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{{スタジアム情報ボックス
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[[ファイル:東京オリンピック.jpg|サムネイル]]
| スタジアム名称 = 国立霞ヶ丘陸上競技場
 
| 愛称 = 国立
 
| 画像 = [[ファイル:Yamazaki-nabisco-Cup final 2004.jpg|300px|競技場内部]]
 
| 所在地 = [[東京都]][[新宿区]][[霞ヶ丘町]]10番2号
 
| 位置 = {{ウィキ座標度分秒|35|40|41|N|139|42|53|E}}
 
| 開場 = 1958年3月30日
 
| 閉場 = 2014年5月31日
 
| 所有者 = [[日本スポーツ振興センター]]
 
| グラウンド = [[芝|天然芝]] (107 x 71 m)
 
| ピッチサイズ = 105 x 68 m
 
| 設計者 = [[建設省]][[地方整備局|関東地方建設局]]営繕部建築第一課<ref name="kume">[http://www.jpnsport.go.jp/newstadium/Portals/0/oshirase/20141030_0908setsumeikai_gaiyou_shiryou/20141030_5_shiryou4-1.pdf#page=5 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場耐震改修基本計画(抜粋版) 01] [[久米設計]] 2011年3月25日</ref><br>(角田栄<ref>[http://mainichi.jp/shimen/news/20150724ddm005070024000c.html 記者の目:新国立競技場計画の白紙撤回] - 毎日新聞、2015年7月24日 東京朝刊 田原和宏(東京運動部)</ref>、[[片山光生]]<ref name="nikkei20120727">[http://www.nikkei.com/news/print-article/?R_FLG=0&bf=0&ng=DGXNASFK2602A_W2A720C1000000 五輪誘致なるか 国立競技場「建て替え案」公募の目算 開閉式の屋根を装備、2019年3月の完成目指す] - 日本経済新聞 電子版 2012年7月27日</ref><ref name="shinkoweb">[http://www.shinko-web.jp/recall/000097.html 温故知新 オリンピックを日本へ|国立競技場] - しんこうWeb</ref> ら{{Refnest|group="注"|他に、丸山重良、髙橋恒、杉浦介方、室橋良太郎を含めた6人のチームだったといわれる。「[[東京大学|東大]]出の連中はセオリーに頼り、創造性がない」という角田の意向により、自身と同じ[[京都大学|京大]]卒の片山などを抜擢したともいわれる<ref>[http://pbs.twimg.com/media/CM_wgRQU8AA86DE.jpg 「メディアが伝えない新国立問題」連載3] [[岡邦行]]([[日刊ゲンダイ]]、2015年8月)</ref>。}})
 
| 建設者 = [[大成建設]]<ref name="nikkei20120727"/><ref name="shinkoweb"/>
 
| 使用チーム、大会 = [[1964年東京オリンピック|東京オリンピック]](1964年)<br>[[世界陸上競技選手権大会]](1991年)<br>[[サッカー日本代表]]<br>[[ラグビー日本代表]]<br>その他多数([[#利用|利用]]項参照)
 
| 収容能力 = 50,339人→54,224人{{Refnest|group="注"|記者席など全てを合わせた数。2013年のラグビー早明戦では[[消防法]]の問題もあり、販売枚数の設定を5万以上にはできなかったという。1993年のJリーグ開始の際に個席を充実させ、総席数は減った<ref>[http://www.tokyo-sports.co.jp/blogwriter-watanabe/12589/ 早明戦「5万人」に届かなかった理由と視聴率] - 東スポ、2013年12月3日</ref>。}}
 
| record_attendance = 2014年3月21日・22日 [[L'Arc〜en〜Ciel]] {{formatnum: 80,000人}}
 
}}
 
'''国立霞ヶ丘陸上競技場'''(こくりつかすみがおかりくじょうきょうぎじょう、{{lang-en-short|NATIONAL STADIUM}}<ref>[http://www.jpnsport.go.jp/kokuritu/ トップページ | 国立競技場 | JAPAN SPORT COUNCIL]</ref>)は、[[国立霞ヶ丘競技場]]内にあった、[[独立行政法人]][[日本スポーツ振興センター]] (JSC) によって運営される[[陸上競技場]]および[[球技場]]。[[新国立競技場]](仮称)への改修のため2014年5月に閉鎖、その後解体された。一般には「'''国立競技場'''」と呼称されるが、本稿では他の[[国立競技場]]施設との区別のため便宜上「国立霞ヶ丘陸上競技場」と表記し、主に閉鎖時における状況について記述する。
 
  
==概要==
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1958年に設立された諸競技施設。独立行政法人日本スポーツ振興センターが運営している。明治神宮外苑の霞ヶ丘競技場をはじめ[[代々木競技場]] (プールを含む屋内総合競技場) ,同別館 (バスケットボールのコートなど) [[秩父宮ラグビー場]] (テニスコートを含む) ,西が丘競技場 (サッカー場,体育館) ,戸田艇庫などの諸施設がある。これら諸施設はそれぞれ公式競技会に使用されるほか,各種の競技会や運動会,レクリエーションのためにも開放されている。
所在地は[[東京都]][[新宿区]]。JSCおよびメディアでは「国立競技場」、「国立」と略される。
 
また、毎年[[全国高校サッカー選手権大会]]の主催会場となるため、'''『高校サッカーの聖地』'''として一般的に広く知られている。
 
 
 
== 歴史 ==
 
[[明治神宮外苑]]、[[国立霞ヶ丘競技場]]、[[青山霊園]]のある一帯は[[江戸時代]]には[[青山氏]]の[[大名屋敷]]敷地であった。[[明治維新]]を経た[[明治]]19年に敷地跡の北側に[[青山練兵場]]が設けられた。[[明治天皇]][[崩御]]後に[[練兵場]]に明治神宮外苑を建設することとなり、その敷地の一部を用いて[[1924年]]([[大正]]13年)に[[明治神宮外苑競技場]]が設けられた。この競技場は[[陸上競技]]に広く使われ、[[第二次世界大戦]]中の[[1943年]][[10月21日]]には[[学徒出陣]]の壮行会会場となった<ref>偶然だがこの日は戦後に、[[日本労働組合総評議会]]の呼びかけで「[[国際反戦デー]]」となっている</ref>。
 
 
 
[[1945年]]の日本の敗戦後は[[連合国軍最高司令官総司令部]] (GHQ) に接収されて『[[ナイル・キニック]]・スタジアム』という名称で使用された。[[1952年]]の接収解除後は再び一般に開放され、明治神宮外苑部の管理下となった<ref name="goto203">『国立競技場の100年』後藤健生 203-208頁 「宗教法人明治神宮の発足と外苑の帰属問題」</ref>。[[1958年アジア競技大会]]と[[国民体育大会]]の会場とすることが決まり、[[1956年]]([[昭和]]31年)に[[明治神宮]]から[[文部省]]に譲渡され<ref>[https://job.mynavi.jp/16/pc/search/corp109456/outline.html 明治神宮外苑 マイナビ2016]</ref><ref>[http://www.meijijingugaien.jp/history/chronology.html 明治神宮外苑|年表]</ref>、現在も残る新設の競技場が整備された。
 
 
 
競技場は[[1957年]]1月に起工し、アジア大会前の[[1958年]]3月に竣工した。フィールドは国産[[アンツーカ]]が利用された。同年アジア大会を開催し、翌[[1959年]]には東京国体のメインスタジアムとして陸上競技が開催された。その後[[1964年]]([[昭和]]39年)に開催された[[1964年東京オリンピック|東京オリンピック]]のメインスタジアムとして使用されることとなり、これにあわせてスタンドの増築が行われた(拡充費用は11億7800万円<ref>[http://www.dir.co.jp/consulting/theme_rpt/public_rpt/olympic/20140224_008255.pdf 「終了後」を見据えたオリンピック施設整備 のあり方] 大和総研(出典「オリンピックと商業主義」小川勝、集英社新書、2012年6月)</ref><ref>[http://www.nikkansports.com/olympic/column/data/news/1494154.html データde五輪 競技会場(3)建設整備費 当初設備投資計画では新設火2635億円 改良費98億円] - 日刊スポーツ、2015年6月22日</ref>)。
 
[[ファイル:BillyMills Crossing Finish Line 1964Olympics.jpg|thumb|[[1964年東京オリンピック|東京オリンピック]][[1964年東京オリンピックの陸上競技|陸上]]男子10000メートル]]
 
高さと直径2.1メートル、重さ2.6トンの[[聖火台]]は、[[埼玉県]][[川口市]]の[[鋳物]]職人の鈴木萬之助が引き受け、彼の死去後に三男の鈴木文吾が完成させた。表面の模様は波を表している。<ref>2013年8月19日20時NHK総合放送「[[1964東京オリンピック (テレビ番組)|1964東京オリンピック]]-第1回平和の炎が灯った日」</ref>
 
 
 
[[1958年]]からは[[日本陸上競技選手権大会]]が開催されるようになり、2005年まで断続的に会場として利用された。サッカーの競技場としては[[1968年]]から[[天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会|天皇杯全日本サッカー選手権大会]]が開催されるようになった。翌[[1969年]][[1月1日]]に初めて天皇杯決勝戦が国立霞ヶ丘陸上競技場で実施され、以降「国立での元日の決勝戦」が定着した<ref>{{Cite|和書|author=日本スポーツ振興センター|title=SAYONARA国立競技場56年の軌跡 1958-2014|year=2014|publisher=朝日新聞出版|pages=48-49|isbn=978-4-02-190250-5}}</ref>。1976年度(昭和51年度)から[[全国高等学校サッカー選手権大会]]も開催されるようになった。上位進出を決めたチームのみが国立のピッチでプレーすることができるため'''「高校サッカーの聖地」'''とみなされるようになった。1970から80年代の「ラグビーブーム」の際には[[日本ラグビーフットボール選手権大会]]など多くの試合で満員の観衆を集め、特に[[早明戦]]では前売りチケットの入手困難や試合前日の徹夜による列並びが毎年恒例となっていた。[[1980年]]から[[2001年]]までは[[インターコンチネンタルカップ (サッカー)|トヨタ・カップ]]の会場として用いられた。[[1991年]]には[[1991年世界陸上競技選手権大会|世界陸上競技選手権大会]](世界陸上)が開催された。
 
 
 
国立霞ヶ丘陸上競技場は日本を代表する大型スタジアムとして利用されてきた。同規模の5万人の観衆を収容できるスタジアムは[[1924年]]開場の[[阪神甲子園球場]]を別にすれば長らく存在せず、野球中心の屋根付き施設である[[1988年]]の[[東京ドーム]]、陸上競技場では[[1994年アジア競技大会]]開催に向け建設された[[1992年]]の[[広島広域公園陸上競技場]](広島ビッグアーチ)開場を待たねばならなかった。
 
 
 
[[2002年]]([[平成]]14年)に開催された[[2002 FIFAワールドカップ]]の計画案においても国立霞ヶ丘陸上競技場を会場として利用することが検討されたが、[[国際サッカー連盟]](FIFA)が要求する会場仕様として「観客席の3分の2以上に屋根が架設されること<ref>[http://net.keizaikai.co.jp/archives/8730 「新国立競技場は 新たなスポーツ文化のハブを目指す」 河野一郎(1/2)] - 経済界、2013年10月29日</ref>」が条件に挙げられていたため、候補から外された。過去の大会では、[[1960年ローマオリンピック]]のメインスタジアムであった[[スタディオ・オリンピコ・ディ・ローマ|スタディオ・オリンピコ]]や、[[1936年ベルリンオリンピック]]のメインスタジアムであった[[ベルリン・オリンピアシュタディオン|オリンピアシュタディオン]]のように改装により屋根を架けた例もあるが、予算等の問題から改装はおこなわれなかった。ワールドカップ日韓大会の決勝戦は[[横浜国際総合競技場]](日産スタジアム)で実施され、それ以降も大規模なサッカーの試合は、より観客収容人数が多く興行収入が見込める横浜国際総合競技場もしくは[[埼玉スタジアム2002]]で開催する事が多くなった<ref>[http://www.jsports.co.jp/press/article/N2015052318145302_2.html 呆れかえった国立競技場問題無能で当事者能力に欠けるJSCには、とても任せてはおけない : コラム 2/3] J SPORTS [[後藤健生]] 2015年5月23日</ref>。[[FIFAワールドカップ]]のアジア地区予選も、[[1997年]]の[[1998 FIFAワールドカップ|フランス大会]]予選を最後に行われなかった。
 
 
 
陸上競技の会場としても、走行レーンが8レーンしかないことやサブトラックが400mトラックでないために、現在の国際陸上競技連盟の規格を満たしていない。トラックを使用したマラソン以外の国際陸上競技大会としては、[[1999年]]に[[スーパー陸上]]が行われてから、[[2013年]]に[[ゴールデングランプリ川崎|ゴールデングランプリ東京]]<ref group="注">例年は「ゴールデングランプリ川崎」として開催されるが、会場である[[等々力陸上競技場]]のスタンド改修工事を行う関係で国立での開催となった。</ref> が開催されるまで久しく行われなかった。2013年の[[第68回国民体育大会|東京国体]]において、国立霞ヶ丘競技場は計画段階で競技会場に含まれなかった<ref>[http://www.tokyo-kokutai.jp/event/index.html 第68回国民体育大会実施予定競技及び会場区市町村<競技別>]</ref>。
 
 
 
独立行政法人[[日本スポーツ振興センター]] (JSC) が管理団体になってからは断続的に施設改修が行われており、また[[2000年代]]からは音楽コンサートなどの利用も進められている。2005年に単独のアーティストとしては初めて[[SMAP]]がコンサートに使用したが、この際には打診してから使用許可を得るまでに5年の期間を要した。その理由として、騒音問題、芝生などの施設管理といった競技場側の問題の他に、SMAPの公演内容、スタッフの対応、観客のマナーの様子等、総合的に厳しくチェックされ、5年間事故も無く、観客のマナーも問題が無いことが認められるまでに非常に慎重な審査を重ねた<ref>[http://www.sponichi.co.jp/entertainment/special/2005jya/KFullNormal20050603022.html SMAP 史上初の国立競技場単独ライブ] - [[スポーツニッポン]] 2005年6月3日</ref>。2007年9月に[[DREAMS COME TRUE]]が使用に関する審査をパスしコンサートを行い、2008年9月には3組目となる[[嵐 (グループ)|嵐]]、2012年5月には史上4組目(ロックバンドとしては史上初)として、[[L'Arc〜en〜Ciel]]のコンサートが開催されている。さらに2014年3月には5組目として、女性グループとしては初めて[[ももいろクローバーZ]]がライブを開催し、2日で11万人を動員した<ref name="ももクロ、3月に夢の国立競技場2DAYSライブ実現">[http://natalie.mu/music/news/106333 ももクロ、3月に夢の国立競技場2DAYSライブ実現] ナタリー 2013年12月23日閲覧</ref>。
 
 
 
