四日市陣屋

提供: miniwiki
2017/6/29/ (木) 18:16時点における2400:4030:88ea:e800:79a7:2505:bfbf:7210 (トーク)による版 (ラクシュミー・バーイ (会話) による ID:64596138 の版を取り消し)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先:案内検索

四日市陣屋(よっかいちじんや)は、江戸幕府天領である四日市を管理するために設置した代官所陣屋)。現在の三重県四日市市北町に置かれた。

概要

慶長8年(1603年)、四日市代官の水谷九左衛門光勝が造営し、江戸時代を通して、司法行政の中心であった。四方には掘と土塁が廻らされていた。

明治維新後は度会県の支所が置かれ、明治5年(1872年)から翌年まで三重県庁となった。 明治9年(1876年)に勃発した伊勢暴動によって焼打ちされ焼失する。

現在、跡地は四日市市立中部西小学校になっており、校門横に石碑と説明板があるのみで、遺構はない。