と呼ばれるものがあり、昔はそれを加工して土蔵、建物の基礎石、<ruby>室<rp>(</rp><rt>むろ</rt><rp>)</rp></ruby>、かまど(サバクドと呼ばれる)等を作り利用していた。現在はほとんど利用されなくなったが、室などは残されている所もある。
 
 
 
=== 隣接している自治体 ===
 
;{{Flagicon|岐阜県}}岐阜県
 
*[[多治見市]]
 
*[[美濃加茂市]]
 
*[[土岐市]]
 
*[[加茂郡]][[八百津町]]
 
*加茂郡[[坂祝町]]
 
*[[可児郡]][[御嵩町]]
 
;{{Flagicon|愛知県}}[[愛知県]]
 
*[[犬山市]]
 
 
 
== 歴史 ==
 
=== 古代 ===
 
[[ファイル:Nagatsukakofun-1.JPG|thumb|right|国の史跡・[[長塚古墳]]]]
 
古く有史以前から集落が存在し、市域には国の史跡に指定されている[[長塚古墳]]や県下最大級を誇る[[次郎兵衛塚一号墳]]をはじめとした多くの遺跡や古墳が存在する。また[[弥生時代]]から近世にまで至る柿田遺跡からは、[[古墳時代]]に行われた大規模な河川工事の跡が検出された。
 
 
 
倭王権との関りも古く、[[日本書紀]]によれば[[景行天皇]]4年に景行天皇が美濃に行幸した際に、現在も[[久々利]]地区に史跡が残る<ruby>泳宮<rp>(</rp><rt>くくりのみや</rt><rp>)</rp></ruby>を仮宮としたとされる。その際、[[崇神天皇]]の皇子でこの地方を支配していた[[八坂入彦命]]の娘[[八坂入媛命]]を見初め、后にしたと伝えられる。
 
 
 
[[律令制]]下ではこの地域は[[美濃国]]に属した。[[飛鳥池工房遺跡]]からは[[飛鳥時代]]の出土品として『三野国'''加尓'''評久々利五十戸』と書かれた[[木簡]]が見付かっており、古くからこの名称で呼び習わされていたことが判明している。名称の由来は定かではないが、「カネ(曲)」「カミ(神)」など他の漢字から転じたとの説、古代に地域を開拓した可兒氏に由来するとの説、などがある。
 
 
 
[[7世紀]]頃にこの地方に[[須恵器]]の製法が伝えられると、近隣の多治見市域や土岐市域などと同様に[[窯業]]が発達した。これが[[美濃焼]]の原型で、経路となっていた[[東山道]]の街道を通って日本各地にもたらされた。
 
 
 
=== 中世 ===
 
[[鎌倉時代]]に入ると[[源氏]][[一門]]の[[大内惟義]]が美濃守として就任するが、惟義亡き後の1221年に[[承久の乱]]が勃発するとその子[[大内惟信|惟信]]は[[後鳥羽天皇|後鳥羽院]]方に組した。惟信は[[筑後有長]]、[[糟屋久季]]らと共に2000騎を駆って木曽川北岸に布陣し、幕府方と'''大井戸渡'''(現在の土田地区)で戦闘。しかし[[武田信光]]ら東山道軍の大軍に破れ、大内氏は滅亡した。その後、美濃は[[北条氏]]らの支配下となった。<br>
 
[[元弘の乱]]により鎌倉幕府が滅びると、[[足利尊氏]]に従い戦功を挙げた[[土岐頼貞]]が美濃国守護となった。以後[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]に入るまで[[土岐氏]]が代々美濃国守護となり、可児市域も土岐氏の氏族の支配下となった。主なところでは後に[[明智光秀]]を出した[[明智氏]]を始め、瀬田氏、羽崎氏などが挙げられる。<br>
 
[[応仁の乱]]後には東山道が通う交通の要所であると共に、天然の要害である盆地に位置していることから軍事拠点にもなっていた。鳥峰城(後の[[金山城 (美濃国)|金山城]])や大森城をはじめ多くの城がこの時期に築かれている。またこの頃には東山道の[[宿場]]として[[土田宿]]が成立しており、木曽川の渡し場が置かれていた。
 
=== 森氏の台頭 ===
 
[[ファイル:Mori_Ranmaru-Utagawa_Kuniyoshi-ca.1850-_from_TAIHEIKI_EIYUDEN.jpg|thumb|left|150px|信長の小姓として知られる[[森成利|森成利(森蘭丸)]]。[[森氏]]は金山城を拠点として一帯を支配下に収めた。]]
 
[[森氏]]は第6代目の[[森氏清|氏清]]が室町時代初期に土岐氏の被官となって以来、代々土岐氏に仕えていた。しかし第15代目の[[森可成|可成]]の代に土岐氏は[[斎藤道三]]に追われて没落したため、以後は[[織田信長]]に仕えた。
 
 
 
1565年、美濃を制圧した信長は武功のあった可成に鳥峰城を与えた。可成はこの城を拡張して'''[[金山城 (美濃国)|金山城]]'''と改名し東濃への拠点としたが、1570年の[[浅井氏]]・[[朝倉氏]]との戦いの最中に戦死した。家督を次男の[[森長可|長可]]が継ぎ、[[森成利|成利]](蘭丸)ら弟達と共に信長に従戦した。
 
 
 
1582年の[[本能寺の変]]により信長と弟達が没したため、長可は領地として与えられていた[[信濃国|信濃]][[海津城]]から退去し金山城に帰還した。しかし[[苗木城]]の[[遠山友忠]]が美濃の諸将と内応して長可打倒を掲げたため、長可は[[豊臣秀吉|羽柴秀吉]]を後ろ盾として対抗した。長可は大森城の奥村元広や久々利城の[[久々利頼興]]など敵対した諸将を次々と征伐。翌年には[[苗木城]]を攻めて遠山友忠を追放し、可児市域を含む東濃一帯を支配下に収めた。
 
 
 
長可は1584年の[[小牧・長久手の戦い]]で戦死し、森氏の家督は末弟の[[森忠政|忠政]]が継いだ。秀吉が没すると忠政は[[徳川家康]]に接近し、1600年に家康より[[信濃国]][[松代藩|川中島]]13万7,500石を与えられた。[[関ヶ原の戦い]]では[[徳川秀忠]]の軍勢に属して[[上田合戦#第二次上田合戦|第二次上田合戦]]に参戦している。戦後、その功績により森氏は[[美作国|美作]][[津山藩]]に加増[[転封]]となった。
 
 
 
[[安土桃山時代]]中には久々利地区で[[志野焼]]が発祥した。かつて志野焼は[[瀬戸市|瀬戸]]が産地であるとされていたが、1930年に[[荒川豊蔵]]が'''久々利大萱牟田洞'''の古窯跡で志野焼の陶片を発掘し、この地で生産されていたことを実証した。
 
 
 
=== 近世 ===
 
関ヶ原の戦い後、市域は[[尾張藩]]領と幕府領([[天領]])、[[千村氏]]をはじめとする旗本領が混在するようになった。また金山城近辺には[[武蔵国|武蔵]][[武蔵松山藩|松山藩]]より[[松平忠頼]]が[[転封]]されて[[金山藩]]が成立した。しかし翌1601年、松平忠頼はさらに[[遠江国|遠江]][[浜松藩]]に加増転封となり、金山藩は成立後わずか1年足らずで廃藩となっている。
 
 
 
