「大韓民国の国旗」の版間の差分

提供: miniwiki
移動先:案内検索
(1版 をインポートしました)
(内容を「{{国旗 |画像={{Flagicon|KOR|size=260px}} |用途及び属性={{FIAV|111111}} |縦横比=2:3 |制定日=初代<ref>「国旗製作法」に基づく規定の公布日…」で置換)
(タグ: Replaced)
 
15行目: 15行目:
 
|alphabet=Taegeukgi
 
|alphabet=Taegeukgi
 
}}
 
}}
'''[[大韓民国]]の[[国旗]]'''(だいかんみんこくのこっき)は、'''太極旗'''(たいきょくき・テグッキ)という名称の[[旗]]である。白地の中央に置かれた赤と青の2色からなる「[[陰陽]]」で「[[太極]]」を表し、その周囲四隅に「[[卦]]」が配置されたデザインとなっている。太極旗の名称・デザイン・用法は大韓民国の[[法令]]によって定められており、太極の青色部を上にして旗を掲揚するのは逆さであり誤りである。
+
'''[[大韓民国]]の[[国旗]]'''(だいかんみんこくのこっき)
  
太極旗は、[[李氏朝鮮]]([[高宗 (朝鮮王)|高宗]])時代の[[1883年]][[旧暦]][[1月27日 (旧暦)|1月27日]]に朝鮮国の国旗として初めて公布され、[[朝鮮独立運動]]を通じて[[朝鮮民族]]を[[象徴]]する旗として認知された。その後、[[1948年]][[8月15日]]に大韓民国が独立を果たすと、[[1949年]][[10月15日]]に大韓民国の国旗として[[法令]]でデザインが確定した。この頁では、大韓民国の国旗として制定されるまでの太極旗の歴史についても記述する。
+
'''太極旗'''(たいきょくき・テグッキ)という名称の[[]]
  
== 太極旗の歴史 ==
+
白地の中央に置かれた赤と青の2色からなる「[[陰陽]]」で「[[太極]]」を表し、その周囲四隅に「[[卦]]」が配置されたデザインとなっている。
<gallery>
 
ファイル:Flag of the king of Joseon.svg|{{FIAV|historical|}}[[李氏朝鮮|朝鮮国]][[朝鮮国王の廟号と諡号の一覧|国王]]の御旗「太極八卦図」(1392年?―1910年)
 
ファイル:Ensign of the Joseon Navy.svg|{{FIAV|historical|}}朝鮮国国軍の[[軍旗]]・坐纛旗(チャドギ:1392年?―1910年?)
 
ファイル:Flag of Korea 1882.svg|{{FIAV|historical|}}現存する史料で確認できる最古の太極旗(1882年?)<!--国旗として使われたか否かについては記録なし。-->
 
ファイル:1882년 11월작 태극기.jpg|1882年11月に描かれた太極旗の作成図([[イギリス国立公文書館]]所蔵)
 
ファイル:Flag of Korea (1899).svg|{{FIAV|historical|}}[[大韓帝国]]で使われた太極旗の一例(1897年 - 1910年)
 
ファイル:Flag of Korea (1888–1893).svg|[[大韓民国登録文化財]]第382号:「デニーの太極旗」(1890年)<!--後述の朝鮮日報の記事に掲載された写真とは表裏逆に描かれている。-->
 
ファイル:Flag of the Provisional Government of the Republic of Korea.svg|{{FIAV|historical|}}[[大韓民国臨時政府]]で使われた太極旗の一例(1919年 - 1945年)
 
ファイル:Flag of the Provisional Government of the Republic of Korea (1919).svg|{{FIAV|historical|}}[[大韓民国臨時政府]]で使われた太極旗の一例(1919年 - 1945年)
 
ファイル:Korea Independence Army Marching Flag.svg|{{FIAV|historical|}}[[光復軍]]の進軍旗。臨時政府制定の規格で太極旗を描いている。(1942年 - 1945年)
 
ファイル:Flag of South Korea (1945-1948).svg|{{FIAV|historical|}}[[朝鮮人民共和国]]<!--詳細な記録なし。-->、及び[[連合軍軍政期 (朝鮮史)|アメリカ占領時代]]の[[朝鮮]]で使われた太極旗の一例(1945年 - 1948年)
 
ファイル:Flag of the Provisional People's Committee for North Korea.svg|{{FIAV|historical|}}[[北朝鮮人民委員会]]が使用した太極旗(1946年 - 1948年)
 
ファイル:Flag of South Korea (1948).svg|{{FIAV|historical|}}製作方法が統一されるまで大韓民国で使われた太極旗(1948年 - 1949年)
 
ファイル:Flag of South Korea (1984-1997).svg|{{FIAV|historical|}}「国旗製作法」の規定に依る大韓民国の太極旗(1949年 - 1997年)
 
ファイル:Flag of South Korea.svg|法規定の変更に従い修正された大韓民国の太極旗(1997年 - 現行)
 
<!--[[朝鮮人民共和国]]と[[連合軍軍政期 (朝鮮史)]]に国旗があったのか不明瞭。後者は[[在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁]]の旗があればそれを掲載か。-->
 
</gallery>
 
=== 誕生から国旗制定へ至る経緯 ===
 
[[ファイル:Flag of the Qing Dynasty (1862-1889).svg|thumb|300px|[[画像:FIAV historical.svg|23px|現在使われていない歴史的な旗]][[黄遵憲]]が朝鮮国旗として使うことを主張した[[1880年]]当時の[[清国]]・黄龍旗(国旗)。後に[[李鴻章]]は[[中国の竜#竜の描写|爪の数を四つに減らした龍]]を国旗とするよう指示した。]]
 
[[ファイル:Samtaegeuk with Fu Hsi's 8 trigrams.svg|thumb|300px|参考用:[[八卦]]に[[太極図]]を組み合わせた図。[[馬建忠]]が提唱した国旗図案は太極が[[:en:Sam-taegeuk|三太極]]では無く[[太極図#陰陽魚|陰陽魚]]であり、[[卦]]の配置も異なっている<ref>卦の配置は真上から時計回りに「[[乾]]・[[兌]]・[[坎]]・[[艮]]・[[坤]]・[[震]]・[[離]]・[[巽]]」となっている。</ref>。馬建忠の国旗図案は「{{Harvnb|韓洪九|2003|p=57}}」、及び「{{仮リンク|ハンギョレ21|ko|한겨레21}}が2002年に配信したオリジナル記事<ref>[http://h21.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/5504.html [제415호] 태극기는 정말 민족의 상징인가](ハンギョレ21 2002年6月26日配信記事)</ref>にて閲覧できる。]]
 
[[ファイル:Taegukgi.jpg|thumb|300px|[[画像:FIAV historical.svg|23px|現在使われていない歴史的な旗]]『''Flags of the Maritime Nations'', 5th.ed., Bureau of Navigation, Secretary of the Navy, Washington.D.C., july 1882』に収録された「Corea」の「ensign」。49ヶ国150旗の1つとして掲載されている。2003年にソウルの古書店ARTBANKが入手した。その刊行年が正しければ、現存する資料の中で最も早く太極旗を伝えたものとなる。]]
 
太極旗を初めて[[国旗]]として使用したのは朝鮮国([[李氏朝鮮]])である。だが、李氏朝鮮が太極旗を自国の国旗とするまでの経緯については史料毎に差異があり、不明確な点が残っている。
 
  
[[1875年]]に[[江華島事件]]が勃発した時点で、李氏朝鮮にはまだ国旗が無かった<ref>{{Harvnb|韓洪九|2003|p=54}}</ref>。その後、李氏朝鮮の国旗制定が具体的な問題として浮上したのは、[[1880年]]に[[日本]]から帰国した修信使・{{仮リンク|金弘集 (1842年)|label=金弘集|ko|김홍집 (1842년)}}らが、[[清国]]の駐日公使館参事官・[[黄遵憲]]によって書かれた『[[朝鮮策略]]』を持ち帰ってからである。『朝鮮策略』は[[ロシア帝国|ロシア]][[南下政策]]に対して朝鮮が[[アメリカ合衆国|アメリカ]]と連合すべきとする書物であるが、ここで初めて朝鮮の国旗の図案についての言及があり、朝鮮が清の[[属国]]であることを強調するため、[[中国の旗一覧#歴代の国旗|清国国旗]](黄龍旗)をそのまま朝鮮国旗として使用することを主張した。そこで、李氏朝鮮は国旗制定にあたり、どの色の龍旗が良いか清国の助言を求めたところ、[[北洋大臣]]の[[李鴻章]]から「朝鮮国王の御旗である『龍を描いた四角い旗』<ref>当時、朝鮮には[[儀仗]]用の旗として「黄龍旗」(황룡기)という清国国旗とは同名別個の旗があった。旗の全体図は、[[ソウル大学校]][[奎章閣]]韓国学研究院が[http://kyujanggak.snu.ac.kr/dohae/sub/subjectDetail.jsp?no=D1658&code1=4&code2=0 ホームページで公開している]。また、「黄龍旗」に描かれた龍の詳細は、[[コリア・タイムス]][[2011年]][[12月30日]]付で配信した記事「[http://www.koreatimes.co.kr/www/news/nation/2011/12/113_101898.html Year of Black Dragon]」に載っている。</ref>(畫龍方旗<ref>[https://books.google.co.jp/books?id=xXTHCgAAQBAJ&pg=PA478&lpg=PA478&dq=%E7%95%AB%E9%BE%8D%E6%96%B9%E6%97%97&source=bl&ots=rr2CtAw9i-&sig=O015cQen3ZY4CDsK-5s1xHnPzHw&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwjlgpzq8_DUAhUIfLwKHV5lDYUQ6AEIJTAA#v=onepage&q=%E7%95%AB%E9%BE%8D%E6%96%B9%E6%97%97&f=false 清季中日韓關係史料-第二卷: - 478 ページ]著者:[[中央研究院]]近代史研究所([[Google ブックス]]にて公開)</ref>)が清の黄龍旗と似ているのでこれを国旗として使用すればよい」という詔書を下賜された<ref>{{Harvnb|韓洪九|2003|p=55}}</ref>。その際、[[中国の竜#竜の描写|五爪龍]](爪が五つの龍)は[[天子]][[中国帝王一覧|中国皇帝]])の象徴であるため、[[冊封国]]である朝鮮は旗に描く龍の爪を四つにするよう具体的に指示されてたが、李氏朝鮮は最終的に龍旗を国旗として用いなかった<ref>{{Harvnb|韓洪九|2003|p=55}}</ref>。
+
太極旗は、[[李氏朝鮮]][[高宗 (朝鮮王)|高宗]])時代の[[1883年]][[旧暦]][[1月27日 (旧暦)|1月27日]]に朝鮮国の国旗として初めて公布され、[[朝鮮独立運動]]を通じて[[朝鮮民族]][[象徴]]する旗として認知された。その後、[[1948年]][[8月15日]]に大韓民国が独立を果たすと、[[1949年]][[10月15日]]に大韓民国の国旗として[[法令]]でデザインが確定した。
  
