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{{日本の脚本家
 
| 名前 = 小山内 美江子
 
| ふりがな =おさない みえこ
 
| 画像ファイル =
 
| 画像サイズ =
 
| 画像コメント =
 
| 本名 = 笹平 美江子
 
| 別名 =
 
| 誕生日 = {{生年月日と年齢|1930|1|8}}
 
| 出身地 =  {{JPN}}・[[神奈川県]][[横浜市]][[鶴見区 (横浜市)|鶴見区]]
 
| 死没日 =
 
| 死没地 =
 
| 血液型 =
 
| テレビドラマ =『[[マー姉ちゃん]]』<br />『[[3年B組金八先生]]』シリーズ<br />『[[父母の誤算]]』<br />『[[親と子の誤算]]』<br />『[[徳川家康 (NHK大河ドラマ)|徳川家康]]』<br />『[[翔ぶが如く (NHK大河ドラマ)|翔ぶが如く]]』 など
 
| 映画 =
 
| アニメ =
 
| 特撮 =
 
| 舞台 =
 
| 受賞 = [[日本女性放送者懇談会賞#1995年度|日本女性放送者懇談会賞]](1995年)
 
| その他 =
 
}}
 
'''小山内 美江子'''(おさない みえこ、本名:'''笹平 美江子'''(ささひら みえこ)、[[1930年]]([[昭和]]5年)[[1月8日]] - )は、[[日本]]の[[脚本家]]である。代表作には、[[TBSテレビ|TBS]]の[[テレビドラマ]]『[[3年B組金八先生]]』や[[日本放送協会|NHK]]の[[大河ドラマ]]『[[徳川家康 (NHK大河ドラマ)|徳川家康]]』『[[翔ぶが如く (NHK大河ドラマ)|翔ぶが如く]]』などがある。
 
__TOC__
 
{{-}}
 
  
== 来歴・人物 ==
+
'''小山内 美江子'''(おさない みえこ、本名:'''笹平 美江子'''(ささひら みえこ)、[[1930年]][[昭和]]5年)[[1月8日]] - )
[[神奈川県]][[横浜市]][[鶴見区 (横浜市)|鶴見区]]の出身であり、鶴見高等女学校(現在の[[鶴見大学附属中学校・高等学校|鶴見大学附属高等学校]]、[[学校法人総持学園]])卒業。
 
  
[[1951年]]に、映画の[[スクリプター]](記録係)となる。元々は映画監督を志望していたが、当時は女性では監督は無理だと言われていたため、撮影現場で監督の隣にいられる職を選んだ{{Sfn|円谷プロ怪奇ドラマ大作戦|2013|pp=106 - 107|loc=小山内美江子インタビュー}}。
+
昭和後期-平成時代の脚本家。
  
結婚を経て、妊娠(その後、長男の剛〈ごう〉を出産)をきっかけに脚本家に転じた。初めて脚本を手がけたのは、[[1962年]][[2月10日]]放送のNHKのテレビドラマ「テレビ指定席」枠の『残りの幸福』である。1962年[[7月31日]]には、剛を無事に出産し、それを区切りとして離婚した。
+
昭和5年1月8日生まれ。37年NHKテレビ指定席「残りの幸福」でデビュー。「マー姉ちゃん」「3年B組金八先生」「徳川家康」「翔(と)ぶが如く」などテレビドラマの話題作を多数執筆する。湾岸戦争を機に国際ボランティア活動にとりくみ,平成8年日本女性放送者懇談会SJ賞をうけた。神奈川県出身。鶴見高女卒。本名は笹平(ささひら)美江子。
  
その後、現在までに多くの作品を世に送っている。手がけた作品の中には、教育や子育てへの思いを込めたものがあり、『3年B組金八先生』をはじめ誤算シリーズ(『親と子の誤算』『父母の誤算』)などのテレビドラマによって、教育界でも知られるようになった。
+
{{テンプレート:20180815sk}}
 
 
また、かつてアクション、特撮ものも何本か執筆している。特撮の第一人者ともいわれた[[円谷英二]]が設立した[[円谷プロダクション|円谷特技プロダクション(現在の株式会社円谷プロダクション)]]の初めての作品である『[[ウルトラQ]]』では企画段階から打ち合わせに参加していた{{Sfn|円谷プロ怪奇ドラマ大作戦|2013|pp=106 - 107|loc=小山内美江子インタビュー}}。怪獣や空想設定のキャラクターが一切登場しない話「あけてくれ!」を執筆するが、その後『ウルトラQ』が怪獣路線へと転向したため担当を外れた{{Sfn|円谷プロ怪奇ドラマ大作戦|2013|pp=106 - 107|loc=小山内美江子インタビュー}}。
 