その後の1604年、[[小早川秀秋]]の家老であった[[平岡頼勝]]が家康に登用されて市域内に1万石が与えられ、[[徳野藩]]が成立した。頼勝は[[美濃郡代]]となり、[[陣屋]]として'''徳野陣屋'''を築いた。しかし、子の第2代藩主・[[平岡頼資]]の晩年から家督争いが発生し、後継の指名がないまま1653年に頼資は世を去った。死後、幕命によって徳野藩は改易・廃藩となった。
 
 
 
[[江戸時代]]の特記すべき事項として、塩村(現在の塩地区)におけるキリシタン弾圧が挙げられる。幕府は[[島原の乱]]以後[[キリシタン]]の取り締まりを強化していたが、1661年、塩村にキリシタンが多数存在することが発覚した。そのことを知った領主の林権左衛門は尾張藩主・[[徳川光友]]に捕縛を依頼し、信者24名が捕えられた。これを端緒に尾張藩の各地でキリシタンが露見し、1,000人以上の大検挙へと繋がった([[濃尾崩れ]])。塩村ではこの後の1697年にも30余名が検挙されている。
 
 
 
また、土田では幕末期の1819年より[[ガラス|ビードロ]]の製造が行われた。これは長崎でビードロの製法を学んだ石塚岩三郎が故郷の下総への帰途の途中、土田の娘と結ばれたことが縁となってこの地で製造を始めたことに由来する。石塚岩三郎が営んだビードロ屋は現在の[[石塚硝子]]であり、東海地方におけるガラス製造の発祥となった。
 
[[ファイル:Kisokaido51 Ota.jpg|thumb|right|『[[中山道六十九次|木曾海道六拾九次之内]] [[太田宿|太田]]』([[歌川広重]])には、当時の太田の渡しの様子が描かれている。]]
 
この時代には東山道が[[中山道]]として整備され、当初は土田宿もその宿場に指定された。しかし木曽川の流れが変化したため渡し場は上流に移動し、[[太田の渡し]](現在の今渡地区)が整備されて使われるようになった。それに対応して対岸に[[太田宿 (中山道)|太田宿]]が新設されたことで土田宿は重要性を失い、1694年に[[伏見宿 (中山道)|伏見宿]]と代替する形で廃宿になった。ただ完全に機能が失われたわけではなく、その後も[[名古屋城]]下から太田の渡しまでを繋ぐ[[上街道 (木曽街道)|上街道]]の一宿場として細々と存続したようである。
 
 
 
一方で太田の渡しには[[多治見街道]]や[[土岐街道]]も接続し、年貢米や美濃焼などを運ぶ人々が多く往来した。この時代の運送は水運が大きな役割を担っており、上流の兼山湊と共に栄えていた。流れが速い太田の渡しは中山道の難所とされ、[[馬子唄]]に『木曾のかけはし、'''太田の渡し'''、[[碓氷峠]]がなくばよい』と唄われた。
 
 
 
=== 近代 ===
 
[[明治維新]]後の[[廃藩置県]]により市域は岐阜県に含まれ、1889年の[[町村制]]施行時に市域には1町7村が発足した。
 
 
 
1900年に[[中央西線]]の名古屋~多治見間が開通すると、物流は木曽川の水運から鉄道を利用した陸運に変化していった。それを受けて、[[明治]]末期より平井信四郎らが中心となって多治見から広見を経由して御嵩に至る鉄道路線の建設が計画された。鉄道は[[大正]]年間に完成し当初[[東濃鉄道・東美鉄道|東濃鉄道]]によって運営されたが、後に一部は国有化された。[[昭和]]期に入ると[[可児駅|広見駅]]が移転されると共に路線が拡大され、現在の[[太多線]]・[[名鉄広見線]]の路線とほぼ同一となった。
 
 
 
[[ファイル:Ohotabashi-3.JPG|thumb|right|[[太田の渡し]]跡付近より[[太田橋 (木曽川)|太田橋]]を望む。中央左手の橋の陰に[[日本ライン|日本ライン下り]]の乗船場が見える。]]
 
1927年に[[太田橋 (木曽川)|太田橋]]が完成したことで長年利用された太田の渡しは役目を終え、代わって木曽川には1939年に[[今渡ダム]]が建設された。運輸の中心が陸運に移行したことで木曽川は[[日本ライン]]と呼ばれる観光地としての性質を強めた。
 
 
 
[[太平洋戦争]]が勃発すると、隣町の御嵩町を中心地として瀬田地区・柿田地区などで[[亜炭]]の採掘が活発になり、鉄道や街道を通って運ばれた。また軍需工場として土田村に'''萱場製作所'''(現[[KYB]]岐阜南工場)が誘致され、1943年より生産が始まった。当時萱場製作所は軍用機の油圧脚の約80%を生産しており、市域では初めての本格的な機械工場であった。その他戦争末期には市域西部の丘陵地にて[[三菱重工業|三菱]]の地下軍需工場の建設が始まったが、これは完成を見ることなく終戦を迎えた。
 
 
 
燃料調達が容易であり街道・鉄道といった運送網が存在したことから、この地域は日本軍の生産拠点として位置付けられていた。しかしそのためにしばしば空襲の標的にもなり、[[各務原空襲]]の際にも攻撃を受けている。
 
 
 
=== 現代 ===
 
[[ファイル:Kobuchi Dam.jpg|thumb|[[小渕ダム]]。1952年に完成し、日本で最初に完成した[[ロックフィルダム]]になった。]]
 
終戦後の物資の不足により、亜炭の採掘は衰えるどころか逆にますます盛んになった。1952年には[[小渕ダム]]が完成し、日本で最初に完成した[[ロックフィルダム]]になった。
 
 
 
1955年、昭和の大合併の中で[[今渡町]]、[[広見町 (岐阜県)|広見町]]、[[土田村 (岐阜県)|土田村]]、[[久々利村]]、[[平牧村]]、[[春里村]]、[[帷子村]]が合併し可児町が誕生した。後に御嵩町および姫治村のそれぞれ一部を合併し、現在の兼山を除く市域が定まった。
 
 
 
[[高度経済成長]]以降、石油が燃料の中心となっていったことで亜炭採掘は急速に衰退していった。一方で戦前からの萱場工業を中心とした製造業は発展し、1957年には[[名古屋パルプ]](現[[大王製紙]])、1974年には可児工業団地と相次いで大型の工場・工場用地が完成している。
 
 
 
また丘陵地を開拓しニュータウンを造成したことで、可児は名古屋に程近いベッドタウンとして注目されるようになった。[[1970年代]]以降西部・南部を中心に人口が爆発的に増加し、1970年には3万人に満たなかった人口は10年後には5万人を突破した。人口の急増を受けて1982年に可児町は市制を施行し、全国で650番目・県で14番目の市として可児市が誕生した。
 
 
 
以後も可児市の人口は鈍化はしたものの増え続け、可茂の拠点都市として発展した。1989年には県で推し進める「花の都ぎふ」運動の中心拠点として県営可児公園(現在の[[花フェスタ記念公園]])敷設予定地に花トピア(岐阜県花き総合指導センター)がオープン。後に県営可児公園は[[花フェスタ'95ぎふ]]および[[花フェスタ2005ぎふ]]の開催地となり、大勢の人出で賑わった。2005年に兼山町を合併したことで10万人を突破したと市は公称している。中でも近年は製造業への就労を目的としたブラジルやフィリピンなどの外国籍住民が増加しており、文化の違いにより発生するさまざまな問題に対処する必要に迫られるようになった。多国籍住民と交流を深めるため、様々な国際交流イベントが開催されている。(関連項目[[外国人集住都市会議]])
 
 
 