具体的な国旗の図案について最初の議論が行われたのは、[[1882年]]に清国から[[米朝修好通商条約]]締結を斡旋するため訪朝した[[馬建忠]]が、条約の締結式で使う李氏朝鮮の国旗を巡って李朝官吏と会談した時である。その筆談の内容を記録した『清国問答』によると、[[5月22日]]([[旧暦]][[4月6日 (旧暦)|4月6日]])に行なわれる米朝修好通商条約の締結式にあわせ、李朝官吏の{{仮リンク|李応浚|label=李應浚|ko|이응준 (조선)}}が金弘集の指示を受け前日に国旗の図案を作成していた。だが、締結式当日に馬建忠は{{仮リンク|申ホン|label=申櫶|ko|신헌}}と会談し、李應浚の国旗案と黄龍旗をそのまま朝鮮国旗とする案を否定した上で、[[韓服|朝鮮人の服]]色である民の白、臣の青、王の赤にちなんだ「白底青雲紅龍」の図案を提案した<ref>《舊韓國外交文書》第10卷(出版:[[高麗大学校|高麗大學校]]亞細亞問題研究所,1973年発行),《美案》1,第12—13頁。</ref>。実際に朝鮮国旗として馬建忠の提案した旗が締結式で使われたかは不明だが<ref name=government>[http://www.moi.go.kr/frt/sub/a06/b08/nationalIcon_2/screen.do 국가상징>국기(태극기)][[行政自治部]]公式ホームページより。</ref>、締結式後の[[5月27日]]([[旧暦]][[4月11日 (旧暦)|4月11日]])に李朝側は青雲と紅龍は作るのに手間がかかるため、赤地に青と白が交わった円の図案はどうかと馬建忠へ提議し、これに対して馬建忠から個人的意見として地は白地の中央に半紅半黒の太極の印を置き、その周囲に[[朝鮮八道]]を象徴する[[八卦]]を配した[[太極図|古太極図]]の図案を提唱されている<ref>《舊韓國外交文書》第10卷(出版:高麗大學校亞細亞問題研究所,1973年発行),《美案》1,第14頁。</ref>。この馬建忠による太極八卦の国旗デザインは李朝側に受け入れられ、後の大韓民国国旗の雛形となっていった事から、韓国の歴史研究家である[[韓洪九]]は「太極旗のデザイナーは馬建忠」としている<ref>{{Harvnb|韓洪九|2003|p=55}}</ref>。
+
{{テンプレート:20180815sk}}
 
 
朝鮮の国旗として用いられた旗を最初に確認することができるのは、1882年9月に[[朴泳孝]]が訪日した時である。同年7月の[[壬午事変]]を機に、李氏朝鮮は[[日本]]との間で[[済物浦条約]]を締結し、その規定に従い謝罪の使節(特命全権大使兼[[朝鮮修信使]])として[[朴泳孝]]らを日本へ派遣した。その際、朴泳孝は約4ヶ月間に渡る訪日中の出来事を[[日記]](『使和記略』)として記しており、その中に太極旗の図案変更の経緯に関する記述がある。『使和記略』によると、[[9月20日]]([[旧暦]][[8月9日 (旧暦)|8月9日]])に[[仁川広域市|仁川]]から日本船籍の明治丸に乗り日本へと向かった朴泳孝らは、当初馬建忠が提唱した[[太極]]文様の周りに[[八卦]]を描いた[[太極図]]の旗を持っていた。しかし、朴泳孝が船内で[[イギリス]][[領事]]の[[ウィリアム・ジョージ・アストン|W. G. アストン]]と[[イギリス人]]船長ジェームスに対し、八卦と太極文様を描いた太極図を見せ国旗としての出来について相談した所、船長から「八卦が複雑で区別しにくく他国がこれを見て作るのに不便である」と助言を受けた。そのため、朴泳孝は八卦から四卦を削り、残りの四卦を45°傾けて四隅に配した図案を提案し、船中で大・中・小3本の太極旗を作ったという。[[9月25日]]([[8月14日 (旧暦)|8月14日]])に[[神戸市|神戸]]へ到着した一行は宿泊先の西村屋で初めて完成した太極旗を掲げ、[[10月3日]]([[8月22日 (旧暦)|8月22日]])には太極旗小本と共に国旗制定を本国に報告したとされる<ref>[http://db.history.go.kr/item/level.do?sort=levelId&dir=ASC&start=1&limit=20&page=1&setId=5&prevPage=0&prevLimit=&itemId=sa&types=&synonym=off&chinessChar=on&levelId=sa_010_0070_0010_0020&position=3 9집 修信使記錄(한국사료총서 제9집)  >  使和記略  >  高宗 19年 壬午  >  高宗 19年 壬午 八月](全文は、[[国史編纂委員会]]の[http://db.history.go.kr/ 韓国史データーベース]にて公開されている。)</ref>。
 
 
 
ただし、日本の[[日刊新聞]]「[[時事新報]]」は[[1882年]][[10月2日]]付の紙面でこの太極旗を紹介しているが、太極旗を国旗とした経緯について『清国問答』とは異なる内容を掲載している。
 
{| class="wikitable"
 
|-
 
|
 
「...馬建忠が朝鮮の國旗は支那に從ひ三角形の靑地に龍を書くべし本國支那は黃色を用るども朝鮮は支那の東方に當る邦たるを以て東は靑色を貴ぶの意により靑地を用ふべしと指示したるに國王は大に之を憤み決して支那の國旗に倣ふべからぬとして四角形の玉色地に太極の圖(二つ巴繪)を靑赤にて書き旗の四隅に東西南北の易卦を附けたるを自今朝鮮の國旗と定むる旨沙汰せられたりとあり...」
 
; 大意
 
: 「...([[清国]]の)[[馬建忠]]が「朝鮮の国旗は[[中国の旗一覧#歴代の国旗|清国の国旗]]に倣って三角形の青字に[[龍]]を描いたものにすべきである。清の国旗は黄色であり、朝鮮は清の東方に位置する国であるため、東を表す青色を旗の地色にすべきである<ref>[[中国哲学]]の[[五行思想]]では[[五色]]と[[五方]]が密接に関わっていると考えており、[[黄色]]は[[中央]]([[中国]])を、[[青色]]は[[東]]([[東夷]])を象徴するとされていた。</ref>。」と指示した。これに対し国王([[高宗 (朝鮮王)|高宗]])は大いに憤慨し、絶対に清国の国旗を真似ないと言って、「[[ヒスイ|玉]]色地に[[二つ巴]]の[[太極図]]を[[青色]]・[[赤色]]で描き、四隅に東西南北を表す[[易卦]]を配置した旗を今後は朝鮮の国旗と定める」と決められた。...」
 
|-
 
|}
 
また、[[2004年]]に発見された[[1882年]][[7月]]発行の冊子『海上国家の旗』(''Flags of Maritime Nations'') 第5版<ref name=flag>[[アメリカ海軍|米海軍省]] (Navy Department) の航海局 (Bureau of Navigation) が発行した冊子。その内容は[[Open Library]]にて公開されている。該当ページは、Flags of Maritime Nations 第5版31ページ。 http://www.archive.org/stream/flagsofmaritimen00unitrich#page/n29/mode/2up</ref>にはCorea(朝鮮)の「ensign」([[エンサイン]])として太極の印と四つの卦から成る旗が収録されており、『使和記略』に描かれた太極旗制定の経緯(1882年9月)と時期が合わない。[[大韓民国|韓国]]では、「『海上国家の旗』の「ensign」は李應浚が創案して米朝修好通商条約の締結式で使われた朝鮮初の国旗である。」と民間の研究者が主張しており<ref>[http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2008/05/29/2008052901794.html "태극기 창안자는 박영효 아닌 이응준"]([[朝鮮日報]]2008年5月29日配信記事)</ref>、韓国を代表する[[百科事典]]である[[斗山世界大百科事典]]は「[[江華島条約]]締結後、李朝は[[1881年]]に[[忠清道]]の[[観察使]]だった李淙遠(이종원)が提出した太極八卦の図式を最初の国旗に定めた。だが、実際に初めて使用された太極旗は、[[米朝修好通商条約]]([[1882年]])の際に[[通訳]]の李應浚が金弘集の命を受け作成したものである。」としている<ref>[http://terms.naver.com/entry.nhn?docId=1177249&cid=40942&categoryId=34708 대한민국의 국기][[斗山世界大百科事典]]</ref>。韓国政府([[行政自治部]])も「ensign」を太極旗の原型であると推定している<ref name=government/>が、『海上国家の旗』には旗の図柄しか掲載されていない上、朝鮮側でも関連史料が見つかっていない為、「ensign」の制定時期や制定の由来・使用方法については一切が推測の域を出ていない。
 