 
 
[[1990年]]、[[湾岸戦争]]の直前に[[ヨルダン・ハシェミット王国]]への支援に参加し、難民キャンプでボランティア活動を行う。[[1993年]]には教育困難な国で学校建設の活動を行う特定非営利活動法人JHP・学校をつくる会<ref>当時は、任意団体「カンボジアの子供に学校をつくる会」。</ref>を設立するなど、国際協力活動も行っている。
 
 
 
[[1995年]]度の[[日本女性放送者懇談会賞#1995年度|日本女性放送者懇談会賞]]を受賞する<ref>{{cite web|url=http://sjwrt.org/award/winner_list.html|accessdate=2016-06-21|title=歴代受賞者 | publisher=[[日本女性放送者懇談会]] SJWRT}}</ref>。
 
 
 
[[2004年]][[10月]]現在、特定非営利活動法人JHP・学校をつくる会代表理事のほかに、社団法人[[日本シナリオ作家協会]]理事、特定非営利活動法人日本子どもNPOセンター理事、社会福祉法人[[NHK厚生文化事業団]]理事(非常勤)、熱海国際交流協会会長なども務めている。
 
 
 
[[2005年]][[1月]]に、癌の為に『金八先生』第7シリーズの第11話以降の脚本から降板したと発表されている。それに関連して、自身の『金八先生』への思いをつづった『さようなら私の金八先生』([[講談社]])を出版した。
 
 
 
2005年3月、「[[マガジン9]]条」発起人となった<ref>[http://www.magazine9.jp/about/ マガジン9とは?]</ref>。
 
 
 
[[2007年]]、『[[週刊文春]]』誌上で病気は脚本執筆に支障はなく、TBSによって一方的に「更迭」されたと主張した。また、自身の降板後の『金八先生』第7シリーズの展開に関して「非現実的」と批判し、金八シリーズは「もうやらないほうがいい」と話している<ref>『週刊文春』2007年3月1日号</ref>。その後、TBS側と和解し、2007年秋から第8シリーズが放送された<ref>小山内は“原作”とクレジットされ、脚本は[[清水有生]]が執筆した。</ref>。
 
 
 
長男の笹平剛(ささひら ごう、本名)は、俳優・映像作家の[[利重剛]](りじゅう ごう)として活躍しており、母が脚本を担当した『徳川家康』では[[豊臣秀頼]]役、『金八先生』第6シリーズでは患者の相談に乗る医師役で出演している。
 
 
 
== エピソード ==
 
執筆した『ウルトラQ』第28話は、内容が難解との理由で急遽別番組(『ウルトラマン前夜祭』)に変更され、本放送では放送されなかった。この第28話は、翌年のシリーズ再放送時(下記放送日)が初放送となり、理由は不明だが、第24話として放送された。
 
 
 
『帰ってきたウルトラマン』に登場した宇宙人名は脚本では決まっていなかったが、プロデューサーの[[熊谷健]]が小山内の本名から'''[[帰ってきたウルトラマンの登場怪獣#宇宙怪人 ササヒラー|ササヒラー]]'''と命名した<ref>『帰ってきたウルトラマン大全』(双葉社)</ref>{{Sfn|円谷プロ怪奇ドラマ大作戦|2013|pp=106 - 107|loc=小山内美江子インタビュー}}。しかし放送後、姪が怪獣扱いされていじめられ、兄嫁から怒られたという{{Sfn|円谷プロ怪奇ドラマ大作戦|2013|pp=106 - 107|loc=小山内美江子インタビュー}}。
 
 
 
[[1979年]][[7月1日]](第17回)から同年[[9月4日]](第24回)まで[[江利チエミ]]に代わってで[[テレビ朝日]]のクイズ番組・『[[象印クイズ ヒントでピント]]』の2代目女性軍キャプテンを務めていた。
 
 
 
[[2004年]]に闘病しながら『3年B組金八先生』第7シリーズの脚本を執筆していた際には、「ほとんど命がけ」という心境だっただけに、放送開始前に「金八バラエティ」「似て非なる金八まがい」<ref>『[[新すぃ日本語]]』(2004年 TBS)</ref>が放送されていたのには衝撃を受け、TBSに対する不信感が募ったという<ref>『さようなら私の金八先生』(講談社)</ref>。
 
 
 
『3年B組金八先生』や『[[愛がわたしを]]』など、多数の作品でTBSの[[柳井満]]プロデューサーと組んだ。しかし後年に月刊誌で、柳井によって『金八先生』は「乗っとられにあっています」とも発言している<ref>『シナリオ』2006年1月号</ref>。
 
 
 
