戊辰戦争

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戊辰戦争(ぼしんせんそう、慶応4年/明治元年 - 明治2年(1868年 - 1869年))

明治維新期,倒幕派と幕府派との間の一連の戦い。慶応4 (1868) 年 (戊辰の年) 1月3日大坂から京都へ進撃した会津藩桑名藩の兵は,鳥羽,伏見で薩摩藩長州藩を中心とする新政府軍と戦って敗れた (鳥羽・伏見の戦い ) 。新政府は有栖川宮熾仁親王を東征大総督に任じ,大坂から江戸へ退去した旧幕府勢力を追って,徳川追討の軍を起こした。同 1868年2月薩長両藩兵を主力とする 20藩以上の諸兵が東海道,東山道,北陸道の三方に分かれて進発した。徳川慶喜は恭順の態度をとって謹慎し,駿河に迫った東征軍に対して勝海舟を通じて交渉し,助命と引き換えに江戸城の自発的開城を約束させた。こうした情勢のなかで徳川氏は静岡に移封されたが,抗戦を叫ぶ旧幕臣たちは上野にこもって輪王寺宮公現法親王 (北白川宮能久 ) を戴いて彰義隊を結成,東征軍に抗戦したが敗れ,輪王寺宮は奥羽に逃れた (彰義隊の戦い) 。一方,鳥羽・伏見の戦いで賊名を負わされた会津,桑名両藩にも追討令が出された。奥羽諸藩は会津藩の赦免を東征軍に斡旋したがいれられず,ついに5月北越諸藩をも加えた奥羽越列藩同盟を結成するにいたり,輪王寺宮を擁して官軍と対決した。しかし奥羽・北越戦争で,優秀な装備をもつ薩長を中心とする官軍は,まず北越を平定し,次いで9月会津藩を降伏させた (会津戦争 ) 。これに先立ち,旧幕府海軍副総裁榎本武揚らは,軍艦8隻に搭乗して江戸を脱出,箱館を占拠し,武器,軍艦の引き渡しを拒んだ。官軍は,翌明治2 (1869) 年5月箱館に進撃し,箱館戦争が開かれたが,5月 18日五稜郭は開城され,榎本らは降伏して (五稜郭の戦い ) ,戊辰戦争は終結した。この国内戦の結果,旧幕府体制は根底から崩壊し,明治絶対主義国家確立の道が開かれた。



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