 
 
いずれにせよ、朴泳孝の訪日後は「太極の文様と四つの[[卦]]」という基本的な旗の図柄に変更が為されず、翌[[1883年]][[旧暦]][[1月27日 (旧暦)|1月27日]]([[3月6日]])、高宗は王命で太極図と四掛の絵柄からなる太極旗を国旗として制定し<ref name=government/><ref>[http://sillok.history.go.kr/id/kza_12001027_001 高宗実録20巻、高宗20年1月27日(陽暦)1番目の記事]より。[[高宗実録]]は、国史編纂委員会が公式ホームページを設けて公開している[http://sillok.history.go.kr/main/main.do]</ref>、[[統理交涉通商事務衙門]]の指示によって[[朝鮮八道#概要|八道四都(朝鮮全土)]]へ国旗に関する通知がなされた。これにより、太極旗が正式に朝鮮の国旗として使われるようになった。
 
 
 
=== 「太極旗」という名称の発生と浸透 ===
 
韓国政府([[行政自治部]]<ref name=government/>や[[大韓民国国家記録院|国家記録院]]<ref>[http://theme.archives.go.kr/next/symbolKorea/transitionFlag01.do 국가상징>태극기>태극기의 변천>조선말부터 일제강점기][[大韓民国国家記録院]]公式ホームページより。</ref>)は太極旗の国旗制定について「([[李氏朝鮮]]は)王命で「太極・四掛の絵柄」の「태극기」(太極旗)を国旗に制定・公布した」と説明しているが、[[朝鮮王朝実録]]([[高宗実録]])を始めとする当時の李氏朝鮮・[[大韓帝国]]の史料は太極旗を「国旗」(국기)と記すのみで、少なくとも公的には「太極旗」という表現は用いられていなかった。
 
 
 
「太極旗」という名称が用いられるのは、[[三・一運動]]の時が最初と韓国ではみられている。[[1919年]][[1月21日]]の[[高宗 (朝鮮王)|高宗]]の急死後、[[国葬]]が行われる同年[[3月3日]]に向けた独立運動が計画されるようになり、同年3月1日に「独立宣言」書の読み上げと旧大韓帝国国旗の掲揚を行うことになった。だが、当時旧国旗は「朝鮮国旗」(조선국기)と呼ばれていたが、旗を準備するにあたって「朝鮮国旗」という呼称を用いると[[日本人]]に独立運動の動きが発覚する恐れがあった。その為、日本人に分かられないようにする目的で旧国旗の名称を「朝鮮国旗」から「太極旗」へと変えたとされる<ref name="김주원">김주원 『[https://books.google.co.jp/books?id=ulDEAwAAQBAJ&pg=PT1&lpg=PT1&dq=3%C2%B71+%EC%9A%B4%EB%8F%99+%EC%A1%B0%EC%84%A0%EA%B5%AD%EA%B8%B0+%ED%83%9C%EA%B7%B9%EA%B8%B0&source=bl&ots=HHvKu7mzSV&sig=EDroXhioylsKgv2fYn5duwIF5T0&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwicjsS0w43WAhXMKcAKHTebD1sQ6AEIajAL#v=onepage&q=3%C2%B71%20%EC%9A%B4%EB%8F%99%20%EC%A1%B0%EC%84%A0%EA%B5%AD%EA%B8%B0%20%ED%83%9C%EA%B7%B9%EA%B8%B0&f=false 스테가노그래피]』 글과생각、2012年。ISBN 978-8996558248。([[Google ブックス]]にて公開)</ref>。
 
 
 
その後、「太極旗」という名称は[[朝鮮独立運動]]と共に関係者の間で浸透し、[[1942年]]<ref>この年、臨時政府は「国旗統一様式」を制定・公布して国旗に関する規定を統一化させようとしていた。</ref>に[[大韓民国臨時政府]]が初めて朝鮮の国旗を「太極旗」と表現した<ref name=김주원/>。そして、[[1948年]][[7月12日]]に韓国の独立準備をしていた[[大韓民国制憲議会]]が韓国の国旗を「太極旗」とすることを決定し<ref name="이상희">이상희 『꽃으로 보는 한국문화 3(개정판)(2판)』 넥서스BOOKS、2004年。ISBN 978-8957970256。 「태극기」, p. 75~97</ref>、李氏朝鮮の旧国旗に由来する旗の名称は正式に「太極旗」となった。以降、韓国の国旗は「太極旗」であると、「国旗製作法」(1949年- 2007年)及び「大韓民国国旗法」(2007年 -)で明記されている。
 
 
 
=== デザインの変遷 ===
 
[[ファイル:Flag of old Korea.jpg|thumb|300px|[[画像:FIAV historical.svg|23px|現在使われていない歴史的な旗]]左:日本・[[1882年]][[10月2日]]付「[[時事新報]]」掲載。[[朴泳孝]]ら[[朝鮮修信使|訪日使節団]]が日本で使ったもの。
 
<br />中央: 清・[[李鴻章]]編『通商章程成案彙編』([[1886年]])収録。「大清國属 高麗國旗」の文字が見える。<br />右: [[ソウル大学校]][[奎章閣]]韓国学研究院の所蔵史料にある御旗「太極八卦図」<ref>[http://kyujanggak.snu.ac.kr/dohae/sub/schDetail.jsp?no=D0797&category=A&sWord=%E5%BE%A1%E6%97%97 어기御旗](ソウル大学校奎章閣韓国学研究院「朝鮮時代王室文化図解事典」より)</ref>。太極旗以前に太極図を旗として使用したもの。]]
 
[[ファイル:Ceremony_inaugurating_the_government_of_the_Republic_of_Korea02.jpg|thumb|300px|[[1948年]][[8月15日]]の大韓民国政府樹立式典の場で掲げられた太極旗。現行の太極旗とデザインが異なる。]]
 
[[1949年]]に大韓民国の法令で制作方法が制定されるまで、太極旗の詳細なデザインは統一化されていなかった。そのため、同じ時代でもさまざまなバリエーションの太極旗が存在している<ref name=symbolkorea>[http://theme.archives.go.kr/next/symbolKorea/moreViewFlag01.do 태극기 변천사][[大韓民国国家記録院]]公式ホームページより。</ref>。
 
 
 
太極旗が制定される前から、[[李氏朝鮮]]では[[太極]]と[[八卦]]を文様とする旗が用いられていた。[[ソウル大学校]]の[[奎章閣]]に保管されている資料によると、[[儀仗]]の際に[[朝鮮国王の廟号と諡号の一覧|国王]]の象徴として使われた「御旗」(어기; オギ)では、[[太極]]の周りに[[八卦]]を配置した「太極八卦図」が用いられており、[[太極図]]は『[[太極図説]]』に描かれていた[[太極図#五層|周氏太極図]]の[[陰陽]]部分が用いられていた。また、李氏朝鮮の国軍で使われた軍旗の一つ「坐纛旗」(좌독기; チャドギ)も、[[太極]]の周りに八卦と[[洛書]]を描いた構図となっていた<ref>[http://krdic.naver.com/detail.nhn?docid=34687100 좌독기]([[Naver]]韓国語辞典より)</ref>。ただし、これらの旗は用途が限定されたもので、王宮や軍以外で用いられる事はなかった。
 
 
 
従来の史料では、[[1882年]][[5月]]に[[清国]]の[[馬建忠]]が太極の周りに八卦を配置した太極旗の原案を考案し、同年[[9月]]に[[朝鮮修信使]]兼[[特命全権大使]]である[[朴泳孝]]が[[日本]]へ向かう船の中で八卦を四卦に減らした上で左に45°傾けたデザインに変更し、同年[[10月2日]]付の「[[時事新報]]」に掲載された太極旗が視認できる最古のものとされてきた。だが、[[1882年]]7月に発行された[[古書]]『海上国家の旗』(''Flags of Maritime Nations'')<ref name=flag/>が公式に太極旗を視認できる最古の資料であると[[2003年]]に確認されたため、朴泳孝の訪日以前の段階で既に四卦を使った太極旗のデザインが考案され、実際に使用されていた可能性が出てきている。
 
 
 