=== 年表 ===
 
*[[縄文時代]]中期以降 - 主に木曽川沿岸に集落が出来始める
 
*74年(景行天皇4年) - [[景行天皇]]が行幸に訪れ、泳宮(くぐりのみや)に滞在。この地で[[八坂入媛命]]を見初め后にする
 
*[[古墳時代]] - 長塚古墳や次郎兵衛塚古墳など各地に古墳が築かれる
 
*[[7世紀]] - [[律令制]]下で[[美濃国]]に属し、[[東山道]]の街道の経路となる
 
*1221年(承久3年) - [[承久の乱]]が勃発。大井戸渡で合戦が行われ、[[大内惟信]]ら幕府方が敗れる
 
*[[14世紀]] - [[土岐氏]]が美濃国守護となり、明智氏などの氏族が各地に勢力を拡大する
 
*1537年(天文6年) - [[斎藤正義]]が烏峰城を築城
 
*1565年(永禄8年) - [[森可成]]、烏峰城を拡張し[[金山城 (美濃国)|金山城]]と改名
 
*1582年(天正9年) - [[森長可]]が周辺諸将の征伐を開始。翌年までに一帯を支配下とする
 
*1600年(慶長5年) - [[森忠政]]、[[徳川家康]]より[[松代藩|川中島]]を与えられて移封となる。[[関ヶ原の戦い]]後、代わって[[金山藩]]が成立
 
*1601年(慶長6年) - 金山藩主[[松平忠頼]]が[[浜松藩]]に転封となり、廃藩となる
 
*1604年(慶長9年) - [[平岡頼勝]]が[[美濃郡代]]として登用され、[[徳野藩]]が成立
 
*1653年(承応2年) - 徳野藩主[[平岡頼資]]が死去。家督争いが発生していたため相続が認められず廃藩となる
 
*1661年(寛文元年) - 塩村でキリシタン24名が捕えられ、[[濃尾崩れ]]の端緒となる
 
*1694年(元禄7年) - [[土田宿]]に替わって[[伏見宿 (中山道)|伏見宿]]が[[中山道]]の宿場となる
 
*1819年(文政2年) - 石塚岩三郎が土田でビードロの製造を始める
 
*1871年 - [[廃藩置県]]により[[岐阜県]]に所属
 
*1889年 - [[町村制]]が施行され、市域に[[可児郡]][[兼山町]]、今渡村、広見村、土田村、久々利村、平牧村、春里村、帷子村の1町7村が発足
 
*1891年 - [[濃尾地震]]が発生し被害を受ける
 
*1911年 - 平井信四郎らが中心となって可児川電気株式会社を設立。翌年より電気の供給を始める
 
*1918年 - [[東濃鉄道・東美鉄道|東濃鉄道]](現・JR太多線)の運営で新多治見(現・多治見駅) - [[可児駅|広見]](現・JR可児駅)間が開通
 
*1920年 - 東濃鉄道広見 - [[御嵩口駅|御嵩]]間が開通
 
*1925年 - [[名古屋鉄道]]が今渡線(現・[[名鉄広見線|広見線]])として[[犬山口駅|犬山口]](のち起点が犬山駅に変更) - [[日本ライン今渡駅|今渡]]間を開業
 
*1926年 - 新多治見 - 広見間が国有化され[[太多線]](現JR)となる。広見 - 御嵩間は'''東美鉄道'''に譲渡される
 
*1927年 - [[太田橋 (木曽川)|太田橋]]が完成
 
*1929年 - 名古屋鉄道が今渡 - 広見(現・新可児駅)間を開業。今渡線を広見線と改称
 
*1930年 - 東美鉄道[[明智駅 (岐阜県可児市)|伏見口]](現・明智) - 八百津間が開通(後の[[名鉄八百津線]])
 
*1939年 - [[今渡ダム]]が完成
 
*1943年 - [[KYB|萱場製作所]]が生産を開始。名古屋鉄道が東美鉄道を合併し、広見(現・新可児) - 御嵩間は広見線に編入
 
*1944年 - [[三菱重工業|三菱航空機]]地下工場の建設が開始(未完成)
 
*1945年 - 空襲の標的となり、広見・塩河・下恵土・土田などで攻撃を受ける
 
*1951年 - [[小渕ダム]](日本初のロックフィル式ダム)が完成
 
*1955年 - 可児郡今渡町、広見町、土田村、久々利村、平牧村、春里村、帷子村が合併し可児町が発足。後に御嵩町の一部を分町編入
 
*1959年 - [[伊勢湾台風]]が発生。[[災害救助法]]の適用を受け仮設住宅が建設される
 
*1960年 - [[姫治村]]の一部を分村合併
 
*1961年 - [[愛知用水]]が完成
 
*1974年 - 可児工業団地造成完成
 
*1982年 - 市制施行
 
*1992年 - [[ケーブルテレビ可児]]が開局
 
*1995年 - [[花フェスタ記念公園|県営可児公園]]で[[花フェスタ'95ぎふ]]を開催
 
*2001年 - 名鉄八百津線明智 - 八百津間が廃止
 
*2002年 - [[可児市文化創造センター]] (ala) が開館
 
*2003年 - 7月20日の市議選で、全国5例目となる[[電子投票]]を実施した。しかし投票機器にトラブルが発生。2005年7月8日、電子投票としては日本で初めての最高裁による選挙無効判決が確定する。同年8月21日、[[再選挙]]が実施された
 
*2005年 - 兼山町を合併し人口が10万人を突破(市の発表による)。花フェスタ記念公園で[[花フェスタ2005ぎふ]]を開催。東海環状自動車道可児御嵩インターチェンジ利用開始。
 
*2006年 - 可児市エコドームが完成
 
*2007年 - 可児市だれもが輝く男女協働参画社会づくり条例の施行。
 
*2008年 - 多文化共生センターフレビアが開館。
 
*2009年 - 可児市景観計画の策定。可児市景観条例の施行。
 
*2010年 - 7.15集中豪雨災害(可児川の氾濫をはじめ市内各地で水害や土砂災害が発生)。可児市久々利を拠点に活動する陶芸家 加藤幸造氏が[[人間国宝]]に認定。道の駅「可児ッテ」がオープン。可児市史全6巻完結。
 
*2011年 - [[東日本大震災]]被災地を支援。初の水防訓練を実施。
 
*2012年 - 可児市子どものいじめの防止に関する条例施行。市制施行30周年。豊蔵資料館(人間国宝の陶芸家、故[[荒川豊蔵]]の作品などを展示)を可児市へ寄付。市民参加初の水防訓練を実施。[[ぎふ清流国体]]ゴルフ競技が可児市で開催。
 
*2013年 - 可児市文化創造センターが文化庁の特別支援事業の対象となる。牟田洞古窯跡(可児市久々利)発掘調査の開始。荒川豊蔵資料館が再オープン。美濃金山城跡が国史跡に指定。
 
*2014年 - 可児市地域支え愛づくり事業(地域通貨「Kマネー」事業)の開始。[[KYBスタジアム]]がオープン。
 
*2015年 - 花フェスタ2015ぎふ開催。
 
*2017年 - 荒川豊蔵作陶の地(居宅等)を一般公開。
 
 
 
== 行政 ==
 
=== 市長 ===
 
*[[冨田成輝]](2期目)
 
*任期:2010年11月7日 - 現職
 
 
 
=== 議会 ===
 
*定数:22名
 
*任期:2019年8月10日<ref>[http://gikai-kani.lg.jp/ 可児市議会]</ref>
 
*議長:川上文浩(誠颯会)
 
*副議長:勝野正規(真政会)
 