2010年の嵐の公演では、会場外で演奏を聞くために集まった多数のファンに対して近隣住民から苦情出たと報道された<ref>[http://www.cyzowoman.com/2010/11/post_2591.html 下品すぎるウチワまで! 嵐のツアーでファンのモラル低下が深刻に] - [[サイゾーウーマン]] 2010年11月4日</ref>。また[[2014年]]には[[ポール・マッカートニー]]が日本国外のロック歌手単独で初(かつ、現競技場唯一)となるコンサートが予定されていたが、体調不良のため延期代替の分を含めた公演を中止している。
 
 
 
コンサート以外のイベントとしては、[[2009年]][[7月5日]]に[[石原裕次郎]]23回忌法要が開催された。1999年に石原の菩提寺である[[神奈川県]][[横浜市]]の[[總持寺]]で営まれた13回忌法要に大勢のファンが詰め掛け寺院周辺が大混雑したため、死没地である[[慶應義塾大学病院]]に程近い国立霞ヶ丘陸上競技場を利用することになった。この法要では、トラック部分に總持寺の本堂を模した仮設の建物を用意し、主催した[[石原プロモーション]]の発表では約11万7000人のファンが訪れた<ref name="SAYONARA155">{{Cite|和書|author=日本スポーツ振興センター|title=SAYONARA国立競技場56年の軌跡 1958-2014|year=2014|publisher=朝日新聞出版|pages=155|isbn=978-4-02-190250-5}}</ref>。
 
 
 
[[2011年]][[3月11日]]の[[東日本大震災]]では、照明灯の損傷や、通路の壁が一部で落ちるなどの被害があったという。ちょうど初となる本格的な耐震改修(「一部改修及び安全対策その他工事」<ref>[http://www.jpnsport.go.jp/corp/Portals/0/corp/pdf/kouji_kyousou_h22.7.pdf 公共工事の競争入札による契約事案] JSC</ref>)を仕上げていた時期(矢ヶ崎総合計画の矢ヶ崎彰らによる<ref>[https://twitter.com/Trapelus/status/637527370480553985 メディアが伝えない新国立問題④] 日刊ゲンダイ 2015年8月 [[岡邦行]]</ref>)だった<ref>[http://www.asahi.com/sports/fb/japan/TKY201103150463.html 国立競技場も被災 照明灯の支柱ゆがみ、通路の壁落下] - asahi.com(朝日新聞社)大和一光場長 2011年3月16日</ref>。また、この年までの工事で、バックスタンドが増席された<ref name="back2011">[http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2011/04/19/kiji/K20110419000659800.html “ニュー国立”お披露目] スポニチ、2011年4月19日</ref><ref name="tabid318">[http://www.jpnsport.go.jp/kokuritu/kankou/tabid/318/Default.aspx 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場施設整備工事] 「国立競技場」 2011年5月号</ref>。
 
 
 
[[2012年]]には、ゴールドカラーと赤を用いた、国立競技場のロゴタイプが新作成された(かつては昭和34年に国立競技場マークが作られていた)<ref>[http://www.jpnsport.go.jp/kokuritu/sisetu/kankou//tabid/399/Default.aspx 国立競技場ロゴタイプ決定!!] 「国立競技場」2012年1月号</ref>。この年の震災補修工事では、[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]政権・[[野田佳彦]]内閣(当時の文科相は[[平野博文]])の第3次補正予算における[[東日本大震災]]復興予算からの流用疑惑が問題視された<ref>[https://web.archive.org/web/20121012005729/http://mainichi.jp/select/news/20121009k0000e040160000c.html <復興予算>「なぜ国立競技場の改修に」 ] - 毎日新聞、2012年10月9日</ref>。
 
 
 
[[2014年]]5月31日、「SAYONARA国立競技場FINAL "FOR THE FUTURE"」のピッチ開放をもって閉場となった。このファイナルイベントの一部は、[[TBSテレビ|TBS]]で生中継された。
 
 
 
=== 景観保護の歴史 ===
 
高さ制限や景観保護が行われてきた歴史がある。
 
 
 
幻に終わった[[1940年]]の[[1940年東京オリンピック|東京オリンピック]]。メイン会場の候補としては、[[代々木練兵場]]案<ref>[http://www.token.or.jp/magazine/g200712.html 【シリーズ】世界からつどう-未来への遺産(第10回)] 東建月報2007年12月号掲載</ref> や千駄ヶ谷の民有地取得案が頓挫(他に月島の埋立地案もあった<ref>[https://www.kinokuniya.co.jp/05f/d_01/back36/no25/hyoron/hyoron02.html 空想の都市建築史 第6回 「幻のオリムピック」(上)1/2] 橋爪紳也</ref>)。そして、[[1937年]]の小委員会で、当初の計画でもあった(国立競技場の敷地に存在した)[[明治神宮外苑競技場]]の改築案で行くことが確認された<ref>[https://www.kinokuniya.co.jp/05f/d_01/back36/no26/hyoron/hyoron02-02.html 空想の都市建築史 第6回 「幻のオリムピック」(下)1/2] [[橋爪紳也]]</ref><ref>『幻の東京オリンピック』 橋本一夫 講談社学術文庫</ref>。しかし、建築家の[[岸田日出刀]]は、[[1936年ベルリンオリンピック|ベルリン]]視察後、神宮外苑はオリンピック会場の敷地としては狭すぎると気づき、12万人収容への改造となる巨大スタジアムの建設に、反対を表明。外苑の風紀、風致(景観)を害するとも訴えた<ref>[http://2020-tokyo.sakura.ne.jp/_src/sc853/8FBC8CG97m94z95z8E9197BF.pdf 『建築技術』2014年1月号掲載 新国立競技場計画に求められる未来への想像力 1940年と1964年のオリンピックで問われたことは何か 松隈洋(建築史家・京都工芸繊維大学教授)] PDF</ref><ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/9003870/ 東京オリンピック開催に揺れる『新国立競技場、何が問題か』] - ライブドアニュース、2014年7月3日</ref><ref>[http://www.kosonippon.org/forum/speech.php?forum=206&type=p 第199回 J.I.フォーラム 「レジェンドの地、国立競技場を捨ててよいのか」2014/03/31(月)開催] - 構想日本</ref>。
 
 
 
岸田の他、[[内務省 (日本)|内務省]][[神社局]]の反対もあり[[1938年]]4月、建設場所を[[駒沢]]にあった駒澤ゴルフ場<ref>[http://www.fujisan.co.jp/zasshi-kensaku.asp?sid=989270&q=%8A%DD%93c 建築ジャーナル 2013年10月号]</ref><!-- 東京ゴルフ倶楽部 -->跡地(現在の[[駒沢オリンピック公園]])へ変更することが決まった。しかし、[[日中戦争]]の戦局悪化により、同年7月にオリンピックの返上が決定。スタジアム建設も中止となった<ref>『東京大改造マップ2020』 日経アーキテクチュア:編、日経BP社:刊、2014年、150 - 152頁</ref>。
 
 
 
戦後、[[1958年]]の国立競技場の建設の際には、神宮外苑の[[聖徳記念絵画館]](約17m)側からの景観に配慮して、絵画館側バックスタンドの高さは7m91cmに抑えた<ref>浅野均一「国立競技場とその周辺の思い出」、角田栄「国立競技場建設当初の思い出」 『国立競技場十年史』225頁、241頁</ref><ref>『国立競技場の100年:明治神宮外苑から見る日本の近代スポーツ』 後藤健生:編著、ミネルヴァ書房、2013年 212頁、238頁</ref>。明治神宮外苑部の[[児玉九一]]らとの話し合いの結果で、神宮球場外野スタンドの8m60cmを参考としたものだった<ref>『国立競技場の100年:明治神宮外苑から見る日本の近代スポーツ』 後藤健生:編著、ミネルヴァ書房、2013年 211頁</ref>。
 
 
 
1964年の[[1964年東京オリンピック|東京オリンピック]]ではメインスタジアムとして使用するために、バックスタンドを増設。その中央部の一番高い部分は(絵画館側の地盤から)23m43cmになった<ref>『異議あり!新国立競技場』(森まゆみ:編、岩波ブックレット、2014年)所収『歴史の中の神宮外苑』松隈洋、25 - 27頁</ref><ref>『国立競技場の100年:明治神宮外苑から見る日本の近代スポーツ』 後藤健生:編著、ミネルヴァ書房、2013年 237頁</ref>。なお、2014年5月28日の[[新国立競技場]]有識者会議(第5回)の配布資料によると(同年6月18日に訂正資料が発表)、バックスタンド最上段のフェンス頂部で地上から27.76mだが、これはフェンス部分が加わっているためである。また、照明塔の高さは52.32mである<ref name="setsumeizu">[http://www.jpnsport.go.jp/newstadium/Portals/0/yushikishakaigi/20140618_yushikisha5_setsumeizuteisei.pdf 説明図の訂正について 2014年6月18日] PDF</ref>。岸田は、「こんどの計画でも、主競技場をなんとか10万人収容の線に近づけようとすると一方のスタンドを大きく張り出して拡張させたが、その最上部は外苑内の道路の上に大きくおおいかぶさるようなことになってしまった。それほどにこの敷地はせまいのである」<ref>『新建築』1964年10月号</ref><ref>[http://tairyudo.com/pdf02/131004nikankogyosinbun.pdf 松隈洋「一建築家の投げかけた問いの重さ」]『日刊建設工業新聞』、2013年10月4日 PDF</ref> と述べた。
 
 
 
==利用==
 
[[2010年]](平成22年)度の、稼働日数は計154日(スポーツ117・一般37)、総入場者数は894,296人だった<ref>[http://2020-tokyo.sakura.ne.jp/_src/sc918/91E6189F197L8EAF8ED289EF8Bc8Bc8E96985E8By82D18E9197BF.pdf#page=8 国立霞ヶ丘競技場の沿革] 神宮外苑と国立競技場を未来へ手わたす会</ref>。また、[[2012年]](平成24年)度の場合は計39日<ref>[http://sportsspecial.mainichi.jp/news/20131130ddf041050012000c.html 使用48日、巨費に疑問も] - 毎日、2013年11月30日</ref> という報道もある<ref>[http://www.mext.go.jp/prev_sports/comp/b_menu/other/__icsFiles/afieldfile/2016/02/17/1367143_02_1.pdf 資料2-1 旧国立競技場の利用実績(平成21~25年度)]</ref><ref>[http://www.mext.go.jp/prev_sports/comp/b_menu/other/__icsFiles/afieldfile/2016/02/17/1367143_03_1.pdf 資料2-2 旧国立競技場収支(平成21~25年度)]</ref>。
 
 
 
=== 陸上競技 ===
 
[[File:National Olympic Stadium-1.jpg|thumb|新宿シティハーフマラソン(2010年1月31日撮影)]]
 
国際大会としては、[[1958年]][[アジア競技大会]]にてこけら落とし。[[1964年]]の[[1964年東京オリンピック|東京オリンピック]]、[[1991年]]の[[世界陸上競技選手権大会]]の会場のほか、[[スーパー陸上|東京国際ナイター陸上→東京国際スーパー陸上競技大会]]に[[1966年]]から[[1999年]]まで、一部年度を除き使用されていた([[2013年]]の[[ゴールデングランプリ陸上|ゴールデングランプリ川崎]]も[[等々力陸上競技場]]改修に伴う特例として、翌年の[[2014年]]も大規模改修前最後の陸上競技大会として競技場にて開催された。この時は両年とも「ゴールデングランプリ東京」として施行)。
 
 
 
国内規模の大会では[[日本陸上競技選手権大会]]、[[日本学生陸上競技対校選手権大会]](全日本インカレ)、[[関東学生陸上競技対校選手権大会]](関東インカレ)、[[全国高等学校定時制通信制陸上競技大会]]、[[全国小学生陸上競技交流大会]]に使われているが、日本選手権は前身の明治神宮外苑競技場の時代である[[1925年]]から終戦直後の一時期を除いて[[1997年]]までほぼ毎年断続的に開催され続けたが、[[1998年]]以後は地方都市での開催にほぼシフトされている。また[[1959年]]の[[第14回国民体育大会]]・「東京国体」秋季大会のメイン会場として陸上競技が行われている。
 
 
 
またマラソンでは[[東京国際マラソン]]([[1981年]]-[[2006年]])、[[東京国際女子マラソン]]([[1979年]]-[[2008年]] [[1990年]]に限り[[明治神宮野球場]]を使用)の発着点としても使用された。
 
 
 
=== サッカー、ラグビー ===
 
当競技場を明確にホームグラウンドと謳うチームは存在しないが、[[サッカー日本代表]]および[[ラグビー日本代表]]が国際試合を行うスタジアムとして定着しており、それぞれの代表チームにとってのホームスタジアムということができた。ただしサッカー日本代表は、[[2002 FIFAワールドカップ]]をきっかけに[[横浜国際総合競技場]](日産スタジアム)や[[東京スタジアム (多目的スタジアム)|東京スタジアム]](味の素スタジアム)や[[埼玉スタジアム2002]]などのサッカー専用スタジアムが完成してからは、それらの競技場を利用することが多くなった。また、ラグビー日本代表も近接する[[秩父宮ラグビー場]]がラグビー専用スタジアムであるため、そちらを使用することが多い。
 
 
 
[[日本プロサッカーリーグ|Jリーグ]]では当競技場をホームスタジアムとするクラブチームはなかった。これはJリーグの方針で国立霞ヶ丘競技場にホームチームを置かないと決めているためである。[[読売サッカークラブ]](現:東京ヴェルディ1969)がJリーグに参入する際に、ホームスタジアムとすることを希望したものの拒否されている。首都圏周辺にホームタウンを置くクラブが集客の都合や観客の安全確保、スタジアムの増改築、その他スケジュール上の不都合等の理由で、ホームスタジアムでの開催に支障がある場合、国立霞ヶ丘競技場や[[国立西が丘サッカー場]]でホームゲームを開催することがある。首都圏以外に本拠を置くチームでも過去に[[清水エスパルス]]、[[名古屋グランパスエイト]]、[[ジュビロ磐田]]などが主催試合を行ったことがある。
 
 
 
[[東京都]]をホームタウンとする[[FC東京]]、[[東京ヴェルディ1969|東京ヴェルディ]]は毎年複数試合ホームゲームを主催していた。また、都外のチームでは[[横浜FC]]も2006年から2011年まで毎年利用していたほか、[[鹿島アントラーズ]]、[[柏レイソル]]、[[ヴァンフォーレ甲府]]、[[栃木サッカークラブ|栃木SC]]がホームゲームを開催していた。鹿島と栃木は本拠地スタジアム改修による代替地での利用であるが、甲府と柏は本拠地の収容数を超える見込みのある対戦時に使用していた。なお、甲府は[[浦和レッドダイヤモンズ|浦和レッズ]]戦、柏は浦和と鹿島の試合で使用することが多かった。
 
 
 