[[1883年]][[3月]]の国旗制定時点における太極旗の実物は朝鮮本国に残っておらず、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[スミソニアン博物館]]が所蔵する[[1884年]]製の太極旗(通称:デューイの太極旗)が実物サイズでもっとも古いものである<ref>[http://www.hani.co.kr/arti/culture/book/679978.html 가장 오래된 태극기(最も古い太極旗)][[ハンギョレ]]2015年2月26日配信記事</ref>。また、韓国に現存する実物は、[[1890年]]に[[高宗 (朝鮮王)|高宗]]から[[アメリカ人]][[顧問]]へ下賜された太極旗(通称:デニーの太極旗)が最古のものとなっている<ref>[http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2008/08/18/2008081801767.html 백년전의 태극기 휘날리며][[朝鮮日報]]2008年8月19日配信記事</ref><ref>{{Cite web|url=https://www.museum.go.kr/site/jpn/relic/represent/view?relicId=4370|title=デニーの太極旗 {{!}} 名品ギャラリー|accessdate=2018-08-20|website=国立中央博物館|language=ko}}</ref>他、 [[清国]]の『通商章程成案彙編』([[李鴻章]]編、[[1886年]]刊行)等、他国の史料の中に絵で伝えた太極旗が残されている。だが、1883年に制定された太極旗の規定は、デザインについて「太極図と四掛の絵柄」と曖昧な表示しかしていなかったため<ref name=government/>、四隅に置かれる[[卦]]の配置方法や色、中央にある[[太極図]](陰陽魚)の構図や配色(色の濃淡)でいくつものバリエーションが生じてしまっている。なお、太極旗が考案された1883年時点で、李氏朝鮮は清王朝の[[冊封体制]]に服属していた。この為、[[1886年]]に清の[[李鴻章]]によって編纂された『通商章程成案彙編』に収録された太極旗は、清国の国旗、[[軍旗]]、[[商船旗]]の後に位置づけられており、同時に「大清国属 高麗国旗」と明記して掲載されている<ref>[http://books.google.co.jp/books?id=UKMsAAAAYAAJ&pg=RA9-PA55&hl=ja&source=gbs_selected_pages#v=onepage&q&f=false 『通商章程成案彙編』巻三十] 李鴻章編『通商章程成案彙編』(1886年)Google ブックス</ref>。このことから、当時の朝鮮は清から[[従属国]]として扱われていたことが分かる<ref>[[2004年]][[1月26日]]付の[[中央日報]]は、「[[アメリカ海軍]]航海局が発行した冊子『海上国家の旗』([[1882年]])から最古の太極旗が発見された」という報道に際して、それまでで最も古い太極旗としてこの国旗を紹介したが、旗にある「大清國属」の文字を[[日本語]]版ではそのまま載せたが、韓国の新聞・インターネット版ではトリミングしてカットしていた。これについて[[呉善花]]は、韓国では国定の「唯一正当な歴史」以外は隠す体質が国家・[[マスコミ]]・学者にあるとした([[井沢元彦]], [[呉善花]] 『やっかいな隣人 韓国の正体』 [[祥伝社]], 2006年。ISBN 978-4396612757。)。なお、該当記事は2017年時点でも「最古の太極旗を発見」という題名で[http://japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=47943 日本語版]、[http://news.joins.com/article/287752 韓国インターネット版]が共に閲覧できるが、いずれも旗の画像が削除されている。</ref>。
 
 
 
国旗制定後、李朝は太極旗を主に[[外交]]の舞台で使っていた為、一般大衆の間で太極旗の存在感は微々たるものだった。だが、[[1905年]]以降の[[日韓併合]]に至る過程で太極旗は「朝鮮[[国権]]の象徴」として[[抗日]]活動家に注目され、[[3・1運動]]の際に[[デモ行進]]の参加者が太極旗を持って行動したことが契機となり、太極旗は一般朝鮮人の間でも「朝鮮民族の主体性を表す旗」として認知されるようになった<ref name=hankyoreh2017>[http://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/784775.html 태극기 휘두르며 ‘빨갱이 죽여도 된다’ 외치는 이들에게…][[ハンギョレ]]2017年3月02日配信記事</ref>。そのため、[[朝鮮独立運動]]の活動家は「[[独立運動]]の象徴」として太極旗を用いるようになるが、元々のデザイン規定が曖昧な上に独立運動家達も別個独自に活動をしていたので、具体的なデザイン方法が制定・統一化されることはなかった。このような状況を受け、「朝鮮の[[亡命政府]]」を自称する[[大韓民国臨時政府]]([[1919年]]樹立)は、[[1942年]][[6月29日]]に「国旗統一様式」を制定・公布して太極旗の作り方を統一させようとした<ref name=government/>。たが、臨時政府の影響力自体が限定的だったため一般の[[朝鮮人]]に広く知られることは無く、臨時政府の軍事組織である[[光復軍]]ですら「国旗統一様式」と異なる太極旗を使用する有様だった<ref name=symbolkorea/>ため、[[1945年]]9月に臨時政府が事実上崩壊してからは一切使われなくなった。一方、[[日本の降伏|第二次大戦の日本降伏宣言]]([[玉音放送]])直後、朝鮮では[[朝鮮人民共和国]]の樹立が宣言されたが、短期間日で崩壊したため太極旗に関する取り決めは特になされなかった。また、1945年[[9月9日]]の[[朝鮮総督府]]降伏後、朝鮮は[[38度線]]を境として[[在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁]](南側)と[[ソビエト民政庁]]・[[北朝鮮人民委員会]](北側)の[[連合軍軍政期 (朝鮮史)|分割統治状態となった]]が、いずれの統治機構も太極旗のデザイン統一について何ら言及しなかった。
 
 
 
[[1948年]][[7月12日]]、[[在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁|米軍軍政庁]]の統治下で[[大韓民国]]の独立準備をしていた[[大韓民国制憲議会]]は、太極旗を大韓民国の国旗とすることを正式に決定した<ref name=이상희/>。だが、その場でも太極旗の詳細なデザインは決められなかったため、[[第一共和国 (大韓民国)|韓国政府]]は実務上の必要性から[[1949年]]1月に「国旗是正委員会」を設置し、同年10月15日に「国旗製作法」を公布して史上初めて詳細な太極旗の作製方法を確定させた<ref name=government/>。これ以降、太極旗のデザインに基本的な変更はなされておらず、[[2007年]][[1月26日]]以降は同日公布の「大韓民国国旗法」によって太極旗の図柄配置や標準色等の詳細な規格が定められている<ref name=law>[http://www.law.go.kr/lsInfoP.do?lsiSeq=150692&efYd=20140128#AJAX 대한민국국기법][[法制処]]国家法令情報センター公式ホームページより</ref>。
 
 
 
=== 北朝鮮の太極旗 ===
 
[[File:Soviet military advisers attending North Korean mass event.jpg|thumb|300px|大衆動員大会([[1945年]]10月)で、[[背広]]姿の[[金日成]]と[[ソ連軍]][[将校]]達の背後に掲揚された太極旗。]]
 
[[File:Foundation ceremony of the Korean People's Army.jpg|thumb|300px|[[朝鮮人民軍]]の創設記念式典([[1948年]]2月)で、[[金日成]]の[[肖像画]]と共に掲げられた太極旗。]]
 
「朝鮮独立の象徴」であった太極旗は、[[連合軍軍政期 (朝鮮史)|ソ連軍の監督下]]に置かれた北朝鮮([[38度線]]以北の朝鮮地域)でも[[朝鮮民主主義人民共和国]]の建国直前まで使われた<ref>[https://www.nknews.org/2015/02/color-brings-kim-il-sung-era-pictures-to-life/ Color brings Kim Il Sung-era pictures to life] [[:en:NK News|NK News]]2015年2月20日配信記事</ref>。
 
 
 
[[日本の降伏]]宣言([[玉音放送]])直後、北朝鮮各地では[[朝鮮建国準備委員会]](後の[[朝鮮人民共和国]])の地方組織([[人民委員会]])が設立され、組織の旗として太極旗を使用していた。その後、[[1945年]]9月中に北朝鮮全域へ[[ソビエト連邦軍|ソ連軍]]が[[進駐]]したが、[[ソビエト民政庁]]は北朝鮮各地の人民委員会を後援する形で[[占領行政]]を進めたため、太極旗は[[朝鮮人]]の行政旗として使われ続けた。[[モスクワ三国外相会議]](同年12月)の取り決めで、朝鮮は[[アメリカ合衆国|米]]・[[イギリス|英]]・[[ソビエト連邦|ソ]]・[[中華民国|中]]による最長5年の[[信託統治]]を経た上で最終的に南北を統一する単独政府を樹立して[[独立]]する予定とされた。そのため、[[1946年]][[2月8日]]に[[社会主義者]]達による自治組織・[[北朝鮮臨時人民委員会]]が樹立されても、太極旗は「朝鮮の旗」として[[人民委員会]]で使用され続けた。
 
 
 
だが、信託統治の実施方法を決めるために[[1946年]]1月から開かれた第一次米ソ共同委員会は、信託統治受け入れに反対(反託)する[[李承晩]]、[[金九]]ら[[大韓民国臨時政府]]系の[[民族主義者]]達の扱い等を巡って紛糾し、同年5月に無期限休会となった。これを受け、ソ連当局は信託統治を経て統一政府を樹立する従来の国際合意を無視して北朝鮮人民委員会による北朝鮮単独の政府樹立を目指すようになり、国旗についても[[1947年]]夏に新国家樹立と共に新しい旗を創るよう駐北朝鮮ソ連軍から[[北朝鮮労働党]]へ指示が与えられた<ref name=dailynk>[http://www.dailynk.com/english/read.php?cataId=nk03600&num=11993 Kim Tu Bong and the Flag of Great Extremes]([[デイリーNK]]2014年6月20日配信記事)</ref>。ソ連軍から呼び出しを受けた党指導部の[[金ドゥ奉|金枓奉]]は、ソ連軍将校に対し既存の太極旗を国旗として支持する旨を述べ、旗が持つ意味について細かい説明を行った。だが、ソ連軍人にとって金枓奉が説明した旗のデザインの基である[[中国哲学]]は「中世の迷信のようなもの」に過ぎなかったため、ソ連軍は数か月後に新国旗のデザインに関する指示を北朝鮮労働党へ出し、[[北朝鮮の国旗|新しい朝鮮の国旗]](藍紅色旗)が完成した。翌[[1948年]]に金枓奉は『新しい国旗の考案と太極旗の廃止について』という書籍を刊行し、藍紅色旗を「優れた発展を成し遂げていく幸せな国」の象徴であるとする一方、太極旗を「非科学的で[[迷信]]がかっており、不必要なまでの難解さと多様な要素が国の発展を妨げる可能性がある、国旗にふさわしくない旗」として、新しい国旗を制定する理由づけを行なった<ref>{{Harvnb|T・マーシャル|2017|p=202-203}}</ref>。北朝鮮における国旗制定に関しては具体的な情報がほとんど入らず<ref>{{Harvnb|T・マーシャル|2017|p=202}}</ref>、一連の出来事が起きた日付については不明である。だが、[[北朝鮮人民会議]]が[[1948年]]4月に藍紅色旗を新国家の国旗として制定し<ref name=hankyoreh2017/>、同年7月8日に使用する旗を太極旗から藍紅色旗へ切り替えた<ref>[http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=103&oid=052&aid=0000274066 6.25 전후 미공개 북한 사진 공개]([[YTN]]2009年11月16日配信記事)</ref>ことは韓国の[[報道機関]]の調査で分かっている。そして[[朝鮮民主主義人民共和国]]建国([[1948年]][[9月9日]])以降、北朝鮮で太極旗は一切使用されていない。
 