{|class=wikitable
 
!会派名!!議席数!!議員名(◎は代表)
 
|-
 
|誠颯会||style="text-align:right" |10||◎川上文浩、可児慶志、川合敏己、酒井正司、澤野伸、天羽良明、板津博之、伊藤壽、髙木将延、田原理香
 
|-
 
|真政会||style="text-align:right" |4||◎勝野正規、中村悟、出口忠雄、大平伸二
 
|-
 
|自由民主クラブ||style="text-align:right"|2||◎亀谷光、林則夫
 
|-
 
|[[日本共産党]]可児市議団||style="text-align:right"|2||◎伊藤健二、冨田牧子
 
|-
 
|可児市議会[[公明党]]||style="text-align:right"|2||◎野呂和久、山田喜弘
 
|-
 
|[[立憲民主党 (日本)|立憲民主党]]||style="text-align:right" |2||◎山根一男、渡辺仁美
 
|-
 
|計||style="text-align:right"|22 ||
 
|}
 
 
 
=== 歴代首長 ===
 
{|class=wikitable
 
!代
 
!氏名
 
!就任年月日
 
!退任年月日
 
!備考
 
|-
 
|style="text-align:right"|1
 
|渡辺 清男
 
|style="text-align:right"|1955年{{0}}2月{{0}}1日
 
|style="text-align:right"|1955年{{0}}2月28日
 
|職務執行者
 
|-
 
|style="text-align:right"|2
 
|渡辺 清男
 
|style="text-align:right"|1955年{{0}}3月{{0}}1日
 
|style="text-align:right"|1958年12月{{0}}6日
 
|可児町政
 
|-
 
|style="text-align:right"|3
 
|渡辺 清男
 
|style="text-align:right"|1958年12月{{0}}7日
 
|style="text-align:right"|1962年12月{{0}}6日
 
|
 
|-
 
|style="text-align:right"|4
 
|渡辺 清男
 
|style="text-align:right"|1962年12月{{0}}7日
 
|style="text-align:right"|1966年12月{{0}}6日
 
|
 
|-
 
|style="text-align:right"|5
 
|渡辺 清男
 
|style="text-align:right"|1966年12月{{0}}7日
 
|style="text-align:right"|1968年12月21日
 
|
 
|-
 
|style="text-align:right"|6
 
|林 桂
 
|style="text-align:right"|1968年12月22日
 
|style="text-align:right"|1972年12月21日
 
|可児市政
 
|-
 
|style="text-align:right"|7
 
|林 桂
 
|style="text-align:right"|1972年12月22日
 
|style="text-align:right"|1976年12月21日
 
|
 
|-
 
|style="text-align:right"|8
 
|林 桂
 
|style="text-align:right"|1976年12月22日
 
|style="text-align:right"|1980年12月21日
 
|
 
|-
 
|style="text-align:right"|9
 
|林 桂
 
|style="text-align:right"|1980年12月22日
 
|style="text-align:right"|1982年{{0}}9月14日
 
|
 
|-
 
|style="text-align:right"|10
 
|鈴木 告也
 
|style="text-align:right"|1982年11月{{0}}7日
 
|style="text-align:right"|1986年11月{{0}}6日
 
|
 
|-
 
|style="text-align:right"|11
 
|鈴木 告也
 
|style="text-align:right"|1986年11月{{0}}7日
 
|style="text-align:right"|1990年11月{{0}}6日
 
|
 
|-
 
|style="text-align:right"|12
 
|鈴木 告也
 
|style="text-align:right"|1990年11月{{0}}7日
 
|style="text-align:right"|1994年11月{{0}}6日
 
|
 
|-
 
|style="text-align:right"|13
 
|山田 豊
 
|style="text-align:right"|1994年11月{{0}}7日
 
|style="text-align:right"|1998年11月{{0}}6日
 
|
 
|-
 
|style="text-align:right"|14
 
|山田 豊
 
|style="text-align:right"|1998年11月{{0}}7日
 
|style="text-align:right"|2002年11月{{0}}6日
 
|
 
|-
 
|style="text-align:right"|15
 
|山田 豊
 
|style="text-align:right"|2002年11月{{0}}7日
 
|style="text-align:right"|2006年11月{{0}}6日
 
|
 
|-
 
|style="text-align:right"|16
 
|山田 豊
 
|style="text-align:right"|2006年11月{{0}}7日
 
|style="text-align:right"|2010年11月{{0}}6日
 
|
 
|-
 
|style="text-align:right"|17
 
|[[冨田成輝|冨田 成輝]]
 
|style="text-align:right"|2010年11月{{0}}7日
 
|style="text-align:right"|2014年11月{{0}}6日
 
|
 
|-
 
|style="text-align:right"|18
 
|冨田 成輝
 
|style="text-align:right"|2014年11月{{0}}7日
 
|style="text-align:right"|&nbsp;
 
|
 
|-
 
|}
 
出典:平成27年度可児市の統計<ref>[http://www.city.kani.lg.jp/secure/4661/27toukei.pdf 平成27年度可児市の統計 P161]</ref>
 
 
 
=== 行政の特色 ===
 
==== いじめ防止 ====
 
いじめを防止し、次代を担う子どもが健やかに成長することができる環境は、社会全体で取り組むべき重要課題であるという考えのもと、いじめの防止のための施策を総合的に推進していくため、全国で初めて「子どものいじめ防止」に特化した条例を2012年に制定した。子どもたちが安心して相談できる窓口の設置や、教育評論家の[[尾木直樹]]氏(市いじめ防止専門委員会特別顧問)による講演会や学校への訪問なども行われている。(出典:可児市ホームページ)
 
==== 可児市地域支え愛事業(Kマネー事業) ====
 
「地域の支え合いの仕組みづくり」と「地域経済の活性化」を目的に、市民・事業者・行政がそれぞれの役割を担い、一体となった「支え愛のサイクル」の仕組みです。地域支え愛ポイント制度の対象ボランティア活動を行った方に、ポイントを付与し、貯まったポイントは、地域通貨「Kマネー」と交換できます。Kマネーは、市内の協力店で使用できます。協力店に、金融機関で換金する際に、換金額の1%を社会貢献協力金として負担。社会貢献協力金は、この事業の運営財源に充てられます。(出典:可児市ホームページ)
 
==== 小中学校エアコン完備 ====
 
市内の全公立小中学校を対象に、平成26年度は中学校、平成27年は小学校の普通教室にエアコン設置した。(出典:可児市ホームページ)
 
 
 
== 人口 ==
 
{{人口統計|code=21214|name=可児市}}
 
 
 
== 施設 ==
 
[[ファイル:Kani Police Station-1.JPG|thumb|[[可児警察署]]]]
 
[[ファイル:Kani City Public Library-1.JPG|thumb|[[可児市立図書館]]]]
 
[[ファイル:可児郵便局.JPG|thumb|[[可児郵便局]]]]
 
=== 警察 ===
 
*[[岐阜県警察]] [[可児警察署]]
 
;交番
 
*署所在地交番(可児市中恵土)
 
*西可児交番(可児市帷子新町)
 
*東可児交番(可児市皐ケ丘)
 
*今渡交番(可児市今渡)
 
*土田交番(可児市土田)
 
*御嵩交番(可児郡御嵩町御嵩)
 
;駐在所
 
*久々利駐在所(可児市久々利)
 
*春里駐在所(可児市矢戸)
 
*上之郷駐在所(可児郡御嵩町中切)
 
*伏見駐在所(可児郡御嵩町伏見)
 
*兼山駐在所(可児市兼山)
 