FC東京は[[東京スタジアム (多目的スタジアム)|東京(味の素)スタジアム]]が竣工する前の[[2000年]]にJ1へ昇格したが、スタジアムがまだ建設中で、その他にJ1開催基準(夜間照明、15000人以上収容のスタンドなど)を満たした施設がなかったため、同年に限り当競技場を事実上の本拠地としてホームゲームの過半数を主催した<ref group="注">登録上の本拠地は[[駒沢オリンピック公園陸上競技場]]であるが、照明設備が周辺に病院があるため設置できず、過半数の開催が不可能だったため。</ref>。
 
 
 
被災時の代替地として使用されたこともあり、2004年10月23日に発生した[[新潟県中越地震]]の時は、[[アルビレックス新潟]]の本拠地である[[新潟スタジアム]]での開催が不可能になった事(スタジアム自体の被害は少なかったが、駐車場が自衛隊の災害派遣基地として使用されたことなど)から、30日の柏戦は当競技場での振替開催となった。また、甲府も2014年の[[平成26年豪雪]]の影響で本拠地である[[山梨県小瀬スポーツ公園陸上競技場|山梨中銀スタジアム]]での開催が不可能(こちらも駐車場が自衛隊の災害派遣基地となっており、また周辺の除雪が間に合わないなど)となり、3月1日の開幕戦である鹿島戦を当競技場開催に振り替えた。[[東日本大震災]]の際は鹿島が被災して使用できなくなっていたカシマスタジアムの代替として、4月23日の横浜F・マリノス戦と[[AFCアジアチャンピオンズリーグ]]のグループリーグ3試合がホーム扱いで開催された。
 
 
 
[[1993年Jリーグ開幕節|1993年のJリーグ開幕戦]]である[[東京ヴェルディ1969|ヴェルディ川崎]]対[[横浜F・マリノス|横浜マリノス]]から使用されてきた当競技場の公式戦は、2014年5月6日開催のJ1第12節ヴァンフォーレ甲府vs浦和レッズ戦が最終戦となった<ref>[http://www.nikkansports.com/soccer/news/p-sc-tp1-20140128-1249875.html J最後の国立は5・6甲府vs浦和](2014年1月28日、[[日刊スポーツ]])</ref>。
 
 
 
=== スポーツ競技としての入場者ベスト10===
 
「国立競技場の歴史」より<ref>[http://www.jpnsport.go.jp/kokuritu/tabid/75/Default.aspx 国立競技場の歴史]より。2018年5月6日アクセス</ref>。
 
#1964年10月24日 第18回東京オリンピック閉会式 入場者数:79,383人
 
#1964年10月10日 第18回東京オリンピック開会式 入場者数:74,534人
 
#1982年12月5日 関東大学ラグビー対抗戦(早稲田大対明治大) 入場者数:66,999人
 
#1958年5月28日 第3回アジア競技大会 入場者数 :65,428人
 
#1985年1月15日 第22回日本ラグビーフットボール選手権大会決勝(釜石対同志社大) 入場者数:64,636人
 
#1958年5月29日 第3回アジア競技大会 入場者数:64,426人
 
#1958年5月26日 第3回アジア競技大会 入場者数:64,236人
 
#1984年11月23日 関東大学ラグビー対抗戦(早稲田大対慶応大)入場者数:64,001人
 
#1977年9月14日ペレ・サヨナラ・ゲーム・イン・ジャパン(サッカー日本代表対N.Y.コスモス)入場者数:61,692人
 
#1989年1月15日 第26回日本ラグビーフットボール選手権大会決勝(大東文化大対神戸製鋼)入場者数:61,105人
 
 
 
=== コンサート ===
 
毎年8月に開催される[[神宮外苑花火大会]]の会場の一つとなっている。同大会に先立って行われるアトラクションは、単独コンサートが許可される以前は本競技場における数少ないライブの機会であったため、過去に多くの有名アーティストが演奏をおこなった。
 
 
 
大規模競技場をコンサート会場として使用することは珍しい事ではないが、当競技場をコンサート会場として使用する機会は限られている。コンサート会場として使用する際には、天然芝の保護のために競技場スタッフによる厳しい審査をパスする必要がある。また近隣住人への配慮から音を出すのを午後9時までとする規制があり、これらの基準に合格したアーティストに限り使用が許可されている。
 
 
 
コンサート利用は天然芝の保護という審査基準もあって年間1組のみ許可されていたが、2012年はL'Arc〜en〜Cielと嵐の2組がライブとコンサートを開催した。取り壊し直前の2014年には天然芝の保護という関連から審査が緩和されたため、3組のアーティストが開催し(ほか1組が開催中止)、締めくくりには特別イベント「SAYONARA 国立競技場 FINAL WEEK JAPAN NIGHT」が開催された。
 
 
 
その一方で、上記の音の規制などからコンサートを開催することについて否定的な見解を示すアーティストも存在する。例として、日本一のCDセールスを記録し、これまで数多くの大規模コンサートを開催してきた[[B'z]]は「自分たちが求める音のクオリティでライブができない」という理由から、当競技場でのコンサート開催を見送っていると公言している<ref>会報誌Be with! Vol.100より</ref>。
 
 
 
一部のチケット非所持ファンが、場外から見えるビジョンや場外へ漏れる音楽を目的に周辺地域に滞留し、問題視されることもあった<ref>[http://www.news-postseven.com/archives/20131005_215385.html 国立競技場に集った嵐ファン 音漏れ楽しむために住宅街侵入も] - NEWSポストセブン、2013年10月5日</ref>。
 
 
 
「国立競技場労働組合」を立ち上げ、のちに場長になった<ref>[http://www.jpnsport.go.jp/kokuritu/Portals/0/kokuritu/kohosi2014/2014-34.pdf#page=3 国立競技場OB 中原久和氏に聞く~明治神宮外苑競技場から1964年東京オリンピックまでの思い出~] 広報紙「国立競技場」2014.3・4(Vol.602)</ref> 中原久和は、コンサートで稼げば稼ぐほど、文部省から補助金が減らされたとの弊害を2015年、語った<ref>[http://pbs.twimg.com/media/COIC4nfUEAAwiFI.jpg 「メディアが伝えない新国立問題」連載5] [[岡邦行]]([[日刊ゲンダイ]]、2015年9月)</ref>。
 
 
 
新国立への建替での開閉式屋根の必要性として、ある調査ではコンサート騒音を心配する地元住民が85%<ref>[http://www.cuc.ac.jp/~sahara/fullreport20141201.pdf#page=9 参加と合意形成研究会 情報公開と参加に関する調査」報告書 9頁] PDF</ref> に達した一方で、神宮外苑の半径400m以内には民家自体は少ないという近隣住民の意見もある<ref>[http://synchronizedo.tumblr.com/post/124145566962 国立競技場の遮音は誰のためか] - シンクロナイズ堂</ref>。
 
 
 
==== 当競技場における公演の歴史 ====
 
グラウンド面にまで観客を収容して行われたライブ・コンサートのみ記載する([[神宮外苑花火大会]]は除く)。
 
 
 
* 1985年6月15日:[[国際連合]]にて1985年に採択された「[[国際年|国際青年年]]」を記念し、ジョイントコンサート『[[国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW]]』を開催。当競技場における初のコンサートとなる。
 
* 1996年6月29日:史上初の洋楽アーティスト公演として、[[ルチアーノ・パヴァロッティ]]、[[プラシド・ドミンゴ]]、[[ホセ・カレーラス]]の「世界3大テノール」日本公演を開催<ref>[http://www.jpnsport.go.jp/kokuritu/sisetu/tabid/188/Default.aspx 芝生の話「なぜに国立競技場の芝生は美しいのか? ~グラウンドキーパー汗と涙の奮闘記~」第10回(最終回)「唄う国立競技場♪」]</ref>。
 
* 2005年9月3日・4日:[[SMAP]]が史上初の単独公演を開催。翌年の2006年9月9日・10日にも公演を行っている。
 
* 2007年9月22日・23日:[[DREAMS COME TRUE]]が史上2組目の単独公演を開催。聖火台に点火したアーティストは史上初<ref name="SAYONARA155" />。
 
* 2008年9月5日・6日:[[嵐 (グループ)|嵐]]が史上3組目の単独公演を開催。2009年には8月28日-30日の3日間連続開催を達成し、2010年には現在最多となる4日間公演(8月21日・22日、9月3日・4日)を開催<ref>[http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20120721-OHT1T00032.htm?from=yol 5年目国立ライブはリクエストの「嵐」! 全240曲からファン投票] スポーツ報知 2012年7月21日閲覧</ref>。2011年9月2日・3日、2012年9月20日・21日、2013年9月22日・23日にも開催し、最多となる15公演を記録している。
 
* 2012年5月26日・27日:[[L'Arc〜en〜Ciel]]が史上4組目の単独公演を開催。2014年3月21日・22日の2日間にも単独公演を開催し、史上最多の8万人(2日間延べ16万人)を動員した。
 
* 2014年3月15日・16日:[[ももいろクローバーZ]]が史上5組目の単独公演を開催<ref name="ももクロ、3月に夢の国立競技場2DAYSライブ実現"/>。女性グループ初のコンサートとなった(詳細は、[[ももクロ春の一大事2014 国立競技場大会 〜NEVER ENDING ADVENTURE 夢の向こうへ〜]]を参照)。
 
* 2014年3月29日:[[AKB48]]が史上6組目の単独公演を開催<ref>[http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2013/12/18/kiji/K20131218007222910.html AKB来年3.29国立単独公演 女性グループでは初] スポーツニッポン 2013年12月18日閲覧</ref><ref>[http://www.huffingtonpost.jp/2014/05/31/kokuritsu-music_n_5422764.html 国立競技場、単独ライブを行ったのはわずか6組 伝説の音楽イベントを振り返る] ハフィントン・ポスト 2014年5月31日</ref>。なお、翌30日にはAKB48グループ公演を開催予定だったが、荒天のため中止となり<ref>{{Cite news|date=2014-03-30|url=http://natalie.mu/music/news/113313|title=AKB48グループ本日の国立競技場公演を荒天のため中止|newspaper=ナタリー|publisher=Natasha Inc.|accessdate=2014-03-31}}</ref>。振替公演を6月8日に[[東京スタジアム (多目的スタジアム)|味の素スタジアム]]で開催した。
 
* 2014年5月17日・18・19日:[[ポール・マッカートニー]]が史上7組目として、洋楽アーティストとしてはパヴァロッティ・ドミンゴ・カレーラス以来、ソロ・アーティストとしては国内アーティストを含めて唯一となる単独公演を開催する予定だったものの、両日とも本人の体調不良(ウイルス性炎症)により中止。当初は17日の中止分を19日に順延し振替公演をすることを予定していたが、それも中止となった<ref>{{Cite news|date=2014-05-18|url=http://www.sanspo.com/geino/news/20140518/oth14051817100020-n1.html|title=ポール・マッカートニー18・19日の国立公演中止|newspaper=サンケイスポーツ|publisher=産業経済新聞社|accessdate=2014-05-18}}</ref>。またこの5月20日に、この後予定されていた[[日本武道館]]・[[長居陸上競技場|ヤンマースタジアム長居]]も含めて全公演が中止となったため、振替公演はなし。
 
* 2014年5月28日・29日:当競技場最後の音楽イベントとして、ジョイントコンサート『SAYONARA 国立競技場 FINAL WEEK JAPAN NIGHT』が開催され<ref>[http://www.japannight.jp/ JAPAN NIGHT -MOVE WITH THE MUSIC-]</ref>、2日間で以下の13組のアーティストが出演した(太字のアーティストはその日の公演の[[ヘッドライナー (コンサート)|ヘッドライナー]])。
 
** 28日(Yell for Japan):'''[[いきものがかり]]'''、[[ウカスカジー]]([[櫻井和寿]] & [[GAKU-MC]])、[[岸谷香]]、[[ゴスペラーズ]]、[[斉藤和義]]、[[スキマスイッチ]]、[[ナオト・インティライミ]]、[[ファンキー加藤]]、[[ゆず (音楽グループ)|ゆず]]
 
** 29日(JAPAN to the World):[[SEKAI NO OWARI]]、[[Perfume]]、[[MAN WITH A MISSION]]、'''L'Arc〜en〜Ciel'''
 
 
 
== 仕様 ==
 
すり鉢状の競技場<ref>[http://www.tokyo-np.co.jp/article/sports/news/CK2015081802000119.html 私が描く新国立 アスリートにとって理想の競技場とは] - 東京新聞、2015年8月18日 朝刊</ref>(お椀型)。下部の客席勾配が17度で、中ほどが22度、25度、26度、27度と急勾配にし、最上部が28度に設計されたともいわれる<ref>[http://www.sportsnetwork.co.jp/adv/bn_writer_2014/oka/vol613-1_col_oka.html 原発禍!「フクシマ」ルポ―39] - スポーツデザイン研究所([[岡邦行]])2014年7月14日</ref>。
 
 
 
=== トラック ===
 
トラック8レーンを有する[[日本陸上競技連盟]]公認第一種陸上競技場である。
 
 
 
開場時のトラックの材質は厚さ3cmの[[アンツーカー]]、[[三原山]]の火山砂利に石炭殻を混ぜた2cmの層、弾力を持たせるための厚さ25cmの大粒の火山砂利、厚さ30cmの岩石の層で成っていた<ref>「科学の祭典」東京シネマ1965年製作。</ref>。
 
 
 
現在の規則によると、日本陸連の第一種競技場として登録されるには、1周400mの補助競技場(サブトラック、公認第三種登録相当)を併設することが義務付けられている。当競技場にはそのサブトラックがないが、[[東京都]]営の[[東京体育館]]の付属陸上競技場を事実上のサブトラックと見なし、第一種トラックとして登録されている。ただし、東京体育館陸上競技場は直線コースは100mあるものの、全周200mしかない上にコースが5レーンしかない。なお、近接地・[[渋谷区]]にある[[代々木公園陸上競技場]](同じく都営。1周400m8レーンの第3種公認)も、当競技場の事実上の補助競技場と位置づけられている。都内においては、[[2012年]]に都営の[[東京スタジアム (多目的スタジアム)|味の素スタジアム]](第1種)の隣接地に「西競技場」(第3種)が竣工し、唯一第1種競技場の直接的な補助競技場が整備されている。
 
 
 
[[日本陸上競技連盟|日本陸連]]の風間明事務局長の2014年の発言によると、9レーンは必須条件ではなく8レーンでも国際基準はOKだが、最内枠の1レーンは使用頻度が高くてコースが荒れやすいため、2レーンから使うのが好ましいという<ref name="神宮外苑と国立競技場を未来へ手わたす会 訪問レポート">[http://2020-tokyo.sakura.ne.jp/_src/sc1219/201494n88c8e893fa8cf689v8de092c964090l93fa967b97a48fe38ba38bz98a96bf8c8892e88de.pdf#page=2 神宮外苑と国立競技場を未来へ手わたす会 訪問レポート] PDF</ref>。
 
 
 