 
 
なお、北朝鮮政府は「[[国粋主義]]化」([[満州派 (朝鮮労働党)|満洲派]]の権力独占に伴う「[[唯一思想体系]]」の確立)とその過程における金枓奉の粛清を経て、北朝鮮の国旗が制定された歴史的経緯の説明文から「ソ連の影響」を消し去っている<ref>{{Harvnb|T・マーシャル|2017|p=203-204}}</ref>。北朝鮮の国営[[ポータルサイト]]『[[ネナラ]]』は「国旗にまつわる話」として、「北朝鮮人民委員会が1948年[[2月]]初旬に新国旗の原案を完成させたが、[[金日成]]の指導によって[[赤い星]]の追加やデザイン修正がなされ、今の形が誕生した。」というエピソードを紹介し、「金日成の細やかな指導」を強調している。一方で、国旗が制定された経緯や日付、独立前に金日成が太極旗を使っていた事実については言及していない<ref>[http://www.naenara.com.kp/ja/politics/symbol-show.php?2 朝鮮民主主義人民共和国国旗](ネナラより)</ref>。
 
 
 
== 大韓民国の太極旗 ==
 
大韓民国の国旗に関する事項は、別途特別な法規定が無い限り大韓民国国旗法([[2007年]][[1月26日]]公布、[[2014年]][[1月28日]]最終改正)に従って運用される(同法第3条)こととなっており、同法第4条で太極旗が大韓民国の国旗であると明示されている<ref name=law/>。同法では太極旗の制作・管理に関する基本事項の諸規定が定められているが、これは国旗に対する認識の向上と尊厳の守護を通じて国民の[[愛国心]]を高めることを目的としている(同法第1条)。その為に大韓民国の太極旗は、制作方法や後述の[[大韓民国の国旗#国旗の扱い|取り扱い方法]]が、同法と[[大統領令]]第23091号(大韓民国国旗法施行令)<ref name=e.o.>[http://www.lawnb.com/lawinfo/contents_view.asp?cid=AE62C9E8F228470D84F6D04D0924DC22 대한민국국기법 시행령][[法律]][[ポータルサイト]]・{{日本語版にない記事リンク|ロエンビ|ko|로앤비}}より</ref>の条文によって厳格に決められている。
 
 
 
=== 制作方法 ===
 
太極旗の制作方法は、大韓民国国旗法第7条に従い、大韓民国国旗法施行令第6条~第8条<ref name=e.o./>によって規定されている。
 
 
 
描画方法は同施行令第6条によって、旗の大きさと用途別の推奨規格は同施行令第7条と付属別表<ref>[http://www.lawnb.com/lawinfo/link_view.asp?cid=AE62C9E8F228470D84F6D04D0924DC22|76945B0|Y&ch= 별표서식]法律ポータルサイト・ロエンビより</ref>によって、下記の通りに定められている。ただし、縦横の比率2:3を維持していれば、規格と異なる大きさの旗を製作することができる。<br />
 
[[ファイル:Flag of South Korea (construction sheet).svg|500px|太極旗の制作方法]]
 
:#(規格名) 特号:(縦) 360[[センチメートル|cm]]以上×(横) 540cm以上 - (用途) 建物の国旗掲揚台用
 
:#1号:300cm×450cm - 建物の国旗掲揚台用
 
:#2号:204cm×306cm - 建物の国旗掲揚台用
 
:#3号:180cm×270cm - 建物の国旗掲揚台用
 
:#4号:150cm×225cm - 建物の国旗掲揚台用
 
:#5号:120cm×180cm - 建物の国旗掲揚台用
 
:#6号:102cm×153cm - 建物の国旗掲揚台用
 
:#7号:90cm×135cm - ①建物の国旗掲揚台用、②家庭用
 
:#8号:60cm×90cm - 家庭用
 
:#9号:30cm×45cm - 車両用
 
:#10号:18cm×27cm - 車両用
 
 
 
また、旗に使う標準色は同施行令第8条によって下記の通りに定められている。
 
{| width="70%" border="1" cellpadding="2" cellspacing="0" style="background: #f9f9f9; border: 1px solid #aaaaaa; border-collapse: collapse; white-space: nowrap; text-align: left"
 
|- style="text-align: center; background: #eee"
 
! 表示する色
 
! [[マンセル色体系]]<ref name="flagcon">{{cite web |url=http://www.mopas.go.kr/gpms/view/korea/korea_index_vm.jsp?cat=bonbu/chief&menu=chief_06_04_02_sub03 |title=깃면 |trans_title=Geometry of the National Flag |accessdate=2010-02-16 |year=2009 |publisher=행정안전부 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110728092444/http://www.mopas.go.kr/gpms/view/korea/korea_index_vm.jsp?cat=bonbu%2Fchief&menu=chief_06_04_02_sub03 |archivedate=2011年7月28日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>
 
! [[CIE 1931 色空間]]<ref name="flagcon"/>
 
| [[パントン]]<ref>{{cite web |url=http://www.infokorea.ru/flag/ |title=アーカイブされたコピー |accessdate=2012年2月23日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120118094036/http://www.infokorea.ru/flag/ |archivedate=2012年1月18日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>
 
| [[ウェブカラー]]<ref>{{cite web |url=http://www.edigita.com/pantone.php |title=アーカイブされたコピー |accessdate=2012年2月23日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120225085258/http://www.edigita.com/pantone.php |archivedate=2012年2月25日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>
 
|-
 
!style="background:#CD2E3A;color:white"| 赤
 
| 6.0R 4.5/14
 
| 0.5640, 0.3194, 15.3
 
| 186 Coated
 
| #CD2E3A
 
|-
 
!style="background:#0047A0;color:white"| 青
 
| 5.0PB 3.0/12
 
| 0.1556, 0.1354, 6.5
 
| 294 Coated
 
| #0047A0
 
|-
 
!style="background:#000000;color:white"| 黒
 
| N 0.5
 
| N/A
 
| N/A
 
| #000000
 
|-
 
!style="background:#FFFFFF"| 白
 
| N 9.5
 
| N/A
 
| N/A
 
| #FFFFFF
 
|}
 
 
 
=== 図柄の起源・解釈を巡る主張 ===
 
[[ファイル:Xiantianbagua.png|thumb|350px|伏羲先天八卦の生成]]
 
太極旗の図柄の起源や意味合いに関して、太極旗を初めて作成した[[李氏朝鮮]]の関係者は記録を残していない。そのため韓国では、太極旗の図案を「朝鮮固有の文化や伝統ではなく、中国の『[[周易]]』からの借りもの」<ref>{{Harvnb|韓洪九|2003|p=56}}</ref>とする意見がある一方で、「中国の『[[太極図説]]』とは関係の無い朝鮮固有の模様」<ref name=chosun2008>[http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2008/05/29/2008052901796.html 태극은 중국에서 유래? 삼국시대부터 쓴 고유문양(太極は中国に由来?三国時代から書かれた固有の紋様)](朝鮮日報 2008年05月29日配信記事) </ref>とする意見があり、見解が分かれている。
 
 
 
韓国が独立するまで、太極旗は「中国(易)の思想・哲学に由来する」との考えが一般的だった。[[1947年]]夏<ref name=dailynk/>に[[北朝鮮労働党]]指導部の一員である[[社会主義者]]の[[金ドゥ奉|金枓奉]]は、駐朝鮮[[ソ連軍]]の[[将校]]に対し太極旗の意味について「[[中国哲学]]」を基にした説明を行っている<ref>{{Harvnb|T・マーシャル|2017|p=202-203}}</ref>。ただし、『[[易経]]』を構成する『繋辞伝』には「[[太極]]が[[両儀]]([[陰陽]])をもたらし、両儀から[[四象 (易)|四象]]が生じ、四象が[[八卦]]をもたらす」<ref>{{Harvnb|韓洪九|2003|p=56}}</ref>という易の思想が書かれている。一方で、太極旗は[[大韓民国の国旗#太極旗の歴史|現存の史料による]]と、「[[親日派]]」の[[朴泳孝]]が[[イギリス人]]船長の助言に従って外国人にも分かり易いデザインとする為に、[[中国人]]の[[馬建忠]]が提案した[[太極図]]の八卦を四卦に減らし、そして四卦の位置を四隅に配列した経緯がある。その為、[[周易]]の専門家からすれば太極旗の図案は誤ったものと言わざるを得ず、韓国政府が「国旗製作法」([[1949年]][[10月15日]]公布)で太極旗の図案を確定させた後も、太極旗の陰陽の角度と卦の配列を巡る論争はやむことが無く<ref>{{Harvnb|韓洪九|2003|p=58}}</ref>、2003年時点<ref>{{Harvnb|韓洪九|2003|p=8}}</ref>の韓国で刊行されている太極旗に関する書籍の多数が現在の太極旗は誤りだと主張しているという<ref>{{Harvnb|韓洪九|2003|p=59}}。ただし、韓は著書内で「誤り」を主張している書籍の名や人物について言及していない。</ref>。
 
 
 