=== 消防署 ===
 
1965年に可児町消防本部、消防署が設置され、1970年に1市7町村で[[可茂消防事務組合]]が設立された際に南消防署と改称した。
 
*[[可茂消防事務組合]] 南消防署
 
**西可児分署
 
**東可児遣所
 
**御嵩分署
 
=== 医療機関 ===
 
*[[地域医療機能推進機構可児とうのう病院]](2014年4月、岐阜社会保険病院から改称)
 
*[[藤掛病院]]
 
*[[東可児病院]]
 
*可児市国民健康保険診療所
 
=== 福祉施設 ===
 
*児童センター
 
**中央児童センター(子育て健康プラザ・マーノ内)
 
**帷子児童センター
 
**桜ケ丘児童センター
 
**兼山児童館
 
*可児市老人福祉センター
 
**可児川苑
 
**福寿苑
 
**兼山やすらぎ館
 
*可児市こども発達支援センターくれよん
 
*ふれあいの里可児 - 障がい者の支援施設として作業場と支援センターが置かれている
 
=== 図書館 ===
 
*[[可児市立図書館]] - 1978年に町立図書館として開設した後、1985年に新築された。
 
**帷子分館
 
**桜ケ丘分館
 
この他、移動図書館「ひまわり号」が市内を巡回している
 
=== 郵便局 ===
 
;主な郵便局
 
*[[可児郵便局]]
 
=== 体育施設 ===
 
*可児市運動公園スタジアム([[KYBスタジアム]])-岐阜県内初の全面人工芝のスタジアムで、平成26年4月1日オープン。野球やソフトボールをはじめサッカー(フットサルを含む)やグラウンドゴルフなど、人工芝グラウンドというメリットを生かし、さまざまな目的に使用することが可能。また、可児市初のネーミングライツ(公共施設への命名による支援)事業で、スタジアムに隣接するテニスコートも含め、そのパートナーとして[[KYB]]株式会社との契約を締結している。(出典:可児市ホームページ)
 
*可児市運動公園グラウンド
 
*可児市B&G海洋センター
 
*可児市運動公園弓道場
 
*可児市運動公園ウエイトリフティング場
 
*可児市運動公園馬事公苑
 
*広見市民グラウンド
 
*塩河公園グラウンド
 
*姫治市民グラウンド
 
*坊主山市民グラウンド
 
*可児市運動公園テニスコート([[KYB]]テニスコート)
 
*鳴子近隣公園テニスコート
 
*可児青少年育成センター(錬成館)
 
=== 文化施設 ===
 
[[ファイル:kani Public Arts Center-1.JPG|thumb|right|[[可児市文化創造センター]],愛称「ala(アーラ)」]]
 
*[[可児市文化創造センター]] (ala) - こけら落とし公演は[[和泉元彌]]が行なった。当日は和泉のダブルブッキングが話題となり、全国からマスコミが駆けつけ、市の名を知られるニュースとなった。社会貢献型劇場として、市民が元気なまちをつくるためのalaまち元気プロジェクト、市民参加によるミュージカルや演劇、第一線で活躍する俳優・スタッフが可児市に滞在して制作するala collectionシリーズ、日本を代表する「[[文学座]]」と「[[新日本フィルハーモニー交響楽団]]」の2団体と地域拠点契約を結んだ活動などを展開している。2013年には、「劇場、音楽堂の活性化に関する法律」の制定に伴う、その活性化と地域コミュニティの創造と再生を推進するため、[[文化庁]]が実施する「劇場・音楽堂等活性化事業」のうち全国トップレベル15の劇場・音楽堂が支援される「特別支援事業」に採択された。
 
*[[可児郷土歴史館]]- 江戸時代にこの地を領土とした旗本・千村氏の屋敷跡に建設されており、敷地内には現在も石垣や井戸が残る
 
*兼山歴史民俗資料館 - 建物は、1885年竣工の兼山小学校校舎を解体修理したものを利用している
 
*[[川合考古資料館]] - 市内で発掘された古代の遺物を展示している。また次郎兵衛塚一号墳も復元整備されている
 
*木曾古文書歴史館 - 主に千村氏に伝わる書状や絵図などが展示されている
 
*[[荒川豊蔵資料館]] - [[人間国宝]]の陶芸家・[[荒川豊蔵]]の作品や収集品などが展示されている
 
*[[名鉄資料館]]
 
=== 芸術・レクリエーション施設 ===
 
[[ファイル:Wakuwaku2.jpg|thumb|「[[わくわく体験館]]」]]
 
*ささゆりクリーンパーク「[[わくわく体験館]]」 - [[吹きガラス]]、[[トンボ玉]]作りなどの[[ガラス工芸]]体験、講座などを行っている。他に、体育館や宿泊施設も備えている。また、[[石塚硝子|石塚岩三郎]]が江戸時代末期に現在の可児市土田で製造していた、土田[[ビードロ|びいどろ]]の復元にも取り組んでいる。
 
=== ホール・集会場 ===
 
*可児市総合会館
 
*可児市総合会館分室
 
*可児市福祉センター
 
*可児市勤労者総合福祉センター(Lポート可児)
 
*兼山生き生きプラザ
 
*地区センター
 
**広見・広見東・今渡・下恵土・土田・帷子・春里・中恵土・川合・姫治・平牧・桜ケ丘・久々利・兼山
 
=== その他 ===
 
*[[可茂公設地方卸売市場]]
 
*[[道の駅]]「可児ッテ」
 
*多文化共生センター フレビア - 外国人をはじめとして多様な文化を背景に持つ市民の交流を促進し、文化や習慣等の相互理解を深め、共に安心して生きられる地域社会の形成に資することを目的に、情報の提供、日本語の学習支援、外国人相談、交流の場の提供などを行っている。「フレビア」とは英語のフレンドシップとシビライゼーションから綴った新語で、友情の精神で親しく和やかに交じり合っていけば、互いの文化は徐々に理解され深まっていくという意味。(出典:可児市ホームページ)
 
 
 
== 経済 ==
 
[[ファイル:KANI SHOPPING PLAZA PATIO.jpg|thumb|[[可児ショッピングプラザパティオ]]([[ヨシヅヤ]]可児店)]]
 
[[ファイル:PIAGO Kani.jpg|thumb|[[ピアゴ可児店]]]]
 
[[ファイル:Pare Marche Nishi-kani.jpg|thumb|パレマルシェ西可児店]]
 
{{See also|Category:可児市の企業}}
 
=== 工業 ===
 
[[名古屋市]]まで[[名古屋鉄道|名鉄電車]]の利用だと1時間かからないため、ベッドタウンとしての要素が大きいが、市では[[自動車]]産業が盛んであり、自動車部品の下請工場が数多く存在する。このため外国人労働者も多く、外国人登録者数は5%を超え、隣接する[[美濃加茂市]]と共に[[国際都市]]として知られる。
 
*市内の工業団地
 
**岐阜県可児工業団地 - 可児市の南部丘陵地に開発造成された総面積136haに及ぶ東海地方最大級の大型工業団地
 
**可児市二野工業団地
 
**可児柿田流通・工業団地
 
*主な企業
 
**[[KYB]](旧社名:カヤバ工業)
 
**[[大王製紙]](旧名古屋パルプ)
 
**[[オークマ]]
 
**日特スパークテック東濃
 
**[[ヤイリギター]]
 
**やまもと企画
 
=== 商業 ===
 
;主な商業施設
 
*[[ヨシヅヤ]]可児店([[可児ショッピングプラザパティオ]])
 
