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[[File:Reclamation works-01.png|thumb|100px|干拓前の状態]]
 
[[File:Reclamation works-02.png|thumb|100px|水門の建設]]
 
[[File:Reclamation works-03.png|thumb|100px|排水(干潮のため'''a.'''の方向に排水される)]]
 
[[File:Reclamation works-04.png|thumb|100px|水門の閉鎖]]
 
[[File:Reclamation works-05.png|thumb|100px|干拓後]]
 
'''干拓'''(かんたく)とは遠浅の[[海]]や[[干潟]]、水深の浅い[[湖沼]]やその浅瀬を仕切り、その場の[[水]]を抜き取ったり干上がらせるなどして[[陸地]]にすること。主に[[農地]]として開拓する時に用いられる。干拓された土地を'''干拓地'''({{Lang-nl-short|polder}})と呼ぶ。
 
  
水域に土砂や廃棄物等を投入して土地を造成する[[埋立]]とは異なる。
+
'''干拓'''(かんたく)
  
方法として、まず、[[干拓堤防]](潮受け堤防、潮受堤防)で水域を仕切り、堤防の随所に[[水門]]を設ける。その上で動力によって強制的に仕切内の水を排水し干上がらせる。または海の場合、潮の干満を利用する方法も取られる。干潮時に水門を開き海水を排し、満潮時には水門を閉じて干上がらせる。
+
海岸や河口の水面を堤防で仕切って陸地を造成すること。農耕,工業立地,都市開発などの目的で行う。大規模な干拓はオランダが有名で,総面積の約5分の1が干拓地といわれる。日本の干拓では有明海周辺が名高く,加藤清正の時代から行われ,干拓によって佐賀市は海岸から 10kmも内陸部にある。有明海周辺では干満の差が 7mにも及ぶので,高い干拓堤防を必要とする。児島湾,八郎潟も大規模な干拓が行われ,八郎潟はオランダの技術を導入し,干拓堤防に揚水機場をつくり,排水によって干拓を行なった。
 
 
こうしてできた土地は海面よりも低くなることが多く、[[塩分]]を含んだ土地であるため、農地化する際には、塩分とともに水を排水する設備を作る必要がある。また地盤も軟弱であるため、[[宅地]]としては好ましくない。
 
 
 
== 干拓による環境破壊 ==
 
干拓される対象となる水域の大抵は既に[[生態系]]が形成されている個所である。そこを陸地化させてしまうことは、元々あった生態系を破壊してしまうことであり、しばしば[[自然破壊]]の1つとして問題視されるのである。特に、諫早湾干拓事業のような大規模事業の場合、その影響が干拓地だけでなく、周辺の水域にも及ぶことがある(同事業の場合、1997年4月に湾の西半分を潮受け堤防で閉め切ったことが、有明海全体に甚大な漁業被害をもたらす原因となったほどである)。
 
 
 
== オランダの干拓 ==
 
オランダの歴史は、俗に「世界は神が作ったが、オランダはオランダ人が作った」と言われるように干拓地(ポルダー)と切り離せない。
 
 
 
オランダでは海岸沿いに広がる[[湿地]]や[[泥炭|泥炭地]]や干潟を埋め立てて土地を広げてきた歴史がある。オランダ最古の堤防は[[ローマ帝国]]時代に遡り、初期の干拓は11世紀から13世紀の間に始まった。海や湖を干上げる近代的な干拓の始まりは、1612年の[[ベームスター干拓地]]であった。以来オランダでは堤防に囲まれ[[風車]]・排水路・水門で雨水や地下水を排水する干拓地が広がった。
 
 
 
また水管理委員会({{Lang-nl|waterschap}}、{{Lang-en|water board}})の長として、干拓地の周りの堤防を維持管理する「dijkgraaf」(英語では「dike-warden」)の役職が置かれた。この職は土地の存続や住民の生死に関わるものだったため、堤防維持のために人々を徴発する強力な権限があった。もっとも堤防の保全という作業はあらゆる階層の干拓地住民の協力が不可欠なため、オランダには階層を超えた協力や話し合いを重視する気風が生まれた。[[労使協調]]や[[ワークシェアリング]]などを特徴とするオランダ独特の政治・経済システムも「ポルダーモデル」の名で呼ばれる。
 
 
 
オランダの干拓手法はヨーロッパ、さらに世界各地にも影響を与えた。日本の干拓も、明治以降はオランダの強い影響を受けている。
 
 
 