このような易学的観点に基づいた太極旗への批判に対し、韓国政府と[[韓国の民族主義]]団体は太極旗を「(朝鮮)民族の象徴」として躊躇なく掲げられるよう、太極旗の起源が[[朝鮮文化]]の中にあるとする理論([[韓国起源説|韓国起源論]])を構築・展開して太極旗の「韓国化」乃至は「脱中国化」を推進している<ref>{{Harvnb|韓洪九|2003|p=57}}</ref>。例えば、[[1957年]]に「わが国旗を大切にする会」が発行した『国旗解説』<ref>[http://terms.naver.com/entry.nhn?docId=2222285&cid=51293&categoryId=51293 국기해설](e뮤지엄)</ref>では、太極八卦は[[檀君]]の教えに基づいており[[古朝鮮]]から使用されてきたと主張している<ref>{{Harvnb|韓洪九|2003|p=57}}</ref>。また、[[教育部 (大韓民国)|文化教育部]]元[[長官]](1954年-1956年)の{{日本語版にない記事リンク|李瑄根|ko|이선근}}は、[[エジプト]]・[[ローマ]]<ref>[[ウィキメディア・コモンズ]]の「[https://commons.wikimedia.org/wiki/Yin_Yang Yin Yang]」の頁で[[ノティティア・ディグニタートゥム]]に描かれた太極文様を見ることができる。</ref>・[[アテネ]]・[[ビザンチン]]・[[アメリカ先住民]]が使った土器等の古代の遺物や[[新羅]]の[[曲玉]]など太極と類似した文様を探し出して、太極は「古代の人類共通の宇宙観」を表出しているのであって中国固有のものではないとの「強弁」を展開<ref>{{Harvnb|韓洪九|2003|p=58}}</ref>している。彼は[[成均館大学校]]の総長だった[[1959年]]に『私たちの国旗制定の由来とその意義』という論文を発表し<ref>[http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=102&oid=047&aid=0000008830 태극기가 바람에 펄럭입니다 - 나, 태극기의 독백]([[オーマイニュース]] 2002年07月15日配信記事)</ref>、その中で「太極旗のデザインは『周易』から作案されたものではない」から、「中国易学者の思考様式」で「これ以上無駄な解釈論議をし続けることは皆が慎むべき」で、「今後誰しも文化教育部が既に決定したところ」に従い「国旗図案の易学的解釈に固執したり、みだりに主張したりしないように求める」と主張している<ref>{{Harvnb|韓洪九|2003|p=58-59}}</ref>。その後も「太極旗の韓国化」を目指す試みは続き、[[1995年]]には「太極旗が檀君の『[[:en:Hongik Ingan|弘益人間]]』<ref>これは、韓国の建国理念でもある。</ref>という理念を反映している」と主張する「大韓民国国旗宣揚会」が、太極旗変遷史展示会を開催したときに刊行した図録で、現行の太極旗に似た四卦の太極旗が鮮明に描かれている「[[1392年]]製作の[[梵鐘]]<ref>[[韓洪九]]は「もし事実であれば驚くべきこと」と評しているが、梵鐘の実物は今まで公開されていない。[[韓国陸軍]]の機関紙『陸軍』第230号掲載の記事「태극기 유래를 통해서 본 민족정신」によると、件の梵鐘は[[1954年]]の[[神奈川県]][[小田原市]]で発見され、[[韓国国立中央図書館]]の「太極旗図説」に鑑定書が収録されていたが、後に行方不明となってしまったという[http://www.army.mil.kr/army_catalog/230/24.htm]。なお、韓国のインターネット上では件の梵鐘とされる写真が掲載されている[http://blog.naver.com/john0591/50012548512]。</ref>」を掲載した<ref>{{Harvnb|韓洪九|2003|p=57}}</ref>。また、「太極は[[三国時代 (朝鮮半島)|三国時代]]から[[朝鮮民族]]が愛用してきた伝統的な固有の紋様」である証拠として、[[太極図説]]の撰述([[1070年]])以前に建立([[682年]])された[[新羅]]・感恩寺の礎石に刻まれた「中国の太極図とは形が異なる太極模様」を[[2008年]]に[[朝鮮日報]]が<ref name=chosun2008/>、次いで[[百済]]時代([[538年]]-[[660年]])の遺構から見つかった木製品に書かれた太極文様を[[2009年]]に[[中央日報]]が<ref>[http://japanese.joins.com/article/222/116222.html?sectcode=400&servcode=400 最も古い百済太極文様発掘](中央日報 2009年06月04日配信記事)</ref>、それぞれ提示している。これら「太極旗の韓国化」に関する探究は韓国の[[百科事典]]に反映されており、[[韓国民族文化大百科事典]]に掲載された『太極旗』の項目では「太極図形の文様と理念は、古代([[三国時代 (朝鮮半島)|三国時代]])から[[陰陽]]思想を理解した朝鮮民族によって、「太極図説」が(中国で)書かれる前から伝統的に使われてきた」との主旨を述べている<ref name=韓国学>[http://terms.naver.com/entry.nhn?docId=530479&cid=46626&categoryId=46626 태극기] [[韓国民族文化大百科事典]]({{仮リンク|韓国学中央研究院|ko|한국학중앙연구원}}:編)</ref>。
 
 
 
=== 公的な図柄の解釈 ===
 
太極旗は、白地の旗、旗の中央にある赤と青からなる[[太極図#陰陽魚|太極円]](太極文様)、及び旗の四隅にある[[乾]]([[ファイル:ken.png|けん]])・[[坤]]([[ファイル:kon.png|こん]])・[[坎]]([[ファイル:kan.png|かん]])・[[離]]([[ファイル:Trigram lí of I Ching.png|り]])の四種類の[[卦]](四掛)によって構成されている(大韓民国国旗法第7条第1項、及び第2項)。
 
 
 
韓国政府([[行政自治部]])は、太極旗の各部に込められた意味合いについて公的な解釈を示しており、自国民に対しては[[行政自治部]]が下記の通りに説明している。また、国外に対しては[[文化体育観光部]]傘下の{{仮リンク|海外文化弘報院|ko|해외문화홍보원}}が、[[日本語]]<ref>[http://japanese.korea.net/AboutKorea/Society/South-Korea-Summary 韓国の概要](KOREA.net 日本語版)</ref>、[[英語]]<ref>[http://www.korea.net/AboutKorea/Society/South-Korea-Summary Republic of Korea – Summary](KOREA.net 英語版)</ref>、[[中国語]]<ref>[http://chinese.korea.net/AboutKorea/Society/South-Korea-Summary 韩国概况](KOREA.net 中国語版)</ref>を含む9言語で同じ内容を紹介している。
 
{| class="wikitable"
 
|-
 
|
 
...太極旗の白地は、明るさと純粋さ、そして伝統的に[[平和]]を愛する私々([[朝鮮民族]])の民族性を示している。真ん中の太極文様は[[陰]](青色部分)と[[陽]](赤色部分)の調和を象徴するもので、[[宇宙]]の万物が[[陰陽]]の相互作用によって生成し発展するという[[大自然]]の[[真理]]を形象化したものである。四隅の四掛は、陰と陽が互いに変化し発展する姿を[[爻]](陰:- -(真ん中が途切れた2つの短い横棒)、陽:─(長い横棒))の組み合わせを介して、具体的に示したものである。[[卦]]の中で、「乾」は宇宙万物の中で[[天]]を、「坤」は[[地]]を、「坎卦」は[[水]]を、離は[[火]]を(それぞれ)象徴しており、これら四掛が太極を中心として統一された調和を成している。 このように、昔から私々の先祖が生活の中で楽しんで使っていた太極文様を中心に作られた太極旗は、宇宙とともに長久の創造と繁栄を希求する韓民族(朝鮮民族)の理想を含んでいる。...<ref name=government/>
 
|}
 
 
 
より詳細な解釈は、[[教育部 (大韓民国)|教育部]]傘下の{{仮リンク|韓国学中央研究院|ko|한국학중앙연구원}}が編纂した『[[韓国民族文化大百科事典]]』の項目「太極旗」に記されており、要約は下記の通りである。
 
{| class="wikitable"
 
|-
 
|
 
#'''白地''':下地が[[白色|白い色彩]]になっているのは、純一で無雜な朝鮮民族の同質性と潔白性を象徴したものであり、[[平和]]を愛好する精神が私たちの民族の気質と理想であることを明らかにしている。
 
#'''一円相の太極と陰陽''':[[儒教]][[哲学]]で[[宇宙]]万象の根源である[[太極]]は、[[人間]]の[[生命]]の源泉としての真理である[[人道]]を表現している。[[金長生]]は「人極(=人道)の主体は、人を害せずに自己の完成と他人の(自己の)完成を同時に可能とする共同主体である。これによって各個人の[[人格]]が尊重され、[[自由]]と[[平等]]の道理が成立し、国家社会の安寧と秩序が維持される」とする。朝鮮民族は歴史的に[[天地人]]の[[三才]]の中で天地の要素を人間に集約して[[人道主義]]の精神を鼓吹してきた。また、太極は[[陰陽]]も表しており、[[紅色]]の陽と[[青色]]の陰が上下に相対和合されている図象は、[[天]](陽)は上に[[地]](陰)は下にあることを示している。陰と陽は本来なら性質が異なり別に分かれているが、互いに離れられず相互に依存して作成・発展し、陰陽の循環と調和の中で万物が成長し、繁栄する。そして天と地(陰陽)の間に人間があるからこそ、社会と国民国家が形成されるのである。
 
#'''四卦''':[[乾]]・[[坤]]・[[坎]]・[[離]]の四卦は、[[中国]]の[[太極図]]と違って(卦の)図形が右から左へ回転しており、太極図形の陰陽文様と切り離せない関係で配列され、陰陽が生成、発展する様相を示している。乾は[[天道]]として至善・至公の正義を意味し、坤は地道として厚徳と豊饒の共利を象徴し、坎は水性として[[知恵]]と活力を示し、離は火性として[[光明]]と[[情熱]]を意味する。これは[[産業]]と道義([[道徳]]的[[義理]])をバランスよく発展させ、情熱と知性を兼ね備えた正しい人間と社会を成し遂げるという理想を含むものである。つまり産業と道義、情熱と知性が円満に調和することにより、社会の安定と秩序を維持し、一人一人の[[人権]]が尊重され、自由が保障されている[[福祉]]社会を構築する基盤となる事を示している。
 