*[[アミカ (スーパー)|アミカ]]可児店
 
*[[イエローハット]]可児店
 
*[[エディオン]]可児今渡店
 
*[[オークワ]]可児坂戸店
 
*[[カインズ]]可児店
 
*[[ゲンキー]]可児店・大森店・可児御嵩店
 
*[[生活協同組合|コープ]]岐阜可児店
 
*[[DCMカーマ]]可児店
 
*[[パレマルシェ西可児]]店
 
*[[バロー (チェーンストア)|バロー]]西可児店・広見店
 
*[[ピアゴ可児店]]
 
*[[フィットハウス]]
 
 
 
== 姉妹都市・提携都市 ==
 
=== 海外 ===
 
;提携都市
 
*[[ファイル:Flag of the Northern Mariana Islands.svg|border|22x20px|北マリアナ諸島の旗]][[北マリアナ諸島]][[ロタ島]]
 
**1995年に市内で開催された「花フェスタ'95ぎふ」を契機に、花をキーワードとして1995年8月20日に友好都市提携が結ばれた。
 
*{{Flagicon|AUS}}[[オーストラリア連邦]][[クイーンズランド州]][[:en:Redland City|レッドランド市]]
 
**2015年11月19日 「教育および文化における相互協力に関する協定」を締結し、子どもたちの交流を軸にした新たな国際交流が始まる。(出典:可児市ホームページ)
 
=== 国内 ===
 
;提携都市
 
*{{Flagicon|岡山県}}岡山県[[津山市]]
 
**1995年10月16日 旧[[兼山町]]が歴史友好都市提携を結んでいたため、合併後も引き続き友好事業を継続している。津山市も旧兼山町と同じく森氏によって拓かれた城下町である。
 
 
 
== 教育 ==
 
=== 大学 ===
 
;私立
 
*[[名城大学]]都市情報学部(可児キャンパス)
 
2017年3月をもってナゴヤドーム前キャンパスへ移転。跡地には平成31年4月(予定)から[[岐阜医療科学大学]]可児キャンパスが開設。
 
*[[岐阜医療科学大学]] 可児キャンパス開設予定。
 
=== 専修学校 ===
 
;県立
 
*[[岐阜県農業大学校]]
 
*[[岐阜県立国際園芸アカデミー]]
 
=== 高等学校 ===
 
[[ファイル:Kani High School01.jpg|thumb|right|[[岐阜県立可児高等学校]]]]
 
;私立
 
*[[帝京大学可児高等学校中学校|帝京大学可児高等学校]]
 
;県立
 
*[[岐阜県立可児高等学校]]
 
*[[岐阜県立可児工業高等学校]]
 
=== 中学校 ===
 
()内は出身小学校を表す。
 
{{col|
 
*[[可児市立広陵中学校]](帷子小)
 
*[[可児市立蘇南中学校]](土田小・今渡南小・今渡北小)
 
*[[可児市立中部中学校]](広見小・旭小・東明小)
 
|
 
*[[可児市立西可児中学校]](南帷子小・春里小)
 
*[[可児市立東可児中学校]](桜ケ丘小)
 
*(私立)[[帝京大学可児高等学校中学校|帝京大学可児中学校]]
 
}}
 
*中学校の変遷
 
**可児町時代には、町内には蘇南中・中部中しかなかった。人口の増加に伴い、蘇南中から西可児中が分かれた。その後、西可児中から広陵中、中部中から東可児中が分かれ、現在の状態になった。
 
 
 
=== 小学校 ===
 
{{col|
 
*可児市立旭小学校
 
*可児市立今渡北小学校
 
*可児市立今渡南小学校
 
*可児市立帷子小学校
 
|
 
*可児市立桜ケ丘小学校
 
*可児市立東明小学校
 
*可児市立土田小学校
 
*可児市立春里小学校
 
|
 
*可児市立広見小学校
 
*[[可児市立南帷子小学校]]
 
*可児市立兼山小学校
 
*(私立)[[帝京大学可児小学校]]
 
}}
 
*兼山小学校の児童は、卒業後、隣の[[御嵩町]]にある[[可児市御嵩町中学校組合立共和中学校]]に通う。
 
*小学校の変遷
 
**人口増加に伴い、旧今渡小学校が今渡南・今渡北の二校に、旧帷子小学校が帷子・南帷子の二校にそれぞれ分かれた。
 
 
 
=== インターナショナルスクール ===
 
;[[ブラジル学校]]
 
*[[ソシエダーデ・エドカショナル・ブラジリアン・スクール]]
 
*ばら教室KANI - 可児市教育委員会が、外国人児童・生徒に対する学習保障事業として実施する学校生活支援及び学習支援施設。(出典:可児市ホームページ)
 
 
 
=== その他 ===
 
*名古屋鉄道教育センター - 木曽川を望む川合にあり、[[名古屋鉄道]]やグループの社員に対し、電車等の運行に必要な[[動力車操縦者]]取得のための養成訓練をはじめとした教育が行われている。また、敷地内には名古屋鉄道の貴重な歴史資料を網羅した資料館も併設されている
 
 
 
== 交通 ==
 
=== 鉄道路線 ===
 
[[ファイル:MT-Shin Kani Station and Kani Station 201806.jpg|thumb|right|300px|[[可児駅]]と[[新可児駅]]]]
 
市の南北をJR[[太多線]]が、東西を[[名鉄広見線]](可児町として合併する前の広見町に由来の線名)が貫通する。両線が交わるJR[[可児駅]]・名鉄[[新可児駅]](市制施行前は広見駅・新広見駅)が市の中心駅だが、2015年ごろまでの乗降客数はニュータウンと名城大学可児キャンパスに近い名鉄の[[西可児駅]]が多かった。しかし、名城大学の移転に伴い、西可児駅の乗降客数が減少し、現在では新可児駅の方が利用が多い。
 
 
 
可児駅または新可児駅からJR・名鉄のいずれを利用した場合も名古屋までの所要時間は約1時間であるが、運行本数(日中はJRが2本、名鉄が4本)や乗換(日中JRは美濃太田駅・岐阜駅または多治見駅で乗り換えが必要。一方、名鉄は半数が名古屋方面へ直通、残りの半数は犬山駅で乗り換えとなる。名古屋方面直通電車(普通中部国際空港ゆき・犬山から準急)も犬山で一部特別車特急を待つため急ぐ場合は乗り換えが必要となる)の関係から名鉄を利用した方が早い場合が多い。
 
 
 
また、近年では[[中部国際空港]]の開港に伴い、新可児駅からも直通の[[名鉄特急|特急]]・[[名鉄2000系電車|ミュースカイ]]の運行が朝に行われるようになり、また2008年12月27日のダイヤ改正で昼間時間帯の名古屋方面直通電車が従来の[[河和駅|河和]]・[[内海駅 (愛知県)|内海]]ゆきから[[中部国際空港駅|中部国際空港]]ゆきに変更となった。
 
;[[ファイル:JR logo (central).svg|25px]][[東海旅客鉄道]](JR東海)
 
*{{Color|orange|■}}[[太多線]]:- [[可児駅]] - [[下切駅]] -
 
;[[ファイル:Meitetsu_logomark_2.svg|20px]][[名古屋鉄道]](名鉄)
 
*{{名鉄駅番号|HM}}[[名鉄広見線|広見線]]:- [[西可児駅]] - [[可児川駅]] - [[日本ライン今渡駅]] - '''[[新可児駅]]''' - [[明智駅 (岐阜県可児市)|明智駅]] -
 
 
 