『金八先生』に主演している[[武田鉄矢]]は、「『週刊文春』の記事に書いてあることは、すべて真実です」として、TBSのスタッフと小山内との「行き違いはもう10年以上前、[[1988年|88年]]の第3シリーズくらいから、ことあるごとにずーっと続いていました」「小山内先生のお気持ちもよーくわかります」と話している<ref>『女性自身』2007年3月13日号</ref>。
 
 
 
== 執筆作品 ==
 
* 『[[特別機動捜査隊]]』第126話『天使の乳房』(NET〈現・[[テレビ朝日]]〉、[[1964年]][[3月25日]])
 
* 『[[青空に叫ぼう]]』(NET、[[1967年]]~[[1968年]])
 
* 『[[ウルトラQ]]』第28話『あけてくれ!』([[TBSテレビ|TBS]]、1967年[[12月14日]])
 
* 『[[キイハンター]]』(TBS、1968年~[[1973年]])
 
* 『[[炎の青春]]』(TBS、[[1969年]])
 
* 『蘭の殺人』([[日本テレビ放送網|日本テレビ]]、[[1970年]])
 
* 『[[帰ってきたウルトラマン]]』第48話「地球頂きます!』(TBS、[[1972年]][[3月10日]])
 
* 『[[姫君捕物控]]』(日本テレビ、1972年)
 
* 『[[燃える兄弟]]』(TBS、1972年~1973年)
 
* 『[[アイフル大作戦]]』(TBS、1973年4月14日~1974年5月4日)
 
* 『[[恐怖劇場アンバランス]]』第2、6話([[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列局、[[1973年]]<ref>制作は1969年。</ref>)
 
* 『[[白い滑走路]]』第1、3話(TBS、1974年)
 
* [[ライオン奥様劇場]]『[[妻の過去]]』(フジテレビ、1974年11月~1975年1月)
 
* 『[[バーディ大作戦]]』(TBS、1974年5月11日~1975年5月17日)
 
* 『[[Gメン'75]]』第2話『散歩する囚人護送車』(TBS、[[1975年]][[5月31日]])
 
* 『[[加奈子 (ポーラテレビ小説)|加奈子]]』(TBS、1975年)
 
* 『[[いごこち満点]]』(TBS、[[1976年]])
 
* 『おゆき』(TBS、[[1977年]])
 
* 『[[愛がわたしを]]』(TBS、[[1978年]])
 
* 『早筆右三郎』([[日本放送協会|NHK]]、1978年)
 
* [[連続テレビ小説]]『[[マー姉ちゃん]]』(NHK、[[1979年]]4月~9月)
 
* 『[[3年B組金八先生]]』第1シリーズ(TBS、1979年~[[1980年]])
 
* 『もうひとつの道』(NHK、1980年)
 
* 『3年B組金八先生』第2シリーズ(TBS、1980年~[[1981年]])
 
* 『[[父母の誤算]]』(TBS、1981年)
 
* 連続テレビ小説『[[本日も晴天なり]]』(NHK、1981年10月~4月)
 
* 『[[親と子の誤算]]』(TBS、[[1982年]])
 
* [[大河ドラマ]]『[[徳川家康 (NHK大河ドラマ)|徳川家康]]』(NHK、[[1983年]])原作 - [[山岡荘八]]
 
* 『離婚・ぼくんちの場合』(TBS、1983年)
 
* 『[[無邪気な関係]]』(TBS、[[1984年]])
 
* 『[[風にむかってマイウェイ]]』(TBS、1984年)原作 - [[干刈あがた]]
 
* 『雨ふりお月さん』(NHK、1984年)原作 - 太田知恵子
 
* 『黒いドレスの女』(日本テレビ、[[1985年]])原作 - ジョセフ・ラッセル
 
* 『[[華やかな誤算]]』(TBS、1985年)
 
* 『主夫物語』(NHK、[[1986年]])
 
* 新春ドラマスペシャル『[[七人の孫|森繁久彌の七人の孫]]』(TBS、[[1987年]])
 
* 『[[みんなマドンナ]]』(日本テレビ、1987年)
 
* 『3年B組金八先生』第3シリーズ(TBS、[[1988年]])
 
* 『[[十九歳]]』(NHK、[[1989年]])
 
* 『ザ・校則』(テレビ朝日、1989年)
 
* 大河ドラマ『[[翔ぶが如く (NHK大河ドラマ)|翔ぶが如く]]』(NHK、[[1990年]])原作 - [[司馬遼太郎]]
 
* 『拝啓、男たちへ』(TBS、[[1992年]])原作 - [[池部良]]
 
* 『泣きたいほどの淋しさに』([[北海道文化放送]]、1992年)
 
* 『[[おれはO型・牡羊座]]』(日本テレビ、[[1994年]])
 