== 日本の干拓 ==
 
[[File:Saga_plain_reclamation_dike.JPG|thumb|right|200px|有明海(筑紫平野)の石積み干拓堤防]]
 
ここでは日本で最も規模が大きい[[有明海]]の干拓を例にとる。
 
 
 
有明海沿岸での干拓は[[室町時代]]頃に始まったと考えられている。泥質干潟である有明海湾奥部では泥の堆積により年間平均10m程度(標高にして2mm程度)の自然陸化が継続するが、ひとたび陸化して干上がった地域には泥が堆積しないため低地が広がり洪水や高潮に弱く、泥質土に顕著な[[地盤沈下|圧密沈下]]により逆に沈下してゆくこと、また干潟の方も台風の[[波浪]]や[[高潮]]などによって堆積した泥が簡単に流されていってしまうという特徴があった。そのため、陸化を促進する目的とともに陸化した地域を[[水害]]から守る目的などで干拓が行われるようになった<ref name="koza">有明海再生機構 [http://www.npo-ariake.jp/act-report/symposium/img/220120/220120ariakekaikouza.pdf 有明海講座 干拓から有明海沿岸堤防まで -有明粘土とのつき合い方]</ref><ref name="suido">農業農村整備情報総合センター 水土の礎 [http://suido-ishizue.jp/nihon/10/02.html 肥前佐賀の水土の知:創造された大地 特異な水土1]</ref>。
 
 
 
具体的には、沿岸の干潟に[[松]]の丸太を間隔をあけて打ち込んでその間に[[竹]]や[[藁]]などを敷き詰めてうろこ状に干潟を囲い込んで海水の出入り口を狭くし、泥の堆積を数年間促進させる。堆積が進んだら、干潮時を狙って土居([[堤防]])を築き閉め切る。この方式を「柴搦」といい、干拓堤防は松の丸太を基礎としたものが多かったことから「松土居」と呼ばれた。江戸時代の前までは規模の小さい「籠」と呼ばれる干拓が多かったが、[[江戸時代]]に入ると本格的な土居を築くような組織的な干拓が主流となり、[[藩]]主導の事業や「村受け」と呼ばれる農一体で取り組む事業が行われたが、干拓できる地域が限られ大きな労力を必要とするようになってきたため次第に下火となった。江戸時代以降の干拓地は「搦」「開」と呼ばれ、現在の地名にも残っている<ref>[http://www.geocities.jp/tttban2000/Room/sight/isan/oogarame.html 大搦堤防]</ref><ref name="koza" /><ref name="suido" />。
 
 
 
[[明治]]に入ると資金力のある有力者が出資する組合方式の干拓が始まり、再び活発となった。しかし、拡大が進むにつれて水深の深い干潟を干拓せざるを得なくなり、資金のある村営、県営、そして国営と規模を拡大していった。このころには、岩を基礎とした堤防を作り広範囲の干潟を干上がらせ自然陸化を待たない、オランダのような方式が主流となった。そして、堤防も堅牢化・[[コンクリート]]化が進み大規模化していった。[[1968年]](昭和43年)に有明海の干拓がほぼすべて完工し<ref name="koza" />、その後行われたのは[[笠岡湾干拓]]と[[諫早湾干拓]]のみである。
 
 
 
== 干拓地の例 ==
 
[[File:Isahaya bay landsat.jpg|thumb|180px|right|干拓工事中の諫早湾(2001年)]]
 
[[File:Historic reclamation works traces Ariake sea coast Aerial Photograph.jpg|thumb|240px|有明海沿岸、佐賀市(旧川副町付近)の空中写真<br />圃場整理はされているが、上空から見ると干拓の痕跡が海へ向かって同心円状に残っているのが分かる。<br />{{国土航空写真}}(1974年撮影)]]
 
=== オランダ ===
 
* [[アフシュライトダイク]]による干拓事業
 
=== 韓国 ===
 
* [[セマングム]] - 韓国南部の広大な干潟
 
=== 日本 ===
 
* [[宮城県]]
 
** [[品井沼]]干拓事業 - 鹿島台村(現[[大崎市]])、[[松島町]]
 
** [[万石浦]][[仙台藩]]干拓
 
* [[秋田県]]
 
** [[鳥の海の干拓]] - 伝説
 
** [[八郎潟]] - [[大潟村]]/[[八郎潟新農村建設事業団]] [[八郎潟町]]
 
** [[象潟]]干拓事業による水田開発
 
* [[茨城県]]
 