=== バス ===
 
東鉄バス([[東濃鉄道]])の路線バスと、可児市の[[コミュニティバス]]「さつきバス」(定時・定路線型運行)、タクシー車両を使ったコミュニティバス「電話で予約バス」(デマンド運行型)が運行されている。また、廃線になった[[名鉄八百津線]]の代替として「[[YAOバス]]」が明智駅から八百津町まで運行している。遠隔地へは名古屋方面への都市間高速バスの他、2006年より新宿行きの長距離高速バス「[[中央ライナー]]可児号」が1日に2往復している。
 
;コミュニティバス
 
*[[可児市コミュニティバス]]「さつきバス」(運行事業者:東濃鉄道)
 
*[[可児市コミュニティバス]]「[http://www.city.kani.lg.jp/4738.htm#BaseTable 電話で予約バス]」(運行事業者: [http://www.shin-ota.com/ 可児タクシー])
 
*[[YAOバス]] - 八百津、可児市、御嵩町で共同運行するコミュニティバス。(運行事業者:東濃鉄道)
 
;路線バス
 
*[[東濃鉄道]](東鉄バス)
 
**緑ケ丘線
 
**帷子線(緑系統、長坂団地系統、光陽台系統)
 
**桜ケ丘ハイツ線
 
**八百津線
 
**[[花フェスタ記念公園]]線(4月第2土曜日~6月第4日曜日の土曜・休日に運行)
 
;高速バス
 
*[[中央ライナー]]可児号 - バスタ新宿への長距離高速バス。[[JRバス関東]]と[[東濃鉄道]]の共同運営。
 
*都市間高速バス - 名古屋方面へのバス。[[名鉄バス]]と東濃鉄道の共同運行路線と東濃鉄道の単独運行路線がある。
 
**名古屋・西可児線
 
**桜ケ丘ハイツ線~名古屋線 - 名鉄バスと東濃鉄道の共同運行
 
 
 
=== 道路 ===
 
;高速道路
 
[[ファイル:Kani-Mitake IC.JPG|thumb|[[可児御嵩インターチェンジ|可児御嵩IC]]]]
 
2005年に[[東海環状自動車道]]が開通し、市内唯一の[[インターチェンジ]]として[[可児御嵩インターチェンジ|可児御嵩IC]]が開設された。近隣には[[中央自動車道]]の[[小牧東インターチェンジ|小牧東IC]]、[[多治見インターチェンジ|多治見IC]]、[[土岐インターチェンジ|土岐IC]]があり、現在でもこちらを利用する機会も多い。
 
*[[東海環状自動車道]]:- [[可児御嵩インターチェンジ|可児御嵩IC]] -
 
;一般国道
 
市内を走る3本の国道はいずれも古くからの街道であり、歴史的経緯からいずれも木曽川周辺で交わっている。
 
*[[国道21号]] - 旧[[東山道]]、[[中山道]]
 
**[[可児御嵩バイパス]]
 
*[[国道41号]] - 旧[[上街道 (木曽街道)|上街道]]。
 
**[[名濃バイパス]]
 
*[[国道248号]] - 旧多治見街道で、かつては美濃焼を運ぶために使われた。現在はバイパスが整備されている。
 
**[[可児バイパス]]
 
;一般県道
 
{{col|
 
*[[岐阜県道64号可児金山線]]
 
*[[岐阜県道83号多治見白川線]]
 
*[[岐阜県道84号土岐可児線]]
 
*[[愛知県道189号・岐阜県道113号善師野多治見線|岐阜県道113号善師野多治見線]]
 
*[[岐阜県道121号・愛知県道191号長洞犬山線|岐阜県道121号長洞犬山線]]
 
*[[岐阜県道122号・愛知県道186号御嵩犬山線|岐阜県道122号御嵩犬山線]]
 
|
 
*[[岐阜県道341号御嵩可児線]]
 
*[[岐阜県道349号菅刈今渡線]]
 
*[[岐阜県道361号可児川停車場日本ライン公園線]]
 
*[[岐阜県道363号可児停車場線]]
 
*[[岐阜県道381号多治見八百津線]]
 
}}
 
 
 
== 観光 ==
 
=== 名所・旧跡 ===
 
[[ファイル:Kaneyama castle ishigaki2.JPG|thumb|[[金山城 (美濃国)|金山城]]址]]
 
[[ファイル:Tenryuji-1.JPG|thumb|[[天龍寺 (曖昧さ回避)|天龍寺]]]]
 
[[ファイル:Grave of Mori brothers at Kajō-ji.jpg|thumb|可成寺]]
 
[[ファイル:Kosazukeishi.jpg|thumb|[[子守神社 (可児市)|子守神社]]]]
 
[[ファイル:Jirobeeduka1goukofun-1.JPG|thumb|[[次郎兵衛塚一号墳|川合次郎兵衛塚一号墳]]]]
 
[[ファイル:Erythronium_katakuri_2010-3-27.jpg|thumb|right|可児川下流域自然公園のカタクリ群生地]]
 
;城址
 
*[[金山城 (美濃国)|金山城]]跡 - 国の史跡。戦国時代に一帯を支配した[[森氏]]の居城。[[森成利|森蘭丸]]生誕の城としても知られる。(他の旧兼山町の史跡については、[[兼山町]]を参照)
 
*長山城([[明智城 (美濃国可児郡)|明智城)]]跡 - 市の史跡。明智光秀生誕の城とされている(岐阜県[[恵那市]][[明智町]]の[[明知城]]で生誕したとの説もある)。
 
*[[今城 (美濃国)|今城]]跡 - [[森氏]]の[[家臣]]であった[[小池家継]]の[[居城]]
 
*[[久々利城]]跡
 
*大森城跡
 
*土田城跡 - 文明年間(1469~1487)頃に土田氏により築かれたと伝えられている。弘治2年(1556年)、城主の土田源大夫が明智城において討死した後は、丹羽郡小折城(愛知県江南市)の生駒氏の養子となっていた親重が城主となり、親重亡きあとは親正が城主となる。親正は信長に仕えると土田城を退去し戦功を重ね、その後秀吉に仕え、讃岐一国を与えられ、丸亀城にあって中老職に任ぜられた。[[織田信長]]の生母である[[土田御前]]の生誕地ともいわれている。(出典:可児市ホームページ)
 
*室原城跡
 
*羽崎城跡
 
*塩河城跡
 
;寺院
 
*[[天龍寺 (曖昧さ回避)|天龍寺]] - [[明智氏]]歴代の墓所がある。
 
*[[可成寺]] - 森三兄弟([[森成利|森蘭丸]]・[[森長隆|森坊丸]]・[[森長氏|森力丸]])の墓所がある。
 
*[[禅林寺]]
 
*[[東栄寺]]
 
*[[東光寺]]
 
*[[福田寺]]
 
*[[薬王寺]]
 
;神社
 
*[[貴船神社 (可児市兼山)|貴船神社]]
 
*[[熊野神社]]
 
*[[子守神社 (可児市)|子守神社]]
 
*[[津島神社 (曖昧さ回避)|津島神社]]
 
*[[廣見神社]]
 
;古墳
 
*[[長塚古墳]] - 可茂地区最大級の前方後円墳。国の史跡に指定されている。
 
*[[次郎兵衛塚一号墳|川合次郎兵衛塚一号墳]] - 可茂地区最大級の方墳。当時の姿が復元されており、隣接する[[川合考古資料館]]では出土物が展示されている。
 
*[[熊野古墳]]
 
*[[身隠山古墳群]]
 
*[[羽崎中洞古墳]]
 
*[[不孝寺塚古墳]]
 