* 『3年B組金八先生』第4シリーズ(TBS、[[1995年]]~[[1996年]])
 
* 『3年B組金八先生』第5シリーズ(TBS、[[1999年]]~[[2000年]])
 
* 『3年B組金八先生』第6シリーズ(TBS、[[2001年]]~[[2002年]])
 
* 『3年B組金八先生』第7シリーズ(TBS、[[2004年]])
 
 
 
== 著書 ==
 
=== 単著 ===
 
* 『すばらしき遭難』(1978年 [[旺文社]])
 
* 『親と子と  裁かれる明日』(1979年 [[集英社文庫]])
 
* 『21世紀を生きる君たちへ』(1984年 [[岩波ジュニア新書]])
 
* 『フレンドシップ物語 愛のホームステイ』(1985年 [[集英社]])
 
* 『そして幕があがった』(1986年 集英社文庫)
 
* 『あおげば尊しほうき星  ドキュメント・わが母』(1986年 旺文社)
 
* 『ヨルダン難民救援への旅』(1991年 岩波ジュニア新書)
 
* 『母と子の旅立ち ― 新しいふれあいを求めて』(1992年 集英社文庫)
 
* 『外国人労働者と私たち』(1992年 労働旬報社)
 
* 『それぞれの老いじたく』(1994年 [[家の光協会]])
 
* 『フットワーク軽くボランティア』(1995年 家の光協会)
 
* 『風のドア』(1995年 [[朝日新聞社]])
 
* 『カンボジアから大震災神戸へ』(1996年 労働旬報社)
 
* 『日本の名随筆 家出』(1996年 [[作品社]])〈編著〉
 
* 『メコンに輝け桜小学校  草の根ボランティア奮闘記』(1999年 佼成出版社)
 
* 『できることからはじめよう―ハナコと太郎のボランティア青春記』(1999年 [[講談社]])
 
* 『「ボス」と慕われた教師  学校づくりは石狩で、カンボジアで』(2003年 [[岩波書店]])
 
* 『「赤い靴」の女たち』(2003年 集英社be文庫)
 
* 『さようなら私の金八先生  25年目の卒業』(2005年 講談社)
 
 
 
=== 共著 ===
 
* 『「生きる」を考えるとき  わが10代アンソロジー』 (1999年 [[NHK出版]])
 
* 『司馬遼太郎の流儀  その人と文学 』(2001年 NHK出版)
 
* 『語るには若すぎますが 2』 (2003年 [[河出書房新社]])
 
* 『わたしの失敗  著名人の体験』(2006年 [[産經新聞]]出版)
 
* 『1人ひとりにできること1人のためにできること』(2008年 [[ダイヤモンド社]])
 
* 『「私」が「わたくし」であることへ  [[吉武輝子]]対話集』(2009年 パド・ウィメンズ・オフィス)
 
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[二谷英明]] - 小山内と同じくボランティア団体「カンボジアの子供に学校をつくる会」の設立に参加。
 
* [[柳井満]]
 
* [[利重剛]]
 
* 『[[いのちの響]]』(TBS)
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{Reflist}}
 
 
 
== 参考文献 ==
 
* {{Cite book|和書
 
| title = 別冊映画秘宝 円谷プロ怪奇ドラマ大作戦
 
| publisher = [[洋泉社]]
 
| series = 洋泉社MOOK
 
| date = 2013
 
| isbn = 978-4-8003-0174-1
 
| ref = {{SfnRef|円谷プロ怪奇ドラマ大作戦|2013}}
 
}}
 
 
 
== 外部リンク ==
 
* [http://www.jhp.or.jp/ 特定非営利活動法人 JHP・学校をつくる会]
 
* {{Tvdrama-db name}}
 
* {{Allcinema name|124652}}
 
 
 
{{放送ウーマン賞}}
 
{{ザテレビジョンドラマアカデミー賞脚本賞}}
 
{{Normdaten}}
 
  
 
{{DEFAULTSORT:おさない みえこ}}
 
{{DEFAULTSORT:おさない みえこ}}

2018/12/26/ (水) 09:18時点における最新版

小山内 美江子(おさない みえこ、本名:笹平 美江子(ささひら みえこ)、1930年昭和5年)1月8日 - )

昭和後期-平成時代の脚本家。

昭和5年1月8日生まれ。37年NHKテレビ指定席「残りの幸福」でデビュー。「マー姉ちゃん」「3年B組金八先生」「徳川家康」「翔(と)ぶが如く」などテレビドラマの話題作を多数執筆する。湾岸戦争を機に国際ボランティア活動にとりくみ,平成8年日本女性放送者懇談会SJ賞をうけた。神奈川県出身。鶴見高女卒。本名は笹平(ささひら)美江子。



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