天神橋 (大阪市)
天神橋 | |
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基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 | 大阪市北区(天神橋)-大阪市中央区(北浜東)間 |
交差物件 | 大川(堂島川・土佐堀川) |
建設 | 1934年(昭和9年) |
構造諸元 | |
形式 | アーチ橋 |
全長 | 210.70m |
幅 | 22.00m |
天神橋 | |
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— 町丁 — | |
国 | 日本 |
都道府県 | 大阪府 |
市町村 | 大阪市 |
区 | 北区 |
人口 (2016年(平成28年)9月30日現在) | |
- 計 | 9,733人 |
等時帯 | JST (UTC+9) |
郵便番号 | 530-0041 |
天神橋(てんじんばし)は、大阪府大阪市の大川に架けられた橋。また同市北区の町名。
現行行政地名は天神橋一丁目から八丁目まで。2016年(平成28年)9月30日現在の人口は9,733人、世帯数は6,191世帯[1]。郵便番号は〒530-0041。
天神橋(橋梁)
天神橋(てんじんばし)は、大川に架かる天神橋筋(大阪市道天神橋天王寺線)の橋で、大阪市北区天神橋と大阪市中央区北浜東の間を結んでいる。
1594年(文禄3年)の架橋とされ、当初は大阪天満宮が管理していたが、1634年(寛永11年)に他の主要橋とともに幕府が管理する公儀橋となった。難波橋、天満橋と共に浪華三大橋と称され、真ん中に位置する。
浪華三大橋の中で全長が最も長い。また、1832年(天保3年)の天神祭において、橋上からだんじりが大川へ転落して溺死者13名を出す事故があり、「天神橋長いな、落ちたらこわいな」と童歌に歌われた。
明治初期までは木橋だったが、1885年(明治18年)の淀川大洪水により流失。1888年(明治21年)にドイツ製の部材を主に用い鋼製のトラス橋として架け替えられた。先述の童歌からもわかるように、天神橋の下に陸地はなかったが、1921年(大正10年)以降、大川の浚渫で出た土砂埋め立てによりさらに上流へ拡張された中之島公園を跨ぐようになった。1934年(昭和9年)には松屋町筋の拡幅に合わせて、ほぼ現在の形である全長219.7メートルの3連アーチ橋となった。鉄橋の橋名飾板は、現在天神橋北詰に保存されている。
天神橋南詰には、天神橋交差点があり、ここより北を天神橋筋、南を松屋町筋という。大阪市営バスの天神橋停留所もここにある。
- Tenjinbashi wooden bridge.jpg
明治初期の天神橋
- Tenjinbashi in 1910.jpg
1910年頃の天神橋
地図
地名としての天神橋
天神橋北詰から北へ順に1丁目から8丁目まであり、長柄橋南詰に至る。日本一長い商店街として知られる天神橋筋商店街がある。
明治初頭の時点では天神橋北詰から北へ順に天満10丁目・宮之前町・又次郎町・摂津国町(つのくにまち)・綿屋町・夫婦町(めおとまち)・池田町という町名で、1872年(明治5年)に天神橋筋1丁目から4丁目に改編された。1900年(明治33年)に北へ延伸されて5丁目・6丁目を設置し、1927年(昭和2年)に長柄橋南詰まで延伸されて7丁目から9丁目が設置された。1943年(昭和18年)まで7丁目から9丁目は東淀川区に含まれ、同年以降6丁目の都島通以北から9丁目は大淀区に含まれていた。
1977年(昭和52年)に大淀区側が天神橋に改称し、6丁目の都島通以北は7丁目に、9丁目は8丁目に編入された。翌1978年(昭和53年)には北区側も天神橋に改称。1989年(平成元年)、合区により全域北区(新)となった。
天神橋のうち最も有名なのが6丁目で、天六(てんろく)と通称される。他の丁目も同様の通称を商店街などが使用しているが、あまり浸透していない。かつて阪急千里線天神橋筋六丁目駅は天神橋駅と名乗っていた。
主な施設
- 天一 - 天神橋(大川:旧淀川にかかる自動車南行一方通行の橋)
- 天二 - 大阪天満宮(7月に天神祭が行われる)、天満天神繁昌亭
- 天三 - 地下鉄堺筋線・谷町線南森町駅、JR大阪天満宮駅、FM802
- 天四 - 地下鉄堺筋線扇町駅、JR天満駅、スーパー玉出
- 天五 - このあたりに、格安寿司屋と古本屋が多い。天五から地下鉄谷町線中崎町駅まで伸びる天五中崎通商店街もある。
- 天六 - 地下鉄谷町線・堺筋線・阪急天神橋筋六丁目駅、大阪市立住まい情報センター(大阪くらしの今昔館)
- 天七 - 阪急オアシス(ジオタワー天六。地下化以前の阪急天神橋駅跡)
- 天八 - 長柄橋(淀川)
関連項目
脚注
外部リンク