 
 
:[[文化]]の創造と人類の平和を象徴する太極旗は、大韓民国が希求する座標であると同時に{{仮リンク|弘益人間|ko|홍익인간}}の[[国是]]([[国の標語]])を表現している。<ref name=韓国学/>
 
|}
 
 
 
=== 韓国国外における太極旗の紹介 ===
 
太極旗の図案について、前述の通り韓国では「中国とは関係の無い朝鮮固有の模様」<ref name=chosun2008/>とする意見が公的見解となっているが、韓国国外では「中国の『[[周易]]』等の思想に基づいた模様」として紹介されることが多数である。
 
 
 
[[日本]]においては、朝鮮に関連した文物の[[事典]]である『韓国朝鮮を知る事典』が、太極旗は「≪太極図説≫≪周易≫にもとづ」くと記している<ref>[[伊藤亜人]]/監修, [[大村益夫]]/監修, [[高崎宗司]]/監修, [[武田幸男]]/監修, [[吉田光男]]/監修, [[梶村秀樹]]/監修 『[新版] 韓国朝鮮を知る事典』 [[平凡社]]、2014年。ISBN 978-4582126471。「国旗」, p. 181</ref>他、[[旗章学協会国際連盟]]の公認団体である[[日本旗章学協会]]<ref>[https://j-flags-java.jimdo.com/ 日本旗章学協会・ホームページ]</ref>の会長が執筆した『世界の国旗図鑑』が太極について「陰陽が合わさって調和を保つという中国古来の思想を示している」<ref>苅安望 『改訂版 世界の国旗図鑑』 [[偕成社]]、2016年。ISBN 978-4035295600。アジア「大韓民国」, p. 41</ref>と紹介している。
 
また、各国の国旗を紹介・解説する別の書籍でも「(太極は)相対する2つのものが合わさって調和を保つという中国古来の[[易学]]の宇宙観をしめしている」<ref>21世紀研究会 『国旗・国家の世界地図』 [[文藝春秋]]、2008年。ISBN 978-4166606450。第1章「アジアの国々」, p. 29</ref>、「太極図の周囲四隅に配された[[卦]]は、古代中国の書物『易経』からとったものである」<ref>{{Harvnb|T・マーシャル|2017|p=201}}</ref>、といった解説が為されている。
 
その他、[[在日韓国人]]が運営する[[東洋経済日報]]が自社HP公開している「韓国ガイド」の「国旗」欄においても、「中央の円の太極は、中国易学の宇宙最高の原理を意味する。」と解説している<ref>[http://www.toyo-keizai.co.jp/community/koreanguide/ 概要1・韓国ガイド・コミュニティ・東洋経済日報]</ref>。
 
 
 
[[中華人民共和国|中国]]や[[台湾]]においても同様で、{{仮リンク|中華百科全書|zh|中華百科全書}}の「韓國國旗」の項目が「(太極旗の)太極思想は中国の[[太極図説]]と周易の解釈に由来する」<ref>[http://ap6.pccu.edu.tw/Encyclopedia/data.asp?id=8901&htm=09-293-5357-%C1%FA%B0%EA%B0%EA%BAX.htm 韓國國旗] 中華百科全書1983年版(版権:[[中国文化大学]])</ref>としている他、[[中国大陸]]の書籍で「(旗に使われる)紅藍二色の各半的な図形は古代の[[陰陽]][[太極図]]から采られ、図形の四周にある黒い棒は《[[周易]]》の[[卦]]図から取っている」<ref>刘李胜 『[https://books.google.co.jp/books?id=SaUNAQAAMAAJ&q=%E9%9F%A9%E5%9B%BD+%E5%9B%BD%E6%97%97+%E5%91%A8%E6%98%93&dq=%E9%9F%A9%E5%9B%BD+%E5%9B%BD%E6%97%97+%E5%91%A8%E6%98%93&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwitvbmt8ufVAhXGVbwKHYsMDMsQ6AEIVjAI 韩国概论]』 东方出版社、1995年。ISBN 978-7506006385。 p. 17</ref>、[[香港城市大学]]出版社が刊行した『[https://books.google.co.jp/books?id=qxgfAwAAQBAJ&pg=PA10&dq=%E5%A4%AA%E6%9E%81%E6%97%97+%E5%91%A8%E6%98%93&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwi06ui3terVAhUBUbwKHQ7GCfcQ6AEIVDAJ#v=onepage&q=%E5%A4%AA%E6%9E%81%E6%97%97%20%E5%91%A8%E6%98%93&f=false 南韓: 創造奇蹟]』で「(太極旗は)《[[周易]]》の思想を根拠とし、八卦を四卦に減らして製作された」<ref>董向榮 『南韓: 創造奇蹟』 City University of HK Press、2009年。 1 國土與人民-地靈人傑「太極旗下的單一民族」, p. 10</ref>とそれぞれ紹介されている。また[[インターネット]]媒体でも、[[中国電信]]傘下の[[ポータルサイト]]・{{仮リンク|21CN|zh|21CN}}が「太極旗は《周易》の哲学を基に作成された」とする記事を掲載している<ref>[http://news.21cn.com/social/wenhua/a/2004/1023/10/1910977.shtml 为何韩国国旗是太极八卦?(图)](21CN新闻)</ref>。
 
 
 
<!--以下の『易経』に基づいた太極旗の解釈に関する資料が見つからないので、見つかるまで判断保留。
 
{{未検証|section=1|date=2008年2月}}
 
この解釈は[[儒教]]経典の一つである『[[易経]]』繋辞伝にある「太極-両儀-四象-八卦」の[[宇宙生成論]]に由来しており、[[円]]で表される天地未分の[[太極]]は両儀=[[陰陽]]が生じている様子を描き、四方に配されている四卦は[[八卦]]を代表する四正卦(乾・坤・坎・離)であると共に、その初爻と第二爻で両儀から生じる[[四象 (易)|四象]](太陽[[ファイル:Taiyang.png]]・少陰[[ファイル:Shaoyin.png]]・少陽[[ファイル:Shaoyang_4.png]]・太陰[[ファイル:Taiyin.png]])を表すとした、いわゆる[[伏羲]]の[[先天図]]に通ずる[[思想]]である。太極旗は、[[朱子学]]にもとづいた[[太極図#陰陽魚|先天太極図(古太極図)]]系統の太極図―いわゆる陰陽魚の太極図―ともいえるが、卦を大きく配して四象を兼ね、より先天図としての特徴が分かりやすい図案になっている。先天太極図と比べてみるならば、まず一般的に白黒で配色される陰陽が、韓国国旗では赤青で彩色されている。また先天太極図に特徴的な陰中陽と陽中陰を表す魚眼([[太極図#陰陽魚|陰陽魚]]内の丸)が欠けているが、これは魚眼部分が表す坎[[ファイル:kan.png]]・離[[ファイル:Trigram lí of I Ching.png]]の卦を円外に配して円内は純粋に陰陽両儀のみを表しているためで、先天太極図が円内に太極-両儀-四象-八卦すべてを重ねる構図であるのに対して韓国国旗は太極と両儀、四象と八卦を重ねつつ順に四方へと広げていく構図といえる。周りの卦は伏羲先天八卦方位に配されているが、[[八卦]]を四卦に減らしたために四正卦の南北東西が上下左右に配置される先天太極図とは異なり、左上・右下・左下・右上の四隅に配置されている。
 
-->
 
 
 
=== 太極旗と類似する図柄 ===
 
[[画像:Symbol of Hamamatsu Shizuoka chapter.svg|thumb|120px|left|浜松市市章]]
 
[[画像:Emblem of Isesaki, Gunma.svg|thumb|right|120px|伊勢崎市市章]]
 
前述の通り韓国の太極文様は「朝鮮人が伝統的に使ってきた(朝鮮起源の)文様」と韓国ではされているが、一方で[[太極図]]自体は[[中国文明|中国文化圏]]に広く普及する[[図案]]である。その為、韓国との関連性に関係無く、韓国以外の国でも国旗やそれ以外の図案に用いられている。(詳細は、[[太極図#使用例]]を参照のこと。)
 
 
 
また、文化的背景に関係無く太極図と類似した[[巴]]の図案も世界各地で見られ、[[行政機関]]の[[紋章]]([[日本]]の[[浜松市]][http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/hisho/intro/c01.html 市章]や[[伊勢崎市]][http://www.city.isesaki.lg.jp/www/contents/1000000561000/index.html 市章])や[[企業]]の[[ロゴマーク]]([[シマンテック]][https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Symantec_Logo.svg]、[[ペプシコーラ]][https://commons.wikimedia.org/wiki/File:PepsiOld.svg]、[[ノーザン・パシフィック鉄道]][https://en.wikipedia.org/wiki/File:Northern_Pacific_Railway_Logo,_November,_1952.png]等々)等にしばしば用いられる。[[2005年]]頃、[[アップル (企業)|アップルコンピュータ]]が[[Universal Binary]]の商品ロゴ[https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Mac_Universal_logo.png]に用いた際は、韓国のネット上で話題となった<ref>DCinside(朝鮮語版) http://www.dcinside.com/webdc/dcnews/news/news_list.php?s_title=&s_body=&s_name=&curPage=&id=46034&blog_id=1231197&s_que=&code=ahh</ref>。
 
 
 