ただし、代々木公園陸上競技場と国立競技場は距離的に離れているため、[[1964年東京オリンピック]]の開催時には、[[明治神宮野球場]]に付帯した[[明治神宮外苑軟式グラウンド|軟式野球グラウンド]]に仮設のトラック(400m)が開設され、選手の練習やウォームアップに利用されていた<ref>[http://www.jingu-stadium.com/about_kyujo/history/history_03.html 神宮球場・球場史(昭和29年~)]</ref>。1991年の[[1991年世界陸上競技選手権大会|世界陸上]]東京大会も、仮設サブトラックを使用したという(出典では詳細は不明<ref>[http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2015/07/21/kiji/K20150721010773500.html 新国立競技場 新計画にはサブトラック常設案を] - スポニチ、2015年7月21日</ref>)。この開催に際して、前年の[[1990年]]に『レオタンαエンボス』(ローラーエンボス仕上げ)に改修された。
 
 
 
[[2006年]]には、1レーンのみ表面のオーバーレイ施工された<ref>[http://www.ntssports.co.jp/news/1204nationalstadium/1204nationalstadium.html 新着情報 【国立霞ヶ丘競技場のオーバーレイが完成】] - [[日本体育施設]]</ref>。
 
 
 
グラウンド内のメインスタンド北側(千駄ヶ谷駅、第4コーナー側)寄りにあるポールは織田ポールと呼ばれ、[[織田幹雄]]が[[三段跳び]]で日本人初のオリンピック金メダルを獲得した[[1928年アムステルダムオリンピック|アムステルダムオリンピック]]での記録、15m21cmの高さで立てられている。この織田ポールは当初固定式だったが、2005年に改修され取り外しが可能となった<ref>{{Cite|和書|author=日本スポーツ振興センター|title=SAYONARA国立競技場56年の軌跡 1958-2014|year=2014|publisher=朝日新聞出版|pages=107|isbn=978-4-02-190250-5}}</ref>。
 
 
 
日本陸連の[[帖佐寛章]]顧問は「国立競技場は、陸上競技ではほとんどの場合、向かい風になるという欠点があります」と指摘し<ref>[http://gendai.ismedia.jp/articles/-/37219?page=2 国立競技場50年「私が選んだ伝説の名勝負」(2/4)] - 現代ビジネス(フライデー)2013年10月13日</ref>、同事務局長の風間明もショートトラックの向きに関しては、同様の認識を示し、貴賓席に西日が当たるためトラックの向きを変えることはできないという噂もあるとも言った<ref name="神宮外苑と国立競技場を未来へ手わたす会 訪問レポート"/>。逆に、「強い風が吹かない印象があった」([[為末大]])<ref name="synr86">2014/10/10 『SAYONARA国立競技場 56年の軌跡 1958−2014 』 86頁</ref>、「風が回ることは滅多になかった」([[友永義治]])<ref name="synr86"/>、「最高に使いやすかった」([[武井壮]])<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/10426620/ 武井壮が新国立競技場に言及 「アスリートたちがやらなきゃいけない」] - ライブドアニュース、2015年8月3日</ref><ref>[http://www.huffingtonpost.jp/2015/08/04/takei-so-new-national-stadium_n_7930338.html 武井壮が訴える「アスリートがやらなきゃいけないことがある」] - ハフポスト、2015年8月4日</ref> というアスリートの声もある。
 
 
 
=== フィールド ===
 
[[File:Ns2.JPG|thumb|フィールドより、大型画像モニター側の、青とオレンジの<ref>[http://www.tokyo-np.co.jp/article/culture/new_stadium/list/CK2015071802000207.html 東京五輪メーン会場 未来図の行方は] 東京新聞</ref> スタンドを臨む(2014年5月)]]
 
当初は寒冷期には芝がすべて枯れ、ピッチコンディションの悪さが指摘されていたが、1989年より芝生の[[二毛作]]([[オーバーシード]]<ref>[http://www.towa-sports.co.jp/grass_diary1/ 国立競技場の芝日記:国立競技場ファイナルイベント後の芝生] - 東和スポーツ施設株式会社</ref> に類似した手法)により年間を通して青い芝を保つようになった。国立競技場のHPでは、この間の海外選手の苦情や芝生の塗装、改良の試行錯誤が記述されている<ref>[http://www.jpnsport.go.jp/kokuritu/sisetu/tabid/76/Default.aspx 芝生の話「なぜに国立競技場の芝生は美しいのか? ~グラウンドキーパー汗と涙の奮闘記~」]</ref>。
 
 
 
=== スタンド ===
 
[[ファイル:1964 Cauldron.JPG|thumb|聖火台]]
 
スタンドの形状は4階建て楕円形スタンドとなっている。この形状のためラグビーの試合では、しばしばラインアウトでの「ノットストレート」の反則をとられることがあり、テレビ中継などで「(楕円形スタンドに惑わされて)まっすぐに投げ入れることが難しい」と解説される。
 
 
 
1958年の竣工当時は48,000人の収容人数だったが<ref name="SAYONARA147">{{Cite|和書|author=日本スポーツ振興センター|title=SAYONARA国立競技場56年の軌跡 1958-2014|year=2014|publisher=朝日新聞出版|pages=147|isbn=978-4-02-190250-5}}</ref>、1963年には翌年の東京オリンピックを控えバックスタンドを中心に大幅拡張され<ref>{{Cite|和書|author=日本スポーツ振興センター|title=SAYONARA国立競技場56年の軌跡 1958-2014|year=2014|publisher=朝日新聞出版|pages=206-207|isbn=978-4-02-190250-5}}</ref>、71,328人収容の大スタジアムとして生まれ変わった<ref name="SAYONARA147" />。[[1964年]][[10月10日]]の[[1964年東京オリンピックの開会式|オリンピック開会式]]の観客動員数72,000人が、国立霞ヶ丘陸上競技場の最多入場者数である。その後1980年の改修では約62,000人収容に減少した<ref name="SAYONARA147" />。これ以降の入場者数はキャパシティ一杯でも60,000人前後で推移していたが、その後の改修が進むに連れキャパシティは縮小している。2005年9月から複数年の予定で、スタンドの改修工事が行われた。先ず最初の段階で収容人数は60,057人から55,903人まで縮小された。この改修で座席スペースの拡張や背もたれ、カップホルダー付き座席の設置、および記者席の機能強化が図られた。スタジアムのキャパシティは50,339人にまで縮小された<ref>[https://web.archive.org/web/20121217210615/http://www.j-league.or.jp/stadium/tokyo_02/ Jリーグ - スタジアムガイド - 国立競技場]、Jリーグ公式サイト(2012年12月17日)</ref>。その後、2011年まで実施した耐震工事の際に3,885席増加し(バックスタンド上段4,922席増加、南側ゴール裏1,037席減少)、計54,224人となった<ref name="back2011"/><ref name="tabid318"/>。
 
 
 
屋根はメインスタンドの一部にのみ設置されている。
 
 
 
=== 併設施設 ===
 
代々木門エントランス下に国立霞ヶ丘競技場体育館が、同門側サイドスタンド下に国立霞ヶ丘競技場室内水泳場がある。
 
 
 
メインスタンド下には[[秩父宮記念スポーツ博物館]]、秩父宮記念スポーツ図書館、[[日本体育施設協会]]の事務局が設けられている。
 
 
 
=== 照明及び視聴覚装置 ===
 
[[File:92nd All Japan High School Soccer Tournament Score.JPG|thumb|大型画像モニターの[[アストロビジョン]]、その左側にはサッカー用45分計、文字盤のないアナログ時計]]
 
照明施設はバックスタンドに照明塔4機、メインスタンドの照明は屋根の先端部に内蔵されている。
 
 
 
視聴覚装置は、千駄ヶ谷門寄りサイドスタンドに大型画像モニターが設置されている。国立競技場となった際に上部のみ電光表示を可能としたスコアボードが設置され、オリンピック開催にあわせて大型化・および全面電光表示化([[富士通|富士通信機製造]]製、なお同社の大型映像装置部門は現在の[[富士通フロンテック]]にあたる)の改修が行なわれた。1991年の世界陸上開催を契機とした改修で[[パナソニック|松下電器]]製「[[アストロビジョン]]」を設置。その際に大時計下に[[トヨタ自動車]]の広告が入ったが、現在は撤去されている([[access (音楽ユニット)|access]]の[[TRY AGAIN (accessの曲)|TRY AGAIN]]のPVで1993年当時の大時計が見られる)。
 
 
 
=== 門 ===
 
中央門(メイン)、(以下は時計回りに)北車門、千駄ヶ谷門とマラソン門、北一門、北二門と北三門、北四門、青山門(バック)、南五門から南二門まで、南一門、代々木門、南車門。以上、公式サイトの見取り図では16の名称が確認できる<ref>[http://www.jpnsport.go.jp/kokuritu/sisetu/tabid/59/Default.aspx 階層別図面] ([http://www.jpnsport.go.jp/kokuritu/Portals/0/images/contents/organizer/draw/3f.jpg 3F])</ref>。
 
 
 
{{See also|#最寄り駅}}
 
 
 
=== 芸術作品・記念作品 ===
 
メインスタンドの屋根付き部分の両端には、[[相撲]]の神である[[野見宿禰]]と[[ギリシャ神話]]の勝利の女神[[ニーケー|ニケ]]の壁画が描かれていた<ref>[http://www.jpnsport.go.jp/kokuritu/Portals/0/kokuritu/kohosi2014/2014-34.pdf 国立競技場 2014.3・4 Vol.602]</ref>。無地で地味だった国立競技場の壁は、1964年のオリンピック開催に合わせて、華やかな壁画が設置された<ref>[http://www.cinra.net/review/20141210-hekigaisetsu?device=desktop&genre=art-design 国立競技場解体後、東京五輪を彩った壁画たちはどこへ行くのか?] - CINRA.NET</ref>。
 
 
 
メインゲートには、東京オリンピックで金メダルを獲得した319名を刻んだ銘板が設置されていた。
 
 
 
聖火台など以下のほか、三段跳びの[[織田幹雄]]を記念した「[[#トラック|織田ポール]]」もあった。
 
 
 
また、敷地外には<ref>[http://www.jpnsport.go.jp/muse/annai/tabid/70/Default.aspx スポーツと芸術]</ref>、「[[ピエール・ド・クーベルタン|クーベルタン]]男爵石碑」「[[嘉納治五郎]]石碑」があった<ref>[http://www.jpnsport.go.jp/muse/annai////tabid/71/Default.aspx スポーツの芸術2]</ref>。
 
 
 
'''壁画13点'''
 
{| class="wikitable" style="text-align:center;"
 
! [http://www.jpnsport.go.jp/corp/LinkClick.aspx?fileticket=quHx%2FVnvxVM%3D&tabid=157&mid=606] !! 場所 !! colspan=3|名称 !! 原画
 
|-
 
| 13 || メインスタンド向かって左 || colspan=3|野見宿禰像 || rowspan=2|[[長谷川路可]]
 
|-
 
| 14 || メインスタンド向かって右 || colspan=3|勝利の女神像
 
|-
 
| 15 || 正面玄関の右脇壁面 || colspan=3|よろこび || rowspan=2|[[寺田竹雄]]
 
|-
 
| rowspan=4|16<br><small>から</small><br>25 || rowspan=4|回廊の10壁画<br>[[小林凱金]] || 躍進 || 友愛 || 勝利
 
|-
 
| より高く || より早く || || [[宮本三郎]]
 
|-
 
| 動態 || 人と太陽 || || [[大沢昌助]]
 
|-
 
| 勝利の場 || 飛転 || 躍動 || [[脇田和]]
 
|}
 
 
 
'''その他'''
 
{| class="wikitable" style="text-align:center;"
 
| 1 || [[オリンピック聖火#聖火台|聖火台]] || 鋳物 || [[鈴木万之助]]
 
|-
 
| 2 || 健康美 || rowspan=6|塑像 || [[北村西望]]
 
|-
 
| 3 || 青年像 || [[朝倉文夫]]
 
|-
 
| 4 || 波 || [[吉田三郎]]
 
|-
 
| 5 || 円盤投げ像(ディスコポロス像) || ミロン
 
|-
 
| 6 || 槍投げ像 || [[雨宮治朗]]
 
|-
 
| 7 || 御者像 || [[ファルビ・ビニョーリ]]
 
|-
 
| 8 || 無題 || 彫像 || [[三井泉]]
 
|-
 
| 9 || 東京オリンピック大会優勝者銘盤 || rowspan=4|記念碑 || 組織委員会で計画
 
|-
 
| 10 || 1967年ユニバーシアード東京大会優勝者銘盤 || [[中山克己 (建築家)|中山克己]]
 
|-
 
| 11 || 1991年第3回世界陸上競技選手権大会優勝者銘盤 || -
 
|-
 
| 12 || 「[[学徒出陣|出陣学徒]]壮行の地」の碑([[秩父宮ラグビー場]]に一旦移設)<ref>[http://www.nikkei.com/news/print-article/?R_FLG=0&bf=0&ng=DGXLASDG21H0S_R21C14A0CC1000 「学徒出陣」碑に献花式 国立競技場改築で移設] 2014/10/22 日本経済新聞</ref> || -
 
|}
 
 
 
[[宮城県]][[石巻市]]に「復興のシンボル」として貸与中の、旧国立の聖火台に2016年3月6日、牛のふんから生成されたバイオメタンガスを燃料にした「聖火」が灯された([[バイオガス]]による火が聖火台に灯るのは世界初という)。2020年東京五輪での再生エネルギーを用いた聖火リレーの実現を望む、[[多田千佳]]・東北大大学院農学研究科准教授らのチームによる実証実験<ref>[http://www.nikkansports.com/general/news/1613599.html 石巻に世界初バイオガス聖火 東京五輪へ実験成功] - 日刊スポーツ、2016年3月7日</ref>。
 
 
 
なお、[[新国立競技場]]の[[ザハ・ハディッド]]案では、[[オリンピック聖火#聖火台|聖火台]]は競技場外を想定していたという<ref>[http://www.asahi.com/articles/ASJ343S05J34UTQP015.html 「聖火台、ザハ案の時から競技場外に」新国立で文科相] - 朝日新聞、2016年3月4日</ref>。
 
 
 
=== その他 ===
 
メインスタンド下にはトレーニング施設が整備され、中学生以上は一般利用が常時可能である。また、スタジアム利用が無い日には、通常のトラックやスタンド下に整備された1周650mの回廊走路も利用できる。メインスタンドには貴賓席や記者席などが用意され、スタンド下には室内練習場や会議室もあって大会時には選手控室や記者会見場に利用されるが、近年に整備された各スタジアムと比較すると古くて手狭である。
 
 
 
競技場のスタンド下からトラック内部へは選手用の地下通路があったが、現在は利用されていない。ここには東京オリンピックの際に女子選手も使える立ち小便器が設置されたが<ref>[[TOTO (企業)|TOTO]]ホームページ「TOTOきっず」 [http://www.toto.co.jp/kids/library/04.htm 「女の人も立っておしっこ?男女兼用の小便器“サニスタンド”」]</ref>、実際の使用例はなかったとされる<ref group="注">これらの施設はNHKのテレビ番組「[[ブラタモリ]]」の「神宮外苑」回の中で紹介された。[http://www.nhk.or.jp/buratamori/broadcast/vol018.html]</ref>。
 