** [[霞ヶ浦の歴史#干拓]]
 
** [[砂沼]]干拓
 
** [[千波湖]]干拓
 
* [[埼玉県]]
 
** [[二郷半沼]]干拓 - [[大場川 (埼玉県)|大場川]]
 
** [[鴻沼]]干拓 - [[高沼用水路]]、現在は宅地化
 
** [[見沼]]干拓 - [[見沼代用水]]入江新田干拓
 
** [[柴山沼]]干拓/埼玉県営圃場整備
 
** [[吉川市]]川野付近の干拓地
 
** [[埼玉沼|小針沼]]干拓工事 - [[若王子古墳群 (行田市)|若王子古墳群]]・[[八幡山古墳 (行田市)|八幡山古墳]]の盛土を使用
 
** [[伊佐沼]]干拓
 
* [[千葉県]]
 
** [[手賀沼干拓]]
 
** [[印旛沼干拓]]
 
** [[椿海]]干拓新田
 
** [[坂田池#地理|鳥喰沼]]干拓
 
** 長沼干拓 - [[長沼城 (下総国)|長沼城]]
 
* [[東京都]]
 
** [[墨田区]](旧[[東京市]]本所区)、[[江東区]]([[小名木川]]以北の大部分)、[[江戸川区]]([[新川 (江戸川区)|新川]]付近)
 
*** [[石島 (江東区)|石島]]十万坪 - [[江戸時代]]の干拓による
 
** [[麻布十番]]湿地帯干拓
 
** [[羽田運動場]](羽田沖合干拓地のうちの1万坪)
 
* [[神奈川県]]
 
** [[大師]]河原干拓
 
** [[金沢八景]]内川入江干拓
 
* [[新潟県]]
 
** [[福島潟]]国営干拓事業
 
** [[潟東村]]鎧潟干拓
 
** [[紫雲寺町]][[紫雲寺潟]]干拓
 
** [[八丁沖]]古戦場パーク・富島干拓地
 
** [[福島潟]]北畔干拓地「水の公園福島潟」整備事業(新潟県と[[豊栄市]](当時))
 
** [[鳥屋野潟]]周辺小規模[[湖沼]]干拓
 
** [[新発田藩]]新田開発
 
* [[富山県]]
 
** [[放生津潟]]干拓
 
* [[石川県]]
 
** [[河北潟#埋め立てと干拓]]
 
** [[加賀三湖]](今江潟、柴山潟)
 
** [[邑知潟]]干拓
 
* [[静岡県]]
 
** [[牛臥山 (静岡県)|牛臥山]]干拓
 
* [[愛知県]]
 
** [[一色町]][[矢作川]][[三角州]]干拓地(現・[[西尾市]])
 
** [[鍋田干拓地]] - [[鍋田村]](後に弥富町、現在は[[弥富市]])[[愛知県弥富野鳥園]]
 
** [[十四山村]]葦山十四カ所干拓
 
** [[南陽町]]新田 - 大半は[[江戸時代]]に[[伊勢湾]]を干拓したもの
 
** [[海部郡 (愛知県)]][[飛島新田]](現在の[[飛島村]])干拓
 
** [[半田池]]干拓新田
 
** [[刈谷市]]沖積平野部新田
 
** [[幸田町]]菱池干拓水田
 
* [[三重県]]・愛知県
 
** [[木曽岬干拓地]] - [[木曽川]]河口にある[[干拓地]]。[[三重県]][[木曽岬町]]、[[桑名市]]、[[愛知県]]
 
* [[滋賀県]]
 
** [[琵琶湖]]内湖干拓
 
*** [[大中湖]]干拓
 
*** [[入江干拓]] - 旧入江内湖。[[米原市]]入江にある干拓地帯
 
* [[京都府]]
 
** [[巨椋池]]干拓地 - 現在は農地と住宅街になっている。[[久御山町]]町域は全体的に、巨椋池を干拓した平地
 
** [[亀岡市]]渓谷干拓
 
* [[大阪府]]
 
** [[寝屋川]]東大阪市内「[[鴻池新田]]」
 
** [[河内湖]]新田干拓
 
** 大阪平野草香江干拓
 
* [[鳥取県]]
 
** [[東郷池]]干拓 - [[花見村]](現・[[湯梨浜町]])
 
** [[湯山池]]干拓
 
* 鳥取県・[[島根県]]
 