== 韓国における国旗の扱い ==
 
[[File:Flag of South Korea (cropped).jpg|thumb|掲揚されている大韓民国の国旗]]
 
韓国において太極旗は、韓国という[[国家]]を具現化する道具として扱われており、[[1972年]]には韓国への忠誠心の[[宣誓]]として「[[国旗への宣誓 (大韓民国)|国旗への宣誓]]」が制定されている<ref>[http://theme.archives.go.kr/next/symbolKorea/transitionFlag02.do| 태극기의 변천 > 정부수립 이후][[大韓民国国家記録院]]公式ホームページより。</ref>。また、韓国では全国民が国旗を尊重・愛好しなければならず、国及び[[韓国の地方自治|地方自治団体]]は国旗の尊厳が維持されるように必要な措置を講じなければならない(大韓民国国旗法第5条)。そのため、韓国では[[デモ活動]]等で国旗を意図的に毀損した場合[[韓国警察]]に[[逮捕]]される可能性がある<ref>[http://japan.hani.co.kr/arti/politics/20853.html セウォル号集会で国旗燃やした男性に逮捕状請求][[ハンギョレ]]2015年6月1日配信記事</ref>。
 
 
 
ただし実際の運用面において、国旗が上下逆さまだったり間違った図案の国旗を使用したケースが、韓国外はおろか国内においても、イベント時の掲揚<ref>[http://japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=91347 「韓国人が総長なのに…」国連本部に‘変な太極旗’] [[中央日報]]日本語版 2007年09月20日</ref>や[[テレビ]]の[[ニュース]]配信<ref>[http://japanese.joins.com/article/215/141215.html SBS 8時ニュース「おかしな太極旗」連日報道] [[中央日報]]日本語版 2011年06月27日</ref>の際に度々ある。
 
 
 
=== 掲揚する日・場所 ===
 
太極旗は、下記のいずれかに該当する場合は掲揚されなければならない(大韓民国国旗法第8条第1項)。
 
#韓国の[[祝日]]等、中央政府の[[法律]]で指定された日。
 
* [[1月1日]]: [[元旦]]
 
* [[3月1日]]: [[三一節]]
 
* [[6月6日]]: [[顕忠日]]([[半旗]])
 
* [[7月17日]]: [[制憲節]]
 
* [[8月15日]]: [[光復節]]
 
* [[10月1日]]: [[国軍の日]]
 
* [[10月3日]]: [[開天節]]
 
* [[10月9日]]: [[ハングルの日]]
 
* [[国葬]]の期間(半旗)
 
#政府が別途指定する日
 
#[[韓国の地方自治|地方自治体]]が[[条例]]または地方議会議決で定める祝日(該当する地方でのみ)
 
 
 
国家と地方自治体、公共団体の庁舎は国旗を年中掲揚なければならず、下記の場所でも可能な限り年中国旗を掲揚することが求められる(大韓民国国旗法第8条第3項)。
 
#[[空港]]、[[ホテル]]等の国際的な場所
 
#[[大型ビル]]・[[公園]]・[[競技場]]等多くの人が出入りする場所
 
また、[[大韓民国の教育|学校]]や[[韓国軍|国軍部隊]]の[[掲揚台]]においても、毎日日中のみ国旗を掲揚することになっている(同法第8条第4項)。
 
 
 
=== 掲揚時間 ===
 
太極旗は毎日24時間掲揚することが出来るが(大韓民国国旗法第8条第2項)、夜間には適当な照明が必要とされる(同法第8条第3項)。また、旗が激しい[[雨]]・[[雪]]・[[風]]等で毀損される恐れがある場合は、掲揚しない(同法第8条第5項)。
 
 
 
国旗を日中のみ掲揚する場合は以下のように行う(同法第8条第6項)。
 
{| class="prettytable"
 
! 時 期
 
! 掲揚時刻
 
! 降納時刻
 
|-
 
| 3月 - 10月
 
| 07:00
 
| 18:00
 
|-
 
| 11月 - 2月
 
| 07:00
 
| 17:00
 
|}
 
 
 
=== 太極旗を応用した旗と意匠 ===
 
韓国に関連した組織では、しばしば太極旗のデザインを応用した旗ないし[[意匠]]を制定・使用している。
 
 
 
[[大韓民国の国章|韓国政府の初代国章]]は、太極旗の意匠をそのまま[[紋章]]化したものだった。国章は[[1963年]]に変更されたが、太極文様は引き続き使用されている。また、[[大韓民国の政治|韓国政府]]の行政機関が掲揚する旗も[[2016年]]から太極文様をアレンジしたものに変更されている。
 
 
 
[[韓国軍]]では、[[韓国海軍]]の[[艦首旗]](国籍旗)が、青地の[[カントン (紋章学)|カントン]]部に太極旗を配置した上で、四掛を[[海軍]]の象徴である[[軍艦]]の[[錨]]に置き換えている。他に、[[韓国陸軍]]の[[軍旗]]が、太極旗の太極文様と[[国花|韓国国花]]の[[槿]]を組み合わせた愛国的なデザインを採用しており、[[韓国空軍]]では[[国籍マーク]]に太極文様を用いている。
 
 
 
民間団体としては、かつて国営会社だった[[大韓航空]]が[[ロゴ]]に太極文様を用いている他、[[在日本大韓民国民団]](民団)の団体旗も、太極文様と槿を組み合わせる事で民団と韓国本国との関連性を強調している。
 
<gallery>
 
File:Coat of arms of South Korea (1948-1963).svg|韓国初代国章([[1948年]] - [[1963年]])
 
ファイル:Flag of the Government of the Republic of Korea.svg|韓国中央政府の行政機関旗([[2016年]] - )
 
ファイル:Naval Jack of South Korea.svg|軍艦用国籍旗([[1955年]] - )
 
ファイル:Flag of the Republic of Korea Army.svg|韓国陸軍旗([[1949年]] - )
 
File:Roundel of South Korea.svg|現用の国籍マーク(?年 - )
 
File:Tailfin korean.jpg|[[垂直尾翼]]に描かれた大韓航空のロゴと太極旗
 
ファイル:Flag of mindan-unfinished.svg|民団団体旗(?年 - )
 
</gallery>
 
 
 
== 関連項目 ==
 
*[[朝鮮の旗一覧]]
 
* [[国旗の一覧]]
 
* [[朝鮮民主主義人民共和国の国旗]](建国直前まで太極旗を使用していた)
 
* [[ブラザーフッド (映画)]](原題は「太極旗翻して」)
 
* [[大韓民国の国章]]
 
* [[太極図]]([[中国]]の『[[易経]]』の思想に基づく太極文様で、[[モンゴルの国旗]]等に使用されている)
 
 
 
== 出典 ==
 
{{Commonscat|Flags of South Korea}}
 
{{Reflist|2}}
 
 
 
== 参考文献 ==
 
*{{Cite book|和書|author=[[韓洪九]]|date=2003年|title=韓洪九の韓国現代史|publisher=[[平凡社]]|ISBN=978-4582454291|ref={{Harvid|韓洪九|2003}}}}第1部4章「太極旗は本当に民族の象徴なのか」
 
*{{Cite book|和書|author={{仮リンク|ティム・マーシャル|en|Tim Marshall (journalist)}}|date=2017年|title=国旗で知る世界情勢|publisher=[[原書房]]|ISBN=978-4562053971|ref={{Harvid|T・マーシャル|2017}}}}第6章「エデンの東」
 
 
 
== 外部リンク ==
 
* [http://park6.wakwak.com/~photo/image/min03.jpg 大清国属・高麗国旗] - 清の李鴻章が編纂した清の公式文書『通商章程成案彙編』(1886年)に掲載されたもの。「最古の太極旗の絵が発見」という題の朝鮮日報の記事にも写真が載せてあるが、その記事自体、別の旗を主題にした記事であり、英語版・朝鮮語版でのみ写真の下の小さな字の説明文で簡単に触れられている。特に日本語版には「大清国属高麗国旗」の写真を載せて、写真を載せていない「最古の太極旗の絵」(米海軍省 (Navy Department) 航海局 (Bureau of Navigation) 発行『海上国家の旗』(Flags of Maritime Nations; 1882年7月)に収録されたもの)のみの説明が掲載されている、という紛らわしい記事となっている。なお、この「大清国属 高麗国旗」に関する考察については、ノートにおいて詳しく触れられているので、そちらを参照のこと。
 
 
 
{{アジアの国旗}}
 
{{朝鮮}}
 
  
 
{{デフォルトソート:たいかんみんこくのこつき}}
 
{{デフォルトソート:たいかんみんこくのこつき}}

2018/10/6/ (土) 17:35時点における最新版

大韓民国の国旗
大韓民国の旗
用途及び属性 市民・政府・軍隊陸上、市民・政府・軍隊海上?
縦横比 2:3
制定日 初代[1]1949年10月15日
第2代[2]2007年1月26日
使用色
テンプレートを表示
太極旗
各種表記
ハングル 태극기
漢字 太極旗
発音 テグッキ
文化観光部2000年式 Taegeukgi
テンプレートを表示

大韓民国国旗(だいかんみんこくのこっき)

太極旗(たいきょくき・テグッキ)という名称の

白地の中央に置かれた赤と青の2色からなる「陰陽」で「太極」を表し、その周囲四隅に「」が配置されたデザインとなっている。

太極旗は、李氏朝鮮高宗)時代の1883年旧暦1月27日に朝鮮国の国旗として初めて公布され、朝鮮独立運動を通じて朝鮮民族象徴する旗として認知された。その後、1948年8月15日に大韓民国が独立を果たすと、1949年10月15日に大韓民国の国旗として法令でデザインが確定した。



楽天市場検索:


  1. 「国旗製作法」に基づく規定の公布日。
  2. 「大韓民国国旗法」に基づく規定の公布日。