 
 
聖火台下などのバックスタンド上部はメインスタンドよりも高く、荒天時を除けば競技場の西側にある[[NTTドコモ代々木ビル]]や[[新宿新都心]]地区の[[超高層ビル]]群がメインスタンドの背後から眺められる。
 
 
 
以上の各施設については、[[秩父宮スポーツ博物館]]と合わせて随時見学ツアーが開催されていた<ref>[https://web.archive.org/web/20120619205059/http://naash.go.jp/muse/annai//tabid/271/Default.aspx 「国立競技場スタジアムツアー」開催概要]</ref>。
 
 
 
== 交通 ==
 
[[ファイル:Japan national stadium02.jpg|thumb|青山門(バックスタンド側入り口)]]
 
=== 所在地 ===
 
東京都新宿区霞ヶ丘町10番2号。
 
 
 
=== 最寄り駅 ===
 
東京都心部のスタジアムとして、大きな輸送力を持つ多くの鉄道路線が利用可能であり、高い利便性を持っている。入場門によって最寄り駅が異なる。
 
* 正門(メインスタンド中央部) - 一般入場者は通常利用不可
 
**[[都営地下鉄大江戸線]] - [[国立競技場駅]](A2出口から約200m、徒歩2分)
 
**[[東日本旅客鉄道|JR東日本]][[中央・総武緩行線]] - [[千駄ケ谷駅]](約500m、徒歩7分)
 
* 千駄ケ谷門(メインスタンド北側)
 
**都営地下鉄大江戸線 - 国立競技場駅(A2出口から約100m、徒歩1分)
 
**中央・総武緩行線 - 千駄ケ谷駅(約400m、徒歩5分)
 
* 青山門(バックスタンド)
 
**中央・総武緩行線 - [[信濃町駅]](約800m、徒歩10分)
 
**[[東京メトロ銀座線]] - [[外苑前駅]](約1.2&nbsp;km、徒歩15分)
 
* 代々木門(メインスタンド南側)
 
**千駄ケ谷駅(約1km、徒歩12分)
 
**東京メトロ銀座線 - 外苑前駅(約1.2&nbsp;km、徒歩15分)
 
これらの駅はコンコースの拡張や臨時改札の設置などで試合終了時の観客輸送に対応しているが、[[明治神宮球場|神宮球場]]でのプロ野球([[東京ヤクルトスワローズ]]戦)等と重複した場合には一時的な滞留が起こる場合もある。また、大ターミナル駅である[[新宿駅]]へはJRと都営地下鉄で4~6分程度の他、徒歩でも40分前後(約2.5&nbsp;km)で移動できる。
 
 
 
=== 駐車場・道路交通 ===
 
国立霞ヶ丘競技場では一般観客が利用できる駐車場は用意されず、周辺地域でも駐車場は少ない。青山門の東側にある[[聖徳記念絵画館|明治神宮絵画館]]前駐車場は団体バスの利用が可能で、千駄ヶ谷駅西側の首都高速高架下にも駐車場が整備されているが、5万人のスタジアム規模に見合う台数ではなく、来場者には公共交通機関の利用が呼びかけられている。
 
道路交通としては、以下の道路がスタジアムに近い。
 
 
 
消防は、[[東京消防庁]]四谷消防署の管内に置かれている<ref>[http://www.tfd.metro.tokyo.jp/hp-yotuya/syoukai_enkaku.html 東京消防庁<四谷消防署><消防署の紹介><沿革>]</ref>。
 
 
 
;道路網
 
* 高速道路・インターチェンジ
 
** [[首都高速4号新宿線]] - [[外苑出入口]]から至近(1km以内)
 
* 一般道路
 
** [[国道246号]]([[青山通り]]) - 外苑西通りを介して連絡
 
** [[東京都道418号北品川四谷線]](外苑西通り)
 
** [[東京都道414号四谷角筈線]](神宮外苑周回道路)
 
** [[東京都道319号環状三号線]]([[外苑東通り]]) - 神宮外苑周回道路を介して連絡
 
東京オリンピックの開催にあたっては内外の要人・賓客輸送のために首都高速道路の建設が急がれ、開会の2ヵ月前に外苑出入口が完成し、[[東京国際空港]](羽田空港)からの路線が開通した。
 
;バス交通
 
*バス停 - 明治公園バス停
 
** [[都営バス]][[都営バス新宿支所#現行路線|早81]]系統(早大正門~[[渋谷駅]]東口)・[[都営バス品川営業所#現行路線|黒77]]系統([[目黒駅]]~千駄ヶ谷駅)
 
** [[ハチ公バス]]([[フジエクスプレス]])神宮の杜ルート(渋谷駅ハチ公口~[[参宮橋駅|参宮橋]])
 
同バス停は代々木門が最も近いが、輸送力・運行回数共に上記の鉄道路線よりも少ないため、積極的な案内は行われていない。
 
 
 
== 主な大会・イベント ==
 
*[[全国高等学校定時制通信制陸上競技大会]] - 国立が閉鎖される迄毎年行われていた。2014年から[[駒沢オリンピック公園陸上競技場]]で行われている。
 
* [[日本陸上競技選手権大会]](最近は地方都市持ち回りが多い)
 
* [[日本学生陸上競技対校選手権大会]]
 
* [[天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会|天皇杯全日本サッカー選手権大会]]決勝戦(準決勝の1試合も行う) - 毎年[[1月1日]]([[元日]])の午後、前年度大会の決勝戦を開催。準決勝は12月末に開催。
 
* [[全日本大学サッカー選手権大会]]決勝戦
 
* [[全日本大学女子サッカー選手権大会]]決勝戦
 
* [[全国高等学校サッカー選手権大会]]開会式・開幕戦・準決勝・決勝戦([[2008年]]度大会では準決勝は非開催)
 
* [[サッカー日本代表]]の国際親善試合や強化試合(A代表・[[U-23サッカー日本代表|オリンピック代表]]が主)
 
* [[J1昇格プレーオフ]] - 2012年と2013年に開催。
 
* [[FUJI XEROX SUPER CUP]] - 2005年と2011年は横浜で開催された。
 
* [[Jリーグカップ]](ヤマザキナビスコカップ)決勝戦
 
* [[日本ラグビーフットボール選手権大会]]決勝戦
 
* [[全国大学ラグビーフットボール選手権大会]]準決勝・決勝戦
 
* [[関東大学ラグビー対抗戦グループ|関東大学ラグビー対抗戦]] [[早稲田大学ラグビー部|早稲田大学]]対[[明治大学ラグビー部|明治大学]]([[早明戦]]) - 毎年12月の第1日曜日に開催。
 
 
 
=== 過去に開催された主な大会・イベント ===
 
[[ファイル:1958 Asian Games opening ceremony.jpg|thumb|国立競技場はもともと、[[1958年アジア競技大会|第3回アジア競技大会]]に向けて建設された。<ref>{{Cite web|title=職人の技と心を受け継ぐ聖火台<前編>|url=http://japantopleague.jp/column/excellence/excellence_0044.html|author=高樹ミナ|publisher=[[日本トップリーグ連携機構]]|accessdate=2015-05-23}}</ref>]]
 
* [[1958年]] : [[1958年アジア競技大会|第3回アジア競技大会]]
 
* [[1963年]] : 東京国際スポーツ大会([[プレオリンピック]])
 
* [[1964年]] : [[1964年東京オリンピック|第18回オリンピック東京大会]]
 
* [[1967年]] : [[1967年夏季ユニバーシアード|第5回ユニバーシアード]]東京大会
 
* [[1975年]] - [[2001年]]、[[2003年]] - [[2004年]] :  [[日本ラグビーフットボール選手権大会]]1974-1996年度は社会人王者と大学王者の一発勝負。1997年度は全試合を開催・2001-2002年度は決勝戦のみ開催。
 
* [[1977年]]9月10日、14日 : SAYONARA GAME IN JAPAN [[ペレ]]引退記念試合(10日 [[ニューヨーク・コスモス]]対[[古河電気工業サッカー部|古河電工]]、14日 ニューヨーク・コスモス対[[サッカー日本代表|日本代表]])
 
* [[1979年]] : [[1979 FIFAワールドユース選手権|サッカー ワールドユース選手権]](グループA6試合、準々決勝1試合、準決勝1試合、3位決定戦、決勝)
 
* [[1979年]] - [[2008年]] [[東京国際女子マラソン]]
 
* [[1981年]] - [[2001年]] : [[インターコンチネンタルカップ (サッカー)|トヨタ ヨーロッパ/サウスアメリカ カップ]](2002年からは[[横浜国際総合競技場]])
 
* 1981年 - [[2006年]] : [[東京国際マラソン]]
 
* [[1982年]] - [[1988年]]、[[1996年]] - [[2011年]] : 全日本女子サッカー選手権大会<!--皇后杯改称後は国立で決勝が行われていないため旧称で表記-->決勝戦(2012年から[[皇后杯全日本女子サッカー選手権大会]]へ改称するとともに、[[さいたま市大宮公園サッカー場|NACK5スタジアム大宮]]で開催)
 
* [[1983年]] - [[1989年]] : [[ライスボウル]](1990年以降[[東京ドーム]]で開催)
 
* [[1985年]][[6月15日]] : [[国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW]]([[はっぴいえんど]]、[[サディスティック・ミカ・バンド|サディスティック・ユーミン・バンド]]などが出演)
 
* [[1991年]] : [[1991年世界陸上競技選手権大会|第3回世界陸上競技選手権大会]]
 
* [[1993年]][[5月15日]] : [[1993年Jリーグ開幕節|Jリーグ開幕戦]]([[東京ヴェルディ1969|ヴェルディ川崎]]対[[横浜F・マリノス|横浜マリノス]])
 
* 1993年 : [[1993 FIFA U-17世界選手権|FIFA U-17世界選手権]]
 
* [[1996年]][[6月29日]] : [[ルチアーノ・パヴァロッティ]]、[[プラシド・ドミンゴ]]、[[ホセ・カレーラス]] 世界3大テノール・コンサート
 
* [[1998年]] : [[1000万人ラジオ体操・みんなの体操祭|1000万人ラジオ体操祭中央大会]](誕生70周年を記念して開催)
 
* [[2002年]] : [[Dynamite!]]史上最大の格闘技ワールド・カップ(プロレス・格闘技イベントで初開催)
 
* [[2003年]] : [[A3チャンピオンズカップ2003]]
 
* 2003年 : [[ジャパンラグビートップリーグ]]開幕戦([[サントリーサンゴリアス|サントリー]]対[[神戸製鋼コベルコスティーラーズ|神戸製鋼]])
 
* [[2004年]] : 第1回[[ジャパンラグビートップリーグ2003-2004|マイクロソフトカップ]]決勝([[NECグリーンロケッツ|NEC]]対[[東芝ブレイブルーパス|東芝府中]])
 
* [[2005年]]9月3日・4日 : [[SMAP]]とイク? SMAP SAMPLE TOUR FOR 62 DAYS.(単独公演としては史上初)
 
* 2005年 - [[2008年]] : [[FIFAクラブワールドカップ]](2011年に再度日本で開催されるが会場からは外れる)
 
* 2006年 : [[GOAL!]]ジャパンプレミア
 
* [[2007年]]9月22日・23日 : [[DREAMS COME TRUE]]コンサート「[[史上最強の移動遊園地 DREAMS COME TRUE WONDERLAND 2007]]」
 
* [[2008年]]8月2日 : [[JOMO CUP]]
 
* 2008年9月5日・6日 : [[嵐 (グループ)|嵐]] コンサート 「arashi marks ARASHI AROUND ASIA 2008」
 
* [[2009年]][[7月5日]] : [[石原裕次郎]][[年忌|23回忌]]法要
 
* 2009年10月31日 : [[日本水産|NISSUI]] TOKYO 2009 [[ブレディスローカップ|BLEDISLOE CUP]]([[ラグビーニュージーランド代表|ニュージーランド オールブラックス]]対[[ラグビーオーストラリア代表|オーストラリア ワラビーズ]])
 
* 2009年 - [[2010年]] : [[AFCチャンピオンズリーグ]]決勝戦(2009年 [[アル・イテハド]]対[[浦項スティーラース]]、2010年 [[城南一和天馬]]対[[ゾブ・アハン・エスファハーンFC|ゾブ・アハン]])
 
* 2010年8月4日 : [[スルガ銀行チャンピオンシップ|スルガ銀行チャンピオンシップ2010]]([[FC東京]]対[[LDUキト]])
 
* 2010年8月21日・22日・9月3日・4日 : 嵐 コンサート「10-11 Tour “Scene”~君と僕の見ている風景~」(史上初の4日公演。8月21日・22日は「2010[[神宮外苑花火大会]]」後夜祭公演)
 
* [[2012年]] : [[2012 FIFA U-20女子ワールドカップ|FIFA U-20女子ワールドカップ]](グループリーグ2試合、準々決勝2試合、準決勝、3位決定戦、決勝)
 
*2012年9月20日・21日:嵐 コンサート 「ARASHI アラフェス NATIONAL STADIUM 2012」
 
* [[2013年]]6月16日 : [[東日本大震災復興支援 2013Jリーグスペシャルマッチ]]
 
*2013年9月21日・22日:嵐 コンサート 「アラフェス’13」(2年連続で開催)
 
* [[2014年]]3月15日・16日 : [[ももいろクローバーZ]] コンサート「ももクロ春の一大事 2014 国立競技場大会 ~NEVER ENDING ADVENTURE 夢の向こうへ~」)女性グループ初・史上最速6年・最年少(平均18.6歳)記録)
 
* 2014年3月21日・22日 : [[L'Arc〜en〜Ciel]] コンサート「LIVE 2014 at 国立競技場」(最多人数80,000人収容)
 
* 2014年3月29日 : [[AKB48]] コンサート「AKB48単独&グループ 春コンin 国立競技場~思い出は全部ここに捨てていけ!~」(3月30日のAKB48グループ公演は荒天のため中止→同公演は[[6月8日]]に[[東京スタジアム (多目的スタジアム)|味の素スタジアム]]に[[大島優子]]の卒業式を含め延期・代替された)
 
* (2014年5月17日・18日:[[ポール・マッカートニー]] コンサート「Out There! japan tour 2014」)(全公演中止)
 
* 2014年5月28日・29日:[[JAPAN NIGHT MOVE WITH THE MUSIC PF JAPAN]](28日 Yell for Japan:[[スキマスイッチ]]、[[ファンキー加藤]]、[[ナオト・インティライミ]]、[[岸谷香]]、[[ゴスペラーズ]]、[[ゆず (音楽グループ)|ゆず]]、[[斉藤和義]]、[[ウカスカジー]]、[[いきものがかり]]。29日 Japan to the World:[[SEKAI NO OWARI]]、[[Perfume]]、[[MAN WITH A MISSION]]、[[L'Arc〜en〜Ciel]])
 
