性悪説

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性悪説(せいあくせつ)とは、紀元前3世紀ごろの中国思想家荀子が、孟子性善説に反対して唱えた人間の本性に対する主張。「人の性はなり、その善なるものは偽(ぎ)なり」(『荀子』性悪篇より)から来ている。

ここで言う悪とは、「(人間は様々な意味で)弱い存在」という程度の意味であり、「悪=犯罪あるいは悪事)」という意味では無い(「弱い存在」である人間が、犯罪や悪事に手を染めずに一生を終える、という事もありうる)。また、偽とは、「人の為す行い」という程度の意味であり、「偽=あるいは偽物」という意味ではない(後述のように、後天的な努力や習得によって初めて獲得する性格のものと捉えている)。

いわゆる「厳罰主義」や「厳罰化」のバックボーンとして性悪説が指摘される事がしばしばあるが、本来の性悪説に厳罰は含まれておらず(むしろ後述するように教育に力点を置いている)、性悪説を解釈する側の二義的な問題である。また、「人間を信用する/しない」という問題も性悪説自体には含まれておらず、やはり解釈する側の二義的な問題である。

また、キリスト教における原罪とも根本的に異なる概念である。

荀子は、人間の本性はこのように欲望的存在にすぎないが、後天的努力(すなわち学問を修めること)により公共善を知り、(人間の本性は根本的に変えられないとしても)礼儀を正すことができるとして、(性善説同様に)教育の重要性を説いた。


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