** [[中海#干拓・淡水化事業]] - [[2002年]]中止。[[松江市]]八束町江島字北新田、[[米子市]]の中海干拓事業彦名工区、[[米子水鳥公園]]
 
* [[岡山県]]
 
** [[児島半島]][[児島湖]][[児島湾]]干拓 - [[岡山平野]]。江戸時代から明治時代にかけて干拓事業が進められる。[[早島町]]南部から[[倉敷市]]中東部にかけて[[岡山藩]]、さらに[[明治時代]]以降、[[藤田伝三郎#児島湾干拓事業]]([[岡南]]-[[藤田財閥]][[児島湾]]'''干拓'''第3・5区周辺、[[藤田 (岡山市)]]、[[茶屋町地区|茶屋町]])
 
*** [[南区 (岡山市)]] - [[江戸時代]]から[[昭和]]30年代にかけて造成された[[干拓地]]
 
*** [[沖新田]]干拓 - [[津田永忠]]が造成
 
*** [[早島町]]
 
** [[水島諸島]] - 昭和期の干拓により陸続きになり、寄島半島となる
 
** [[福田町 (岡山県)|福田町]]福田新田(現在の[[倉敷市]]福田町古新田)干潟干拓工事
 
** [[連島町]]干拓事業 - 倉敷市
 
** [[玉島地域|玉島]]中部干拓地築上町 - 倉敷市
 
** [[寄島町]]県営農業干拓
 
** [[笠岡吉浜]]・[[白石島]] - 江戸時代初期の[[備後]][[備後福山藩|福山藩]]による干拓事業
 
** [[笠岡湾干拓地]] -国営事業 [[大島 (笠岡市)]]、[[神島 (笠岡市)]]
 
** [[今立川]]下流部干拓 - [[笠岡市]]
 
* [[広島県]]
 
** [[太田川]]下流部干拓工事
 
*** [[庚午 (広島市)|庚午]]干潟干拓 - 広島市
 
*** [[段原]]沖合干拓
 
*** [[江波 (広島市)#干拓と埋め立て]]
 
*** [[宇品]]干拓
 
** [[海田町]]干拓地
 
** [[福山平野]]干拓([[福山市]])江戸時代初期から福山藩水野家により現在の福山市市街地の中南部、東部と順次干拓されてきたが江戸時代中期に転封された
 
阿部家も事業を継承していく形で幕末から明治初期まで行われた。現在の福山中心市街地や東南部の大半はその干拓地にある。
 
** [[松永湾]]干拓 福山藩による干拓事業 現在の福山市松永町、柳津町、南松永町、高西町、尾道市高須町の大半はその干拓平野。
 
** [[沼隈半島]]干拓 福山藩による干拓事業
 
** [[竹原]]本川掘右岸干拓 - [[竹原市]]
 
* [[山口県]]
 
** [[中野開作]] - [[宇部市]]
 
** [[きらら浜]] - [[山口市]]、国営干拓事業時代の事業名称は阿知須干拓地
 
** [[王喜 (下関市)|王喜]]干拓地 - [[下関市]]
 
** [[三田尻]]海岸干拓 - [[防府市]]
 
** [[周防国]]平田開作、東大泊入江開作、高泊開作、王喜開作
 
** 浜五挺唐樋(干拓遺跡) - [[山陽小野田市]]
 
** [[和木町]]干拓地
 
** [[錦川]]デルタ地帯干拓新田開発
 
* [[徳島県]]
 
** [[金磯町]][[芝生川]]河口干拓
 
** [[吉野川#新田開発と干拓]]
 
* [[香川県]]
 
** [[坂出市]]北部干拓地
 
* [[愛媛県]]
 
** [[日振新田干拓]]([[宇和島市]])
 
** 国営[[燧灘]]干拓事業計画 - [[西条市]](旧[[楠河村]])
 
** [[壬生川町]]地先海岸干拓
 
* [[有明海]]沿岸([[福岡県]]・[[佐賀県]]・[[長崎県]]・[[熊本県]]) - 江戸時代以前から干拓が始まり、250[[平方キロメートル|km<sup>2</sup>]]以上が陸化し[[筑紫平野]]を拡大させた。
 