 
 
== 閉鎖 ==
 
===閉鎖記念イベント「SAYONARA国立競技場プロジェクト」===
 
[[ファイル:Japan National Rugby Union Team (A5N 20140525).jpg|thumb|スポーツ公式戦最終イベントとなった[[2014年アジア5カ国対抗|アジア5カ国対抗]]の[[ラグビー日本代表|日本]]対[[ラグビー香港代表|香港]]戦で、日本代表は[[ラグビーワールドカップ2015|ワールドカップ]]出場を決めた。]]
 
*新国立競技場への建て替えによる閉鎖に当たり、[[2014年]]1月から5月末の閉鎖まで「SAYONARA国立競技場プロジェクト」と題した閉鎖記念のイベントを展開した。主なイベントに、上記のコンサート・スポーツイベントのほか、[[キリンチャレンジカップ|キリンチャレンジカップ2014]]・日本対ニュージーランド戦(3月5日 サッカーの国際Aマッチとしての最終戦)、[[ゴールデングランプリ川崎|ゴールデングランプリ陸上東京2014]](5月11日 陸上競技としての最終イベント)、[[ラグビーワールドカップ2015]]アジア予選(「[[アジア5か国対抗ラグビー]]」)の日本対香港戦(5月25日。現競技場でのスポーツ公式戦最終イベント)、スタジアム見学ツアーなどが行われた。
 
*閉鎖前最終日となる2014年5月31日には、「SAYONARA国立競技場FINAL “FOR THE FUTURE”」と題したイベントが行われ、日中にはゲストランナーを交えた「ファイナルファンラン」、夕方には[[サッカー日本代表]]の選手や[[早明戦|早稲田大学・明治大学ラグビー]]出身選手によるエキシビジョン「レジェンドマッチ」、[[1964年東京オリンピック|東京オリンピック]](1964年)の開会式を再現したブルーインパルスの曲芸飛行、夜には国立競技場の炬火台点灯を再現するセレモニーや、国立競技場の歴史を振り返る記録映画上映会、そして締めくくりに市民にフィールド・トラックを開放するイベントが行われた。<ref>[http://www.jpnsport.go.jp/newstadium//tabid/413/Default.aspx SAYONARA国立競技場プロジェクト]</ref>
 
*光の線で当時のシーンを再現するイベントも開かれ午後9時頃に56年間、聖地を見守った国立の最後の聖火が静かに消されSEE YOU IN 2019(2019年に会いましょう)が表示された。
 
 
 
=== 閉鎖に伴う記念特番 ===
 
*名勝負!国立競技場物語
 
:[[2013年]][[9月1日]]12:00-13:50に[[NHK BS1]]で放送されたドキュメンタリー番組である。
 
 
 
:[[新国立競技場]]としてリニューアルされるにあたり、この番組では国立競技場メインスタンドに掲げられてきた壁画・[[野見宿禰]]と[[ニケ]]の視点を通して、国立競技場の歴史と名勝負をたどり、新国立競技場への引継ぎを行うというものである。番組は陸上競技を中心にした第1部・トラック編と、サッカー・ラグビーなどの球技を中心とした第2部・フィールド編の2部構成である。
 
 
 
:*ナビゲーター - 野見宿禰([[西村雅彦]])、ニケ([[紫吹淳]])
 
:*語り手 - [[阪脩]]、[[関野浩之]]
 
 
 
*緊急生中継!さよなら国立競技場
 
:[[2014年]][[5月31日]] 21:00-22:00に[[TBSテレビ]]で放送されたドキュメンタリー番組である。
 
 
 
:国立競技場最後のイベント「SAYONARA国立競技場FINAL "FOR THE FUTURE"」の真の最終イベントであるピッチ開放を生中継し、当日行われたイベントのVTRを放送することはもちろん、国立競技場の歴史をたどった。特に、1964年東京オリンピック開会式の時に行われた、ブルーインパルスの曲芸飛行に込められた秘話を特集。最後にはピッチ開放に訪れた多くの市民を前に、中山がフリーキックを行うシーンが行われた。
 
 
 
:* スペシャルナビゲーター - [[中山雅史]]
 
:* ゲスト - [[関根勤]]、[[宮崎美子]]
 
:* アシスタント - [[枡田絵理奈]](TBSアナウンサー)
 
:* 実況 - [[初田啓介]](TBSアナウンサー)
 
:* ドキュメントパートナレーター - [[近藤サト]]
 
 
 
:この番組に先駆けて、18:55(一部地域19:00)から20:54の「[[炎の体育会TV]]」でも「さよなら国立競技場スペシャル」と題して、国立競技場からの生中継、および一部事前収録による同番組レギュラーメンバーに、[[中田英寿]]、[[釜本邦茂]]ら特別ゲストを交えたスポーツアトラクションの模様(観客非公開)を紹介しているほか、[[BS-TBS]]でも14:00から14:55に「今夜聖火の灯が消える ありがとう国立競技場」(ナビゲーター・関根勤)と題して、過去に行われた国立競技場の名勝負を振り返る特番が放送された。
 
 
 
== 解体工事をめぐる遅延 ==
 
新国立競技場建設のため既存の国立競技場は解体されることになり、日本スポーツ振興センター (JSC) により南北2工区に分けて入札が行われることとなった。1回目の入札では、入札に参加出来る資格が「建築一式工事1190点以上」の資格を有するものに限られた。北工区「西松建設」、南工区「安藤・間」「フジタ」「NIPPO」の中堅ゼネコンが入札に参加した。1回目の入札は2014年5月29日に開札されたが、すべての入札価格が予定価格(北工区2,036,862,000円、南工区1,879,630,000円)を上回り不調に終わった<ref name="GendaiBusiness20141235">{{Cite web |date=2014-12-25 |url=http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41545 |title=国立競技場解体工事業者がようやく決定! 「天の声」続出で、調整決着の疑いも|伊藤博敏「ニュースの深層」 |publisher=現代ビジネス(株式会社講談社)|author=伊藤博敏 |accessdate=2015-07-22}}</ref><ref name="JSCNyusatsu">{{Cite web |url=http://www.jpnsport.go.jp/corp/tabid/117/Default.aspx |title=落札・結果情報 |publisher=独立行政法人日本スポーツ振興センター管理部調達管財課 |accessdate=2015-07-22}}</ref>。
 
 
 
2回目の入札では、入札に参加できる資格を「建築一式工事1190点以上」の資格を有するものに加え、「とび・土工・コンクリート工事(解体工事)950点以上」の資格を有するものにも門戸を広げた。日本スポーツ振興センター (JSC)は2回目の入札で、各工区の予定価格を大幅に引き上げた。(北工区の予定価格2,492,394,000円 1回目より455,532,000円増額、南工区の予定価格2,314,151,000円 1回目より434,521,000円増額 )
 
 
 
2回目の入札は2014年7月17日に開札され、南北2工区とも関東建設興業株式会社が落札したが、関東建設興業は北工区は2番札、南工区は3番札であった。南北2工区の1番札であった[[フジムラ|株式会社フジムラ]]および南工区の2番札であった株式会社関口興業は「特別重点調査」により無効と判断されたためである{{refnest|group="注"|「特別重点調査」で無効とされるのは極めてまれなことで、公共工事を多数発注する国土交通省においても2013年度発注の工事9000件で無効とされたのは1件のみである<ref name="GendaiBusiness20141235" />。}}。この結果に対して[[フジムラ]]は [http://www5.cao.go.jp/access/japan/chans_main_j.html 内閣府政府調達苦情検討委員会] に異議を申し立てた。審議の結果、JSCが入札書および工事費内訳書の提出期限前に工事費内訳書を順次開封していたこと、ならびに入札者が提出した工事費内訳書の開封と並行して予定価格の決定に係る関係調達機関内部の手続を行っていたことは、調達過程の公正性および公平性ならびに入札書の秘密性を損なうものとして、契約を破棄し、新たに調達手続を行うよう求める提言が出された<ref>{{Cite web |date=2014-09-30 |format=PDF |url=http://www5.cao.go.jp/access/japan/pdf/14-houkoku.pdf |title=「検委事第14号」報告書(平成26年9月30日) |publisher=内閣府政府調達苦情検討委員会 |accessdate=2015-07-22}}</ref>。これにより2回目の入札による契約は破棄された。
 
 
 
3回目の入札は2014年12月2日に開札され、北工区はフジムラが再び「特別重点調査」の対象になるが、日本スポーツ振興センター (JSC)より、契約の内容に適合した履行が行われると認められたため落札。南工区は関東建設興業が落札した<ref name="JSCNyusatsu" />。(北工区の予定価格2,022,201,000円に対し落札金額1,549,000,000円、南工区の予定価格1,739,566,000円に対し落札金額1,394,000,000 円)
 
 
 
当初2014年7月から始まる予定だった解体工事は、日本スポーツ振興センター(JSC)による一連の不手際により、2015年1月初旬(北工区)、2月下旬(南工区)と工事開始が大幅に遅れることとなった<ref>{{Cite web |date=2015-01-07 |url=http://www.nikkansports.com/sports/news/f-sp-tp0-20150107-1418683.html |title=国立競技場、2月下旬から解体工事開始 |publisher=日刊スポーツ新聞社 |accessdate=2015-07-22}}</ref> が、契約工期通りに無事完了した。
 
 
 
なお、解体工事で発生する有価物(スクラップ材)について、1回目・2回目の入札では特に制限されず施工業者が自由に処分できるとの条件であったが、3回目の入札時には有価物は別途売り払うこととされ、2015年2月の入札により、フジムラが247,367,000円で落札した(予定価格217,417,000円)。 この「発生材売払」は「単価契約」とされ、各金属毎の単価を発生前(スタンドとりこわし前)に入札する異例ずくめのものであった。
 
 
 
== 「新国立競技場」への建て替え ==
 
{{main|新国立競技場}}
 
建物のサイズは増築スタンド部分を含めて約200. 5m×約252. 0mだった<ref>[http://www.jpnsport.go.jp/newstadium/Portals/0/compe/20140530_compereport_7_boshuyoko_3.pdf#page=9 募集要項等 154頁]</ref>。
 
 
 
[[2008年]][[5月29日]]に[[文部科学省]]は、需要の変化や著しい老朽化に対応するため、サッカー専用競技場化などの大規模改修も視野に入れて、施設としてのあり方を見直す有識者らを集めた調査研究協力者会議を発足させた。[[2009年]]に[[東京都]]が開催都市として立候補した[[2016年リオデジャネイロオリンピック|2016年夏季オリンピック]]において、[[2016年東京オリンピック構想|東京オリンピック構想]]で国立霞ヶ丘競技場はサッカー会場としてのみ使用される計画となっていた。陸上競技などを開催するメインスタジアムは、[[晴海 (東京都中央区)|晴海]]に建設される[[東京オリンピックスタジアム|オリンピックスタジアム]]が予定されていた<ref>[http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2007/11/DATA/20hbk800.pdf 2016年東京オリンピック・パラリンピック開催基本計画]{{ja icon}} - 東京都 東京オリンピック・パラリンピック招致本部 2007年11月20日</ref>。同年[[2月19日]]に[[日本ラグビーフットボール協会]]会長の[[森喜朗]]は国立霞ヶ丘の改修に言及し、[[2016年]]の東京オリンピック招致に成功した場合には国立霞ヶ丘競技場をラグビーやサッカーの専用球技場として改修したいと述べた<ref>[http://mainichi.jp/enta/sports/general/rugby/news/20090220k0000m050038000c.html 国立競技場:ラグビーなど専用へ改修方向で検討…森会長]{{ja icon}} - 毎日新聞 2009年2月19日</ref>。2009年10月2日に行われたIOC総会の投票で東京は落選したため専用球技場への改修は白紙となった。
 
 
 
[[2011年]]に[[東京都]]は[[2020年夏季オリンピック]]への立候補を表明した。新しい案では国立霞ヶ丘競技場をメインスタジアムとして使用する計画となり、8万人以上のスタジアムへの改修に向けて国と協議を始めた。[[文部科学省]]は2012年度予算の概算要求に、国立霞ヶ丘競技場の改修調査費として1億円を盛り込んだ。吹付アスベスト含有については、調査により不検出との結果を得たという<ref name="kume_kihon">[http://2020-tokyo.sakura.ne.jp/_src/sc803/89FC8FC92B28DB88Bv95C48AT97vHi.pdf 久米設計 国立霞ヶ丘陸上競技場耐震改修基本計画(抜粋版) 2011年3月25日] PDF</ref>。
 
 
 
[[2012年]][[2月16日]]に[[2020年東京オリンピック構想|2020年東京オリンピック・パラリンピック]]招致委員会が大会の開催基本計画を発表し、国立霞ヶ丘競技場を8万人収容のスタジアムに改築し、開閉会式、陸上競技、サッカー決勝戦、ラグビーの会場とすることを正式に発表した。翌日には国立霞ヶ丘競技場を運営する日本スポーツ振興センターの[[河野一郎 (JOC理事)|河野一郎]]理事長が「世界一のものをつくりたい」とコメント、開閉式の屋根を備えた全天候型ドームスタジアムに改築する構想を発表した。[[3月6日]]に組織された「国立競技場将来構想有識者会議」では第1回会議で改築に向けて以下の事項を柱とすることに合意した。
 
* 8万人を収容できる全天候型のスタジアム
 
* 陸上競技と球技が行える施設
 
* コンサートなど文化の発信も可能な施設
 
* 大規模災害時の帰宅難民らの避難場所
 
 
 
これらの柱を基にして今後は3つのワーキンググループを中心に議論を進め、[[国際オリンピック委員会]] (IOC)への立候補ファイルの提出締切日([[2013年]][[1月]])までに改築の正式計画を策定することを目標とした。[[2012年]][[7月13日]]に有識者会議の第2回会議が行われ、新競技場の概要計画を決定した。計画内容は以下のとおり。
 
* 現在の約5万4000人収容から8万人収容に増設
 
* 開閉式の屋根(面積の規定は無し<ref>[http://www.jpnsport.go.jp/newstadium/Portals/0/compe/20140530_compereport_7_boshuyoko_3.pdf#page=25 VII 審査委員会設置要綱・募集要項・質疑応答 170頁 質疑回答書 18] PDF</ref><ref>[http://www.jpnsport.go.jp/newstadium/Portals/0/yushikishakaigi/20150707_06_sankousiryou_4.pdf#page=4 基本設計説明書(概要版)-4 3 施設計画 (11)開閉式遮音装置(屋根)] PDF</ref><ref>[http://www.jpnsport.go.jp/newstadium/Portals/0/yushikishakaigi/20150707_03_siryou2_2.pdf 主な変更点等-2] PDF</ref>)を備えた全天候型のドーム型スタジアム
 
