島津義弘

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島津 義弘(しまづ よしひろ)

[生] 天文4(1535).鹿児島

[没] 元和5(1619).7.21. 大隅,加治木

安土桃山,江戸時代初期の武将。貴久の次男。義久の弟。初名は忠平,のち義珍。号は維新。真幸院飯野に城を構え,日向で伊東,大友氏を破った。天正 15 (1587) 年豊臣秀吉の九州征伐後,義久の跡を継ぎ,薩摩,大隅両国の支配を安堵された。文禄・慶長の役では,特に慶長3 (98) 年の泗川の戦いに功があった。関ヶ原の戦いには最後まで豊臣方として活躍したが,敗北後も許され,本領は安堵された。