** [[白川 (熊本県)|熊本県]]河口干拓地
 
** 長洲干拓、横島干拓 - [[熊本県]][[玉名市]]・[[長洲町]]、江戸時代以降および、国営事業。
 
*** [[横島町]] - 熊本県の北西部。島とそれ以外の町域はすべて[[江戸時代]]からの干拓により造成された土地
 
** 三池干拓 - [[福岡県]][[大牟田市]]・[[みやま市]]([[高田町 (福岡県)|高田町]])、[[1958年]]([[昭和]]33年)から[[1970年]](昭和45年)にかけ実施、国営事業。
 
*** 旧[[手鎌村]]や旧開村などでは、それ以前から干拓事業が行われていた。
 
** 大和干拓 - 福岡県[[柳川市]]、[[1958年]]([[昭和]]33年)から[[1970年]](昭和45年)にかけ実施、国営事業。
 
** 柳川干拓 - 福岡県柳川市、主に江戸時代以降。
 
** 昭代干拓 - 福岡県柳川市、県営事業。
 
** 有明干拓、福富干拓 - [[佐賀県]][[白石町]]、1938年から1978年にかけ実施、県営で着工し後に国営事業に移管。
 
** 佐賀県[[鹿島市]]、[[佐賀市]]久保田・西与賀・東与賀・川副・諸富、[[神埼市]]千代田 - 江戸時代以前より実施、昭和前期に県営事業も実施。
 
** [[諫早平野]] - 長崎県[[諫早市]]。
 
*** [[諫早湾干拓事業]] - 長崎県諫早市・[[諫早湾]]、1989年から2007年にかけ実施、国営事業。
 
** [[高道 (玉名市)|高道]]大相、長保地区干拓地 - 熊本県[[玉名市]]
 
* [[佐賀県]]
 
** 長浜干拓 - [[伊万里市]]・[[伊万里湾]]。
 
** [[牧島]]干拓
 
* [[長崎県]]
 
** [[針尾島]]早岐瀬戸沿岸・江上浦干拓事業
 
** [[早岐瀬戸]]干拓事業
 
** [[佐世保市]]但馬新田干拓
 
** [[相浦]]干拓 - [[佐世保市]]、[[陸上自衛隊]][[相浦駐屯地]]
 
** [[有馬川]]下流域干拓地 - 北岡新地・三原新地など
 
** [[谷江川]]河口部干拓地 - [[壱岐島]]
 
* [[熊本県]]
 
** [[八代平野#八代干拓|八代干拓]] - [[八代海]]沿岸。
 
** [[羊角湾#羊角湾干拓事業]] - [[下島 (天草諸島)|天草下島]]。自然環境保護の世論などから、[[1997年]](平成9年)に干拓事業は廃止
 
* [[大分県]]
 
** [[真玉海岸]]南部干拓
 
* [[宮崎県]]
 
** [[宮崎県総合運動公園|宮崎市木崎地区干拓地]]
 
* [[鹿児島県]]
 
** [[姶良平野]]松原干拓地([[松原塩田]])
 
** [[高江町]]干拓
 
* [[沖縄県]]
 
** [[池間湿原]]干拓 - [[池間島]]
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
<references />
 
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[産業遺産#水利施設・干拓事業]]
 
* [[潮遊び]]
 
* [[附廻堀]]
 
* [[公共事業]]
 
 
 
== 外部リンク ==
 
*[http://ac.ogata.or.jp/museum/index.htm 大潟村干拓博物館]
 
*[http://www.maff.go.jp/kyusyu/nn/isahayaindex.html 諫早湾干拓事業]
 
*[http://www.city.okayama.okayama.jp/museum/kantaku/index.htm 岡山の干拓]
 
*[http://www.maff.go.jp/chushi/a/kyoku/jigyou/kaihatu/nakaumi/index.htm 国営中海土地改良事業]
 
 
 
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 +
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[[Category:干拓|*]]
 
[[Category:干拓|*]]

2019/5/7/ (火) 09:40時点における最新版

干拓(かんたく)

海岸や河口の水面を堤防で仕切って陸地を造成すること。農耕,工業立地,都市開発などの目的で行う。大規模な干拓はオランダが有名で,総面積の約5分の1が干拓地といわれる。日本の干拓では有明海周辺が名高く,加藤清正の時代から行われ,干拓によって佐賀市は海岸から 10kmも内陸部にある。有明海周辺では干満の差が 7mにも及ぶので,高い干拓堤防を必要とする。児島湾,八郎潟も大規模な干拓が行われ,八郎潟はオランダの技術を導入し,干拓堤防に揚水機場をつくり,排水によって干拓を行なった。



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