* 9レーンのトラックを敷設して国際基準を満たす
 
* 競技場周辺の都立[[明治公園]]や[[日本青年館]]まで敷地を広げてサブトラックを敷設
 
* 観客席の一部を可動式にしてサッカーやラグビー大会の際は球技専用スタジアムとして使用
 
* 飲食・物販施設、音響、照明設備の強化
 
* コンサートや展覧会、ファッションショーなどの会場としても使用
 
* 大規模災害時の広域避難場所としての役割
 
 
 
総工事費は解体費を除いて1300億円程度を見込んでいる。現在の競技場は2014年7月から2015年10月にかけて解体され、2015年10月から「新国立競技場」の建設を開始、2019年3月までに完成する予定となっている<ref>[http://www.shibukei.com/headline/8912/ 新国立競技場のデザイン案最終11組決まる-妹島和世さんなど候補に] - シブヤ経済新聞 2012年10月31日</ref>。
 
 
 
現在の聖火台と1964年東京オリンピックのメダリスト名を刻んだ壁は保存される予定。
 
 
 
=== 新国立競技場 国際デザイン・コンクールの概略 ===
 
[[2012年]][[7月20日]]に[[日本スポーツ振興センター]]は、「新国立競技場」(仮称)デザインの国際[[設計競技]]の詳細を発表し公募を開始した<ref>[http://www.jpnsport.go.jp/newstadium/home/tabid/441/Default.aspx 新国立競技場 国際デザイン・コンクール]</ref>。募集要項はスポーツWGと文化WGの要望<ref name="kangaeru">[http://www.tokyo-np.co.jp/article/culture/culture_news/CK2014100502000207.html 東京新聞新国立競技場を考える 「施設建築ワーキンググループ」議事録検証] 東京新聞 2014年10月5日</ref> を、建築WG(座長:[[安藤忠雄]])が取りまとめた<ref name="sc617">[http://2020-tokyo.sakura.ne.jp/_src/sc617/JSC89F1939e.pdf 回答文 - 神宮外苑と国立競技場を未来へ手わたす会]</ref>。
 
 
 
7月13日の計画内容では「周辺の都立明治公園や日本青年館まで敷地を広げてサブトラックを敷設」となっていたが、発表した詳細によると敷地をそこまで広げるがサブトラックは敷設されない。[[明治神宮外苑軟式グラウンド]]をサブトラック(2015年現在、仮設の可能性が高いとしている<ref>[http://mainichi.jp/sports/news/20150319k0000m050064000c.html 新国立競技場:サブトラックは仮設 東京五輪・組織委] - 毎日新聞 2015年3月18日</ref>)に、[[明治神宮野球場#明治神宮第二球場|明治神宮第二球場]]を投擲種目の練習場にする構想である。
 
 
 
'''審査委員''' 11名 (役職は当時<ref name="compenogaiyo">[http://www.jpnsport.go.jp/newstadium/Portals/0/compe/20140530_compereport_1_compenogaiyo.pdf I デザイン競技の概要・応募状況]</ref><ref>[http://www.nikkei.com/news/print-article/?R_FLG=0&bf=0&ng=DGXNASFK2602A_W2A720C1000000 五輪誘致なるか 国立競技場「建て替え案」公募の目算] 2012/7/27 日本経済新聞 電子版</ref>)
 
 
 
* ★の3名は、[[新国立競技場#国立競技場将来構想有識者会議|有識者会議メンバー]]でもある。
 
{| class="wikitable"
 
|-
 
| rowspan=7|有<br>識<br>者<br>審<br>査<br>委<br>員 || rowspan=5|(施設建築)
 
| <small>'''委員長 || '''[[安藤忠雄]]''' ★ || 建築WG座長<ref name="sc617"/> || [[建築家]]
 
|-
 
| 委員 || [[鈴木博之]] || nowrap="nowrap" |建築計画・建築史<ref name="sc617"/> || [[青山学院大学]]教授
 
|-
 
| 委員 || [[岸井隆幸]] || 都市計画<ref name="sc617"/> || [[日本大学]]教授
 
|-
 
| 委員 || [[内藤廣]] || 建築計画・景観<ref name="sc617"/> || 前[[東京大学]]副長
 
|-
 
| 委員 || [[安岡正人]] || 環境・建築設備<ref name="sc617"/> || 東京大学名誉教授
 
|-
 
| (スポーツ利用)
 
| 委員 || [[小倉純二]] ★ || スポーツWG座長<ref name="sc617"/> || [[日本サッカー協会]]長
 
|-
 
| (文化利用{{refnest|group="注"|施設利活用(文化)グループ。メンバーは[[電通]]・[[博報堂]]・[[日本放送協会|NHK]]・[[キョードー東京]]などのメディアや、個人では[[残間里江子]]ら<ref>[http://club-willbe.jp/zamma/2012/11/1121-4.html 第1567回] - [[残間里江子]]ブログ 駄目で元々、雨、アラレ。 2012年11月21日</ref><ref>[http://www.club-willbe.jp/zamma2/20150721.html 第2536回] - 残間里江子ブログ 駄目で元々、雨、アラレ。 2015年7月21日</ref>。}})
 
| 委員 || [[都倉俊一]] ★ || 文化WG座長<ref name="sc617"/> || [[日本音楽著作権協会]]長
 
|-
 
| colspan="2" rowspan="2" nowrap="nowrap" |<small>日本国以外の籍を有する</small><br>建築家審査委員
 
| 委員 || nowrap="nowrap" |[[リチャード・ロジャース (建築家)|リチャード・ロジャース]] || {{GBR}} || 建築家<small>(最終審査は欠席<ref name="kesseki">[http://mainichi.jp/sports/news/20131120k0000m040113000c.html 新国立競技場:英の建築家2人 デザイン審査会議を欠席] 毎日新聞 2013年11月20日</ref>)
 
|-
 
| 委員 || [[ノーマン・フォスター]] || {{GBR}} || 建築家<small>(最終審査は欠席<ref name="kesseki"/>)
 
|-
 
| colspan=2|主催者
 
| 委員 || [[河野一郎 (JOC理事)|河野一郎]] || colspan=2|[[日本スポーツ振興センター]]理事長
 
|-
 
| colspan=3|実現可能性を確認する<br>専門アドバイザー
 
| '''[[和田章]]''' || 建築構造<ref name="sc617"/><br><small>※技術調査員と兼任</small> || [[東京工業大学]]名誉教授<br>[[日本建築学会]]会長
 
|}
 
 
 
'''技術調査員'''<ref name="compenogaiyo"/>
 
*総括管理 - [[和田章]](東京工業大学) <small>※審査委員の専門アドバイザーと兼任</small>
 
*建築分野 - 【構造】三井和男(日本大学)
 
*建築設備 - 【メカニカル】藤田聡(東京電機大学)、【空調】川瀬貴晴(千葉大学、[[建築設備技術者協会]]会長)、【音響】坂本慎一(東京大学)
 
*施工・品質分野 - 野口貴文(東京大学)
 
*都市計画分野 - 関口太一([[都市計画設計研究所]])
 
*積算分野 - 木本健二(芝浦工業大学)
 
*事業計画分野 - 東一洋([[日本総合研究所]])
 
*建築法規分野 - 【防災計画】河野守(東京理科大学)
 
 
 
'''ワーキンググループ'''<ref>{{Twitter status|hangorinnokai|476753104751190016|hangorinnokai 8:49 - 2014年6月11日}}</ref><ref>[http://hangorin.tumblr.com/post/88379770906 委員名簿]</ref><ref>[http://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/toushin/__icsFiles/afieldfile/2015/09/24/1361944_2.pdf#page=25 国立競技場将来構想ワーキンググループ 施設利活用(文化)グループ委員名簿]</ref>
 
* 建築WG (座長:安藤)
 
** 安藤を含め、上の表の(施設建築)の計5名
 
* スポーツWG (座長:小倉)
 
** 18 [[矢部達三]]、[[田嶋幸三]]、[[尾縣貢]]、[[吉田秀博]]、[[銭谷眞美]]、[[傍士銑太]]、[[田口禎則]]、[[勝田隆]]、[[赤間高雄]]、[[浅川伸]]、[[池田省治]]、[[クロサカタツヤ|黒坂達也]]、[[友次康裕]]、[[松瀬学]]、[[槙英俊]]、[[阿江通良]]、[[中谷元]]、[[友近聡朗]]
 
* 文化WG (座長:都倉)
 
** 8 [[山崎芳人]]、[[田山順一]]、[[遠山豊]]、[[渡辺ミキ]]、[[残間里江子]]、[[高田佳夫]]、[[小崎宏]]、[[石原真]]
 
 
 
'''応募資格''' (1)-(3) まであり、(3)のみを抜粋<ref>[http://www.jpnsport.go.jp/corp/Portals/0/corp/pdf/120720_kokusai.compe.pdf 国際デザイン競技の手続開始の公示]</ref><ref group="注">審査委員長の[[安藤忠雄]]は、1の1)- 5)すべてで受賞歴がある。</ref>。
 
 
 
(3) 応募者の代表者若しくは構成員が次のいずれかの実績を有する者であること。
 
:1 次のいずれかの国際的な建築賞の受賞経験を有する者
 
{|
 
|- valign="top"
 
|
 
:1) [[高松宮殿下記念世界文化賞]](建築部門)
 
:2) [[プリツカー賞]]
 
:3) [[w:Royal Institute of British Architects|RIBA]](王立英国建築家協会)[[RIBAゴールドメダル|ゴールドメダル]]
 
:4) [[AIA]](アメリカ建築家協会)[[AIAゴールドメダル|ゴールドメダル]]
 
:5) [[UIA]]([[国際建築家連合]])[[UIAゴールドメダル|ゴールドメダル]]
 
|
 
:(※日本5 - [[安藤忠雄|安藤]] [[槇文彦|槇]] [[伊東豊雄|伊東]] [[谷口吉生|谷口]]<ref group="注" name="tange">故人では[[丹下健三]]も。</ref>)
 
:(※日本7 - 安藤 槇 伊東 [[妹島和世|妹島]]/[[西沢立衛|西沢]] [[坂茂|坂]]<ref group="注" name="tange"/>)
 
:(※日本4 - 安藤 {{0|00}} 伊東 [[磯崎新|磯崎]]<ref group="注" name="tange"/>)
 
:(※日本3 - 安藤 槇<ref group="注" name="tange"/>)
 
:(※日本2 - 安藤 槇)
 
|}
 
:2 収容定員1.5万人以上のスタジアム(ラグビー、サッカー又は陸上競技等)の基本設計又は実施設計の実績を有する者
 
:なお、実績を有する場合には、その基本設計又は実施設計において、管理技術者又は建築意匠に関する主任技術者として主要な役割を果たした者であることを要する。
 
 
 
締切の[[2012年]]9月25日までに計46作品(国内12点 / 海外34点)が集まり、同[[10月30日]]に1次審査に残った11点<ref>[http://2020-tokyo.sakura.ne.jp/_src/sc1191/91e682r89f190r8db888cf88f589ef.pdf 新国立競技場基本構想国際デザイン競技 第三回審査委員会 資料] - 神宮外苑と国立競技場を未来へ手わたす会</ref> の作品が発表された。応募期間が短かったことから安藤委員長が海外の著名建築家らに直接メールを送ってコンクールを告知もした<ref name="kangaeru"/>。同[[11月15日]]に最終審査結果が発表され、[[ザハ・ハディド]]が経営するイギリスの建築設計事務所ザハ・ハディド・アーキテクトのデザインが「最優秀賞」、オーストラリアのコックス・アーキテクチャーが「優秀賞」、日本の[[SANAA]]および[[日建設計]]が「入選」を受賞した<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK1402U_U2A111C1000000/ 国立競技場、1300億円で建て直し 英建築家案を採用] 日本経済新聞 2012年11月15日</ref>。[[2013年]]3月19日の表彰式には、関係者のほか[[義家弘介]](文部科学大臣政務官)や[[SPORTS JAPAN アンバサダー]]らも招かれた<ref>[http://www.jpnsport.go.jp/newstadium/Portals/0/compe/20140530_compereport_5_hyoshoshiki.pdf V 表彰式]</ref>。ザハ・ハディドには賞金の2000万円が贈られ、基本設計・実施設計・施工のそれぞれの段階で「監修」に当たることになった(後に監修料13億円を支払うデザイン監修契約も結ばれるに至った<ref>[http://www.tokyo-sports.co.jp/blogwriter-watanabe/24516/ ラグビーW杯に間に合わない!?新国立“リスク判定”へ①]『東スポweb』2014年9月26日</ref>)。なお、コンペでは「実施設計者」は選ばれなかった<ref name="monthly">[http://10plus1.jp/monthly/2014/11/pickup-01.php 新国立競技場の議論から東京を考える] 10+1 web site</ref>。
 
 
 
応募期間が約2か月しかなかったことについて、2次審査まで残った[[渡辺邦夫]]は、「コンペ自体が実際に作る競技場の案を募るためではなく、IOCに開催を認めてもらえる案を決めるために行われた」との見解を示した。IOCへの計画書提出期限は2013年1月に迫っていた<ref>[http://www.gruri.jp/article/2015/06220815/ 奇矯「女性建築家」の奇天烈「新国立競技場」にGOサインを出した「安藤忠雄」の罪] 矢来町ぐるり 週刊新潮 2015年6月18日号</ref>。
 
 
 
審査員だった[[内藤廣]]も一個人の見解として2013年、「世論喚起を急ぐあまり、広告代理店による誤解を招くような事前の情報発信があったこと」を反省点に挙げた<ref>[http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/building/news/20131209/643769/?ST=print09 内藤廣が新国立騒動にもの申す「ザハに最高の仕事を」<追加情報あり>] 日経BP社 ケンプラッツ 修正:2013.12.16</ref>。内藤は翌2014年、シンポジウム「新国立競技場の議論から東京を考える」の場で、同席したザハ案に異議を唱え続ける[[槇文彦]]らに対し、当時コンペの応募資格を[[日本建築家協会]]の新人賞受賞者や[[日本建築学会]]の受賞者などまで広げるべきではと主張したが実現しなかったことを、打ち明けた(前記の一覧のように個人による応募資格のハードルは高かった)<ref name="monthly"/><ref name="world201410">[http://world-architects.blogspot.jp/2014/10/nationalstadium-symposium.html 槇文彦、内藤廣らが登壇 シンポジウム「新国立競技場の議論から東京を考える」レポート] japan-architects.com 2014年10月3日</ref>。内藤は審査で唯一、ザハ案建設費用についての懸念を示していた<ref>[http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3682_all.html No.3682“迷走” 新国立競技場] - NHK [[クローズアップ現代]] 2015年7月8日放送</ref>。
 
 
 