*二野鍋煎古墳
 
*大森皿屋敷古墳
 
*西寺山古墳
 
=== 観光スポット ===
 
;公園
 
*[[花フェスタ記念公園]] - 約7,000品種61,000株のバラが植えられ品種の数では世界一多い。日本で唯一、英国王立バラ協会と友好提携している。
 
*可児やすらぎの森(生活環境保全林) - 中部地区最大のローラー滑り台がある。滑降時、でん部が摩擦でかゆくなるのを防止するため、マットの貸し出しもある。
 
*蘭丸ふるさとの森(金山城跡) - [[織田信長]]の小姓として仕えた[[森成利|森蘭丸]]が生まれたところ。
 
*ふれあいパーク緑の丘 - 総面積約22.5ヘクタール(ナゴヤドーム4.7個分)の大きな公園。一周1キロメートルの園路、広大な芝生広場(175メートル×222メートル)では、ウオーキングやレクリエーションなどが楽しめるほか、複合遊具や幼児向け遊具もあり、小さな子どもも楽しめる。管理棟横の舗装された遊び広場は、ローラースケートや自転車の練習などにも利用できる。
 
*ふるさと川公園 - 市役所の北、可児川の対岸にある。「可児夏祭り」が行われる公園。
 
*鳴子近隣公園
 
*歴史と文化の森(身隠山古墳)
 
*可児川下流域自然公園 - [[カタクリ]]群生地と[[紅葉]]のスポット。戦前は近隣の[[山田才吉#北陽館|北陽館]]と共に「ライン遊園」と呼ばれた。
 
*可児市運動公園(体育施設)
 
 
 
== 祭事・催事 ==
 
*可児夏祭り
 
*[[花フェスタ記念公園|花フェスタ]] 夏まつり花火大会(8月)
 
*[[子守神社 (可児市)|子守神社]]大祭
 
*[[久々利]]八幡神社大祭(市の[[無形民俗文化財]])
 
**二台のヤマと呼ばれる山車と、からくり人形が特徴。
 
*洞窟夏祭り(7月)
 
**戦時中の大砲製造用に掘られた洞窟で行われる。
 
*白鬚神社大祭(流鏑馬祭)(市の[[無形民俗文化財]])
 
*白鬚神社の輪くぐり祭
 
*川合青木神社悪魔払い獅子
 
*光秀供養祭
 
*百万遍の町流し
 
*石原の提灯まつり
 
*灯篭会
 
*蘭丸祭(兼山地区)
 
*兼山夏祭(兼山地区)
 
*兼山祭(兼山地区。[[貴船神社 (可児市兼山)|貴船神社]]例祭)
 
*鬼ヶ島おんでこ祭([[鬼ヶ島]] (可児市土田))(12月31日)
 
*帷子花火(帷子地区)(11月)
 
*かに駅前一坪市([[可児駅]]前)(毎月第四日曜日午前中)
 
 
 
== 名物・名産・特産 ==
 
*[[サトイモ]]
 
*さよりめし - [[サンマ]]の炊き込みご飯。[[サヨリ]]は使用しない。1939年に宮内庁より発表された日本五大名飯の一つに挙げられた。
 
 
 
== 出身有名人 ==
 
*塚本明里(ご当地タレント)
 
*[[さとう宗幸]](可児市生まれ、[[宮城県]][[大崎市]]育ち、[[仙台市]]在住)
 
*[[加藤晴彦]](可児市生まれ、[[愛知県]][[名古屋市]]育ち [[俳優]])
 
*[[赤座ひではる]](漫画家)
 
*[[ラフォーレ北原]]
 
*[[小島康史]] (映像作家、大学教授)
 
*[[奥村健太]] (テレビディレクター)
 
*[[中山祐一朗]](俳優)
 
*[[磯部悦子]](アナウンサー)
 
*[[内山智之]](元プロ野球選手)
 
*[[拓未司]](作家)
 
*[[小栗由加]](女優)
 
*[[長瀬めぐみ]](柔道選手)
 
*[[杉野健斗]](サッカー選手)
 
*めぃりぃ(プロレスラー)
 
*[[PENGUIN RESEARCH|堀江晶太]](作編曲家)
 
*[[山本宗大]](社会福祉法人 慶宗会 理事長 創業者)
 
 
 
=== 歴史上の人物 ===
 
*[[明智光秀]]
 
*[[森成利]]
 
*[[森長可]]
 
*[[森忠政]]
 
*[[小池家継]]
 
*[[土田御前]](織田信長の母)
 
*[[可児吉長]](笹の才蔵)
 
*石塚岩三郎
 
 
 
== メディア ==
 
*[[ケーブルテレビ可児]]
 
*[[FMラインウェーブ|FMラインウェーブ(FMらら)]] - [[コミュニティFM]]。隣接する[[美濃加茂市]]、御嵩町を中心に中濃地域が放送対象地域である。インターネットサイマル放送で聴くこともできる。
 
 
 
== その他 ==
 
*近年全国的に問題となっている外来生物、[[アライグマ]]の国内で初めての野外繁殖が1962年に確認され、40年以上経った現在も問題となっている。
 
 
 
*2009年6月に開かれた自治連合会主催の市政懇談会で民生委員の男性から[[セクシャルハラスメント|セクハラ]]を受けたとして、臨時職員の女性が可児市と男性を相手取り[[慰謝料]]などを求め[[岐阜地方裁判所|岐阜地裁]]に訴訟を起こした。この訴訟において、同市が、改竄した書類を証拠として提出していたことが、2011年6月に発覚している。2013年3月29日、控訴審において、被告人の男性に対し22万円を支払うよう命じる一部勝訴判決が出た。
 
 
 
== 脚注 ==
 
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== 関連項目 ==
 
{{Commonscat|Kani, Gifu}}
 
*[[日本の地方公共団体一覧]]
 
  
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[[岐阜県]]南部,[[木曾川]]と[[飛騨川]]の合流点付近にある市。御嵩町を挟んで北方に飛び地があり,南西で愛知県に接する。 1955年広見町,今渡町の2町と土田村,帷子村,春里村,久々利村,平牧村の5村が合体して可児町となり,1982年市制。 2005年飛び地にあたる[[兼山]]町を編入。かつて亜炭産出では全国の大半を占めた。陶磁器工業も知られ,東濃窯業地帯の一角をなす。国の史跡の長塚古墳をはじめ東部には古墳が多い。久々利のサクライソウ自生地は国の天然記念物。市域の一部は[[飛騨木曾川国定公園]]に属する。中心市街地の広見で名古屋鉄道広見線,JR太多線が交わる。東海環状線自動車道のインターチェンジがあり,国道 21号線,41号線,248号線が通る。面積 87.57km<sup>2</sup>。人口 9万8695(2015)。
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== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==
*{{official website}}
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*[http://www.city.kani.lg.jp/ 可児市]
*{{Twitter|KaniCity}}
 
*{{Facebook|kanishiyakusho}}
 
  
 
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可児市(かにし)

岐阜県南部,木曾川飛騨川の合流点付近にある市。御嵩町を挟んで北方に飛び地があり,南西で愛知県に接する。 1955年広見町,今渡町の2町と土田村,帷子村,春里村,久々利村,平牧村の5村が合体して可児町となり,1982年市制。 2005年飛び地にあたる兼山町を編入。かつて亜炭産出では全国の大半を占めた。陶磁器工業も知られ,東濃窯業地帯の一角をなす。国の史跡の長塚古墳をはじめ東部には古墳が多い。久々利のサクライソウ自生地は国の天然記念物。市域の一部は飛騨木曾川国定公園に属する。中心市街地の広見で名古屋鉄道広見線,JR太多線が交わる。東海環状線自動車道のインターチェンジがあり,国道 21号線,41号線,248号線が通る。面積 87.57km2。人口 9万8695(2015)。

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