また同年7月には(2013年11月に続き<ref>[https://web.archive.org/web/20131110104607/http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013110902000134.html 建設範囲大きく超過 新国立競技場デザイン] 東京新聞(TOKYO Web) 2013年11月9日 朝刊</ref>)、応募時のハディドの案が公募条件の建設範囲を逸脱していたものの、事後修正すれば良いと[[日本スポーツ振興センター|JSC]]にみなされたことが、[[東京新聞]]によって報道された<ref>[https://web.archive.org/web/20140715104326/http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014071402000115.html 新国立競技場 応募時 高さ条件10メートル超す] 東京新聞(TOKYO Web) 2014年7月14日 朝刊</ref>。
 
 
 
なお、[[芦原太郎]]([[日本建築家協会]]長)によると、ザハ・ハディドは新国立競技場の設計者ではなく'''デザイン監修者'''であり、設計は日本の設計者が担当するという、設計責任を負わない形式になっているという<ref>[http://www.umashi-kuni.com/ashihara.htm 2020東京デザインアドバイス機構の提案(要約) 芦原太郎氏] - 2020東京五輪・パラリンピックへ、そしてその後 シンポジウム「レガシー・プランを考える」2014年6月16日、東海大学校友会館(NPO法人 美し国づくり協会)</ref>。
 
 
 
=== 全46作品の一覧 ===
 
*応募全46作品(★は最終選考の11作品<ref>[http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/building/news/20121030/589409/?ST=print 新国立競技場コンペ、11点が最終審査に] - 日経BP社 ケンプラッツ、2012/10/31</ref>。数字は「作品番号」)<ref>[http://www.jpnsport.go.jp/newstadium/Portals/0/compe/20140530_compereport_2_obosakuhin_1.pdf II 応募作品紹介46作品(登録順)-1/2] PDF</ref><ref>[http://www.jpnsport.go.jp/newstadium/Portals/0/compe/20140530_compereport_2_obosakuhin_2.pdf II 応募作品紹介46作品(登録順)-2/2] PDF</ref><ref>[http://www.jpnsport.go.jp/newstadium/Portals/0/compe/20140530_compereport_4_nyushosakuhin.pdf IV 入賞作品] PDF</ref>
 
 
 
{| class="sortable wikitable" border="1" style="border-collapse:collapse; font-size:90%;" cellpadding="1" cellspacing="1"
 
! !! !! 応募者(企業名) !! 所在国 !! 代表者
 
|-
 
| || {{0}}1 || Jackson Architecture
 
| {{Flagicon|AUS}} [[オーストラリア|豪州]] || Matthew Drysdale
 
|-
 
| ★ || '''{{0}}2 || '''優秀賞''' Cox Architecture
 
| {{Flagicon|AUS}} [[オーストラリア|豪州]] || Alastair Richardson
 
|-
 
| || {{0}}3 || U+EA (Derek Wilson Architects + Atelier Ashley Munday)
 
| {{GBR}} || Mr. Ashley Munday
 
|-
 
| || {{0}}4 || Herzog & de Meuron Basel Ltd
 
| {{SWI}} || Mr. Stefan Marbach, Partner Herzog & de Meuron
 
|-
 
| || {{0}}5 || Antoine Predock Architect PC
 
| {{Flagicon|USA}} [[アメリカ合衆国|米国]] || [[w:Antoine Predock|Antoine Predock]], FAIA
 
|-
 
| || {{0}}6 || COOP HIMMELB(L)AU Wolf D.Prix & Partner ZT GmbH
 
| nowrap="nowrap" |{{AUT}}|| [[:de:Wolf D. Prix|Wolf D.Prix]]
 
|-
 
| || {{0}}7 || SV60 arquitectos
 
| {{ESP}} || Antonio González Cordón
 
|-
 
| || {{0}}8 || stadiumconcept design consulting
 
| {{GER}} || dipl. ing. architect peter knoebel
 
|-
 
| ★ || {{0}}9 || [[POPULOUS (設計事務所)|POPULOUS]]<ref group="注">2012年の[[ロンドン・スタジアム|ロンドン・オリンピック・スタジアム]]を設計した。</ref>
 
| {{GBR}} || [[w:Rod Sheard|ROD SHEARD]]
 
|-
 
| || 10 || Heery International, Inc.
 
| {{Flagicon|USA}} [[アメリカ合衆国|米国]] || Michael Holleman
 
|-
 
| || 11 || Andrea Maffei Architects s.r.l. / Yoshino Hiroshi Architect Office / Studio Tecnico Majowiecki / Kankyo-Engineering Co., Ltd.
 
| {{ITA}} || [[w:Andrea Maffei (architect)|Andrea Maffei]]
 
|-
 
| ★ || 12 || [[UNスタジオ|UNStudio]] / [[山下設計|Yamashita Sekkei Inc.]]
 
| {{NED}} || UNStudio VAN BERKEL EN BOS U.N. STUDIO B.V
 
|-
 
| || 13 || Architectural Systems Office
 
| {{SWI}} || Josep Acebillo
 
|-
 
| || 14 || MOREAU KUSUNOKI / Egis Batiment International
 
| {{FRA}} || Nicolas MOREAU
 
|-
 
| || 15 || DE LA CARRERA CAVANZO + MEMA ARQUITECTOS
 
| {{COL}} || Fernando de la Carrera (De la Carrera Cavanzo)
 
|-
 
| || 16 || 李祖原総合建築師事務所 / 環境設計研究室 / ムダン空間工作所 / Gerd Zimmermann
 
| {{TWN}} || [[w:C. Y. Lee|李祖原]]
 
|-
 
| ★ || '''17 || '''最優秀賞''' '''Zaha Hadid Architects'''
 
| {{GBR}} || '''[[ザハ・ハディッド|Zaha Hadid]]'''
 
|-
 
| || 18 || Crawford Architects
 
| {{Flagicon|USA}} [[アメリカ合衆国|米国]]  || David Murphy
 
|-
 
| || 19 || Rafael Viñoly Architects
 
| {{Flagicon|USA}} 米国  || Rafael Viñoly
 
|-
 
| || 20 || David Chipperfield Architects Gesellschaft von Architekten mbH
 
| {{GER}} || Harald Müller
 
|-
 
| || 21 || FMA, Farshid Moussavi Architect + KSS Group
 
| {{GBR}} || Farshid Moussavi
 
|-
 
| || 22 || IDEA IMAGE INSTITUTE OF ARCHITECTS (IIIA)
 
| {{KOR}} || CHUL-HEE KANG
 
|-
 
| || 23 || 黒川・DNA・オリエンタルコンサルタンツ・ナインステップス設計共同企業体
 
| nowrap="nowrap" |{{JPN}}・東京 || [[黒川未来夫]]<ref group="注">故・[[黒川紀章]]の長男。</ref>
 
|-
 
| ★ || 24 || TABANLIOĞLU Architects Consultancy Limited Company
 
| {{TUR}} || İhsan Murat Tabanlıoğlu
 
|-
 
| || 25 || (株)[[昭和設計 (建築設計事務所)|昭和設計]]
 
| {{JPN}}・大阪 || [[沼田亘]]
 
|-
 
| ★ || 26 || DORELL.GHOTMEH.TANE / ARCHITECTS & A+ARCHITECTURE
 
| {{FRA}} || [[田根剛]]<ref>[http://2009.dezain.net/2012/22336.html vol.5 田根剛 追加インタビュー「新国立競技場コンペ案について」] - dezain.net • ここからの建築、2012年11月26日</ref>
 
|-
 
| || 27 || 劉培森建築師事務所
 
| {{TWN}} || [[:zh:劉培森|劉培森]]
 
|-
 
| || 28 || (株)[[遠藤秀平]]建築研究所+Schulitz+Partner Architects
 
| {{JPN}}・大阪 || [[遠藤あおい]]
 
|-
 
| || 29 || 坂茂建築設計 / Atelier Frei Otto + Partne / 松田平田設計
 
| {{JPN}}・東京 || [[坂茂]]<ref>[http://president.jp/articles/-/12514?page=3 「建築界のノーベル賞」が志向する、建築家の大切な使命とは プリツカー賞建築家・坂茂氏インタビュー <前編>] - [[プレジデント社|PRESIDENT]] Online スペシャル、2014年5月9日</ref>
 
|-
 
| || 30 || Xaveer De Geyter Architecten B.V.B.A
 
| {{BEL}} || Xaveer De Geyter
 
|-
 
| || 31 || (株)針生承一建築研究所
 
| {{JPN}}・宮城 || [[針生承一]]
 
|-
 
| ★ || 32 || (株)[[梓設計]]
 
| {{JPN}}・東京 || [[杉谷文彦]]
 
|-
 
| ★ || 33 || 伊東豊雄建築設計事務所
 
| {{JPN}}・東京 || [[伊東豊雄]]
 
|-
 
| ★ || '''34 || '''入選''' (有)[[SANAA]]事務所 + (株)[[日建設計]]
 
| {{JPN}}・東京 || [[妹島和世]]
 
|-
 
| ★ || 35 || gmp・International GmbH
 
| {{GER}} || Hubert Nienhoff
 
|-
 
| || 36 || (株)[[佐藤総合計画]]
 
| {{JPN}}・東京 || [[細田雅春]]
 
|-
 
| ★ || 37 || (株)[[仙田満|環境デザイン研究所]]
 
| {{JPN}}・東京 || [[仙田順子]]
 
|-
 
| || 38 || Pelli Clarke Pelli Architects & Kume Sekkei
 
| {{Flagicon|USA}} [[アメリカ合衆国|米国]] || Cesar Pelli
 
|-
 
| || 39 || (株)鶴岡・泉・吉田建築設計室
 
| {{JPN}}・東京 || [[鶴岡謙臣]]
 
|-
 
| || 40 || SOUTO MOURA - ARQUITECTOS, S.A.
 
| {{POR}} || EDUARDO SOUTO DE MOURA
 
|-
 
| || 41 || DiG Sowińscy Architekci Sp. J.(+Szymon Kalata Studio Kalata+Przemysław Tymoszuk VIVA ARQUITECTURA!)
 
| {{POL}} || Grzegorz Sowiński
 
|-
 
| || 42 || Zwarts & Jansma Architects
 
| {{NED}} || R. Torsing MSc.
 
|-
 
| || 43 || EGA_ERIK GIUDICE ARCHITECTURE
 
| {{FRA}} || [[:sv:Erik Giudice|Erik Giudice]]
 
|-
 
| || 44 || (株)I・I・E国際環境研究所、(株)[[中田捷夫]]研究室、(株)テーテンス事務所、(株)アトリエテン
 
| {{JPN}}・東京|| [[左高啓三]]<!--左髙-->
 
|-
 
| || 45 || M. Arthur Gensler Jr & Associates, Inc.
 
| {{Flagicon|USA}} 米国 || Ron Turner
 
|-
 
| || 46  || Jakupa Architects & Urban Designers in association with Tsai Design Studio
 
| {{Flagicon|RSA}} [[南アフリカ共和国|南アフリカ]] || Pragasen Pather
 
|}
 
 
 
=== 白紙撤回後 ===
 
[[2015年]]7月8日、[[新国立競技場#有識者会議|有識者会議]]の第6回にて、総工費2520億円の現計画を承認、今年10月の着工が決まった<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/feature/TO000299/20150707-OYT1T50164.html 新国立、増額要因やはり「特殊性」…計画案承認] - 読売新聞、2015年7月8日</ref>。しかし、7月17日、[[安倍晋三]]首相が「現在の計画を白紙に戻し、ゼロベースで計画を見直す」ことと、予定していた[[ラグビーワールドカップ2019|ラグビーW杯]](2019年9月)の新国立での開催断念を表明。その理由に、コストの大幅な膨らみ、国民・アスリートたちからの大きな批判を挙げた<ref>[http://www.ntv.co.jp/pda/news/304629.html 「白紙に戻す」安倍首相が表明] - 日テレ、2015年7月18日</ref>。
 
 
 
再コンペを実施し、計2案(A・B)の応募があり、[[12月22日]]、[[大成建設]]・[[梓設計]]・[[隈研吾]]のチームによるA案(総整備費約1490億円)に「優先交渉権者」が決定された<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG21HD5_S5A221C1MM0000/ 僅差でA案に選定] - 日本経済新聞、2015年12月22日</ref>。隈は2016年2月時点で、旧国立の壁画のうち、[[野見宿禰]]と[[ニケ]]の2点を入場口に設置する意向であることを表明している<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/culture/20160203-OYT1T50164.html 新国立に「野見宿禰」壁画設置…設計の隈氏意向] - 読売新聞、2016年2月4日</ref>。
 
 
 
== 脚注 ==
 
=== 出典 ===
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{Reflist|2}}
 
 
 
=== 注釈 ===
 
{{Reflist|2|group="注"}}
 
 
 
=== 参考文献 ===
 
* 『国立競技場の100年:明治神宮外苑から見る日本の近代スポーツ』 [[後藤健生]]:編著、[[ミネルヴァ書房]]、2013年
 
* 『SAYONARA国立競技場56年の軌跡』 [[日本スポーツ振興センター]]:編著、[[朝日新聞出版]]、2014年
 
 
 
== 関連項目 ==
 
{{Commonscat}}
 
* [[国立競技場]]
 
* [[国立霞ヶ丘競技場]]
 
* [[新国立競技場]]
 
** [[秩父宮ラグビー場]]
 
* [[国立代々木競技場]]
 
* [[国立西が丘サッカー場]]
 
* [[明治神宮野球場]]
 
* [[長谷川路可]] - メインスタンドの壁画の作者
 
* [[明治神宮外苑]]
 
* [[秩父宮記念スポーツ博物館]]
 
 
 
== 外部リンク ==
 
*[http://www.jpnsport.go.jp/kokuritu/ 国立競技場]
 
*[http://www.kotsu.metro.tokyo.jp/u1/toei/ekijyoho.jsp?spotcd=3090000014 東京都交通局による国立競技場駅及び周辺の案内]
 
*[http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=914 えきネットによる千駄ヶ谷駅の案内]
 
*[http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=798 えきネットによる信濃町駅の案内]
 
*[http://www.nhk-g.co.jp/program/documentary/2013/062/index.html NHKグローバルメディアサービス・「名勝負!国立競技場物語」]
 
 
 
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{{Succession box|title=[[国民体育大会]]<br />主競技場|before=[[富山県五福公園陸上競技場|県営陸上競技場]]<br />([[富山市]])|after=[[熊本市水前寺競技場|水前寺陸上競技場]]<br />([[熊本市]])|years=[[第14回国民体育大会|東京国体]]}}
 
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[[Category:現存しない日本のサッカー競技施設]]
 
[[Category:現存しない日本のサッカー競技施設]]

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1958年に設立された諸競技施設。独立行政法人日本スポーツ振興センターが運営している。明治神宮外苑の霞ヶ丘競技場をはじめ代々木競技場 (プールを含む屋内総合競技場) ,同別館 (バスケットボールのコートなど) ,秩父宮ラグビー場 (テニスコートを含む) ,西が丘競技場 (サッカー場,体育館) ,戸田艇庫などの諸施設がある。これら諸施設はそれぞれ公式競技会に使用されるほか,各種の競技会や運動会,レクリエーションのためにも開放されている。



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